消えた映画館の記憶 - 沼津市の映画館

沼津市

電気館
所在地 : 静岡県沼津市野方町(1930年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1930年の映画館名簿では「金鵄館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。

1926年12月10日に発生した沼津大火以前の地図「沼津市」には「電気館」が描かれている。*1
金鵄館
所在地 : 静岡県沼津市本町(1930年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1930年の映画館名簿では「金鵄館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。

1915年には駿東郡沼津町に初めて活動写真常設館の「金鵄館」が開館した。1階は土間に長椅子が置かれ、2階は畳敷きの席だった。

大正時代の「金鵄館」の写真あり。大正時代の沼津には、金鵄館、「電気館」、「沼津座」の3館があり、金鵄館では洋画が上映されることが多かった。*2
永代キネマ
所在地 : 静岡県沼津市上香貫市場町(1930年)、静岡県沼津市上香貫吉田町(1936年)、静岡県沼津市吉田町664(1941年)、静岡県沼津市吉田町(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「永代キネマ」。1943年の映画館名簿では経営者が藤井三郎、定員440、電話854。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
沼津日活館
所在地 : 静岡県沼津市本町通(1936年)、静岡県沼津市本通り(1941年)、静岡県沼津市城内町(1943年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「沼津日活館」。1943年の映画館名簿では経営者が日活、定員417、電話592。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
セントラル/沼津セントラル劇場/セントラル劇場
所在地 : 静岡県沼津市大手町(1947年・1950年)、静岡県沼津市大手町200(1953年・1955年・1958年・1959年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「セントラル」。1950年の映画館名簿では「沼津セントラル劇場」。1953年・1955年・1958年・1959年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の沼津市明細図では跡地に「静岡銀行沼津支店」。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「静岡銀行沼津支店」。跡地は1999年竣工で「静岡銀行沼津支店」が入る複合ビル「アゴラ沼津」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1955年頃の沼津市にあった映画館「セントラル劇場」の写真あり。「CENTRAL」の看板、『ゼンダ城の虜』の看板が見える。往時のセントラル劇場は静岡銀行沼津支店の北隣にあり、『ターザン』や『ロビンフッド』などを上映する洋画館だった。2002年現在の跡地は静岡銀行沼津支店が入る複合ビルのアゴラ沼津となっている。*3

昭和30年代初期の沼津セントラル劇場の写真あり。1952年のアメリカ映画『ゼンダ城の虜』の看板が見える。あんみつ屋の広告があり、劇場前にはオート三輪が止められている。*4

昭和20年代中期の沼津セントラル劇場の写真あり。英名は「Numazu Central」。洋画専門館だった。沼津市出身の映画監督である原田眞人は、5歳だった1955年に沼津セントラル劇場でアメリカ映画を鑑賞し、自分の仕事を決めたと語っている。*5

