日本の映画館の総合データベースです。

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* 宮崎市
宮崎市は[[宮崎市の映画館]]を参照。

* 都城市
都城市は[[都城市の映画館]]を参照。

* 延岡市
延岡市は[[延岡市の映画館]]を参照。

* 県北
** 日向市
*** 細島文化劇場
所在地 : 宮崎県東臼杵郡富島町細(1947年)、宮崎県東臼杵郡富島町細島730(1950年)、宮崎県日向市富島町細島(1953年)、宮崎県日向市細島町(1954年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1954年頃
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1954年の映画館名簿では「細島文化劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 福興館/日向東映
所在地 : 宮崎県東臼杵郡富島町(1943年)、宮崎県日向市富島町(1953年)、宮崎県日向市上町(1955年・1958年)、宮崎県日向市富高上町(1960年)、宮崎県日向市上町1丁目(1962年)
開館年 : 1941年以後1943年以前、1949年12月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「福興館」。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「福興館」。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「日向東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 新町クラブ
所在地 : 宮崎県日向市美々津町(1960年・1962年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1962年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「新町クラブ」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 美々津映劇
所在地 : 宮崎県日向市美々津町(1960年・1962年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1962年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「美々津映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 富島映画劇場/富島映劇/日向映劇
所在地 : 宮崎県日向市富島町(1953年・1955年)、宮崎県日向市上町2-2(1958年)、宮崎県日向市富高上町2-2(1960年)、宮崎県日向市上町2-2(1962年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1962年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「富島映画劇場」。1955年の映画館名簿では「富島映劇」。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「日向映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 有楽映劇
所在地 : 宮崎県日向市上町2-3(1958年)、宮崎県日向市富高上町2-24(1960年)、宮崎県日向市上町2-24(1962年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1962年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「有楽映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 宝塚劇場/宝塚映劇
所在地 : 宮崎県日向市富高上町旭通(1960年)、宮崎県日向市旭通1丁目(1963年・1964年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1964年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「宝塚劇場」。1964年の映画館名簿では「宝塚映劇」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 宝映劇場/宝映劇/日向宝映画劇場
所在地 : 宮崎県日向市細島町(1956年・1958年・1960年・1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1967年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「宝映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「宝映劇場」。1963年の映画館名簿では「宝映劇」。1966年・1967年の映画館名簿では「日向宝映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 日向グランド映画劇場(旧)
所在地 : 宮崎県日向市上町(1966年・1969年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1969年頃
1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「日向グランド映画劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 日向東宝記念館/日向記念館
所在地 : 宮崎県日向市上町41(1962年・1963年・1966年)、宮崎県日向市上町14-7(1969年・1971年・1972年)
開館年 : 1961年頃
閉館年 : 1972年頃
1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年・1963年・1966年の映画館名簿では「日向記念館」。1969年・1970年の映画館名簿では「日向東宝記念館」。1971年・1972年の映画館名簿では「日向記念館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 文化会館第一劇場・文化会館第二劇場/日向文化第一劇場・日向文化第二劇場/日向第一文化・日向第二文化
所在地 : 宮崎県日向市中町(1962年)、宮崎県日向市中町7957(1963年・1966年・1969年・1973年)、宮崎県日向市本町9-15(1975年・1978年・1980年・1981年)
開館年 : 1961年頃
閉館年 : 1981年頃
1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年・1963年の映画館名簿では「文化会館第一劇場・文化会館第二劇場」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「日向文化第一劇場・日向文化第二劇場」(2館)。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「日向第一文化・日向第二文化」(2館)。1981年の映画館名簿では「日向第1文化・日向第2文化」(2館)。1982年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 日向グランド劇場・日向シネマ/日向グランド・日向シネマ
所在地 : 宮崎県日向市上町14-7(1970年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1969年頃
閉館年 : 1985年頃
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の映画館名簿では「日向グランド映劇・日向シネマ」(2館)。1973年の映画館名簿では「日向グランド劇場・日向シネマ」(2館)。1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「日向グランド・日向シネマ」(2館)。1986年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。日向市最後の従来型映画館。跡地は「ホテルメリッサ日向」すぐ東の道路用地。2000年代の区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。最寄駅はJR日豊本線日向市駅。

