消えた映画館の記憶 - 船橋市の映画館

船橋市

中山銀映座
所在地 : 千葉県船橋市小栗原町112(1958年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1958年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「中山銀映座」。1958年の映画館名簿では経営者が昭和興行、支配人が山内俊英、木造1階、定員300、上映系統は記載なし。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
船橋映画劇場/船橋日活(旧)
所在地 : 千葉県船橋市宮本町3-604(1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1947年8月
閉館年 : 1959年12月6日
『全国映画館総覧 1955』によると1947年8月開館。1955年の映画館名簿では「船橋映画劇場」。1955年の船橋市動態図鑑では「船橋劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「船橋日活」。1958年の映画館名簿では支配人が渡辺吉治、木造2階、定員270、日活・新東宝・東宝を上映。1959年の船橋市明細図では「船橋日活劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「船橋大神宮社殿」南南東110mの民家数軒。最寄駅は京成本線大神宮下駅。

1959年12月6日午前1時15分頃、船橋市宮本町3-604の「船橋日活映画劇場」自家発電室付近から出火し、木造2階建ての同館1100平方メートルが全焼した。原因は残火の不始末とみられる。*1

1959年12月6日、船橋市の「船橋日活」が全焼した。原因は不明。*2
中山東映コニー劇場/中山コニー劇場
所在地 : 千葉県船橋市小栗原町2-122(1958年)、千葉県船橋市小栗原町2-112(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1963年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「中山コニー劇場」。1960年の映画館名簿では「中山東映コニー劇場」。1963年の映画館名簿では「中山コニー劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「メゾンド梶山」。最寄駅は京成本線京成中山駅。
船橋中央会館/中央会館/船橋日活中央/船橋日活中央劇場
所在地 : 千葉県船橋市湊町(1950年)、千葉県船橋市湊町3-2319(1953年)、千葉県船橋市湊町3-2321(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年開館。1950年の映画館名簿では「船橋中央会館」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「中央会館」。1955年の船橋市動態図鑑では「中央会館」。1959年の船橋市明細図では「映画中央会館」。1963年の映画館名簿では「船橋日活中央」。1966年の映画館名簿では「船橋日活中央劇場」。1966年の映画館名簿では経営者が柴田興業社、支配人が寺岡司郎、木造2階冷暖房付、定員302、日活・混合を上映。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルシロー」。最寄駅は京成本線京成船橋駅。

1966年の『千葉県全都市地図集 併・都市計画街路網図』には「船橋東映」、「宮下館」、「船橋国際」、「名画座」、「船橋日活」(※船橋日活中央劇場)が描かれている。*3
中山公会堂/中山映画劇場
所在地 : 千葉県船橋市小栗原町(1950年)、千葉県船橋市小栗原1-157(1953年)、千葉県船橋市小栗原町1-156(1955年)、千葉県船橋市小栗原町2-122(1958年)、千葉県船橋市小栗原町2-112(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1947年10月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年10月開館。1950年の映画館名簿では「中山公会堂」。1953年・1955年の映画館名簿では「中山映画劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「中山映画劇場」。1966年の映画館名簿では経営者が晃国興業、支配人が菅原恒雄、木造1階冷暖房付、定員308、日活・混合を上映。1968年の住宅地図では「中山映画劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「中山ビリヤード」。跡地はマンション「パークホームズ下総中山ステーションコンフォート」。最寄駅は京成本線京成中山駅。
宮下館/船橋宮下館/船橋松竹/船橋松竹宮下館/船橋日活劇場(新)/船橋日活
所在地 : 千葉県船橋市宮本町(1950年)、千葉県船橋市宮本町252(1953年)、千葉県船橋市宮本町1-1915(1955年)、千葉県船橋市宮本町1-195(1958年)、千葉県船橋市宮本町1-1915(1960年・1963年)、千葉県船橋市宮本町1915(1966年・1969年)、千葉県船橋市宮本町1-19-10(1973年・1975年)
開館年 : 1924年、1936年9月
閉館年 : 1976年3月
『全国映画館総覧 1955』によると1936年9月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「宮下館」。1955年の映画館名簿では「船橋宮下館」。1955年の船橋市動態図鑑では「宮下館」。1958年の映画館名簿では「船橋松竹映画劇場」。1959年の船橋市明細図では「船橋松竹映画劇場」。1960年の映画館名簿では「船橋松竹」。1963年・1966年の映画館名簿では「船橋松竹宮下館」。1968年の住宅地図では「船橋日活」。1969年の映画館名簿では「船橋日活劇場」。1973年・1975年の映画館名簿では「船橋日活」。1975年の映画館名簿では経営会社が太陽企業、経営者が村上覚、支配人が岩田暢夫、木造1階冷暖房付、303席、日活・洋画を上映。1977年・1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「みつひき青果 ランジェリーショップクミ 鮮魚みづの オキナ堂」。跡地は焼肉店「兄弟カルビ」や「東城商店」やレストラン「ビストロふぉーなう」などが入る建物。最寄駅は京成本線大神宮下駅。

