閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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* 神戸市
神戸市は[[神戸市の映画館]]を参照。

* 姫路市
姫路市は[[姫路市の映画館]]を参照。

* 尼崎市
尼崎市は[[尼崎市の映画館]]を参照。

* 阪神南地域
** 西宮市
*** 敷島劇場/西宮東映
所在地 : 兵庫県西宮市今在家町10(1955年・1958年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「敷島劇場」。1958年の映画館名簿では「西宮東映」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の跡地は「国際会館パチンコ」。現在の跡地はパチンコ店「キコーナ阪神西宮店」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線西宮駅。

吉田初三郎『西宮市』西宮市役所、1936年には「敷島劇場」が描かれている。((吉田初三郎『[[西宮市>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005515937.html]]』西宮市役所、1936年))

阪神電車札場筋の踏切南側には映画館「敷島劇場」があった。1988年現在はパチンコ店になっている。((『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 西宮』国書刊行会、1988年、p.11))

札場筋の写真に敷島劇場が見える。札場筋はその後拡幅整備され、また阪急西宮駅が上を通っている。敷島劇場跡地には2009年時点でパチンコ店が建っている。((山下忠男(監修)『保存版西宮の今昔』郷土出版社、2009年、pp.26-27))

*** 第三朝日/第三朝日劇場
所在地 : 兵庫県西宮市水波町209(1955年)、兵庫県西宮市今津水波町209(1958年・1960年)
開館年 : 1949年6月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年6月開館。1955年の映画館名簿では「第三朝日劇場」。1958年の映画館名簿では「第三朝日」。1960年の映画館名簿では「第三朝日劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 中央劇場
所在地 : 兵庫県西宮市馬場町61(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「中央劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** SI歌舞伎座
所在地 : 兵庫県西宮市戸田町6-3(1955年)、兵庫県西宮市戸田町6(1960年)
開館年 : 1952年10月
閉館年 : 1960年以後1963年以前58
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1955年の映画館名簿では「SI歌舞伎座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「SI歌舞伎座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 第二甲子園劇場
所在地 : 兵庫県西宮市甲子園口3-325(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「第二甲子園劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 甲子園第一劇場/甲子園東映
所在地 : 兵庫県西宮市甲子園口3(1955年)、兵庫県西宮市甲子園口3-156(1958年・1960年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月開館。1955年の映画館名簿では「甲子園第一劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「甲子園東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 甲子園劇場/西宮甲子園劇場
所在地 : 兵庫県西宮市甲子園口3-85(1955年・1958年・1960年・1963年)、兵庫県西宮市甲子園口町3-85(1966年)
開館年 : 1946年11月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年11月開館。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「甲子園劇場」。1966年の映画館名簿では「西宮甲子園劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 第二朝日劇場/第二朝日/西宮今津大映/今津大映(新)
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町5(1955年・1958年・1960年・1963年)、兵庫県西宮市津門川町13-5(1966年・1969年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1955年の映画館名簿では「第二朝日劇場」。1958年の映画館名簿では「第二朝日」。1960年・1963年の映画館名簿では「今津大映」。1966年の映画館名簿では「西宮今津大映」。1969年の映画館名簿では「今津大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 東宝西宮劇場
所在地 : 兵庫県西宮市産所町13(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、兵庫県西宮市産所町2-2(1966年)、兵庫県西宮市産所町11-2(1969年)
開館年 : 1949年7月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「東宝西宮劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 日芸会館/西宮北口会館/北口会館
所在地 : 兵庫県西宮市阪急西宮北口駅前(1950年)、兵庫県西宮市高松町300(1953年)、兵庫県西宮市高松町(1955年)、兵庫県西宮市高松町300(1958年)、兵庫県西宮市高松町292(1960年)、兵庫県西宮市高松町300(1963年)、兵庫県西宮市高松町292(1966年・1969年)
開館年 : 1950年11月(演劇場として)、1956年(映画館化)
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年11月開館。1950年の映画館名簿では「西宮北口会館」。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「日芸会館」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西宮北口会館」。1969年の映画館名簿では「北口会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「プレラにしのみや」。最寄駅は阪急電鉄神戸本線・今津線西宮北口駅。

1956年に演劇場の日芸会館が東宝の所有となり、1960年に東宝封切館の西宮北口会館が開館した。1970年頃に閉館した。

*** 鳴尾映画劇場/西宮鳴尾東映劇場/鳴尾東映劇場
所在地 : 兵庫県西宮市鳴尾町(1960年)、兵庫県西宮市鳴尾町2-228(1966年・1969年・1973年)、兵庫県西宮市鳴尾町1-228(1976年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1975年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「鳴尾映画劇場」。1966年の映画館名簿では「西宮鳴尾東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳴尾東映劇場」。1976年の映画館名簿では「鳴尾東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「HACHIBUSE鳴尾」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線鳴尾・武庫川女子大前駅。

*** 西宮国際シネマ/国際シネマ
所在地 : 兵庫県西宮市戸田町38(1960年・1963年)、兵庫県西宮市戸田町5-14(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1957年7月21日
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「国際シネマ」。1965年・1974年の住宅地図では「国際シネマ」。1966年の映画館名簿では「西宮国際シネマ」。1969年の映画館名簿では「国際シネマ」。1973年の映画館名簿では「西宮国際シネマ」。1976年・1980年の映画館名簿では「国際シネマ」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場「トランクルーム西宮」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線西宮駅。

1957年7月21日、西宮市戸田町38に「西宮国際シネマ」が開館した。オープニング作品は『のるかそるか』と『機関車大追跡』。鉄筋コンクリート造、地下1階・地上3階建て、ワンスロープ式、冷暖房完備。定員526人。社長は池田菊次郎、支配人が後藤澄夫。((「映画館」『キネマ旬報』1957年8月下旬号、184号))

*** 今津大映(旧)/今津松竹大劇/西宮今津大劇/今津大劇
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町22(1958年)、兵庫県西宮市津門川町(1960年)、兵庫県西宮市津門川町22(1963年)、兵庫県西宮市津門川町10-5(1966年・1969年)、兵庫県西宮市津門川町13-5(1973年・1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1987年8月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「今津大映」。1960年の映画館名簿では「今津大劇」。1963年の映画館名簿では「今津松竹大劇」。1966年の映画館名簿では「西宮今津大劇」。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「今津大劇」。1974年・1980年の住宅地図では「今津大劇」。1985年の住宅地図では「今津大劇・今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ロイヤル西宮今津駅前」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線・阪急電鉄今津線今津駅。

*** 西宮今津東映/今津東映
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町22(1958年)、兵庫県西宮市津門川町(1960年)、兵庫県西宮市津門川町10-7(1966年・1969年)、兵庫県西宮市津門川町13-7(1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1987年8月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「今津東映」。1966年の映画館名簿では「西宮今津東映」。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 今津阪急文化会館/今津文化会館/今津文化1・2
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町(1960年)、兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1995年9月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「今津阪急文化会館」。1969年・1980年の映画館名簿では「今津文化会館」。1974年・1980年の住宅地図では「今津文化映画館」。1990年の映画館名簿では「今津文化1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。西宮市最後の従来型映画館。跡地はマンション「エステムコート西宮今津」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線・阪急電鉄今津線今津駅。

1995年2月12日から、西宮市の映画館「今津文化」が無料の復興映画祭を開始する。『青い山脈』『陽のあたる坂道』『明日は明日の風が吹く』など、石原裕次郎や吉永小百合主演の6本が上映される。12年前に200席だったホールを120席と80席の2つに分けて鉄骨で補強したため、阪神大震災での倒壊は免れた。しかし、300キロ近くある4台の映写機は土台から倒れ、関内も天井版の一部が落ちた。((「被災の町に映画戻る 西宮で無料上映 阪神大震災」『朝日新聞』1995年2月9日))

1995年10月初頭から、西宮市唯一の映画館「今津文化」が取り壊される。阪神大震災で半壊し、同一地点で再建するには約2億円かかるため。最後のイベントは「恐怖劇場」であり、9月第2週まで毎週末に開催される。「今津文化」は終戦直後に開館したとされ、1960年頃には大勢の観客でにぎわった。『禁じられた遊び』の上映時には一日約2000人の観客が訪れ、約200メートル離れた阪神今津駅まで行列ができるほどだった。1960年代半ばから観客が減少し、1970年代前半には成人映画の専門館となった。1980年代以降にはレンタルビデオが普及し、一日に十数人しか観客がいない時期が続いた。((「震災で取り壊しへ 西宮唯一の映画館『今津文化』」『朝日新聞』1995年8月10日))

1995年9月11日の『東京新聞』には「今津文化」の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。((「被災者を励ましてきた兵庫県西宮市の映画館『今津文化』閉館」『東京新聞』1995年9月11日夕刊))

1995年12月、西宮市津門呉羽町の映画館「今津文化」が閉館する。西宮市唯一の映画館だった。12月12日から取り壊し作業が行われている。1956年の洋画の二番館として開館し、『風と共に去りぬ』『鳥』『禁じられた遊び』などを上映した。週末には西100mの阪急今津駅まで行列ができることもあったという。1995年1月17日の阪神淡路大震災で半壊したが、2月12日には営業を再開し、入場無料の上映会などを行っていた。震災を機に観客が減少したことで閉館を決定した。((「39年の幕閉じる 夏以降客が減少 西宮の映画館『今津文化』」『朝日新聞』1995年12月13日))

1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生すると、西宮市唯一の映画館「今津文化会館」は全壊した。3代目館主の田中健(52)も左足を骨折したが、西宮市には "半壊" という届けを出し、2月11日に営業を再開した。石原裕次郎や吉永小百合が出演する昭和30年代の日活作品を無料で公開し、連日にわたって被災者で大入り満員となった。しかし採算性などがネックとなって再建することはできず、西宮市から映画館が消えた。震災から8年を迎える2003年1月17日、西宮市にある酒造会社の集客施設「白鷹禄水苑」で、「シネマ・エクスカベイションinにしのみや」の第1回が開催される。今津文化会館が閉館するまでの経緯や、西宮市にあった映画撮影所の東亜キネマなどがビデオで紹介され、西宮の映画の歴史を語るトークショーも開催される。第2回以降は映画が上映される予定である。((「震災で失った西宮唯一の映画館 元館主、復活を夢見て1・17映画祭」『産経新聞』2003年1月15日))

*** TOHOシネマズ西宮OS
所在地 : 兵庫県西宮市高松町14-2-501 阪急西宮ガーデンズ5階(2010年)
開館年 : 2008年11月26日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ西宮OS1-11・プレミア」(12館)。12スクリーンのシネコン。

阪急神戸線西宮北口駅前の阪急西宮ガーデンズには映画館「TOHOシネマズ西宮OS」がある。12スクリーン計約2200席を有し、規模は関西地方トップクラスである。ODS(非映画デジタルコンテンツ)に対応しており、宝塚歌劇東京公演の中継などのイベントを定期的に開催しているため、大阪の梅田や神戸の三宮から訪れる観客も少なくない。また、リクライニングシートやペアシートを完備するプレミアムスクリーンを有しており、セレブ気分で映画を鑑賞することができる。この場所にはかつて阪急ブレーブスのホームグラウンドである西宮球場があったが、SMAPのコンサートを最後に2002年に閉鎖されていた。((「ぶら〜りシネ散歩 TOHOシネマズ西宮OS」『産経新聞』2010年10月15日))

** 芦屋市
*** 芦屋会館
所在地 : 兵庫県芦屋市茶屋之町(1960年)、兵庫県芦屋市茶屋之町56(1966年・1969年)
開館年 : 1950年4月15日
閉館年 : 1970年11月30日
1953年・1960年・1969年の映画館名簿では「芦屋会館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は美容院「アトリエクロエ」。最寄駅はJR神戸線芦屋駅。

映画監督の大森和樹と小説家の村上春樹は芦屋市で生まれ育った。村上春樹は芦屋会館でジェームズ・ボンドの3本立を観たことがあるという。((「[[村上春樹と大森一樹の神戸を歩く>>http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-kobe-eiga1.htm]]」『Hot・Dog PRESS』1981年12月10日号))

芦屋市茶屋之町には芦屋市唯一の映画館「芦屋会館」があった。1950年(昭和25年)当時の芦屋市には娯楽施設がなかったことから、愛市会と近隣商店街の協力で同年4月15日に開館した。1951年(昭和26年)に『細雪』を上映した際には、一日に3000人もの観客が集まって長い行列を作った。1952年(昭和27年)に株式会社化したが、1959年(昭和34年)頃から経営難となり、1970年(昭和45年)11月30日に閉館した。「アシカン」と呼ばれて親しまれた。((芦屋市『芦屋今むかし 市制施行50周年記念写真集』芦屋市、1990年))

1950年(昭和25年)には芦屋市茶屋之町に映画館「芦屋会館」が開館した。写真あり。(([[茶屋之町にあった映画館 芦屋会館(昭和25年開館)>>http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/omoide/syougyou-04.html]] 芦屋市))

* 阪神北地域
** 伊丹市
*** 伊丹劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市伊34番地(1950年)、兵庫県伊丹市西宮町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市伊丹34(1958年)、兵庫県伊丹市宮西町34(1960年)、兵庫県伊丹市伊丹字桜崎34(1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「伊丹劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 若草劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市悠紀町522(1958年)、兵庫県伊丹市悠紀町520(1960年・1963年)
開館年 : 1952年4月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年4月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「若草劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 中央映画劇場/中央劇場/伊丹東映/伊丹東映劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町539-1(1950年)、兵庫県伊丹市悠紀町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市悠紀町539(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1942年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1942年開館。1950年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「中央劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「伊丹東映」。1965年の住宅地図では「伊丹東映劇場」。1966年の映画館名簿では「伊丹東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「尼崎信用金庫伊丹支店」。現在の跡地は「尼崎信用金庫伊丹支店」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

*** 御園劇場/伊丹御園劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市永長町432(1958年)、兵庫県伊丹市永長町433(1960年)、兵庫県伊丹市永長町432(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「御園劇場」。1965年の住宅地図では「御園劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「伊丹御園劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「阪急伊丹駅前ゴルフ練習所」。跡地は有料駐車場「タイムズ伊丹第11」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

*** 伊丹シネマ・伊丹大映/伊丹日活・伊丹大映/トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市若松町(1958年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1960年・1966年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町42-5(1969年)、兵庫県伊丹市若松町岸田ビル6階・7階(1973年)、兵庫県伊丹市中央町1-5(1980年)、兵庫県伊丹市中央町1-5-23(1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1991年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「伊丹シネマ・伊丹大映」(2館)。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊丹日活・伊丹大映」(2館)。1965年の住宅地図では西に「伊丹日活」で東に「伊丹大映」。1973年・1980年・1990年の映画館名簿では「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」(2館)。1974年の住宅地図では「長崎屋 7階 ダイニチ伊丹・トーエイ伊丹」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「タイムズ阪急伊丹駅前」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

*** グリーン劇場・伊丹ローズ劇場/伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市千歳町422(1973年)、兵庫県伊丹市中央町4-2-2(1980年・1990年)、兵庫県伊丹市中央4-2-2(2000年)
開館年 : 1970年
閉館年 : 2002年9月8日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の映画館名簿では「グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。1974年の住宅地図では「2階 グリーン劇場・ローズ劇場」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2019年竣工のマンション「ジオ伊丹中央」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

2002年9月8日、伊丹市中央4丁目の映画館「伊丹グリーン劇場」(178席)と「伊丹ローズ劇場」(134席)が閉館する。1970年に開館した際は東宝系の封切館だった。1983年からは特撮映画のオールナイト上映を開始し、『大魔神』『ガメラ』など約200本を上映。「グリーンリボン賞」という自主製作特撮映画賞では約300メートルの行列もできた。伊丹市は1987年から1994年まで伊丹映画祭を開催し、同賞を特撮以外も含めた自主製作映画賞に発展させた。映画監督の三原光尋も同賞での入選経験がある。近隣に約1800席のシネコンが開館することが閉館の理由。((「33年目終幕のベル 劇場都市・伊丹の老舗映画館 プロ登竜門…惜しむ声」『読売新聞』2002年9月7日))

