閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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* 中村区
** 名古屋駅付近
*** 中村区の映画館
中村区の劇場および映画館(活動写真館)について。大正末期頃には、「大正館」(米屋町、669人収容)、「波溜貴座」(北禰宜町、432人収容)があったのみ。強いて界隈を見渡すならば志摩町2丁目に「寿座」、上畠町に「芦辺館」、西日置町に「日置座」、納屋橋を渡った新柳町に「金輝館」があった程度。1945年(昭和20年)4月には「アロハ会館」(笹島町)、「中村映画劇場」(太閤通)、「希望会館」(泥江町)の3館を数え、その後堀内町3丁目に鉄骨3階建の「メトロ劇場」、船入町4丁目に「中央劇場」と「富士劇場」、堀内町4丁目に「愛知県商工館ホール」等ができた。((中村区制15周年記念協賛会『中村区史』中村区制15周年記念協賛会、1953年、pp.468-469))

新明学区の娯楽施設は以下の通り。~~映画館 アロハ会館 笹島町1丁目1番地~~映画館 メトロ劇場 堀内町3丁目2番地~~映画館 希望会館 泥江町1丁目1番地~~演芸場 中央劇場 船入町4丁目3番地~~映画館 富士劇場 船入町3丁目14番地((中村区制15周年記念協賛会『中村区史』中村区制15周年記念協賛会、1953年、p.550))

*** 中央劇場/中央映画劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区船入町4-3(1953年・1955年・1957年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1960年
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1953年・1955年・1957年の映画館名簿では「中央劇場」。1959年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。基本的には映画館ではなく演芸場。

1948年(昭和23年)には納屋橋の堀川西岸に「中央映画劇場」と「冨士劇場」(※富士ではなく冨士)が開館した。寄席と芝居を行い、昭和20年代には大入り満員の灯が続いた。漫才師の鳳啓助は自身の劇団の名古屋公演の際にはしばしば冨士劇場を訪れたという。大阪の著名人はみな冨士劇場の興行に出演していたという。中央映画劇場は1960年に、冨士劇場は1962年に閉館している。((中日新聞本社社会部『堀川物語』中日新聞本社、1986年、pp.149-151))

*** 富士日活/富士劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区船入町4-1(1957年・1959年・1960年・1961年・1962年・1963年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1962年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「富士日活」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1961年・1962年・1963年の映画館名簿では「富士劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

「富士劇場」は納屋橋の西北角にあった映画館であり、寄席の興行をしていた時期もある。三島由紀夫原作の松竹映画『夏子の冒険』の看板が見える1953年(昭和28年)の写真あり。中村区名駅。((『写真アルバム 名古屋の昭和』樹林舎、2015年、p.229))

1948年(昭和23年)には納屋橋の堀川西岸に「中央映画劇場」と「冨士劇場」(※富士ではなく冨士)が開館した。中央映画劇場は1960年に、冨士劇場は1962年に閉館している。((中日新聞本社社会部『堀川物語』中日新聞本社、1986年、p.149))

*** メトロ劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区堀内町3-2(1955年・1976年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-6-22(1980年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1980年9月26日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「メトロ劇場」。1966年・1969年・1976年・1980年・1981年の映画館名簿では「名古屋メトロ劇場」。1967年・1972年・1977年・1982年のゼンリン住宅地図では「メトロ劇場」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。1982年の住宅地図では「第三堀内ビル(建)」。跡地は「第三堀内ビル」。

戦後の名駅にいち早く開館したのがメトロ劇場であり、バラック建てに近い構造だったが、娯楽に飢えた映画ファンが殺到した。オープニング作品は『ターザンの逆襲』。アロハ会館は名画座的な感覚があった。((KiYOSHi. SAWAi『ミニ娯楽映画史 名古屋・大須界隈の想い出』新風舎、2007年、p.103))

名古屋駅前の映画館「メトロ劇場」所有者の精油会社と、館主の日本ヘラルド映画会社の間で裁判が行われている。1979年1月31日には名古屋高等裁判所で控訴審の判決があり、日本ヘラルドに対して立ち退き料6億4600万円で明け渡しを命じた。((「立ち退き料6億4千余万円で 館主は明け渡せ 名駅前の劇場訴訟 控訴審で所有者勝訴」『中日新聞』1979年1月31日夕刊(夕刊愛知)))

1946年(昭和21年)10月には中村区名駅にメトロ劇場が開館した。当時は戦後復興もままならず、メトロ劇場のモダンな建物がポツンと建っていた。オープニング作品はワイズ・ミュラー主演の『ターザンの猛襲』。娯楽に乏しい当時はたいへんな人気であった。映画フィルムは米軍の統制下にあったため、進駐軍の情報部映画課から配給を受け、配給がアメリカの映画会社に切り替わるのは3年後のことだった。座席数は600だったが、通路までびっしり埋まることもあり、1日9回上映で1日の観客数が1万人を超えたこともあった。1949年(昭和24年)2月には火災で焼失したが、9か月後に3階建ての建物を再建した。1階と2階が観客席、3階が映写室という構造であり、1980年(昭和55年)9月26日の閉館までこの建物だった。西部劇、『バンビ』や『百一匹ワンちゃん大行進』などのディズニー映画など、アメリカ映画を上映した。最終週の上映作品は『ロング・ライダーズ』と『フォクシー・レディ』。館主は日本ヘラルド映画会長の古川為三郎(92)。1980年10月にはもう建物が取り壊される予定であり、15階建てのビルが建設される予定である。((「さらばメトロよ 銀幕戦後史残して ファン惜別、今日限り閉館」『中部読売新聞』1980年9月26日))

1980年10月21日、中村区名駅4丁目の「メトロ劇場」取り壊し現場で、鉄筋コンクリートの壁面が桜通りに向かって崩れ、歩道と3車線をふさぐ形となった。桜通りは交通量が多く、タクシー2台が鉄筋コンクリートの下敷きとなったが、運転手1人が軽いけがをしただけで済んだ。現場は国鉄名古屋駅の近く。((「解体映画館が通りに崩れる 名古屋駅前で車下敷き」『朝日新聞』1980年10月22日))

1946年(昭和21年)に名古屋駅前に洋画専門館のメトロ劇場が開館した。開館当時は名古屋最大の洋画封切館だった。昭和31年の写真あり。((名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『昭和の名古屋 昭和20-40年代』光村推古書院、2015年、p.98))

*** マキノ映画劇場/マキノ映劇/名古屋マキノ映画劇場/マキノ劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区牧野町(1956年)、愛知県名古屋市中村区牧野町56(1958年)、愛知県名古屋市中村区太閤通1-56(1960年・1963年・1966年・1973年・1976年・1978年・1980年・1982年)
開館年 : 1956年7月31日
閉館年 : 1983年4月15日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「マキノ映劇」。1960年の映画館名簿では「マキノ映画劇場」。1963年の映画館名簿では「マキノ映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋マキノ映画劇場」。1967年・1972年・1977年・1982年の住宅地図では「マキノ映劇」。1973年の映画館名簿では「名古屋マキノ劇場」。1976年・1978年・1980年・1982年の映画館名簿では「マキノ劇場」。1983年には同一地点に「ゴールド劇場・シルバー劇場」が開館。

1957年(昭和32年)頃の写真あり。1957年公開の『はやぶさ奉行』の看板がある。「マキノ劇場」は1956年(昭和31年)に開館し、開館当初の座席数は330席。当初は邦画の二番館であり、後に名画座となったが、1983年(昭和58年)頃に閉館した。中村区太閤。((『写真アルバム 名古屋の昭和』樹林舎、2015年、p.229))

