所在地 : 東京都中央区銀座西2-3(1955年・1958年)、東京都中央区銀座2-3(1960年・1963年・1966年)、東京都中央区銀座2-3-5(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1953年10月8日
閉館年 : 1998年9月22日
『全国映画館総覧 1955』によると1953年10月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「並木座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「銀座並木座」。1998年の映画館名簿では経営会社が株式会社並木座、経営者が吉井博、支配人が長谷田康彦、鉄筋造地下、84席、成人映画を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。三木ビル。建物の三木ビルは現存。
1953年10月、銀座の並木通りに「並木座」がオープンした。ほとんどの映画は一週間で公開を終えていたが、良質な作品を再鑑賞できる名画座として誕生した。毎年必ず一度は黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男の特集上映が行われた。雑誌『ぴあ』が創刊された1972年〜1973年頃には若い世代の観客も多かった。1998年9月22日の閉館当日には観客が行列を作った。最終日の上映作品はいずれも成瀬巳喜男監督の『晩菊』と『おかあさん』。
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「銀座並木座」を主題とする書籍として、嵩元友子『銀座並木座 日本映画とともに歩んだ四十五年』鳥影社、2006年がある。
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「銀座並木座」に言及している雑誌記事として、「UPDATE 銀座名物の小型館『並木座』閉館で名画座の灯が消える」『週刊文春』1998年10月1日がある。現物は未確認。((「UPDATE 銀座名物の小型館『並木座』閉館で名画座の灯が消える」『週刊文春』1998年10月1日、p.40」)
「銀座並木座」に言及している雑誌記事として、「裏窓 74回 どうにもならないこと」『週刊読売』1998年10月11日がある。現物は未確認。
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「銀座並木座」に言及している雑誌記事として、「今月のロンググッドバイ さようなら、並木座」『ターザン』1998年10月14日がある。現物は未確認。
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