閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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* 松本市
*** 松本市の映画館
雑誌『松本の本 本と街を楽しむ雑誌』2020年、第2号には「映画と街」という記事がある。((「映画と街」『松本の本 本と街を楽しむ雑誌』2020年、第2号))

*** 池原劇場
所在地 : 長野県南安曇郡安曇村字稲核(1966年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「池原劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 松本銀映座(旧)/銀映座
所在地 : 長野県松本市本町110(1958年)、長野県松本市本町4-110(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「松本銀映座」。1963年の映画館名簿では「銀映座」。1963年以後1966年以前に移転。

*** 松本ニュー大映/松本ピカデリー劇場(旧)
所在地 : 長野県松本市上土町219(1963年・1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「松本ニュー大映」。1966年の映画館名簿では「松本ピカデリー劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 開明座/松本松竹映画劇場/松本開明座/松本松竹開明座/松本ピカデリー・松本松竹開明座/松本ピカデリー
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市上土町218(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、長野県松本市大手4-4-3(1966年・1969年・1973年)、長野県松本市大手4-7-3(1976年・1980年)、長野県松本市大手4-7-2(1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1886年(芝居小屋)、1934年(映画館化)、1990年代中頃(ビル化)
閉館年 : 1998年
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1894年9月。1950年の映画館名簿では「松本開明座」。1953年・1955年の映画館名簿では「開明座」。1958年の映画館名簿では「松本開明座」。1960年の映画館名簿では「松本松竹映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「松本松竹開明座」。1973年・1976年の映画館名簿では「松本開明座」。1980年の映画館名簿では「松本松竹開明座」。1985年・1990年の映画館名簿では「松本ピカデリー・松本松竹開明座」(2館)。1995年の映画館名簿では「松本ピカデリー」。1998年閉館。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は映画館の建物を転用した演劇場「上土劇場」(ピカデリーホール)。映画館の建物が現存。

1953年8月末、松本市の「開明座」は松竹との直営契約を解除した。開明座は松竹ストの際に組合のストに参加せず、組合は館主兼支配人の丸山銀松を除名。このため松竹は退職勧告せざるを得なくなった。((『キネマ旬報』1953年9月下旬号、73号))

1990年(平成2年)頃の「松本開明座」の写真あり。『釣りバカ日誌2』『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(いずれも1989年・松竹)の看板が見える。((小松芳郎(監修)『懐かし写真館 昭和の街角 松本 塩尻 東筑摩』郷土出版社、2009年、p.148))

1992年(平成4年)6月15日、松本市の上土商店街にある映画館「松本開明座」が閉館し、全面改装に入る。7月に築106年を迎える建物を解体し、2年後から3年後には映画館を核とする複合施設が開館する。邦画専門館であり、580席を有する。1886年(明治19年)に建設され、芝居・浪曲・歌舞伎などを上演していた。1934年(昭和9年)に映画館に転換し、商店街の中心的な施設となっていた。最近は一日の入場者数が10人を切る日も出てきたため、全面改装に踏み切った。隣接地で松本開明座が経営する洋画専門館「松本ピカデリー」は営業を続ける。((「長野・松本開明座が全面改装、映画館核の複合施設に」『日本経済新聞』1992年6月14日))

村松友視『黄昏のムービー・パレス』には、「松本開明座」に関する随筆が掲載されている。((村松友視『黄昏のムービー・パレス』平凡社、1999年))

*** 松本駅前メトロシアター
所在地 : 長野県松本市深志1-2-22 江原ビル地下(1985年・1990年)、長野県松本市深志1-2-15 江原ビル地下(1995年・2000年)
開館年 : 1980年以後1982年以前
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 2003年頃
Wikipedia : [[大手 (松本市)>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B_(%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%B8%82)#%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%9D%B1%E5%AE%9D%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB]]
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1982年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「松本駅前メトロシアター」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「CENTURY MAXIMビル」。
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「松本駅前メトロシアター」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「CENTURY MAXIMビル」。

*** 松本セントラル劇場/セントラル座/松本セントラル座/松本セントラル/松本東宝セントラル/松本東宝セントラル1・2
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市西堀町341(1953年)、長野県松本市西堀町(1955年)、長野県松本市西堀町314(1958年・1960年・1963年)、長野県松本市大手2-9-23(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 2004年10月24日
Wikipedia : [[大手 (松本市)>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B_(%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%B8%82)#%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%9D%B1%E5%AE%9D%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB]]
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1947年4月。1950年の映画館名簿では「松本セントラル劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「セントラル座」。1958年の映画館名簿では「松本セントラル座」。1960年の映画館名簿では「松本セントラル」。1963年の映画館名簿では「セントラル座」。1966年・1969年の映画館名簿では「松本セントラル」。1973年の映画館名簿では「松本セントラル座」。1976年の映画館名簿では「松本セントラル」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「松本東宝セントラル」。1995年・2000年の映画館名簿では「松本東宝セントラル1・2」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は複合福祉施設「セントラル・ビオス」。

