所在地 : 山梨県甲府市太田町82(1941年)、山梨県甲府市太田町(1943年)、山梨県甲府市春日町1(1947年)、山梨県甲府市春日町2(1950年)、山梨県甲府市春日町(1953年・1955年)、山梨県甲府市春日町2(1958年・1960年・1963年)、山梨県甲府市中央1-3-7(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1936年7月(甲府宝塚劇場)、1946年(移転)、1997年11月8日(ビル化)
閉館年 : 2013年4月14日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1936年10月。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1936年7月に甲府市太田町82番地(現・太田町3)に甲府宝塚劇場として開館。1941年・1943年の映画館名簿では「甲府宝塚劇場」。1945年7月の甲府空襲で焼失。1946年に甲府市春日町2番地に移転して開館。1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「甲府宝塚劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「甲府シネマ・甲府宝塚劇場」(2館)。1973年の映画館名簿では「甲府プラザ劇場・甲府宝塚劇場」(2館)。1975年のゼンリン住宅地図では「甲宝プラザ」。1976年・1980年の映画館名簿では「甲府東宝プラザ劇場・甲府宝塚劇場」(2館)。1982年のゼンリン住宅地図では「甲府宝塚劇場・甲府東宝プラザ」。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「甲府東宝プラザ・甲府宝塚劇場」(2館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「甲宝シネマ1・2・3・4」(4館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「甲府101ビル」。最寄駅はJR中央本線・身延線甲府駅。
1946年から1947年頃にかけて、甲府市中心部には錦町18番地に東映系「中央劇場」(小野務社長)、春日町2番地に東宝系「甲府宝塚劇場」(倉賀野正雄社長)、常盤町6番地に洋画館「銀峰座映画劇場」(堀井武夫社長)、常盤町6番地に松竹系「松竹映画劇場」(新庄寿郎社長)、紅梅町15番地に洋画館「オリオンパレス」(上村文一社長)、錦町18番地に洋画館「電気館」(小野熊平社長)の常設映画館が開館した。
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1963年6月28日午後5時40分頃、甲府市の「甲府宝塚劇場」舞台正面右側から出火し、スクリーン,
拡声器、ピアノなど舞台装置一式、天井の一部が焼失した。損害額は約100万円。
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1963年6月28日午後5時40分頃、甲府市の「甲府宝塚劇場」舞台正面右側から出火し、スクリーン,
拡声器、ピアノなど舞台装置一式、天井の一部が焼失した。
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1996年10月には「甲府シネマカリテ」が開館、12月には「シアターセントラルBe館」が開館し、1997年11月8日には「甲府宝塚劇場」を引き継いで「甲宝シネマ」が開館する。甲府宝塚劇場は2スクリーンだったが、甲宝シネマは4スクリーンとなる。鉄筋コンクリート造3階建て。1階にはファストフード店やゲームセンターなどのテナントが入る。11月7日の甲宝シネマ完成式では、女優の一路真輝などによるテープカットが行われる。
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1997年11月8日、甲府市中央1-3-7 甲府ビルに4スクリーンの「甲宝シネマ」が開館した。座席数は1が143席、2が183席、3が86席、4が106席。経営は東宝東部興行。
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2008年7月31日、甲府宝塚劇場は甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」を2009年4月に閉館することを発表した。配給元の東宝グループが、甲府市内での配給先を直営館「グランパーク東宝8」に集約することを決めたため。韮崎市出身で阪急グループ創業者の小林一三が、1937年に甲府市太田町に甲宝シネマを開館させた。戦災で焼失したが、1946年には現在地の甲府市中央1丁目に移転して開館した。その後建て替えを行い、現在は4スクリーンを有していた。年間観客数は15万人で横ばいだったが、東宝グループの決定で独立系映画館として存続することが困難だと判断した。
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2009年4月、甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」が閉館する。2008年3月に配給元の東宝グループが再編されたことに伴い、国母5丁目の「グランパーク東宝8」と統合する方針が浮上したため。甲宝シネマを運営する甲府宝塚劇場は独自での経営が難しいと判断した。1937年、韮崎市出身で東宝の創設者である林一三が、1937年に甲府市太田町に東宝封切館として甲宝シネマを開館させた。1945年の甲府空襲で焼失したが、1946年には現在地に移転して開館した。1995年の建物を新築し、2スクリーンから4スクリーンに増やして甲宝シネマに改称した。過去5年間の年間観客数は約15万人で推移し、300万円程度の黒字を計上していた。東宝系以外の作品を上映することも検討したが、開館経緯も考慮して閉館を決めた。甲宝ビルは売却する方針。
