閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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* 東京23区中心部
** 千代田区
*** 有楽町スバル座
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルヂング2階
開館年 : 1966年4月27日
閉館年 : 2019年10月20日
Wikipedia : [[有楽町スバル座>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%A5%BD%E7%94%BA%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%AB%E5%BA%A7]]

有楽町スバル座に言及している雑誌記事として、大森さわこ「WORLD REPORT 有楽町スバル座、惜しまれつつ閉館」『キネマ旬報』2019年11月15日がある。現物は未確認。((大森さわこ「WORLD REPORT 有楽町スバル座、惜しまれつつ閉館」『キネマ旬報』2019年11月15日、pp.130-133))

** 中央区
*** 銀座並木座
所在地 : 東京都中央区銀座2-3-5
開館年 : 1953年
閉館年 : 1998年9月22日

銀座並木座に言及している雑誌記事として、「UPDATE 銀座名物の小型館『並木座』閉館で名画座の灯が消える」『週刊文春』1998年10月1日がある。現物は未確認。((「UPDATE 銀座名物の小型館『並木座』閉館で名画座の灯が消える」『週刊文春』1998年10月1日、p.40」)

銀座並木座に言及している雑誌記事として、「裏窓 74回 どうにもならないこと」『週刊読売』1998年10月11日がある。現物は未確認。((「裏窓 74回 どうにもならないこと」『週刊読売』1998年10月11日、p.194))

銀座並木座に言及している雑誌記事として、「今月のロンググッドバイ さようなら、並木座」『ターザン』1998年10月14日がある。現物は未確認。((「今月のロンググッドバイ さようなら、並木座」『ターザン』1998年10月14日、p.93))

** 港区
*** 新橋ロマン
倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。((倖田李梨(文)、藤里一郎(写真)『タイガーリリー』2019年))

* 東京23区東部
** 台東区
*** 上野オークラ劇場
倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。((倖田李梨(文)、藤里一郎(写真)『タイガーリリー』2019年))

** 墨田区
*** 墨田区の戦前の映画館
墨田区域(戦前の本所区と向島区)最古の映画館は、業平橋1丁目にあった業平座であるが、太平洋戦争の戦災で焼失したまま復興しなかった。緑町1丁目には相生館(両国日活館)が、石原町3丁目には第八福宝館(後の本所日活館)があった。第八福宝館は日活の前身の映画会社の福宝堂が設置した映画館である。福宝堂は東京市に1区1館の映画館を設置することを目標とし、1910年(明治43年)の四谷第四福宝館など8館の福宝館を開館させている。1936年(昭和11年)の墨田区域には、寺島町に向島劇場・向島キネマ・向島館・南竜館・寺島電気館・玉ノ井館などがあった。吾嬬町には吾嬬館・橘館・請地館・東成館・宮戸館があった。隅田町には映画館がなかった。((墨田区役所『墨田区史』墨田区役所、1959年、p.1375))

*** 墨田区の戦後の映画館
1958年(昭和33年)1月時点の墨田区には29館の映画館があった。((墨田区役所『墨田区史』墨田区役所、1959年、p.1376))
江東劇場----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
錦糸町映画館------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東文化劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
めばえ座----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東東映映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
本所映画館--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
リッツ劇場--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東地下劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東名画座--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東花月映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
両国日活映画劇場--緑町1丁目12番地
向島金美----------寺島町1丁目3番地
墨田文化映画館----寺島町2丁目98番地
墨田オデオン------寺島町4丁目20番地
玉ノ井東映--------寺島町7丁目78番地
玉ノ井新劇場------寺島町7丁目40番地
請地シネマ--------吾嬬町西1丁目37番地
第一南竜館--------吾嬬町西7丁目1番地
吾嬬富士館--------吾嬬町西8丁目30番地
橘新東宝----------吾嬬町西4丁目62番地
昌和シネマ--------吾嬬町西4丁目12番地
国際映画劇場------吾嬬町東5丁目7番地
菊川シネマ--------菊川1丁目9番地
石原ミリオン座----石原町3丁目9番地
墨田大成館--------寺島町6丁目29番地
朝日座------------寺島町4丁目145番地
向島館------------寺島町3丁目46番地
押上シネマ--------業平橋4丁目6番地
両国劇場----------東両国2丁目19番地