1956年(昭和31年)7月31日には中村区牧野町に「マキノ映劇」が開館。((柴田勝『中京 名古屋映画興業の変遷』自費出版、1974年、p.42))

1983年4月15日の『中日新聞』の映画上映案内。「マキノ」は「本日限」とあり『阿部定3世』『痴漢のみち』『美少女 ONANIE』『太く愛して深く愛して』を上映。((「映画上映案内」『中日新聞』1983年4月15日))

1983年4月16日の『中日新聞』の映画上映案内。「マキノ」の欄には「長らくお世話になりました 新館として装いも新たに8月下旬オープン!」とある。((「映画上映案内」『中日新聞』1983年4月16日))

*** 希望会館/名古屋希望会館/テアトル希望会館
所在地 : 愛知県名古屋市中村区泥江町(1949年)、愛知県名古屋市中村区泥江町1-1(1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1973年・1976年・1980年・1982年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-10-23(1983年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1983年6月30日
『全国映画館総覧 1955』によると1948年12月開館。1949年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「希望会館」。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋希望会館」。1971年・1977年・1982年の住宅地図では「テアトル希望」。1973年・1976年・1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「テアトル希望会館」。1982年の住宅地図では「テアトル希望」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図では跡地に「希望パーキング」。現在の跡地は「IMAIビル」。

「テアトル希望」は名古屋駅前の繁華街を少し入った場所にあり、当初は松竹の契約館だったとされる。「実演と映画」をキャッチコピーとし、1972年正月には谷ナオミ劇団が初めて名古屋に来てテアトル希望で公演した。1974年には谷ナオミの一番弟子である東てる美がテアトル希望で実演デビューを飾った。((木全公彦『スクリーンの裾をめくってみれば』作品社、2018年、pp.60-64))

1983年6月30日の『中日新聞』の映画上映案内。「テアトル希望」の欄には「30日限」とあり『孤独な強漢』『犯し魔暴行監禁』『女子学生淫ら縄』を上映。7月1日の映画上映案内にテアトル希望は掲載されていない。((「映画上映案内」『中日新聞』1983年6月30日))

*** 駅前プラザ劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-4-31(1980年・1982年・1985年・1988年・1990年・1992年・1995年・1998年・2000年)
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-4-3 マルケイ観光ビル4階
開館年 : 1978年12月16日
閉館年 : 2000年10月26日
1980年・1982年・1985年・1988年・1990年・1992年・1995年・1998年・2000年の映画館名簿では「駅前プラザ劇場」。1982年・1989年・1990年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 4階駅前プラザ劇場」。1996年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 4階駅前プラザ劇場」。マルケイ観光ビル4階。同一ビルには成人映画館の名古屋駅前にっかつ(後のシネロマン名古屋)もあった。2000年の駅前プラザ劇場閉館後にはシネロマン名古屋が2階から4階に移転した。
1980年の映画館名簿では「駅前プラザ劇場」。1982年・1990年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 4階駅前プラザ劇場」。同一ビルには成人映画館の名古屋駅前にっかつ(後のシネロマン名古屋)もあった。駅前プラザ劇場が閉館したことで、2000年頃にはシネロマン名古屋が2階から4階に移転した。

1978年12月16日、名古屋駅前のマルケイ観光ビル4階にナゴヤ駅前プラザ劇場が開館する。洋画のロードショー館である。開館日の上映作品は『グレートスタントマン』と『ダーティファイター』。毎週土曜日はオールナイト上映あり。((「[[名古屋駅前に洋画ロードショウ劇場 16日(土)堂々オープン ナゴヤ駅前プラザ劇場>>https://twitter.com/toki_darna/status/1073981362036559873?lang=bg]]」『中日新聞』1978年12月14日、夕刊))

2000年10月26日の『中日新聞』の映画上映案内。「駅前プラザ」では『いんらん女房 イク』と『Eカップの女乳くり』と『痴漢電車手のひらで』を「26日迄」上映。((「映画上映案内」『中日新聞』2000年10月26日))

2000年10月27日の『中日新聞』の映画上映案内。「駅前プラザ」の欄には「長い間ご愛顧を頂き有難うございました。10月26日を以て閉館致しました」とある。((「映画上映案内」『中日新聞』2000年10月27日))

*** 名古屋大映/毎日名古屋会館
所在地 : 愛知県名古屋市中村区堀内町4-1(1958年・1960年・1963年)、愛知県名古屋市中村区堀内町4-1 毎日ビル内(1966年・1969年・1973年)、愛知県名古屋市中村区堀内町4-1(1976年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-7-35(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2002年・2003年)
開館年 : 1956年3月31日
閉館年 : 2002年末
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「名古屋大映」。1960年の映画館名簿では「アスター劇場・毎日地下劇場・名古屋大映劇場」(3館)。1963年の映画館名簿では「アスター映画劇場・毎日ホール大劇場・毎日地下劇場・名古屋大映劇場」(4館)。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋アスター映画劇場・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋大映劇場」(4館)。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「名古屋アスター劇場・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(4館)。1982年の住宅地図では「毎日ビル 4階毎日ホール大劇場 地下1階名古屋松竹座 アスター劇場 毎日地下劇場」。1990年の住宅地図では「毎日ビル 4階毎日ホール劇場 地下1階名古屋松竹座 アスター劇場 毎日地下劇場」。跡地は「ミッドランドスクエア」北側。1985年・1988年の映画館名簿では「名古屋アスター映劇・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(4館)。1990年・1995年・1996年・1997年の映画館名簿では「毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(3館)。1996年の住宅地図では「毎日ビル 4階毎日ホール劇場 地下1階名古屋松竹座 グランド3 毎日地下劇場」。1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「グランド6・毎日地下劇場・毎日ホール劇場・名古屋松竹座」(4館)。2003年の映画館名簿では「グランド6」。
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「名古屋大映」。1960年の映画館名簿では「アスター劇場・毎日地下劇場・名古屋大映劇場」(3館)。1963年の映画館名簿では「アスター映画劇場・毎日ホール大劇場・毎日地下劇場・名古屋大映劇場」(4館)。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋アスター映画劇場・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋大映劇場」(4館)。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「名古屋アスター劇場・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(4館)。1982年の住宅地図では「毎日ビル 4階毎日ホール大劇場 地下1階名古屋松竹座 アスター劇場 毎日地下劇場」。1990年の住宅地図では「毎日ビル 4階毎日ホール劇場 地下1階名古屋松竹座 アスター劇場 毎日地下劇場」。跡地は「ミッドランドスクエア」北側。1985年・1988年の映画館名簿では「名古屋アスター映劇・毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(4館)。1990年・1995年・1996年・1997年の映画館名簿では「毎日地下劇場・毎日ホール大劇場・名古屋松竹座」(3館)。1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「グランド6・毎日地下劇場・毎日ホール劇場・名古屋松竹座」(4館)。2003年の映画館名簿では「グランド6」。

1956年3月31日、名古屋市の名古屋駅前にある毎日会館内に「名古屋大映」が開館した。経営は大映株式会社、支配人は日部春太郎。近年には各地で地下劇場が流行している。地下1階・地下2階・地下3階を最大限に活用し、地下とは思えぬほどの設備を有する。定員は1027人であり、東洋一を誇る地下劇場である。((「映画館」『キネマ旬報』1956年6月下旬号、148号))

