消えた映画館の記憶 - 山口市の映画館


山口市

日進座
所在地 : 山口県山口市湯田町(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「日進座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アルカディア湯田温泉」。最寄駅はJR山口線湯田温泉駅。

昭和初期の山口市湯田にあった映画館「戎座」の写真あり。井上公園の向かいの東側にあり、湯田温泉の入湯客も訪れた。*1
島地寿座
所在地 : 山口県佐波郡徳地町島地
開館年 : 不明
閉館年 : 不明
各年版の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「山口市徳地地域交流センター島地分館」北西50mに現存。最寄駅はJR山陽本線新南陽駅。
山口座/山口映画劇場/山口映劇
所在地 : 山口県山口市中清水3296(1957年)、山口県山口市中清水2296(1958年)、山口県山口市中清水(1959年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1959年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「山口座」。1958年の映画館名簿では「山口映画劇場」。1959年の映画館名簿では「山口映劇」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の映画館名簿には跡地に「公設市場」。跡地は「一の坂川交通交流広場」北東20mの「観光バス専用駐車場」。最寄駅はJR山口線山口駅。

1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には「金竜館」「大和座」「山口座」が描かれている。*2

大正初期の山口市久保小路にあった「山口座」の写真あり。1928年頃の山口座の写真あり。この場所には明治時代から劇場「永楽座」があり、やがて山口座が新設された。芝居の合間には活動写真の上映も行われた。1979年現在の跡地は公設市場となっている。*3
秋穂座
所在地 : 山口県吉敷郡秋穂町(1943年・1950年・1958年)、山口県吉敷郡秋穂町6047(1960年)、山口県吉敷郡秋穂町(1963年・1964年)
開館年 : 1932年5月13日
閉館年 : 1963年
1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「秋穂座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「秋穂座」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「秋穂座」。1960年の映画館名簿では経営者が田中規正、支配人が田中正治、木造2階、定員520、邦画を上映。1964年の映画館名簿では経営者・支配人ともに田中正治、木造2階、定員616、邦画を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「山口銀行秋穂支店」北北西100mにある「ショッピングセンター丸栄」廃墟。最寄駅はJR山陽本線大道駅。

1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には「秋穂座」が描かれている。*4

1932年の吉敷郡秋穂町にあった「秋穂座」の写真あり。1932年5月13日にこけら落とし公演の歌舞伎が行われた。廻り舞台、花道、枡席を有する劇場だった。秋穂座は1963年に閉館し、跡地にはスーパーが開館した。2008年の跡地の写真あり。2008年現在の跡地はショッピングセンター丸栄の廃墟である。*5

1982年現在の秋穂町本町には「スーパー丸栄」がある。劇場「秋穂座」だった建物を改装して開店した。やがて株式会社丸栄は不動産業に転換し、貸店舗となった丸栄では地元商店が出店販売している。*6
鴻城館/黎明館/朝日館/山口松竹館/山口松竹/山口東映(新)
所在地 : 山口県山口市道場門前(1936年・1941年・1943年)、山口県山口市(1947年)、山口県山口市道場門前町(1950年)、山口県山口市道場門前(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年)、山口県山口市道場門前2(1965年)
開館年 : 1934年
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「黎明館」。1941年の映画館名簿では「朝日館」。1943年の映画館名簿では「山口松竹館」。1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「山口松竹」。1954年の山口市縦横明細地図では「松竹館」。1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「山口東映」。1960年の映画館名簿では経営者が毎日興行、支配人が山本武夫、木造2階暖房付、定員590、東映・新東宝を上映。1963年・1965年の住宅地図では「山口東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では跡地に「毎日バッティングセンター」。1990年の住宅地図では跡地に「ダイエー山口店」。2004年の住宅地図では跡地に「コープどうもん店」。跡地はスーパー「コープこことどうもん店」。最寄駅はJR山口線山口駅。

時期不明の山口市道場門前町にあった「日活映画館」の写真あり。「朝日館」、「黎明館」という名称だったこともある。戦後に閉館し、1979年現在の跡地にはダイエーが建っている。*7

昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*8
太陽館/スリーS劇場/名画座/小郡名画座
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町(1941年・1943年)、山口県山口市小郡町(1947年)※1944年から1949年までの小郡町は山口市、山口県吉敷郡小郡町(1950年)、山口県吉敷郡小郡町明治町(1953年)、山口県吉敷郡小郡町(1955年・1958年・1960年・1963年)、山口県吉敷郡小郡町大正中(1966年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1949年6月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年6月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「太陽館」。1953年・1955年の映画館名簿では「スリーS劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「名画座」。1960年の映画館名簿では経営者が藤田ミサヨ、支配人が木村三郎、木造2階、定員500、邦画・洋画を上映。1963年・1965年の住宅地図では「丸三名画座」。1966年の映画館名簿では「小郡名画座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では跡地に「バッティングセンター」。跡地はカラオケ店「座オリオン」やレストラン「欧風前菜 三ツ星」が入るビル。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。

小郡町にあった「太陽館」は、後に名画座となり、やがて「スリーS」となった。「寿座」と「丸三映劇」も含めて、全盛期の小郡町には3館の常設映画館があった。*9
阿知須劇場
所在地 : 山口県吉敷郡阿知須町(1958年・1960年・1963年・1966年・1968年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1968年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「阿知須劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が藤田ミサヨ、支配人が松木政治、木造2階、定員450、邦画・洋画を上映。1963年・1967年の住宅地図では「阿知須映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では跡地に「西村マーケット」。跡地は「阿知須いぐらの館」(旧中川家住宅)南西50mにある建物。最寄駅はJR宇部線阿知須駅。
有楽座/山口有楽座
所在地 : 山口県山口市大市6(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1968年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1967年12月7日
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年の山口市縦横明細地図では「有楽座」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「有楽座」。1960年の映画館名簿では経営者が中村政一、支配人が田中正治、木造2階冷暖房付、定員300、邦画を上映。1963年・1965年・1967年の住宅地図では「有楽座」。1966年・1968年の映画館名簿では「山口有楽座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2004年の住宅地図では跡地に「有楽有料駐車場」。跡地はガレージ「有楽有料駐車場」。最寄駅はJR山口線上山口駅。

1952年12月20日頃、山口市魚町銀座街に「有楽座」が開館する予定。代表者は平田興一と山本降一の2人。総工費900万円。一部鉄筋コンクリート造、2階建て。定員300人。上映系統は検討中。*10
八千代座/八千代館
所在地 : 山口県阿武郡阿東町徳佐(1959年)、山口県阿武郡阿東町(1960年)、山口県阿武郡阿東町徳佐(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「八千代館」。1960年の映画館名簿では「八千代座」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「八千代館」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。
大和座/山口東映(旧)/山口ピカデリー劇場
所在地 : 山口県山口市(1927年)、山口県山口市山口町(1930年)、山口県山口市米殿小路(1934年・1936年)、山口県山口市天神通(1953年)、山口県山口市天神町(1958年)、山口県山口市米殿小路(1960年・1963年)、山口県山口市米殿小路3-2(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1971年
1927年の映画館名簿では「大和館」。1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「大和座」。1941年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「山口東映」。1954年の山口市縦横明細地図では「山口東映」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「ピカデリー劇場」。1960年の映画館名簿では「ピカデリー」。1960年の映画館名簿では経営者が毎日興行、支配人が村藤稔、木造2階暖房付、定員401、洋画を上映。1963年の映画館名簿では「ピカデリー劇場」。1963年・1965年の住宅地図では「ピカデリー映劇」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「山口ピカデリー劇場」。1967年の住宅地図では「ピカデリ映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では跡地に「もめんの店さわやか 1階戦国 2階らーる」。2004年の住宅地図では跡地に「マンボ」と「坂本長一」。跡地は「常妙寺」50mの有料駐車場「米屋町駐車場」。最寄駅はJR山口線山口駅。

1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には後の山口東映付近に「大和座」が描かれている。*11