*** シネスクリーンアスティ1・2/シネスクリーンアスティ1
所在地 : 宮崎県日向市都町10754-11(1988年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1987年10月14日
閉館年 : 2000年頃
1986年の映画館名簿には掲載されていない。1988年・1990年の映画館名簿では「シネスクリーンアスティ1・2」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「シネスクリーンアスティ1」。2001年の映画館名簿には掲載されていない。2スクリーン176席のビデオシアター。アスティ日向寿屋3階。日向市最後の映画館。建物のアスティ日向寿屋はスーパーセンタートライアル日向店として現存。最寄駅はJR日豊本線日向市駅。

** 東臼杵郡門川町
*** 米金座
所在地 : 宮崎県東臼杵郡門川町大字尾末1888(1950年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「米金座」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 門川映劇/門川映画劇場
所在地 : 宮崎県東臼杵郡門川町(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、宮崎県東臼杵郡門川町1888(1966年)
開館年 : 1946年2月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年2月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「門川映劇」。1953年の映画館名簿では「門川映画劇場」。1955年の映画館名簿では「門川映劇」。1958年の映画館名簿では「門川映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「門川映劇」。1966年の映画館名簿では「門川映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

** 東臼杵郡諸塚村
*** 諸塚映劇
所在地 : 宮崎県東臼杵郡諸塚村(1961年・1962年・1963年・1965年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1965年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年・1962年・1963年・1965年の映画館名簿では「諸塚映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

** 東臼杵郡椎葉村
*** 椎葉銀映
所在地 : 宮崎県東臼杵郡椎葉村(1956年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1956年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「椎葉銀映」。1956年の映画館名簿では経営者が白井鴨刀、支配人が記載なし、構造が記載なし、定員が記載なし、邦画を上映。1957年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「椎葉村国民健康保険病院」付近。最寄駅はJR日豊本線日向駅。

*** 電気館/富士映劇
所在地 : 宮崎県東臼杵郡椎葉村(1956年・1957年・1958年)、宮崎県東臼杵郡椎葉村1825(1959年・1960年)、宮崎県東臼杵郡椎葉村(1961年・1962年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年の映画館名簿では「電気館」。1956年の映画館名簿では「椎葉銀映」。1956年の映画館名簿では経営者が谷本三慶、支配人が藤川良、木造1階、定員146、邦画・洋画を上映。1959年・1960年・1961年・1962年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「富士映劇」。1959年・1960年の映画館名簿では経営者が藤川ツユ子、支配人が藤川良、木造1階、定員146、東映・日活・松竹を上映。1961年の映画館名簿では経営者が藤川良、支配人が記載なし、木造1階暖房付、定員144、邦画を上映。1962年の映画館名簿では経営者が藤川良、支配人が記載なし、木造1階暖房付、定員200、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「椎葉民俗芸能博物館」付近。最寄駅はJR日豊本線日向駅。

** 東臼杵郡美郷町
映画館名簿によると東臼杵郡美郷町に映画館は存在しなかったと思われる。

** 西臼杵郡高千穂町
*** 岩戸映画劇場/岩戸映劇
所在地 : 宮崎県西臼杵郡岩戸村(1953年・1955年)
開館年 : 1950年1月
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年1月開館。1953年の映画館名簿では「岩戸映画劇場」。1955年の映画館名簿では「岩戸映劇」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 高千穂映劇/朝日映劇
所在地 : 宮崎県西臼杵郡高千穂町(1953年・1955年・1959年・1960年)
開館年 : 1946年4月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年4月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「高千穂映劇」。1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「朝日映劇」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 喜楽館/高千穂喜楽館
所在地 : 宮崎県西臼杵郡高千穂町(1953年・1955年・1958年)、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井(1960年)、宮崎県西臼杵郡高千穂町(1963年・1966年・1969年・1973年)、宮崎県西臼杵郡高千穂町789(1975年・1978年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1978年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「喜楽館」。1966年・1969年の映画館名簿では「高千穂喜楽座」。1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「高千穂喜楽館」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。

1916年、高千穂町に今長国吉と田尻藤四郎によって、洋風建築の宴会場「高千穂クラブ」が建った。1972年現在の喜楽館の場所である。((『高千穂町史 年表』高千穂町、1972年、p.92))

** 西臼杵郡日之影町
*** 日の影劇場/日之影映劇
所在地 : 宮崎県西臼杵郡日之影町(1955年・1958年)、宮崎県西臼杵郡日之影町3464(1960年)、宮崎県西臼杵郡日之影町(1963年・1965年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「日の影劇場」。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「日之影映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