*** 豊田ビル/グランド
所在地 : 愛知県名古屋市中村区笹島町1-221 豊田ビル(1958年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-221(1960年・1963年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1丁目 豊田ビル内(1966年・1969年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-221 豊田ビル内(1973年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-221((1976年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-7-23(1980年・1985年・1988年・1990年・1995年・2000年・2002年・2003年)
開館年 : 1955年11月
閉館年 : 2002年1月27日(グランド1閉館)、2003年1月(グランド2・3・4・5・6全館閉館)
1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「グランド劇場・ロキシー劇場・地下ニュース劇場」(3館)。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋トヨダ松竹劇場」(3館)。1973年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋トヨダシネマ劇場」(3館)。1976年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋駅前シネマ劇場」(3館)。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋駅前シネマ」(3館)。1982年の住宅地図では豊田ビル「2階グランド劇場 地下1階駅前シネマ ロキシー劇場」。1990年・1995年・1997年の映画館名簿では「グランド1・2・3・4」(4館)。1990年の住宅地図では豊田ビルディングに「2階グランド1 地下1階グランド2・4」、毎日ビルに「地下1階グランド3」。1996年の住宅地図では「豊田ビルディング 地下1階グランド2・4」。1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「グランド1-5」(5館)。2003年の映画館名簿では「グランド2・3・4・5」(4館)。
1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「グランド劇場・ロキシー劇場・地下ニュース劇場」(3館)。1966年・1969年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋トヨダ松竹劇場」(3館)。1973年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋トヨダシネマ劇場」(3館)。1976年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋駅前シネマ劇場」(3館)。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「名古屋ロキシー劇場・名古屋グランド劇場・名古屋駅前シネマ」(3館)。1982年の住宅地図では豊田ビル「2階グランド劇場 地下1階駅前シネマ ロキシー劇場」。1990年・1995年・1997年の映画館名簿では「グランド1・2・3・4」(4館)。1990年の住宅地図では豊田ビルディングに「2階グランド1 地下1階グランド2・4」、毎日ビルに「地下1階グランド3」。1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「グランド1-5」(5館)。2003年の映画館名簿では「グランド2・3・4・5」(4館)。

1947年(昭和22年)のグランド劇場前にあった「柳下水」の写真あり。「柳下水」は名古屋三名水のひとつで、かつては井戸のそばに柳が植わっていたためこの名前で呼ばれた。茶の湯や化粧水に利用された。((名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『昭和の名古屋 昭和20-40年代』光村推古書院、2015年、p.74))

1988年6月11日には、「グランド劇場」が「グランド1」に、「ロキシー劇場」が「グランド2」に、「アスター劇場」が「グランド3」に、「駅前シネマ」が「グランド4」に改称される。((「映画ファンを呼び込めるか 名古屋駅前 館名改称相つぐ」『中日新聞』1988年5月21日))

大手映画興業会社の中日本興業は、名古屋駅前に持つ6劇場の名称を2系列に統合し、「セントラル」や「ロキシー」などの名称が消えることとなった。豊田ビルと毎日ビルにある「グランド」「ロキシー」「アスター」「駅前シネマ」が、それぞれ「グランド1・2・3・4」に改称される。東京や大阪などで同じ番組を提携して上映している劇場はピカデリーなどの名称になっており、系列化を強めてイメージアップを狙う。名古屋駅東側にある映画館は計12館。このうち一番古いのは1955年11月開館のグランド劇場。各館とも作品の内容や傾向はある程度決まっており、アクション作品の多いグランド、女性路線のシネラマ名古屋などとして親しまれてきた。((「懐かしの“小屋名”消える シネラマ、ロキシー…6劇場、系列化で2つに 名古屋の映画館」『中日新聞』1988年5月23日))

2003年1月19日の『中日新聞』の映画上映案内。「グランド」「グランド」「グランド」「グランド」「グランド」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」が掲載されており(※スクリーン番号は記載なし)、「グランド」のうち2つの欄には「19日で閉館致します」とある。((「映画上映案内」『中日新聞』2003年1月19日))

2003年1月30日の『中日新聞』の映画上映案内。「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」「ピカデリー」が掲載されており(※スクリーン番号は記載なし)、「本日センチュリー豊田ビルにピカデリー5・6開館」とある。((「映画上映案内」『中日新聞』2003年1月30日))

*** 名鉄東宝劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区笹島町1-23(1969年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-23 名鉄バスターミナル内(1973年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-23(1976年)、愛知県名古屋市中村区名駅1-2-4(1980年・1985年・1990年・1995年・1998年・2000年・2005年・2006年)
開館年 : 1967年6月、1998年7月11日(2館化)
閉館年 : 2006年2月24日
Wikipedia : [[名鉄東宝>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%89%84%E6%9D%B1%E5%AE%9D]]
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「名鉄東宝劇場」。1982年・1990年の住宅地図では「名鉄バスターミナルビル 名鉄メルサ 6階名鉄東宝劇場」。1996年の住宅地図では「名鉄バスターミナルビル メルサ本館 6階名鉄東宝劇場」。2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「名鉄東宝1・2」(2館)。2004年の住宅地図では「名鉄バスターミナルビル メルサ本館 6階名鉄東宝劇場1・2」。2007年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の住宅地図では「名鉄バスターミナルビル 名鉄百貨店本店メンズ館」。名鉄メルサ6階。「名鉄メルサ」は現存。
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「名鉄東宝劇場」。1982年・1990年の住宅地図では「名鉄バスターミナルビル 名鉄メルサ 6階名鉄東宝劇場」。2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「名鉄東宝1・2」(2館)。2007年の映画館名簿には掲載されていない。名鉄メルサ6階。「名鉄メルサ」は現存。

名古屋駅前の映画館「名鉄東宝」は座席数1034席を有しており、これは中部地方最大だった。しかし、1998年7月11日の『ゴジラ』公開に向けて改修工事を行い、600席の名鉄東宝1と146席の名鉄東宝2に区分される。劇場関係者はニーズに合わせた変化であると語り、改修に合わせてフットスペースと座席の横幅を広げている。((「中部最大の劇場も区分化」『毎日新聞』1998年6月21日))

2006年2月24日、名古屋市中村区名駅にある映画館「名鉄東宝」が閉館する。1967年6月、名鉄百貨店メルサ館6階に1034席で開館した。オープニング作品は『風と共に去りぬ』。洋画大作の上映館であり、「東の日劇、西の北野劇場」と並び称された。『ジュラシック・パーク』を上映した1993年がピークであり、年間入場者数は約41万8000人、興行収入は約7億3700万円だった。これ以後には東海地方に大型シネコンの進出が相次ぎ、観客数や興行収入を減少させた。1998年には540席と146席の2スクリーンに分割した。名宝会館やヘラルドシネプラザなどの老舗映画館が閉館する中で検討していたが、38年の歴史に幕を閉じることとなった。映画評論家の森卓也は「かつては『名鉄東宝にかかる洋画なら超一流』という定評があった。大スクリーンの画面が薄暗かったのが玉にきずだが、独自の信頼や価値を持っていた劇場であり、惜しまれる」と話す。((「消える名門館の灯 名駅『名鉄東宝』 来年2月閉館」『中日新聞』2005年12月24日))

