閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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* 金沢市
** 中心市街地
香林坊・片町・武蔵ケ辻周辺の映画館。

*** 金沢市の映画館
金沢市で初めて映画が上映されたのは、1897年(明治30年)6月、香林坊の「福助座」でのことである。「騎兵の行進」、「仏国巴里市街の景況」、「海水浴の有様」、「仏国三美人の舞踊」のフィルムが上映された。金沢市に初めて常設映画館が開館したのは、1913年(大正2年)であり、香林坊下の菊水倶楽部である。菊水倶楽部の定員は700人だった。その他の常設映画館としては、尾張町に第二菊水倶楽部(後の昭和劇場)が、香林坊にスメル館が、下尾張町に大手館が、白菊町にキンシ館が開館している。1912年(大正10年)頃になると中央の資本が金沢市にも進出し、相次いで経営者が交代した。このころには香林坊に映画館が集中するようになり、香林坊に娯楽街が形成された。((田中喜男(監修)『写真と地図でみる 金沢のいまむかし』国書刊行会、1991年、p.108))

1897年(明治30年)6月5日、金沢市香林坊の劇場「福助座」(現・松竹会館)において、石川県で初めて活動写真が上映された。1913年(大正2年)10月、香林坊下に金沢市初の常設映画館として「第一菊水倶楽部」が開館した。1914年(大正3年)6月には金沢市尾張町に「第二菊水倶楽部」が、7月には香林坊大神宮境内に「スメル館」が開館し、映画館は増加の一途をたどった。映画全盛期の1962年(昭和37年)、石川県には73館の映画館があった。((「映画館」『石川県大百科事典』北國出版社、1975年、))

*** 立花座
所在地 : 石川県金沢市
開館年 : 不明
閉館年 : 1945年以前?
跡地は「香林坊東急スクエア」。

*** 大和劇場/金沢大和東映劇場
所在地 : 石川県金沢市片町71(1953年・1955年)、石川県金沢市片町(1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「大和劇場」。1960年の映画館名簿では「金沢大和東映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「片町きらら」。

1962年頃の金沢市にあった映画館「大和劇場」の写真あり。「大和劇場」や「Daiwa Toei」の文字が見える。『銀座の若大将』や『流し雛』や『愛染かつら』の看板が見える。大和に併設されており、デパートでの買い物や食堂での食事とセットで楽しまれた。((『写真が語る 金沢市の130年』いき出版、2019年、p.162))

*** 第二菊水倶楽部/昭和劇場
所在地 : 石川県金沢市(1950年)、石川県金沢市尾張町84(1953年・1955年)、石川県金沢市尾張町(1960年)
開館年 : 1913年? 1916年4月?
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1916年4月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「昭和劇場」。1959年の住宅地図では「昭和劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太陽生命金沢ビル」建物南側。

1938年(昭和13年)の尾張町に開館した際の「昭和劇場」の写真あり。大正時代に開館した映画常設館「第二菊水倶楽部」の後継館である。((田中喜男(監修)『写真と地図でみる 金沢のいまむかし』国書刊行会、1991年、p.108))

1951年(昭和26年)の金沢市尾張町にあった「昭和劇場」の写真あり。「大映北陸封切場」の文字が見える。大映作品『源氏物語』の開場を待つ観客が写っている。((『愛蔵版 ふるさと写真館 北國新聞創刊115年記念』北國新聞社、2008年))

『尾張町のむかし、いま、これから』には1956年の金沢市住宅明細地図の尾張町部分が掲載されており、地図中には「昭和劇場」も見える。((石川雅明『尾張町のむかし、いま、これから』尾張町商店街振興組合、2014年、p.170))

*** 金沢名画座
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1(1960年)
開館年 : 1959年2月25日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「金沢名画座」。1960年の映画館名簿では経営者が大映興行、木造2階、定員560、新東宝を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年2月25日、金沢市高岡町上ノ内にある大映直営館「金沢大映名画座」は「金沢名画座」に改称し、大映の再映館から新東宝の封切館に転換した。((「映画館」『キネマ旬報』1959年春特別号))

*** 金沢東映/金沢東映劇場(旧)
所在地 : 石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市長町1-1(1963年)
開館年 : 1959年10月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「金沢東映」。1963年の映画館名簿では「金沢東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年10月に開館した「金沢東映」の写真あり。『百万両五十三次』『天下の伊賀越 暁の血戦』の看板が見える。(※1960年代中頃から2001年まで営業した金沢東映とは場所が異なる)((北國新聞社出版局『写真集 昭和花あり嵐あり 石川の昭和30年代』北國新聞社出版局、2007年、p.279))