昭和20年代の沼津市にあった静岡銀行沼津支店の写真あり。静岡銀行の北側には、洋画専門館の「セントラル劇場」があった。*6
菊栄劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村(1959年)、静岡県田方郡戸田村547(1960年)、静岡県田方郡戸田村戸田(1963年・1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「菊栄劇場」。1964年の映画館名簿では経営者・支配人ともに勝呂武雄、木造1階、定員300、邦画を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1970年のゼンリン住宅地図では跡地に「鈴木泰」。跡地は「宝泉寺」の北西110mにある「民宿すずき」(廃業?)。「高田精肉店」の南東隣。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
沼津名画座(単独館)
所在地 : 静岡県沼津市大手町169(1961年)、静岡県沼津市大手町195(1963年)、静岡県沼津市大手町169-3(1966年・1968年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1968年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の沼津市明細図では「名画座」。1961年・1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「沼津名画座」。1963年の住宅地図では「名画座」。1968年頃に沼津ボウルビルに移転。1968年の住宅地図では跡地に「駿河銀行駐車場」。1970年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地は「沼津駅前郵便局」南の駐車場「仲見世パーク2」東側。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。
沼津演芸館/沼津松竹劇場/沼津銀星座/銀星座/東宝銀星座/東海劇場/沼津東海劇場(下本町)
所在地 : 静岡県沼津市下本町211(1936年・1941年)、静岡県沼津市下本町(1943年)、静岡県沼津市上本町(1947年)、静岡県沼津市本字下本町211(1950年)、静岡県沼津市下本町211(1953年・1955年)、静岡県沼津市(1958年)、静岡県沼津市下本町211(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1930年以後1936年以前、1950年11月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧1955』によると1950年11月開館。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「沼津演芸館」。1943年の映画館名簿では経営者が渡邊好郎、定員425、電話372。1947年の映画館名簿では「沼津松竹劇場」。1947年の映画館名簿では経営者が渡邊好郎、定員330、電話372。1950年の映画館名簿では「沼津銀星座」。1950年の映画館名簿では経営者が渡邊好邦、定員180、電話372。1953年の映画館名簿では「銀星座」。1955年の映画館名簿では「東宝銀星座」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼津東海劇場」。1960年の沼津市明細図では「東海劇場」。1963年・1968年の住宅地図では「東海劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の住宅地図では跡地に「静銀駐車場」。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。国際劇場の向かいにあった。跡地は化粧品・宝くじ店「むさし屋」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

昭和20年代の沼津市下本町の写真あり。左は映画館「銀星座」であり、やがて「東海劇場」に改称された。*7

1955年頃の沼津市にあった映画館「銀星座」の写真あり。「GINSEIZA」や「東宝直営」の看板、『謎の人形師』や『花嫁の性典』の看板が見える。本町のはずれ、2002年現在の静岡銀行本町支店の北側にあった。銀星座が閉館する頃には向かいに「国際劇場」が開館し、ポルノ映画を上映していた。銀星座の跡地は静岡銀行本町支店の駐車場となり、向かいの国際劇場跡地も駐車場となっている。*8

1954年4月27日、沼津市の「沼津東海劇場」の改装工事が完了し、松竹の『真実一路』、東映の『花と龍』の二本立で開館した。改装工事によって定員が80人分増加した。*9

1959年の「沼津市詳図」には沼津駅の南に「東映」「東映パラス」「新東宝」「宝塚」「第一劇場」「文化劇場」「沼津映画館」「東海」「国際」、沼津駅の北に「中央劇場」が描かれている。*10

昭和30年代中期の「銀星座」の写真あり。英名は「GINSEIZA」。『謎の人形師』の看板がかかっており、また肉体映画3本立として『花嫁の性典』『裸の女王』『肉体の白書』の看板もかかっている。お色気系のほうが専門館だった。晩年には日活ロマンポルノなどを上映していたが、やがて閉館して取り壊されり、南隣にあった「むさし屋」が映画館の位置に移築された。道路の向かいには姉妹館の「国際劇場」があり、国際劇場では洋画を上映していた。*11

1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。静岡県では熱海市の「名画座」、三島市の「三島中央劇場」、沼津市の「東海劇場」、吉原市の「吉原オリオン座」、富士宮市の「ロマン座」、富士市の「富士東映劇場」、焼津市の「ヒカリ座」、島田市の「太陽館」、掛川市の「中央劇場」、磐田市の「スバル劇場」、浜松市の「浜松国際劇場」などが第二東映に転向した。*12
沼津映画劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本通り17(1947年)、静岡県沼津市上本町(1947年・1950年・1953年)、静岡県沼津市上本町72-1(1955年・1958年・1960年・1963年)、静岡県沼津市上本町2-71(1966年)、静岡県沼津市上本町72-1(1969年・1970年)
開館年 : 1946年5月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧1955』によると1946年5月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「沼津映画劇場」。1960年の沼津市明細図では「沼映劇場」。1963年の住宅地図では「沼映劇場」。1968年の住宅地図では「1階映画劇場 2階多賀会計事務所」。1970年・1971年の住宅地図では「1階沼津映画劇場 2階多賀会計事務所」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「沼映有料駐車場」。跡地は「スルガ銀行本店」西側の有料駐車場「三井のリパーク沼津通横町駐車場」。「沼映劇場」とも。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1959年の「沼津市詳図」には沼津駅の南に「東映」「東映パラス」「新東宝」「宝塚」「第一劇場」「文化劇場」「沼津映画館」「東海」「国際」、沼津駅の北に「中央劇場」が描かれている。*13