2006年2月24日、名古屋駅前の名鉄百貨店メルサ館にある映画館「名鉄東宝」が閉館する。運営は中部東宝。2005年には名古屋駅地区に10スクリーンのシネコン「109シネマズ名古屋」が開館し、2007年にもシネコン「ミッドランドスクエアシネマ」が開館する予定。1967年に名鉄東宝が開館し、2スクリーン計686席を有する。中部東宝は2005年9月に栄地区のエンゼル東宝を閉館させており、今回エンゼル東宝を閉館させることで従来館をなくし、来年開館させるシネコンに一本化させる。((「名鉄東宝38年の歴史に幕 名駅周辺 シネコン台頭響く 激戦区から撤退」『日本経済新聞』2006年1月11日))

2006年2月24日、名古屋駅前の名鉄東宝が39年の歴史に幕を閉じる。東海地区を代表する映画館として知られた。東宝は4月下旬、岐阜県本巣市に12スクリーンのシネコンを開館させる予定である。1967年、名鉄百貨店内に洋画上映館として開館。最初の上映作品は『風と共に去りぬ』。最多観客数は『ジュラシックパーク』。同作品を上映した1993年の興行収入は7億3700万円にも上った。2番目の観客数は1997年末公開の『タイタニック』。1995年に三重県桑名市に開館したシネコンにはかなり観客を取られた。1998年には改装し、1館を2つに分けた。2005年からは邦画も上映し始めたが観客の減少は食い止められなかった。なお東宝は、2005年9月に栄のエンゼル東宝を閉館させており、2005年12月にはTOHOシネマズ津島を開館させている。2006年4月以降、東宝直営の映画館は6カ所63スクリーンすべてがシネコンとなる。((「東海、シネコン化加速 車社会・愛知、突出した多さ 来月、名鉄東宝が閉館」『朝日新聞』2006年1月27日))

*** ナゴヤ駅前日活/ナゴヤ駅前にっかつ/ロッポニカ名古屋/シネロマン名古屋
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-4-31(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2006年・2007年)
開館年 : 1976年8月
閉館年 : 2007年4月19日
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の映画館名簿では「ナゴヤ駅前日活」。1980年・1985年の映画館名簿では「ナゴヤ駅前にっかつ」。1982年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 2階駅前日活」。1990年の映画館名簿では「ロッポニカ名古屋」。1989年・1990年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 2階ロッポニカ名古屋」。1992年・1995年・2000年・2005年・2006年・2007年の映画館名簿では「シネロマン名古屋」。2004年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 4階シネロマン名古屋」。2008年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の住宅地図では跡地に「マルケイ観光ビル」(※4階はカラオケマンボウ)。開館時はCochi-Pachi2階。2000年頃以降はCochi-Pachi4階。駅前プラザ劇場と同一ビルにあった。
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の映画館名簿では「ナゴヤ駅前日活」。1980年・1985年の映画館名簿では「ナゴヤ駅前にっかつ」。1982年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 2階駅前日活」。1990年の映画館名簿では「ロッポニカ名古屋」。1990年の住宅地図では「マルケイ観光ビル 2階ロッポニカ名古屋」。1992年・1995年・2000年・2005年・2006年・2007年の映画館名簿では「シネロマン名古屋」。2008年の映画館名簿には掲載されていない。ミッドランドスクエアがあるブロックの東側のブロック。開館時はCochi-Pachi2階。2000年頃以降はCochi-Pachi4階。駅前プラザ劇場と同一ビルにあった。

1976年8月に名古屋駅前にっかつとして開館。日活が全国に直営館を開館させて日活ロマンポルノを上映していたころである。日活がロマンポルノの製作を打ち切ると、ロッポニカ名古屋に改称してミニシアター的一般映画を上映したが、1989年以後に新日本映像(エクセスフィルム)が成人映画の製作を開始すると、再び成人映画館に転換した。昭和40年代にはテアトル希望が閉館し、2004年秋には円道寺劇場も閉館したことで、名駅の成人映画館はシネロマン名古屋のみとなった。2007年4月16日をもって閉館した。(※閉館日は誤り。またテアトル希望の閉館時期も誤りの可能性がある)(([[シネロマン名古屋>>http://www.cinema-st.com/adalut/d009.html]] 港町キネマ通り))

2007年4月19日をもって、名駅の日活直営成人映画館「シネロマン名古屋」が閉館する。1976年に「名古屋駅前にっかつ」として開館し、「ロッポニカ名古屋」の名称で一般映画を上映していた時期もあった。名古屋の成人映画館としては2003年に納屋橋劇場が、2005年に円頓寺劇場が閉館しており、残るのは中村映劇、内田橋南映、今池地下劇場の3館。((「映画館『シネロマン』閉館 名古屋」『朝日新聞』2007年4月18日))

2007年4月19日をもってシネロマン名古屋が閉館する。(([[シネロマン名古屋閉館のお知らせ>>http://www.nikkatsu.com/news/200704/000127.html]] 日活、2007年4月2日))

*** セントラル劇場・アロハ劇場/名古屋セントラル劇場・テアトル名古屋/名古屋セントラル劇場・シネラマ名古屋/ピカデリー1・2・3・4/ピカデリー1・2
所在地 : 愛知県名古屋市中村区笹島町1-1(1963年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1丁目 新名古屋ビル(1966年・1969年・1973年)、愛知県名古屋市中村区笹島町1-1(1976年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-8-14(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)、愛知県名古屋市中村区名駅4-8-14 三井ビル北館6階・7階(2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 2010年3月31日(部分閉館)、2016年(完全閉館)
1958年の映画館名簿では「松竹セントラル劇場・アロハ劇場」(2館)。1960年の映画館名簿では「セントラル劇場・アロハ劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「セントラル劇場・テアトル名古屋」(2館)。1966年の映画館名簿では「名古屋セントラル劇場・テアトル名古屋」(2館)。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「名古屋セントラル劇場・シネラマ名古屋」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「名古屋セントラル・シネラマ名古屋」(2館)。1982年の住宅地図では「新名古屋ビル北館 6階セントラル劇場 7階シネラマ名古屋」。1990年の住宅地図では「名古屋三井ビルディング北館 6階ピカデリー2 7階ピカデリー1」。1990年・1995年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。1996年の住宅地図では「名古屋三井ビルディング北館 6階ピカデリー2・3 7階ピカデリー1」。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ピカデリー1・2・3・4」(4館)。2004年の住宅地図では「名古屋三井ビルディング北館 7階ピカデリー1・4 6階ピカデリー2・3」。2010年の住宅地図では跡地に「名古屋三井ビルディング北館」(※7階と6階は空白)。2015年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。
1958年の映画館名簿では「松竹セントラル劇場・アロハ劇場」(2館)。1960年の映画館名簿では「セントラル劇場・アロハ劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「セントラル劇場・テアトル名古屋」(2館)。1966年の映画館名簿では「名古屋セントラル劇場・テアトル名古屋」(2館)。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「名古屋セントラル劇場・シネラマ名古屋」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「名古屋セントラル・シネラマ名古屋」(2館)。1982年の住宅地図では「新名古屋ビル北館 6階セントラル劇場 7階シネラマ名古屋」。1990年の住宅地図では「名古屋三井ビルディング北館 6階ピカデリー2 7階ピカデリー1」。1990年・1995年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ピカデリー1・2・3・4」(4館)。2015年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。

1957年7月1日、名古屋市の新名古屋ビルで「アロハ劇場」と「セントラル劇場」の開館式が行われた。中日本興業の直営。アロハ劇場は7階・8階にあり、定員1100席、スタジアム式、椅子は愛知木工の製品、スクリーンは横60尺×縦27尺。セントラル劇場は6階にあり、定員500席、椅子は愛知木工の連結椅子。7月2日からアロハ劇場ではワーナー・ブラザースの『大荒原』で、セントラル劇場は松竹の『国定忠治』で開館する。セントラルでは7月4日まで高田浩吉、7月5日と6日は北上弥太郎・島崎雪子、7月7日は伴淳・アチャコのアトラクションがつけられる。一昨年11月には隣接する豊田ビルに「グランド」「ロキシー」「ニュース」の3館を開館させている。((「映画館」『キネマ旬報』1957年7月下旬号))

