所在地 : 岐阜県高山市三福寺町359-1(1986年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2014年)
開館年 : 1984年12月22日(2館)、1998年7月11日(4館化)
閉館年 : 2014年8月31日
Wikipedia :
高山旭座
1984年のゼンリン住宅地図では後の映画館の場所に水田。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1986年・1990年・1995年の映画館名簿では「高山旭座オスカー1・ミラノ2」(2館)。1986年の映画館名簿では経営者は吉田栄次、支配人は牛丸昭則、鉄筋造1階、オスカー1が140席で洋画を上映、ミラノ2が100席で東映・松竹を上映。2000年・2005年・2010年・2014年の映画館名簿では「高山旭座オスカー1・ミラノ2・ウエスト3・サウス4」(4館)。2000年の映画館名簿では経営者は吉田栄次、支配人は牛丸昭則、鉄筋造1階、120席・160席・120席・120席、いずれも邦画と洋画を上映。2014年の映画館名簿では経営者は吉田栄次、支配人は牛丸昭則、120席・160席・120席・120席。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年3月開店の「ファミリーストアさとう三福寺店」。最寄駅はJR高山本線高山駅。
1984年12月22日、高山市三福寺町に映画館「高山旭座」が開館する。2館が同居している複合映画館。高山旭座を建てたのは吉城郡古川町で「旭座」を経営していた吉田栄次(46)。古川町は人口が少なく、消防法の改正で施設の大規模改修を迫られたことから、旭座を閉館させて高山市に進出した。鉄骨コンクリート造一部2階建て。566m2。内部には100席のオスカー1と140席のミラノ2の2館がある。2はドルビー方式の4チャンネルステレオシステム。映写機は2館同時に上映できるフルオート方式。オスカー1のオープニング作品は『グレムリン』、ミラノ2のオープニング作品は『ゴーストバスターズ』。
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1998年7月11日、高山市の映画館「高山旭座」の本館脇に2スクリーンを持つ別館が開館する。名称はウエスト3とサウス4。既存の2スクリーンと合わせて計4スクリーンとなる。1984年に開館し、飛騨地方唯一の映画館である。最新の機器を導入しており、継ぎ目も穴もない1枚スクリーンについて牛丸支配人は「全国初ではないか」としている。2スクリーンとも117席。ウエスト3は(アメリカ版)『ゴジラ』、サウス4は『タイタニック』がオープニング作品。
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2014年秋にも、高山市三福寺町の映画館「高山旭座」が閉館することが明らかになった。飛騨地域唯一の映画館だった。昭和初期に吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)に芝居小屋として開館し、太平洋戦争前後に映画館に転換、1984年に古川町から高山市に移転した。当時は駐車場付きの郊外型映画館は珍しかったため話題になった。その後別館も開館した。1997年に上映した『タイタニック』では、半年間に約3万人を集客した。富山県にできたシネマコンプレックスや少子化の影響で、2013年の来館者はピークの約10万人から約5万人にまで減っていた。閉館後の跡地には、スーパーマーケット「ファミリーストアさとう」(同市石浦町)が出店予定という。
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2014年8月31日には高山市三福寺町の映画館「高山旭座」が閉館する。8月23日から、最後のロードショー『もういちど』の上映が始まる。高山市在住のカメラマンである古川誠が撮影監督として参加している。1984年に吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)から高山市に移転し、現在は飛騨地域で唯一の映画館である。閉館の理由は来館者の減少など。
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2014年まで高山市にあった映画館「高山旭座」が閉館してから、飛騨地域には映画館がない状態が続いている。飛騨地域の映画ファンが足を運ぶ映画館は、富山県富山市の「TOHOシネマズファボーレ富山」や岐阜県各務原市の「イオンシネマ各務原」などであるが、おずれも高山市中心部から車で1時間30分以上かかる。1984年に開館した高山旭座は2つの建物に4スクリーンを有し、デジタル映写機も設置していた。最盛期には年間10万人近くの観客数があったが、2000年代には飛騨地域以外のシネコンに押されて観客数が半減していた。2016年頃から杉浦正子は「つきいちシネマ」として月1回の上映会を開催している。公民館やコミュニティスペースを借り、自前のスピーカーやプロジェクターで簡易シアターを作り上げる。社会はドキュメンタリーなどを中心に開催し、各回10-20人が集まる。鑑賞後には参加者同士で作品の意見交換を行っている。
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2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。