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2009年3月18日、甲府宝塚劇場は4月に閉館予定だった映画館「甲宝シネマ」の運営継続が決まったと発表した。同映画館が入るビルでゲームセンターを運営するサンエー企画に施設を売却し、サンエー企画は館名をそのまま使用して運営する。甲府宝塚劇場による運営は4月12日に終了し、施設保守などで1週間の休館を挟んだ後、4月18日にサンエー企画による運営が開始される。甲宝シネマの閉館は地元資本のスーパー・オギノの撤退とともに、甲府市中心市街地空洞化の象徴とみられていた。
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2013年4月14日、甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」が閉館する。運営会社とビル所有者との賃借交渉の折り合いがつかなかったため。1936年、小林一三が甲府市太田町に「甲府宝塚劇場」を開館させた。1946年に現在地に移転した。2009年にはビル所有者が映画館を閉館させてビルを売却することを決めたが、ビルを買収した会社と賃借契約を結んだ中央興業が運営を引き継いだ。2009年にビルを買収した会社役員の男と妻が、2013年2月に業務上横領罪で実刑判決を受けるなどの事件があった。2000年の甲府市中心部には6施設の映画館があったが、郊外へのシネコンの開館などで閉館が相次ぎ、甲宝シネマの閉館後はシアターセントラルBe館のみとなる。
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2013年4月14日、甲府市にある老舗映画館「甲宝シネマ」が閉館する。家主との賃貸契約が終了するため。かつて甲府市中心部には多くの映画館があったが、甲宝シネマの閉館で「シアターセントラルBe館」のみとなる。1930年代、韮崎市出身で阪急グループ創業者の小林一三が、甲府市太田町に甲宝シネマを開館させた。戦災で焼失したが、1946年には現在地の甲府市中央1丁目に移転して開館した。その後建て替えを行い、現在は4スクリーンを有していた。2009年には当時のビル所有者がビルを別の所有者に売却。中央興業が新たなビル所有者と賃貸契約を結んでいた。
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2013年4月14日、甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」が閉館する。1936年に「甲府宝塚劇場」として開館し、1946年に現在地に移転した。2009年には運営会社が中央興業に代わったが、ビル所有者との賃貸契約が終了するタイミングでの閉館が決定した。閉館にともなうイベントやセレモニーは行わない。4月14日には『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』などを上映し、『フライト』が最終上映作品となる。
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2013年4月14日、甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」が閉館した。運営は中央興業。宝塚歌劇団や東宝の創設者である小林一三が前身の「甲府宝塚劇場」を開館させてから77年。14日の最終上映作品は『フライト』であり、同日には『レ・ミゼラブル』なども上映された。甲府市中心部では映画館の閉館が相次いでおり、残るのは中央興業が運営する「シアターセントラルBe館」のみとなる。
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2014年6月14日、映画館「甲宝シネマ」の跡地にイベントホール「GAZ KOFU」(ギャズ甲府)がオープンする。映画館だったころの設備を活かして、コンサート・落語・セミナーなど多目的に利用できる。1946年から現在地で営業していた甲宝シネマは、2013年4月に閉館した。その後は空き店舗となっていたが、山梨県内でカラオケ店やゲームセンターなどを経営する都留市のN&Kが賃貸契約を結んだ。4ホールのうち最大のホールは縦12m×横14mであり、ライブホールで立ち見の場合は500人を収容できるため、山梨県で最大のライブホールとなる。
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2014年6月14日、甲府市中央1丁目のかすがも〜るにある甲宝ビルにエンターテイメントスペース「GAZ KOFU」(ギャズ甲府)がオープンした。2013年4月に閉館した映画館「甲宝シネマ」を一部改修した。座席型と立ち見型が2ホールずつの全4ホールであり、山梨県最大の500人を収容できるイベントホールがある。N&Kグループが運営する。
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2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。