名古屋駅前の三井ビル北館にある中日本興業系列の映画館「シネラマ名古屋」と「セントラル劇場」が、1988年5月21日に「ピカデリー1」と「ピカデリー2」に改称される。同じく中日本興業系列でありトヨタビルと毎日ビル内にある4館も、近々グランド1・2・3・4に改称されることが決定しており、映画館名を同系列で統一する動きが名古屋にも広がっている。この動きは、1985年7月に東京・池袋のサンシャインがビルを改築した際に、映画館を増築してシネマ・サンシャイン機Ν供Ν掘Ν犬箸靴燭里始まり。名古屋では、今年1988年4月29日に東映が中区錦の東映会館2階の「東映ホール」を「東映パラス供廚鵬称している。今年1988年6月11日には、「グランド劇場」が「グランド1」に、「ロキシー劇場」が「グランド2」に、「アスター劇場」が「グランド3」に、「駅前シネマ」が「グランド4」に改称される。((「映画ファンを呼び込めるか 名古屋駅前 館名改称相つぐ」『中日新聞』1988年5月21日))

2010年3月31日、名古屋市中村区名駅4の名古屋三井ビル北館6階と7階にある映画館「ピカデリー1・2・3・4」が閉館する。ビルの老朽化のため、52年の歴史の幕を閉じる。経営は中日本興行。1957年(昭和32年)、6階「セントラル劇場」(現在のピカデリー2)、7階「アロハ映画劇場」(現在のピカデリー1)の2劇場で開館。「アロハ映画劇場」は「テアトル名古屋」や「シネラマ名古屋」という名称だった時期もある。「セントラル劇場」は洋画成人館だった時期もある。1988年(昭和63年)に「ピカデリー1」「ピカデリー2」に。1995年に69席の「ピカデリー3」(6階)、1996年に71席の「ピカデリー4」(7階)を開館させた。((「[[名駅の映画館「ピカデリー」閉館へ ビル老朽化で52年の歴史に幕>>https://meieki.keizai.biz/headline/1089/]]」『名駅経済新聞』2010年3月8日))

2010年3月31日、名古屋市内最古の映画館「ピカデリー1・2・3・4」が閉館する。入居するビルが老朽化したことに加え、2005年と2007年には名古屋駅前にシネコンが相次いで開業して客足が流れていた。1957年、三井ビル北館の6階・7階に「アロハ劇場」「セントラル劇場」として開館。主に松竹系の作品を上映し、1960年の『ベン・ハー』は24万人を動員するなど、名古屋市を代表する映画館として親しまれていた。かつてのピカデリー1は1000席を超え、現在でも名古屋市最大の600席である。スクリーン前に舞台が残る珍しい劇場でもあり、コンサートが開催されたこともあった。3月27日から3月31日には「ありがとうピカデリー」を開催し、『アラビアのロレンス』や『ローマの休日』などの名作を上映する。((「名駅前『ピカデリー』 市民と52年 閉じる銀幕 老朽化・シネコン台頭」『日本経済新聞』2010年3月25日))

*** ゴールド劇場・シルバー劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区太閤1-23-11(1984年・1985年・1988年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年)
開館年 : 1983年8月8日
閉館年 : 2012年2月3日
Wikipedia : [[ゴールド劇場・シルバー劇場>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E5%8A%87%E5%A0%B4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E5%8A%87%E5%A0%B4]]
1982年の住宅地図では後のゴールド劇場・シルバー劇場の場所に「マキノ映劇」と駐車場。1983年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1985年・1988年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「ゴールド劇場・シルバー劇場」(2館)。1989年の住宅地図では「パチンコ旭センターマキノ店 2階ゴールド劇場 シルバー劇場」。1990年の住宅地図では「パチンコ旭センターマキノ 2階ゴールド劇場 シルバー劇場」。1996年の住宅地図では「ゴールド劇場 シルバー劇場 パチンコプラザウエスト」。2004年の住宅地図では「ゴールド劇場 シルバー劇場 ゴールドシルバーカフェ」。2010年の住宅地図では「ゴールド劇場 シルバー劇場 ゴールドシルバーカフェ まんが喫茶マンボー名駅店」。2013年の映画館名簿には掲載されていない。
1982年の住宅地図では後のゴールド劇場・シルバー劇場の場所に「マキノ映劇」と駐車場。1983年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1985年・1988年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「ゴールド劇場・シルバー劇場」(2館)。1990年の住宅地図では「パチンコ旭センターマキノ 2階ゴールド劇場 シルバー劇場」。2013年の映画館名簿には掲載されていない。

1983年8月7日の『中日新聞』の映画上映案内。「ゴールド劇場」「シルバー劇場」の欄には「名駅新幹線口南10メートルにヘラルド興業直営館誕生!」とある。『ゴールド劇場』は「8月8日オープン」であり『細雪』と『楢山節考』を前売り中。『シルバー劇場』は「8月8日オープン」であり『視姦白日夢』他封切2本成人向。((「映画上映案内」『中日新聞』1983年8月7日))

1983年9月2日に閉館する名古屋市中区の映画館「ミリオン座」と代わるようにして、中村区に同じヘラルド興業系の「ゴールド劇場・シルバー劇場」が開館した。座席数は220席と140席。映写室は2館で共有している。ゴールド劇場は邦画の二番館であり、シルバー劇場は成人映画が多い。((「この夏名古屋は映画 ミリオン座閉館でも新館・製作会社誕生」『日本経済新聞』1983年8月22日))

1983年9月2日で伏見のミリオン座が閉館したことを受けて、名駅南のゴールド劇場はミリオン座のアート系路線を引き継ぐ方向性を固めた。D・シュミットの『ヘカテ』が好評であり、1983年11月19日にはW・ヘルツォーク監督作『フィツカラルド』とR・W・ファスビンダー監督作『ベロニカ・フォスのあこがれ』のニュー・ジャーマン・シネマ2本立てを封切る。隣接するシルバー劇場は成人映画館であるが、ゴールド劇場の方針転換に合わせて邦画の選択上映館に転向する。((「名古屋駅南ゴールド劇場 『ミリオン座』消えて アート系路線へ進む 『フィツカラルド』など二本立て」『毎日新聞』1983年11月14日))

名古屋駅新幹線口南100mのゴールド劇場とシルバー劇場が、それぞれ洋画と邦画の芸術映画の上映館に転換する。伏見のミリオン座が閉館し、芸術映画ファンから不満の声が出ていた。3か月前の1983年8月8日、ゴールド劇場は邦画の二番館、シルバー劇場は邦画の成人向け映画館として開館したが、観客数が低迷して路線変更を迫られていた。2館ともミリオン座と同系列のヘラルド興業の直営館。10月22日から3週間、試験的にゴールド劇場で『ヘカテ』と『赤い影』を上映したところ好評だったため今回の路線転換につながった。11月19日からゴールド劇場では『フィツカラルド』と『ベロニカ・フォスのあこがれ』を公開。シルバー劇場は一足遅れ、12月3日から『田園に死す』など寺山修司監督の三本立てを公開。((「名古屋に芸術映画上映館 二つの劇場うれしい路線変更 『ゴールド』洋画あすから 『シルバー』邦画来月3日から」『中部読売新聞』1983年11月18日))

