所在地 : 大阪府大阪市南区難波新地5-24(1955年・1958年・1960年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市南区難波3-1-36(1985年)、大阪府大阪市中央区難波3-1-36(1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1946年夏(千日前国際シネマ)、1956年10月30日(千日前国際劇場・千日前国際地下劇場)
閉館年 : 2008年3月31日
Wikipedia :
千日前国際劇場
1950年・1953年の映画館名簿では「南地映画劇場・国際シネマ」(2館)。1955年の映画館名簿では「南地日活・国際シネマ」(2館)。1958年・1960年・1969年・1973年の映画館名簿では「国際日活劇場・国際地下劇場・国際シネマ」(3館)。1975年の住宅地図では「国際シネマ 国際地下劇場 国際日活劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「国際劇場・国際シネマ・国際地下劇場」(3館)。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「千日前国際劇場・千日前国際シネマ・千日前国際地下劇場」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「マルハンなんば新館」。最寄駅は南海電鉄・大阪メトロ難波駅。
1949年1月3日に大阪歌舞伎座の3階から撮影した「東宝国際シネマ」の写真あり。「マネシ際国」の文字が見える。背後の巨大な建物は大阪劇場である。1946年、千日前に新東宝の封切館として開館した。やがて隣接する南地劇場と統合し、1956年には「国際日活」と「国際地下劇場」の2冠を増設した。2008年に閉館した。
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1956年10月30日、大阪市の千日前に国際会館が開館した。日活封切館として定員1500人の「国際日活」が、洋画二番館として定員700人の「国際地下劇場」が開館した。大弥株式会社経営。
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1961年10月14日、大阪市南区難波新地5-24のニュー東映封切館「国際シネマ」が東映封切館となった。同地区の東映封切館だった「常盤座」が改装のために休館するため。
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2008年3月31日、大阪市中央区のミナミにある映画館「千日前国際劇場」「千日前国際シネマ」「千日前国際地下劇場」の3館が閉館する。ミナミから旧来型の映画館がすべて消えることとなる。676席の国際シネマは1946年夏に開館。809席の国際劇場と286席の国際地下劇場は1956年に開館。映画最盛期には休憩時間にオルガン演奏が行われ、石原裕次郎や吉永小百合らの銀幕スターが舞台挨拶を行ったこともあった。2006年9月以降にはミナミにシネコンが相次いで開館し、国際劇場などでは観客数が激減していた。近隣の「千日前セントラル」、「道頓堀東映」、「角座1・2」など6館が次々に閉館していた。2008年1月には俳優の芦屋小雁らが「千日前シネマ倶楽部」を結成し、京マチ子出演作品の特集上映などが話題となったが、結局は閉館が決定した。跡地の利用方法は未定。「さよなら上映」として『嵐を呼ぶ男』や『明治天皇と日露大戦争』など5作品が500円で上映されている。
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「千日前国際地下」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。
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「千日前国際劇場・国際シネマ・国際地下劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。
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「千日前国際シネマ・国際劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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