所在地 : 宮城県石巻市中瀬町5(1953年)、宮城県石巻市中瀬5(1955年・1958年)、宮城県石巻市仲町3(1960年)、宮城県石巻市仲瀬5(1963年・1966年・1969年・1973年)、宮城県石巻市仲瀬3-2(1975年・1978年・1980年・1985年)、宮城県石巻市中瀬3-2(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1933年(岡田座)、1946年10月(再建&岡田劇場改称)、1949年(映画館化)
閉館年 : 2007年(定期上映終了)、2011年3月11日(休館)
Wikipedia :
岡田劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1933年の石巻市街全図では「岡田座」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「岡田劇場」。1959年の石巻市商工案内図では「岡田劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「石巻東映岡田劇場」。1975年の映画館名簿では「石巻東映岡田」。1976年の住宅地図では「岡田劇場」。1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「東映岡田劇場」。1990年・1995年の映画館名簿では「石巻岡田劇場」。2000年の映画館名簿では「石巻東映岡田劇場」。2005年・2010年の映画館名簿では「石巻岡田劇場」。2011年3月11日の東日本大震災で被災して休館。跡地は「石ノ森萬画館」北東70mの空き地。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。
1905年3月の石巻町にあった劇場「岡田座」の写真あり。島村抱月・松井須磨子など様々な俳優が来演した。1980年現在は映画専門館の「岡田劇場」となっている。
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1933年の石巻市にあった「岡田座」の写真あり。幕末に建てられた「千葉座」が内海五郎兵衛に譲渡されて「内海座」となり、やがて岡田谷組八城重兵衛による岡田座となった。1929年には菅原一蔵が所有者となった。歌舞伎や芝居などに加えて、政談演説会や講演会も開催された。1948年に東映が発足すると、映画館に改築されて「岡田劇場」となった。
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1933年の石巻市制施行年に発行された「石巻地図」には石巻市街地の映画館として「岡田座」「東北館」「歌舞伎座」が描かれている。
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1933年の石巻市にあった「岡田座」の写真あり。幕末にあった「千葉座」が内海五郎兵衛に譲渡されて「内海座」となり、やがて岡田谷組の経営となったが、1929年に菅原一蔵の手に渡った。1933年、内海橋の架け替えとともに、東京の歌舞伎座に似せた新劇場に建て替えた。せり出し、廻り舞台、花道などがある立派な劇場であり、著名な歌舞伎役者、俳優、歌手などが来演した。戦局が厳しさを増した1945年には強制解体された。
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1934年の『大日本職業別明細図 第358号』には、石巻市街地に「岡田座」、「歌舞伎座」、「東北館」が描かれている。
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戦前にさかのぼる石巻市の芝居小屋と映画館としては、芝居小屋「岡田座」、映画館「東北館」、芝居小屋「歌舞伎座」、映画館「キネマ」の4館があった。1933年以降にはキネマが閉館した。戦後には歌舞伎座が「文化劇場」に改称して映画館となり、岡田座が「岡田劇場」に改称した。
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1958年の『港都石巻市鳥観図』には石巻市街地に「岡田劇場」、「文化劇場」、「東北館映劇」が描かれている。
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石巻市にある「石巻東映岡田劇場」の写真あり。「岡田劇場」の文字が見える。かつては芝居小屋だった。菅原支配人の写真あり。
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1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。
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1999年、石巻市で映画館「岡田劇場」を支援する「岡田劇場がんばれ会」が発足した。旧北上川に架かる内海橋のたもとに、1924年に岡田劇場が開館した。木造モルタル2階建て。約320席。舞台下には回り舞台の奈落も備えられており、かつては寄席や歌舞伎でもにぎわった。漫画家の石ノ森章太郎は中田町から自転車で岡田劇場に通ったという。
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2003年には岡田劇場がんばれ会によって『岡田劇場一五〇年』が刊行された。