1960年頃の沼津市にあった映画館「沼映劇場」の写真あり。『弥太郎笠』や『暗黒街の鬼』の看板が見える。沼映は通横町の西角にあった。嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』などを上映した。*14

昭和30年代中期の沼津市にあった「沼津映画劇場」の写真あり。東海道沼津宿の中心地だった本町通交差点南東角(通横町)には、沼津宿の老舗旅館である杉本旅館があった。杉本旅館の経営者は、昭和40年代まで旅館の北側に沼津映画劇場(通称:沼映)を経営していた。スルガ銀行本店の西側である。沼津映画劇場では洋画も邦画も上映された。旅館と映画館が閉館したのちは靴屋などの店舗があったが、現在は駐車場となっている。*15

1961年の沼津市にあった「沼映劇場」の写真あり。『女は二度生まれる』、『性生活の知恵』などの看板が見える。旧東海道の通横町から本町通りに左折する角にあった。2016年現在の跡地はスルガ銀行駐車場。杉本旅館が経営していた。大映作品専門だったが、やがて洋画も上映するようになった。2階には喫茶店があった。*16
中央劇場/沼津中央劇場
所在地 : 静岡県沼津市(1958年)、静岡県沼津市東高沢町135-55(1960年)、静岡県沼津市東高沢町135(1963年)、静岡県沼津市上土字蛭田135-55(1966年)、静岡県沼津市東高沢町135-55(1969年)、静岡県沼津市東高島町135(1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「中央劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津中央劇場」。1960年の沼津市明細図では「中央映画劇場」。1963年の住宅地図では「中央映画劇場」。1968年の住宅地図では「中央映劇」。1970年・1971年の住宅地図では「中央劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「中央有料駐車場」。沼津駅北側唯一の映画館だった。跡地は2007年竣工のマンション「ファインスクェア沼津駅前」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1959年の「沼津市詳図」には沼津駅の南に「東映」「東映パラス」「新東宝」「宝塚」「第一劇場」「文化劇場」「沼津映画館」「東海」「国際」、沼津駅の北に「中央劇場」が描かれている。*17
沼津日活/沼津有楽座(単独館)
所在地 : 静岡県沼津市城内添地町195(1959年・1960年・1963年・1966年)、静岡県沼津市城内添地町195-1(1969年・1973年)
開館年 : 1957年12月7日
閉館年 : 1973年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「沼津有楽座」。1960年の沼津市明細図では「有楽座」。1963年・1968年・1970年・1971年の住宅地図では「有楽座」。1966年の映画館名簿では「沼津日活」。1969年・1973年の映画館名簿では「沼津有楽座」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。1974年以後1976年以前にジョイランド沼津宝塚ビルに移転した。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「小林立体駐車場」。跡地は「駅近パーキング」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1957年12月7日、沼津市城内添地に有限会社沼津宝塚劇場によって「沼津新東宝」が開館した。経営者は猪俣勝人、支配人は松本一巳。工費約1200万円。建坪143坪、木造モルタル造平屋建、座席361。シネスコ設備を有する。*18

昭和40年代後半の沼津市には10館を超える映画館があった。昭和30年代の「沼津日活」の写真あり。1961年の映画『嵐を突っ切るジェット機』などのポスターが見える。1964年に開館するボウルビルが建つ前の上本町通りにあった。*19
沼津国際劇場
所在地 : 静岡県沼津市下本町201-1(1958年・1960年)、静岡県沼津市下本町201(1963年)、静岡県沼津市下本町201-1(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1955年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津国際劇場」。1960年の沼津市明細図では「沼津国際劇場」。1963年・1968年の住宅地図では「沼津国際劇場」。1970年・1971年の住宅地図では「国際映画劇場」。1974年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。跡地は月極駐車場「下本町パーキング」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1957年9月5日、沼津市下本町通りに「沼津国際劇場」が開館した。木造モルタル平屋建。客席294。経営者は山健二、支配人は萩原孝。*20