** 西臼杵郡五ヶ瀬町
映画館名簿によると西臼杵郡五ヶ瀬町に映画館は存在しなかったと思われる。

* 県央
** 西都市
*** 札の元映劇
所在地 : 宮崎県西都市三納(1960年・1961年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1961年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年の映画館名簿では「札の元映劇」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 穂北映劇
所在地 : 宮崎県西都市穂北(1960年・1961年)、宮崎県西都市穂北町(1962年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1962年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「穂北映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 光映画劇場/ひかり映劇/光映劇
所在地 : 宮崎県児湯郡妻町(1953年・1955年)、宮崎県児湯郡西都町(1958年)、宮崎県西都市妻町(1960年)、宮崎県西都市妻本町(1963年・1964年)
開館年 : 1952年1月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「光映画劇場」。1955年の映画館名簿では「光映劇」。1958年の映画館名簿では「ひかり映劇」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「光映劇」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

*** サイト東映/西都東映(旧)
所在地 : 宮崎県西都市妻町(1963年・1964年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1964年頃
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「サイト東映」。1964年の映画館名簿では「西都東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 妻映画劇場/妻映劇/妻東映/西都東映(新)/西都東映映画劇場/西都東映劇場
所在地 : 宮崎県児湯郡妻町573(1950年)、宮崎県児湯郡妻町(1953年・1955年)、宮崎県児湯郡西都町(1958年)、宮崎県西都市妻町(1960年・1963年・1964年・1965年)、宮崎県西都市大字妻(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年8月開館。1950年の映画館名簿では「妻映劇」。1953年の映画館名簿では「妻映画劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「妻映劇」。1960年の映画館名簿では「妻東映」。1963年・1964年の映画館名簿では「妻映劇」。1965年の映画館名簿では「西都東映」。1966年の映画館名簿では「西都東映映画劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「西都東映劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。西都市最後の映画館。

** 東諸県郡国富町
*** 中央館(国富町)
所在地 : 宮崎県東諸県郡本庄町(1956年)、宮崎県東諸県郡国富町(1958年・1960年・1962年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1962年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「中央館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 本庄館/本庄映画館/本庄映劇/国富東映
所在地 : 宮崎県東諸県郡本庄町(1950年・1953年・1955年)、宮崎県東諸県郡国富町(1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1950年11月
閉館年 : 1964年頃
1950年の映画館名簿では「本庄館」。1953年の映画館名簿では「本庄映画館」。1955年・1958年の映画館名簿では「本庄映劇」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「国富東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

** 東諸県郡綾町
*** 綾映画/綾映画劇場/綾映劇/中坪映劇
所在地 : 宮崎県東諸県郡綾町329(1956年・1958年)、宮崎県東諸県郡綾町(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「綾映画」。1958年の映画館名簿では「綾映画劇場」。1960年の映画館名簿では「綾映劇」。1963年・1964年の映画館名簿では「中坪映劇」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

** 児湯郡高鍋町
*** 高鍋銀映/銀映/高鍋東映/高鍋銀映映画劇場
所在地 : 宮崎県児湯郡高鍋町(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、宮崎県児湯郡高鍋町東町(1966年)
開館年 : 1951年8月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「高鍋銀映」。1955年の映画館名簿では「銀映」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高鍋東映」。1966年の映画館名簿では「高鍋銀映映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 記念館/高鍋記念館
所在地 : 宮崎県児湯郡高鍋町(1947年)、宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋224(1953年)、宮崎県児湯郡高鍋町(1953年・1958年)、宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋(1960年)、宮崎県児湯郡高鍋町(1963年)、宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋224(1966年・1969年)、宮崎県児湯郡高鍋町(1973年)、宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋224(1975年・1978年・1980年)、宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋224(1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1943年9月
閉館年 : 1987年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1943年9月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「記念館」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「高鍋記念館」。1986年の映画館名簿では経営会社が浜屋興業社、経営者が浜屋昭二、支配人が記載なし、鉄筋造1階、250席、邦画・洋画を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。

** 児湯郡新富町
*** 富田映劇
所在地 : 宮崎県児湯郡新富町(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1964年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「富田映劇」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