昭和初期の山口市米殿小路にあった活動常設館「大和座」の写真あり。戦後には「ピカデリー映画館」に改称した。1979年現在は廃業している。*12
山口セントラル映画劇場/山口セントラル/セントラル映劇/山口セントラル映劇
所在地 : 山口県山口市道場門前町(1950年)、山口県山口市今市69(1953年)、山口県山口市今市15(1955年)、山口県山口市今市69(1958年・1960年)、山口県山口市今市(1963年)、山口県山口市今市95(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「山口セントラル映画劇場」。1954年の山口市縦横明細地図では「映画館セントラル」。1955年の映画館名簿では「山口セントラル」。1958年の映画館名簿では「山口セントラル映画劇場」。1960年の映画館名簿では「山口セントラル」。1960年の映画館名簿では経営者が山形辰一、支配人が林融、木造1階暖房付、定員500、洋画を上映。1963年の映画館名簿では「セントラル映劇」。1963年・1965年・1967年の住宅地図では「山口セントラル映劇」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「山口セントラル映劇」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では跡地に「車庫」。2004年の住宅地図では跡地に「月極め駐車場」。跡地は「山口地方裁判所」北西60mにあるガレージ。最寄駅はJR山口線山口駅。

昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*13
寿座/小郡寿座
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町小郡560(1960年)、山口県吉敷郡小郡町(1960年・1963年)、山口県吉敷郡小郡町田町1110(1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1977年)
開館年 : 1936年、1953年5月3日
閉館年 : 1977年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1960年の映画館名簿では経営者が中村政一、支配人が宮原進、木造2階冷暖房付、定員550、邦画を上映。1963年の住宅地図では「寿座」。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1977年の映画館名簿では「小郡寿座」。1965年・1967年の住宅地図では「映画 寿座」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「秀英薬局」東の月極駐車場。敷地南西角に道標が建っている。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。

昭和20年代とされる「寿座」の写真あり。和風建築である。小郡町の田町にあった。中関(現・防府市)にあった劇場の建物を買い取り、大正上に移築して寿座が開館した。1902年2月14日に落成式を兼ねた初興行が行われ、市川寿美蔵一座が招かれた。1935年11月に火災で全焼すると、1936年9月には田町の古林邸跡地に工費3万円で新築された。戦後には映画館としても親しまれた。昭和20年代から30年代には、阪東妻三郎、高田浩吉、古賀政男、近江俊郎、藤山一郎などが来演した。*14

1956年5月3日、吉敷郡小郡町の芝居小屋「寿座」が映画館に改装されて開館した。総工費3000万円。新東宝と洋画の併映。入場料は55円。経営者は小郡町議会議員でもある中村政一。*15

1960年の小郡町田町にあった「寿座」前をパレードする山車の写真あり。中領八幡宮の式年祭である。1936年、寿座は「小郡発展の父」と呼ばれた古林新治郎邸跡に建てられた。2009年現在の跡地は駐車場となっている。*16
丸三映劇/小郡丸三映劇/小郡ニュー丸三映劇
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町大正通り(1953年)、山口県吉敷郡小郡町(1955年・1958年・1960年・1963年)、山口県吉敷郡小郡町大正通(1966年・1969年・1973年)、山口県吉敷郡小郡町1279(1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1988年・1989年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1989年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「丸三映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が藤田ミサヨ、支配人が川村正、木造2階冷暖房付、定員700、邦画・洋画を上映。1963年・1965年・1967年の住宅地図では「丸三映劇」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「小郡丸三映劇」。1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「小郡ニュー丸三映劇」。1989年の映画館名簿では経営会社が丸三興行、経営者・支配人ともに藤田博、鉄筋造2階、220席、邦画・洋画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「メゾン小郡」。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。