1959年の「沼津市詳図」には沼津駅の南に「東映」「東映パラス」「新東宝」「宝塚」「第一劇場」「文化劇場」「沼津映画館」「東海」「国際」、沼津駅の北に「中央劇場」が描かれている。*21
文化劇場/戸田文化劇場/戸田文化/戸田劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村(1953年)、静岡県田方郡戸田村279(1955年・1958年・1960年)、静岡県田方郡戸田村戸田(1963年・1966年)、静岡県田方郡戸田村(1969年・1970年)、静岡県田方郡戸田村279(1976年)、静岡県田方郡戸田村879(1978年・1980年・1981年)
開館年 : 1947年12月
閉館年 : 1981年頃
『全国映画館総覧1955』によると1947年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年の映画館名簿では「戸田文化劇場」。1958年の映画館名簿では「文化劇場」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「戸田文化劇場」。1964年の映画館名簿では経営者・支配人ともに植田昇、木造1階、144席、邦画を上映。1969年・1970年の映画館名簿では「戸田文化」。1970年・1973年・1981年の住宅地図では「文化会館」。1973年・1975年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1978年・1980年・1981年の映画館名簿では「戸田劇場」。1980年の映画館名簿では経営者・支配人ともに植田昇、木造1階、144席、松竹・にっかつを上映。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「沼津市立戸田中学校」体育館の北70mにある駐車場。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。

1947年1月、戸田村の大中島に「文化会館」(戸田劇場)が開館した。*22
文化劇場/沼津文化劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本通り17(1947年)、静岡県沼津市上本町(1953年)、静岡県沼津市上本通(1955年)、静岡県沼津市上本町17(1960年・1963年)、静岡県沼津市上本町通17(1966年)、静岡県沼津市上本通17(1969年)、静岡県沼津市上本町通り17(1973年・1976年)、静岡県沼津市上本通17(1980年)、静岡県沼津市大手町5-6-25(1985年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1986年2月7日頃
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1947年・1950年の映画館名簿では「沼津文化劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「沼津文化劇場」。1960年の沼津市明細図では「文化劇場」。1963年・1968年の住宅地図では「文化劇場」。1970年・1983年の住宅地図では「沼津文化劇場」。1986年の映画館名簿では経営会社が新文化興行、経営者が荻野庄司、支配人が梶原泰男、鉄筋造2階、335席、洋画ロードショーを上映。1987年・1988年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「沼津信用金庫本店」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1955年頃の沼津市にあった映画館「文化劇場」の写真あり。『二挺拳銃の息子』の看板が見える。文化劇場は2002年現在の沼津信用金庫本店の場所にあった。この場所に沼津信用金庫が移転してくると、文化劇場は沼津信用金庫の裏側で営業したが、いつしか閉館した。もっぱら洋画を上映し、沼津市で洋画と言えば文化劇場とセントラル劇場だったが、後には東映パラスや国際劇場も加わった。ただし晩年の国際劇場は洋画ポルノが多かった。文化劇場では『シェーン』や『大いなる西部』などが上映された。*23

沼津市の上本通りはかつて「シネマ通り」としてにぎわった。洋画の封切館だった沼津文化劇場跡地には沼津信用金庫本店があり、2008年12月13日には旧制沼津中学校出身の映画監督である渡辺邦男監督作『明治天皇と日露戦争』が上映される。1960年代から1970年代の上本通りには10近い映画館があった。上本通り商店街振興組合は2006年から毎年、昭和の名作映画鑑賞会やポスター展を開催している。*24

