所在地 : 岡山県岡山市東中山下町100(1953年)、岡山県岡山市東中山下(1955年)、岡山県岡山市東中山下100(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、岡山県岡山市東中山下10-30(1973年)、岡山県岡山市中山下1-10-30(1976年)、岡山県岡山市中山下町1-10-30(1980年・1985年)、岡山県岡山市中山下1-10-30(1990年・1995年・2000年・2005年)、岡山県岡山市北区中山下1-10-30(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1950年3月、1958年、1970年(ビル化)、2022年2月1日(岡山メルパ改称)
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 「
ジョリー東宝」
『全国映画館総覧 1955』によると1950年3月開館。1953年の映画館名簿では「岡山セントラル劇場」。1955年の映画館名簿では「岡山セントラル映画劇場」。1958年の映画館名簿では「岡山セントラル映劇」。1960年の映画館名簿では「岡山東宝劇場・岡山地下セントラル劇場」(2館)。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「岡山東宝劇場・岡山セントラル劇場」(2館)。1960年の岡山市住宅案内図では「岡山東宝 地下セントラル」。1969年のゼンリン住宅地図では「岡山東宝 セントラル」。1995年・2000年の映画館名簿では「岡山東宝」。2005年の映画館名簿では「ジョリー岡山東宝」。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「ジョリー東宝」。福武ジョリービル。最寄駅は岡山電気軌道郵便局前停留場。
時期不明の岡山市にあった「岡山セントラル映画劇場」の写真あり。中山下の公会堂通りにあった。2019年現在のジョリー東宝の前身である。戦後には連合国軍総司令部(GHQ)の外郭団体としてセントラル映画社が設けられた、同社から配給されたアメリカ映画を上映する館は「セントラル」という名前を冠することが多かった。
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1955年頃の「セントラル」の写真あり。「CENTRA●」の文字が見える。『私は告白する』の看板が見える。
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1958年8月1日、岡山市に「岡山セントラル映劇」が開館する予定。2月から大改築を行っていた。鉄骨鉄筋造、地下1階・地上2階建て。地上は洋邦画両立の「岡山東宝」。経営は福武興業社。これまで東宝封切館だった「大福座」は東宝二番館となった。岡山市の常設映画館は25館となった。
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1958年8月3日、岡山市東中山下に福武興業社の映画ビルが開館した。地上4階・地下1階建て、鉄骨鉄筋造、建坪483坪。「岡山東宝劇場」「地下セントラル劇場」の2館が入っている。東宝封切館の岡山東宝劇場は4階にあり、収容人員800。洋画封切館の地下セントラルは地下1階にあり、収容人員350。
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1960年3月第1週、岡山市東中山下の「地下セントラル劇場」は「東映セントラル」に改称して第二東映上映館に転向した。経営は福武興業。
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1960年6月15日、岡山市東中山下の「東映セントラル」は「岡山セントラル」に改称して洋画上映館となった。経営は福武興業社。支配人は秋政忠治。
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1958年の岡山市にあった福武ビルの写真あり。喜劇映画『駅前旅館』の看板が見える。主に邦画を上映する「岡山東宝」が入っており、地下には洋画専門の「岡山セントラル劇場」もあった。2012年現在は福武ジョリービルが建っており、5階には映画館「ジョリー東宝」が入っている。
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1963年9月の岡山東宝前の写真あり。「東宝映画第一封切」の文字が見える。いずれも久松静児監督作の『丼池』や『わんぱく天使』の看板が見える。
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2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。