** 児湯郡木城町
*** 民衆クラブ
所在地 : 宮崎県児湯郡木城村(1953年・1955年)、宮崎県児湯郡木城村高城(1960年)、宮崎県児湯郡木城村(1963年・1964年)
開館年 : 1947年9月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「民衆クラブ」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「民衆クラブ」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

** 児湯郡川南町
*** 常盤座
所在地 : 宮崎県児湯郡川南村(1953年)、宮崎県児湯郡川南町(1955年・1958年・1960年・1961年)
開館年 : 1944年2月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1944年2月開館。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「常盤座」。1961年の映画館名簿では経営者が岡林壱、支配人が記載なし、木造1階、定員400、東映・日活を上映。1962年の映画館名簿には掲載されていない。

1944年、川南村の常盤地区に劇場「常盤座」が開館した。戦後には映画館となったが、1959年頃に閉館した。((『川南町史』川南町、1983年、p.1046))

1944年には川南村の降下場地区で映画『空の神兵』のロケが行われた。1945年には川南村の「常盤座」でこの作品が封切られた。((『川南町史』川南町、1983年、p.266))

*** 平和館/川南平和館
所在地 : 宮崎県児湯郡川南町(1963年・1966年)
開館年 : 1959年4月
閉館年 : 1969年頃
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「平和館」。1963年の映画館名簿では経営者が浜屋鶴二、支配人が浜屋昭二、木造1階、定員320、邦画・洋画を上映。1966年の映画館名簿では「川南平和館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

戦後の川南町には銀行や高校もでき、「常盤座」と「平和館」という2館の映画館も開館した。((『川南町史』川南町、1983年、p.508))

1959年4月、川南町上垂門に常設映画館「平和館」が開館した。1969年頃に閉館した。((『川南町史』川南町、1983年、p.1063))

** 児湯郡都農町
*** 矢研館/都農矢研館
所在地 : 宮崎県児湯郡都農町(1956年・1958年)、宮崎県児湯郡都農町川北(1960年)、宮崎県児湯郡都農町(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1970年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「矢研館」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「都野矢研館」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 旭座/都農東映/都農東映劇場
所在地 : 宮崎県児湯郡都農町(1943年)、宮崎県児湯郡都農町大字川北5342(1950年)、宮崎県児湯郡都農町(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、宮崎県児湯郡都農町中町(1966年・1969年)、宮崎県児湯郡都農町(1970年・1971年)
開館年 : 1942年8月
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1942年8月開館。1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「旭座」。1963年の映画館名簿では「都農東映」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「都農東映劇場」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。

** 児湯郡西米良村
*** 村所映画劇場
所在地 : 宮崎県児湯郡西米良村村所(1966年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1966年頃
1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「村所映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

* 県西
** 小林市
*** 小林映画劇場/小林映劇/小林南映/日活南映
所在地 : 宮崎県小林市仲町(1953年・1955年)、宮崎県小林市仲町5-3(1958年)、宮崎県小林市仲町(1960年)、宮崎県小林市仲町101-1(1962年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「小林映画劇場」。1955年の映画館名簿では「小林映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「小林南映」。1962年の映画館名簿では「日活南映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1951年12月24日、小林市に「小林映劇」(後の南映)が開館した。1965年頃に閉館した。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、p.1356))

1951年、瀬戸山清方が「小林映劇」の営業を開始した。木造2階建て、560平方メートルの劇場である。1955年には小林映劇が「南映劇場」に改称したが、1965年頃に閉館して大栄百貨店に買収された。跡地は小林家政学院となった。1961年の南映劇場の写真あり。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、pp.1079-1081))

1960年の小林市にあった「南映劇場」(小林南映)の写真あり。仲町周辺には南映劇場のほかに、「瑞穂館」(後の小林東映)、「スバル座」などもあった。1955年頃が映画産業のピークであり、その後はテレビの普及や娯楽の多様化などによって閉館した。最後まで残ったスバル座も1992年に閉館し、小林市から映画館がなくなった。((「[[文化の足跡 写真で見るふるさと 5 こばやしの映画館『南映劇場』>>https://www.city.kobayashi.lg.jp/material/files/group/7/191223150752202003301702127f.pdf]]」『広報こばやし』2020年4月号))