*** 江東楽天地
1937年(昭和12年)2月27日には、工業地帯である東京市江東地域の歓楽地として、錦糸町駅前に江東楽天地が設立された。同年11月には本所映画館・江東劇場の3館の映画館が開館し、1938年(昭和13年)には遊園地の江東楽天地も開業した。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、本所映画館以外の施設が壊滅的な被害を受けた。1946年(昭和21年)には江東劇場が営業を再開し、その後遊園地も営業を再開した。1948年(昭和23年)には江東劇場が館内の改装を行い、同年4月には関西の宝塚歌劇団が初めて江東地域で公演を行った。1956年に行われた調査によると、江東楽天地の観客の在住地は江東区が33.0%、墨田区が21.5%、江戸川区が16.0%、千葉県が10.4%、その他が19.1%であり、江東地域が80%を占めていた。((墨田区役所『墨田区史』墨田区役所、1959年、pp.1376-1378))

*** 業平座
所在地 : 東京都本所区業平町1丁目
開館年 :
閉館年 : 1945年
昭和10年代の本所区業平町1丁目にあった業平座の写真あり。現在の墨田区域でもっとも古い映画館である。当時の東京市東部の映画の流行地は浅草六区であるが、本所にも映画館が多かった。業平座は東京大空襲で焼失した。2007年(平成19年)現在の業平座跡地に建っている民家には映写室の一部が残っている。((小島惟孝(監修)『目で見る 墨田区の100年』郷土出版社、2007年、p.69))

*** 相生館/両国日活映画劇場
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「両国日活映画劇場」。

1963年頃の「両国日活」の写真あり。両国日活になる前は相生館と呼ばれていた。かつてはこの場所に本所区役所があった。((『墨田の今昔 写真カタログ』墨田区立緑図書館、1981年、p.18))

*** 墨田文化映画館
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
墨田文映とも。

曳舟川通りには洋画系の墨田文化映画館があった。2007年現在の跡地には東京ホンダ向島が建っている。((小島惟孝(監修)『目で見る 墨田区の100年』郷土出版社、2007年、p.120))

*** 吾嬬国際映画劇場/吾嬬国際劇場
所在地 : 東京都墨田区立花5丁目
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
1969年(昭和44年)の吾嬬国際劇場の写真あり。1987年(昭和62年)現在の同一地点の写真もあり。小村井交差点近く、「吉野家立花店」の東側。((小島惟孝・山猛(編集)『墨田の今昔』墨田区文化観光協会、1987年))

*** 江東劇場
所在地 : 東京都墨田区江東橋4-27-14(1990年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1990年以後
1953年(昭和28年)のゴールデンウィークには美空ひばりの公演が開催され、江東劇場は開館以来最高の収益を上げた。1953年の美空ひばり公演の写真あり。((小島惟孝(監修)『目で見る 墨田区の100年』郷土出版社、2007年、p.87))

** 江東区

** 葛飾区
*** 亀有名画座
亀有名画座に言及している雑誌記事として、「TEMPO ステージ&スクリーン ついに閉館、ポルノの殿堂『亀有名画座』」『週刊新潮』1999年2月11日がある。現物は未確認。((「TEMPO ステージ&スクリーン ついに閉館、ポルノの殿堂『亀有名画座』」『週刊新潮』1999年2月11日、p.37))

亀有名画座に言及している雑誌記事として、「デキゴトロジー ポルノの殿堂ピンクの牙城 才能を育てた『亀有名画座』 惜しまれつつもついに閉館」『週刊朝日』1999年3月19日がある。現物は未確認。((「デキゴトロジー ポルノの殿堂ピンクの牙城 才能を育てた『亀有名画座』 惜しまれつつもついに閉館」『週刊朝日』1999年3月19日、pp.73-74))

亀有名画座に言及している雑誌記事として、「柴又 金町 亀有 活気と脱力が入り混じる不思議な下町の歩き方 亀有名画座の時代 下町のシネマ・パラダイス」『散歩の達人』2016年9月がある。現物は未確認。((「柴又 金町 亀有 活気と脱力が入り混じる不思議な下町の歩き方 亀有名画座の時代 下町のシネマ・パラダイス」『散歩の達人』2016年9月、pp.76-77))

** 江戸川区

* 東京23区北部
** 文京区

** 豊島区
*** 文芸坐
所在地 : 東京都豊島区東池袋1丁目
開館年 : 1956年3月
閉館年 : 1997年3月6日
Wikipedia : [[新文芸坐>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%96%87%E8%8A%B8%E5%9D%90]]

