所在地 : 埼玉県秩父市(1951年)、埼玉県秩父市宮側町1454(1953年・1955年・1958年)、埼玉県秩父市宮側町1545(1960年)、埼玉県秩父市宮側町1454(1963年)、埼玉県秩父市宮側1454(1964年)
開館年 : 1902年
閉館年 : 1964年頃? 1983年?
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の映画館名簿では「秩父座」。1951年の映画館名簿では経営者が記載なし、構造が記載なし、定員が記載なし、系統が記載なし。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「国際映画劇場」。1954年の山の手通り線都市計画変更計画平面図では「秩父国際劇場」。1958年の映画館名簿では「秩父松竹国際劇場」。1958年の映画館名簿では経営者・支配人ともに上石喜平、木造2階冷暖房付、定員700、松竹・大映・東宝を上映。1960年の映画館名簿では「松竹国際劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「秩父国際劇場」。1964年の映画館名簿では経営者が上石喜平、支配人が大沢寛寿、木造2階冷暖房付、定員870、日活・東宝を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では「秩父国際劇場」。跡地は2013年開店のイタリアンレストラン「トラゲット」(Tra Ghetto)。映画館の建物が現存。最寄駅は秩父鉄道秩父本線秩父駅。
上石商店。1877年12月、上石吉三郎は比企郡松山町に生まれた。1901年、24歳の時に秩父神社の前に穀屋を開業した。1910年には強石に支店を設け、弟の上石喜平を責任者に任じた。
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上石喜平は大滝村出身の成功者である。秩父町の上石家で見習い奉公した後、1910年には大滝村字強石松屋支店を設け、薪炭商として独立した。独立時は2000円から3000円の資本を有するだけだったが、1918年現在は年間に9万俵の木炭を扱っている。
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秩父自動車株式会社。本店は秩父町。資本金は4万2000円。社長は上石喜平。従業員は20名。1920年2月28日に創立して開業し、秩父町と小鹿野町、小鹿野町と長瀞の間で乗合を運行した。1922年12月10日には社長の富田源之助が辞任し、上石喜平が社長に就任した。秩父郡内の県道の乗合自動車の全権を握っている。
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1917年の『秩父之精神』には劇場「秩父座」の建物と内部の内部が掲載されている。経営者は入間郡越生町出身の新井吉五郎であり、1876年に秩父町に移り住んだ。
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1927年の『秩父写真大鑑』には「秩父座」と「大宮座劇場」の写真が掲載されている。
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上石チェンの社長は秩父市宮側町の上石喜平である。秩父市では株式会社昭和館、知々父演芸株式会社大宮座、秩父座の3館を買収し、高篠、大滝、皆野、荒川、小鹿野、吉田の6館、寄居町の高砂座も買収した。埼玉県北部における興行界を圧倒している。上石喜平は秩父郡大滝村で上石石灰工業を経営し、さらに上石アパートも経営している。
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1967年現在の秩父市には映画館「国際劇場」がある。前身は大正初期に開館した歌舞伎劇場「秩父座」であり、会場祝いとして大阪の興行師から旗が贈られた。
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昭和30年代の秩父市にあった「国際劇場」の写真あり。『火の女』と『東尋坊の鬼』の看板が見える。オートバイの宣伝隊が写っている。もとは芝居小屋の「秩父座」であり、時代の流れで映画館の国際劇場となった。2003年現在は廃業している。
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20006年10月19日の『埼玉新聞』には11月11日・12日に秩父市の「国際劇場」で『嵐を呼ぶ男』が上映されるという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2007年9月16日・17日、秩父市宮側町の秩父国際劇場跡地で『キューポラのある街』が上映される。1902年に芝居専門の「秩父座」として開館した。東京・浅草の国際劇場を模している。その後は映画館となったが、1983年に閉館した。2007年現在は建築資材の店舗兼倉庫となっている。2006年秋にはみやのかわ商店街振興組合が上映会を開催して評判を呼んだ。
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2013年5月、松竹秩父国際劇場の建物を改修したレストランが営業を開始した。建物は明治30年代に芝居小屋として建てられ、昭和に入って映画館となった。外観は東京・浅草の国際劇場を模している。合掌造りの梁など明治期の木造建築の一部を残し、外観は映画館を再現した。松竹秩父国際劇場は約30年前に閉館した。
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1902年に芝居小屋の秩父座として開館。珍しい大型木造合掌造りの建物である。1942年に映画館に転換し、1950年に松竹秩父国際劇場となった。秩父市最後の映画館だったが、1983年に閉館した。以後は倉庫として使用されていたが、所有者一家の上石有規がイタリアンレストランの開業を計画した。地元住民らも愛着ある建物を残したいと考え、秩父市商店連盟事業協同組合も協力している。地域商店街活性化法に基づく国の補助金を受けて改修工事を行う。外観は浅草の国際劇場を模したとされる。
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秩父市の秩父鉄道秩父駅近く、国道299沿いにはレストラン「イタリアンダイニング&カフェ トラゲット」がある。洋風建築の正面には「秩父国際劇場」の文字が刻まれている。建物は1902年に芝居小屋「秩父座」として開館した。木造の合掌造りであり、約1146平方メートルの広々とした空間である。天井高は約15メートルの高さである。1950年には上石喜平が東京・浅草の「国際劇場」にあやかって「秩父国際劇場」に改称した。『嵐を呼ぶ男』や『キューポラのある街』が人気だった。1980年頃には映画館単体での経営が難しくなり、1989年に閉館した。上石喜平の息子である上石喜一郎が経営する建築資材会社の倉庫となっていたが、近年に上石喜一郎の息子である上石有規がイタリアンレストランを開店させた。
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日本にアール・デコの映画館建築はほとんど存在しない。2014年現在で数少ないアール・デコ建築の現存例として、愛知県西尾市の「西尾劇場」と埼玉県秩父市の「松竹秩父国際劇場」がある。松竹秩父西尾劇場は木造建築であり、明治時代にあった芝居小屋「秩父座」を1950年に改装する際に、浅草の「国際劇場」を模した扇形のファサードを正面に取り付けたという。2013年には建物が全面的に改築されてイタリアンレストランが開店した。ファサードはいったん取り壊してから忠実に復元したという。木造トラスの小屋組はそのままであり、店内に露出させて使われている。1950年時点の松竹秩父国際劇場の看板が復元されている。
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