所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町14-28(1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2006年)
開館年 : 1974年8月3日(建て替え)、1995年7月1日(鹿児島東宝)
閉館年 : 2006年10月11日
前身館は鹿児島東宝銀映座・鹿児島銀座劇場。1975年・1978年の映画館名簿では「鹿児島銀座劇場・鹿児島東宝銀映・鹿児島スカラ座」(3館)。1980年・1985年の映画館名簿では「鹿児島銀座劇場・鹿児島東宝銀映・鹿児島東宝スカラ座」(3館)。1990年の映画館名簿では「鹿児島銀座劇場・鹿児島東宝銀座・鹿児島東宝スカラ座」(3館)。1995年の映画館名簿では「鹿児島銀座劇場・鹿児島東宝銀映・鹿児島東宝スカラ座」(3館)。2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「鹿児島東宝1・2・3」(3館)。2006年の映画館名簿では経営会社が九州東宝、経営者が倉知英一、支配人が徳永伸一、1が鉄筋造地下で300席で洋画を上映、2が鉄筋造4階で249席で東宝を上映、3が鉄筋造3階で101席で洋画を上映。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「リッチモンドホテル鹿児島天文館」。最寄駅は鹿児島市電天文館通駅。
1960年3月1日、鹿児島市山之口町の「新東宝銀座」は新東宝封切館と第二東映上映館に転向した。経営は宇都そめ。
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1995年7月15日、鹿児島市千日町14-28に101席の「鹿児島東宝3」が開館した。オープニングは『ダイ・ハード3』。これまでの鹿児島銀映座が300席の「鹿児島東宝1」に改称し、鹿児島スカラ座が249席の「鹿児島東宝2」に改称した。
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鹿児島市千日町にある映画館「鹿児島東宝」は3スクリーン計650席を有する。1974年に建物が完成した。受付にはスナック菓子・ポップコーン・パンフレットが並ぶガラスケースがある。
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2006年10月、鹿児島市の天文館地区にある映画館「鹿児島東宝」が閉館する予定である。10月には与次郎地区のジャングルパーク跡地に10スクリーンの複合映画館が開館する予定であり、移転という形になる。3スクリーン計650席を有している。
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2006年10月11日には鹿児島市の映画館「鹿児島東宝」が閉館し、南九州随一の繁華街である天文館から映画館が姿を消す。天文館には1911年に常設映画館が開館し、最盛期には16の映画館がひしめいていた。2年前の時点ではシネシティ(6スクリーン)、鹿児島東映、松竹タカシマ(3スクリーン)、鹿児島東宝(3スクリーン)の4館計13スクリーンが営業していたが、JR鹿児島中央駅前のアミュプラザに開館したシネコン「鹿児島ミッテ10」の影響は大きく、まずは鹿児島東映と松竹タカシマが閉館し、2006年6月には天文館にある6スクリーンの映画館「シネシティ文化」も閉館していた。2006年10月14日には郊外に10スクリーンのTOHOシネマズ与次郎が開館するため、鹿児島東宝の閉館が決定した。
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2006年10月11日の『南日本新聞』には「鹿児島東宝」がこの日限りで閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2006年10月11日をもって、鹿児島市の天文館地区にある映画館「鹿児島東宝」が休館した。天文館で最後の映画館だった。
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2006年10月11日をもって鹿児島市最大の繁華街である天文館地区にある映画館「鹿児島東宝」が閉館した。特別なセレモニーなどは行われなかった。1960年代初頭の鹿児島市には26館の映画館があり、うち16館が天文館地区に集中していた。1974年には「銀映座」から改称して鹿児島東宝が開館し、3スクリーンを有していた。2004年に鹿児島中央駅の駅ビルにシネコンが開館すると、「シネシティ文化」などが相次いで閉館し、鹿児島東宝が唯一の映画館となっていた。10月14日には与次郎地区に九州東宝のシネコンが開館するため、これに合わせて閉館が決定した。
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2006年10月12日の『南日本新聞』には「鹿児島東宝」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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1995年には東宝銀座が3スクリーンの鹿児島東宝に。鹿児島東宝は2004年10月14日をもって閉館。翌日には鹿児島市郊外にTOHOシネマズ与次郎が開館している。
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