文芸坐に言及している雑誌記事として、「池袋進化論 惜しまれつつ閉館した文芸坐の社長が語る、文化の拠点としての池袋」「東京キネマ館今昔物語 12回 文芸坐 3月6日、ついに閉館 さらば東京の名画座」『散歩の達人』1997年4月がある。現物は未確認。((「池袋進化論 惜しまれつつ閉館した文芸坐の社長が語る、文化の拠点としての池袋」「東京キネマ館今昔物語 12回 文芸坐 3月6日、ついに閉館 さらば東京の名画座」『散歩の達人』1997年4月、pp.33-35、p.115))

*** 池袋シネマ ロサ
所在地 : 東京都豊島区西池袋1-37-12
開館年 : 1945年、1968年(ロサ会館)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[ロサ会館>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E4%BC%9A%E9%A4%A8]]

『シブいビル』リトルモア、2016年に「ロサ会館」が掲載されている。((『シブいビル』リトルモア、2016年))

** 北区
*** シネマ・チュプキ・タバタ
所在地 : 東京都北区東田端2-8-4 マウントサイドTABATA 1階
開館年 : 2016年9月1日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[シネマ・チュプキ・タバタ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%BF]]

2016年9月1日、東京都北区に映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」が開館する。全座席に音声ガイド用のイヤホンジャックがある。邦画も洋画もセリフは字幕であり、情景描写は音声ガイドで楽しめる。固定座席は15席であり、車椅子席と補助席を入れて計20席である。客席の後方には個室があり、発達障害の人なども気兼ねなく鑑賞できる。こけら落とし作品はチャップリンの『街の灯』。市民団体「シティ・ライツ」代表の平塚千穂子(43)が設立した会社が運営し、佐藤浩章(26)が支配人を務める。改装費など1500万円は支援者や常連障害者からの寄付で賄った。チュプキはアイヌ語で「自然の光」を意味する。((「共にその先へ シネマ 目で耳で 初のバリアフリー映画館 セリフに字幕 情景を音声で」『東京新聞』2016年8月29日))
** 荒川区

** 足立区

* 東京23区西部
** 新宿区
*** 新宿ロマン座
新宿ロマン座に言及している雑誌記事として、「建築時評 『新宿ロマン座』の閉館」『東京人』1989年4月がある。現物は未確認。((「建築時評 『新宿ロマン座』の閉館」『東京人』1989年4月、pp.34-35))

*** ギンレイホール
所在地 : 東京都新宿区神楽坂2-19 銀鈴会館
開館年 : 1974年
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[ギンレイホール>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB]]

不動産業や出版業をしていた加藤忠は、1996年に飯田橋のギンレイホールの社長に就任した。閉館した全国野映画館からフィルム映写機を引き取り、2012年頃には千葉県成田市に資料館の成田映画センターを開設した。成田映画センターには映写機のほかに、手書き看板やポスターなども保管されている。((「名画座ギンレイホール社長 加藤忠さん(75)」『毎日新聞』2019年12月8日))

** 中野区
*** 中野名画座
所在地 : 東京都中野区中野2-30-8(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1989年8月27日
跡地は「パールスカイ2」。

*** 中野光座/中野ひかり座
所在地 : 東京都中野区中央4-61-4(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年
跡地は「ひまわり保育園」建物南西部。

*** 中野大映/中野大映劇場/中野武蔵野館/中野武蔵野ホール
所在地 : 東京都中野区中野5-60-11(2000年)
開館年 : 1960年以前(中野大映)、1987年(中野武蔵野ホール)
閉館年 : 2004年5月7日
港町キネマ通り : [[中野武蔵野ホール>>http://www.cinema-st.com/mini/m018.html]]
跡地は「グランパ中野」。

*** BOX東中野/ポレポレ東中野
所在地 : 東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下(2020年)
開館年 : 1994年(BOX東中野)、2003年9月(ポレポレ東中野)
閉館年 : 2003年4月25日(BOX東中野)、営業中(ポレポレ東中野)
Wikipedia : [[ポレポレ東中野>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%AC%E6%9D%B1%E4%B8%AD%E9%87%8E]]

** 杉並区
*** 西荻銀星座
所在地 : 東京都杉並区西荻1-210(1973年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
跡地はマンション「グリーンコート西荻窪」建物西側。

*** ムービー山小屋/高円寺ムービー山小屋
所在地 : 東京都杉並区高円寺南3-47-2(1980年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1981年
跡地は「西友高円寺店」を経てマンション「高円寺ニューナショナルコート」。