阪急伊丹駅近く、伊丹市中央4にあった映画館「伊丹グリーン・ローズ劇場」は、「特撮のメッカ」と呼ばれて特撮映画ファンに人気があった。1920年から1968年までの旧阪急伊丹駅跡地のビルのワンフロアにあった。東宝系の映画館であり、座席の色は劇場名にちなんで緑色と赤色だった。1980年代にはグリーン劇場が特撮上映に特化し始め、オールナイト上映は特撮ファンでにぎわった。1987年(昭和62年)秋には伊丹氏が「第1回伊丹映画祭」を開催し、大林宣彦監督や大島渚監督などの講演会やコンサートなどが行われた。伊丹映画祭は1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の影響で下火になり、2002年(平成14年)には伊丹グリーン・ローズ劇場が閉館した。2020年現在の跡地は高層マンションとなっている。((「[[はんしん『旧』名所(10)伊丹グリーン・ローズ劇場>>https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202005/0013355809.shtml]]」『神戸新聞』2020年5月20日))

*** 伊丹TOHOプレックス/TOHOシネマズ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 イオンモール伊丹テラス4階(2010年)、兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 イオンモール伊丹4階(2020年)
開館年 : 2002年10月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2002年10月開館。2007年9月改称。2010年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ伊丹1-8」(8館)。最寄駅はJR福知山線伊丹駅。

** 宝塚市
*** 宝塚大劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚大劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 新芸座
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「新芸座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 宝塚中央劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面五反田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚中央劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 宝塚銀映劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面山ノ上(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚銀映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 宝塚映画劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1945年?、1952年?
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。宝塚映画劇場は宝塚ファミリーランドの東端にあったと思われる。

戦後の1952年(昭和27年)、宝塚ファミリーランドの一角、入場口左手に開業した。収容人員200人。この頃の宝塚市には、宝塚駅、宝塚南口駅、逆瀬川駅付近に数館の映画館があった。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 宝塚』国書刊行会、1981年、p.25))

*** 新花月劇場/宝塚新花月劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市伊子志亥谷(1960年)、兵庫県宝塚市伊孑志亥の谷230(1966年)、兵庫県宝塚市南口町2-4-19(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1960年の映画館名簿では「新花月劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「宝塚新花月劇場」。1973年の住宅地図では「新花月劇場(川村)」。1979年の住宅地図では跡地に「サンビオラモータープール」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「サンビオラ第1駐車場」。宝塚市最後の従来型映画館。最寄駅は阪急電鉄阪急今津線宝塚南口駅。

*** シネ・ピピア
所在地 : 兵庫県宝塚市売布2-5-1 ピピアめふ5階(2010年)
開館年 : 1999年10月29日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[宝塚シネ・ピピア>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%94%E3%82%A2]]
2000年・2010年の映画館名簿では「シネ・ピピア1・2」。最寄駅は阪急宝塚本線売布神社駅。

1999年10月26日、宝塚市の売布神社駅前の再開発事業が完工した。6階建ての再開発ビル「ピピアめふ」には宝塚市に約30年ぶりとなる映画館などが入る。映画館は10月29日に開館し、大森一樹監督による自主製作映画の上映やトークショーが開催される。((「宝塚に30年ぶり映画館完成 売布神社駅前震災復興事業」『朝日新聞』1999年10月26日))

2005年現在でシネ・ピピアは宝塚市唯一の映画館である。公設民営という点が特徴であり、所有者は宝塚市、運営は民間である。阪急宝塚線売布神社駅からすぐの場所にある。ピピア1とピピア2の2スクリーンがあり、どちらも座席数は50席である。音響設備は日本トップクラスであり、車いす席や補聴システムも導入されている。ピピア1は新作映画を上映するロードショー館であり、ピピア2は観客のリクエスト作の上映、市民企画枠の作品の上映、市民団体への貸しホールなど、独自のプログラムを組んでいる。1999年にシネ・ピピアが開館するまで、約30年間は宝塚市に映画館が存在しなかった。1990年には主婦らによって「宝塚に映画館をつくろう会」が設立され、のちに「宝塚・シネクラブ」に改称して映画上映会や企業との交渉などを行った。1995年の阪神大震災で存続が危ぶまれたが、半年後には上映会を再開した。震災復興再開発ビル「ピピアめふ」にシネ・ピピアが開館したことで10年間の活動が実った。「宝塚・シネクラブ」は「すみれ座」と改称して上映活動を続けている。2000年には「すみれ座」などを中心に宝塚映画祭実行委員会が結成され、2002年11月にはシネ・ピピアをメイン会場として第1回映画祭が開催された。((宝塚市大辞典編集委員会『宝塚大事典』宝塚市、2005年、pp.382-385))

2013年1月8日、宝塚市にある公設民営の映画館「シネ・ピピア」は宝塚市にデジタル上映機器を導入するよう要望した。「『シネ・ピピア』を支える会」も4387人分の署名を添えた嘆願書を提出した。2013年春以降にはフィルムからデジタル素材での配給に切り替わり、デジタル上映機器がないと新作を上映できなくなる。導入に要する費用は10年間で約2000万円。かつて宝塚市には映画製作所があり、「映画のまち」として栄えたことから、市民の声に応えて1999年に開館した。観客数は年間4万人〜5万人。((「宝塚唯一の映画館シネ・ピピア『存続へデジタル機器を』 市民も市に嘆願書」『朝日新聞』2013年1月9日))

2013年6月から、宝塚市の映画館「シネ・ピピア」でデジタル機器による上映が開始される。2012年末には宝塚映画祭実行委員長の河内厚郎や映画監督の大森一樹などが立ち上がり、「デジタルシネマ機器導入を求める嘆願書」に2週間で4387人の署名を集めた。宝塚市は2013年度にデジタル映写機の導入費を予算化し、リース費用は10年間で約2000万円となる。6月1日からの上映作品はデジタルシネマ革命を探るドキュメンタリー『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』や、『世界に一つだけのプレイブック』、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』。((「宝塚『シネ・ピピア』、デジタル上映開始 書名4387人 来月から」『朝日新聞』2013年5月22日))

2017年9月には宝塚市の映画館「シネ・ピピア」で、新しい座席を導入するなどの改修が行われた。9月9日から1週間は『阪急電車 片道15分の奇跡』と『あん』を500円で上映する記念イベントを開催する。シネ・ピピアは2018年に開館18年を迎える。((「心の復興 シネ・ピピア新装 宝塚 座席替え心地よく 9日から記念上映」『読売新聞』2017年9月5日))

2017年9月9日、宝塚市売布2丁目の映画館「シネ・ピピア」がリニューアル開館する。9月9日から9月15日は市民感謝デーとして、宝塚市民は『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』『Tap The Last Show』『海辺のリア』『ゴンドラ』の4本の入場料が1000円となる。ご当地映画『阪急電車片道15分の奇跡』と樹木希林主演の『あん』は市民も市民以外も500円となる。1999年10月、阪神淡路大震災の復興再開発ビル「ピピアめふ」5階に開館した。宝塚市が開設して民間事業者が運営する、全国でも珍しい公設民営の映画館である。((「『シネ・ピピア』改装オープンへ 宝塚唯一の映画館」『朝日新聞』2017年9月7日))

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

** 川西市
*** 新町映劇/新町シネマ/川西新町映劇
所在地 : 兵庫県川西市小花大畑(1958年)、兵庫県川西市小花大畑28(1960年)、兵庫県川西市小花大畑(1963年)、兵庫県川西市小花大畑28(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新町映劇」。1963年の映画館名簿では「新町シネマ」。1966年・1969年の映画館名簿では「川西新町映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 川西東映/池田川西座/川西座
所在地 : 兵庫県川辺郡川西町字行人塚(1930年)、兵庫県川辺郡川西町(1950年・1953年)、兵庫県川西市(1955年)、兵庫県川西市小戸(1960年・1963年)、兵庫県川西市小戸行人塚17(1966年)、兵庫県川西市小戸(1980年・1985年・1986年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1986年以後1988年以前
1930年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「川西座」。1960年の映画館名簿では「川西東映」。1963年の映画館名簿では「川西座」。1966年の映画館名簿では「池田川西座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「川西座」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。閉館後に「阪神高速11号池田線」の道路用地となった。

** 三田市
*** 三輪映画劇場/三輪映劇
所在地 : 兵庫県有馬郡三輪町(1955年)、兵庫県有馬郡三田町(1958年)、兵庫県三田市三田町(1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1959年12月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「三輪映劇」。1958年の映画館名簿では「三輪映画劇場」。1960年の映画館名簿では「三輪映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。三映劇場。跡地は「セブンイレブン三田駅南店」西の建物。

*** 三田劇場/三田映画劇場
所在地 : 兵庫県有馬郡三田町(1950年・1955年)、兵庫県有馬郡三田町462-1(1958年)、兵庫県三田市三田町462-1(1960年・1963年)、兵庫県三田市三田町4162-1(1966年・1969年)
開館年 : 1925年、1953年8月1日(再建再開)
閉館年 : 1972年1月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年開館。1947年11月28日被災。1953年8月1日再建再開。1950年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三田劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の三田市相生町にあったとされる。

1949年の三田市にあった「三田劇場」の写真あり。改築された際の写真であり、劇場の2階まで花束が並べられた。正月には行列が相生橋まで続いたこともあった。((前中久雄(監修)『保存版 三田・篠山・丹波今昔写真帖』郷土出版社、2007年、p.66))

『三田市史 第2巻 通史編2 近代・現代』三田市、2012年には第5章第2節に「三田の映画館と劇場問題」という節がある。現物は未確認。((『三田市史 第2巻 通史編2 近代・現代』三田市、2012年))

*** 三田フローラシアター
所在地 : 兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1 フローラ88ショッピングセンター(1990年)、兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1(2002年)
開館年 : 1988年3月18日
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「三田フローラシアター」。2002年の映画館名簿では鉄筋造3階、80席、経営会社が株式会社北摂コミュニティ開発センター、経営者が高津幹男、支配人が畑中文博、邦画・洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。1スクリーン80席のビデオシアター。最寄駅は神戸電鉄公園都市線フラワータウン駅。

*** ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン/イオンシネマ三田ウッディタウン
所在地 : 兵庫県三田市けやき台1-6-4 イオン三田ウッディタウン店2番街2階
開館年 : 2000年11月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン1-7」(7館)。最寄駅は神戸電鉄公園都市線ウッディタウン中央駅。

** 川辺郡猪名川町
映画館名簿によると猪名川町に映画館はなかったと思われる。

* 東播磨地域
** 明石市
*** 明石市の映画館
1956年(昭和31年)現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。((『明石市要覧 1956年版』明石市役所秘書課、1956年))

1964年(昭和39年)現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年(昭和38年)には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)には総観客数が200万人近かった。((『明石市要覧 1964年版』明石市企画室、1965年、p.47))

1968年(昭和43年)の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。((明石市『明石商工名鑑 昭和43年版』明石市、1968年、pp.376-377))

1980年(昭和55年)の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。((明石市『明石商工名鑑 1980年版』明石市、1980年、p.354))

1990年(平成2年)現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。((木村稔『AKASHI 明石市商店街連合会40周年記念』明石市商店街連合会、1990年、p.63、p.67))

*** 明石日活/明石平和/大映明石平和
所在地 : 兵庫県明石市錦江町(1953年)、兵庫県明石市錦江町1202(1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1935年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1935年12月開館。1953年の映画館名簿では「明石日活」。1955年・1958年の映画館名簿では「明石平和」。1960年の映画館名簿では「大映明石平和」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行明石支店」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1958年9月1日、大映興行は池袋駅東口に「池袋大映」と「池袋大映名画座」を新築する。地上3階・地下1階建てであり、池袋大映名画座は地下に入る。同日には兵庫県明石市錦江町の既存館「明石平和」を賃借して「明石大映」とし、千葉県銚子市馬場町の既存館を賃借して「銚子大映」とする。これにより、大映興行の直営館は全国で32館となる。((「映画館」『キネマ旬報』1958年9月上旬号、213号))

国道2号と銀座通りの交差点の北側には「明石日活」があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。((『写真アルバム 明石市の昭和』樹林舎、2015年、p.68))

*** 明石劇場
所在地 : 兵庫県明石市南王子町2(1953年・1955年)、兵庫県明石市南王子町(1960年)、兵庫県明石市南王子町2(1966年・1969年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「明石劇場」。1955年の映画館名簿では経営者が柏木興業、支配人が恒元潤一、木造1階、定員220。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が深井鹿吉、木造1階暖房付、定員366、東映・大映・松竹を上映。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1964年・1966年・1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。

*** 明石松竹
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-9(1966年・1969年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明石松竹」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物南西部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

*** 白鳥座/明石白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市追手町1232(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-5-11(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1960年・1963年の映画館名簿では「白鳥座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石白鳥座」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物南東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

国道2号沿いにあった映画館の「白鳥座」。当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに明石東映・明石東宝・本町日活などが軒を連ねていた。白鳥座の前を明石商業高校映画部の生徒らが歩いている1959年の写真あり。((『写真アルバム 明石市の昭和』樹林舎、2015年、p.86))

*** 明石東映/明石東映劇場
所在地 : 兵庫県明石市追手町1231(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年)、兵庫県明石市大明石町1-5-12(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「明石東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石東映劇場」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

*** 明石大久保劇場/大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大畑(1960年)、兵庫県明石市大久保町大畑549(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1988年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「大久保劇場」。1966年の映画館名簿では「明石大久保劇場」。1969年・1973年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「大久保劇場」。1985年の住宅地図では大久保町大窪大畑249に「大久保劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大久保駅前保育所」。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

*** 明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1980年)、兵庫県明石市本町9-19(1985年・1988年)
開館年 : 1977年以後1980年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1973年・1977年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1980年のゼンリン住宅地図では左側の建物に「1階明石松竹 2階明石シネマ」、右側の建物に「1階明石東映 2階明石パレス」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ワコーレ明石本町彩雲館」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

*** 本町映画劇場/本町日活
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市東本町24(1953年・1955年)、兵庫県明石市東本町45(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県明石市本町1-14-18(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1947年? 1948年4月?
閉館年 : 2014年12月23日
『全国映画館総覧 1955』によると1948年4月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「本町日活」。1973年の映画館名簿では「明石本町日活」。1974年のゼンリン住宅地図では「本町日活劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「本町日活」。跡地は2015年12月1日開館の大衆演劇場「明石ほんまち三白館」。

本町日活は1947年に演芸場を兼ねた映画館として開館。木造。1950年代後半から日活の専門館となり、日活がロマンポルノの配給を始めてからは成人映画を上映していた。2013年にはやはり柏木弘が運営する明石東宝が再開発に伴って閉館している。2014年12月23日に閉館。来年2月には本町商店街振興組合による改装工事を行い、12月に「ほんまち三白館」(みはくかん)として開館する。明治から戦前にあった演芸場「三白亭」が名称の由来。((「1947年に開館した木造映画館 本町日活きょう閉館 来年12月 改装し大衆演芸場に 新名称『三白館』かつての演芸場に由来」『神戸新聞』2014年12月23日))

明石市の本町日活は1947年に開館し、1970年代からは成人映画の上映館となった。2015年1月11日には無声映画を弁士付きで上映する記念イベントを開催。((「さよなら本町日活 昨年12月閉館 最後の催し、無声映画に200人 活動弁士・井上さん 情感たっぷり 感動、拍手」『神戸新聞』2015年1月12日))

明石市の本町日活は2009年で開館62年を迎える。2009年時点では兵庫県唯一の成人映画の封切館である。回り舞台や楽屋を残している。戦前の芝居小屋「三白亭」(みはくてい)が前身であり、1947年に木造入母屋造の本格的な劇場として建設された。間口18メートル、奥行き36メートル。客席は240席。三角形に組んだ大規模な木造トラス屋根が特徴。舞台部分と客席部分は平屋だが、楽屋やかまど・宿泊施設のある裏側は二層構造。開館当時は洋画や民謡ショーなどが上演された。1950年代後半に日活の専属館になると大改装を行った。石原裕次郎や浅丘ルリ子が舞台挨拶を行った。阪神淡路大震災では全壊と判定されたが、修復工事を行って上映を再開した。((「築62年の映画館『明石本町日活』大衆娯楽文化 戦後史を反映 建築士ら熱視線 回り舞台や建具 往年の風情」『神戸新聞』2009年4月9日))

明石日活のの延床面積は約790平方メートル。木造一部2階建て。1956年の『太陽の季節』などのヒット作が続いたころには扉が閉まらないほどだった。石原裕次郎がロケで明石市を訪れた際には、ファンに囲まれたために本町日活に入れなかったというエピソードがある。渡哲也や浅丘ルリ子も本町日活を訪れた。出演者用の楽屋や宿泊部屋が残るのは、芝居小屋として建てられた名残である。((「明石『本町日活』築67年 昭和の味わい継承へ 木造映画館 芝居小屋に 商店街が構想 大衆演劇を常時公演」『神戸新聞』2014年1月14日))

