所在地 : 静岡県志太郡島田町(1930年)、静岡県志太郡島田町6丁目(1936年)、静岡県志太郡島田町(1943年)、静岡県志太郡島田町6丁目(1947年)、静岡県島田市本通り(1949年)、静岡県島田市本町6丁目(1950年)、静岡県島田市本通6(1953年)、静岡県島田市本通6丁目(1955年)、静岡県島田市本通6-7835(1958年)、静岡県島田市6丁目7835(1960年)、静岡県島田市本通6丁目(1963年)、静岡県島田市本通6-7835(1966年)、静岡県島田市6-7835(1969年)、静岡県島田市6丁目7835(1969年)、静岡県島田市本通6-7835(1976年・1995年・2005年・2010年)
開館年 : 1916年、1928年3月
閉館年 : 2010年3月10日
『全国映画館総覧 1955』によると1928年3月開館。1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「実座」。1947年・1949年の映画館名簿では「島田実座」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「実座」。1958年の映画館名簿では「島田松竹実座」。1960年の映画館名簿では「実座」。1960年の島田市住宅明細図では「映画劇場 島田実座」。1963年の映画館名簿では「みのる座」。1964年の島田市金谷町住宅明細地図では「映画劇場 島田実座」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田みのる座」。1972年・1976年・1984年の住宅地図では「みのる座」。1973年の映画館名簿では「島田実座」。1976年・1984年の映画館名簿では「島田みのる座」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「みのる座」。2005年・2010年の映画館名簿では「カンマザールみのる座」。跡地は和菓子屋「龍月堂」南南東50mの駐車場。最寄駅はJR東海道本線島田駅。
1916年に芝居小屋として開館した。1950年代に東京で映画関係の仕事をしていた太田修平が引き継いで映画館に改修したが、大正時代の煉瓦張りタイルは残っている。2010年3月10日に閉館した。静岡県に残る唯一の木造映画館だった。最終日の3月10日には山田洋次監督作『男はつらいよ 噂の寅次郎』を上映し、山田監督のトークショーを開催する。
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2010年3月10日、島田市本通の島田みのる座が閉館する。経営は島田興業。1916年竣工の建物の老朽化などが理由。先代の太田修平は山田洋次監督作品『虹をつかむ男』のモデルの一人であることから、閉館日の3月10日には山田洋次監督を迎えた講演会を開催し、島田でロケが行われた『男はつらいよ 噂の寅次郎』のフィルム上映会を行う。木造平屋建て190席。芝居小屋時代の名残である楽屋や回り舞台も残る。「大勢の人が訪れて、実りがあるように」との思いで「実座」と命名された。1959年に映画館に改修した。
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2010年3月10日、島田市の映画館「みのる座」が93年の歴史に幕を閉じて閉館。静岡県内の現存する映画館としてはもっとも古いとされていた。
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閉館した島田市のみのる座を舞台とする映画の製作が進んでいる。余命僅かとなったみのる座の館主の物語である。題名は『安寧の巣』。製作費はゼロだが、みのる座やフィルムサポート島田の支援を受けている。2010年9月14日から9月24日頃まで現地で撮影し、2011年1月頃の完成を目指す。
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2010年10月23日、島田市の映画館「みのる座」が閉館する。東海道本線島田駅から徒歩約10分、旧東海道沿いに商店が並ぶ本通りから小路を入って突き当りにある。建物のファサードはアール・デコ調であり、券売所には濃紫のタイルが貼られている。築94年の木造建築であり、芝居小屋として建てられた。51年前、東京の配給会社に勤めていた太田修平は、経営難で所有者が手放したみのる座を29歳で引き継いだ。全盛期の島田市には邦画4社の専門館、洋画専門館、ポルノ専門館の6館があり、みのる座は松竹作品の専門館だった。太田修平は松竹のパーティで山田洋次監督に出会い、50年にも及ぶ交流が始まった。1995年には山田監督が『虹をつかむ男』のロケハンに訪れ、みのる座の両脇の民家が空き家だと知ると「壊せますね」と言ったという。結局『虹をつかむ男』のロケは徳島県の脇町劇場で行われたが、山田監督は完成記者会見で主人公のモデルの一人に太田修平を挙げた。1964年の東京オリンピック後には島田市の映画館が相次いで閉館し、東宝や東映の作品も上映した。息子の太田晴也は音楽大学を出て教師をしていたが、1993年に太田修平から経営を継いだ。上映の中心を子ども向け作品とし、また土日営業に切り替え、落語会やコンサートなどの下士官営業も行った。100周年となる2016年までは営業を続ける予定だったが、2009年2月末には隣接する藤枝市にシネコンが開館し、『ドラえもん』の新作の観客数は前作の3分の1となった。太田晴也が閉館を決定すると、地元の建築士や大工の棟梁が建物の調査に訪れ、屋根裏からは格天井の枠や棟木札、「猿田彦」の木札などが発見された。奈落からは回り舞台の遺構や花道の痕跡も発見された。3月10日の最終興行は『男はつらいよ 噂の寅次郎』であり、山田監督も来館した上映は満員となった。10月23日には地元出身の落語家である三遊亭遊喜の公演を行う。
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2012年1月5日、島田みのる座の元館主である太田修平が死去した。太田は映画館主を主人公とする山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』のモデルとなった。太田は島田市議会議員を4期16年務め、島田市議会議長も務めた。2005年に旭日双光章を受章している。
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2010年11月18日付の日本経済新聞にはみのる座の閉館に関する記事が掲載されている。11月23日の勤労感謝の日には最終興行として地元の落語家の興行が行われたという。現物は未確認。
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「カンマーザール島田みのる座」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。
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2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。