所在地 : 岐阜県土岐郡多治見町(1927年・1930年・1936年)、岐阜県多治見市白銀町(1943年)、岐阜県多治見市南白銀町(1947年・1950年)、岐阜県多治見市白銀町1(1953年)、岐阜県多治見市白銀町(1955年・1958年)、岐阜県多治見市白銀町1(1960年)、岐阜県多治見市錦町3-6(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2004年)
開館年 : 1924年1月5日
閉館年 : 2004年1月31日
Wikipedia :
多治見シネマ
『全国映画館総覧1955』によると1924年1月開館。1927年・1930年・1936年・1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「多治見館」。1960年の多治見市居住者名簿地図では「多治見館」。1969年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「多治見大映劇場」。1980年の映画館名簿では経営会社が大五興行、経営者が荒井清太郎、支配人が山田昭弘、木造1階、300席、東宝・洋画を上映。1984年・1989年のゼンリン住宅地図では「多治見大映」。1990年の映画館名簿では「多治見大映」。1995年・2000年・2004年の映画館名簿では「多治見シネマ・多治見シネマ2」(2館)。1995年・2000年・2004年の映画館名簿では経営会社が大五興行株式会社、経営者・支配人ともに安井勇夫、木造1階、108席・88席、いずれも邦画・洋画を上映。1995年のゼンリン住宅地図では「多治見シネマ」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「新羅神社」南東で「谷口美容室」北側の駐車場。多治見市最後の映画館。最寄駅はJR中央本線・太多線多治見駅。
吉田初三郎『陶都・多治見を中心とせる名所交通鳥瞰図』多治見商工会、1929年には「榎元座」「多治見館」「豊岡劇場」が描かれている。
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1925年の多治見にあった活動写真専門館「多治見館」の写真あり。洋風のファサードが見える。戦後には『路傍の石』や『風と共に去りぬ』などが上映された。
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1931年頃の写真あり。空前のヒットとなった黒沢明監督作『七人の侍』を上映中の「多治見館」。
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多治見には明治時代から「榎元座」があり、その他にはかつて本町通にあった「文化劇場」、1984年現在も営業中の「多治見館」がある。
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2004年1月31日をもって、多治見市錦町の映画館「多治見シネマ」が閉館する。東濃地方最後の映画館だった。レンタルビデオやDVDの普及などで客を奪われた。1925年に「キネマ多治見館」として設立され、戦後の映画黄金期には「大映多治見」の名称で流行の喜劇シリーズなどを上映した。テレビの隆盛に伴う映画の衰退の中で、多治見市では老舗の「榎元座」、「文化劇場」が相次いで閉館していた。1970年代の多治見シネマは山口百恵主演の青春映画がヒットするなどしたが、1980年代後半からはビデオの普及で経営が悪化した。1990年には愛知県を中心にアミューズメント施設を運営するコロナグループ(本社愛知県小牧市)の傘下に入った。効率化のために館内を「多治見シネマ1・2」の2館に分け、カラオケも併設するなどして再出発を図ったが、駐車場の狭さが難点となった。往年には一日500人以上だった来場者が近年は80人前後にまで落ち込んだ。1年ほど前から閉館が検討され、昨年秋ごろに正式に決まった。最終日の上映作品は『ラスト・サムライ』『ファインディングニモ』『マトリックス3』である。閉館イベントは特に予定していない。
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東濃地域唯一の映画館である多治見市錦町の「多治見シネマ」は、複合映画館(シネコン)が台頭したことによる経営難のために、2004年1月いっぱいで休館する。再開のめどは立っていない。多治見シネマは120席と110席の2スクリーンに加えてカラオケ施設がある。1990年4月からは愛知県内を中心にシネマコンプレックスを展開するコロナグループの関連会社が運営している。設立は古く、「多治見館」「多治見大映劇場」を経て、現在の多治見シネマとなった。コロナグループは1年ほど前から休館についての検討を始め、2003年秋に休館を決定した。映画「タイタニック」を上映した1998年1月の観客数は約1万5000人だったが、2003年10月は約2200人にまで落ち込んでいた。中津川市方面から足を運ぶ観客もいた。
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2004年1月31日には多治見市の映画館「多治見シネマ」が閉館し、東濃地域から映画館がなくなった。このため、2004年4月6日からは岐阜新聞東濃版に愛知県小牧市の小牧シネマワールドの上映時間情報が掲載される。
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2004年1月31日に多治見市錦町3丁目の多治見シネマが休館した。シネコンが主流になったことや、レンタルビデオの普及で客を奪われ、採算が合わなくなったため。東濃地方最後の映画館だった。1カ月の観客数は2000人を切る状態だった。建物や駐車場は借り物であるため、赤字が続いていた。120席と108席の2スクリーン。カラオケ店も併設していた。運営はコロナグループの関連会社である大五興行。大正末期に活動写真の常設館「キネマ多治見館」として開館。戦中には休館した。1950年代には『七人の侍』などを上映。その後は多治見大映に改称して大映作品を上映した。1990年にはコロナグループの傘下に入り、多治見シネマに改称した。全盛期の昭和30年代には、東濃地方だけで約20館の映画館があった。
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多治見シネマのある錦町は土岐川の南側であり、昔からの旧市街である。映画館はすでに閉館しており、戦前の建築と思われるセセッション風のデザインの建物にはテナント募集の看板が出ていた。
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多治見温泉(銭湯)の南側にある新羅神社の脇には映画館「多治見シネマ」さんがあった。2004年頃に閉館したらしく、2006年時点でも建物はそのままだった。
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