所在地 : 東京都八王子市横山町(1950年)、東京都八王子市横山町66(1953年・1955年・1958年・1960年)、東京都八王子市横山町2-65(1966年)、東京都八王子市横山町96-2(1969年)、東京都八王子市横山町13-4(1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2002年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 2017年1月31日
Wikipedia :
ニュー八王子シネマ
『全国映画館総覧 1955』によると1947年5月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「ニュー八王子」。1968年の東都地図社商工住宅名鑑では「十字屋八王子店 ニューエイト ニュー八王子劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「ニュー八王子・あんぐら劇場」(2館)。1976年の映画館名簿では「ニュー八王子映劇・あんぐら劇場」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「ニュー八王子映画劇場・あんぐら劇場」(2館)。1985年の住宅地図では「ニュー八王子ビル 4階ニュー八王子映画」。1990年・1995年の映画館名簿では「ニュー八王子映画劇場」。2000年・2002年の映画館名簿では「ニュー八王子シネマ1・2」(2館)。2000年の住宅地図では「ニュー八王子ビル 4階・5階ニュー八王子シネマ」。2002年の映画館名簿では経営会社がニュー八王子ビル株式会社、経営者が小熊進、支配人が石倉美紀子、1が鉄筋造4階で218席、2が鉄筋造5階で44席、いずれも邦画・洋画を上映。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「ニュー八王子シネマ1・2・3・4」(4館)。最寄駅はJR中央本線八王子駅。
八王子市横山町の「ニュー八王子」。タツミ興業の経営で当初は洋画を上映していたが、1952年頃にはタツミ興業が洋画館「たつみ映画劇場」を開館させると、松竹や日活を上映するようになった。仲代達也主演の松竹作品『人間の条件』や石原裕次郎主演の日活作品『陽のあたる坂道』が上映されている。やがて「ニュー八王子」と「ニュー八王子あんぐら劇場」の2館になっている。
*10
1947年頃の文献から「ニュー八王子」の名前が登場する。1950年代の八王子駅周辺には6館の映画館があった。1964年に現在のニュー八王子ビルに移り、4階で1スクリーンだった。1992年に現在の運営会社が引き継ぎ、3階から5階の4スクリーンに増やした。ビルの建て替えに伴い、2017年1月31日で閉館する。
*11
2017年1月いっぱいで八王子市の映画館「ニュー八王子シネマ」が閉館する。1月14日から1月30日まで「ありがとう! 上映」が行われる。JR八王子駅北口から徒歩約10分、ニュー八王子ビルの3階から5階にあり、4スクリーン計約430席を有する。1947年に別の場所で開館し、1964年に現在のビルに移転した。最盛期の八王子市には6館の映画館があったが、郊外にシネコンが進出したことで客足が減り、相次いで閉館していた。ニュー八王子シネマでは大作映画だけではなく独立系作品の上映にも力を入れていたが、最盛期に10万人を超えていた年間観客数は7万人にまで減少した。築50年を超えたビルの老朽化もあって閉館を決定した。
*12
2017年1月末をもって、八王子市横山町の映画館「ニュー八王子シネマ」が閉館する。八王子市の中心市街地唯一の映画館だった。入居するビルが老朽化で建て替えられるため。1947年頃に開館した「ニュー八王子」がルーツであり、1964年に現在のビルに移転した。1956年頃の八王子市には少なくとも6館の映画館があったとされる。1992年以降はビルの所有会社が映画館の運営も行っており、1990年代には年間数十万人の観客数があったが、現在は7万人ほどに減少した。4スクリーン計431席を有している。
*13