所在地 : 山口県萩市東田町18(1981年・1982年・1985年・1990年・1995年・1996年・1997年)、山口県萩市東田町18-4(2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1980年12月14日(萩キラク)、1996年7月19日(萩ツインシネマ)
閉館年 : 営業中
Wikipedia :
萩ツインシネマ
前身館は異なる地点にあった「萩喜楽館」。1975年の住宅地図では後の映画館の場所に「駐車場」。1981年の映画館名簿では「喜楽キラク1・2」(2館)。1982年・1985年・1990年・1995年・1996年の映画館名簿では「萩キラク1・2」(2館)。1982年の映画館名簿では経営者が西林直輝、支配人が山本満喜、鉄筋造3階、1が195席、2が150席、いずれも邦画・洋画を上映。1990年の住宅地図では「ヤングプラザ萩 3階キラク1 キラク2」。1996年の映画館名簿では経営会社が有限会社山萩企画、経営者・支配人ともに山本萬喜、鉄筋造3階、1が150席、2が195席、いずれも邦画・洋画を上映。1997年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「萩ツインシネマ1・2」(2館)。1997年の映画館名簿では経営会社が株式会社ムービーボラトピア、経営者が都志見久令男、支配人が宮田幸司、鉄筋造3階、1が150席、2が195席、いずれも邦画・洋画を上映。2020年の映画館名簿では経営会社がNPO法人萩コミュニティシネマ、経営者が高雄一寿、支配人が柴田寿美子、1が35席、2が120席。ヤングプラザビル3階。最寄駅はJR山陰本線東萩駅。
1980年12月14日には萩市東田町にヤングプラザ萩が完成し、3階に映画館「キラク1」「キラク2」が開館した。これに伴って、12月13日には吉田町の「喜楽館」と上五間町の「萩東映」の2館が閉館した。
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1981年に映画館「萩キラク」が開館し、キラク1(150席)とキラク2(195席)の2スクリーンからなっていた。1985年の観客数は約6万人だったが、1994年9月以降の一年間では約6000人にまで減少していた。赤字額は年間200万円となり、経営者の山萩企画は閉館を検討していた。山口県日本海側の北浦地方では唯一の映画館である。1995年には「萩の映画館を守る会」などが募金活動を開始した。1996年4月には元市長の林秀宣が発起人となって出資を募り、約50人が応じて資本金1000万円が集まったことから、1996年6月22日には新会社の設立総会が行われた。映画ファンの陶芸家・医師・市議会議員などが出資した株式会社が運営を引き継ぎ、1996年7月19日に『スーパーの女』でこけら落としとなる。
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1996年7月19日、萩市東田町の閉館した映画館「萩キラク」がムービーボラトピアに引き継がれて営業を再開する予定であり、新しい館名を募集している。萩キラクは北浦地方唯一の映画館だった。映画好きの病院長、企業経営者、陶芸家ら55人が出資し、資本金1000万円でムービーボラトピアを設立した。1981年には萩市内の2映画館をビルに統合して萩キラクが開館し、150席のキラク1は邦画、190席のキラク2は洋画を上映していた。萩キラクは数年前から赤字が続いており、6月末でいったん閉館するが、改装工事を行って7月19日に営業再開する。
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昭和30年代の山口県には100館を超える映画館があったが、1997年現在は20スクリーンを切っている。一方で、1996年7月下旬には萩市で閉館した「萩キラク」の施設を引き継いで、市民出資の株式会社が運営する「ツインシネマ」が開館した。最盛期の萩市には5館の映画館があったが、「萩東宝」、「萩東映」、「スカイシネマ」が相次いで閉館し、萩キラクは北浦地域唯一の映画館だった。
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2004年3月13日、防府市の小学校であった実話に基づく映画『ほたるの星』の先行上映が行われ、ツインシネマでも菅原浩志監督・原作者の宗田理・俳優の北見敏之・女優の小柳友貴美による舞台挨拶が行われた。
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2004年5月9日、萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館する。北浦地方では唯一の映画館だった。宇部市や防府市のシネコンに観客を奪われ、駐車場がないことなどもあって観客が伸び悩んでいた。かつて萩市には2館の映画館があったが、ツインシネマの前身となる映画館が閉館する際に、市民有志が株式会社「ムービー・ボラトピア」を設立して運営を引き継いだ。資本金は1000万円であり、萩市で歯科医院を経営する高雄一寿が社長に就任。館名は公募でツインシネマに決定し、1996年7月に2スクリーンのツインシネマを開館させた。1997年度の観客数は4万4000人だったが、1998年度は3万4000人、2000年度は1万7000人と減少した。2001年度には萩市が舞台となった『釣りバカ日誌12』もあって3万4000人と盛り返したが、近年は再び1万人台に低迷していた。
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2004年5月9日をもって、萩市東田町の映画館「萩ツインシネマ」が閉館した。観客数の減少が原因。北浦地区で唯一の映画館だった。1996年7月、市内の映画愛好家ら62人が株主となって新会社を設立し、前身の映画館の経営を引き継いだ。観客数は1997年度の4万4000人がピークであり、2002年度には1万8000人にまで落ち込んだ。駐車場がないことなどから、防府市や宇部市のシネコンに観客が流れたとされる。5月8日と9日には『ほたるの星』や『クイール』を上映し、2日間で約200人を集めた。
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2004年5月9日には萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館したが、同年夏には「萩コミュニティシネマ」が設立され、現在はNPO法人の申請中である。理事長はツインシネマの運営会社で社長を務めていた高雄一寿。8月7日から上映を再開する。
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2005年7月30日と31日、萩市の映画館「ツインシネマ」は上映再開1周年記念イベントとして、入場者200人に萩市産のトマトをプレゼントした。両日とも定員200人は予約で満席。
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2006年