*** 高円寺エトアール/高円寺東映/高円寺東映劇場
所在地 : 東京都杉並区高円寺南3-47-1(1980年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1981年
跡地は「西友高円寺店」を経てマンション「高円寺ニューナショナルコート」。

*** 西荻名画座
所在地 : 東京都杉並区西荻南3-11-1(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1983年
跡地はマンション「グリーンコート西荻窪」。

*** 阿佐ヶ谷オデオン/阿佐ヶ谷オデオン座
所在地 : 東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-2(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1987年
跡地は「オデオンビル」。

*** 高円寺平和/高円寺平和劇場
所在地 : 東京都杉並区高円寺北3-20-22(1985年)
開館年 : 1946年1月
閉館年 : 1989年3月7日
Wikipedia : [[高円寺平和劇場>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%86%86%E5%AF%BA%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8A%87%E5%A0%B4]]
跡地は「高円寺北自転車駐車場」。

*** 荻窪スター座
所在地 : 東京都杉並区天沼3-3-19(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1993年
跡地は「荻窪北第一自転車駐車場」。杉並区最後の映画館。

昭和30年代の杉並区には20館以上の映画館があった。1993年には「荻窪スター座」が閉館し、杉並区から映画館が消えた。2015年4月には杉並区立郷土博物館分館で企画展「杉並にあった映画館」が開催され、かつて杉並区にあった映画館が紹介されている。((「[[杉並区 映画最盛期の昭和30年代を紹介>>https://koenji.keizai.biz/headline/216/]]」『高円寺経済新聞』2015年4月13日))

*** ユジク阿佐ケ谷
所在地 : 東京都杉並区阿佐谷北2-12-19 地下1階(2020年)
開館年 : 2015年4月25日
閉館年 : 2020年12月9日

*** ラピュタ阿佐ケ谷
所在地 : 東京都杉並区阿佐谷北2-12-21(2020年)
開館年 : 1998年11月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[ラピュタ阿佐ヶ谷>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%BF%E9%98%BF%E4%BD%90%E3%83%B6%E8%B0%B7]]

** 板橋区
*** 上板東映劇場
所在地 : 東京都板橋区常盤台4-25(1960年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1983年12月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「上板東映劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。

1983年いっぱいで、板橋区常盤台4-25-10の映画館「上板東映劇場」が閉館する。社長は小林紘。「カミイタ」の愛称で親しまれていた。1957年に封切館として開館し、その後名画座に転向した。1977年には東京都で初めて独立プロダクションや自主制作グループの作品の上映を始めた。毎月ファンを集めた討論会を企画するなどし、若い映画製作者らに発表の場を与えた。映画監督の大島渚は「自主製作映画は大手の大作映画と張り合うまでに成長しているが、これは、陰で支えてきた小林さんに負うところが大きい」「こうした映画館が消えることは大変寂しい」と評価している。((「上板東映、本当の幕 名画上映の軌跡残し きょうサヨナラ・シンポ」『読売新聞』1983年12月10日))

*** 武蔵野キネマ
所在地 : 東京都板橋区南常盤台1-26(1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
跡地は「小藤田ビル」。

*** 板橋劇場
所在地 : 東京都板橋区大山東町44-8(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前

*** 板橋名画座
所在地 : 東京都板橋区大山東町44-11(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
跡地は「東京板橋都税事務所」建物北西部。

*** 大山東映/大山東映劇場
所在地 : 東京都板橋区大山東町20-4(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
跡地は「大山オーシャンビル」。

*** 成増東映/成増東映劇場
所在地 : 東京都板橋区成増3-26-4(1985年)
開館年 : 1962年9月
閉館年 : 1988年5月

*** 成増国際映画劇場/成増国際劇場/成増8番館
所在地 : 東京都板橋区成増2-19-10(1990年)
開館年 : 1956年2月
閉館年 : 1990年以後1995年以前
跡地は成増会館B館。板橋区最後の従来型映画館。

*** ワーナー・マイカル・シネマズ板橋/イオンシネマ板橋
所在地 : 東京都板橋区徳丸2-6-1 イオン板橋S.C 5階(2020年)
開館年 : 2000年5月(WMC)、2013年7月(イオンシネマ)
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : [[ワーナー・マイカル・シネマズ板橋>>http://www.cinema-st.com/amuse/a002.html]]
12スクリーンのシネコン。

