所在地 : 徳島県美馬郡脇町字猪尻(1953年・1955年)、徳島県美馬郡脇町猪尻(1958年)、徳島県美馬郡脇町(1963年)、徳島県美馬郡脇町大字猪尻字西分(1966年)、徳島県美馬郡脇町(1978年・1980年・1985年・1988年・1992年・1995年・1996年)
開館年 : 1934年2月、1949年8月
閉館年 : 1995年
Wikipedia :
脇町劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「脇町劇場」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに田所政吉、電話番号が脇町125、映写機がミクニ4号、発声器がユニバーシティ、定員600、大映・新東宝を上映。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「脇町劇場」。1966年の映画館名簿では経営者が河野彰、支配人が記載なし、電話番号が脇町125、映写機がローヤル、発声器がナショナル、定員160、木造1階、大映・東映を上映。1967年・1969年・1973年・1975年・1976年・1977年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では「脇町劇場」。1978年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「脇町劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1992年・1995年・1996年の映画館名簿では「脇町劇場」。1996年の映画館名簿では経営者・支配人ともに藤本一二三、木造1階、200席、邦画・洋画を上映。1998年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は美馬市指定文化財として現存。最寄駅はJR徳島線穴吹駅。
脇町劇場は1934年に歌舞伎を上演できる劇場として建設された。戦前には人形浄瑠璃や芝居などが行われ、戦後に椅子席が設置されて映画館となった。1995年に閉館し、取り壊すことも検討された。1996年には西田敏行主演の『虹をつかむ男』の舞台となって全国的に知られるようになった。1999年には周辺の街並み全体をテーマパークととらえる「99わきまち映画博」が開催され、6月19日には脇町劇場前で山田監督らによるテープカットが行われた。1998年7月には脇町指定文化財となり、10月からは約1億7000万円を投じた修復工事も行われた。脇町は第三セクターに管理運営を委託し、観光・文化活動・街づくりの拠点として生かす方針。
1934年の脇町で行われた「脇町劇場」のこけら落としの際の写真あり。藤井富三郎と清水太平などが、脇町の実業家とともに芝居・映画共用の劇場の建設を計画した。吉田長次の所有地に脇町劇場を建設し、1934年2月にこけら落とし公演が行われた。収容人数は750人であり、廻り舞台を有する劇場だった。
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1935年頃に脇町の「脇町劇場」で行われた邦楽演奏発表会の写真あり。美馬高等女学校の学生も参加している。
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1955年頃の脇町にあった「脇町劇場」の写真あり。雪化粧の柳の背後に劇場があり、さらに背後には筒井製糸脇町工場の大煙突が見える。1934年に完成した木造2階建ての劇場であり、750人を収容可能だった。1995年に閉館となったが、1996年に『虹をつかむ男』のロケ地となったことから、1999年に改築されて「オデオン座」となった。
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1996年に脇町の「脇町劇場」で行われた山田洋次監督作『虹をつかむ男』のロケの写真あり。これを機に文化財的価値が見直され、開館時の姿に修復された。
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美馬郡脇町は1997年度予算案に「脇町劇場」の保存に向けた調査費を計上した。脇町劇場は脇町猪尻にあり、木造2階建て、延床面積605平方メートル。1934年に開館し、戦前は芝居小屋、戦後は映画館として親しまれた。1996年1月に老朽化のため閉館した。
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1999年に脇町の「脇町劇場」が改装オープンした際の館内の写真あり。廻り舞台、大向、奈落などを有する劇場である。
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1999年6月1日、美馬郡脇町猪尻の「脇町劇場」の新装落成式が挙行され、佐藤浄町長らが出席した。所有者の吉川エミ(78)が建物を寄贈した。1934年に「歌舞伎座」として開館し、戦後に映画館となった。1996年に山田洋次監督の『虹をつかむ男』のメイン舞台となり、保存や活用の機運が高まった。1998年7月には脇町有形文化財に指定され、同年10月から1億6275万円をかけた改修工事が行われた。木造2階建、延612平方メートル。直径6mの廻り舞台、1階客席脇のうずら桟敷、花道、奈落、2階の畳桟敷などを復元し、大型スクリーンを設置した。6月19日から7月11日まで「'99わきまち映画博」を開催し、山田洋次監督のトークショー、『虹をつかむ男』の上映などを行う。