1975年(昭和50年)頃の東宝セントラルの写真あり。((小松芳郎(監修)『懐かし写真館 昭和の街角 松本 塩尻 東筑摩』郷土出版社、2009年、p.149))

2003年6月21日、長野県松本深志高校に住みついて授業や職員会議に出た野良犬の物語を映画化した『さよなら、クロ』の上映が長野県内8カ所の映画館で始まった。撮影にも使われた映画館「松本東宝セントラル」では、松岡錠司監督や主演の妻夫木聡さんが舞台挨拶を行った。((「妻夫木さんらが舞台あいさつ 映画『さよなら、クロ』封切り」『朝日新聞』2003年6月22日))

2004年10月24日、松本市の映画館「東宝セントラル」と旅館「信州会館」が閉館する。運営は松本宝塚劇場。跡地には2006年9月までに福祉施設が建設される。映画館単独の売上高は2000年4月期の1億3900万円がピークであり、2004年4月期には8000万円を下回ったとされる。JR松本駅付近に安価なビジネスホテルが多数建設されたことで、信州会館は1993年をピークに売上高が半減していた。((「松本宝塚劇場 映画館など閉鎖 来月24日 新たに福祉施設建設」『日本経済新聞』2004年9月25日))

2004年10月24日、松本市の老舗映画館「松本東宝セントラル」が半世紀余りの歴史の幕を閉じる。今年2月の「松本中劇」に続く閉館であり、松本市内の映画館は3館に減る。シネマコンプレックスが台頭し、全国の地方都市で従来型の映画館が姿を消している。こうした中、「まちなかの映画館の灯を残したい」と、市民の間に署名活動や自主上映の動きも広がっている。((「『映画館の灯、守ろう』松本市民ら署名」『朝日新聞』2004年10月14日))

2004年10月24日、映画館と旅館を経営する松本宝塚劇場は「松本東宝セントラル」を閉館させる。松本東宝セントラルと信州会館は福祉施設に生まれ変わる。1927年(昭和2年)に芝居小屋の松筑座として開館し、1947年(昭和22年)に洋画の封切館となった。1953年(昭和28年)から1959年(昭和34年)頃には1日7-8回の上映で3000-4000人が入館した。立ち見はもちろんのこと、通路や2-3階席にも人があふれたという。「映画から夢が広がった」をテーマに閉館記念企画を実施し、『E.T.』『大脱走』『タイタニック』などを上映する。((「東宝セントラル、57年の歴史に幕 跡地は福祉施設に 松本」『毎日新聞』2004年10月1日))

このほど、2004年10月に閉館した松本市の老舗映画館「松本東宝セントラル」のロビーに飾られていたシャンデリア3基が松本市民芸術館に寄贈された。1975年の改装時に計180万円で購入した6基のうちの3基。販売した照明器具会社「ヤマギワ」によると、フランスのベルサイユ宮殿にある1740年製のシャンデリアと同じデザインである。((「シャンデリア、市民芸術館に 閉館の松本・映画館が寄贈」朝日新聞、2005年1月6日))

*** 松本中央劇場/松本中劇・中劇シネサロン/松本中央劇場・松本中劇シネサロン
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市縄手通77(1953年)、長野県松本市縄手通(1955年)、長野県松本市縄手通77(1958年・1960年・1963年・1966年)、長野県松本市大手4-1-13(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 2004年2月15日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1947年10月。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「松本中央劇場」。1963年の映画館名簿では「松本中劇・中劇シネサロン」(2館)。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「松本中央劇場・松本中劇シネサロン」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「リヴァージュ松本縄手」。

「中央劇場」の大文字があり、「中劇」の文字もある。『ダニー・ケイの牛乳屋』(アメリカ、日本では1953年上映)、『巴里千一夜』(1953年)、『復讐二連銃』(アメリカ、日本では1953年上映)の看板が見える。撮影年は「昭和30年代」(1955年-1964年)とあるが、1953年の誤りか?((地域写真集。書名不明、p.138))