*** 野尻銀映
所在地 : 宮崎県西諸県郡野尻町(1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「野尻銀映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 東雲座/高千穂劇場/瑞穂館/小林東映/小林東映映画劇場
所在地 : 宮崎県西諸県郡小林町(1936年)、宮崎県西諸県郡小林町仲町(1943年)、宮崎県西諸県郡小林町(1947年)、宮崎県西諸県郡小林町大字細野1601(1950年)、宮崎県小林市鈴蘭通(1953年)、宮崎県小林市仲町(1955年)、宮崎県小林市仲町5-3(1958年)、宮崎県小林市仲町(1960年)、宮崎県小林市仲町101-1(1963年)、宮崎県小林市仲町5-3(1966年)
開館年 : 1937年12月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1941年12月開館。1936年の映画館名簿では「東雲座」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「瑞穂館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「小林東映」。1966年の映画館名簿では「小林東映映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

1912年の国鉄宮崎線(後のJR吉都線)開通後、大正時代には西旭通りの郵便局付近に劇場「東雲座」が開館したが、1927年の小林大火の前後に廃絶した。1937年12月、仲町に(同名の)「東雲座」(東雲劇場)が開館した。後の「高千穂劇場」(瑞穂館)である。後方の2階席、花道、人力の廻り舞台などを有する本格的な劇場だった。芝居・浪曲・その他の実演物などの興行が行われ、小林市唯一の常設映画館でもあった。1949年4月には瑞穂館の通りに鈴蘭灯が設置されて鈴蘭通りと名付けられた。1953年には福岡の倉石興業が松尾興業から瑞穂館と「スバル座」を買収し、1957年には瑞穂館が「小林東映」に改称した。1966年には小林東映が閉館し、1967年には建物が取り壊された。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、pp.1079-1081))

1960年の小林市にあった「南映劇場」(小林南映)の写真あり。仲町周辺には南映劇場のほかに、「瑞穂館」(後の小林東映)、「スバル座」などもあった。1955年頃が映画産業のピークであり、その後はテレビの普及や娯楽の多様化などによって閉館した。最後まで残ったスバル座も1992年に閉館し、小林市から映画館がなくなった。((「[[文化の足跡 写真で見るふるさと 5 こばやしの映画館『南映劇場』>>https://www.city.kobayashi.lg.jp/material/files/group/7/191223150752202003301702127f.pdf]]」『広報こばやし』2020年4月号))

*** 公楽映劇/小林公楽映画劇場
所在地 : 宮崎県小林市西旭通(1963年)、宮崎県小林市本町区西旭通(1966年・1967年)
開館年 : 1961年
閉館年 : 1964年
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「公楽映劇」。1966年・1967年の映画館名簿では「小林公楽映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。

1961年、小林市の西旭通りに地元資本の常設映画館「公楽」が開館した。鉄筋造平屋建て、300平方メートルの劇場である。わずか3年後の1964年に閉館した。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、pp.1079-1081))

*** スバル座/小林スバル座
所在地 : 宮崎県小林市鈴蘭通(1953年)、宮崎県小林市細野128-3(1955年)、宮崎県小林市仲町5-3(1958年)、宮崎県小林市仲町(1960年)、宮崎県小林市仲町101-1(1963年・1966年・1969年・1973年)、宮崎県小林市仲町1-2(1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年・1993年)
開館年 : 1951年5月5日
開館年 : 1950年5月
閉館年 : 1992年10月
『全国映画館総覧 1955』によると1950年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スバル座」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年・1993年の映画館名簿では「小林スバル座」。1992年の映画館名簿では経営者が倉石秀子、支配人が倉石謙、鉄筋造1階、250席、邦画・洋画を上映。1994年の映画館名簿には掲載されていない。小林市最後の映画館。

1951年5月5日、小林市に映画館「スバル座」が開館した。1992年9月に閉館した。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、p.1355))

1951年5月、小林市に松尾興業が映画専門館「スバル座」を開館させた。平屋建て、約300平方メートルの劇場である。1953年には福岡の倉石興業が松尾興業から「瑞穂館」とスバル座を買収し、スバル座を増築した。昭和40年代以降の小林市にあった映画館はスバル座のみであり、1969年から1970年頃には断続的な上映となった。スバル座は1992年10月に営業を終了し、建物も取り壊された。((小林市史編纂委員会『小林市史 第3巻 戦後編』小林市、2000年、pp.1079-1081))