昭和30年代の小郡町にあった「丸三映画館」の写真あり。『赤穂浪士』の看板が見える。大正通りにあった。小郡には「名画座」(旧太陽館)、「寿座」もあった。*17
金竜館/山口金竜館
所在地 : 山口県山口市道場町(1927年・1930年・1934年)、山口県山口市道場門前(1936年・1941年・1943年・1947年)、山口県山口市道場門前町(1950年)、山口県山口市道場門前89(1953年)、山口県山口市道場門前(1955年)、山口県山口市道場門前80(1958年)、山口県山口市道場門前(1960年・1963年)、山口県山口市大字道場門前80-3(1966年)、山口県山口市大字道場門前80(1969年・1973年)、山口県山口市大字道場門前80-3(1976年・1980年・1985年)、山口県山口市道場門前2-2-5(1990年・1991年・1992年)
開館年 : 1922年11月
閉館年 : 1991年10月末
『全国映画館総覧 1955』によると1922年11月開館。1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「金竜館」。1954年の山口市縦横明細地図では「金龍館」。1960年の映画館名簿では経営者が毎日興行、支配人が河村憲男、木造2階冷暖房付、定員411、松竹・大映を上映。1963年・1965年・1967年の住宅地図では「金龍館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「山口金竜館」。1976年・1980年・1985年・1990年・1991年の映画館名簿では「金竜館」。1980年の映画館名簿では経営会社が毎日興行、経営者が近門忠一、支配人が大庭進、鉄筋造1階、470席、松竹・東宝・東映を上映。1990年の住宅地図では「金竜館」。1991年の映画館名簿では経営会社がアイワ企画、経営者が山門照男、支配人が森本文矢、鉄筋造1階、470席、邦画・洋画を上映。1992年の映画館名簿では「山口金竜館」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。2004年の住宅地図では跡地に「SARA」と「Coffee Boy」。跡地は喫茶店「コーヒーボーイ山口店」や「どうもん広場」。最寄駅はJR山口線山口駅。

1929年の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の写真あり。多数の兵隊が見える。*18

1929年頃の「金龍館」の写真あり。1955年頃の「金龍館」の写真あり。『水戸黄門漫遊記』、『妻恋黒田節』、『花祭底抜け千一夜』などの看板が見える。*19

1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には「金竜館」「大和座」「山口座」が描かれている。*20

昭和30年代中頃の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」前で行われたイベントの写真あり。商店街による出し物「浦島太郎」である。2009年現在の金竜館は廃業しており、山口市で営業中の映画館は湯田の1館のみである。*21

1991年11月のこのほど、山口市道場門前にある「金竜館」が閉館して取り壊し工事が始まった。経営は徳山市の毎日興業。9月の台風19号が閉館の理由。木造2階建ての屋根のトタンが飛ばされ、雨や風を受けてスクリーンが破損し、客席が水浸しになった。修復には7000万円以上かかることから営業再開を断念した。1922年に創業し、昭和30年代には月間入場者数が1万5000人を超えたこともある。東映や松竹などの邦画を中心に上映していた。近年の年間入場者数は約3万5000人だった。*22

1999年のこのほど、山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の再建が先送りされることが決定した。金竜館は毎日興業が運営していたが、1991年に台風で壊れて閉館した。跡地は道場門前商店街振興組合の所有地と合わせて駐車場となっている。商店街振興組合は立体駐車場の建設を決めており、中心市街地活性化法に基づく国や山口県の補助事業に採択された。一方で毎日興業も映画館の再建を決め、組合に設計案を提示したが、組合による設計案との調整がつかなかった。*23
ぱるるプラザ山口
所在地 : 山口県山口市惣太夫町1-15(1999年・2000年・2005年・2006年)
開館年 : 1998年頃
閉館年 : 2006年3月
1998年の映画館名簿には掲載されていない。1999年・2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「ぱるるプラザ山口」。1999年の映画館名簿では経営会社が山口郵便貯金地域文化活動支援施設、経営者・支配人ともに田中能樹、鉄筋造1階、110席、邦画・洋画を上映。2004年の住宅地図では「ぱ・る・るプラザ山口」。2007年の映画館名簿には掲載されていない。ぱ・る・るプラザ山口。跡地はJR山口線山口駅南西100mにあるマンション「オーヴィジョン」。最寄駅はJR山口線山口駅。
泉都映劇/山口泉都映劇/山口ニュー泉都劇場/山口スカラ座・山口ニュー泉都劇場/山口スカラ座1-4
所在地 : 山口県山口市湯田町(1957年・1958年・1960年)、山口県山口市下宇野令樋口(1963年)、山口県山口市泉都町1154(1966年・1969年)、山口県山口市泉都町9-3、9-1(1970年)、山口県山口市泉都町1154(1971年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年)
開館年 : 1956年頃(泉都座)、1960年(経営者交代)、1969年頃(2館化)、1999年頃(4館化)
閉館年 : 2012年11月1日
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「泉都映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が毎日興行、支配人が山中宜昌、木造2階暖房付、定員362、邦画を上映。1963年・1965年・1967年の住宅地図では「泉都映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「山口泉都映劇」。1970年・1971年・1973年の映画館名簿では「スカラ座・山口ニュー泉都劇場」(2館)。1976年・1980年の映画館名簿では「山口スカラ座・山口ニュー泉都劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では経営会社が丸三興行、経営者が藤田みさよ、支配人が藤田博、鉄筋造2階、山口ニュー泉都劇場が210席でにっかつ・洋画を上映、山口スカラ座が230席で洋画を上映。1985年・1990年・1995年・1998年・1999年の映画館名簿では「山口スカラ座・山口ニュー泉都」(2館)。1990年の住宅地図では「ニュー泉都映劇」と「スカラ座」。2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「山口スカラ座1-4」(4館)。2004年の住宅地図では「1階金龍湯田店 2階山口スカラ座」。2012年の映画館名簿では経営会社が丸三商事、経営者が藤田博、支配人が河杉博、鉄筋造2階、1が200席、2が140席、3が140席、4が140席、いずれも邦画・洋画を上映。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート山口泉都町店」駐車場。最寄駅はJR山口線上山口駅。