JR明石駅南口の魚の棚商店街には、大正時代に芝居小屋「三白亭」が開館した。昭和時代になると映画館に転換したが、2014年に映画館としては閉館した。商店街振興組合が劇場主から建物を借り、耐震化工事を行った上で内装や外観を一新した。2015年12月1日に大衆演劇場の「明石ほんまち三白館」として開館させた。外壁は漆喰の白壁と焼杉板である。壁面やステンドグラスには千鳥がデザインされているが、これは「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という百人一首に着想を得ている。客席は160席。((「旅芝居を歩く 4 満員御礼! 熱い商店街」『朝日新聞』2019年5月23日))

映画館「本町日活」の跡地を利用して、2015年12月に演劇場「明石ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。開館から丸2年を迎える前の2017年10月に入場者10万人を超えた。((「大衆演劇場『ほんまち三白館』入場者10万院を突破」『神戸新聞』2017年10月12日))

*** 明石東宝映画劇場/明石東宝映劇/明石東宝劇場/明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-6(1966年)、兵庫県明石市大明石町1-6-7(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年11月、1953年(経営者交代)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : [[明石東宝>>http://www.cinema-st.com/road/r102.html]]
『全国映画館総覧 1955』によると1945年11月開館。1950年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「明石東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「明石東宝映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「明石東宝」。1966年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「明石東宝」。1974年のゼンリン住宅地図では「明石東宝」。明神ビル2階。跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では阪神間にある映画館も大きな被害を受けた。1月28日には明石東宝が営業を再開した。この時点では神戸市の三宮地区の映画館のほとんどは、入居するビルそのものが使用不可の状態だった。((「阪神間の映画館 一部営業始める」『神戸新聞』1995年2月4日))

2009年2月22日に第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』を上映する明石東宝では、1996年以来となる入場待ちの行列ができた。((『おくりびと』にアカデミー賞 市内の映画館 入場待ちの行列」『神戸新聞』2009年2月24日))

明石東宝は1966年にビルを新築した。1990年代の映画低迷期には、「明石シネマクラブ」が休館日の明石東宝のスクリーンを借用して定期上映会を行った。1997年にはシネマコンプレックスが登場し、明石東宝の観客数がいっそう減少した。((「『銀幕』の魅力伝えたい タッグ組定期上映会 明石東宝 客層の広がりに期待」『神戸新聞』2011年5月28日))

明石駅南地区には戦前から芝居小屋があり、戦後には明石東宝・明石松竹・明石東映・白鳥座・明石日活館の計5館の映画館があった。1973年には明石東映と白鳥座が閉館し、明石駅南地区の一般映画館は明石東宝のみとなった。1967年頃の写真あり。明石東宝は1966年竣工の6-7階建てのビルに入居し、このビルの東側には明石東映と白鳥座が入るビルがあった。((「明石東宝 月末に閉館 にぎわった“銀幕通り” 60年代から動員数減少 市民『灯が消える』」『神戸新聞』2013年9月5日))

1953年に明石映画銀座として開館し、後に明石東宝に改称して東宝作品の封切館となった。1966年には複合商業ビルを建設してその中に入ったが、映画館の複合ビル化の先駆け的存在だった。1960年代には加山雄三主演の若大将シリーズなどが人気であり、1970年代以降はアニメ映画が人気だった。2001年には東宝との専属契約を解除し、自前での番組編成が可能となった。2013年の閉館時までデジタルシネマ化を行わず、35mmフィルムで上映を行った。2013年9月末に閉館する。閉館時点で東宝系では兵庫県唯一の映画館だった。270席。((「明石東宝 月末に閉館 シネコン主流 伸び悩み 『再開発事業が引き際』」『神戸新聞』2013年9月5日))

2013年9月24日、明石市大明石町の映画館「明石東宝」が閉館する。1953年に「明石映画銀座」の名前で開館し、東宝系の封切館になると明石東宝に改称した。全盛期の明石駅前には5館の映画館が並んでいた。森繁久彌の社長シリーズ、特撮怪獣映画ゴジラシリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどが人気だったが、1970年代から観客が減少していた。((「シネコン、デジタル化に押され 街の映画館60年で幕 明石東宝24日」『読売新聞』2013年9月21日))

JR明石駅/山陽明石駅前の国道2号沿いには、かつて映画会社直営の映画館が並んでいた。それ以外を含めると、映画全盛期の明石市には7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。藤岡弘主演の『大空のサムライ』と森繁久彌主演の『喜劇 百点満点』の看板が見えている。この頃には3館に減っていた。((『写真アルバム 明石市の昭和』樹林舎、2015年、p.86))

*** ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通り1-3-2 マイカル明石1番街(2000年)、兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1丁目3-2 イオン明石ショッピングセンター1番街
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
2000年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ明石」(7館)。7スクリーンのシネコン。スクリーン4(定員492名)は兵庫県内の映画館で最大。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

** 加古川市
*** 加古川市の映画館
1946年(昭和21年)から昭和40年代前半にかけて、加古川市には6館の映画館があった。第一新興座と第二新興座(篠原町のビル内)、旭クラブ(本町)、大劇(寺家町)、加古川劇場(西本町)、日映(篠原町)である。昭和20年代の加古川劇場の写真あり。それぞれ扱う作品の系統に特徴があったが、テレビの普及とともに全国的に映画人気が衰退し、加古川市の映画館もアダルト映画や実演などに手を広げた。昭和の終焉を待たずに全館が閉館し、2001年(平成13年)にワーナー・マイカル・シネマズ加古川が開館するまで、人口20数万人の町に映画館がない時代が続いた。((「GO! GO! かこウォーク」『Kako-Style 2』NPO法人シミンズシーズ、2015年))

*** 加古川劇場/加古川映画劇場
所在地 : 兵庫県加古川市西本町(1955年)、兵庫県加古川市西本町2-128(1960年・1963年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1962年
1953年・1955年の映画館名簿では「加古川劇場」。1960年の映画館名簿では「加古川映画劇場」。1963年の映画館名簿では「加古川劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

加古川市立加古川小学校北側の道を西に向かい、ニッケ社宅に入る手前には雁南川橋があるが、そのたもとの右側には「加古川劇場」があった。戦後しばらくは芝居の興行を行っていたが、全面的に改装して映画館の「加古川映劇」に転換した。中心市街地からはやや離れており、1962年には営業不振で閉館した。加古川映劇という名称だった期間は短く、住民には加古川劇場として記憶されている。1952年頃の写真あり。「KAKOGAWA EIGEKI」の文字が見える。((橘川真一(監修)『加古川・高砂の昭和』樹林舎、2013年、p.87))

*** 宝殿映画劇場/宝殿映劇/加古川宝殿映画劇場
所在地 : 兵庫県加古川市米田町平津478-2(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「宝殿映画劇場」。1963年の映画館名簿では「宝殿映劇」。1966年の映画館名簿では「加古川宝殿映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真を見ると現在の「セブンイレブンJR宝殿駅前店」の場所に巨大な建物がある。

*** 新興座/第一新興会館・第二新興会館
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町(1955年)、兵庫県加古川市篠原町25-1(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1932年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「新興座」。1960年・1963年の映画館名簿では「第一新興会館・第二新興会館」(2館)。1966年の映画館名簿では「加古川日活新興会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では「ヤマトヤシキ 1階・2階喫茶食堂 3階喫茶パリー」。1980年の住宅地図では「1階パチンコ太陽 1階パチンコモコ 2階インベーダーリオ 2階喫茶モコ」。1984年の住宅地図では「1階パチンコ太陽・パチンコモコ 2階ゲームラスベガス・キッサモコ・ビデオレンタルマルマン」。跡地は1989年以後に2階建ての「パチンコ太陽」が新築された後、2019年11月22日開館のカラオケ店「ビッグエコー加古川駅前店」。

1932年(昭和7年)、劇場の末広劇場が映画館の新興座に転換した。『青い山脈』や『君の名は』は超満員だった。小中学生の映画教室の際には、教師に引率されて新興座に連れられた。1956年(昭和31年)12月には4階建ての映画館ビル「新興会館」に建て替えられ、第一新興会館・第二新興会館となった。ワンフロア・ワンスロープという特徴的な構造だった。座席数はいずれも260席。新興会館内には食堂・喫茶店・たこやき屋・うどん屋・飲み屋も営業していた。単独館時代の1953年の写真あり。映画館ビル時代の1961年の写真あり。ネオンアーチのすぐ無効に新興快感が見える。映画館が閉館した後、ヤマトヤシキのカコガワストアとなり、1972年(昭和47年)には百貨店のヤマトヤシキ加古川店となったが、映画館の建物を百貨店に転換するのには無理があり、1979年(昭和54年)に閉店した。1989年(平成元年)には建物が取り壊され、跡地にはパチンコ店が建った。((橘川真一(監修)『加古川・高砂の昭和』樹林舎、2013年、p.86))

昭和30年代の加古川市にあった「新興会館」ビルの写真あり。「Shinko」「第一第二新興会館」の文字が見える。大怪獣『モスラ』の看板が見える。((吉田享盛・喜始彦明(監修)『目で見る 加古川・高砂の100年』郷土出版社、1994年、p.10))

国鉄加古川駅のすぐ南西、加古川町篠原町三桝には映画館の「新興座」があった。1899年(明治32年)12月11日に許可を得て新築し、1900年(明治33年)6月7日に寿座として初興業を行った。1915年(大正4年)12月28日には播州鉄道が持ち主となり、大成座に改称した。尾上松之助や淡海一座が常打ちに近い時代があった。加古川市の名誉市民第一号である演劇評論家の三宅周太郎は、大成座を気にかけていた。1930年(昭和5年)には持ち主が代わって新興座に改称、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この時代には芝居と映画の双方を行う加古川劇場もあった。戦後には鉄筋コンクリート造の新興会館ビルとなり、内部には2映画館があった。その後ヤマトヤシキ加古川店となり、1980年現在はパチンコ店となっている。((玉岡松一郎(編集)『写真集 明治大正昭和 加古川』国書刊行会、1980年、p.89))

*** 加古川大劇
所在地 : 兵庫県加古川市寺家町478-1(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「加古川大劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年のゼンリン住宅地図では跡地に「大劇パーキング」。跡地は月極駐車場「大劇パーキング」。

*** 加古川ひがし東映/ひがし東映/加古川ひがし東映劇場/加古川日映劇場
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町8-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1960年の映画館名簿では「加古川ひがし東映」。1963年の映画館名簿では「ひがし東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「加古川ひがし東映劇場」。1973年の映画館名簿では「加古川日映劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「加古川日映」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「りそな銀行加古川支店」と「播州信用金庫加古川支店」の間にある駐車場(※銀行の駐車場ではない)。

*** 旭倶楽部/加古川東映/旭倶楽部/加古川旭クラブ
所在地 : 兵庫県加古川市本町2-356(1960年・1963年)、兵庫県加古川市本町2-365(1966年・1969年)、兵庫県加古川市本町(1973年)、兵庫県加古川市本町2-365(1977年)
開館年 : 1914年
閉館年 : 1977年以後1980年以前
1953年の映画館名簿では「旭クラブ」。1960年の映画館名簿では「加古川東映」。1963年の映画館名簿では「旭倶楽部」。1966年・1969年・1973年・1977年の映画館名簿では「加古川旭クラブ」。1973年のゼンリン住宅地図では「映画旭クラブ」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「本町公園」。

現在の本町公園の場所には映画館の「旭クラブ」があった。1928年(昭和3年)元旦に開館し、U字型の1階・2階客席を有した。大映系の萌芽と洋画を上映した。1953年の写真あり。((橘川真一(監修)『加古川・高砂の昭和』樹林舎、2013年、p.87))

加古川市の旭クラブ。「ASAHI CLUB」や「旭クラブ」の文字が見える。昭和30年代の写真あり。若者が建物前で立ち話している。((吉田享盛・喜始彦明(監修)『目で見る 加古川・高砂の100年』郷土出版社、1994年、p.129))

1928年の加古川にあった「旭倶楽部」の写真あり。「場切封画映活日」の文字が見える。「忠臣蔵」ののぼりが見える。旭倶楽部は1927年に完成し、1928年に営業を開始した。昭和初期の旭倶楽部の従業員の写真あり。((吉田享盛・喜始彦明(監修)『目で見る 加古川・高砂の100年』郷土出版社、1994年、p.77))

1914年(大正3年)には加古川市本町に映画館の「旭倶楽部」が開館した。館内には売店があり、売り子が客席を回った。2006年(平成18年)現在の跡地は本町公園となっている。昭和初期の写真あり。((『加古川・高砂今昔写真帖』郷土出版社、2006年、p.105))

加古川町366番地には映画館の「旭倶楽部」があった。1927年(昭和2年)4月4日に許可を得て、木村の岡田米吉らが建設し、1928年(昭和3年)1月1日に活動写真館として開館した。写真あり。((玉岡松一郎(編集)『写真集 明治大正昭和 加古川』国書刊行会、1980年、p.89))

*** 加古川日活/加古川東映・シネマ興栄/加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場/加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町(1969年)、兵庫県加古川市篠原町興栄ビル(1973年)、兵庫県加古川市篠原町3-73-4(1977年・1980年・1988年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では「加古川日活」。1973年の住宅地図では「共栄ビル テーラー山崎 シネマ共栄 キッサルビー 加古川日活 加古川産業会館 カレー一番 マルハ食堂 大黒商事KK」。1973年の映画館名簿では「加古川東映・シネマ興栄」(2館)。1977年の映画館名簿では「加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場」(4館)。1980年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1980年・1985年の映画館名簿では「加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ」(4館)。1984年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場・加古川東映パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1988年の映画館名簿では「加古川パレス・加古川シネマ・加古川ローズ」(3館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「加古川駅前第2パーキング」。

*** ワーナー・マイカル・シネマズ加古川/イオンシネマ加古川
所在地 : 兵庫県加古川市平岡町新在家615-1 イオン加古川店シネマ棟3階
開館年 : 2001年1月26日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ加古川1-8」(8館)。8スクリーンのシネコン。

** 高砂市
*** 曽根太陽劇場
所在地 : 兵庫県印南郡曽根町(1955年)、兵庫県高砂市曽根町2284(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「曽根太陽劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 清栄館
所在地 : 兵庫県高砂市高砂町清水(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1960年・1963年の映画館名簿では「清栄館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存し、「有限会社明石屋不動産」が所有する「セイエイカン」となっている。

このほど、高砂市にある旧映画館「清栄館」の建物が、事務所兼住宅として生まれ変わった。約100年前に建築され、1960年代まで映画館として営業していたという。ブラウス工場だった時期もあったが、この10年ほどは廃墟となっていた。高砂市高砂町清水町1484-1。鉄骨鉄筋コンクリート造、3階建(一部地下室)。延床面積約590m2。((「高砂市・旧映画館『清栄館』100年前のモダニズム再び」『毎日新聞』2014年11月11日))

このほど、高砂市高砂町清水町にロケ設備「エミュ・カシェット」がオープンした。運営は写真館を経営するエミュ。建物はかつての映画館「清栄館」であり、戦前に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造3階建ての建物である。((「写真館:元映画館、撮影スペースに スタジオで再生 『映画の1シーン』の趣 高砂」『毎日新聞』2015年7月22日))

*** 高砂座/東照館/高砂東照館
所在地 : 兵庫県高砂市南本町877(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「東照館」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂東照館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。跡地は「シャーメゾン桔梗」。少なくとも2009年までは跡地にレンガ壁が残っていた。

*** 高砂東映/高砂相生座/相生座
所在地 : 兵庫県高砂市細工町1343(1960年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1966年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1969年)、兵庫県高砂市高砂町細工町1348(1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「相生座」。1960年の映画館名簿では「高砂東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂相生座」。1974年の住宅地図では「相生座東映」。1980年の映画館名簿では「相生座」。1982年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「善立寺」北西60mにある居酒屋「千尋」とその東の民家。

1956年1月13日午前2時50分頃、高砂市の「相生座」から出火して建物・泳者設備・プリントなどを焼いた。経営者は吉岡興行、支配人は大島清一。木造2階建て、78坪。漏電が原因とみられ、損害は約1000万円。((「映画館」『キネマ旬報』1956年3月上旬号、140号))