1960年頃の写真あり。アメリカ映画『腰抜け二挺拳銃の息子』の幕がかかっている。昭和20年代中期には沼津市大手町の本通町に洋画専門館の沼津文化劇場が開館した。『シェーン』などの西部劇、『ローマの休日』などのラブロマンス映画を上映した。この場所に沼津信用金庫が移転することが決定したため、1963年には文化劇場が解体された。1964年には沼津信用金庫本店の建物内北側に再び文化劇場が開館したが、昭和60年代に閉館した。しかし現在も沼津信用金庫本店の建物内には映画館の跡が残っており、昭和の映画をテーマとするイベントが開催されることもある。*25

1957年の沼津市にあった沼津信用金庫本店の写真あり。仲見世通り南西にあった旧沼津商工会議所の1階南西側で営業していた。洋画上映館の「沼津文化劇場」の場所を買収し、1964年に現在の建物が建てられた。沼津文化劇場は沼津信用金庫の一部を使用して営業を続けた。*26

1986年2月7日の『静岡新聞』「映画案内」には「文化」の欄があり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を上映している。1986年2月8日以降の「映画案内」には文化の欄がない。*27
ハラマチ劇場
所在地 : 静岡県沼津市原字中町1561(1974年・1976年・1980年・1985年・1987年)
開館年 : 1973年頃
閉館年 : 1987年頃
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年・1976年・1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「ハラマチ劇場」。1986年の映画館名簿では経営会社が東部事業株式会社、経営者が岩村優、支配人が横田謙一、鉄筋造1階、186席、成人映画を上映。1988年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ジョイランド原 天然温泉ざぶ〜ん」。最寄駅はJR東海道本線原駅。
東海劇場/沼津東海劇場(添地町)/沼津東映劇場・沼津東映パラス/沼津東映シネマ1・2
所在地 : 静岡県沼津市城内添地(1953年)、静岡県沼津市駅前(1955年・1957年)、静岡県沼津市(1958年)、静岡県沼津市添地町145(1959年)、静岡県沼津市添地町245(1960年・1963年・1966年)、静岡県沼津市城内添地町245(1969年・1973年・1976年)、静岡県沼津市添地町245(1980年・1985年)、静岡県沼津市添地町1(1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1950年11月、1958年
閉館年 : 2002年9月13日
『全国映画館総覧 1955』によると1950年11月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1957年の映画館名簿では「東海劇場」。1958年・1959年の映画館名簿では「沼津東海劇場」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「沼津東映劇場・沼津東映パラス劇場」(2館)。1960年の沼津市明細図では「沼津東映 東映パラス」。1963年の住宅地図では「沼津東映 東映パラス」。1968年・1970年の住宅地図では「沼津東映パラス」。1971年の住宅地図では「沼津東映パレス」(原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「沼津東映劇場・沼津東映パラス」(2館)。1983年のゼンリン住宅地図では「沼津東映 東映パラス」。1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「沼津東映シネマ1・2」(2館)。2002年の映画館名簿では経営会社が東映、経営者が高岩淡、支配人が榎本雅之、東映シネマ1が鉄筋造1階、東映シネマ2が鉄筋造4階、東映シネマ1が431席、東映シネマ2が328席、東映シネマ1が東映を上映、東映シネマ2が洋画を上映。跡地は「イーラde」建物西端部から西側の静岡県道162号の道路にかけての部分。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1958年12月28日、沼津市の「沼津東海劇場」と「ロマンス座」が東映に買収され、沼津東海劇場は「沼津東映」に、ロマンス座は「沼津東映パラス」に改称した。これまでは中村武司社長の株式会社沼津東海劇場が経営していた。*28

1958年12月28日、沼津市に買収によって「沼津東映劇場」「沼津東映パラス劇場」が開館した。鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て。沼津東映劇場は1100人収容、沼津東映パラス劇場は800人収容。*29

1959年現在の「沼津ロマンス座」の写真あり。「ロマンス座 東海劇場」という看板が見える。*30

1957年頃の沼津市にあった映画館「東海劇場」の写真あり。「沼津東海劇場」の文字が見える。『ひばり捕物帖 唄祭り八百八町』の看板が見える。2002年現在の「東映パラス」は、かつて東海劇場という名称だった。昭和30年代の後半には東映と東映パラスの2館となった。東映と言えば任侠映画であり、高倉健・鶴田浩二・進藤英太郎・江波杏子・藤純子などが人気があった。東映パラスは2002年9月13日をもって閉館した。*31