千葉市会議員の臼井荘一。1902年7月26日に臼井真三の長男として生まれた。1925年に早稲田大学商学部を卒業し、大日本麦酒会社に入社すると、1927年に臼井家の家督を継いだ。1933年から千葉市会議員を務めている。文化的事業として映画館の経営を行っており、「千葉演芸館」(千葉市)、「新興館」(千葉市)、「千葉劇場」(千葉市)、「銚子演芸館」(銚子市)、「宮下新興館」(船橋市)、「市川松竹館」(市川市)、「巣鴨映画劇場」(東京・巣鴨)、「浦和劇場」(埼玉県浦和市)を経営している。*4

1954年頃の船橋市にあった宮下館通りの写真あり。1924年に開館した「宮下館」にちなんだ名前である。宮下館通りには映画館、旅館、銭湯、薬屋、菓子家、食堂、寿司屋、傘屋、写真館、仏具店などがあり、京成電鉄の踏切を挟んで海老川までにぎわった。船橋市には宮下館のほかに、「船橋国際劇場」、「船橋東映」、「船橋名画座」などがあった。*5

1969年の船橋市にあった映画館「宮下館」の写真あり。『野良猫ロック』や『ハレンチ学園』のポスターが見える。左側に入る道は宮下館通りであり、万代橋(よろずよばし)を渡ると御殿通りとなる。宮下館は1924年に開館し、松竹系の作品を上映していたが、後に日活系となった。*6

日活直営劇場の動きを見ると、1975年8月には「福島日活」が開館、10月には「木更津日活」が開館、12月には「岡山日活」が開館、1976年1月には「梅新日活」が開館、3月には「船橋日活」が閉館、4月には「高松日活」が開館した。*7
蓬莱座/船橋新興館/船橋新興映劇/船橋東映劇場/船橋東映
所在地 : 千葉県船橋市本町(1950年)、千葉県船橋市本町4-1798(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、千葉県船橋市本町3-5-29(1973年・1975年・1978年・1980年・1981年)
開館年 : 1944年
閉館年 : 1981年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1944年開館。1950年・1953年の映画館名簿では「船橋新興館」。1955年の映画館名簿では「船橋新興映画劇場」。1955年の船橋市動態図鑑では「新興館」。1958年の映画館名簿では「新興映画劇場」。1959年の船橋市明細図では「新興館」。1960年の映画館名簿では「船橋新興映劇」。1963年の映画館名簿では「船橋東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「船橋東映劇場」。1968年の住宅地図では「船橋東映劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1981年の映画館名簿では「船橋東映」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。1992年の住宅地図では跡地に「リズ船橋」。跡地は1991年竣工のマンション「グレイスコート船橋」。最寄駅は京成本線京成船橋駅。

1954年の船橋市にあった映画館「新興」の広告ポスターの写真あり。『母恋人形』や『国定忠治』などのポスターが見える。船橋市には「船橋日活」、「新興映画劇場」、「船橋大映」、「船橋宮下館」、「中山銀映座」、「中山昭和座」、「船橋中央会館」、「名画座」の8館の映画館があった。*8