** 加古郡稲美町
映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

** 加古郡播磨町
映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

* 北播磨地域
** 西脇市
*** 西脇市の映画館
フリーペーパーの『へそまち文化新聞』第4号、2018年10月5日には、「特集 織都と銀幕 織物の都の映画館全盛時代とその映画文化」という記事が掲載されている。

*** 蓬莱座/西脇東宝蓬莱座
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市西脇町銀座通(1960年)、兵庫県西脇市銀座通114(1963年)、兵庫県西脇市西脇114(1966年)
開館年 : 1919年2月
閉館年 : 1967年9月11日
1955年の映画館名簿では「蓬莱座」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西脇東宝蓬莱座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1919年(大正8年)2月、株式会社蓬莱座が落成した。1931年(昭和6年)3月、蓬莱座が全焼した。1932年(昭和7年)12月、蓬莱座が再建落成した。1967年(昭和42年)9月、蓬莱座が閉館した。((西脇市郷土資料館『西脇市歴史年表』西脇市郷土資料館、2000年、p.39、p.40、p.42))

1919年(大正8年)2月1日、蓬莱座の落成式とこけら落とし公演が行われた。午前11時半から落成式を行い、正午12時から演劇公演が行われた。大正初期の蓬莱座の写真あり。1931年(昭和6年)3月には蓬莱座が全焼したが、1万5000円を投じて再建された。1932年(昭和7年)12月22日、細田兵庫県議会議員や衣川西脇警察署長など300余人を招待して落成式が行われた。落成式の日から5日間、関西歌舞伎の片岡秀郎・嵐橘香・片岡門童・嵐佳笑などの一座を招待し、すべて新調した舞台道具で華々しくこけら落とし公演を行った。周辺住民は巨大建築物の火事にこりて再建に反対していたが、建物の周囲にコンクリートの防火塀を立てることで協議が決着した。1967年(昭和42年)9月11日、蓬莱座が閉館した。西脇区が中心となって開館させた劇場であり、半世紀近くに渡って西脇の町に娯楽を提供した。((脇坂俊夫「西脇の映画劇場 大衆娯楽の栄昌と衰退」『童子山』西脇市郷土資料館、第15号、2008年))

1931年(昭和6年)に「蓬莱座」が火災に遭う前、西脇婦人会による敬老会の記念写真あり。「大歌舞伎」の看板が見える。蓬莱座の1階と2階では座席料金が異なっていた。ざぶとんや火鉢は別料金を払って借りることができた。((脇坂俊夫(監修)『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 西脇』国書刊行会、1980年、p.105))

1967年(昭和42年)頃の映画館「蓬莱座」の写真あり。「西脇東宝HORAIZA」「蓬莱座」の文字が見える。1995年現在も蓬莱座のコンクリート防火塀の一部が残存。((『目で見る北播磨の100年』郷土出版社、1995年、p.127))

*** 富士映画劇場/西脇東映/西脇銀映
所在地 : 兵庫県西脇市戎町179(1960年)、兵庫県西脇市戎町(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年3月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「西脇銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年(昭和35年)3月、西脇で5番目の映画館として「銀映」が開館した。((西脇市郷土資料館『西脇市歴史年表』西脇市郷土資料館、2000年、p.42))

*** 寿座/西脇寿座
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市北本町(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1926年2月
閉館年 : 1984年6月1日
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「西脇寿座」。1973年・1980年の住宅地図では「寿座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北本町公民館」北東40mの「第一不動産月極駐車場」。

1926年(大正15年)2月、株式会社寿座が落成した。1984年(昭和59年)6月、寿座が閉館した。((西脇市郷土資料館『西脇市歴史年表』西脇市郷土資料館、2000年、p.40、p.43))

1922年(大正11年)1月28日、西脇町の駅前に西脇館が竣工した。午後1時から開館式が行われ、西村兵庫県議会議員・橋本多可郡長・来住西脇町長・松町西脇駅長などが祝辞を述べた。午後2時からは来賓や株主などによる大宴会が催された。1925年(大正14年)に寿座に組織替えしてから、半世紀以上に渡って西脇の町に娯楽を提供した。1984年(昭和59年)6月1日、寿座が閉館した。((名称不明の文献、p.208))

1935年(昭和10年)頃の寿座の館内の写真あり。1階の観覧席は枡席であり、弁当・料理・一升瓶持参の観客が見える。((脇坂俊夫(監修)『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 西脇』国書刊行会、1980年、p.111))

*** 西脇映画劇場/西脇映劇
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市南本町2(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年)
開館年 : 1946年8月1日
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇映画劇場」。1973年・1980年の住宅地図では「西脇映画劇場」。1980年・1982年の映画館名簿では「西脇映劇」。1982年の映画館名簿では経営者が高尾常松、支配人が神子田徳太郎、木造1階、470席、にっかつ・成人映画を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート西脇南本町店」の北150mの「レオパレスユニコム弐番館」。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。「西映」とも。

1946年(昭和21年)8月、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の映画館である。((西脇市郷土資料館『西脇市歴史年表』西脇市郷土資料館、2000年、p.41))

1946年(昭和21年)8月1日、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の劇場である。当初は12人の出資者によって運営されていたが、やがて実権は中心人物の高尾常松に移行していった。1958年(昭和33年)4月18日、高尾は隣接地に鉄骨造3階建ての西脇大劇を開館させた。1960年(昭和35年)3月1日、高尾は西脇銀映を買収し、西脇において映画館3館の経営者となった。テレビの普及で映画業界が下火になったため、西脇映画劇場と西脇銀映は閉館して取り壊され、現在は西脇大劇のみが残っている。((名称不明の文献))

*** 西脇大劇東映/西脇大劇/西脇大劇1・2
所在地 : 兵庫県西脇市西脇町(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年)、兵庫県西脇市南本町2-1034(1966年・1969年)、兵庫県西脇市南本町2(1973年・1980年・1985年・1990年)、兵庫県西脇市西脇1034(1995年・2000年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2007年10月28日
1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇大劇東映」。1973年の住宅地図では「西脇大劇」。1980年の映画館名簿では「西脇大劇」。1980年の住宅地図では「西脇大劇 2階西脇時報社・ハリマトラベルセンター」。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「西脇大劇1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。西脇市初の鉄筋コンクリート造映画館。跡地は「ファミリーマート西脇南本町店」の北180mの更地。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。西脇市・北播地方最後の映画館。

1958年(昭和33年)4月、西映の北側に鉄筋コンクリート造3階建ての西脇大劇が開館した。((西脇市郷土資料館『西脇市歴史年表』西脇市郷土資料館、2000年、p.42))

西脇市にあった映画館の写真あり。手前に「西脇映画劇場」、奥に「西脇大劇」と並んでいる。((脇坂俊夫(監修)『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 西脇』国書刊行会、1980年、p.120))

** 三木市
*** 大正館
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町
開館年 : 1915年
閉館年 : 1950年以前?
1950年の映画館名簿には掲載されていない。

1915年(大正4年)の美嚢郡三木町の明石町にあった「大正館」の写真あり。創設者のひとりである三宅貫太郎が神戸から嵐岩笑一座を招いてこけら落としを行った際の写真である。やがて映画館化して邦画専門館となり、隣接する洋画専門館の「銀映」と並んで賑わった。テレビの普及とともに閉館し、1981年(昭和56年)現在はガレージとなっている。((松村義臣(編)『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 三木』国書刊行会、1981年、p.99))

三木市の大宮八幡宮の参道に面した本町には、大正から昭和にかけて「大正館」があった。人形浄瑠璃や芝居が行われ、東北播や西神などからも観客が訪れた。1913年の播州鉄道開業を記念し、地元有志の三宅貫太郎らが建設を呼び掛けた。三木町会議員の久米要蔵、岸本磯次郎、進藤元次郎らが世話人や株主となって資金を集め、1913年に着工し、1914年に竣工した。1914年に開館した際の写真あり。こけら落としには神戸から嵐岩笑一座が招かれた。市川右団次の関西歌舞伎、人形浄瑠璃、喜劇芝居などの定期公演が行われた。1931年には第1回三木金物祭りのアトラクションである舞踊大会も行われた。建物は木造瓦葺の本格的な劇場であり、内部は3階までの吹き抜けとなっていた。1階は畳敷きで約100席の枡席であり、2階と3階にも一般客席があった。興行日以外には、敬老会、婦人会行事、村芝居などにも使用された。1928年には近くに芝居小屋「福介座」が開館したが、1932年には閉鎖されている。「戎座」は火災で焼失した。戦後の大正館は「三木東映」や洋画の「銀映」となり、昭和30年代初頭まで営業した。建物は取り壊され、2002年現在の跡地は住宅街となっている。((ビジュアルブックス編集委員会『失われた風景を歩く 明治・大正・昭和』神戸新聞出版センター、2002年、pp.126-127))

*** 吉川文化会館
所在地 : 兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1960年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬(1963年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「吉川文化会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 三木映劇/三木映画劇場/三木東映/三木東映劇場
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町宮前町(1953年)、兵庫県三木市宮前町(1955年)、兵庫県三木市三木町福井1332(1958年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年5月開館。1950年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「三木映劇」。1955年の映画館名簿では経営者が岡田新吉郎、支配人が神子田徳太郎、木造2階、定員500、混合を上映。1958年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「三木東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「三木東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 三木銀映/三木日活銀映
所在地 : 兵庫県三木市三木町福井(1958年・1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三木銀映」。1969年の映画館名簿では「三木日活銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 昭和キネマ/三木昭映/三木昭映館
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町福井(1953年)、兵庫県三木市福井(1955年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年)、兵庫県三木市三木町清水町(1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1929年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「昭和キネマ」。1955年の映画館名簿では経営者が高田朝次、支配人が高田政孝、木造2階、定員550、松竹・東宝を上映。1960年・1963年の映画館名簿では「三木昭映」。1966年・1969年の映画館名簿では「三木昭映館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代から1980年代の航空写真を見ると旧小河家別邸の北東90mの分譲住宅地に巨大な建物がある。

三木市にあった映画館「昭和キネマ」のチラシあり。『新しき天』などが描かれている。昭和初期に映画専門館として開館し、「大正館」や「銀映」よりも早かったとされる。時代の流れに押されて閉館し、三木市から劇場や映画館が消えた。((松村義臣(編)『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 三木』国書刊行会、1981年、p.101))

** 小野市
*** 福栄座
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町小野(1953年・1955年)、兵庫県小野市小野町(1958年・1960年)
開館年 : 江戸時代
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「福栄座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「小野上本町郵便局」西80mにある民家。最寄駅は神戸電鉄粟生線小野駅。

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。1963年(昭和38年)頃に閉館した。1996年(平成8年)現在の上本町のスーパー付近にあった。((『目で見る小野・加東の近代』小野市立好古館、1996年、p.40))

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。((『小野市50年のあゆみ写真展 人びとの暮らしとともに』小野市立好古館、2004年、p.29))

*** 朝日館/小野朝日館
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町垂井(1953年・1955年)、兵庫県小野市神明町(1958年・1960年)、兵庫県小野市神明町82-7(1966年・1969年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1928年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「朝日館」。1966年・1969年の映画館名簿では「小野朝日館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では確認できず。跡地はアパート「フェリシアガーデン」。最寄駅は神戸電鉄粟生線小野駅。

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。神明町にあった。1975年(昭和50年)頃に閉館した。((『目で見る小野・加東の近代』小野市立好古館、1996年、p.40))

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。((『小野市50年のあゆみ写真展 人びとの暮らしとともに』小野市立好古館、2004年、p.29))

** 加西市
*** 北条映画劇場
所在地 : 兵庫県加西郡北条町北条819-1(1960年)、兵庫県加西郡北条町北条(1963年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「北条映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 住吉座/北条住吉座
所在地 : 兵庫県加西郡北条町(1955年・1960年・1963年)、兵庫県加西郡北条町北条2448(1966年)、兵庫県加西市北条町北条2448(1969年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「住吉座」。1966年・1969年の映画館名簿では「北条住吉座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本生命保険北条営業部」。最寄駅は北条鉄道北条町駅。

時期不明だが北条町にあった「住吉座」の写真あり。大正期の住吉座の館内の写真あり。1階席と2階席が見える。閉館間際の外観の写真あり。1919年に開館した加西郡唯一の常小屋だった。「北条劇場」と称していた時期もある。阪神間の新派劇や軽演劇などを上演し、戦後には映画館としてもにぎわった。1970年頃に閉館した。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 加西』国書刊行会、1979年、p.89))

** 加東市
*** 東条映画劇場
所在地 : 兵庫県加東郡東条町天神(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「東条映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 滝野寿座
所在地 : 兵庫県加東郡滝野町(1958年・1960年)、兵庫県加東郡滝野町上滝野(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「滝野寿座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は兵庫県道17号滝野駅前交差点南東60mの「中華そば大橋専用駐車場」。最寄駅はJR加古川線滝野駅。

*** 佐保座/社大劇/社劇場
所在地 : 兵庫県加東郡社町(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年)、兵庫県加東郡社町社(1966年・1969年)
開館年 : 1912年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「佐保座」。1955年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、木造2階、定員200。1960年の映画館名簿では「社大劇」。1960年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、鉄筋2階暖房付、定員450、邦画・洋画を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「社劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫県信用組合社支店」。

1912年(明治45年)4月4日、加東郡の「社劇場佐保座」で東播電気株式会社の開業式が挙行され、数百人の来賓が出席した。社劇場佐保座は現在の社町の銀座通りにあった。

『保存版 北播磨今昔写真帖』郷土出版社、2007年、p.90に「佐保座から大劇へ」が掲載されている。現物は未確認。((『保存版 北播磨今昔写真帖』郷土出版社、2007年、p.90))

** 多可郡多可町
*** 鍛冶屋劇場
所在地 : 兵庫県多可郡中町鍛冶屋(1960年・1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「鍛冶屋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 中町映画劇場/中町映劇
所在地 : 兵庫県多可郡中村町(1953年・1955年)、兵庫県多可郡中町(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1929年3月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年3月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「中町映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「中町映画劇場」。1963年の映画館名簿では「中町映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

* 中播磨地域
** 神崎郡神河町
映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

** 神崎郡市川町
映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

** 神崎郡福崎町
*** 福崎劇場/福崎東洋劇場/福崎東洋映画劇場
所在地 : 兵庫県神崎郡福崎町(1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県神崎郡福崎町福田411-1(1966年・1969年)、兵庫県神崎郡福崎町(1973年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1973年以後1975年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「福崎劇場」。1963年の映画館名簿では「福崎東洋劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「福崎東洋映画劇場」。1973年の住宅地図では「東洋映劇」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「福崎町立福崎小学校」北校舎の北120mの住宅地。最寄駅はJR播但線福崎駅。

* 西播磨地域
** 相生市
*** 播磨劇場/播磨映画劇場/相生東映/相生東映播磨映画劇場
所在地 : 兵庫県相生市(1950年・1953年)、兵庫県相生市松の浦(1955年)、兵庫県相生市相生松浦1829(1960年)、兵庫県相生市相生松ノ浦町(1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生1-2-27(1969年)
開館年 : 1918年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「播磨劇場」。1958年の映画館名簿では「播磨映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「相生東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「相生東映播磨映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1942年の相生市にあった映画館「播磨劇場」の写真あり。相生港地区にあり、松浦氏が経営していた。造船所を訪れた軍艦の水兵などが見える。((『目で見る 赤穂・相生の100年』郷土出版社、1994年、p.70))

1942年の「播磨劇場」の写真あり。1918年、造船所が厚生施設として播磨劇場を建設した。1926年8月7日に播磨劇場で行われた陪審法の模擬裁判の写真あり。映画館に転用されて「播磨映劇」となり、昭和30年代は東映の専門館だった。((『ふるさと相生の二十世紀写真集』相生まちづくり塾・ふるさと相生の二十世紀写真集発行委員会、2008年、p.46))

1940年頃の相生市相生にあった「播磨劇場」で開催された出征軍人遺家族慰安会の写真あり。大正時代に造船所が播磨劇場を建設し、戦後には映画館「相生東映」に改称した。((『写真アルバム 赤穂・相生・上郡・佐用の昭和』樹林舎、2016年、p.52))

*** 相生館
所在地 : 兵庫県相生市(1950年・1953年)、兵庫県相生市相生3955(1955年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生5-1-26(1969年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1972年
1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「相生館」。1973年のゼンリン住宅地図では相生5-1-26に「播●生協上町支部建設中」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「CO-OP相生支部」。跡地は「相生公民館」南東30mにある駐車場「相生公民館滴水庵専用駐車場」。