スペイン出身の映画監督であるルイス・ブニュエルは1983年に亡くなった。1985年4月6日から4月26日まで、ゴールド劇場で「ルイス・ブニュエル・スペシャル」特集が組まれ、ブニュエル監督の代表作7作が上映される。遺作の『欲望のあいまいな対象』、『銀河』、『アンダルシアの犬』、『ブルジョアジーの秘かな愉しみ』、『自由の幻想』、『小間使いの日記』、『悲しみのトリスターナ』。最初の2本は名古屋初公開。((「スペインの巨匠ブニュエルの代表作 相次ぎ名古屋で上映」『中部読売新聞』1985年3月30日))

2012年2月3日、名古屋市中村区の単館系映画館「ゴールド劇場・シルバー劇場」が閉館する。道路工事に伴うものである。名古屋駅周辺では2005年と2007年に相次いでシネコンが開館しており、2010年には名古屋市最古の映画館である「ピカデリー1・2・3・4」が閉館している。1983年8月に開館し、220席と140席の2スクリーンを有している。1990年代には永瀬正敏の『我が人生最悪の時』や豊川悦司の『Night Head』など、人気俳優の出世作を上映した。近隣にアニメ専門店があるため、近年にはアニメ映画上映のオファーも多かった。((「名物映画館また閉幕 名駅近くで28年営業の単館系 来月 ファン『寂しい』」『日本経済新聞』2012年1月28日))

*** ピカデリー5・6/ピカデリー1・2
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-9-8 センチュリー豊田ビル2階(2004年・2005年・2010年・2012年・2015年・2016年)
開館年 : 2003年1月30日
閉館年 : 2016年6月30日
2003年の映画館名簿には掲載されていない。2004年・2005年・2010年の映画館名簿では「ピカデリー5・6」(2館)。2011年・2012年・2015年・2016年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。2004年の住宅地図では「センチュリー豊田ビル 2階ピカデリー5・6」。2010年の住宅地図では「センチュリー豊田ビル 2階ピカデリー」。2017年の映画館名簿には掲載されていない。
2003年の映画館名簿には掲載されていない。2004年・2005年・2010年の映画館名簿では「ピカデリー5・6」(2館)。2011年・2012年・2015年・2016年の映画館名簿では「ピカデリー1・2」(2館)。2017年の映画館名簿には掲載されていない。

2016年6月30日をもって、名古屋駅前のピカデリーが閉館する。7月15日に開館するミッドランドスクエアシネマ2との経営統合のため。1957年開館のアロハ劇場とセントラル劇場の2館がピカデリーのルーツ。1988年にはこれらがピカデリー1とピカデリー2とに改称した。ピカデリーとはロンドンにある通りの名前であり、同じ松竹系の丸ノ内ピカデリー(東京)にあやかる意味も込められている。2003年にはセンチュリー豊田ビル2階にピカデリー5とピカデリー6が開館。これによって6スクリーン計1500席となった。2007年にミッドランドスクエアシネマが開館すると、2010年にはピカデリー1からピカデリー4が閉館となり、2スクリーンのみとなった。最終上映は『日本で一番悪い奴ら』とマイケル・ダグラス主演の『追撃者』。((「老舗“ピカデリー”終幕 名駅の映画館統廃合 今月末で」『中日新聞』2016年6月28日))

2003年1月30日の『中日新聞』の映画上映案内。「ピカデリー」は「本日センチュリー豊田ビルにピカデリー5・6開館」とある。((「映画上映案内」『中日新聞』2003年1月30日))

*** シネマスコーレ
所在地 : 愛知県名古屋市中村区椿町8-12(1984年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1983年2月19日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[シネマスコーレ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AC]]
1982年の住宅地図では後のアートビルの場所に「ホテル富士 炉端焼ふじ」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「シネマスコーレ」。1989年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ 2階-7階 5ドアーズ」。1990年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ」。1996年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ 2階-7階アートカラオケ」。2004年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ 2階カフェレストマルシェ (有)アートフレッシュ 3階-7階(有)アートフレッシュ」。2010年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ 2階マルシェ 千一夜 アートカラオケ 3階-7階アートカラオケ」。アートビル1階。最寄駅はJR・名鉄・近鉄・名古屋市営地下鉄名古屋駅。
1982年の住宅地図では後のアートビルの場所に「ホテル富士 炉端焼ふじ」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「シネマスコーレ」。1990年の住宅地図では「アートビル 1階シネマスコーレ」。アートビル1階。最寄駅はJR・名鉄・近鉄・名古屋市営地下鉄名古屋駅。

1983年2月19日、国鉄名古屋駅のすぐ西側に映画館「K・WAKAMATSU シネマ・スコーレ」が開館する。ピンク映画の巨匠である若松孝二がオーナーを務める。7階建てのアートビルの1階部分であり、ビルの持ち主が若松の知人だったことで名古屋に進出した。座席数は59席と小規模だが、上等な椅子を設置するなど、設備の良い映画館を売りにする。オープニング作品は『犯された白衣』と『テロルの季節』と『聖少女拷問』の自作3本立て。若松によると、日本の映画監督で映画館のオーナーを務める人物は他にいないという。((「若松孝二 映画館主に 『独自の上映活動を』 19日 名古屋でオープン」『朝日新聞』1983年2月17日))

シネマスコーレに言及している雑誌記事として、松江哲明「松江の押し入れ『映画に褒めてほしい』ある映画狂の半生を描いた『シネマ狂想曲』」『テレビブロス』2017年3月11日がある。現物は未確認。((松江哲明「松江の押し入れ『映画に褒めてほしい』ある映画狂の半生を描いた『シネマ狂想曲』」『テレビブロス』2017年3月11日、p.37))

シネマスコーレの刊行物として、『銀幕は波瀾万丈 シネマスコーレの15年』シネマスコーレ、1998年と『燃えよ! インディーズ シネマスコーレ30年史』シネマスコーレ、2013年がある。((『銀幕は波瀾万丈 シネマスコーレの15年』シネマスコーレ、1998年))((『燃えよ! インディーズ シネマスコーレ30年史』シネマスコーレ、2013年))

*** 109シネマズ名古屋
所在地 : 愛知県名古屋市中村区平池町4-60-14 ラ・バーモささしま2階(2010年)、愛知県名古屋市中村区平池町4-60-14 マーケットスクエアささしま2階(2015年・2020年)
開館年 : 2005年3月18日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2006年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「109シネマズ名古屋1-10」(10館)。名駅地区初のシネコン。

2018年11月23日、名古屋市中村区平池町の映画館「109シネマズ名古屋」に最新鋭の上映システム「IMAXレーザー」が導入される。オープニング作品は『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』。東急レクリエーションが提供する「IMAXレーザー」は、2015年に大阪府吹田市の映画館に日本初導入され、全国2館目・3館目として109シネマズ名古屋と神奈川県川崎市の映画館に同時に導入される。((「IMAXレーザー 最新鋭の上映システム導入 109シネマズ名古屋」『毎日新聞』2018年11月23日))

*** ミッドランドスクエアシネマ
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-7-1 ミッドランドスクエア商業棟5階(2008年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2007年3月7日
閉館年 : 営業中
2004年の住宅地図では後の映画館の場所に「工事中」。2007年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「ミッドランドスクエアシネマ1-7」(7館)。2010年の住宅地図では「ミッドランドスクエア 5階ミッドランドスクエアシネマ」。
2007年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「ミッドランドスクエアシネマ1-7」(7館)。