1970年の船橋市にあった映画館「船橋東映」の写真あり。「船橋東映」「毎週土曜日オールナイト」の文字が見える。本町通りの南側にあった。大正期から続く演芸場であり、戦後に「新興館」に改称して映画館化、後に船橋東映に改称した。本町通りにはこのほかに、松川亭や柏亭などの寄席があった。2007年現在の跡地にはマンションが建っている。*9

1970年の船橋市にあった映画館「船橋東映」の写真あり。「船橋東映」「毎週土曜日オールナイト」の文字が見える。船橋市には8館の映画館があった。*10
名画座/船橋名画座
所在地 : 千葉県船橋市本町1-1188(1959年・1960年・1963年・1966年・1969年)、千葉県船橋市本町1-31-25(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1987年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「船橋名画座」。1959年の船橋市明細図では「名画座」。1960年の映画館名簿では「名画座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「船橋名画座」。1968年・1980年の住宅地図では「船橋名画座」。1986年の映画館名簿では経営会社が小泉興行、経営者・支配人ともに菅原静枝、鉄筋造1階、105席、にっかつを上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。1992年の住宅地図では跡地に「パチンコ林屋」。跡地はゲームセンター「アドアーズ船橋店」。最寄駅はJR総武本線船橋駅または京成本線京成船橋駅。

1970年の船橋市にあった映画館「船橋名画座」の写真あり。「船橋名画座」「東宝」の文字が見える。『巨人の星 大リーグボール』、『アタックNo.1』、『やさしいライオン』、『キングコングvsゴジラ』のポスターが見える。西武百貨店の南側にあった。戦後に開館した名画座は東宝系の映画館だった。*11
コミュニティシアターCT船橋/コミュニティシアター船橋
所在地 : 千葉県船橋市本町7-6-1(1985年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1983年4月29日
閉館年 : 1998年頃
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「コミュニティシアターCT船橋」。1990年・1995年の映画館名簿では「コミュニティシアター船橋」。1992年の住宅地図では「船橋ツインビル東館(イトーヨーカドー船橋店東館)5階コミュニティシアター船橋」。1998年の映画館名簿では鉄筋造5階、100席、経営会社がイトーヨーカ堂、経営者が鈴木敏文、支配人が伊藤吉弘、邦画・洋画を上映。1999年の映画館名簿には掲載されていない。日本初のビデオシアター。船橋ツインビル東館は現存。最寄駅はJR総武本線船橋駅。
船橋大映/船橋国際劇場/船橋国際
所在地 : 千葉県船橋市本町2丁目(1953年)、千葉県船橋市本町2-1176(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、千葉県船橋市本町4-1-15(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 2002年12月
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「船橋大映」。1955年の船橋市動態図鑑では「船橋大映」。1959年の船橋市明細図では「船橋大映劇場」。1963年の映画館名簿では「船橋国際」。1966年の映画館名簿では「船橋国際映画劇場」。1968年の住宅地図では「船橋大映」。1969年の映画館名簿では「船橋国際劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「船橋国際」。1980年・1992年の住宅地図では「船橋国際ビル 4階船橋国際映画劇場」。跡地は「快美壱番館」。最寄駅はJR総武本線船橋駅または京成本線京成船橋駅。

1960年2月3日午後7時頃、船橋市本町2-1176の「船橋大映」から出火し、木造モルタル2階建てが全焼した。損害額は450万円。原因は失火とみられる。経営は菊池繁夫。なお、1959年11月には「船橋日活」も焼失している。*12

1960年2月3日午後7時頃、船橋市本町2-1178の「船橋大映」舞台付近から出火し、木造モルタル2階建約400平方メートルが半焼した。*13

1960年2月3日、船橋市の「船橋大映」が半焼した。原因は不明。*14

1967年11月5日午前2時頃、船橋市本町2-117の「船橋国際劇場」1階売店付近から出火し、木造モルタル2階建ての建物が全焼した。約1時間後には近くの民家の板塀が焼ける火事もあり、船橋警察署は船橋国際劇場の火災も放火とみて捜査している。*15