1942年3月の相生市にあった「相生館」の写真あり。((『目で見る 赤穂・相生の100年』郷土出版社、1994年、p.70))

1942年3月25日の相生市にあった「相生館」の写真あり。1930年に建てられた。映画全盛期の相生市には「相生館」「播磨映劇」「旭館」の3映画館があった。1956年には3館すべてが相生興行の傘下に入り、旭館は邦画、播磨映劇は東映、相生館は洋画と邦画を上映した。((『ふるさと相生の二十世紀写真集』相生まちづくり塾・ふるさと相生の二十世紀写真集発行委員会、2008年、p.71))

1930年の「相生館」開業の日の写真あり。1972年の相生館閉館前の写真あり。最盛期の相生市には3館の映画館があり、相生館は1930年から1972年まで営業した。閉館後の建物は播磨生協の店舗として使用され、コープこうべとなった後も店舗として使用された。2013年には耐震の問題でコープミニ相生みなと店が閉店し、取り壊されてからは相生公民館の駐車場となっている。((相生市教育委員会生涯学習課『相生ふるさと散歩』相生市教育委員会、1992年、p.5))

*** 旭館/相生旭館
所在地 : 兵庫県相生市相生1184(1958年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市旭5-14-1(1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「旭館」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「相生旭館」。1973年のゼンリン住宅地図では「旭館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「旭館 西播運輸」。跡地は「播州信用金庫相生支店」東の「西播運輸」駐車場。

1975年頃の相生市にあった「旭館」の写真あり。旭商店街入口の旭本町5丁目にあった。相生市で最後まで営業していたが、1975年に閉館した。商店街はあとに入る企業を誘致し、1977年に西播通運の本社が移転してきた。2006年現在の跡地の写真あり。映画館の建物は長らく西播通運の本社として使用されたが、2003年に取り壊された。跡地には暫定的に播州信用金庫相生支店の仮店舗が建っていたが、2006年現在は駐車場となっている。((古林森廣・寺本躬久(監修)『赤穂・相生・上郡・佐用今昔写真帖』郷土出版社、2006年、p.98))

時期不明の相生市にあった「旭館」の写真あり。1954年に本町商店街の北側に開館した。1962年に『キューポラのある町』が上映された際、本作品を監督した浦山桐郎(相生出身)は旭館の最後尾で観客の反応を確かめた。((『ふるさと相生の二十世紀写真集』相生まちづくり塾・ふるさと相生の二十世紀写真集発行委員会、2008年、p.113))

** 赤穂市
*** 振興会館
所在地 : 兵庫県赤穂市坂越町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「振興会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** みかさ館
所在地 : 兵庫県赤穂市有年横尾(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「みかさ館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 赤穂宝塚劇場
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋町62-4(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋53-2(1966年・1969年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂宝塚劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 満寿廻館/満寿遒館/赤穂マスノ館/マスノ館
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋寺町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋2194(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 明治末期、1939年
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「満寿廻館」。1953年・1955年の映画館名簿では「満寿遒館」。1960年・1963年の映画館名簿では「マスノ館」。1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂マスノ館」。1973年の映画館名簿では「マスノ館」。1974年のゼンリン住宅地図では「マスノ映画館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「赤穂市加里屋駐車場」南側。

後の「満寿廼館」(ますのかん)は明治時代末期に寄席として建てられ、まもなく映画専門館に転換した。1939年(昭和14年)頃に改築され、「映画の殿堂マスノ館」として親しまれた。1973年(昭和48年)頃に閉館した。花輪が見える写真あり(※1939年頃)。((山本正二『写真集 播州赤穂 昔と今』神戸新聞出版センター、1981年、p.128))

*** 福栄座/赤穂東映/赤穂東映劇場/赤穂あかいトーエー/あかいトーエー
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1958年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1886年3月(演劇場)、1952年(映画館化)
閉館年 : 1981年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1886年3月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「福栄座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「赤穂東映」。1966年の映画館名簿では「赤穂東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「赤穂あかいトーエー」。1974年のゼンリン住宅地図では「あかいトーエー」。1980年の映画館名簿では「あかいトーエー」。1980年のゼンリン住宅地図では「あかいトーエー(キッサセレナ)」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は介護施設「マスターズ倶楽部」。

1886年(明治19年)には赤穂に「福栄座」が建てられ、漫才・芝居・浪曲など演劇の殿堂だった。1952年(昭和27年)に映画専門館となって「赤穂東映」に改称した。1981年(昭和56年)4月5日をもって閉館した。昭和初期の福栄座の写真あり。((山本正二『写真集 播州赤穂 昔と今』神戸新聞出版センター、1981年、p.128))

1968年5月の赤穂市に建設中の「アカイ東映」の写真あり。1991年現在のこの建物は主婦の店赤穂店になっている。アカイ東映で使用されていた映写機の写真あり。((『赤穂市40年のあゆみ』赤穂市立歴史博物館、1991年、p.27))

*** プラット赤穂シネマ1・2・3
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋70-1 プラット赤穂2階(2005年・2010年・2015年)
開館年 : 2000年12月1日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「プラット赤穂シネマ1・2・3」(3館)。

** 宍粟市
*** 日盛館
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「日盛館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 上野劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡西谷村(1955年)、兵庫県宍粟郡波賀町上野(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「上野劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 旭座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町寺町(1963年)
開館年 : 1881年、1925年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「旭座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

山崎町寺町にあった劇場「旭座」の写真あり。旭座は1881年(明治14年)に開館し、1924年(大正13年)に焼失したが、1925年(大正14年)に再建された。1925年(大正14年)には中村福助が、1949年(昭和24年)には市川九団次が山崎町を訪れている(※旭座を訪れたかどうか曖昧な表現がなされている)。((山崎町史編集委員会『山崎町史』山崎町、1977年、pp.1226-1227))

*** 昭和座
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1958年・1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方下垣内359(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「昭和座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 神戸劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町神戸(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町曲里(1963年)、兵庫県t(1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「神戸劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 一宮劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町東市場(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1960年の映画館名簿では「一ノ宮劇場」。1963年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1966年の映画館名簿では「一宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 三方劇場/三方映劇
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町三方(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方420(1963年)、兵庫県宍粟郡一宮町梅ケ坪247-7(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「三方劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「三方映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 新富座/山崎新富座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1950年・1953年・1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町庄能(1963年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1966年)
開館年 : 1926年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「新富座」。1966年の映画館名簿では「山崎新富座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

大正時代の山崎町にあった「新富劇場」の内部の写真あり。1階席と2階席があり、「場劇富新」の文字が見える。山崎町の鴻ノ口には「新富座」が、寺町には「旭座」があった。新富座はのちに新富劇場に改称し、芝居・映画・演説会などに使われた。昭和40年代に閉館し、2002年現在の跡地は魚菜市場となっている。((河合四郎(監修)『目で見る龍野・揖保・宍粟の100年』郷土出版社、2002年、p.35))

1946年の山崎町にあった「新富座」の写真あり。開演前の光景である。毎日映画を上映していたが、しばしば著名な芸能人が来館し、芝居・歌・ショーなどの興行が行われた。2008年現在の新富座跡地の写真あり。現在は野菜などの市場になっている。((河合四郎(監修)『保存版 たつの・宍粟・太子今昔写真帖』郷土出版社、2008年、p.117))

*** 千種劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡千種村(1955年)、兵庫県宍粟郡千種村千草(1960年)、兵庫県宍粟郡千種村千草162(1963年)、兵庫県宍粟郡千種町162(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「千種劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 山映館/山映劇場/山崎山映館
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1963年・1966年・1969年)、兵庫県宍粟郡山崎町(1973年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1973年以後1975年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「山映劇場」。1960年の映画館名簿では「山映館」。1963年の映画館名簿では「山映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「山崎山映館」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。

** たつの市
*** 平和館/竜野銀映
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町(1957年)、兵庫県龍野市龍野町堂本34(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1962年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1957年の映画館名簿では「平和館」。1957年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建、500席、邦画・洋画を上映。1959年・1960年の映画館名簿では「竜野銀映」。1959年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建冷暖房付き、560席、邦画を上映。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では発見できず。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「平和館」が掲載されている。経営者は森辰蔵、所在地は竜野市富永3丁目313-5。((竜野市役所商工課・辰野商工会議所事務局『竜野地区商工名鑑 1957年版』竜野市役所、1957年、p.161))

*** 龍野劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町旭町155(1960年)、兵庫県龍野市龍野町旭町(1962年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1962年・1963年の映画館名簿では「龍野劇場」。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍劇映画館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の京洛出版住宅案内図では「神姫バス龍野営業所」。1978年の住宅地図では「神姫バス龍野営業所」。跡地は「神姫バス龍野案内所」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

1913年から1914年頃の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が見えている。龍野は芸妓の多い街であり、揖玉座も繁盛した。1935年に火災で焼失し、その後「龍野劇場」となった。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 龍野』国書刊行会、1980年、p.62))

昭和初期の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が、背後に城山が見えている。月に一度、明石や加古川から岩崎メトロや中村錦峯が地方巡業にやってきた。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 龍野』国書刊行会、1980年、p.62))

大正時代の龍野にあった劇場「揖玉座」を揖保川越しに見た写真あり。蔵造りの揖玉座(龍野劇場)で演説会があると、新聞は聴衆千数百人と報じた。((河合四郎(監修)『目で見る龍野・揖保・宍粟の100年』郷土出版社、2002年、p.35))

昭和初期の龍野にあった劇場「揖玉座」の写真あり。素麺組合の従業員慰労会が開催されており、舞台では三味線に合わせて踊りが披露されている。((河合四郎(監修)『目で見る龍野・揖保・宍粟の100年』郷土出版社、2002年、p.59))

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「龍野劇場」が掲載されている。経営者は佐野安治、所在地は龍野市龍野町旭町155。((龍野市役所商工課・辰野商工会議所事務局『龍野地区商工名鑑 1957年版』龍野市役所、1957年、p.161))

*** 新宮劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡新宮町(1950年・1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡新宮町立町821(1966年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「新宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

『龍野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「新宮劇場」が掲載されている。経営者は船引徳二、所在地は揖保郡新宮町新宮783。((龍野市役所商工課・辰野商工会議所事務局『龍野地区商工名鑑 1957年版』竜野市役所、1957年、p.161))

*** 龍野有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県龍野市龍野町富永(1962年)、兵庫県龍野市龍野町富永224(1963年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1966年・1969年)、兵庫県龍野市富永214-1(1973年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1960年以後1962年以前
閉館年 : 1984年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍野東映」。1962年・1963年の映画館名簿では「有楽館」。1962年〜1971年の旭地図商会龍野市住宅地図では「東映有楽館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「龍野有楽館」。1974年・1978年・1979年のゼンリン住宅地図では「映画有楽館」。1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「有楽館」。1982年の映画館名簿では経営者・支配人ともに香川たか、鉄筋造1階、500席、にっかつ・東映を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン本竜野店」西北西140mの「ふれあ専用駐車場」と「西村不動産月極駐車場」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

** 揖保郡太子町
*** 新興映劇
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新興映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 太子映画劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町466(1958年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡太子町鵤466(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1957年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「太子映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の刊広社住宅明細図では跡地に「倉庫」。映画館の建物は「はりま十水堂」工場だったが2010年代末以降に取り壊された。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「太子映画劇場」が掲載されている。経営者は船引栄、所在地は揖保郡太子町鵤466-1。((竜野市役所商工課・辰野商工会議所事務局『竜野地区商工名鑑 1957年版』竜野市役所、1957年、p.161))

** 赤穂郡上郡町
*** 上郡劇場
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町(1950年・1960年・1963年)
開館年 : 1937年、1945年
閉館年 : 1965年
1950年の映画館名簿では「上郡劇場」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「上郡劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1904年、日露戦争の戦勝を記念して上郡駅前に「日勝座」が創設された。1973年現在の酒店の長安商店付近である。日勝座からやや遅れて、旭町に「旭座」が創設された。1973年現在の野村指物店の屋敷である。1913年頃には旭座が山本惣吉の経営で「やまき座」となった。やがてやまき座の営業権が秋田氏に移り、1937年には千種川の河畔に「上郡劇場」が発足した。戦前の上郡劇場では芝居やトーキー映画の興行が行われた。1944年には鉄工所に改造され、劇場としての営業を休止した。1945年12月25日、秋田氏と姫路の興行業者の共同出資によって上郡劇場のこけら落としが行われた。戦後の上郡劇場は映画の上映が多く、その他にも様々な演劇が行われた。上郡劇場は1965年に廃業し、建物は播州繊維工業株式会社となった。((上郡町史編纂委員会『上郡町のすがた』上郡町教育委員会、1973年、pp.249-250))

1937年、「上郡劇場」が開かれた。1945年、段町に上郡劇場が再建された。((上郡町郷土資料館『郷愁の昭和、激動の平成〜上郡今昔写真展〜』上郡町郷土資料館、2019年、p.4))

1942年(昭和17年)の上郡町上郡にあった「上郡劇場」で開催された出征軍人家族慰安会の写真あり。1937年(昭和12年)に前身の劇場を引き継いで開館し、千種川の河畔にあった。戦後には移転して営業を再開したが、1965年(昭和40年)に閉館した。((『写真アルバム 赤穂・相生・上郡・佐用の昭和』樹林舎、2016年、p.52))

*** 中野クラブ
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町中野(1960年)、兵庫県赤穂郡上郡町高田(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「中野クラブ」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

** 佐用郡佐用町
*** 佐用第一劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 寿劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町136(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 佐用劇場/佐用映劇/佐用映画劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「佐用劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用映劇」。1963年の映画館名簿では「佐用映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。佐用町最後の映画館。

*** 上月映画劇場/上月映劇/上月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡西庄村(1955年)、兵庫県佐用郡上月町530(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡上月町上月(1963年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「上月劇場」。1958年の映画館名簿では「上月映画劇場」。1960年の映画館名簿では「上月映劇」。1963年の映画館名簿では「上月劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 徳久劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡南光町下総久(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡南光町徳久(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「徳久劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 三日月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡三日月町(1958年・1960年・1963年)、兵庫県佐用郡三日月町三日月1117(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三日月劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

* 但馬地域
** 豊岡市
*** 温城館
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1943年)
開館年 : 1943年以前
閉館年 : 1943年以後
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「温城館」。1943年の映画館名簿によると経営者が春山三代松、定員320。1950年の映画館名簿には掲載されていない。トキワ館/常盤座との関係は不明。

1938年の前田虹映が描いた鳥瞰図『躍進の城崎温泉観光図』には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。((前田虹映『躍進の城崎温泉観光図』1938年。岐阜県図書館『鳥観図』〈古地図の世界 9〉岐阜県図書館、2010年に収録。))

作者・出版年不明で竹之井が刊行した『城崎温泉御案内』、出版年不明には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。((作者不明『[[城崎温泉御案内>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005515465.html]]』竹之井、出版年不明))

*** 山陰映画館
所在地 : 兵庫県豊岡市円山町(1958年)、兵庫県豊岡市円山(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「山陰映画館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 大勝館
所在地 : 兵庫県豊岡市生田通122(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「大勝館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 東館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町99(1958年)、兵庫県出石郡出石町(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「東館」。1960年の映画館名簿では経営者・支配人ともに芦田一雄、木造2階建、400席、東映・松竹を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「出石史料館」南西80mにある駐車場。

1942年の出石町の街中にあった「東館」の写真あり。右隣に出石印刷工場がある。出石町にあった芝居や映画の娯楽施設としては「永楽館」と東館があった。2006年の東館跡地の写真あり。駐車場となっている。奥に山本製陶が見える。((山口久喜(監修)『保存版 但馬今昔写真帖』郷土出版社、2006年、p.97))

*** 竹野集会所/竹野集会場/竹野映劇/竹野映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡竹野町(1955年)、兵庫県城崎郡竹野町浜(1958年)、兵庫県城崎郡竹野町土居(1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「竹野集会所」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造・定員は記載なし。1958年の映画館名簿では「竹野集会場」。1958年の映画館名簿では経営者が杉田。1960年の映画館名簿では「竹野映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が杉田ハル、支配人が細間儀朗、木造1階、定員200、邦画を上映。1963年の映画館名簿では「竹野映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** トキワ館/常盤座
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県城崎郡城崎町湯島(1958年)、兵庫県城崎郡城崎町宮本(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「トキワ館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「常盤座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。温城館との関係は不明。