2005年9月現在、沼津市立図書館に映画監督の原田真人の展示コーナーを設置する計画が進んでいる。原田は沼津市出身。原田の友人である写真家の池谷俊一が、原田に関連する資料を沼津市に寄贈したことがきっかけ。原田のデビュー作『さらば映画の友よ・インディアンサマー』に登場する「沼津東映」の旗などもある。*32

2002年9月には「沼津東映シネマ」が閉館している。2008年9月12日には「静岡東映」が閉館し、同年10月3日には「浜松東映」も閉館する。これによって静岡県から東映の直営館が姿を消す。*33

1958年には「沼津東映劇場」が建てられ、邦画は沼津東映劇場、洋画は沼津東映パラス劇場だった。その後、東映作品は1階のシネマ1、洋画は2階のシネマ2となった。座席数はシネマ1が643人、シネマ2が600人。2002年6月には沼津東映閉館の知らせを聞き、さみしい思いである。*34

昭和30年代中期の「沼津東海劇場」の写真あり。その後本町の銀星座が東海劇場の名前を受け継いでいる。夏休みには東映まんがまつりが開催された。2002年に沼津東映パラスが閉館したのち、建物は取り壊され、跡地は沼津駅西側のあまねガードの一部となった。*35
沼津劇場/沼津東宝劇場/第一劇場/沼津第一劇場/沼津スカラ座/ジョイランド沼津ボウルビル
所在地 : 静岡県沼津市本町通45(1936年)、静岡県沼津市上本通町45(1941年)、静岡県沼津市上本通町(1943年)、静岡県沼津市上本通り(1947年)、静岡県沼津市上本通(1950年)、静岡県沼津市上本通45(1953年・1955年)、静岡県沼津市上本通町45(1960年)、静岡県沼津市上本通町(1963年)、静岡県沼津市上本通45(1966年・1969年)、静岡県沼津市上本通り45(1980年)、静岡県沼津市大手町5-12-5(2005年)
開館年 : 1936年10月、1964年10月(ジョイランド沼津ボウルビル)
閉館年 : 2008年5月
『全国映画館総覧1955』によると1936年10月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「沼津劇場」。1941年・1943年・1947年の映画館名簿では「沼津東宝劇場」。1943年の映画館名簿では経営者が岡田吾市、定員526、電話366。1947年の映画館名簿では経営者が望月光雄、定員400、電話663。1950年の映画館名簿では「沼津第一劇場」。1950年の映画館名簿では経営者が東宝・望月光雄、定員330、電話663。1953年・1955年の映画館名簿では「第一劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「沼津第一劇場」。1960年の沼津市明細図では「第一映画劇場」。1962年の住宅地図では「第一劇場」。1963年の住宅地図では「沼津日活」。1966年の映画館名簿では「沼津スカラ座」。1968年の住宅地図では「沼津ボウルビル 2階スカラ座 6階名画座」。1969年の映画館名簿では「沼津スカラ座・沼津名画座」(2館)。1970年・1971年の住宅地図では「沼津ボウルビル」。1973年・1976年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津スカラ座」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座」(3館)。1983年のゼンリン住宅地図では「沼津ボウルビル 地下1階ビリヤード 1階パチンコ西陣 2階スカラ座 3階カワイスポーツ 4階ローラースケート場 5階ピカデリー 卓球台 6階沼津プラザ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「ボウルビル駐車場」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1964年5月13日の新聞『沼津朝日』には「地上8階地下1階の綜合娯楽センターボウル・ビル社員募集」という広告が、6月5日の新聞『沼津朝日』には「県下唯一の地上8階地下1階の綜合娯楽センターボウル・ビル社員募集」という広告が掲載されている。現物は未確認。*36

