日本の映画館の総合データベースです。

明石市

明石市の映画館
1956年現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。*1

1964年現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年から1958年には総観客数が200万人近かった。*2

1968年の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。*3

1980年の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。*4

1990年現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。*5
新興館
所在地 : 兵庫県明石市東本町25(1936年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「新興館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
明石座
所在地 : 兵庫県明石市駅前通錦天地(1930年)、兵庫県明石市駅前(1934年)、兵庫県明石市錦天地(1936年)、兵庫県明石市錦江町錦天地(1941年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「明石座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。

1945年1月から7月までの間に、明石市は6度の空襲を受けた。劇場や映画館では「本町映画劇場」「明石劇場」「八雲座」が戦災に遭った。*6
八雲座
所在地 : 兵庫県明石市(1925年)、兵庫県明石市戎町135(1927年)、兵庫県明石市戎町(1930年)、兵庫県明石市西成町(1934年)、兵庫県明石市西成町72(1936年)、兵庫県明石市西戎町72(1941年)、兵庫県明石市西戎町(1943年)
開館年 : 1914年以前
閉館年 : 1943年以後1945年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「八雲座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

1914年に発行された『神管鉄道沿線発達誌』によると、当時の明石町には劇場として「王西座」と「八雲座」があった。*7

1945年1月から7月までの間に、明石市は6度の空襲を受けた。劇場や映画館では「本町映画劇場」「明石劇場」「八雲座」が戦災に遭った。*8
土山劇場
所在地 : 兵庫県明石市二見町(1953年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1953年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「土山劇場」。1954年の映画館名簿には掲載されていない。
明石日活/明石平和/大映明石平和
所在地 : 兵庫県明石市錦江町(1943年・1947年・1950年・1953年)、兵庫県明石市錦江町1202(1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1935年12月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1935年12月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「明石日活館」。1947年の映画館名簿では「明石日活」。1950年の映画館名簿では「明石日活館」。1953年の映画館名簿では「明石日活」。1955年・1958年の映画館名簿では「明石平和」。1958年の全産業住宅案内図帳では「明石平和劇場」。1960年の映画館名簿では「大映明石平和」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年の全産業住宅案内図帳では跡地に空白。跡地は「三井住友銀行明石支店」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1958年9月1日、大映興行は池袋駅東口に「池袋大映」と「池袋大映名画座」を新築する。地上3階・地下1階建てであり、池袋大映名画座は地下に入る。同日には兵庫県明石市錦江町の既存館「明石平和」を賃借して「明石大映」とし、千葉県銚子市馬場町の既存館を賃借して「銚子大映」とする。これにより、大映興行の直営館は全国で32館となる。*9

国道2号と銀座通りの交差点の北側には「明石日活」があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。*10
王西座/明石劇場
所在地 : 兵庫県明石市追手町(1947年)、兵庫県明石市南王子町2(1953年・1955年・1958年)、兵庫県明石市南王子町(1960年)、兵庫県明石市南王子町2(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1945年11月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「明石劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「明石劇場」。1958年の全産業住宅案内図帳では「明石劇場」。1962年の全産業住宅案内図帳では「明石劇場」。1955年の映画館名簿では経営者が柏木興業、支配人が恒元潤一、木造1階、定員220。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が深井鹿吉、木造1階暖房付、定員366、東映・大映・松竹を上映。1964年・1964年のゼンリン住宅地図には掲載されていない。1967年の観光と産業の明石市住宅地図には掲載されていない。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫県道718号大観橋西交差点」南西60mの建物など。最寄駅は山陽電鉄本線西新町駅。

1886年、明石市西新町の石丸善次郎によって、南王子町の「王西座」(後の明石劇場)の西にマッチ工場が建設された。*11

1914年に発行された『神管鉄道沿線発達誌』によると、当時の明石町には劇場として「王西座」と「八雲座」があった。*12
明石松竹
所在地 : 兵庫県明石市追手町1230(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230-2(1958年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-9(1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「明石松竹」。1958年の全産業住宅案内図帳では「明石松竹劇場」。1962年の全産業住宅案内図帳では「明石松竹映画館」。1971年のゼンリン住宅地図では跡地に「明石ダイエー」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物南西部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1954年11月、「明石松竹」が松竹との契約を解約した。*13

1960年6月6日午後11時55分頃、明石市追手町の「明石松竹劇場」天井付近から出火し、木造平屋建て445平方メートルが半焼した。原因は漏電。損害額は約500万円。大映封切と松竹二番館。経営は明宝興行。*14

1960年6月6日、明石市追手町の「明石松竹」が半焼した。原因は漏電。*15
白鳥座/明石白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1232-1(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-5-11(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1951年12月、1959年12月24日(建て替え)
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「白鳥座」。1958年の全産業住宅案内図帳では「白鳥座映画館」。1962年の全産業住宅案内図帳では「白鳥座映画劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石白鳥座」。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では発見できず。1971年のゼンリン住宅地図では「明石東映劇場 白鳥座」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物南東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1955年のこのほど、明石市の「白鳥座」の上映作品は邦画選択から新東宝・日活封切となった。「明石東宝」は「明石東映映劇」に改称した。いずれも明宝興業が経営。*16

