所在地 : 福島県会津若松市栄町2-7(1973年)、福島県会津若松市栄町2-6(1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2008年)
開館年 : 1970年以後1973年以前、1988年頃(3館化)
閉館年 : 2008年12月21日
1970年の住宅地図では後の若松東映栄楽座の場所に「洋画日活」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1975年の映画館名簿では「若松東映栄楽座」。1976年の日興住宅地図では「若松東映」。1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「若松東映栄楽座・若松みゆき座」(2館)。1985年の住宅地図では「第2栄楽ビル 4階みゆき座 栄楽座」。1989年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「若松東映栄楽座・若松みゆき座・若松栄楽プラザ」(3館)。1997年の住宅地図では「栄楽第2ビル 1階栄楽プラザ劇場 株式会社栄楽座事務所 長谷川興業 4階・5階 みゆき座 東映栄楽座 株式会社栄楽座不動産管理部」。跡地は「栄楽座月極駐車場」。最寄駅はJR磐越西線七日町駅。
1958年2月18日午後9時50分頃、会津若松市栄町250に「若松東映栄楽座」3階映写室天井付近から出火し、映写室と天井など約100坪を焼いた。旧正月大晦日で徹夜興行を行っており、約1000人の観客がいる満員だったが、発見が早かったため観客は無事だった。経営は長谷川次郎吉。
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明治時代以前の若松には常設芝居小屋「栄楽座」があった。大正初期には活動写真の時代となり、1928年にトーキー映画が導入されると映画全盛期を迎えた。戦後の若松市には約7館の映画館があったが、テレビの普及に押されて斜陽産業となった。栄楽座の経営者である長谷川興行は、2006年現在も栄町花小路の栄楽第二ビル内で3館を営業している。
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2008年12月21日をもって、会津若松市栄町の映画館「会津若松栄楽座」が閉館する。同じビルにある3劇場がすべて閉館する。興行収入が10年前の約3分の1に落ち込んだのが理由。
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2008年12月6日の『福島民友』には「栄楽座」が12月21日で閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2008年12月6日の『福島民報』には「栄楽座」が12月21日で閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2008年12月9日の『河北新報』には福島県の映画館(※見出しでは館名はわからず)が12月21日で閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2008年12月21日をもって、会津若松市の映画館「栄楽座」が105年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終上映作品は『オペラ座の怪人』。3スクリーン計320席を有する。1903年に芝居小屋として開館し、美空ひばりの公演も行われた。近年には不動産部門の収入で映画部門を支えていた。
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2008年12月21日をもって、会津若松市の映画館「栄楽座」が105年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終日には『オペラ座の怪人』など7作品を上映し、普段の2倍以上の観客を集めた。新潟県出身の長谷川次郎吉によって、1903年に芝居興行を行う劇場として開館した。その後無声映画の上映も始め、1960年代には片岡千恵蔵・市川右太衛門・中村錦之助ら東映系作品でにぎわった。1980年代以降には経営状態が悪化し、近年には映画事業の赤字を不動産事業の収入で支えていた。小堀恵子社長。
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2008年12月22日の『福島民友』には「栄楽座」の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。
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2008年12月22日の『福島民報』には「栄楽座」の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。
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