*** 日高劇場/日高映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町(1955年・1958年)、兵庫県城崎郡日高町日吉(1960年)、兵庫県城崎郡日高町(1963年)
開館年 : 1903年2月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1903年2月開館。1955年の映画館名簿では「日高劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日高映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 永楽館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町柳17(1958年)、兵庫県出石郡出石町柳(1960年・1963年)
開館年 : 1901年
閉館年 : 1964年
Wikipedia : [[永楽館>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E6%A5%BD%E9%A4%A8]]
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「永楽館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存。兵庫県指定有形文化財。現地に現存する劇場建築としては日本最古。

兵庫県出石町は但馬の小京都と呼ばれる町である。1901年には芝居好きの小幡久治郎によって芝居小屋「永楽館」が開館した。明治から大正にかけて、歌舞伎の興行・映画の上映・政談演説会などが行われた。昭和初期に小幡久治郎が死去すると、息子の小幡謹一郎が引き継いだ。昭和40年代半ばには経営難で閉鎖された。近畿地方に現存する最古の芝居小屋とされるが、現在は老朽化によってぼろぼろの廃屋状態である。しかし、このほど出石町有形文化財に指定され、出石町主導で復元されることとなった。1階は120坪、2階は60坪、定員は702人。直径6.5メートルの手動の回り舞台がある。花道の下には奈落の通路があり、花道の上には宙乗りに用いる仕掛けがある。((「芝居の灯 町小屋に再び 元高校校長小幡謹一郎氏」『日本経済新聞』1998年5月22日))

出石永楽館は1901年(明治34年)に開館。木造2階建て、610m2。350人収容。当初は歌舞伎や寄席の興行を行い、のちに映画館となった。1964年(昭和39年)に閉館。2006年(平成18年)には復元工事が行われ、2008年(平成20年)に片岡愛之助一座がこけら落としの歌舞伎公演を行った。((「出石永楽館」『読売新聞』2017年11月20日))

女優の片桐はいりは「出石永楽館」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には出石永楽館に関する随筆が掲載されている。((片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年))

*** 竹野会館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年)、兵庫県城崎郡竹野町土山(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「竹野会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 出石映画劇場
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1963年・1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「出石映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が荒井寿、木造平屋建、290席、東映・東宝・松竹を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 港劇場/豊岡港劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡港村(1953年)、兵庫県城崎郡港村瀬戸(1955年)、兵庫県豊岡市瀬戸(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「港劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「港劇場」。1966年の映画館名簿では「豊岡湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 池田映劇/池田映画劇場/江原池田映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町江原(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「池田映劇」。1963年の映画館名簿では「池田映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「江原池田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 白鳥館/豊岡東映/豊岡東映劇場
所在地 : 兵庫県豊岡市亀山通(1955年・1960年・1963年・1966年)、兵庫県豊岡市泉町15-2(1969年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「白鳥館」。1960年・1963年の映画館名簿では「豊岡東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「豊岡東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「キッサパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「1階メンズショップOZAKI、2階フルーツパーラパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「1階メンズショップオザキ、2階パーラーパンダ」。

*** 豊岡有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市大開東区(1955年)、兵庫県豊岡市大開東(1960年)、兵庫県豊岡市大開東区(1963年・1966年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1969年)、兵庫県豊岡市中央町(1973年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1988年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1923年開館。1950年・1953年の映画館名簿では「有楽館」。1955年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「豊岡有楽館」。1973年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1974年・1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「有楽ビル 3階 映画館」。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「有楽館」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンファミリー豊岡」。

*** 豊岡劇場/豊岡劇場・豊岡シネマ/豊岡劇場1・2/豊岡劇場大ホール・小ホール
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市円山区(1955年)、兵庫県豊岡市円山(1960年・1963年)、兵庫県豊岡市滋茂21(1966年)、兵庫県豊岡市滋茂11(1969年)、兵庫県豊岡市元町11(1973年)、兵庫県豊岡市元町10-18(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1927年? 1933年?
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「豊岡劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「豊岡劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「豊岡劇場・豊岡シネマ」(2館)。1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「豊劇 豊岡シネマ」。1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「豊岡劇場1・2」(2館)。2012年3月31日閉館。2014年12月27日再開館。2015年の映画館名簿では「豊岡劇場大ホール・小ホール」(2館)。

城崎郡日高町(現・豊岡市)出身の俳優である今井雅之は、兵庫県立豊岡高校在学時にしばしば「豊岡劇場」に通っていた。((『若いぼくらにできること』〈岩波ジュニア新書〉岩波書店、1997年、pp.9-18))

女優の片桐はいりは「豊岡劇場」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には豊岡劇場に関する随筆が掲載されている。((片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年))

豊岡劇場に言及している書籍として中村政人『コミュニティ・アートプログラム』アートNPOゼロダテ、2013年がある。京都市の出町座や福知山市のまちのばにも言及している。((中村政人『コミュニティ・アートプログラム』アートNPOゼロダテ、2013年))

豊岡劇場に言及している書籍として『新しいコミュニティを生み出す空間とデザイン』パイインターナショナル、2020年がある。((『新しいコミュニティを生み出す空間とデザイン』パイインターナショナル、2020年))

2012年3月15日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「さよなら豊岡劇場」という記事が掲載されている。((「さよなら豊岡劇場」『毎日新聞』2012年3月15日))

2012年3月16日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊岡劇場今月末に閉館」という記事が掲載されている。((「豊岡劇場今月末に閉館」『神戸新聞』2012年3月16日))

2012年3月18日付『読売新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇半世紀に幕」という記事が掲載されている。((「豊劇半世紀に幕」『読売新聞』2012年3月18日))

2012年3月24日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬の映画館幕引き」という記事が掲載されている。((「但馬の映画館幕引き」『神戸新聞』2012年3月24日))

2012年3月28日付『朝日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬から銀幕消ゆ」という記事が掲載されている。((「但馬から銀幕消ゆ」『朝日新聞』2012年3月28日))

2012年3月31日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「時代に押されきょう閉館」という記事が掲載されている。((「時代に押されきょう閉館」『神戸新聞』2012年3月31日))

2012年4月1日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇60年の歴史に幕」という記事が掲載されている。((「豊劇60年の歴史に幕」『神戸新聞』2012年4月1日))

2012年4月1日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「いつか復活を」という記事が掲載されている。((「いつか復活を」『毎日新聞』2012年4月1日))

2014年の営業再開後の経営者である石橋秀彦は、中学生の頃から豊岡劇場に通っていた。石橋は中学生の頃に映画監督を志し、アイルランドの美術学校に留学すると、イギリスのロンドンでアーティストとしての活動を行った後に帰国した。日本では映画配給の仕事に携わり、2012年に豊岡劇場が閉館すると、2014年に「豊劇新生プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファウンディングを行って改装資金を獲得、同年に営業を再開した。1927年に芝居小屋として開館した豊岡劇場は、戦時中には倉庫として使用され、戦後には映画館となった。2014年の営業再開後、大ホールでは映画上映のほかにイベントも行っている。小ホールは地域のコミュニティスペースとしても機能し、クリエイターの発表の場にもなる。ロビーはカフェ&バーとして使用している。ゆくゆくは駐車場スペースにテナントを募集することも検討している。((紫牟田伸子「一度閉館した映画館を地域文化の中心へ」『商店建築』2015年9月号、p.37))

「豊岡劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。((中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年))

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、高田京子「human INTEREST レトロを訪ねる 映画館編」『週刊新潮』2007年3月15日号がある。((高田京子「human INTEREST レトロを訪ねる 映画館編」『週刊新潮』2007年3月15日号、pp.5-8))

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、「冬はストーブと共に」『弁当と傘』第1号、2011年がある。((「冬はストーブと共に」『弁当と傘』第1号、2011年、pp.20-23))

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、石橋秀彦「地域の力を信じる・活かす 豊岡劇場の新生と『地域の力』」『地方自治職員研修』公職研、2016年7月がある。((石橋秀彦「地域の力を信じる・活かす 豊岡劇場の新生と『地域の力』」『地方自治職員研修』公職研、2016年7月、49巻7号=通号688号))

** 養父市
*** 広谷座
所在地 : 兵庫県養父郡広谷町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町広谷(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿では「広谷座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「広谷座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 平木映画/平木映画劇場/平木八鹿東映
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1950年)、兵庫県養父郡八鹿町京町(1953年)、兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町1634(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1958年・1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1953年の映画館名簿では「平木映劇」。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1963年の映画館名簿では「平木八鹿東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

八鹿町の「平木映劇」が焼失した後だったか、京口の兵庫蚕種の近くには「文化会館」があり、一週間に一度くらい映画を上映していた。((『八鹿町史 下巻』八鹿町、1977年、p.392))

時期不明の「平木映劇」の外観と内部の写真あり。洋風のファサードが見える。内部には2階桟敷席がみえる。活弁士の席もあった。((八鹿ライオンズクラブPR委員会『写真集 八鹿の移り変わり』八鹿ライオンズクラブ、1988年、p.81))

*** 大屋会館
所在地 : 兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「大屋会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 関宮会館
所在地 : 兵庫県養父郡関宮町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「関宮会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在ある関宮会館という公民館との関係は不明。

*** 明延会館/明延協和会館
所在地 : 兵庫県養父郡南谷村和田(1955年)、兵庫県養父郡大屋町和田東側(1958年)、兵庫県養父郡大屋町(1960年)、兵庫県養父郡大屋町和田1085(1963年)、兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1931年12月、1957年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1931年12月開館。1955年の映画館名簿では「明延会館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明延協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「南谷郵便局」の北北東90m。「明延一円電車」南すぐ。映画館の建物が現存。

1931年末、娯楽及び集会のために「協和会館」が建てられた。建坪216坪、定員1800人。しばしば演芸会や映画会が催された。1955年頃の大屋町にあった協和会館の写真あり。合併申請書より。((『大屋町史 通史編』養父市、2010年、p.684))

旧協和会館は、1957年(昭和32年)に建設された福利厚生のための劇場。鉄筋コンクリート造、2階建て、亜鉛渡鉄板葺である。建坪は257坪であり、延坪は340坪である。軒高は8間。2006年(平成18年)現在は明延精工の倉庫として使用されているが、映写室には当時の映写機などが残っている。当時の建物配置図があり、協和会館、小学校、公会堂、病院、共同浴場、テニスコートなどが掲載されている。((『兵庫県の近代化遺産』兵庫県教育委員会、2006年、p.75))

*** ルート9劇場
所在地 : 兵庫県養父郡養父町谷間地1675-1(1985年)、兵庫県養父郡養父町上野1675-1(1990年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 1995年以後1998年以前
1980年・1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「ルート9劇場」。1993年の住宅地図では「ルート9劇場」。1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宿院商店」から兵庫県道271号を挟んで反対側付近。

*** 八鹿映劇/八鹿映画劇場/八鹿第一映劇・八鹿第二映劇/八鹿第一映画・八鹿第二映画
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町京口(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)、兵庫県養父郡八鹿町8(1966年・1969年・1973年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795(1976年)、兵庫県養父郡八鹿町鹿町(1980年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795-1(1990年・2000年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 2006年
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「八鹿映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「八鹿映画劇場」。1976年の映画館名簿では「八鹿第一映画劇場・八鹿第二映画劇場」(2館)。1980年の住宅地図では「八鹿映画」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「八鹿第一映劇・八鹿第二映劇」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「八鹿第一映画・八鹿第二映画」(2館)。2000年時点では兵庫県の郡部唯一の映画館。2003年の住宅地図では「八鹿映画劇場」。2006年に閉館したことで豊岡劇場が但馬地方唯一の映画館となった。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八鹿郵便局」北東70mのフィットネスクラブ「にこにこ元気クラブ」。2021年時点で映画館の建物が現存。

1965年頃の八鹿町八鹿にあった映画館「八鹿映劇」の写真あり。「八鹿映劇」や「映画と演劇」の文字が見える。八鹿町の中心市街地に位置し、屋岡橋南側の川沿いにあった。平成に入ってから閉館した。((『写真アルバム 但馬の昭和』樹林舎、2013年、p.102))

** 朝来市
*** 朝来映画劇場/朝来映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡朝来町新井541-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「朝来映画劇場」。1966年の映画館名簿では「朝来映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 南座/和田山南座
所在地 : 兵庫県朝来郡和田山町(1955年・1958年・1960年)、兵庫県朝来郡和田山町和田山135-1(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「南座」。1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「和田山南座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 協和会館/生野協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡生野町(1955年・1960年)、兵庫県朝来郡生野町口銀谷985-1(1969年)
開館年 : 1917年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1917年12月開館。1955年の映画館名簿では「協和会館」。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「生野協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

『日本とともに歩んだ銀山の町 いくの』生野町中央公民館、1994年には生野協和会館の写真が掲載されている。((『日本とともに歩んだ銀山の町 いくの』生野町中央公民館、1994年))


*** ヤナセ映劇/ヤナセ映画劇場/山東ヤナセ映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡梁瀬町(1955年)、兵庫県朝来郡山東町古市場(1958年)、兵庫県朝来郡山東町(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「ヤナセ映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ヤナセ映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「山東ヤナセ映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1970年代の航空写真を見ると現在の川原町公民館の場所に巨大な建物がある。

1952年(昭和27年)、朝来郡梁瀬町の川原町に映画館が開館した。(([[年表 山東町のうつりかわり>>http://www.hyogo-c.ed.jp/~h15db/katego/tajima/santo/pfuku68_27_m.pdf]]))

1963年(昭和38年)頃の山東町楽音寺(梁瀬)にあった洋画専門の映画館「梁瀬映劇」の写真あり。1959年(昭和34年)に封切られた『レ・ミゼラブル』、『海底探検世界一周』などのフランス映画のポスターが見える。((『写真アルバム 但馬の昭和』樹林舎、2013年、p.91))

*** 神子畑協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡山口村(1955年)、兵庫県朝来郡朝来町(1960年・1963年)、兵庫県朝来郡朝来町佐嚢1842(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「神子畑協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ムーセ旧居」(ムーセハウス写真館)北東240mの森林。国道429号と神子畑川に挟まれている。デビュー間もない島倉千代子が公演を行ったことがある。

** 美方郡香美町
*** 香住映画劇場/香住映劇
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1953年・1958年・1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「香住映劇」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「香住映画劇場」。1960年の映画館名簿では「香住映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** あずま館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「あずま館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 大黒座/香住大黒座
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1950年・1953年)、兵庫県城崎郡香住町若松(1955年)、兵庫県城崎郡香住町182(1958年)、兵庫県城崎郡香住町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1943年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1943年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大黒座」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「香住大黒座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代・1970年代の航空写真では現在の若松コミュニティセンターの場所に巨大な建物がある。

** 美方郡新温泉町
*** 大富座
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1942年1月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1942年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大富座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 温泉座
所在地 : 兵庫県美方郡温泉町(1953年)、兵庫県美方郡温泉町湯(1955年)、兵庫県美方郡温泉町153-2(1958年)、兵庫県美方郡温泉町(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「温泉座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。同じ町ではストリップ劇場の湯村温泉劇場の建物が現存している。

*** 浜坂映画劇場/浜坂映劇
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町1144(1960年)、兵庫県美方郡浜坂町新町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1963年の映画館名簿では「浜坂映画劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。1979年の住宅地図では確認できず。

* 丹波地域
** 丹波市
*** 戎シネマ
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町宮前町(1953年)、兵庫県氷上郡成松町宮前(1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年・1961年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1961年の映画館名簿では「戎シネマ」。1961年の映画館名簿では経営者が小南松太郎、支配人が前田慶一、木造2階、定員500、邦画・洋画を上映。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エビスシネマ」南東40mにある建物。最寄駅はJR福知山線石生駅。

1950年、成松町に小南松太郎が映画常設館「戎シネマ」を新築した。「成松映画劇場」とともに親しまれている。((荻野淳一(編)『成松町誌』成松町誌編集会、1957年))

*** 柏原劇場/柏原映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡柏原町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県氷上郡柏原町本町(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「柏原劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「柏原映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1952年(昭和27年)10月に「柏原劇場」の建物前で撮られた柏原町商工会店員表彰式の写真あり。柏原劇場は1971年(昭和46年)に姿を消した。((柏原ライオンズクラブ『写真が語る柏原町誌』柏原ライオンズクラブ、1989年、p.88))