松本市大手4丁目の「松本中劇」「シネサロン」などを経営する中央劇場は、2004年2月16日に地裁松本支部に自己破産を申請し、映画館を封鎖した。負債総額は約1億9700万円。1913年に同所で始めた呉服店が同社の前身であり、その後デパートに。1945年に同社を設立し、1946年に映画館の運営を開始した。洋画中心の老舗で、15日まで『ラスト・サムライ』などを上映していた。2002年3月期の年収入高は1億500万円だったが、2003年同期は8500万円に。((「松本の中央劇場 自己破産を申請 映画館封鎖」『信濃毎日新聞』2004年2月17日))

2004年2月16日、松本市の映画館「松本中劇」を経営する中央劇場(藤本徳次社長、資本金1千万円)は長野地方裁判所松本支部に自己破産を申請した。負債総額は約1億9700万円。((「映画館『松本中劇』が自己破産申請 負債1億9700万円」朝日新聞、2004年2月17日))

2年前に倒産した松本市の映画館「松本中劇」を主な会場として、宮崎義文は約25年間にわたって名画の自主上映会を行ってきた。2006年にはNPO法人「コミュニティシネマ松本CINEMAセレクト」を立ち上げ、映画の街・松本の再生をめざしている。宮崎は寺院の跡取りだったが、映画に触れていたくて松本中劇に就職。もぎりや売店の仕事をこなしながら、年に数回は自身が観たい映画を自主上映した。1987年には任意団体の「松本CINEMAセレクト」を1人で結成。上映本数は年100本を超え、監督をゲストに迎えるイベントなども手掛けるようになった。実家の寺が忙しくなり、1991年に松本中劇を退社するが、僧侶の仕事を終えた後の夜には松本中劇で映画鑑賞を行っていた。2004年2月に松本中劇が倒産するまでに公開した作品は、アジア映画・東欧映画・中南米映画など約500本に上る。松本中劇の閉館後は、松本市美術館などを会場に活動を続けている。大都市と地方との「上映格差」をなくそうという「コミュニティシネマ運動」にも参画し、「CINEMAセレクト」をNPO化して運動を本格化することにした。((「自主上映のNPO設立 『映画の街・松本』再生したい 後継者育成へ講座も」朝日新聞、2006年3月10日))

*** 松本劇場/松本大映/スカラ座/松本銀映座(新)/松本銀映座・松本小劇場/松本テアトル銀映・松本小劇場/松本テアトル銀映1・2
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市片端町181(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、長野県松本市城東1-1-4(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1870年(松本劇場)、1914年(現在地移転)、1963年(テアトル銀映)
閉館年 : 2008年10月
Wikipedia : [[シネマライツ8>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%848]]
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1947年9月。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「松本大映」。1963年の映画館名簿では「スカラ座」。1966年の映画館名簿では「松本銀映座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「松本銀映座・松本小劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「松本テアトル銀映・松本小劇場」(2館)。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「松本テアトル銀映1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「菅沼青果店」や「菅沼稲荷神社」東側の駐車場。

1993年(平成5年)の写真あり。「テアトル銀映」「GINEI」の文字が見える。((小松芳郎(監修)『懐かし写真館 昭和の街角 松本 塩尻 東筑摩』郷土出版社、2009年、p.149))

松本市街地で最古の映画館「テアトル銀映」は2008年(平成20年)10月24日をもって営業を終了。経営者の松本興行が今冬にシネコンを開館させるため。1870年(明治3年)に開館した筑摩県最初の常設劇場「松本劇場」が前身。1914年(大正3年)に現在の城東1丁目に移転。この大正期の建物を残しており、天井には豪華な木彫刻が施されている。1963年(昭和38年)にはテアトル銀映に改称し、70ミリフィルム対応の巨大スクリーンを上映。主に洋画を上映した。施設の老朽化、駐車場がない立地などから観客数が低迷し、1回に1人も入らないこともあった。((「老舗映画館、惜しまれ幕 松本の『テアトル銀映』劇場時代から138年の歴史」『信濃毎日新聞』2007年10月25日))

戦前の同館では歌舞伎が上演されていた。1950年(昭和25年)には松本大映が開館し、一時はスカラ座に改称したが、1963年(昭和38年)には銀映で定着した。松本市郊外の東筑摩郡山形村にシネコンが開館した影響などもあり、2008年(平成20年)10月24日に閉館した。((「テアトル銀映 シネコン建設の陰で… 半世紀以上の歴史に幕 松本」『毎日新聞』2008年11月12日))