1970年の船橋市にあった映画館「船橋国際劇場」の写真あり。「船橋国際」の文字が見える。洋画中心だった。船橋駅南口の路地を左に曲がり、山口横丁に至る途中にあった。後に「船橋大映」に改称した。2007年現在は遊戯場となっている。*16
Cine FiららぽーとPit/ららぽーとドライブインシアター/ムービックスららぽーと1・2/ららぽーとドライブインシアタープラウド1・2
所在地 : 千葉県船橋市浜町2-1-1(1985年・1990年・1995年)、千葉県船橋市浜町2-16-6(2000年)、千葉県船橋市浜町2-16-6 湾岸南駐車場(2005年)
開館年 : 1981年8月16日、1993年3月13日(2館化)
閉館年 : 2007年10月31日
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「Cine FiららぽーとPit」。1990年の映画館名簿では「ららぽーとドライブインシアター」。1992年の住宅地図では「ららぽーと駐車場(お車で観る映画館)ららぽーとドライブインシアター」。1995年・2000年の映画館名簿では「ムービックスららぽーと1・2」(2館)。2005年の映画館名簿では「ららぽーとドライブインシアタープラウド1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。日本初のドライブインシアター。跡地は「ららぽーと第10駐車場」。最寄駅はJR京葉線南船橋駅。

1981年8月16日、船橋市に「ドライブインシアター Cine-fiららぽーとPIT」が開館した。*17

1981年8月16日、松竹は船橋市のららぽーとに首都圏初のドライブイン・シアターを開設した。『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』を上映。208台収容。*18

1983年4月、船橋市のイトーヨーカ堂船橋店に日本初のビデオ劇場が開館した。1984年4月には千葉市高洲の扇屋ジャスコマリンピア店に3館が開館した。千葉県に7館、新潟県柏崎市に1館、沖縄県浦添市に1館があり、1985年9月現在では全国に9館のビデオ劇場がある。東京都多摩市、群馬県富岡市、神奈川県相模原市、岐阜県各務原市、奈良県橿原市にも開館が決定している。一般的には座席数50-100席のミニ映画館。縦1.5メートル×横3.5メートル程度のスクリーンにプロジェクターで映像を映す。*19

1981年には船橋市に「ムービックス・ららぽーと」が開設された。ショッピングセンター内にあり、200台を収容する。現在全国にあるドライブインシアターの中では最も古い。*20

1993年3月13日、船橋市に180台収容のドライブインシアター「ムービックスららぽーと2」が開館した。隣接地には1月16日開館で250台収容の「ムービックスららぽーと1」があり、日本最大のツインドライブインシアターとなった。1981年に「ららぽーとピット」の名称で開館し、商業施設の拡大に伴って三度移転している。1987年には商業施設の建物内に5スクリーンの映画館も開館している。*21

若いカップルやニューファミリー層に人気のドライブインシアターの草分けと言えば、1981年に船橋市浜町2-16-6に開館した「ムービックスららぽーと」である。ショッピングセンターの駐車場を利用。1993年には隣接地に「ムービックスららぽーと2」を開館させ、2館合わせた収容台数が430台と日本最大のツインシアターとなった。*22
津田沼Let'sシネパークレッドスポット・グリーンスポット/津田沼テアトルシネパークレッドスポット・グリーンスポット
所在地 : 千葉県船橋市前原西2-19-1(1990年・1995年)、千葉県船橋市前原西2-18-1(2000年)、千葉県船橋市前原西2-18-1 津田沼パルコB館6階(2005年・2010年)
開館年 : 1985年11月
閉館年 : 2010年2月28日
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年の映画館名簿では「津田沼Let'sシネパークレッドスポット・グリーンスポット」(2館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「津田沼テアトルシネパークレッドスポット・グリーンスポット」(2館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR総武本線津田沼駅。津田沼パルコB館は現存。

