所在地 : 三重県四日市市西新地17-1(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 1997年2月
前身館はそれぞれ単独施設の四日市弥生館と四日市ぼたん劇場。1978年・1980年の映画館名簿では「弥生館・ぼたん劇場・四日市スカラ座」(3館)。1978年ゼンリン住宅地図では「東宝弥生会館 1階喫茶オスカー 2階ボタン劇場」。1980年の映画館名簿では経営会社が弥生企業、経営者が玉置義男、支配人が前沢芳三、鉄筋造2階、弥生館が240席で東宝を上映、ぼたん劇場が112席で成人映画を上映。1980年のゼンリン住宅地図では「東宝弥生会館 2階 弥生館・スカラ座・ぼたん劇場」。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「弥生館・弥生館2・四日市スカラ座」(3館)。1998年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はネットカフェ「快活クラブ四日市西新地店」。最寄駅は近鉄名古屋線近鉄四日市駅。
弥生館は1921年に四日市市西新地に移転して芝居小屋として開館し、1935年に映画館に転身した。伊勢市の世界館と並んで、弥生館は三重県でもっとも歴史のある興行館である。弥生館の定員は212人。現在は定員108人の弥生館2と定員270人の四日市スカラ座も同居。弥生館は東宝系のロードショー館であり、スカラ座は洋画中心である。1996年のスカラ座の観客数は約29,000人であり、前年比30%の落ち込み。他の2館も減少傾向。隣接する桑名市に1995年に開館したシネコンに客を奪われ、また1998年10月には鈴鹿市にもシネコンの開館が予定されていることから、弥生館・弥生館2・スカラ座は1997年2月末で閉館する。1996年9月にオーナーが死去して後継者が見つからないという事情もある。
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1959年の「四日市市詳図」には「四日市シネマ」「グランド劇場」「諏訪劇場」「三重劇場」「弥生館」「ぼたん劇場」「松映」「日活」「四日市劇場」「ロマン座」が描かれている。
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1962年の四日市市西新地にあった「弥生館」の写真あり。「東宝映画」の文字、『どぶろくの辰』の看板が見える。1893年に「新地座」が開館し、1921年に新興キネマ系の劇場「弥生座」に改称し、1935年に「弥生館」に改称した。1945年の空襲で焼失したが、1946年に新築して営業を再開した。東宝系の封切館となり、『ゴジラ』第1作も上映した。円谷英二監督の特撮作品、加山雄三主演の若大将シリーズ、森繁久彌主演の社長シリーズ、黒澤明監督作品、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』『二十四の瞳』『つづり方兄弟』なども上映した。1976年には改修し、「弥生館」「四日市スカラ座」「ぼたん劇場」(後の弥生館2)が入る弥生会館が建てられた。1997年2月28日に閉館した。最終上映作品は『ニュー・シネマ・パラダイス』。2017年現在の跡地は立体駐車場を併設したカラオケ店&ネットカフェとなっている。
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1997年2月末、四日市市西新地の映画館「弥生館・スカラ座」が閉館する。レンタルビデオの普及、桑名市に開館したシネコンなどが理由。1921年に前身の「弥生座」が活動写真の上映を始め、1935年には「弥生館」に改称した。1893年に芝居小屋「新地座」として開館した伊勢市の世界館に次いで古いとされる。3スクリーン計600席がある。2月15日からは『カサブランカ』や『ひまわり』などの名作を700円で特別上映する企画が行われる。
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「弥生館」は戦前からあった古い映画館である。東宝の封切館であり、『ゴジラ』などの怪獣映画、黒澤明監督作品、加山雄三の若大将シリーズ、森繁久彌の社長シリーズ、三船敏郎の『用心棒』や『赤ひげ』などが上映された。
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「ぼたん劇場」では新東宝・大蔵映画・その他の独立プロによる成人映画などが上映された。成人映画はパートカラーだった。
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