*** 黒井映画劇場/黒井映劇/黒井劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡黒井町(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡春日町黒井(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「黒井映画劇場」。1955年の映画館名簿では「黒井映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「黒井劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 谷川映画劇場/谷川映劇/谷川劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡久下村(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡山南町谷川(1960年・1966年・1967年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「谷川映画劇場」。1955年・1960年の映画館名簿では「谷川映劇」。1966年・1967年の映画館名簿では「谷川劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 和田ニコニコ座/和田映劇/和田映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡和田村(1953年)、兵庫県氷上郡和田村下町(1955年)、兵庫県氷上郡和田村和田(1958年)、兵庫県氷上郡山南町和田(1960年・1966年・1968年)
開館年 : 1933年
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「和田ニコニコ座」。1955年の映画館名簿では「和田映劇」。1958年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1960年の映画館名簿では「和田映劇」。1966年・1968年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 佐治映画劇場/佐治劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡佐治町(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡青垣町佐治(1958年・1960年・1966年・1968年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「佐治劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐治映画劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「佐治劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 成松映劇/成松映画劇場/成松劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町(1943年・1953年・1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年・1963年)、兵庫県氷上郡氷上町成松町(1966年・1967年)、兵庫県氷上郡氷上町(1968年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1913年開館。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「成松劇場」。1947年・1949年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「成松映画劇場」。1955年の映画館名簿では「成松映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「成松映画劇場」。1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「成松劇場」。1968年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が前田慶一、木造2階、定員400、邦画・洋画を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「だいまん」とその北側の道路とその北側の「だいまん駐車場」。最寄駅はJR福知山線石生駅。

*** ヱビスシネマ。
*** エビスシネマ
所在地 : 兵庫県丹波市氷上町成松263-3
開館年 : 2021年7月30日
閉館年 : 営業中
運営会社は株式会社コドルニスであり、その代表者・映画館の支配人は映画監督の近兼拓史。正式名称は「ヱビスシネマ。」(一文字目が「エ」ではなく「ヱ」、最後に句点)だがエビスシネマなどと表記される場合もある。
運営会社は株式会社コドルニスであり、その代表者・映画館の支配人は映画監督の近兼拓史。正式名称は「ヱビスシネマ。」。

兵庫県丹波市氷上町の成松商店街で、映画館の復活を目指す「成松映画館復活プロジェクト(仮)」が住民らによって発足した。2018年3月11日には成松第3公民館で近兼拓史監督の『切り子の詩』の上映会が行われる。上映会は成松商店街で開催される「丹波甲賀の里軽トラ市」の一環。かつて成松地区には「成映」と「エビス座」があったが、昭和40年代までに閉館となった。((「映画館復活目指し上映会 11日、成松第3公民館」『神戸新聞』2018年3月9日))

丹波市が舞台の映画『恐竜の詩』の監督である近兼拓史は、丹波市民が元暴力団事務所の再生を構想する映画『銀幕の詩』の撮影と、元暴力団事務所の建物を映画館に転換させる映画館復活プロジェクトの同時進行に乗り出している。2020年春の開館と『銀幕の詩』のオープニング上映を目指している。元暴力団事務所の建物は、鉄筋コンクリート造2階建て、延床面積約260平方メートル。2階に最大80席、1階に20席のホールを整備し、裏にはカフェを設ける。改装や映写機などに約3000万円が必要だという。『銀幕の詩』は2019年3月に撮影を開始し、2020年3月に完成予定である。映画全盛期には丹波市域にも多くの映画館があったという。((丹波に映画館復活を 組事務所を市民集う場に 近兼監督、協力呼びかけ」『産経新聞』2019年1月12日))

2021年7月上旬、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する予定。建物は住民運動の末に退去した元暴力団事務所である。2020年3月に映画監督の近兼拓史が建物を取得し、開館準備が進められている。改装を手掛ける細見工務店が丹波布の座席を発案し、丹波布伝承館の卒業生らが手織りした丹波布を用いた座席が設置された。50の座席で柄がすべて異なっている。((「[[来月開館の映画館、座席は国無形文化財の『丹波布』『全席異なる柄、見てほしい』>>https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202106/0014405146.shtml]]」神戸新聞NEXT、2021年6月11日))

2021年7月中に、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する予定である。現在は準備が進められており、丹波布を用いた椅子や音響設備が設置された。一般的なミニシアターには2個から6個のスピーカーが設置されるが、ヱビスシネマ。にはBOSE製の13個のスピーカーが設置され、音響は「日本全国でも屈指」とされる。開館後は作品ごとに音響を調整するという。((「[[こだわりの音響『日本全国でも屈指』丹波に50年ぶりの映画館>>https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202107/0014478030.shtml]]」神戸新聞NEXT、2021年7月7日))

2021年7月下旬、丹波市の商店街にある元暴力団事務所の建物に、約半世紀ぶりに映画館が開館する。かつて氷上町成松地区には2館の映画館があった。2009年には山口組系の暴力団が進出し、呉服店だった2階建てビルに組員らが出入りしていた。しかし、住民運動で暴力団の追い出しに成功し、2014年には地元自治会連合会が買い戻して「第3公民館」とした。近くには別の公民館があるためほとんど使われなかったが、2018年に丹波市を舞台とする作品を上映した際に近兼拓史監督が改装を提案し、2020年3月には近兼監督自らが建物を取得した。50席のミニシアターの開館を計画し、丹波布を用いた木製座席などを設置した。約50年前まで隣接地にあった「戎シネマ」に因んで「ヱビスシネマ。」と名付けた。近兼監督は映画館開館の経緯を題材とする映画『銀幕の詩』の製作も進めている。((「[[元暴力団事務所が映画館に 静かな商店街、住民運動で追放 経緯描いた作品も・兵庫>>https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071600134&g=soc]]」JIJI.COM、2021年7月16日))

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する。映画監督の近兼拓史が開館準備を進めている。7月17日のプレオープン日には地域住民が招待され、映画『蒲田行進曲』が上映された。かつて成松には2館の映画館があり、約50年ぶりに映画館が復活する。建物は2014年に住民運動で追放された元暴力団事務所であり、2020年3月に近兼監督が建物を取得している。7月30日のプログラムは未定。((「[[丹波市内に50年ぶりの銀幕 『ヱビスシネマ。』7月30日開館へ>>https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/202107/14511843]]」神戸新聞NEXT、2021年7月18日))

2021年7月30日、丹波市氷上町に映画館「ヱビスシネマ」が開館した。記念式典には西宮市出身の映画監督である近兼拓史、丹波市の林時彦市長らが出席した。2014年に住民運動で退去した暴力団事務所を近兼監督が取得。50席の座席は地元の工務店が製作し、丹波布伝承館の職人らが織り上げた丹波布を張っている。初回上映作品は近兼監督による『恐竜の詩』であり、8月12日迄上映される。((「[[丹波市に『ヱビスシネマ』が開館>>https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2021/07/30/41135/]]」サンテレビNEWS、2021年7月30日))

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館した。準備を進めてきた映画監督の近兼拓史は「ここ成松を“ナリウッド”として、エンターテインメントの街にしたい」と語る。かつて成松地区には2館の映画館があったが、約50年前に姿を消した。2009年には成松地区の呉服店だった建物に山口組系の暴力団が進出したが、地元住民が追放運動を展開し、2014年には地元自治会が建物を約1200万円で買い戻した。2020年3月には近兼が建物を取得し、映画館への改装を提案。名称は隣接する場所にあった映画館「戎シネマ」に因んでいる。丹波市春日町の細見工務店が改装を担当。「丹波らしさ」をコンセプトとしており、50の座席には丹波布を用いているほか、座席には国産杉の間伐材を使用している。丹波の棚田や山並みを内装で表現するとともに、床面は後方に向かうにつれて緑色が濃くなるようにしている。一般的なミニシアターのスピーカーは2個から6個だが、BOSE製のスピーカー13個をスクリーンの背後や天井などに設置している。1階ではポップコーン、ジュース、ヱビスビールなどを販売している。((「[[元暴力団事務所を映画館に 構想から3年半、半世紀ぶり街に映画の灯>>https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202107/0014550062.shtml]]」神戸新聞NEXT、2021年7月31日))

2021年7月末、丹波市氷上町成松地区に映画館「ヱビスシネマ。」が開館した。8月12日までは『恐竜の詩 ディレクターズカット版』『にしきたショパン』『劇場版ほんとうにあった怖い話 〜事故物件芸人2〜』などを上映する。一般1800円、大学生1500円、高校生以下1000円。かつて成松地区は河川交通の要衝として栄え、映画館もあった。映画監督の近兼拓史は映画『恐竜の詩』の撮影の際に丹波市に惹かれ、元暴力団事務所の建物を購入して映画館に生まれ変わらせた。50ある座席の生地は丹波布である。音響面に力を入れており、スクリーン裏や壁面には13台のスピーカーが設置されている。近兼が製作中の映画『銀幕の詩』は2022年2月に丹波市でプレミア上映される予定。((「[[丹波市氷上町成松に『ヱビスシネマ。』開館>>https://www.asahi.com/articles/ASP8373YGP7ZPIHB01B.html]]」朝日新聞DIGITAL、2021年8月4日))

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館した。かつて暴力団事務所があったビルを改装し、成松地区に約50年ぶりに映画館が復活した。200インチのスクリーンと13台のスピーカーを備え、近兼監督は「音響は国内最高」と語る。館名はビル近くにあった映画館「戎シネマ」に因んでいる。((「[[ようこそナリウッド 50年ぶり映画館オープン 地元工芸品シート50席 『音響は国内最高』丹波・成松>>https://mainichi.jp/articles/20210810/ddl/k28/040/202000c]]」毎日新聞、2021年8月10日))

** 丹波篠山市
*** 福住会館
所在地 : 兵庫県多紀郡福住町(1955年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年・1953年・1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「福住会館」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに佐野寿一、構造は記載なし、定員は記載なし、上映系統は記載なし。1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は喫茶店「マグナムコーヒー」として現存。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

*** 日置劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡日置村(1955年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「日置劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 新丹波/新丹波劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1950年・1953年・1955年・1960年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1950年の映画館名簿では「新丹波」。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「新丹波劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「みなと銀行篠山支店」。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

1955年現在と思われる映画館「新丹波」の写真あり。1947年に建築された。((篠山町『篠山町七十五年史』篠山町、1955年))

『郷友』多紀郷友会、第346号、1982年9月には「ふるさと回顧(1)思い出の楽天座」が掲載されている。((「ふるさと回顧(1)思い出の楽天座」『郷友』多紀郷友会、第346号、1982年9月、pp.16-18))

『郷友』多紀郷友会、第347号、1982年12月には「前号『楽天座』の記事を読んで」が掲載されており、「新丹波」にも触れられている。((「前号『楽天座』の記事を読んで」『郷友』多紀郷友会、第347号、1982年12月、pp.12-13))

1914年9月、新劇場「楽天座」が開館した。建てたのは小東兼蔵であり、工費は1万5000円だった。1922年には篠山土地建物株式会社の経営に移り、1週間に2回から3回の頻度で演劇・演芸・映画の興行を行った。1946年10月には客席を改造して映画常設館となり、松竹・東映・日活などを連日昼夜上映した。連日満員の時期もあったが、1959年の皇太子御成婚を機にテレビが普及し、観客数が減少した。「新丹波」の閉館後も営業を続けていたが、1967年頃からは上映するたびに赤字となり、月に3-4回の休館日を設けていた。1970年4月6日、休館日の深夜に炎上した。((「懐かしの楽天座盛衰記」『郷友』多紀郷友会、第370号、1990年9月、pp.14-21))

1955年頃の多紀郡篠山町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「楽天座」と並んで庶民の憩いの場だった。昭和40年代まで営業していた。((大熊隆治・岡本丈夫・朽木史郎(監修)『目で見る三田・丹波の100年』郷土出版社、1994年、p.110))

昭和40年代の篠山市乾新町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「Sin Tanba」(※Shinではない)の文字が見える。写真撮影当時にはすでに閉館していたのか、館外にも館内にも大売り出しの旗が見える。篠山市には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があり、近隣自治体からも観客が訪れた。((『写真アルバム 三田・篠山・丹波の昭和』樹林舎、2017年、p.97))

*** 東雲座/楽天座/篠山楽天座
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町東新町(1950年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1953年・1955年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1960年・1963年)、兵庫県多紀郡篠山町(1966年・1969年)
開館年 : 1914年1月
閉館年 : 1970年4月6日
『全国映画館総覧 1955』によると1914年1月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「楽天座」。1966年・1969年の映画館名簿では「篠山楽天座」。1970年の火災で焼失して閉館。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「頼尊又四郎稲荷神社」北側の未舗装駐車場。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

現在の楽天座の場所にあった「東雲座」の写真あり。1908年に焼失した。1914年に新築された際の劇場「楽天座」の写真あり。1955年現在の改築された楽天座の写真あり。((篠山町『篠山町七十五年史』篠山町、1955年))

昭和40年代の多紀郡篠山町にあった映画館「楽天座」の写真あり。「座天楽」の文字が見える。焼失後に改装された。((大熊隆治・岡本丈夫・朽木史郎(監修)『目で見る三田・丹波の100年』郷土出版社、1994年、p.111))

1958年の多紀郡篠山町の東新町にあった映画館「楽天座」の写真あり。右書きの「座天楽」の文字が見える。『素晴しき男性』『遠州森の石松』『呪いの笛』のポスターが見える。戦後の篠山には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があった。((『写真アルバム 三田・篠山・丹波の昭和』樹林舎、2017年、p.79))

* 淡路地域
** 洲本市
*** 玉尾座
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年)、兵庫県洲本市下屋敷町(1953年・1955年)、兵庫県洲本市下屋敷町乙10-3(1960年)
開館年 : 明治時代初期、1929年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「玉尾座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1980年の住宅地図では跡地に「玉尾モータープール」。現在の跡地は有料駐車場「玉尾モータープール」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には玉尾座が「劇場」として描かれている。((洲本町『[[淡路洲本町案内図>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005742358.html]]』摂陽商船、1929年))

洲本市にあった劇場「玉尾座」の写真あり。淡路島で最も古い歴史を持つ劇場であり、洲本唯一の娯楽施設として様々な興行を行った。玉尾座は1903年(明治36年)頃に現在地に移転し、昭和初期に改築を行った。1979年(昭和54年)現在の跡地にはモータープールとビルが建っており、劇場があったころの面影はない。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 洲本』国書刊行会、1979年、p.145))

淡路島で最も古い劇場は洲本市の「玉尾座」であり、明治時代初期には既に存在していたという。1928年(昭和3年)に大改築を行い、舞台の間口は7間、奥行は6間、観客席は1500人以上を収容した。洲本市では「昭和館」や「洲本劇場」などもこの頃に建てられた。((神戸新聞淡路総局(編)『淡路の20世紀 その光と影』神戸新聞総合出版センター、2001年、p.49))

*** 洲本劇場
所在地 : 兵庫県洲本市物部60(1958年)、兵庫県洲本市常盤町(1960年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では跡地に「三熊モータープール」。跡地はパチンコ店「ホワイトハウス洲本店」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には洲本劇場が「劇場」として描かれている。((洲本町『[[淡路洲本町案内図>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005742358.html]]』摂陽商船、1929年))

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「洲本劇場」が掲載されている。現物は未確認。((『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年、p.99))

*** 旭座/旭座劇場
所在地 : 兵庫県津名郡由良町(1955年)、兵庫県洲本市由良町(1960年・1963年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「旭座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「旭座劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では「KK旭座劇場」。1980年の住宅地図では跡地に「貸ガレージ」。跡地は「淡路信用金庫由良支店」北北西70mの建物。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「旭座」が掲載されている。現物は未確認。((『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年、p.101))

*** 洲本タイガー(旧)
所在地 : 兵庫県洲本市下屋敷町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本タイガー」。1966年の映画館名簿では紺屋町2-129に「洲本銀映・洲本タイガー劇場」があるため、1960年以後1963年以前に洲本銀映と同一ビルに移転したか、洲本銀映との経営統合がなされたと思われる。

*** 弁天座/洲本弁天座/洲本東映/トーエイ洲本
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年・1953年)、兵庫県洲本市内通町565(1960年)、兵庫県洲本市内通町甲565(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町4-2-18(1980年・1990年・1992年)
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1992年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「弁天座」。1960年・1966年の映画館名簿では「洲本弁天座」。1969年・1973年の映画館名簿では「洲本東映」。1972年のゼンリン住宅地図では「淡路東映 弁天座」。1980年のゼンリン住宅地図では「トーエイ洲本ビル 3階 トーエイ洲本」。1980年・1990年・1992年の映画館名簿では「トーエイ洲本」。1992年の映画館名簿では鉄筋造2階、198席、経営会社がミツオ株式会社、経営者・支配人ともに太田勝敏、東映を上映。1993年・1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カラオケ喫茶同窓会」がある「JOYビル」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には弁天座が「劇場」として描かれている。((洲本町『[[淡路洲本町案内図>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005742358.html]]』摂陽商船、1929年))