*** 第二スメル館/ロマン菊水/金沢ロマン菊水
所在地 : 石川県金沢市長町川岸9-1(1953年)、石川県金沢市長町川岸9(1955年)、石川県金沢市長町川岸(1960年)、石川県金沢市長町川岸9(1963年)、石川県金沢市片町2-7-20(1966年)
開館年 : 1913年12月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - 金沢ロマン菊水>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.56230882842071%2C136.6526478561227&z=19]]
『全国映画館総覧 1955』によると1913年12月開館。1953年の映画館名簿では「第二スメル館」。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「ロマン菊水」。1966年の住宅地図では「第二東映」。1966年の映画館名簿では「金沢ロマン菊水」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「香林坊きららパーク」。
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*** 金沢小劇場
所在地 : 石川県金沢市香林坊2-14-15(1966年・1969年)、石川県金沢市香林坊2-1-5(1973年)
開館年 : 1964年以後1966年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1963年・1964年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では「小劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢小劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「香林坊東急スクエア」中央部。
&ref(https://image01.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/JHvH9SI1l9.png,350)

*** スカラ座/金沢スカラ座
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1960年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1963年)、石川県金沢市香林坊2-1-15(1966年・1969年)、石川県金沢市香林坊2-14-15(1973年)
開館年 : 1896年
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「スカラ座」。1966年の住宅地図では「スカラ座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢スカラ座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
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*** パリー菊水/金沢パリー菊水
所在地 : 石川県金沢市長町川岸(1960年)、石川県金沢市大藪小路1-1(1963年)、石川県金沢市片町2-7-19(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「パリー菊水」。1966年の住宅地図では「パリー菊水」。1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「金沢パリー菊水」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「香林坊きららパーク」。
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*** 109シネマ
所在地 : 石川県金沢市香林坊2-1-1(1990年・1992年・1995年)
開館年 : 1988年以後1990年以前
閉館年 : 1995年以後1998年以前
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1992年・1995年の映画館名簿では「109シネマ」。1992年の映画館名簿では鉄筋造4階、103席、経営会社がTMD、経営者・支配人ともに楢原龍一、洋画を上映。1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 松竹座/金沢松竹座/金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2/金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2・金沢シネマピカデリー
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1(1953年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1955年・1958年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-2(1960年・1963年)、石川県金沢市香林坊2-13-13(1966年)、石川県金沢市片町2-7-19(1990年)
開館年 : 1893年、1955年12月29日、1978年
閉館年 : 1997年10月31日
1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「松竹座」。1966年・1969年の映画館名簿では「金沢松竹座」。1966年の住宅地図では「松竹会館」。1980年の映画館名簿では「金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2」(3館)。1990年・1995年の映画館名簿では「金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2・金沢シネマピカデリー」(4館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年頃の「松竹座」と「スメル館」の写真あり。((『映画黄金期 小屋と名作の風景 下巻』国書刊行会、1989年、p.25))

1955年12月に新装開館した金沢市の「松竹座」の写真あり。「新装開館12月29日大公開」の文字や『大江戸出世双六』や『君美しく』の看板が見える。((北國新聞社出版局『写真集 昭和花あり嵐あり 石川の昭和30年代』北國新聞社出版局、2007年、p.278))

1997年10月31日、金沢市片町2丁目の香林坊シネマビルで最後の興行が行われ、19年の歴史に幕を下ろした。経営は金沢市の松本興行。特別なイベントなどは開催されていない。香林坊シネマビルにはシネマ1・シネマ2・シネマピカデリー・金沢松竹座の4映画館が入っている。1978年から松竹系洋画を上映してきたが、シネコンの開館などを機に閉館が決定した。週明けにも建物の取り壊し工事が始まり、1997年内には取り壊し工事が終了する予定。跡地について当面は有料駐車場となる。((「名残惜しみ 最後の興行 香林坊シネマビル(金沢市) 19年の歴史に幕 ファン 思い出胸に鑑賞」『北國新聞』1997年10月31日))
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*** 金沢劇場
所在地 : 石川県金沢市片町10(1955年)、石川県金沢市片町(1960年)、石川県金沢市片町10(1963年・1973年)、石川県金沢市片町1-7-23(1980年・1985年・1995年)
開館年 : 1936年11月
閉館年 : 1998年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1936年11月開館。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「金沢劇場」。1966年の住宅地図では「金沢劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金劇パシオン」。

1962年の金沢市にあった映画館「金沢劇場」の写真あり。『吼えろ脱獄囚』や『南の島に雪が降る』の看板が見える。「いつも楽しい東宝映画」などの文字が見える。1936年に開業した。東宝の作品を上映した。2019年現在の金劇パシオンの場所にあった。((『写真が語る 金沢市の130年』いき出版、2019年、p.162))