*** 松本電気館/松本オリオン座/松本東映劇場/松本東映/松本エンギザファイブ/松本エンギザ5・6/上土シネマ
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市上土町163(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、長野県松本市大手4-10-12(1966年・1969年・1973年・1976年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1917年、1936年4月
閉館年 : 2008年11月14日
Wikipedia : [[松本エンギザ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B6]](単独記事ではない)
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1936年4月。1930年の映画館名簿では「電気館」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「松本オリオン座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「松本東映」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「松本東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年の映画館名簿では「松本東映」。1995年の映画館名簿では「松本エンギザファイブ」。2000年の映画館名簿では「松本エンギザ5・6」(2館)。2005年の映画館名簿では「上土シネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「松本メディアセンター」の東30mの建物。映画館時代の建物が現存。

1990年(平成2年)の松本東映の写真あり。「現上土シネマ」とある。『公園通りの猫たち』(1989年・東映)の看板が見える。((小松芳郎(監修)『懐かし写真館 昭和の街角 松本 塩尻 東筑摩』郷土出版社、2009年、p.148))

2008年(平成20年)11月14日、松本市大手の映画館「上土シネマ」が閉館した。11月22日から3日間は閉館記念特別上映が行われ、『宮本武蔵』から『鉄道員』間で東映の10作品を上映する。大正時代に松本電気館として開館。1968年(昭和43年)に改築され、1スクリーン200席となった。((「上土シネマ、きょうから閉館記念上映」『読売新聞』2008年11月22日))

2008年(平成20年)10月には市街地で最も歴史が古かった松本テアトル銀映が閉館。諏訪市では2005年に花松館・2007年にシネマレイクが閉館して市街地から映画館がなくなった。2008年11月下旬、上土シネマの最終日には『緋牡丹博徒 花札勝負』を上映。最後の上映作品は「不採算を理由に廃止が決まったローカル線の駅をめぐる人間ドラマ」『鉄道員』であり、映画館の姿と重なった。((「銀幕はいま(上)消えゆく映画館 減った客…1回に数人」『信濃毎日新聞』2008年12月16日))

平形興行は大手4丁目の上土シネマを2008年(平成20年)11月14日をもって閉館させる。経営資源を大手4丁目のエンギザに集中させるため。大正時代から続くとされるミニシアター。市街地の有志が出資して営業。((「松本の上土シネマ、14日に閉館 大正時代の開館、老朽化で」『信濃毎日新聞』2008年11月5日))

1917年(大正6年)頃に松本電気館が開館した。後に上土シネマと改称し、2008年(平成20年)11月に閉館した。大正時代竣工の擬洋風の建物はそのまま残されており、2014年(平成26年)頃からは商店街振興組合が築100年の建物の活用の検討を始め、2016年(平成28年)からは松本大学観光ホスピタリティ学科の教授や学生も加わって構想づくりを開始した。((「旧映画館再生 築100年 大正ロマン漂う町に 住民有志や松本大など計画 松本・上土」『毎日新聞』2017年11月16日))

*** 演伎座/演伎座東宝・演伎座日活/松本演伎座東宝・松本演伎座日活/松本ピカデリー劇場・松本演伎座東宝・松本演伎座日活/松本エンギザ1・2・松本エンギザニューホール・松本東映/松本エンギザ1・2・松本エンギザニューホール/松本エンギザ1・2・3/松本エンギザ1・2/松本エンギザ1-5
所在地 : 長野県松本市(1950年)、長野県松本市小柳町(1953年)、長野県松本市小柳町83(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、長野県松本市大手4-9-21(1969年)、長野県松本市大手4-9-21、大手4-9(1973年)、長野県松本市大手4-9-21、大手4-7-2(1976年)、長野県松本市大手4-9-21(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2010年)
開館年 : 1921年
閉館年 : 2010年6月27日
Wikipedia : [[松本エンギザ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B6]](単独記事)
1930年の映画館名簿では「演伎座」。1950年の映画館名簿では「松本演伎座」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「演伎座」。1963年の映画館名簿では「演伎座東宝・演伎座日活」(2館)。1966年の映画館名簿では「松本演伎座東宝・松本演伎座日活」(2館)。1969年の映画館名簿では「松本ピカデリー劇場・松本演伎座東宝・松本演伎座日活」(3館)。1973年の映画館名簿では大手4-9-21の「松本ピカデリー」と大手4-9の「松本演伎座東宝・松本演伎座日活」(3館)。1976年の映画館名簿では大手4-7-2の「松本ピカデリー」と大手4-9-21の「松本演伎座東宝・松本演伎座日活」(3館)。1980年の映画館名簿では「松本エンギザ1・2・松本エンギザニューホール・松本東映」(4館)。1985年・1990年の映画館名簿では「松本エンギザ1・2・松本エンギザニューホール」(3館)。1995年の映画館名簿では「松本エンギザ1・2・3」(3館)。2000年の映画館名簿では「松本エンギザ1・2」(2館)。2005年・2010年の映画館名簿では「松本エンギザ1-5」(5館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2014年竣工のマンション「プレシス松本城公園」。