2016年1月1日の新聞『沼津朝日』には「昭和黄金時代の沼津商店街思い出散歩 第5回上本通り 仙石規」という記事があり、「昭和三十九年十月、映画館『第一劇場』(日活劇場という名のときもあった)跡に六階建ての娯楽の殿堂」とある。現物は未確認。*37

1957年頃の沼津市にあった映画館「第一劇場」の写真あり。『花の喧嘩状』の看板が見える。第一劇場は「文化劇場」の筋向いにあり、邦画専門館だった。昭和30年代の後半には「沼津日活」に改称したかもしれない。跡地のボウルビルでは現在も映画館が営業している。*38

1957年の「第一劇場」の写真あり。当時は邦画専門館であり、任侠映画『花の喧嘩状』の看板がかかっている。昭和30年代後半にはボウルビルに建て替えられ、映画館・ボウリング場・屋内スケート場などが入る娯楽ビルとなった。ジョイランド沼津ボウルビルは2007年に閉鎖された。*39
沼津シネマ10(ボウルビル)
所在地 : 静岡県沼津市大手町5-12-5(1982年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2008年)
開館年 : 1981年頃
閉館年 : 2008年頃
1980年・1981年の映画館名簿には掲載されていない。1982年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「沼津シネマ10」。1985年の映画館名簿では沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座と同一の沼津ボウルビルだった。2008年の映画館名簿では経営会社が東部事業株式会社、経営者が岩村優、支配人が佐野直樹、鉄筋造地下1階、72席、成人映画を上映。沼津ボウルビル。2008年頃に沼津ボウルビルからジョイランド沼津宝塚ビルに移転した。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。
沼津宝塚劇場/ジョイランド沼津宝塚ビル
所在地 : 静岡県沼津市上本通8(1957年・1958年)、静岡県沼津市上本通町8(1960年)、静岡県沼津市上本通町(1963年)、静岡県沼津市上本通町8(1966年)、静岡県沼津市上本通8(1969年)、静岡県沼津市上本町通り8(1973年・1976年)、静岡県沼津市上本通り8(1980年)、静岡県沼津市大手町5-9-20(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1956年3月15日(沼津宝塚劇場)、1968年10月25日(ジョイランド沼津宝塚ビル)
閉館年 : 2015年2月27日
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場」。1960年沼津市明細図では「沼津宝塚劇場」。1962年・1963年・1968年の住宅地図では「沼津宝塚劇場」。1968年10月25日ジョイランド沼津宝塚ビル開業。1969年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1970年の住宅地図では「宝塚ビル」。1973年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1976年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座」(3館)。1980年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津グランド劇場」(4館)。1985年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼津宝塚・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。2010年・2015年の映画館名簿では「沼津宝塚・沼津有楽座」(2館)。2018年の映画館名簿には掲載されていない。ジョイランド沼津宝塚ビルは現存。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

宝塚劇場→ジョイランドシネマ1(300席)、有楽座→ジョイランドシネマ2(283席)は、地上6階・地下1階建てのジョイランド沼津宝塚ビルにあった。以前はグランド劇場(148席)、ミラノ座(235席)、名画座(69席)を含む5館体制だったが、グランド劇場/ミラノ座/名画座は先に閉館している。

沼津市明治史料館『企画展 地図が語る沼津の歩み』沼津市明治史料館、2002年には1951年の「沼津市中心地商店會社案内図」が掲載されており、後にジョイランド沼津宝塚ビルが建つ場所には「沼津湯」が掲載されている。現物は未確認。*40

1956年3月1日・3月14日の『黎明新聞』には「東海劇場前に沼津寶塚劇場(鉄筋コンクリート3階建)完工、3月15日開館、こけら落とし」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*41

1968年2月4日の新聞『沼津朝日』には「現在工事中の上本通り宝塚ビル」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*42

1968年8月10日の新聞『沼津朝日』には「中央ガード南口正面の元宝塚劇場と沼津湯の跡地へ工事を進めている宝塚ビルは十月下旬に落成する」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*43

1968年10月9日の新聞『沼津朝日』には「娯楽ビルが完成 宝塚ビル24日落成式(地下二階地上六階鉄骨鉄筋コンクリート)」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*44