1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。3か月前から工事のために休館していた。オープンに先立って5月16日には施設見学会が開催される。かつては2館だったが、最新設備を導入した上で4館に増える。経営は小郡町の丸三商事。*24

1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。老朽化した「スカラ座」と「ニュー泉都」の2館を建て替え、4スクリーンとなった。1999年3月には防府市や下松市に複合映画館(シネコン)が開館したが、県都にも最新設備の映画館ができることになる。鉄筋コンクリート造3階建てビルの2階部分であり、スカラ座1からスカラ座4まである。最大のスカラ座1は198席であり、他の3スクリーンは124席である。これまでの建物のロビーには冷暖房がなく、苦情が出ることもあった。座席間隔はこれまでの倍の約100センチに広げた。最新型の映写機やデジタル音響システムを導入した。これまでの初回上映開始時間は12時頃だったが、10時過ぎに早める。これまでの最終回上映開始時間は18時過ぎだったが、平日と日曜は20時過ぎ、土曜日は23時頃からとする。経営者は小郡町の丸三商事。*25

2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計530席を有する。山口市は2年前に映画館がなくなった奈良市に続いて、全国で2例目の常設映画館がない県庁所在地となる。山口スカラ座は1960年に開館したが、約15年前が観客数のピークであり、シネコンの進出以後は経営が苦しかった。*26

2012年11月1日、山口市泉都町の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計540席であり、山口市唯一の映画館である。日本映画製作者連盟によると、常設映画館がない県庁所在地は奈良市に次いで2か所目だという。もともとあった映画館の経営を引き継いで、1960年にスカラ座が開館した。『E.T.』や『南極物語』がヒットした約30年前が観客数のピークだったが、その後は年々観客数が減少した。閉館後には建物を取り壊し、コンビニや飲食店が入るビルを建設する予定。*27

2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。1960年の開館から約半世紀がたち、建物の老朽化が目立つようになった。山口県内に最新設備を導入した映画館が相次いで開館しており、観客数が大幅に減少していた。山口スカラ座は山口市立中央図書館などがある中央公園と繁華街の湯田温泉の間に位置する。4スクリーン計530席を有する。跡地には平屋建ての店舗を建設し、コンビニや飲食店が入居する予定である。現在の県庁所在地で映画館がないのは奈良県だけであり、山口県は2例目となる。山口市から最寄りの映画館は防府市や宇部市にあるシネコンとなる。*28
山口情報芸術センター
所在地 : 山口県山口市中園町7-7
開館年 : 2003年11月
閉館年 : 営業中
2005年・2010年・2020年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR山口線上山口駅。