1998年1月13日、金沢市の北陸興業は片町1丁目の金劇ビルを取り壊して総合テナントビルを建設する計画を明らかにした。金劇ビルに入っている映画館「金沢劇場」は1998年4月5日をもって閉館し、4月中旬から取り壊し工事に入る予定である。1936年開館の金沢劇場は、石川県で営業中の映画館としては最も古い。1964年には現在の金劇ビルが竣工し、東宝系邦画を中心に上映していた。北陸興業は東宝系邦画の上映館を金沢プラザ劇場に移す予定である。新築する総合テナントビルは1999年4月完成予定であり、鉄骨造、地下1階・地上7階建。名称は未定だが「金劇」の2文字は残す予定である。((「金劇ビルを全面改築 北陸興業(金沢市) 総合テナントビルに 映画館 惜しまれ4月閉館 片町バス停の機能見直しも」『北國新聞』1998年1月14日))

1998年4月5日、金沢市片町1丁目の映画館「金沢劇場」が閉館する。1936年に木造2階建て600席の映画館として開館。1964年に鉄筋コンクリート造5階建てのビルを新築した。1965年の『東京オリンピック』、1973年の『日本沈没』、1979年の『ああ野麦峠』、1980年の『天平の甍』などがヒットした。老朽化した建物は取り壊され、1999年4月には7階建てにビルに建て替えられる予定。((「さよなら『金劇』60余年の歴史に幕 あすまで感謝企画」『朝日新聞』1998年4月3日))

1998年4月5日、金沢市片町1丁目の映画館「金沢劇場」で最後の興行が行われた。61年の歴史に幕を閉じた。経営は北陸興業。4月4日までは「さよならフェスティバル」と称した特別企画を行っていたが、4月5日は通常のプログラムとして『ドラえもん のび太の南海大冒険』を上映した。春休み最後の日曜日であり、関内は親子連れでにぎわった。これから金劇ビルは取り壊され、1999年4月には総合テナントビルとして生まれ変わる予定。金沢劇場で上映されていた東宝系邦画は、香林坊映画街の金沢プラザ劇場で上映される。((「名残惜しみ最後の興行 金沢劇場(金沢市) 61年の歴史に幕」『北國新聞』1998年4月6日))
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*** 金沢日活館/金沢日活/金沢日活劇場/金沢日活劇場・金沢プラザ劇場/金沢にっかつ劇場・金沢プラザ劇場/ロッポニカ金沢・金沢プラザ劇場/金沢プラザ劇場
所在地 : 石川県金沢市大藪小路4-2(1955年)、石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市長町川岸16(1963年)、石川県金沢市片町2-9-2(1966年・1980年・1990年)
開館年 : 1912年5月、1959年12月6日
閉館年 : 1999年11月29日
『全国映画館総覧 1955』によると1912年5月開館。1955年の映画館名簿では「金沢日活館」。1960年の映画館名簿では「金沢日活」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「金沢日活劇場」。1966年の住宅地図では「金沢日活」。1980年の映画館名簿では「金沢日活劇場・金沢プラザ劇場」(2館)。1985年の映画館名簿では「金沢にっかつ劇場・金沢プラザ劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では「ロッポニカ金沢・金沢プラザ劇場」(2館)。1995年の映画館名簿では「金沢プラザ劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「ニュー香林坊パーキング」。

1957年頃の「金沢日活館」の写真あり。「HOME OF AMERICAN MOVIE」の文字が見える。((『映画黄金期 小屋と名作の風景 下巻』国書刊行会、1989年、p.25))

1959年12月に開館した金沢市の「日活」に殺到する観客の写真あり。「Nikkatsu Theatre」「12月6日開場 歌う日活スターまつり 小林旭 浅丘ルリ子 筑波久子」の文字が見える。『黒幕は誰だ』『事件記者 深夜の目撃者』などの看板が見える。((北國新聞社出版局『写真集 昭和花あり嵐あり 石川の昭和30年代』北國新聞社出版局、2007年、p.279))

1999年11月29日までに、金沢市片町2丁目の映画館「金沢プラザ劇場」での興行が打ち切られた。経営は金沢市で映画館3館を経営してきた北陸興業。シネコンの興隆による苦渋の決断だった。香林坊映画街の映画館数は、この10年で10館から4館に減ることとなった。金沢プラザ劇場の建物は、1959年に日活の直営館「金沢日活」として開館した。やがて劇場の所有権は東急電鉄に移り、1992年に北陸興業が建物の貸借契約を結び、東宝系の洋画と邦画を上映していた。ここ数年は興行成績が低迷し、建物の老朽化も進行したため、12月の契約更新を行わない決断を下した。1989年の香林坊映画街には10館の映画館があったが、1997年10月に香林坊シネマビルの4館が閉館するなどし、金沢プラザ劇場の閉館によって4館のみとなった。金沢プラザ劇場は座席数610席の平屋建て。日活時代には石原裕次郎の『銀座の恋の物語』や『黒部の太陽』などがヒットし、最近では『ドラえもん』の上映館として家族連れに親しまれた。上映は11月28日で終了し、11月29日には備品などの搬出作業が行われた。((「金沢プラザ劇場が閉館 金沢市・香林坊映画街 シネマの灯また消える 郊外複合型に押され」『北國新聞』1999年11月30日))

