所在地 : 長野県上田市緑町(1936年・1941年・1943年)、長野県上田市緑町848(1947年)、長野県上田市緑町2448(1950年)、長野県上田市常田町(1953年)、長野県上田市常田町2448(1955年)、長野県上田市本町4828(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、長野県上田市中央2-12-30(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2018年・2020年・2022年)
開館年 : 1917年
閉館年 : 営業中
Wikipedia :
上田映劇
『全国映画館総覧 1955』によると1945年10月開館。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「上田劇場」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2011年の映画館名簿では「上田映画劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が駒崎鉄五郎、支配人が田中源吉、木造2階冷暖房付、定員880、松竹・大映を上映。1962年の日地刊行会上田市住宅案内図では「上田映画劇場」。1980年の映画館名簿では経営会社が上田映業、経営者が駒崎輝行、支配人が田中源浩、木造1階、318席、松竹・洋画を上映。2000年の映画館名簿では経営会社がセム・コーポレーション、経営者・支配人ともに駒崎隆、木造1階、274席、邦画・洋画を上映。2011年の映画館名簿では経営会社がセム・コーポレーション、経営者が駒崎隆、支配人が駒崎勉、木造1階、274席、邦画・洋画を上映。2012年・2015年・2016年・2017年の映画館名簿には掲載されていない。2018年・2020年・2022年の映画館名簿では「上田映劇」。最寄駅はJR東日本・しなの鉄道・上田電鉄上田駅。
1922年の『長野県上田市全図』には「上田劇場」と「上田電気館」が描かれている。
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1928年の『大日本職業別明細図之内』には「上田劇場」と「上田電気館」が描かれている。
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1917年に歌舞伎・演劇・寄席などの興行を行う劇場として上田劇場が開館。昭和初期に映画館となった。格天井がある。2011年1月時点で上田市の映画館は上田でんき館と上田映劇のみであり、同じ会社が運営していた。2011年4月には8スクリーンのTOHOシネマズ上田がアリオ上田に開館したことで、同月には上田映劇が閉館し、7月には上田でんき館が定期上映を終了した。
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1919年には活動写真の常設館として「上田演芸館」が開館した。上田演芸館は市制施行を記念して建設された洋風の建物だった。上田演芸館の開館時の写真あり。1917年竣工の「上田劇場」は株式会社組織であり、明治時代からの末広座の跡地に新築された。1921年には常田に活動写真の常設館として「上田電気館」が開館。鉄筋コンクリート造の洋風の建物であり、同年12月には松竹と契約している。
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俳優の大泉洋は上田映劇がロケ地となった『青天の霹靂』(2014年公開)に主演し、半月あまりに渡って上田映劇に通った。また、上田などが舞台となったNHK大河ドラマ『真田丸』(2016年放送)では真田信幸を演じ、トークイベントで再び上田映劇を訪れた。2019年5月には大泉が主演した『そらのレストラン』が上田映劇で公開され、5月23日には大泉のトークイベントが開催された。これらの縁があり、上田映劇支配人の駒崎勉は大泉のことを「名誉館長」と呼んでいる。
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「上田映劇」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。
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「上田映劇」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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「上田映劇」に言及している雑誌記事として、「銀幕の小宇宙ミニシアターを止めるな!」『週刊文春』2020年7月16日がある。シネマアミーゴ、深谷シネマ、シネマノヴィチェント、高田世界館、元町映画館にも言及している。
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