1998年9月19日、東京テアトルによる「津田沼テアトルシネパーク」がリニューアルオープンした。9月16日から18日まで休館し、ロビー塗装、場内改修、客席交換などが行われた。*23

2010年2月28日をもって、船橋市の津田沼パルコB館6階にある映画館「津田沼テアトルシネパーク」が閉館する。2月27日と28日には『ニュー・シネマ・パラダイス』を上映する。これによって繁華街の津田沼から映画館がなくなる。1985年11月に開館し、170席と145席の2スクリーンを有する。構造上の制約によって観客席の後ろから映写する方法をとれず、スクリーンの後ろから映写して鏡に反射させる珍しい方法をとっている。1994年12月からはパルコに変わって東京テアトルが運営していた。*24
船橋ららぽーとシネマ/TOHOシネマズ船橋ららぽーと
所在地 : 千葉県船橋市浜町2-1-1(1990年・1995年)、千葉県船橋市浜町2-1-1-4510、浜町2-1-1-4490(2000年)、千葉県船橋市浜町2-1-1-4512(2005年)、千葉県船橋市浜町2-1-1 ららぽーとTOKYO-BAY南館3階(2010年)
開館年 : 1988年3月25日
閉館年 : 2013年11月
1988年3月25日に6スクリーンで開館。1990年の映画館名簿では「船橋ららぽーと東宝・船橋ららぽーとプラザ・船橋ららぽーとスカラ・ららぽーと松竹・ららぽーとセントラル1・ららぽーとセントラル2」(6館)。1992年の住宅地図では「ららぽーと東宝 ららぽーとプラザ ららぽーとスカラ ららぽーと松竹 ららぽーとセントラル1・2」。1992年頃8スクリーン化。1995年の映画館名簿では「ららぽーと東宝・ららぽーとプラザ・ららぽーとスカラ・ららぽーと松竹・ららぽーとセントラル1・ららぽーとセントラル2・ららぽーと東映・ららぽーとミラノ」(8館)。1996年頃10スクリーン化。2000年の映画館名簿では「ららぽーと東宝・ららぽーとプラザ・ららぽーとスカラ・ららぽーとシネ1・ららぽーとシネ2・ららぽーと松竹・ららぽーとセントラル1・ららぽーとセントラル2・ららぽーと東映・ららぽーとミラノ」(10館)。2004年7月16日TOHOシネマズ船橋ららぽーと改称。2005年の映画館名簿では「TOHOシネマズ船橋ららぽーと1-8・family screen・プレミアスクリーン」(10館)。2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ船橋ららぽーと1-9・プレミアスクリーン」(10館)。2013年11月に同一施設西館に移転して閉館。後継館はTOHOシネマズららぽーと船橋。最寄駅はJR京葉線南船橋駅。

1988年3月25日、船橋ららぽーと船橋ショッピングセンター第二期棟3階に6劇場が開館した。ららぽーと松竹が99席、セントラル1が132席、セントラル2が133席。この3館は松竹が経営。ららぽーと東宝が310席。プラザが310席、スカラが310席。この3館は東宝が経営。*25

1992年7月、船橋ららぽーとに180席の「ららぽーと東映」と110席の「ららぽーとミラノ」が開館した。経営は東映。*26

1996年12月7日、洋画ロードショー館「船橋ららぽーとシネマ1・2」が開館した。1が95席、2が145席。船橋ららぽーと東宝、プラザ、スカラを含めた5館の経営は東宝東部興行。*27

2004年1月31日をもって、松竹シネマエンタープライズによる「ららぽーと松竹」と「ららぽーとセントラル1・2」が閉館した。*28
TOHOシネマズららぽーと船橋
所在地 : 千葉県船橋市浜町2-1-1 ららぽーとTOKYO-BAY西館3階(2015年・2020年)
開館年 : 2013年11月22日
閉館年 : 営業中
前身館は同一施設南館にあった船橋ららぽーと。2013年11月22日に南館から西館に移転して開館。2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズららぽーと船橋1-10」(10館)。最寄駅はJR京葉線南船橋駅。