1999年12月1日付『北陸中日新聞』金沢市版には、プラザ劇場の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。((「複合型映画館に押され…『プラザ劇場』閉館 老朽化に加え、客足も遠のく」『北陸中日新聞』1999年12月1日))

1999年12月1日付『読売新聞』金沢市版には、プラザ劇場の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。((「プラザ劇場が閉館 金沢 郊外型映画館進出も響く」『読売新聞』1999年12月1日))

1959年には金沢市片町2丁目に金沢プラザ劇場の建物が建てられた。地下1階・地上3階建て。1999年には老朽化により、金沢プラザ劇場が閉館した。2002年からは中心市街地活性化策として、学生の文化活動拠点「香林坊ハーバー」として利用されている。((「老朽化進み、取り壊し 香林坊ハーバーは移転へ 旧金沢プラザ劇場」『朝日新聞』2005年6月16日))
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*** 駅前文化劇場/金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場/金沢ニュー東宝1・2
所在地 : 石川県金沢市此花町6-10 金沢都ホテル地下2階(2000年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1992年頃(金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場)、2001年2月28日(金沢ニュー東宝)
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - 金沢ニュー東宝>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.5778782021618%2C136.64999515140698&z=17]]
1960年の映画館名簿には掲載されていないと思われる。1963年の映画館名簿では「駅前文化劇場」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「地下 ロキシー座 文化劇場」。1966年・1969年・1973年・1980年・1990年の映画館名簿では「金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場」(2館)。1992年頃に金沢文化劇場と金沢ロキシー劇場が閉館。その後金沢ニュー東宝が開館。1995年・2000年の映画館名簿では「金沢ニュー東宝1・金沢ニュー東宝2」(2館)。2001年2月28日に金沢ニュー東宝が閉館。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は現存する「金沢都ホテル」地下2階。

2001年2月末をもって、金沢市此花町の映画館「金沢ニュー東宝1」と「金沢ニュー東宝2」が閉館する。両館を経営する東宝中部興行が1月19日までに決定した。外資系のシネコンに観客を場われた形。1993年12月、金沢都ホテル地下街の「ロキシー劇場」と「文化劇場」の跡地を利用して両館が開館した。座席数は金沢ニュー東宝1が309席、金沢ニュー東宝2が120席。東宝系洋画を中心として上映した。1997年10月以降には石川県に3施設のシネコンが開館しており、金沢ニュー東宝は徐々に業績が悪化していた。現在の石川県には33スクリーンがあり、スクリーン数は人口比では全国平均の1.5倍である。33スクリーンすべてが金沢市とその周辺に集中しており、金沢都市圏は全国屈指の映画館激戦区となっている。シネコン進出以前の金沢市中心市街地には13館があったが、金沢ニュー東宝が閉館すると半分以下の6館となる。金沢都ホテルを所有する近畿日本鉄道は、映画館跡地の活用方法について「現段階では答えられない」としている。((「ニュー東宝1・2 閉館 激戦区金沢 街の映画館また消える シネコンに押され業績悪化 来月限り」『北國新聞』2001年1月20日))

2012年6月23日付『北陸中日新聞』金沢市版には、ロキシー劇場跡地がカナザワ映画祭の会場となることを伝える記事が掲載されている。現物は未確認。((「閉鎖映画館の銀幕 "復活" 9月のカナザワ映画祭 旧ロキシー劇場 主にフィルム作品上映」『北陸中日新聞』2012年6月23日))
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*** 金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場/金沢東映劇場・金沢東映パラス/金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場/金沢東映劇場・金沢東映2
所在地 : 石川県金沢市片町3-9(1966年・1969年・1973年)、石川県金沢市片町2-9-1(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1964年以後1966年以前
閉館年 : 2001年4月6日
1964年以後1966年以前の金沢東映劇場とは場所が大きく異なる。1966年の住宅地図では「金沢東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢東映劇場」。1976年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス」(2館)。1985年・1990年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映2」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。東映劇場が1階、東映2が2階。跡地は駐車場。跡地は有料駐車場「ニュー香林坊パーキング」。

2001年4月6日をもって、金沢市片町2丁目の映画館「金沢東映1・2」が閉館する見込みとなった。東映劇場管理部は、「採算が厳しい状態にある。まだ正式に決定していないが、閉館も選択肢の一つだ」としている。金沢都市圏への相次ぐシネコンの進出によって採算が厳しくなったため。1998年に10館あった香林坊映画街の映画館数は、金沢東映1・2の閉館によって2館のみとなる。((「金沢東映が4月閉館へ」『北國新聞』2001年2月22日))
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*** 金沢大映/金沢大映劇場/金沢グランド劇場/金沢グランド劇場・金沢グランドスカラ座
所在地 : 石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市大藪小路3-1(1963年)、石川県金沢市片町2-9-3(1966年・1969年・1980年・2000年)
開館年 : 1914年(金沢大映劇場)、1978年以後1980年以前(金沢グランド劇場)
閉館年 : 1971年(金沢大映劇場)、2002年9月1日(金沢グランド劇場)
1960年の映画館名簿では「金沢大映」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「金沢大映劇場」。1966年の住宅地図では「金沢大映」。1973年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の映画館名簿では「金沢松竹座」。1980年の映画館名簿では「金沢グランド劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「金沢グランド劇場・金沢グランドスカラ座」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「グランドパーキング」。