** 練馬区
*** 江古田文化劇場
所在地 : 東京都練馬区旭ヶ丘1-71(1980年)
開館年 : 1947年11月
閉館年 : 1984年頃
Wikipedia : [[江古田文化劇場>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%87%E5%A0%B4]]
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。跡地は「武田塾江古田校」が入る「ミナミビル」。

*** 板橋練馬劇場/練馬映画劇場
所在地 : 東京都練馬区練馬1-6-22(1985年)
開館年 : 1939年3月(板橋練馬劇場)、1941年頃(練馬映画劇場)
閉館年 : 1989年12月
Wikipedia : [[練馬映画劇場>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8A%87%E5%A0%B4]]
『全国映画館総覧 1955』によると1939年3月開館。跡地は「ライオンズステーションプラザ練馬」。

*** 光が丘テアトル西友1・2
所在地 : 東京都練馬区光が丘5-1-1 光が丘西武3階(2000年)
開館年 : 1985年以後1990年以前
閉館年 : 2000年4月9日

*** T・ジョイ大泉/T・ジョイSEIBU大泉
所在地 : 東京都練馬区大泉2-34-1 OZスタジオシティ4階(2020年)
開館年 : 2001年12月15日
閉館年 : 営業中
9スクリーンのシネコン。

*** ユナイテッド・シネマとしまえん
所在地 : 東京都練馬区練馬4-15-20(2020年)
開館年 : 2004年7月
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : [[ユナイテッド・シネマとしまえん>>http://www.cinema-st.com/amuse/a019.html]]
9スクリーンのシネコン。

* 東京23区南部
** 渋谷区
*** シネセゾン渋谷
1985年11月6日開館。2011年2月27日閉館。2010年の所在地は渋谷区道玄坂2-29-5 ザ・プライム。6階。

2011年2月27日、渋谷区道玄坂の映画館「シネセゾン渋谷」が営業を終了した。シネセゾン渋谷は1985年11月に開館し、1スクリーン219席を有する。経営する東京テアトルは、3スクリーンの「ヒューマントラストシネマ渋谷」に一本化することで効率化を図る。2009年1月には「渋谷ピカデリー」が、2010年9月には「渋谷シアターTSUTAYA」が閉館した。2010年11月には「シネマ・アンジェリカ」が休館し、2011年2月29日には「恵比寿ガーデンシネマ」も休館する。((「映画の街・渋谷苦戦 シネコンに押され相次ぐ閉館、休館」『東京新聞』2011年1月24日))
** 目黒区

** 品川区
*** 大井武蔵野館
所在地 : 東京都品川区大井1-20-16
開館年 : 1981年
閉館年 : 1999年1月31日
大井武蔵野館に言及している雑誌記事として、「コラム・デ・ムーチョ 平成の博覧強記男、見参 ヤブを睨む 昨年の並木座に続き、今度は大井武蔵野館が閉館になる」『SPA!』1999年1月20日がある。現物は未確認。((「コラム・デ・ムーチョ 平成の博覧強記男、見参 ヤブを睨む 昨年の並木座に続き、今度は大井武蔵野館が閉館になる」『SPA!』1999年1月20日、p.79))

大井武蔵野館に言及している雑誌記事として、「白木屋の陰で」『週刊読売』1999年2月21日がある。現物は未確認。((「白木屋の陰で」『週刊読売』1999年2月21日、p.171))

** 世田谷区
*** 三軒茶屋中央劇場
所在地 : 東京都世田谷区三軒茶屋1-14-5
開館年 : 1952年
閉館年 : 2013年2月14日
港町キネマ通り : [[三軒茶屋中央劇場>>http://www.cinema-st.com/classic/c007.html]]
2013年2月14日、東京都世田谷区の三軒茶屋駅前にあった三軒茶屋中央劇場が閉館した。1952年に松竹系封切館として開館。男女のかっぱの看板があるため「かっぱの映画館」としても知られた。一時期は成人映画館に転換したが、1992年に姉妹館の三軒茶屋映画劇場が閉館したことから、名作を2本立て1300円で上映する名画座となった。閉館までフィルム上映のみだった。閉館後も元従業員の映写技師らは存続を求めて署名運動も行っている。((「シネマの灯もう一度 先月閉館した『三軒茶屋中央劇場』 元従業員ら署名活動 『文化発信の場に』」『東京新聞』2013年3月5日))

「三軒茶屋中央劇場」に言及している書籍として、伊藤隆之『看板建築・モダンビル・レトロアパート』グラフィック社、2014年がある。((伊藤隆之『看板建築・モダンビル・レトロアパート』グラフィック社、2014年))

** 大田区

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