2007年3月6日に名古屋駅前のミッドランドスクエアがグランドオープンし、5階にはシネコン「ミッドランドスクエアシネマ」が入る。ロビーは2フロア吹き抜けの高い天井。黒色とメタルが基調色であり、光床が帯をなす。自然光は大小の穴が開いたメタルリブを通して天井に映る。119席から340席までの7スクリーン。座席は全席が本革張りシート。中日本興業と松竹が共同で運営する。名駅ではグランドや名鉄東宝など老舗館の閉館が続いたが、ピカデリーと合わせて13スクリーンとなる。違いをつけるために、ピカデリーでは「中売り」が復活し、上映の合間に販売員が客席を歩き、菓子や飲み物などを売り歩いている。2年前には笹島に109シネマズ名古屋も開館している。109シネマズチェーンではマネージャー全員がサービス介助士の資格を取得している。((「ミッドランドスクエアシネマ 名古屋駅前 来月オープン 映画館街 復活目指す」『中日新聞』2007年2月24日))

中日本興業が運営するミッドランドスクエアシネマの来場者数が延べ1000万人を超えた。開館から10年1カ月。2007年3月に開館し、当初は年間約90万人が来場した。2016年7月には新館が開館し、スクリーン数は倍の14スクリーンとなった。映画以外にもアイドルグループのライブビューイングなどを定期的に開催している。2016年度は168万人が来場した。((「ミッドランドシネマ 来場者1000万人を達成 開業から10年1カ月」『中日新聞』2017年4月22日))

シネコン運営の中日本興業の2017年3月期決算は、前期比11.3%増の40億円となった。『君の名は。』のロングヒットがあったため。40億円を超えるのは『E.T.』などがヒットした1984年以来33年ぶり。シネマ事業の売上高が22.2%増の30億円だった。((「33年ぶり売上高40億円超 中日本興業 『君の名は。』押し上げ」『中日新聞』2017年5月12日))

ミッドランドスクエアシネマはフィルム映写機を再導入した。「大人のラブストーリー特集」として、『夕凪の街 桜の国』『ジョゼと虎と魚たち』『きみに読む物語』『エターナル・サンシャイン』の2000年代の4作品をフィルム上映する。5年前からフィルム上映は行っていなかった。((「フィルム映写機を再導入 名古屋 ミッドランドスクエアシネマ」『中日新聞』2017年6月16日))

*** ミッドランドスクエアシネマ2
所在地 : 愛知県名古屋市中村区名駅4-11-27 シンフォニー豊田ビル2階(2017年・2020年)
開館年 : 2016年7月15日
閉館年 : 営業中
2017年の映画館名簿には掲載されていない。2018年・2020年の映画館名簿では「ミッドランドシネマ2 8-14」(7館)。

** その他地域
*** 藤ノ宮劇場/アトム映画劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区藤宮通4-14(1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1963年頃
1954年・1955年の映画館名簿では「藤ノ宮劇場」。1957年の名古屋市全住宅案内図帳では「映画館藤宮」。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「アトム映画劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の全商工住宅案内図帳では跡地に「パチンコ栄生会館」。最寄駅は名鉄名古屋本線栄生駅。

1953年(昭和28年)に藤ノ宮劇場として開館し、1956年(昭和31年)にアトム映劇に改称した。アクション作品を多く上映した。中村区栄生町にあった。1956年(昭和31年)の写真あり。((『写真アルバム 名古屋の昭和』樹林舎、2015年、p.229))

1963年(昭和38年)5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも、1964年(昭和39年)12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも掲載されていない。

*** カスモリ映画/カスモリ映画劇場/カスモリ劇場/カスモリ東映
所在地 : 愛知県名古屋市中村区烏森町(1960年)、愛知県名古屋市中村区烏森町八幡(1963年・1964年)、愛知県名古屋市中村区烏森町八幡廻(1965年)
開館年 : 1959年
閉館年 : 1965年頃
1960年の映画館名簿では「カスモリ映画劇場」。1963年の映画館名簿では「カスモリ劇場」。1964年・1965年の映画館名簿では「カスモリ東映」。1963年の住宅地図では「烏森東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート近鉄烏森駅前店」西側の駐車場。最寄駅は近鉄名古屋線烏森駅。

1959年のこのほど、名古屋市の近鉄烏森駅前に「カラスモリ映劇」(※カスモリではなくカラスモリ)が開館した。経営は第一土地興行。木造2階建て、定員330人。((「映画館」『キネマ旬報』1959年3月下旬号))

1959年(昭和34年)には中村区の「カスモリ映画」が開館。((柴田勝『中京 名古屋映画興業の変遷』自費出版、1974年、p.43))

1963年(昭和38年)5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも、1964年(昭和39年)12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも掲載されていない。

*** 中村大劇
所在地 : 愛知県名古屋市中村区中島町3-13(1963年)
所在地 : 愛知県名古屋市中村区中島町3-13(1963年)、愛知県名古屋市中村区則武本通3-42(1984年から閉館まで)
開館年 : 1960年以後1961年以前
閉館年 : 1965年頃(ストリップ劇場転換)
1961年の住宅地図では「中村大劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「中村大劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1982年の住宅地図では「中村大劇」。1989年の住宅地図では跡地に空白。移転前の所在地は「浅野屋旅館」西側。1984年末には250m東の中村区則武本通3-42に移転し、やはりストリップ劇場として営業。1997年1月10日ストリップ劇場閉館。移転後の跡地は「ファミリーマート則武本通店」。移転前・移転後とも最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線中村区役所駅。
閉館年 : 1965年頃(ストリップ劇場転換)、1997年1月10日(完全閉館)
1961年の住宅地図では「中村大劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「中村大劇」。1966年の映画館名簿には掲載されておらず、このころにはストリップ劇場に転換していたと思われる。移転前の所在地は1961年以前からある「浅野屋旅館」の西側。1984年末には250m東に移転し、やはりストリップ劇場として営業。移転後の跡地は「ファミリーマート則武本通店」。1997年1月10日閉館。移転前・移転後とも最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線中村区役所駅。

1963年(昭和38年)5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも、1964年(昭和39年)12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも掲載されていない。

*** 太閤劇場/太閤映画劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区太閤通9-1(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1971年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「太閤劇場」。1961年・1963年の住宅地図では「太閤劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「太閤映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1982年・1989年・1996年の住宅地図では跡地に「駐車場」。2004年・2010年の住宅地図では跡地に「1階月極駐車場 2階中村斎場平安会館駐車場」。跡地は「グランコート中村公園」東側の建物。最寄駅は地下鉄東山線中村公園駅。
1960年・1963年の映画館名簿では「太閤劇場」。1961年・1963年の住宅地図では「太閤劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「太閤映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の住宅地図で場所確認。跡地は「グランコート中村公園」東側の建物。最寄駅は地下鉄東山線中村公園駅。

1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「太閤」(成人向)として掲載されており、『16才の経験』と『性の入知恵』と『もうやめて』を上映している。((「映画・演劇」『中日新聞』1972年1月4日、p.11)) 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内に掲載されていない。((「映画・演劇あんない」『中日新聞』1973年12月31日、p.6))