2002年6月15日付『北國新聞』には、9月に金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。((「香林坊映画街灯消える 金沢グランド劇場 グランドスカラ座 "最後の砦"9月閉館 郊外へ客流出止まらず」『北國新聞』2002年6月15日))

2002年9月1日をもって、金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館する。2001年2月から4月にはJR金沢駅前や「香林坊映画街」の4館が閉館しており、1913年に始まった「香林坊映画街」から映画館が消滅する。金沢市中心部の映画館は香林坊109のミニシアター「シネモンド」と成人映画館「駅前シネマ」のみとなる。金沢グランド劇場の観客数は2割にまで落ち込んでいた。((「金沢グランド、グランドスカラ座 あす金沢の2劇場が閉館」『読売新聞』2002年8月31日))

2002年9月1日をもって、金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館する。8月31日には中高年を中心とする映画ファンが多数詰めかけた。8月24日からは「ザ・ラスト・ピクチャーショー」を開催しており、最終日の9月1日には西部劇『ワイルド・バンチ』が4回上映される。1913年(大正2年)に始まった「香林坊映画街」が消滅する。((「さらば、香林坊映画街の灯 きょう最後の2館が閉館 ラストショーに惜しむファン」『北國新聞』2002年9月1日))
&ref(https://image01.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/JHvH9SI1l9.png,350)

*** 金沢駅前シネマ
所在地 : 石川県金沢市鍛冶町(1960年)、石川県金沢市鍛冶町118(1963年)、石川県金沢市笠市町6-10(1966年・1980年・1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2020年3月31日
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - 駅前シネマ>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.57702523659492%2C136.65382534588025&z=17]]
Wikipedia : [[駅前シネマ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E5%89%8D%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E]]
1960年・1963年の映画館名簿では「駅前シネマ」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「駅前シネマ」。1966年・1969年・1973年・1980年・1990年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「金沢駅前シネマ」。

1988年の金沢市にあった「駅前シネマ」の写真あり。2019年現在も、別院通りから小道に入った場所で成人映画館として営業している。((『写真が語る 金沢市の130年』いき出版、2019年、p.163))

JR金沢駅近くの住宅街にはピンク映画専門館「駅前シネマ」がある。1958年に開館した時から二番館だった。現在の支配人の藤岡紫浪(54)は高校生の時から編成を担当し、『網走番外地』や『不良番長シリーズ』やお色気作品などを中心に組んだ。藤岡は1947年生まれ。父は藤岡が生後間もなく家を出て、母は藤岡が中学1年生の時に家を出た。藤岡には両親がいなくなり、可愛がってくれる祖父母の元、進学校から現役で金沢大学に進んだ。金沢大学では映画研究会に入ったが、ヤクザ映画を称賛しても理解されなかったためすぐに退会した。大学卒業後に駅前シネマの支配人となり、1978年に「駅前シネマニュース」を創刊。2002年10月には「駅前シネマニュース」が創刊24年を迎える。月刊の4ページ立てであり、藤岡やフリーライターが映画批評などを行う。バブル期には200坪の土地に4億円の価格がついたが、藤岡は売る気がなかった。藤岡の著書には『映画館番外地』がある。((「藤岡紫浪さん『オオカミの志』邦画界撃つ」『朝日新聞』2002年8月4日))

JR金沢駅東口から東別院に抜ける住宅街にある「駅前シネマ」は48年前から建っている。切符のもぎりは今も昔も金沢大学の男子学生である。売店にはアンパン、さきいか、バターピーナッツなどが並び、薄い壁を通して喘ぎ声が館内に響く。「駅前シネマニュース」は2006年2月で329号を数える。上映作品の紹介のほかに、映画を通じて世相を切り取る藤岡紫浪支配人(58)のコラムなどが人気であり、県外にも愛読者は多い。金沢大学が角間に移転したことで学生客は減少したが、50代以上の常連客は少なくない。((「金沢駅かいわい:下 金沢市 自由生む『いかがわしさ』」『朝日新聞』2006年3月6日))

JR金沢駅近くには藤岡紫浪(64)が経営する映画館「駅前シネマ」がある。藤岡は石川県興行生活衛生同業組合で10年間にわたって理事長を務め、2011年には紫綬褒章を受章している。1958年には駅前シネマが開館。((「銀幕の未来 (5)『不良文化』よ永遠に」『読売新聞』2012年8月6日))

