所在地 : 宮崎県延岡市春日町(1934年・1936年)、宮崎県延岡市春日館通り(1941年)、宮崎県延岡市春日町(1943年・1947年)、宮崎県延岡市南三ツ瀬52(1955年)、宮崎県延岡市南三ツ瀬町(1958年)、宮崎県延岡市三ツ瀬町(1960年・1963年)、宮崎県延岡市春日町2丁目(1964年)
開館年 : 1930年7月4日、1952年10月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「春日館」。1947年・1950年・1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「春日館」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
1956年5月15日、延岡市中川原に「第二春日館」が開館した。総工費350万円。建坪83坪。ブロック平屋建て。定員250人。映写機はローヤル、発声器はナイコ―。スクリーンは横26尺×縦11尺。洋画各社の再映館。経営者は谷本三慶。
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1930年7月4日、延岡町に映画常設館「春日館」が松本東名義で建築された。資本金5万円で株式会社春日館が設立され、映画館を中心として商店街を築く構想があった。花街と並行する東西の道路沿いに商店街が形成され、春日館通りと称された。春日館通りは戦災によって大部分が焼失した。
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1930年7月4日、延岡町に映画常設館「春日館」が松本東名義で建築された。資本金5万円で株式会社春日館が設立され、映画館を中心として商店街を築く構想があった。花街と並行する東西の道路沿いに商店街が形成され、春日館通りと称された。春日館通りは戦災によって大部分が焼失した。
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1945年の戦災によって、延岡市の映画館「春日館」や春日館通りは焼失した。1950年には春日館跡地に映画館「新世界」が建設され、2月23日・24日にこけら落としが行われた。春日館通りから新世界通りに改称し、1952年5月4日には戦後の延岡市において初めてネオンを灯した。その後新世界が春日館に改称し、商店街の名称も再び春日館通り商店街となった。
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