*** SK劇場/中村SK劇場/中村SK東映/SK東映
所在地 : 愛知県名古屋市中村区太閤通6-20(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1984年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1984年8月30日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「SK劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「中村SK劇場」。1971年・1977年の住宅地図では「S・K劇場」。1973年の映画館名簿では「中村SK東映」。1976年・1980年・1984年の映画館名簿では「SK東映」。1982年の住宅地図では「S・K劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1996年の住宅地図では跡地に空白。2004年・2010年の住宅地図では跡地に「貸駐車場」。跡地は「山本屋大門本店」駐車場。
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「SK劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「中村SK劇場」。1971年・1977年の住宅地図では「S・K劇場」。1973年の映画館名簿では「中村SK東映」。1976年・1980年・1984年の映画館名簿では「SK東映」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「山本屋大門本店」駐車場。

1984年8月30日をもって、中村区太閤通6丁目の映画館「SK東映」が閉館する。戦後間もない時期にSK劇場として開館し、大映系の中堅劇場としてにぎわった。映画衰退期には上映作品が東映系に変わり、ここ数年は任侠映画の旧作三本立てなどを上映していた。名古屋の現役最古参の映画館の一つである。観客数が減少し、また建物の傷みも激しかった。最終上映作品は『五福星』と『コウタローまかりとおる!』。建物の取り壊し後には駐車場になる予定。((「通風筒」『中日新聞』1984年8月30日))

[[1982年の劇場ガイド>>http://fanblogs.jp/tanauan/upload/detail/1982E5B9B4E381AEE5908DE58FA4E5B18BE698A0E794BBE9A4A8B-thumbnail2.jpg.html]]には「SK東映」として掲載されており、成人映画などを上映している。

1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されていないが理由は不明。((「映画・演劇」『中日新聞』1972年1月4日、p.11)) 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「SK東映」として掲載されており、『女囚 サソリ701号恨み節』と『ゴルゴ13』を上映している。((「映画・演劇あんない」『中日新聞』1973年12月31日、p.6))

*** 大門劇場/オーモン劇場/中村オーモン劇場
所在地 : 愛知県名古屋市中村区賑町19(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1998年3月25日頃
1960年の映画館名簿では「大門劇場」。1963年の住宅地図では「大門映劇」。1963年の映画館名簿では「オーモン劇場」。1971年・1977年の住宅地図では「オーモン劇場」。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「中村オーモン劇場」。1982年の映画館名簿では「オーモン劇場 キラク興業」。1989年・1996年の映画館名簿では「オーモン劇場 キラク興業(株)」。1999年の映画館名簿には掲載されていない。2004年の住宅地図では跡地に「有料駐車場」。2010年の住宅地図では跡地に有料駐車場「名鉄協商パーキング大門第4」。跡地は「サンハイツドリーム」西側の駐車場。最寄駅は地下鉄桜通線中村日赤駅。
1960年の映画館名簿では「大門劇場」。1963年の住宅地図では「大門映劇」。1963年の映画館名簿では「オーモン劇場」。1971年・1977年の住宅地図では「オーモン劇場」。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「中村オーモン劇場」。1999年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「サンハイツドリーム」西側の駐車場。最寄駅は地下鉄桜通線中村日赤駅。

1972年1月4日の『中日新聞』の映画上映案内。「オーモン」では『さらば荒野』と『特高決戦隊』を上映。((「映画・演劇」『中日新聞』1972年1月4日、p.11)) 1973年12月31日の『中日新聞』の映画上映案内。「オーモン」では『黄金の指』と『ブラックデカメロン』と『最後の猿の惑星』を上映。((「映画・演劇あんない」『中日新聞』1973年12月31日、p.6))

1998年3月25日の『中日新聞』の映画上映案内。「オーモン」では『蘇える優作 「探偵物語」特別篇』と『バウンス ko GALS』を「25日迄」上映。3月26日以降の映画上映案内に「オーモン」は掲載されていない。((「映画上映案内」『中日新聞』1998年3月25日))

*** 中村東映/中村映画劇場/中村映劇
所在地 : 愛知県名古屋市中村区太閤通2-22(1950年)、愛知県名古屋市中村区太閤通5-23(1953年・1955年)、愛知県名古屋市中村区名楽町1-23(1958年・1960年)、愛知県名古屋市中村区太閤通5-23(1963年)、愛知県名古屋市中村区名楽町1-23(1966年・1969年)、愛知県名古屋市中村区名楽町1-25(1973年・1976年・1980年)、愛知県名古屋市中村区名楽町1-23(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1936年以前、2022年7月上旬(営業再開予定)
閉館年 : 2021年7月31日(休館)
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「中村映画劇場」。1960年の映画館名簿では「中村東映」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「中村映画劇場」。1971年・1982年・1989年・2004年・2010年の住宅地図では「中村映劇」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「中村映劇」。名古屋市唯一の成人映画館。最寄駅は地下鉄桜通線中村区役所駅。
開館年 : 1936年以前
閉館年 : 2021年7月31日休館、2022年7月上旬営業再開予定
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「中村映画劇場」。1960年の映画館名簿では「中村東映」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「中村映画劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「中村映劇」。名古屋市唯一の成人映画館。1971年の住宅地図では「中村映劇」。最寄駅は地下鉄桜通線中村区役所駅。

大正末期頃の中村区には「大正館」(米屋町)と「波留貴座」(北禰宜町)があったのみである。界隈を見渡すと、「寿座」(志摩町2丁目)、「芦辺館」(上畠町)、「日置座」(西日置町)、「金輝館」(新柳町)などもあった。戦後に民衆娯楽が勃興すると、1945年4月(※なぜ戦後ではなく戦中の月なのか不明。誤りの可能性がある)には「アロハ会館」(笹島町)、「中村映画劇場」(太閤通)、「希望会館」(泥江町)の3館があった。アロハ会館は木造2階建て、建築面積653平方メートル、延床面積755平方メートル。中村映画劇場は木造2階建て、建築面積137平方メートル、延床面積346平方メートル。希望会館は木造2階建て、建築面積891平方メートル、延床面積1222平方メートル。その後、「メトロ劇場」(堀内町3丁目)、「中央劇場」(船入町4丁目)、「富士劇場」(船入町4丁目)、「愛知県商工館ホール」(堀内町4丁目)が開館した。((中村区制十五周年記念協賛会『中村区史』中村区制十五周年記念協賛会、1953年))

愛知県名古屋市の「中村映劇」は、旧遊郭街にある老舗映画館。東海一と謳われた旧赤線の中村遊郭の入口にある。かつては近隣の大門町にも映画館があった。かつて名古屋駅周辺には3館の成人映画館があったが、2001年現在は中村映劇を含めて2館に減っている。1960年代・1970年代には映画上映に実演が付いていたテアトル希望はかなり前に閉館した。かつて中村映劇の近くにはストリップ劇場もあった。((高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年、pp.32-35))

名古屋市中村区の中村遊郭街区の近くでは、2019年現在でも劇場映画館の「旭座」(中村映劇)が健在である。((柴垣勇夫『中村区まち物語』風媒社、2019年、p.97))

名古屋市中村区名楽町には「旭座」(現・中村映劇)がある。昭和前期。木造2階建。((柴垣勇夫『中村区まち物語』風媒社、2019年、口絵))

1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「中村映劇」として掲載されており、『女渡世人 おたの申します』と『嫉妬』と『可愛い悪女』を上映している。((「映画・演劇」『中日新聞』1972年1月4日、p.11)) 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「中村映劇」として掲載されており、『夜の禁猟区』と『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』を上映している。((「映画・演劇あんない」『中日新聞』1973年12月31日、p.6))

「中村映劇」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。((高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年))

「中村映劇」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。((中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年))

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

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