JR金沢駅に近い路地裏には成人映画館「駅前シネマ」がある。1958年、現在の支配人である藤岡紫浪(71)の祖父が一般映画の二番館として開館させた。藤岡紫浪は金沢大学卒業と同時に経営を引き継ぎ、日活ロマンポルノの登場を機に成人映画に軸足を移した。最盛期には一晩で学生ら500人の観客があったという。現在の売り上げは最盛期の半分に満たない月200万円足らず。観客の大半は、年配の常連客と、非日常の装いや出会いを楽しむ人々である。ここ5年ほどは成人映画の封切りが激減したため、上映する作品の中心は10-20年前の旧作である。入場料は一般1500円、学生と60歳以上1100円。18歳未満は入場負荷。土曜日はレイトショーもある。((「成人映画館『駅前シネマ』清濁丸ごと、暗闇ロマン」『朝日新聞』2019年4月10日))

「金沢駅前シネマ」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。((高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年))

「駅前シネマ」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。((中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年))

「駅前シネマ」に言及している雑誌記事として、「大高宏雄のファイトシネクラブ 金沢『駅前シネマ』が閉館」『キネマ旬報』2020年4月15日がある。現物は未確認。((「大高宏雄のファイトシネクラブ 金沢『駅前シネマ』が閉館」『キネマ旬報』2020年4月15日、p.98))

「駅前シネマ」に言及している雑誌記事として、「TEMPO スクリーン カチンコ閻魔帳 北陸最後の成人映画館」『週刊新潮』2020年4月9日がある。現物は未確認。((「TEMPO スクリーン カチンコ閻魔帳 北陸最後の成人映画館」『週刊新潮』2020年4月9日、p.119))

倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。((倖田李梨(文)、藤里一郎(写真)『タイガーリリー』2019年))
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*** シネモンド
所在地 : 石川県金沢市香林坊2-1-1 香林坊109ビル4階
開館年 : 1998年12月19日
閉館年 : 営業中
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - シネモンド>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.56230882842071%2C136.6526478561227&z=19]]
Wikipedia : [[シネモンド>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89]]
2000年の映画館名簿では「シネ・モンド」。2005年・2015年の映画館名簿では「シネモンド」。

「シネモンド」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。((中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年))

「シネモンド」に言及している雑誌記事として、土肥悦子「2000年代日本映画ベスト・テン 00年代の記憶 土肥悦子(シネモンド代表)闘いと挫折、必死で突っ走った10年」『キネマ旬報』2020年7月15日がある。現物は未確認。((土肥悦子「2000年代日本映画ベスト・テン 00年代の記憶 土肥悦子(シネモンド代表)闘いと挫折、必死で突っ走った10年」『キネマ旬報』2020年7月15日、p.35))
&ref(https://image01.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/JHvH9SI1l9.png,350)

*** イオンシネマ金沢フォーラス
所在地 : 石川県金沢市堀川新町3番1号 金沢フォーラス7階
開館年 : 2006年11月
閉館年 : 営業中
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - イオンシネマ金沢フォーラス>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.57916194065597%2C136.65020972812817&z=17]]
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「イオンシネマ金沢フォーラス」。金沢市で3番目に開館したシネコン。最寄駅はJR金沢駅。
&ref(https://image02.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/RvuyyXLbLE.png,350)

** 金沢市郊外
*** 森本会館
所在地 : 石川県河北郡森本町(1955年)、石川県金沢市森本町吉原(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年7月開館。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「森本会館」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の住宅地図では発見できず。
『全国映画館総覧 1955』によると1952年7月開館。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「森本会館」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

*** 金沢ヘルスセンター
所在地 : 石川県金沢市東御影町(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年頃
1960年・1963年の映画館名簿では「金沢ヘルスセンター」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「卯辰山公園」の頂上付近にある「卯辰山見晴らし台」。

標高141mの卯辰山(うたつやま)には四季を問わず多くの市民が訪れる。金沢城まで約2劼閥瓩、場内の様子が手に取るようにわかるため、江戸時代には庶民の入山はご法度だった。1867年(慶応3年)には加賀藩第14代藩主の前田慶寧が方針を転換し、芝居小屋や神社などを整備する開発を進めた。1914年(大正3年)には金沢市が所有者となり、都市公園としての整備を進めた。動物園・水族館・映画館・大浴場などがあった「金沢ヘルスセンター」の跡地は「見晴らし台」となっている。金沢ヘルスセンターは1958年に開業し、石川県最大の娯楽施設としてにぎわったが、娯楽の多様化などで1993年に閉館した。((「卯辰山かいわい 金沢市 緑に移ろう時代を実感」『朝日新聞』2009年2月15日))