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1999年6月1日、美馬郡脇町の芝居小屋・映画館「脇町劇場」が開館当時の姿に復元され、文化拠点としてオープンした。脇町劇場は1934年に開館。木造2階建て、延床面積約600平方メートル。1階の客席は板敷きであり、2階の客席は畳敷きだった。直径6メートルの回り舞台や奈落も有している。戦後は映画館となり、1995年に閉館した。1996年の山田洋次監督作『虹をつかむ男』では「オデオン座」として登場し、これを機に保存の機運が高まった。脇町は町指定有形文化財に指定し、約1億6000万円かけて改修した。
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1934年2月、養蚕で栄えた脇町に芝居小屋として「脇町劇場」が開館した。地方巡業の田舎芝居の興行が行われ、弁士付きの無声映画が上映された。戦時中には日本軍に接収されたが、戦後には再び映画の上映や歌謡ショーなどが開催され、鞍馬天狗シリーズや丹下左善シリーズ、美空ひばりや村田英雄の出演作などが上映された。定員は600人だが1000人以上が詰めかけたこともあった。1960年代以後には映画産業が斜陽化した。観客が2人から3人しかいない日が続いた。晩年には成人映画を上映し、1995年には老朽化などが理由で閉館した。良川は駐車場への転換を決意したが、同年秋に脇町劇場で撮影が開始された『虹をつかむ男』(山田洋次監督、1996年)の影響で取り壊しをやめ、映画に登場する映画館名「オデオン座」として生まれ変わった。
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2000年のこのほど、脇町猪尻の「脇町劇場 オデオン座」がリニューアルオープンから1周年を迎えた。1年間の観光客・利用者数は約2万人に達している。1934年に建てられ、戦前は芝居小屋として、戦後は映画館などとして利用された。1995年に閉館したが、1996年の山田洋次監督作品『虹をつかむ男』のロケ地となったことで、脇町が再建を計画。1999年6月にリニューアルオープンした。1年間の利用者は観光客が約7200人、演芸などの劇場利用が約1万2500人となっている。
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美馬市立図書館の「美馬の記憶 デジタルアーカイブ」では「脇町劇場」の写真が5枚登録されている。
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1934年2月、脇町に芝居小屋「脇町劇場」が創建された。戦時中には軍に接収されたが、戦後には再び映画の上映や歌手の公演が行われた。美空ひばりや村田英雄が訪れたこともある。元所有者の吉川徳智(80)によると、定員600人の劇場に1000人の観客が詰めかけたこともあるという。1960年代には映画産業が斜陽化し、観客が2〜3人しかいない日が続いた。晩年には場末の映画館となって成人映画を上映した。1995年に老朽化などを理由に閉館し、吉川は駐車場への転換を決めたが、『虹をつかむ男』(1996年)のロケ地になったことで存続が決定した。1998年には脇町指定文化財となり、1999年6月には1億6000万円をかけた修復工事が完成した。こけら落としの「映画博」では『虹をつかむ男』が上映された。2階建て、汎きり妻屋根の洋風木造小屋。間口14メートル、奥行27メートル。舞台は奥行き7メートルであり、廻り舞台は直径6.4メートル。
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美馬市脇町の「脇町劇場」は1934年に開館した。こけら落とし公演の歌舞伎の写真あり。半切妻の屋根、白塗り2階建ての昭和モダン建築である。花道、廻り舞台、奈落、2階席など、本格的な舞台装置を有する。戦後には映画の上映が主となり、客席の後ろには鞍馬天狗や丹下左膳など往年のスターのスチール写真が飾られている。美空ひばりや村田英雄が訪れたこともある。取り壊し寸前の1995年には山田洋次監督作『虹をつかむ男』のロケ地となり、地元住民が炊き出しやエキストラとして協力したほか、人口1万8000人の町に5000人の見物客が訪れた。ロケ後には劇場保存の動きが本格化し、1999年に修復工事が完了した。第三セクターが管理運営を行い、観光客の見学、地元住民への貸ホール、興行の3本立で運営している。
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「オデオン座(旧脇町劇場)」に言及している書籍として、伊藤隆之『看板建築・モダンビル・レトロアパート』グラフィック社、2014年がある。
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「脇町劇場」に言及している雑誌記事として、「にほん全国芝居小屋巡り 2回 脇町劇場(徳島県美馬郡脇町)」『レプリーク』2003年5月がある。現物は未確認。
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