所在地 : 滋賀県坂田郡長浜町浜京極(1936年・1941年)、滋賀県坂田郡長浜町(1943年)、滋賀県長浜市長浜町(1947年)、滋賀県長浜市横町(1950年)、滋賀県長浜市横町16(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、滋賀県長浜市元浜町6-8(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1883年
閉館年 : 1996年1月28日
『全国映画館総覧 1955』によると1895年6月開館。1883年開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年・1947年・1949年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「松竹館」。1958年の映画館名簿では「長浜松竹」。1959年の全産業住宅案内図帳では「協映劇場」。1960年の映画館名簿では「協映劇場」。1963年の映画館名簿では「長浜劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「長浜協映劇場」。1970年・1979年弘報社住宅地図では「協映」。1973年の映画館名簿では経営会社が自由映画、経営者が牧田義昌、支配人が中川寛治、木造2階冷暖房付、280席、洋画・日活を上映。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「長浜協映」。1995年の映画館名簿では経営会社が自由映画社、経営者が長井幸雄、支配人が清水武志、鉄筋造2階、340席、邦画・洋画を上映。1998年の映画館名簿には掲載されていない。長浜市最後の常設型映画館。跡地は「横町月極駐車場」。最寄駅はJR北陸本線長浜駅。
1943年頃に新美南果によって描かれた鳥観図『近江長浜案内』には「日比劇場」「松竹館」「帝国館」が描かれている。
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時期不明だがアーケードがない横町通り(浜京極)の写真あり。「夢にまで見た松竹館」という文字が見える。1949年にコンクリート舗装された頃に映画の人気が急上昇し、映画館「松竹館」では『長崎の鐘』、『羅生門』、『また逢う日まで』などが上映された。
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時期不明の横町通り(浜京極)の写真あり。1949年に道路が舗装され、各店舗が競うように電飾を施した。映画館「松竹館」前には多くの自転車が並んでいる。1952年には『風と共に去りぬ』が、1953年には『君の名は』が、1954年には『七人の侍』『雪之丞変化』『笛吹童子』が上映された。
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1996年1月28日、長浜市元浜町の映画館「長浜協映」(320席)が閉館する。県内の単独映画館は彦根市の「彦根映画劇場」(彦劇、220席)のみとなる。両館は大阪市に本社を置く自由映画社の運営であるが、1996年春にはJR琵琶湖線南彦根駅前のビバシティ彦根に4スクリーンの複合映画館を開館させる予定であり、4月には彦根映画劇場も閉館する予定である。長浜協映は明治時代開館の芝居小屋である長栄座が前身。長栄座の家主だった片桐寅之進は1930年に映画館「松竹館」を開館させた。1956年には松竹館の経営権が自由映画社に移り、この際に「長浜協映」に改称した。1950年代から1960年代の黄金期には長浜協映のほかに、「長浜映画劇場」、「長浜ロード劇場」(長浜東映劇場)、「大和劇場」もあり、長浜市内には4館の映画館があった。
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1996年4月7日、長浜市で北近江秀吉博覧会(秀吉博)が開幕する。メインの中央会場は、元浜町の旧映画館と商家を改造しており、映像ホール、大河ドラマ「秀吉」関連の展示室、物産展示室、喫茶コーナーが設置されている。映像ホールは約200人が入場できる。
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1883年に開館した劇場の長栄座が全身。浜京極商店街の中央部にあった。1976年には浜京極商店街にアーケードが設置されている。長浜市最後の映画館である。閉館後の1996年には建物が北近江秀吉博覧会のパビリオンとして利用され、その後取り壊された。跡地は横町月極駐車場。昭和20年代の長栄座付近の写真あり。
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