所在地 : 新潟県長岡市要町1-8-50(1995年・1998年・2000年・2002年・2005年・2007年)
開館年 : 1993年12月25日(マリオン)、2000年6月3日(シネマチャオ)
閉館年 : 2000年4月30日(マリオン)、2007年11月30日(シネマチャオ)
1992年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・1998年・2000年の映画館名簿では「長岡マリオン1・2」(2館)。1995年の映画館名簿では経営会社が東映ムービル、経営者が中川堅一、支配人が中川慎太郎、鉄筋造1階、1が140席、2が112席、3が154席、いずれも邦画・洋画を上映。2002年・2005年・2007年の映画館名簿では「シネマチャオ1・2・3」(3館)。2007年の映画館名簿では経営会社が株式会社長岡シネマ技研、経営者・支配人ともに島田映一、鉄筋造1階、1が112席、2が84席、3が36席、いずれも邦画・洋画を上映。2008年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR信越本線宮内駅。
1993年12月25日、長岡市要町1-8-50に三条東映ムービル「長岡マリオン」が開館した。長岡市で約3年ぶりの常設映画館である。2スクリーン計260席。2000年4月、長岡マリオンが閉館し、再び長岡市から常設映画館がなくなった。
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2000年4月末をもって長岡市唯一の映画館「長岡マリオン」が閉館した。1990年頃には長岡市の映画館がほとんど閉館したことから、1994年に長岡市要町1丁目に開館していた。これにより、市民有志が施設を引き継いだうえでシネマチャオに改称し、2000年6月3日のオープンを目標に進めている。
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2000年6月3日、「長岡シネマチャオ」が開館した。3スクリーン。「長岡マリオン」跡地を市民有志が引き継ぎ、一部改装して開館にこぎつけた。2003年11月、市民主体による長岡シネマチャオが閉館したが、長岡シネマ技研が名称と設備を引き継いで再開した。12月、長岡シネマチャオが休館した。
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2000年4月末をもって長岡市唯一の映画館「長岡マリオン」が閉館した。1990年頃には長岡市の映画館がほとんど閉館したことから、1994年に長岡市要町1丁目に開館していた。これにより、市民有志が施設を引き継いだうえでシネマチャオに改称し、2000年6月3日のオープンを目標に進めている。
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2000年6月3日、長岡市に映画館「シネマチャオ」が開館する。長岡市唯一の映画館「長岡マリオン」が4月末で閉館したため、市民有志らが映画会社を設立して営業再開に乗り出している。1990年頃から1994年の長岡市には映画館がなかったが、1994年に長岡マリオンが開館していた。長岡市民10人と新潟市の「シネ・ウインド」が出資し、有限会社長岡シネマ技研が設立された。
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2007年11月23日、長岡市に初めてシネコンが開館する。2000年6月にシネマチャオが開館し、2003年11月には新潟市で配給会社の社長をしていた島田映一が引き継いだ。三条市にシネコンがあるため観客数は苦戦が続いたが、人件費がかかるレイトショーをほとんどやらない、他の閉館した映画館から座席や映写機を安価で購入するなど工夫を重ねた。中学生や留学生は1000円。シネマチャオでしかやらない作品を求めて新潟市や長野県など遠方からも観客が来たという。
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2007年12月1日から、長岡市の映画館「長岡シネマチャオ」が休館する。11月23日に長岡市内にシネコンが開館するため。自主製作映画の上映会や音楽の演奏会に使う貸しホールへの転用で施設を活用するという。
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2007年11月23日、長岡市千秋にシネコン「T・ジョイ長岡」が開館する。新潟県最大の10スクリーンを有し、総座席数は1813席。これにともなって11月末、長岡市唯一の映画館「シネマチャオ」が休館する。2000年6月には閉館した映画館を市民有志が買い取って開館し、2003年11月には新潟市で映画配給会社を経営していた島田映一が引き継いだ。
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