1960年の小林市にあった「南映劇場」(小林南映)の写真あり。仲町周辺には南映劇場のほかに、「瑞穂館」(後の小林東映)、「スバル座」などもあった。1955年頃が映画産業のピークであり、その後はテレビの普及や娯楽の多様化などによって閉館した。最後まで残ったスバル座も1992年に閉館し、小林市から映画館がなくなった。((「[[文化の足跡 写真で見るふるさと 5 こばやしの映画館『南映劇場』>>https://www.city.kobayashi.lg.jp/material/files/group/7/191223150752202003301702127f.pdf]]」『広報こばやし』2020年4月号))

** えびの市
*** ふじ小劇場
所在地 : 宮崎県西諸県郡加久藤町(1960年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1960年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「ふじ小劇場」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 泉都映劇/泉都東映
所在地 : 宮崎県西諸県郡真幸町748(1956年・1958年)、宮崎県西諸県郡真幸町京町(1960年)、宮崎県西諸県郡真幸町(1961年・1962年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1962年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年・1960年の映画館名簿では「泉都映劇」。1961年・1962年の映画館名簿では「泉都東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 中央館/中央映劇
所在地 : 宮崎県西諸県郡飯野町原田(1960年)、宮崎県西諸県郡飯野町(1963年・1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「中央館」。1965年の映画館名簿では「中央映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 飯野映画劇場/飯野映劇
所在地 : 宮崎県西諸県郡飯野町(1953年・1955年・1958年)、宮崎県西諸県郡飯野町原田(1959年・1960年)、宮崎県西諸県郡飯野町(1963年・1965年)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1953年の映画館名簿では「飯野映画劇場」。1955年・1958年・1959年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「飯野映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 京町映劇/京町東映
所在地 : 宮崎県西諸県郡真幸町952(1959年)、宮崎県西諸県真幸町向江(1960年)、宮崎県西諸県郡真幸町(1963年・1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「京町映劇」。1963年・1965年の映画館名簿では「京町東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

** 北諸県郡三股町
映画館名簿によると北諸県郡三股町には映画館が存在しなかったと思われる。

** 西諸県郡高原町
*** 高原映劇
所在地 : 宮崎県西諸県郡高原町(1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「高原映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

* 県南
** 日南市
*** 涛声館
所在地 : 宮崎県南那珂郡油津町(1930年・1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「涛声館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。

『目で見る 宮崎・日南・串間の100年』郷土出版社、2001年には「涛声館」が掲載されている。現物は未確認。((『目で見る 宮崎・日南・串間の100年』郷土出版社、2001年、p.78))

*** 福島劇場/福島映画劇場/福島映劇
所在地 : 宮崎県南那珂郡福島町仲町(1950年)、宮崎県南那珂郡福島町(1953年・1955年)
開館年 : 1946年6月
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「福島劇場」。1953年の映画館名簿では「福島映画劇場」。1955年の映画館名簿では「福島映劇」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 油津劇場/油津映画劇場/油津映劇/油津東映
所在地 : 宮崎県南那珂郡油津町244(1950年)、宮崎県日南市油津岩崎(1953年)、宮崎県日南市油津町下東(1955年)、宮崎県日南市油津町(1956年・1957年)
開館年 : 1946年3月
閉館年 : 1957年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年3月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「油津劇場」。1953年の映画館名簿では「油津映画劇場」。1955年の映画館名簿では「油津映劇」。1956年・1957年の映画館名簿では「油津東映」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 日南小劇
所在地 : 宮崎県日南市油津材木町(1958年)
開館年 : 1955年2月3日
閉館年 : 1958年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「日南小劇」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年2月3日、日南市油津材木町の堀川べりに小劇場「材木座」が開館した。材木町商店会の発展策の一つとして、商店会員が計150万円の建設費を出して倉庫を改築した。芝居、浪曲、漫才などを主とする予定。((「油津に小劇場『材木座』誕生」『日向新聞』1955年2月6日))

