消えた映画館の記憶 - 熊谷市の映画館


熊谷市

熊谷キネマ
所在地 : 埼玉県大里郡熊谷町(1930年)、埼玉県熊谷市文化町(1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「熊谷キネマ」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
熊盛座
所在地 : 埼玉県大里郡熊谷町(1930年)、埼玉県熊谷市弁天町(1936年)
開館年 : 1926年8月
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「熊盛座」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。

1894年から1895年頃、熊谷に芝居小屋「熊盛座」が開設された。1925年5月13日の熊谷大火で焼失し、1926年8月に映画館として再建された。*1

大正時代中期の熊谷市にあった映画館「熊盛座」の写真あり。「常設活動熊盛座」の文字が見える。『ああ無情』の看板が見える。松竹とともにユニバーサル社と特約していた。1925年の火災で焼失し、1926年に再建された。*2

1925年5月13日午前2時、熊谷町の墨江町から出火し、折からの突風もあって3万坪が焼失、641戸が全焼した。焼失した建物には「電気館」、「熊盛座」、桜雲閣、松泉閣、魚勝、熊谷製糸会社、秩父鉄道株式会社、中村写真館、福島材木店などがある。*3
電気館
所在地 : 埼玉県大里郡熊谷町(1930年)、埼玉県熊谷市墨江町(1936年・1941年・1943年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿では「電気館」。1936年・1941年の映画館名簿では「熊谷電気館」。1943年の映画館名簿では「電気館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

1930年2月8日、熊谷町の「電気館」で民政党の演説会が開催され、この際には埼玉県で初めてトーキー映画が上映されたが、機材の不調によって途中で打ち切られた。*4

1897年には熊谷に「梅盛座」が設立され、演劇や浪花節などを興行していたが、映画の流行とともに閉館した。1919年には熊谷の墨江町に映画専門館の「電気館」として再建された。*5

1897年には熊谷町に劇場「梅盛座」が設立されたが、映画の流行とともに閉館した。1919年には映画専門館の「電気館」として営業を開始した。1925年5月13日の熊谷大火で焼失し、1926年に3階建の建物として再建された。*6

1926年の熊谷市にあった東宝専門映画館「熊谷電気館」の写真あり。1920年に「梅盛座」が移転して改称した。1925年に火災で焼失し、1926年に再興された。*7

明治から大正時代の熊谷市にあった「熊谷電気館」の写真あり。大正ロマンを感じさせる3階建ての建物だった。近くには星川が流れている。1925年5月13日の熊谷大火で焼失したが、1926年に再建された。1945年の熊谷空襲で再び焼失した。大正後期の熊谷市には電気館のほかに「熊盛館」という映画館もあった。*8
天明座/天明館
所在地 : 埼玉県大里郡妻沼町(1953年・1954年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「天明館」。1955年の映画館名簿では「天明座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「天明館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
妻沼映画劇場/妻沼映劇
所在地 : 埼玉県大里郡妻沼町1671(1955年・1958年)、埼玉県大里郡妻沼町355(1960年・1963年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「妻沼映画劇場」。1963年の映画館名簿では「妻沼映劇」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「埼玉りそな銀行妻沼支店」南西140mにある駐車場。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。

1955年の商業地図を基にした妻沼町の商店図が掲載されており、「メヌマ映画館」が描かれている。*9
熊谷不二館/不二館
所在地 : 埼玉県熊谷市文化町2218(1941年)、埼玉県熊谷市石原(1943年)、埼玉県熊谷市文化町2-218(1947年)、埼玉県熊谷市文化町2218(1950年)、埼玉県熊谷市文化町(1953年・1955年)、埼玉県熊谷市文化町2218(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「熊谷不二館」。1943年の映画館名簿では「不二館」。1947年の映画館名簿では「熊谷不二館」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「不二館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
金星館/熊谷金星館/熊谷日活金星館/熊谷金星座
所在地 : 埼玉県熊谷市南本町(1953年・1955年)、埼玉県熊谷市南本町2872(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「金星館」。1960年の映画館名簿では「熊谷金星館」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熊谷日活金星館」。1971年の住宅地図では「金星館」。1973年の映画館名簿では「熊谷金星座」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「三井のリパーク熊谷本町」。最寄駅は秩父鉄道秩父本線上熊谷駅。
熊谷映画劇場/文化映画劇場/熊谷文化劇場/熊谷文化映画劇場
所在地 : 埼玉県熊谷市錦町通り(1947年)、埼玉県熊谷市錦町(1950年)、埼玉県熊谷市錦町1171(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、埼玉県熊谷市錦町1172(1973年・1975年)、埼玉県熊谷市末広1-60(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「熊谷映画劇場」。1950年・1953年の映画館名簿では「熊谷文化映画劇場」。1955年の映画館名簿では「文化映画劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熊谷文化映画劇場」。1971年の住宅地図では「文映映画館」。1973年・1975年・1980年の映画館名簿では「熊谷文化劇場」。1982年・1984年の映画館名簿では「熊谷文化映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JA埼玉県信連熊谷事業推進部」西の「末広月極駐車場」。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。
熊谷松竹映劇/熊谷松竹映画劇場/熊谷松竹劇場/熊谷銀映2/熊谷銀映(新)
所在地 : 埼玉県熊谷市弁天町29(1941年)、埼玉県熊谷市弁天町(1943年)、埼玉県熊谷市宮本町(1947年)、埼玉県熊谷市宮本町100(1950年)、埼玉県熊谷市宮本町(1953年)、埼玉県熊谷市弁天町(1955年)、埼玉県熊谷市29(1958年)、埼玉県熊谷市弁天町29(1960年・1966年・1969年・1973年・1975年)、埼玉県熊谷市星川1-41(1980年・1985年・1990年・1991年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1991年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「熊谷松竹映画劇場」。1943年の映画館名簿では「熊谷松竹映劇」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「熊谷松竹映画劇場」。1971年の住宅地図では「松竹映画劇場」。1973年・1975年・1980年の映画館名簿では「熊谷松竹劇場」。1985年・1990年の映画館名簿では「熊谷銀映2」。1991年の映画館名簿では「熊谷銀映」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「タイムズ熊谷星川第2」。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。

