所在地 : 三重県松阪市湊町298(1953年)、三重県松阪市五十鈴町1(1955年・1958年)、三重県松阪市五十鈴町(1960年・1963年・1966年)、三重県松阪市五十鈴町1(1969年)
開館年 : 1952年9月18日、1964年(建て替え)
閉館年 : 1972年5月19日
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「いすず会館」。1958年の映画館名簿では「いすず開館南劇場・いすず会館東劇場」(2館)。1960年・1963年の映画館名簿では「松阪松竹映画劇場・いすず会館東劇」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「いすゞ会館松阪松竹」。1970年の住宅地図では「松阪松竹 いすず会館 東劇」。1971年の住宅地図協会住宅地図では「松阪松竹 いすず会館 東劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1975年のゼンリン住宅地図では跡地に「貸ガレージ」。1984年のゼンリン住宅地図では跡地に空き地。跡地は「林ビル」西隣の空き地。最寄駅はJR紀勢本線・近鉄山田線松阪駅。
1952年9月18日、松阪市に「いすず劇場」が開館した。オープニングは松竹『現代人』。鉄筋コンクリート造、2階建て。面積218坪。設計から開館まで名古屋市の「アロハ会館」の指導を受けた。経営はいすず興業株式会社。
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1958年3月、「松阪松竹」と「豊橋松竹」が松竹の直営館として発足した。
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1963年12月7日昼、松阪市五十鈴町の「五十鈴会館」スクリーン付近から出火し、木造モルタル塗り一部2階建ての五十鈴会館が全焼し、棟続きの木造モルタル塗り2階建ての「いすず東劇」も半焼した。小原茂社長。両館とも10時30分から上映中だったが、23人の観客は無事。スクリーンを巻き上げるモーターの過熱が原因とみられる。損害は約1200万円。
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1963年12月7日正午すぎ、松阪市五十鈴町の「五十鈴会館」スクリーン付近から出火し、木造モルタル塗り一部2階建ての劇場660m2が全焼し、棟続きの木造モルタル塗り2階建ての「いすず東劇」も半焼した。いすず東劇は小原茂社長が所有する貸し館である。観客は無事だった。スクリーンを巻き上げるモーターの過熱が原因とみられる。損害は約1200万円。
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1951年の松阪大火では五十鈴町の松阪市立第二小学校が焼失した。1953年にはその跡地に、「いすず松竹」と「東劇」の2館体制のいすず会館が開館した。社長の小原茂は後に三重県教育長に就任する人物である。1963年12月7日にはいすず松竹のスクリーン脇から出火し、東劇の一部も焼いている。1964年に営業を再開したが、1972年5月19日に閉館した。
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