*** 金石東映
所在地 : 石川県金沢市金石浜町14(1958年)、石川県金沢市金石浜町(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「金石東映」。1958年・1963年の住宅地図では「金石東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「本昌寺」北西170mにある「瀬川経木」倉庫。

1956年頃の北陸鉄道金石線金石駅の写真あり。「金石東映」の看板が見える。((『保存版 小松・加賀・能美今昔写真帖』郷土出版社、2008年、p.140))

*** 金沢文化劇場/丸越劇場
所在地 : 石川県金沢市青草町34(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1948年11月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年11月開館。1955年の映画館名簿では「金沢文化劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「丸越劇場」。1963年の住宅地図では「丸越百貨店」(※映画館への言及なし)。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業施設「ル・キューブ金沢」。

*** 益美金石劇場
所在地 : 石川県金沢市金石味噌屋町(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「益美金石劇場」。1963年の住宅地図では「金石劇場」。1966年の住宅地図では「映画館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「専長寺」北西70mにある民家。
&ref(https://image02.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/tl33uN5PtB.png,350)

*** ムービ菊水/ムービー菊水/金沢ムービ菊水
所在地 : 石川県金沢市森下町101(1955年・1960年)、石川県金沢市森下町10(1966年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「ムービ菊水」。1963年の映画館名簿では「ムービー菊水」。1963年の住宅地図では「映画ムービー菊水」。1966年の映画館名簿では「金沢ムービ菊水」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東山観光バス駐車場」北東部。

*** シネマパレス/金沢シネマパレス
所在地 : 石川県金沢市寺町3-4(1958年)、石川県金沢市寺町1-8(1960年)、石川県金沢市寺町1-6-37(1966年)
開館年 : 1957年1月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「シネマ パレス」。1960年・1963年の映画館名簿では「シネマパレス」。1966年の映画館名簿では「金沢シネマパレス」。1966年の住宅地図では「シネマパレス」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「川原けんこう歯科」。至近に北陸鉄道金沢市内線(路面電車)寺町停留所があったが、金沢市内線は1966年に廃止されている。

1957年1月に新築された金沢市の「パレス・シネコ」の写真あり。((北國新聞社出版局『写真集 昭和花あり嵐あり 石川の昭和30年代』北國新聞社出版局、2007年、p.279))
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*** 共栄館/ムサシ東映/ムサシ映劇/金沢ムサシ映画劇場
所在地 : 石川県金沢市(1950年)、石川県金沢市横安江町103(1953年・1955年・1958年・1960年)、石川県金沢市安江町一番18(1966年)
開館年 : 1945年以前
閉館年 : 1967年
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - 金沢ムサシ映画劇場>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.57401584794078%2C136.65546685779736&z=17]]
1950年の映画館名簿では「金沢共栄館」。1953年・1955年の映画館名簿では「共栄館」。1958年の映画館名簿では「ムサシ東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「ムサシ映劇」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「ムサシ映劇」。1966年の映画館名簿では「金沢ムサシ映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
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*** 北国会館/金沢北国会館/金沢シネラマ会館
所在地 : 石川県金沢市並木町72(1969年)、石川県金沢市橋場町9-20(1973年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1975年
1960年・1963年の映画館名簿では「北国会館」。1966年の住宅地図では「北国会館」。1966年・1969年の映画館名簿では「金沢北国会館」。1973年の映画館名簿では「金沢シネラマ会館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「浅の川ハイム」。

1966年8月12日、金沢市の北国会館において『バルジ大作戦』の招待試写会が開かれた。北陸3県から中西陽一石川県知事ら約600人が招待された。8月13日には日本海沿岸唯一のシネラマ専門館「北国シネラマ会館」として再出発する。シネラマ専門館は東京・大阪・名古屋に1館ずつしかなく、全国で4番目のシネラマ専門館になるという。((「全国四番目のシネラマ上映 北国会館試写会」『北國新聞』1966年8月13日))

*** 北国第一劇場/金沢北国第一劇場
所在地 : 石川県金沢市並木町74(1953年・1955年)、石川県金沢市並木町(1960年)、石川県金沢市並木町72(1963年・1966年・1969年)、石川県金沢市橋場町9-20(1973年)
開館年 : 1897年、1950年2月
閉館年 : 1975年
『全国映画館総覧 1955』によると1950年2月開館。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「北国第一劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「金沢北国第一劇場」。1966年の住宅地図では「北国第一劇場」。1973年の映画館名簿では「金沢北国第一劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「パストラルハイム橋場」。