1946年4月、「郡山松竹」、「仙台南松竹」、「仙台中央劇場」、「熊谷松竹」、「室蘭大国館」、「函館松竹」が松竹の直営館として開館した。*10
富士見劇場/熊谷富士見映画劇場
所在地 : 埼玉県熊谷市富士見町(1953年・1955年)、埼玉県熊谷市熊谷75(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、埼玉県熊谷市星川2-82(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 2000年2月4日
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「富士見劇場」。1963年の映画館名簿では「富士見映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「熊谷富士見映画劇場」。1971年の住宅地図では「富士見映画館」。1973年・1975年・1980年の映画館名簿では「富士見劇場」。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「熊谷富士見映画劇場」。2002年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「Fujimiパーク」。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。

1959年12月10日の熊谷市にあった「富士見映画館」前の写真あり。市役所通りと星川通りが交差する付近にあり、2015年現在のお祭り広場に近い。星川の整備は1953年に完成した。星川沿いの久山寺跡地には「銀映」もあった。富士見映画館や銀映に加えて、「金星館」、「文映」、「松竹映画館」などもあった。1984年12月、これらを統括して「シネプラザ21」となった。*11

1959年12月10日の熊谷市にあった「富士見映画館」の写真あり。「富士見」「富士見映画劇場」の文字が見える。小津安二郎監督作『浮草』、鶴田浩二主演作『夜を探せ』の看板が見える。右隣には格子状の中村写真館が見える。*12

1964年の熊谷市にあった「富士見映画館」などを写した空中写真あり。中央の巨大な建物が富士見映画館である。市役所通りは弥生町通りまで幅員36mに拡幅されているが、その先は細い道で「開かずの踏切」国鉄高崎線第2踏切に至っている。1993年には「開かずの踏切」を解消するための立体交差に着工し、1999年3月に開通した。*13
熊谷銀座映画劇場/熊谷銀座映劇/熊谷銀映/銀座映画劇場/熊谷シネマ1・2・3/熊谷シネプラザ21シネマ1・2・3/熊谷シネプラザ21シネマ1・2・3・4
所在地 : 埼玉県熊谷市星川通(1956年・1957年・1958年)、埼玉県熊谷市熊谷3260(1960年・1963年・1966年・1969年)、埼玉県熊谷市熊谷3261(1973年・1975年)、埼玉県熊谷市星川2-41(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 2003年9月30日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「熊谷銀座映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「熊谷銀座映劇」。1971年の住宅地図では「銀映」。1973年・1975年の映画館名簿では「熊谷銀映」。1980年の映画館名簿では「銀座映画劇場」。1985年の映画館名簿では「熊谷シネマ1・2・3」(3館)。1990年・1995年の映画館名簿では「熊谷シネプラザ21シネマ1・2・3」(3館)。2000年の映画館名簿では「熊谷シネプラザ21シネマ1・2・3・4」(4館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。映画館があったグートビルは現存。後継館はシネティアラ21。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。
ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷/イオンシネマ熊谷
所在地 : 埼玉県熊谷市本石2-135 熊谷サティ4階(2005年・2010年)、埼玉県熊谷市本石2-135 イオン熊谷店4階(2015年・2020年)
開館年 : 2000年11月16日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷1-8」(8館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ熊谷1-8」(8館)。最寄駅は秩父鉄道秩父本線上熊谷駅。

2000年11月7日の『埼玉新聞』には、11月16日に8スクリーンの映画館を有する熊谷サティが開館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*14

2000年11月16日、熊谷市本石2-135 熊谷サティ4階に「ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷」が開館した。8スクリーンを有する。*15
シネティアラ21
所在地 : 埼玉県熊谷市筑波3-202 ティアラビル8階(2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2004年11月20日
閉館年 : 営業中
前身は熊谷シネプラザ21。2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「シネティアラ21シネマ1-8」(8館)。最寄駅はJR上越新幹線・高崎線熊谷駅。