1997年11月8日、松本市大手4丁目のエンギザはミニシアター風劇場を2館備えた映画館を新装オープンする。明るい色の壁、障碍者用トイレを設置した映画館は、長野県屈指の映画館密集地である松本市でも珍しい。鉄筋コンクリート造4階建。1階と2階には飲食店、3階に120席と160席の映画館。エンギザは1921年に演技座として開館し、戦後に盛り上がりを見せたが、テレビやビデオ映画の普及で入場者が減少した。((「映画館の街 松本に新しい風 エンギザ きょう新装オープン 人気の飲食店同居・明るい館内・最新音響設備」『信濃毎日新聞』1997年11月8日))

*** 松本シネマライツ8
所在地 : 長野県松本市高宮中116-2(2010年)、長野県松本市高宮中116-2 イトーヨーカドー南松本店敷地内(2015年)
開館年 : 2008年12月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : [[シネマライツ8>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%848]]
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「松本シネマライツ1-8」(8館)。

松本興行はイトーヨーカドー南松本店の駐車場の一角に県内最大級のシネコンを建設する予定。8館1374席。商圏は半径60劼鯀枋蝓G間売上高は約6億円を見込む。松本都市圏では2000年に東筑摩郡山形村に6館のアイシティシネマが開館。2004年には市街地の老舗映画館2館が相次いで閉館した。松本興行は松本市城東1丁目のテアトル銀映(2館)や長野市の千石劇場(3館)も経営。((「松本に複合映画館を建設へ 松本興行、11月開館目指す 県内最大級『テアトル銀映』は閉館」『信濃毎日新聞』2008年4月5日))

松本市の中心市街地で映画館を経営している松本興行は、松本市高宮中の「イトーヨーカドー南松本店」駐車場に複合映画館(シネコン)を建設する。松本興行の完全小会社である北原が、イトーヨーカドーを経営するセブン&アイと調整している。2008年5月に着工し、11月下旬に開館予定である。収容人数は1374人であり、長野県最大級の映画館となる。最大のスクリーンは縦5.8m×横13.7mとなる。年間観客数は約50万人、年間売上高は約6億円を見込んでいる。これにともなって、松本興行が運営する松本テアトル銀映は閉館となる予定。2000年には山形村に、松本市周辺では初となるシネコン「アイシティシネマ」が開館し、好調な経営を続けているという。一方で松本市街地では映画館の閉館が相次いでいる。((「『映画の街』松本にシネコン 復活へ県内最大級 SCに併設 8劇場 今秋開館」『中日新聞』2008年4月21日))

2008年12月にも、松本市に長野県最大級のシネコン「松本シネマコンプレックス」(仮称)が開館する。2008年6月に着工する。運営は松本興行であり、100%小会社の北原が開発を手掛ける。イトーヨーカドー南松本店の駐車場の一角。バリアフリーの観点から1階に8つのスクリーンを集中させる。半径60kmを商圏と見込んでおり、年間50万人の集客を見込んでいる。シネコンの開館に伴なって、松本市中心部で営業中の「テアトル銀映」は閉館する予定。((((「松本に県内最大級シネコン 松本興行 12月開業」『日本経済新聞』2008年5月29日))

2010年7月10日、松本市高宮中の映画館「シネマライツ8」が3D上映を開始した。8スクリーンのうち1スクリーンを3D専用とし、『トイ・ストーリー3』を上映している。2008年12月に開館。2010年6月末には松本市中心市街地の「松本エンギザ」が閉館し、松本市唯一の映画館となっている。かつて松本市には10館以上の映画館があり「映画の町」と呼ばれていたが、近年には「松本中劇」や「テアトル銀映」などの老舗映画館が閉館し、エンギザも自己破産により突如閉館した。((「シネマライツ8 『映画の灯』文化守れ 松本市唯一の映画館、3D上映で集客」『毎日新聞』2010年7月11日))

*** イオンシネマ松本
所在地 : 長野県松本市中央4-9-51 イオンモール松本空庭2階
開館年 : 2017年9月21日
閉館年 : 営業中
8スクリーンのシネコン。長野県初のイオンシネマ。

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