金沢市の浅野川の河岸に細長く伸びるのが並木町。1970年代以降にはマンションの建設が進んだが、かつては劇場や料亭が軒を連ねる市内屈指の繁華街だった。泉鏡花の出世作『義血侠血』でもにぎわいが描かれており、泉鏡花が好んで散歩した河岸の道は「鏡花のみち」と名づけられている。加賀藩3代藩主の前田利常の時代に、護岸工事のために松が植えられたことが、並木町という名称の由来。この松並木は石川県の天然記念物に指定されている。話題の映画が封切られると、街の端まで観客の行列が伸びたといい、映画鑑賞後の客で料亭や居酒屋がにぎわったという。1975年には映画館が閉館し、閉店する飲食店が相次いだ。跡地はマンションに変わっていった。1960年代の住居表示変更時には並木町が橋場町の一部となったが、その後は旧町名への変更運動が行われ、2006年に並木町という町名が復活した。((「並木町かいわい 金沢市 川の流れと喜びとともに」『朝日新聞』2010年6月6日))

1975年(昭和50年)には金沢市並木町の映画館「北国第一劇場」が閉館したが、赤土町の大畑雅則さん(75)宅で北国第一劇場の宣伝チラシ80点が確認された。北国第一劇場は洋画の封切館であり、欧米のファッションや文化の窓口だった。石川県興行生活衛生同業組合はコレクションを評価しており、大畑さんは依頼があれば博物館などに寄贈したいという。北国第一劇場の前身は戦前に建てられた芝居小屋「尾山座」であり、1948年(昭和23年)に映画館となると、洋画の封切館としては金沢一の人気を誇った。((「映画チラシ、懐かしむ 昭和30年代、北国第一劇場が発行 金沢市赤土町の大畑さん方に80点」『北國新聞』2015年10月19日))

*** スタア劇場/金沢スター劇場/金沢スタア劇場
所在地 : 石川県金沢市大音町21(1958年・1960年・1963年)、石川県金沢市石引町3-5-24(1966年・1969年・1973年)、石川県金沢市石引3-5-24(1973年・1980年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1984年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スタア劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢スター劇場」。1980年の映画館名簿では「金沢スタア劇場」。1980年の住宅地図では「スター映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「松原病院」南東180mにある駐車場。

1982年の金沢市石引町にあった「スタア劇場」の写真あり。「スタア劇場」の文字が見える。洋画が中心だった。((『写真が語る 金沢市の130年』いき出版、2019年、p.163))

*** テアトル東映/テアトル・ムサシ/金沢テアトル
所在地 : 石川県金沢市彦三町2-1-13(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年
地図 : [[消えた映画館の記憶地図(全国版) - 金沢テアトル>>https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jgfce3m6n2UaQxpDKLu4o5dNGbllBPR2&ll=36.57401584794078%2C136.65546685779736&z=17]]
1960年の映画館名簿では「テアトル東映」。1963年の映画館名簿では「テアトル・ムサシ」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「テアトル東映」。1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「金沢テアトル」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。
&ref(https://image02.seesaawiki.jp/h/o/hekikaicinema-memo/RvuyyXLbLE.png,350)

*** ルネス9シネマ/ユナイテッド・シネマ金沢
所在地 : 石川県金沢市高柳町1-70-1
開館年 : 1997年10月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿では「ルネス9シネマ」。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ金沢」。ユナイテッド・シネマとしては日本第2号店であり、金沢市初のシネコンである。9スクリーンのシネコン。

*** ワーナー・マイカル・シネマズ金沢/イオンシネマ金沢
所在地 : 石川県金沢市福久2-58 金沢サティ3階(2005年)、石川県金沢市福久2-58 イオン金沢店3階(2015年)
開館年 : 2000年4月21日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ金沢」。2015年の映画館名簿では「イオンシネマ金沢」。金沢市で2番目に開館したシネコン。8スクリーンのシネコン。金沢市北部郊外。

*** 金沢コロナシネマワールド
所在地 : 石川県金沢市無量寺第二地区整理事業施行地内20街区(2010年)、石川県金沢市無量寺4丁目121番地1(2015年)
開館年 : 2008年11月
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「金沢コロナシネマワールド」。金沢市で4番目に開館したシネコン。金沢市西部郊外。

2008年11月、金沢市無量寺の大型商業施設「アピタタウン金沢ベイ」に大型レジャー施設「金沢コロナワールド」が開業した。シネコンの「金沢コロナシネマワールド」は、107席から346席の10スクリーン・計1489席。金沢市では10月に同様の施設を持つ「ルネスかなざわ」が閉館したばかりである。((「シネコンやサウナ備えたレジャー施設誕生 金沢コロナワールド」『朝日新聞』2008年11月19日))

2015年12月18日、金沢コロナシネマワールドに北陸地方で初めて体感型シアター「4DX」が導入される。スクリーンのアクションシーンなどに合わせて、座席が前後上下に動いたり、背中や尻の部分が振動したりする。壁面や座席から風・雨・シャボン玉・香りが出たりする。同日に公開される『スター・ウォーズ フォースの覚醒』が皮切り。((「映画に合わせて風・雪・振動・香り…北陸初の4DX、あすから体感」『朝日新聞』2015年12月17日))

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