*** 中央劇場
所在地 : 宮崎県日南市吾田町(1957年・1958年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1958年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「中央映劇」。1958年の映画館名簿では「中央劇場」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 外浦映劇
所在地 : 宮崎県南那珂郡南郷町外浦(1959年・1960年)、宮崎県南那珂郡南郷町(1962年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1962年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1962年の映画館名簿では「外浦映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 目井津劇場/目井津映劇
所在地 : 宮崎県南那珂郡南郷町(1953年・1955年)、宮崎県南那珂郡南郷町目井津(1960年)、宮崎県南那珂郡南郷町(1962年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「目井津劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「目井津映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** リバー映劇
所在地 : 宮崎県日南市油津町(1959年・1960年・1962年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1962年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1962年の映画館名簿では「リバー映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 大堂津映画劇場/大堂津映劇
所在地 : 宮崎県南那珂郡細田町(1953年・1955年)、宮崎県日南市大堂津(1960年・1962年)
開館年 : 1948年3月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「大堂津映画劇場」。1955年の映画館名簿では「大堂津映画劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「大堂津映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 共楽館/共楽映劇/大洋映劇(旭通)
所在地 : 宮崎県南那珂郡油津町旭町(1936年)、宮崎県南那珂郡油津町旭通(1941年・1943年)、宮崎県南那珂郡油津町(1947年・1950年)、宮崎県日南市油津岩崎(1953年)、宮崎県日南市油津町旭通(1955年)、宮崎県日南市油津町(1958年)、宮崎県日南市油津町4080(1960年)、宮崎県日南市旭通(1963年)
開館年 : 1931年12月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1931年12月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「共楽館」。1958年の映画館名簿では「共栄館」。1960年の映画館名簿では「共楽映劇」。1963年の映画館名簿では「大洋映劇」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年11月8日、日南市に洋画専門館「大洋」の新館が開館した。経営者は大田儀治。((日南市史編さん室『日南市誌』日南市、2005年、p.482))

*** 日南第二東映/日南ニュー東映
所在地 : 宮崎県日南市大字平野(1961年・1962年)、宮崎県日南市油津町岩下(1963年・1964年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1964年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「日南第二東映」。1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「日南ニュー東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年現在の日南市には、「日劇」、「大洋」、「日南東映」、「第二東映」、「共楽」、「大劇」、「新劇」、「飫肥東映」、「リバー」の9の映画館がある。日南東映の経営者である湯地健一によって、1960年4月末には日南東映の東隣に10館目の映画館が開館する予定。建設費は約700万円。収容人員は300人。((「軒を並べる映画館 日南に自慢のタネ一つ 数は大都会なみ」『日南新聞』1960年3月13日))

1961年5月1日、日南市の「第二東映」が「ニュー東映」に改称する。((日南市史編さん室『日南市誌』日南市、2005年、p.478))

*** 南明館/飫肥東映
所在地 : 宮崎県南那珂郡飫肥町本町(1947年)、宮崎県南那珂郡飫肥町大字本町4026(1950年)、宮崎県日南市飫肥新町(1953年)、宮崎県日南市本町4026(1955年・1958年)、宮崎県日南市飫肥新町4026(1960年)、宮崎県日南市飫肥下新町(1963年・1965年)
開館年 : 1920年10月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1920年10月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「南明館」。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「飫肥東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1969年10月28日、日南市の「南明館」跡にスーパーマーケットのいろはや飫肥店が開店した。((日南市史編さん室『日南市誌』日南市、2005年、p.464))

*** 新劇/飫肥新劇
所在地 : 宮崎県日南市飫肥町(1958年)、宮崎県日南市飫肥町3984(1960年)、宮崎県日南市飫肥下新町(1963年)、宮崎県日南市飫肥新町(1966年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新劇」。1963年・1966年の映画館名簿では「飫肥新劇」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年6月のこのほど、大田義治は日南市飫肥新町の保健所跡を買い取り、映画館を建設する。これによって油津に5館、飫肥に2館、吾田に1館となる。((日南市史編さん室『日南市誌』日南市、2005年、p.490))

*** 日南東映映画劇場/日南東映劇場/日南東映
所在地 : 宮崎県日南市油津町(1958年・1960年)、宮崎県日南市油津町岩下(1963年)、宮崎県日南市油津町岩崎(1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、宮崎県日南市岩崎3-14-3(1985年・1986年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1986年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日南東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「日南東映映画劇場」。1973年の映画館名簿では「日南東映劇場」。1975年・1978年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「日南東映」。1987年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「天理教東油津分教会」北東60mにある駐車場。