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2009年11月15日、ドキュメンタリー映画『弁護士 布施辰治』(仮題)のロケが石巻市中瀬の岡田劇場で行われた。布施辰治(1880年-1953年)は石巻出身の人権派弁護士であり、1918年には同一地点にあった「岡田座」で、普通選挙を求める演説会を開催した。石巻市民ら170人がエキストラとして参加し、石巻市の亀山紘市長、女川町の安住町長も古い衣装を着て参加した。
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石巻市出身の人権派弁護士を描いた映画『弁護士 布施辰治』が完成した。ロケは石巻市などで行われ、女川町出身の俳優である中村雅俊などがナレーションを担当した。5月28日からは東京で初上映され、その後全国各地で上映される。6月4日には石巻市の岡田劇場で、6月9日には仙台市の仙台弁護士会館で完成記念上映会が開催される。
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2010年11月27日、石巻市中瀬の映画館「岡田劇場」で大量の煙が発生する騒ぎがあった。近くで道路工事が行われており、敷設したアスファルトをバーナーの火で乾かす作業中だったという。岡田劇場は戦後すぐに建てられ、木造平屋建てである。漫画家の石ノ森章太郎は少年時代に岡田劇場に親しんだ。現在は展示会やイベント会場などとして使用されている。
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2011年5月21日のテアトル新宿を皮切りに、『エクレール・お菓子放浪記』が全国で一般公開される。2010年10月から11月にかけて、石巻市の日和山公園や北上川の河岸などでロケが行われた。岡田劇場は作中に芝居小屋として登場し、エキストラには岡田劇場社長の菅原聖(41)も参加した。岡田劇場は本作の先行上映会場にもなる予定だったが、2011年3月11日の東日本大震災の津波で流された。江戸時代末期に寄席の劇場として始まり、約150年の歴史を有する。登米市出身の漫画家である石ノ森章太郎も通った。映写機や298あった座席はすべて津波で流され、石積みの基礎だけが残った。菅原は津波で約1km流されたが生き延びた。
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2011年10月1日、石巻市で『エクレール・お菓子放浪記』の上映が始まった。東日本大震災前に石巻市で撮影され、市民約400人がエキストラとして参加した。本来は4月に「岡田劇場」で先行上映される予定だったが、ロケ場所でもある岡田劇場は津波で流され、石巻市での上映は延期となっていた。
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2016年、石巻市出身の作家である大島幹雄が地域雑誌『石巻学』を刊行した。石巻市ゆかりの文化人らが地域の魅力を紹介する地域誌である。津波で流出した映画館「岡田劇場」所有者の菅原宏らには、芝居小屋や映画館として戦後の娯楽の場だった経緯を聞いている。2015年末に刊行された創刊号には20人超が登場しており、今後は年に数冊のペースで刊行される予定である。
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2016年10月、石巻市の宮城県立石巻高校で映画『つるしびな』が上映される。監督は石巻高校出身の大和優雅(41)。大和は涌谷町出身であり、小学生の時から石巻市の映画館「岡田劇場」に通った。2010年には涌谷町を舞台とする初監督作品『つるしびな』が完成し、2011年3月3日には大崎市での上映が決まったお祝いをした。その8日後には東日本大震災が起こり、岡田劇場は流出した。2016年8月に刊行された『石巻学』第2号では、石巻市と映画のつながりが紹介されている。昭和40年代までの石巻市には5館があったという。
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2016年11月12日、東日本大震災の津波で失われた風景を感じてほしいとして、宮城県でポケモンGOのイベントが開催された。石巻市中瀬の映画館「岡田劇場」は津波で流出し、現在は存在しない建物であるが、ポケモンGOでは"ポケストップ"として存在しており、「岡田劇場 東日本大震災で流出。内海橋の真ん中にあった歴史ある映画館。」という文章が表示される。江戸時代末期に芝居小屋「千葉座」として建てられ、160年以上の歴史を有していた。映画の上映だけではなく、歌舞伎の公演、歌謡曲のコンサートなども開催された。
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「石巻岡田劇場」に言及している書籍として、村松友視『黄昏のムービー・パレス』平凡社、1999年がある。
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「岡田劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。
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「岡田劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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