大正初期には寄席の「弁天座」が改造されて常設映画館となった。弁天座は「玉尾座」の近くにあった。((『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 洲本』国書刊行会、1979年、p.145))

1953年(昭和28年)正月の洲本市にあった映画館「弁天座」の写真あり。松竹や日活の常設館だった。((武田信一(監修)『目で見る淡路島の100年』郷土出版社、1995年、p.117))

昭和初期の洲本市本町4丁目にあった「弁天座」の写真あり。厳島神社に近い繁華街にあり、主として寄席の興行を行っていた。大正初期には日活や松竹を上映する映画館となり、鐘紡洲本工場の女工の交代日には超満員となった。昭和40年代の弁天座の写真あり。「東映」「弁天座」の文字が見える。1978年には3階建てビルに改築され、1階と2階は飲食店街、3階に映画館があった。2006年現在の建物名はJOYプラザであり、3階の映画館跡地はカラオケ店となっている。((『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年、p.98))

*** 洲本銀映/洲本銀映・タイガー/洲本銀映・洲本タイガー劇場/洲本銀映
所在地 : 兵庫県洲本市紺屋町(1958年・1960年)、兵庫県洲本市紺屋町2-129(1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5-1-33(1980年・1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本銀映」。1963年の映画館名簿では「洲本銀映・タイガー」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「洲本銀映・洲本タイガー劇場」(2館)。1972年のゼンリン住宅地図では「1階銀映映画劇場 Tiger映画劇場 マージャン荘、2階淡路ボウリング 食堂ミキ」。1980年のゼンリン住宅地図では「銀映ボウル ロマンタイガー 銀映ゲームコーナー」など。1980年・1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「洲本銀映」。2002年の映画館名簿では木造1階、200席、経営会社が岡田興業、経営者が坂本佳子、支配人が柴田祐一、邦画を上映。2005年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ザ・クラシック駐車場」。

*** オリオン座/洲本オリオン座/洲本オリオン
所在地 : 兵庫県洲本市幸町2-344(1960年)、兵庫県洲本市幸町2344(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5(1980年)、兵庫県洲本市本町5-4-8(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 2014年(定期上映)、営業中(不定期上映)
Wikipedia : [[洲本オリオン>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%B2%E6%9C%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3]]
1951年開館。1953年・1960年の映画館名簿では「オリオン座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「洲本オリオン座」。1972年の住宅地図では「洋画オリオン(野口)」。1980年の住宅地図では「洋画オリオン(日興商工協同組合)」。1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「洲本オリオン」。2014年に定期上映を終了し、以後は不定期上映の映画館として営業中。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年では後の洲本オリオンの場所に「定席」が描かれている。((洲本町『[[淡路洲本町案内図>>https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005742358.html]]』摂陽商船、1929年))

2003年5月9日付『日本経済新聞』に掲載された「私の履歴書 阿久悠」では、阿久悠は高校時代に映画館に通ったとする記事が掲載されている。現物は未確認。((「私の履歴書 阿久悠(8)高校時代 学校脱け映画館通い 野球日本一で東京を意識」『日本経済新聞』2003年5月9日))

2010年夏のサッカーワールドカップの際には、洲本市中心部のコモード56商店街でパブリックビューイングが開催されたが、洲本オリオンが横4.5m×縦3.5mのスクリーンを用意した。((「大スクリーンで島から元気を きょう、洲本の商店街 サッカーW杯オランダ戦」『朝日新聞』2010年6月19日))

洲本オリオンの初代は野口宇一。浄瑠璃小屋が前身であり、芝居小屋の「福助座」となった。洋画を上映する映画館に転換する際には名称を公募し、1951年5月に「オリオン」が開館した。映画全盛期の淡路島に16の映画館があったとされるが、現在は洲本オリオンのみである。『不都合な真実』を上映しようとした際には、集客面での不安から配給会社に難色を示されたが、地元住民らを中心に「上映する会」が開催されて試写会まで開かれ、配給会社から上映を許可された。((「淡路島発 街のどこかで 映画文化守る『オリオン』」『朝日新聞』2011年2月8日))

2011年6月27日付『神戸新聞』夕刊には、「洲本オリオン」が3D上映設備を導入するという記事が掲載されている。現物は未確認。((「淡路島唯一の映画館『洲本オリオン』 機材高額、採算見込めないが… 3D 地元ファンに」『神戸新聞』2011年6月27日夕刊))

2011年夏、淡路島の映画館「洲本オリオン」は3D対応のデジタル上映設備を導入した。支配人は野口仁(45)。浄瑠璃小屋だった場所を野口の祖父が買い取り、1951年には洋画専門の映画館となった。淡路島出身の阿久悠や笹野高史は学生時代に洲本オリオンに通ったという。かつて淡路島には10数館の映画館があったが、10年前には洲本オリオンのみとなった。2011年春にはテレビのロケで笑福亭鶴瓶が洲本オリオンを訪れ、「島で唯一の映画館。これからも頑張ってやりよ」と声をかけられた。独立映画館としての自由さを活かして、プロポーズのメッセージを映写したことや、結婚式のビデオ撮影に場所を貸したこともある。((「洲本オリオン 洲本市 島出なくても3D満喫」『朝日新聞』2012年1月26日))

2013年7月16日、淡路島がロケ地となった『夏の終り』が洲本市の映画館「洲本オリオン」で先行上映され、熊切和嘉監督のトークショーが開催される。神戸市などのほかに、淡路島の洲本市と淡路市で撮影が行われた。洲本オリオン西側の洲本レトロこみち沿いの古民家、旧洲本市民会館、由良地区の民家などが撮影場所となっている。全国ロードショーは8月31日。((「島内ロケ映画『夏の終り』、特別先行上映 来月16日、洲本オリオン」『朝日新聞』2013年6月22日))

2013年8月2日付『神戸新聞』夕刊には、2013年秋に淡路島唯一の映画館「洲本オリオン」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。((「阿久悠さんら通った『洲本オリオン』 淡路唯一の銀幕消える 客減少止まらず今秋休刊」『神戸新聞』2013年8月2日夕刊))

2013年8月31日から上映する『夏の終り』を最後に、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館する。9月末から10月上旬ころの予定。淡路島で唯一の映画館である。戦前に大衆演劇の一座が滞在する芝居小屋として開館し、その後常設映画館に転換した。転換当初は「福助座」という名称だったが、1951年には公募によって「オリオン」に改称した。オリオンという映画館は他地域にもあるため、後に「洲本オリオン」とした。洋画専門館だった。作詞家の阿久悠(洲本市五色町出身)や俳優の笹野高史(淡路市出身)は、洲本高校時代に洲本オリオンに足しげく通って西部劇などを楽しんだ。最盛期の淡路島には10数館の映画館があったが、約10年前には洲本市の「銀映」が閉館し、洲本オリオンのみとなった。2011年には1000万円以上を投じてデジタルシネマ上映設備を導入したが、観客の減少に歯止めがかからなかった。1951年頃の洲本オリオンの写真あり。((「『洲本オリオン』今秋休館、惜しむ声相次ぐ 淡路島唯一の映画館」『朝日新聞』2013年8月3日))

2013年10月5日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館した。最終上映作品は10月4日夜に上映した『夏の終り』。閉館理由は観客数の減少など。淡路島で唯一の映画館だった。閉館後も不定期の映画上映やイベント開催などを検討しているという。((「洲本オリオン、きょうで閉館 島で唯一の映画館」『朝日新聞』2013年10月5日))

2015年5月21日付『神戸新聞』夕刊には、淡路島が舞台の映画公開に合わせて5月30日から「洲本オリオン」が一時的に復活するという記事が掲載されている。現物は未確認。((「『洲本オリオン』30日から一時復活 映画の灯 淡路に再び 島が舞台の新作公開に合わせ」『神戸新聞』2015年5月21日夕刊))

2018年5月13日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」で「淡路島短編映画祭 2018 トランカミランカ」が開催された。淡路島出身者が製作・出演した作品、淡路島がロケ地となった作品などを中心に約40作品を上映し、洲本市出身の映画監督である大継康高もゲスト出演した。((「『島の映画』見よう 13日、洲本で短編映画祭」『朝日新聞』2018年5月11日))

2020年12月21日付『神戸新聞』には、2021年1月から「洲本オリオン」で定期上映が開始されるという記事が掲載されている。現物は未確認。((「新作邦画 定期上映へ 島内唯一の映画館『洲本オリオン』 全編淡路島ロケの作品、来月公開を機に 出演住民ら企画、毎月1本」『神戸新聞』2020年12月21日))

「洲本オリオン」に言及している雑誌記事として、重松清「星をつくった男 阿久悠と、その時代 第3回 石原慎太郎と美空ひばり」『週刊現代』2009年3月21日がある。現物は未確認。((重松清「星をつくった男 阿久悠と、その時代 第3回 石原慎太郎と美空ひばり」『週刊現代』2009年3月21日))

「洲本オリオン」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。((中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年))

** 淡路市
*** 生穂劇場
所在地 : 兵庫県津名郡生穂町(1955年)、兵庫県津名郡津名町生穂1796(1958年)、兵庫県津名郡津名町生穂(1960年)
開館年 : 1929年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「生穂劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 仮屋淡路劇場/仮屋劇場
所在地 : 兵庫県津名郡仮屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964※明らかな誤り(1958年)、兵庫県津名郡淡路町仮屋(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「仮屋淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「仮屋劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 東淡銀映
所在地 : 兵庫県津名郡淡路町久留麻(1960年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「東淡銀映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 岩屋淡路劇場/淡路劇場
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1960年)
開館年 : 1924年頃? 1929年?
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「岩屋淡路劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「淡路劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1924年頃、岩屋に木造瓦葺2階建の「淡路劇場」が新築された。1965年には興行主が洲本市に転出し、またその他の理由もあって閉鎖された。淡路劇場の建物は間もなく取り壊された。((淡路町風土記編纂委員会『淡路町風土記』淡路町、1971年、pp.145-146))

武田信一(編)『目で見る 淡路島の100年』郷土出版社、1995年には「淡路劇場」の写真が掲載されている。1929年(昭和4年)に竣工したという。現物は未確認。((武田信一(編)『目で見る 淡路島の100年』郷土出版社、1995年))

*** 都志映画劇場
所在地 : 兵庫県津名郡五色町都志(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「都志映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 郡家会館
所在地 : 兵庫県津名郡郡家町(1955年)、兵庫県津名郡一宮町郡家(1960年・1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「郡家会館」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「郡家会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 室津淡路劇場/室津映画劇場/室津映劇
所在地 : 兵庫県津名郡室津町(1955年)、兵庫県津名郡北淡町室津(1958年・1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「室津淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「室津映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「室津映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 富島劇場
所在地 : 兵庫県津名郡富島町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1960年・1963年)、兵庫県津名郡北淡町富島847(1966年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1969年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「富島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に巨大な空白の建物。跡地は「中田医院」北西100mにある農地。

1958年(昭和33年)の北淡町富島東之町にあった劇場「富島座」の館内の写真あり。1913年(大正2年)に建設された500人収容の劇場であり、回り舞台や両側の花道を備え、客席は1階・2階とも桟敷席だった。戦前は大衆演劇場として巡業の芝居などがあり、また映画の上映もあった。沢村貞子、加東大介などが来演している。北淡町では人形浄瑠璃も盛んであり、年に3回は源之丞一座などを招いた人形芝居の公演があった。戦前・戦後の富島地区は漁業で栄え、富島座と「水産クラブ」という2館の劇場があった。時代とともに映画専門館化したが、テレビの普及に押されて1967年(昭和42年)2月に閉館した。数年前までは壁面をツタが覆う建物が残っており、色あせた「大衆娯楽場」の看板もかかっていたが、その後取り壊され、1989年(平成元年)現在の跡地は駐車場として使用されている。((宗虎亮(写真)『なつかしの淡路島 写真家の記録から 昭和30年代回顧』教育出版センター、1989年、p.38))

*** 岩屋クラブ/岩屋映画劇場/岩屋映劇
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1958年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1971年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「岩屋クラブ」。1955年・1958年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1960年の映画館名簿では「岩屋映画劇場」。1969年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図には掲載されていない。

岩屋には劇場「淡路劇場」があったが、政争から「岩屋倶楽部」が新築され、主として色物を興行した。岩屋倶楽部は「岩屋映画劇場」に改称し、1971年現在も昼夜興行を続けてかなりの観客を呼んでいる。1971年現在の岩屋映画劇場の写真あり。((淡路町風土記編纂委員会『淡路町風土記』淡路町、1971年、pp.145-146))

*** 三島座/志筑三島座
所在地 : 兵庫県津名郡志筑町(1955年)、兵庫県津名郡津名町志筑(1958年)、兵庫県津名郡津名町志筑3029(1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三島座」。1969年の映画館名簿では「志筑三島座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1929年(昭和4年)6月発行の『淡路之誇』によると、淡路島には「洲本玉尾座」「洲本劇場」「由良旭座」「仮屋東陽館」「岩屋倶楽部」「郡家安楽座」「賀集松旭座」「福良桝井座」「志筑三島座」など17の劇場があった。戦前の「志筑三島座」の興行は週1回であり、子供たちは宣伝文句が聞こえるとじっとしていられなかったという。何重にも立ち見ができる超満員の劇場だった。((神戸新聞淡路総局(編)『淡路の20世紀 その光と影』神戸新聞総合出版センター、2001年、pp.49-51))

** 南あわじ市
*** 都劇場
所在地 : 兵庫県三原郡北阿万村(1955年)、兵庫県三原郡南淡町北阿万(1958年・1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「都劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 美教劇場
所在地 : 兵庫県三原郡榎列村(1955年)、兵庫県三原郡三原町榎列255(1958年)、兵庫県三原郡三原町榎列(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「美教劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 湊劇場
所在地 : 兵庫県三原郡湊町(1955年・1958年)、兵庫県三原郡西淡町湊(1960年・1966年)
開館年 : 1927年4月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

湊町商工会は湊劇場期成同盟会を組織し、株式会社湊劇場を設立した。資本金は400株で計2万円。1926年12月に起工し、1927年4月に竣工落成した。木造2階建てであり、建坪は約80坪、定員は296人。こけら落とし公演には神戸から市川海老十郎一座を迎えた。映画では『わが青春に悔いなし』や『ゴジラ』などが上映され、高田浩吉、鶴田浩二、松尾和子らが来館した。いずれも1958年の日活作品『夜の牙』と『東京野郎と女ども』のチラシあり。現在は劇場の痕跡を見つけることも難しい。((『みなと史録 ふるさとの歴史今昔』みなとみらい2020湊地域づくり協議会、2018年、p.74))

*** 市村劇場/ワールド/三原ワールド会館
所在地 : 兵庫県三原郡市村町(1955年)、兵庫県三原郡三原町市村557(1958年)、兵庫県三原郡三原町市557(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「市村劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「ワールド」。1966年の映画館名簿では「ワールド会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「市村劇場」が掲載されている。現物は未確認。((『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年、p.102))

*** 桝井座/福良劇場
所在地 : 兵庫県三島郡福良町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町福良(1958年・1960年)、兵庫県三原郡南淡町福良乙751(1966年・1969年)
開館年 : 1901年(桝井座)、1947年(福良劇場)
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「福良劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に「ガレージ」。最近まで建物が残っていた可能性がある。跡地は「真光寺」東北東50mにある駐車場。

1901年には福良で酒造業をしていた桝井光太郎が私財1万円を投じて、独力で「桝井座」を創業した。建坪は120坪、和風木造2階建、定員600。戦後には福良劇場に改称した。やがて福良劇場は廃業したが、1991年現在も建物が残っている。今考えると構造も造作も立派とは言えない。((前田勝一『福良むかしむかし』前田勝一、1991年、pp.334-339))

*** 阿万劇場
所在地 : 兵庫県三原郡阿万町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町本庄(1958年)、兵庫県三原郡南淡町阿万(1960年)、兵庫県三原郡南淡町阿万上町(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「阿万劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

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