*** 日劇/日南日劇
所在地 : 宮崎県日南市油津町106(1958年)、宮崎県日南市油津町(1960年・1963年)、宮崎県日南市油津町岩崎106(1966年)、宮崎県日南市油津町岩崎1028(1969年)、宮崎県日南市油津町岩崎(1973年・1975年・1978年・1980年)、宮崎県日南市岩崎3-13-5(1985年)、宮崎県日南市岩崎3-13-1(1988年・1989年)
開館年 : 1955年10月15日
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日劇」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「日南日劇」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「オラレ日南専用駐車場」敷地東側。、

1955年10月14日の『日向新聞』には「日劇」の開館広告が掲載されている。「15日開館 皆様の日劇」とある。開館第一弾はディズニー作品『砂漠は生きている』とヘンリー・キング監督作『野性の女』。((「娯楽の殿堂 油津 日劇 会館を祝す!」『日向新聞』1955年10月14日))

*** 大劇/日南大劇
所在地 : 宮崎県日南市油津町岩崎(1955年)、宮崎県日南市油津町106(1958年)、宮崎県日南市油津町(1960年・1963年)、宮崎県日南市大字平野106(1966年)、宮崎県日南市油津町岩崎(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、宮崎県日南市岩崎3-13-1(1985年・1990年)
開館年 : 1952年8月9日
閉館年 : 1990年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大劇」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「日南大劇」。1991年の映画館名簿には掲載されていない。2010年頃取り壊し。跡地は「オラレ日南専用駐車場」敷地西側。

1952年8月9日の『日向新聞』には「大劇映画館」の開館挨拶が掲載されている。開館第一弾はコロムビア映画『無頼漢』と大映作品『振袖狂女』。社長は大田義治、支配人は松田芳英。((「開館御挨拶 大劇映画館」『日向新聞』1952年8月9日))

1961年5月31日、日南市の「大劇」で津川雅彦、岩下志麻、日向三平が挨拶を行った。松竹作品『あの波の果てまで』のロケで訪れており、6月1日から4日まで大堂津で撮影が行われる。日向三平は油津材木町出身である。((日南市史編さん室『日南市誌』日南市、2005年、p.478))

*** 大洋劇場(岩崎)/日南東宝劇場/日南東宝・テアトル日南/日南東宝/テアトル日南/シネマ日南
所在地 : 宮崎県日南市油津町(1961年・1962年・1963年)、宮崎県日南市油津町岩崎106(1966年)、宮崎県日南市油津町岩崎1028(1969年)、宮崎県日南市油津町岩崎(1978年・1980年)、宮崎県日南市岩崎106(1985年)、宮崎県日南市岩崎3-13-1(1986年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 2002年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「大洋劇場」。1962年・1963年・1966年の映画館名簿では「日南東宝」。1969年の映画館名簿では「日南東宝劇場・テアトル日南」(2館)。1973年・1975年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「日南東宝」。1986年の映画館名簿では「テアトル日南」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「テアトル日南」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「シネマ日南」。2003年の映画館名簿には掲載されていない。日南市最後の映画館。跡地は「日南山形屋」南南西170mにある契約駐車場。

** 串間市
*** 福島劇場/福島映画劇場/福島映劇/串間東映(旧)
所在地 : 宮崎県南那珂郡福島町仲町(1950年)、宮崎県南那珂郡福島町(1953年・1955年)、宮崎県串間市福島町(1958年)、宮崎県串間市西方5686(1960年・1961年)
開館年 : 1946年6月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「福島劇場」。1953年の映画館名簿では「福島映画劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「福島映劇」。1960年・1961年の映画館名簿では「串間東映」。

*** 冨士館/日活富士/串間東映(新)
所在地 : 宮崎県串間市泉町7311(1959年・1960年)、宮崎県串間市泉町731(1961年)、宮崎県串間市本町(1962年)、宮崎県串間市仲町(1963年)、宮崎県串間市松清(1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「冨士館」。1961年の映画館名簿では「日活富士」。1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「串間東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 串間大劇/串間東宝/串間東宝映画劇場/串間映画劇場/串間映劇
所在地 : 宮崎県串間市福島町(1962年)、宮崎県串間市仲町(1963年)、宮崎県串間市本町1丁目(1966年・1969年・1973年)、宮崎県串間市本町1-7311(1975年・1978年・1979年)
開館年 : 1961年頃
閉館年 : 1979年頃
1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年の映画館名簿では「串間大劇」。1963年の映画館名簿では「串間東宝」。1966年の映画館名簿では「串間東宝映画劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「串間映画劇場」。1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「串間映劇」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。串間市最後の映画館。

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