所在地 : 兵庫県川辺郡伊丹町(1930年・1936年)、兵庫県伊丹市三本松(1941年)、兵庫県伊丹市伊丹桜崎(1943年)、兵庫県伊丹市伊34番地(1950年)、兵庫県伊丹市西宮町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市伊丹34(1958年)、兵庫県伊丹市宮西町34(1960年)、兵庫県伊丹市伊丹字桜崎34(1963年)、兵庫県伊丹市宮西町34(1964年)
開館年 : 1912年頃
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1941年・1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「伊丹劇場」。1964年の住宅地図では「伊丹劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の住宅地図では跡地に「伊丹ミュージック」。1972年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地はマンション「スカイハイムプレジデント伊丹」など。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
1935年頃の伊丹劇場の写真あり。1907年頃、現在の伊丹字桜崎34番地に今北金次郎ら7人が出資して芝居小屋「七福座」が建築された。建物は切妻、瓦葺、妻入の木造2階建てだった。2階席を含めて700人から800人が入場できた。正面入口は北側だった。直径約4間の廻り舞台があった。大正末期に黒木某が支配人になると「伊丹劇場」に改称され、映画館としての性格を強めた。太平洋戦争後には芝居が行われなくなり、映画館として存続した。1960年から1961年には経営者が後退し、ストリップ劇場「伊丹ミュージック」となった。1970年に閉鎖され、取り壊された。1978年現在の跡地はモータープールとなっている。
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伊丹劇場のこけら落としの写真あり。1935年頃の伊丹劇場の写真あり。伊丹市の常設劇場としては「伊丹劇場」(前身は七福座)、「寿座」、「旭座」があり、歌舞伎などが巡業してきた。
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1935年頃の伊丹劇場の写真あり。明治時代、猪名野神社の境内を入ってすぐ東側にあるあじさいセンター付近には「有岡座」という芝居小屋があった。1902年12月に850人収容の劇場として開館したが、1909年1月23日に失火で焼失した。その後、三本松遊廓跡地付近の櫻崎34番地には歌舞伎の芝居小屋「七福座」が開館した。木造2階建て、面積約300坪の劇場であり、直径7メートルの廻り舞台があった。舞台の下手には花道があり、花道にも舞台にもせり出しがあった。客席は中央部が桝席であり、両側が桟敷席だった。収容人数は2階も含めて500人から600人であり、舞台の真上の2階が楽屋だった。大正末期には「伊丹劇場」に改称し、映画館としての性格を強めた。戦後の伊丹劇場は映画専門館となった。1960年から1961年頃には「伊丹ミュージック」に改称してストリップ劇場となった。1970年の大阪万博を機に閉館して取り壊された。
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1967年、伊丹市のストリップ劇場「伊丹ミュージック劇場」の入場料が1500円に上がる。ワリバシのそれ突け、やれ突けなどの特別ショーのため。1970年、兵庫県警の摘発を受けて閉館した。
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1902年には猪名野神社の参道東側に芝居小屋「有岡座」が建てられたが、1909年に焼失した。1912年頃、今北金次郎ら7人が出資して猪名野神社の南西に芝居小屋「七福座」が建てられた。周辺地域では池田の「呉服座」と並ぶ芝居小屋とされ、歌舞伎の興行などが行われた。大正末期に派支配人が変わって「伊丹劇場」に改称した。1960年頃に経営者が変わって映画館ではなくなり、1970年に閉鎖されて取り壊された。
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