所在地 : 愛知県刈谷市元中根(1953年)、愛知県刈谷市元中根47(1955年・1958年)、愛知県刈谷市元中根町48(1960年)、愛知県刈谷市司町1-31(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1918年5月
閉館年 : 1978年9月頃
Wikipedia :
大黒座
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月設立。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大黒座」。1960年の映画館名簿では経営者が保良市蔵、支配人が保良憲広、木造2階冷暖房付、定員925、東映・日活を上映。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「刈谷大黒座」。1967年・1970年の住宅地図では「大黒座」。1973年の住宅地図では「大黒座」。後継館は鉄筋造の大黒座。跡地は「ふれあいプラザゆうきそう」南東80mにある8件の戸建て住宅。最寄駅は名鉄三河線刈谷市駅。
昭和初期まで、碧海郡刈谷町緒川町の坂の上に「大生座」という芝居小屋があった。宣伝のために楽隊が町を歩いた。その後、名古屋の御園座をまねて造られた「大黒座」が建った。大黒座の1階には畳敷きの枡席があり、舞台は広く、せり上がり設備や花道があった。左右には花道が、両袖には一段高い桟敷席があった。2階はすべて畳席であり、2階の中央に映写室が設けられていた。映画を上映する際には舞台の前部に楽隊が入った。座布団や火鉢が貸し出され、飲食物を運ぶお茶子もいた。その他には幕引き、下足預かり、木戸番などの人々もいた。年に一度くらいは歌舞伎も上演された。舞踊・三味線・尺八・琴の発表会なども催された。正月には抽選会があり、長持・タンス・座布団・大正箱・バケツなどが景品となった。
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1918年には「大黒座」が創設され、尾上菊五郎や松本幸四郎の歌舞伎の興行、映画の上映、政談演説会などが催された。格天井、回り舞台などを持つ大きな芝居小屋だったが、老朽化により大黒座に変わった。手前は美しい庭園を持つ料理屋の大喜館で、跡地には電装会館が建っている。
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五代目坂東蓑助は1909年に知立の東雲座で公演を行った。翌月には刈谷の「大黒座」で公演を行ったが、興行中に急死した。47歳だった。
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1898年、大野介蔵によって旧緒川町の坂の下り口に大生座が開館した。大野家の先祖は常総国結城郡大生村(おおのおむら、現在の茨城県常総市)出身であるため村名を館名とした。向かって右側に木戸札を売る木戸口があり、左側に氷水などを売る売店があった。ホールの入口には木戸番が座り、大人の木戸札と子供の木戸札を受け取って入場者数を数えた。回り舞台があり、大道具・小道具の奥が楽屋だった。歌舞伎の興行が多く、市川團十郎一座などの有名な役者がきた。浪花節の東中軒雲右衛門の興行の際などは、前日から行列ができて緒川町は大賑わいだったという。400人ほどの客が入ると、大道具・小道具から木戸番・下足番まで二銭銅貨を入れた大入り袋が配られた。当時流行した新派の「不帰鳥」(ホトトギス)なども人気があった。後には活動写真も上映し、開始時刻の午後2時まではのぼりを立てた楽隊が宣伝に回った。
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1957年の商工年鑑には、映画館として「刈谷映画劇場」、「株式会社大黒座」、「日劇」の3館が掲載されている。刈谷映画劇場は、代表者が大野允敬、所在地が葭池町1。大黒座は、代表者が保良市蔵、所在地が元中根町47。日劇は、代表者が堀部俊枝、所在地が二ツ池下。
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1962年の商工年鑑には、映画館として「刈谷映画劇場」、「株式会社大黒座」、「日本劇場」の3館が掲載されている。刈谷映画劇場は、代表者が大野久吉、所在地が広小路1-15。大黒座は、代表者が保良市蔵、所在地が司町1-31。日本劇場は、代表者が堀部煌三、所在地が司町3-33。
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1967年の商工年鑑には、映画館として「刈谷映画劇場」、「株式会社大黒座」、「日本劇場」の3館が掲載されている。刈谷映画劇場は、代表者が大野久吉、所在地が広小路1-15、従業員が16人。大黒座は、代表者が三浦善一郎、所在地が司町1-31、従業員数が11人。日本劇場は、代表者が堀部治雄、所在地が広小路3-33、従業員数が12人。
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明治時代の刈谷町緒川町(現・刈谷市司町)には大生座という芝居小屋があった。大正時代には東浦の緒川に通ずる街道の急坂を直すために土を取り、跡地広場に伊藤鋭太郎という人物が「大黒座」を創立した。名古屋の御園座をまねて仕上げたといい、格天井・周り舞台・大小2つの花道と桟敷など豪華なものであった。戦後には映画専門の劇場となった。
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1978年9月のこのほど、刈谷市司町1の「大黒座」が解体された。12月には鉄骨造平屋建ての映画館として再発足する予定。明治時代の刈谷町には、旧緒川町に芝居小屋「大生座」があった。大野介造が諸戸清六に勧められて士族屋敷跡に建てた劇場である。大生座が老朽化したことから、緒川町の旧坂を直すために土を取った広場を利用して、1918年5月に伊藤鐐太郎が大黒座を創立した。棟梁は碧南の大工であり、名古屋の御園座をまねて仕上げられた。格天井、廻り舞台、大小2本の花道、桟敷などがあり、こけら落としには東京歌舞伎の大名題が出演した。
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大黒座は1918年に芝居小屋として開業し、1950年に映画館に転換した。2007年11月には刈谷市のNPO法人が、近くに駄菓子屋併設小規模デイサービス施設「だいふく」を開設。「だいふく」は大黒座から駐車場を借りていた。2012年3月に大黒座が閉館すると、映画館業と合わせてレンタルビデオ業も営んでいたオーナーから年寄りの観賞用に映画のビデオテープ1200本を無償で譲り受けた。これにより、「だいふく」は運営するデイサービスセンターの一角にミニシアターの整備を進めている。
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