1968年10月25日の新聞『沼津朝日』には「宝塚ビルが開店」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*45

岩村渉は戦前に沼津市大手町で弁護士事務所を開いていたが、1946年には自宅を改築して銭湯の営業を始めた。銭湯はよく流行ったが、1956年には銭湯をさらに改築して映画館の「宝塚劇場」を開館させた。脱衣所と浴室の間の壁を取り除いて一つのフロアにし、建物の前面には巨大な看板を掲げた。入場料は大人120円・子ども55円であり、散髪代と映画館代はほぼ同じだった。*46

このほど、沼津市大手町のジョイランド沼津宝塚ビルにあるミラノ・グランド・名画座がリニューアルオープンした。座席数を30-50席減らして座席間を広げたほか、内装を一新した。*47

1958年頃の沼津市にあった映画館「宝塚劇場」の写真あり。中央ガードを登り切った正面にあり、2002年現在は2館の映画館やボウリング場が営業するジョイランドとなっている。*48
沼津シネマ10(ジョイランド沼津宝塚ビル)
所在地 : 静岡県沼津市大手町5-9-20(2009年・2010年・2015年・2018年・2020年)
開館年 : 2008年頃
閉館年 : 2020年12月11日
2008年頃に沼津ボウルビルからジョイランド沼津宝塚ビルに移転。2009年・2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「沼津シネマ10」。2020年の映画館名簿では経営会社が東部事業、経営者が岩村慎太郎、支配人が渡辺ひろ美、108席。ジョイランド沼津宝塚ビル2階。2020年12月11日休館。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
シネマサンシャイン沼津
所在地 : 静岡県沼津市大手町1-1-5 BiVi沼津4階(2008年・2010年・2015年・2018年・2020年)
開館年 : 2006年4月15日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「シネマサンシャイン沼津1-8」(8館)。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

2006年4月15日、沼津市のBiVi沼津にシネコン「シネマサンシャイン沼津」が開館した。沼津市出身の映画監督である原田真人の作品を特集上映する「沼津映画WEEK」が開催されており、4月15日には原田監督もトークショーで来館した。*49

2006年4月15日、沼津駅北口にBiVi沼津がオープンし、計1280席の映画館も開館した。沼津駅北口は開発が遅れていたが、1995年に静岡東部特定再開発事務所が駅北拠点開発事業を開始し、2002年には沼津駅北口バスターミナルを整備していた。*50

2015年4月17日、シネマサンシャイン沼津に静岡県で初めて体感型シアター「4DX」が導入される。座席が前後上下に動いたり、水しぶき・風・香り・煙などが再現される。現在は全国で8施設で4DXが導入されている。*51

シネマサンシャイン沼津に言及している雑誌記事として、「エンターテインメント映像の現在 最新シネコンレポート」『エンターテインメントビジネス』2006年7月がある。MOVIX堺、109シネマズグランベリーモール、シネプレックス水戸にも言及している。*52
シネマサンシャインららぽーと沼津
所在地 : 静岡県沼津市東椎路字東荒301番地3他 ららぽーと沼津3階(2020年)
開館年 : 2019年10月4日
閉館年 : 営業中
2018年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「シネマサンシャインららぽーと沼津1-10」(10館)。最寄駅はJR東海道本線片浜駅。佐々木興業による15サイト目のシネコン。グランドシネマサンシャインに次ぐ国内2番目の「4DX with ScreenX」、静岡県初のIMAXレーザーを導入。

2019年10月4日には大型商業施設「三井ショッピングパーク ららぽーと沼津」が開店する予定である。10スクリーン約1800席のシネコン「シネマサンシャイン」や娯楽施設の「コロナワールド」が入る。*53

2019年10月4日、「シネマサンシャインららぽーと沼津」が開館する。10スクリーン。東京・池袋の映画館に次いで国内2番目・静岡県初となる体感型シアターが導入される。映像に合わせてシートが動き、水や風が顔にかかるアトラクション的な要素を持つ。*54