所在地 : 神奈川県横浜市中区住吉町5-59(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1956年3月27日
閉館年 : 2001年11月29日
Wikipedia :
横浜東宝会館
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・東宝シネマ・東宝名画座」(4館)。1966年・1969年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ劇場・横浜東宝名画座」(4館)。1973年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ・横浜東宝名画座」(4館)。1975年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ・横浜東宝名画」(4館)。1978年の映画館名簿では「横浜東宝・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ・横浜東宝名画」(4館)。1980年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ・横浜東宝名画座」(4館)。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜東宝エルム・横浜東宝シネマ1・2・横浜スカラ座」(5館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は横浜東宝会館。跡地は「リッチモンドホテル横浜馬車道」。最寄駅はJR根岸線・横浜市営地下鉄ブルーライン関内駅。
1956年3月27日、横浜市中区住吉町に「横浜東宝会館」が開館した。同日には会館内の横浜スカラ座で開場式が行われ、東宝副社長の寺本熊俊、神奈川県知事の内山岩太郎、横浜市長の平沼亮三らが出席した。13時から4館そろって本興行に入った。鉄筋造、地上5階・地下2階建て。延床面積1999坪。4劇場が入っており、1階から3階が「横浜東宝劇場」、4階と5階が「横浜スカラ座」、地下1階と2階は「東宝シネマ」と「東宝名画座」。東宝の子会社である株式会社横浜東宝会館が経営する。
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1956年頃の横浜市中区の住吉町方面の写真あり。中央奥に「横浜東宝会館」の看板が見える。1956年、住吉町5丁目に横浜東宝会館が開館した。地上4階・地下1階建てのビルである。
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1958年10月22日、横浜市の「横浜スカラ座」(TY横浜東宝会館)はロードショー劇場として再発足する。オープニングは『野ばら』。ロードショー劇場の「横浜宝塚劇場」はTY封切館に転向する。
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1959年の住吉町5丁目角にあった馬車道通りの映画館前の写真あり。「東宝劇場」「東宝名画座」「東宝シネマ」「スカラ座」が入っていた。東宝劇場では『私は貝になりたい』と『おしゃべり奥様』を上映している。東宝名画座では『インカ王国の秘宝』を上映している。東宝シネマでは『いたづら』を上映している。スカラ座では『底抜け慰問屋行ったり来たり』を上映している。
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1964年頃の横浜市中区の馬車道の写真あり。現在の木下商事ビルから馬車道交差点越しに馬車道を眺めている。右奥には1956年開館の「横浜東宝会館」がある。
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2001年11月30日の『神奈川新聞』には「横浜東宝会館」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。
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2001年11月29日、横浜市中区住吉町5丁目の映画館「横浜東宝会館」が閉館した。1956年3月に開館し、美空ひばりら主演の『ひばり・チエミ・いづみのじゃんけん娘』やソフィア・ローレン主演の『河の女』がオープニング作品だった。ひとつの建物に複数館が入っているのは画期的であり、当時はまだスタジアム形式の座席は珍しかった。
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「横浜東宝会館」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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