1959年12月24日、明石市の旧「白鳥座」跡地に「明石東映」と「白鳥座」の2館が開館した。経営は林信太郎社長の明宝興業。*17

国道2号沿いにあった映画館の「白鳥座」。当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに明石東映・明石東宝・本町日活などが軒を連ねていた。白鳥座の前を明石商業高校映画部の生徒らが歩いている1959年の写真あり。*18
明石東宝映画劇場/明石東宝映劇(旧)/明石東映/明石東映劇場
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1231(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-5-12(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1945年11月、1959年12月24日
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1945年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「明石東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「明石東宝映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「明石東映」。1958年の全産業住宅案内図帳では「明石東映劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が林信太郎、支配人が谷口三男、鉄筋造1階冷暖房付、定員500、東映を上映、電話が3243。1962年の全産業住宅案内図帳では「明石東映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石東映劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「明石東映劇場 白鳥座」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1955年のこのほど、明石市の「白鳥座」の上映作品は邦画選択から新東宝・日活封切となった。「明石東宝」は「明石東映映劇」に改称した。いずれも明宝興業が経営。*19

1959年12月24日、明石市の旧「白鳥座」跡地に「明石東映」と「白鳥座」の2館が開館した。経営は林信太郎社長の明宝興業。*20
明石大久保劇場/大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大久保(1953年・1955年)、兵庫県明石市大久保町大窪549(1958年)、兵庫県明石市大久保町大畑(1960年)、兵庫県明石市大久保町大畑549(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1988年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大久保劇場」。1962年の全産業住宅案内図帳では「大久保劇場」。1966年の映画館名簿では「明石大久保劇場」。1969年・1973年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「大久保劇場」。1978年の映画館名簿では経営者・支配人ともに古川高久、木造2階、590席、邦画・洋画を上映。1985年の住宅地図では大久保町大窪大畑249に「大久保劇場」。1988年の映画館名簿では経営者・支配人ともに古川美千代、木造1階、590席、邦画・洋画を上映。1989年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大久保駅前保育所」。最寄駅はJR神戸線大久保駅。
明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1978年・1980年)、兵庫県明石市本町9-19(1985年・1988年・1989年)
開館年 : 1977年頃
閉館年 : 1989年頃
1977年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1978年の映画館名簿では経営会社が加古川興業、経営者が大辻定次、支配人が清水武栄、パレスが鉄筋造5階冷暖房付で180席で洋画を上映、松竹が鉄筋造3階冷暖房付で180席で松竹を上映、東映が鉄筋造1階冷暖房付で180席で東映を上映。1980年のゼンリン住宅地図では左側の建物に「1階明石松竹 2階明石シネマ」、右側の建物に「1階明石東映 2階明石パレス」。1988年の映画館名簿では経営会社が明和興業、経営者が大辻定次、支配人が大辻孝輔、パレスが鉄筋造5階で180席でSTを上映、松竹が鉄筋造3階で180席で松竹・洋画を上映、東映が鉄筋造1階で180席で東映を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ワコーレ明石本町彩雲館」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
本町映画劇場/本町日活
所在地 : 兵庫県明石市東本町(1943年)、兵庫県明石市東本町45(1950年)、兵庫県明石市東本町24(1953年・1955年)、兵庫県明石市東本町45(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県明石市本町1-14-18(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2014年)
開館年 : 1947年? 1948年4月?
閉館年 : 2014年12月23日
『全国映画館総覧 1955』によると1948年4月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1958年の全産業住宅案内図帳では「本町映画劇場」。1962年の全産業住宅案内図帳では「本町日活劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「本町日活」。1973年の映画館名簿では「明石本町日活」。1974年のゼンリン住宅地図では「本町日活劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2014年の映画館名簿では「本町日活」。1978年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、木造1階冷暖房付、374席、日活を上映。1988年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、木造1階、374席、にっかつを上映。2014年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者・支配人ともに柏木弘、240席。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年12月1日開館の大衆演劇場「明石ほんまち三白館」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1945年1月から7月までの間に、明石市は6度の空襲を受けた。劇場や映画館では「本町映画劇場」「明石劇場」「八雲座」が戦災に遭った。*21

本町日活は1947年に演芸場を兼ねた映画館として開館。木造。1950年代後半から日活の専門館となり、日活がロマンポルノの配給を始めてからは成人映画を上映していた。2013年にはやはり柏木弘が運営する明石東宝が再開発に伴って閉館している。2014年12月23日に閉館。来年2月には本町商店街振興組合による改装工事を行い、12月に「ほんまち三白館」(みはくかん)として開館する。明治から戦前にあった演芸場「三白亭」が名称の由来。*22

明石市の本町日活は1947年に開館し、1970年代からは成人映画の上映館となった。2015年1月11日には無声映画を弁士付きで上映する記念イベントを開催。*23

明石市の本町日活は2009年で開館62年を迎える。2009年時点では兵庫県唯一の成人映画の封切館である。回り舞台や楽屋を残している。戦前の芝居小屋「三白亭」(みはくてい)が前身であり、1947年に木造入母屋造の本格的な劇場として建設された。間口18メートル、奥行き36メートル。客席は240席。三角形に組んだ大規模な木造トラス屋根が特徴。舞台部分と客席部分は平屋だが、楽屋やかまど・宿泊施設のある裏側は二層構造。開館当時は洋画や民謡ショーなどが上演された。1950年代後半に日活の専属館になると大改装を行った。石原裕次郎や浅丘ルリ子が舞台挨拶を行った。阪神淡路大震災では全壊と判定されたが、修復工事を行って上映を再開した。*24

明石日活のの延床面積は約790平方メートル。木造一部2階建て。1956年の『太陽の季節』などのヒット作が続いたころには扉が閉まらないほどだった。石原裕次郎がロケで明石市を訪れた際には、ファンに囲まれたために本町日活に入れなかったというエピソードがある。渡哲也や浅丘ルリ子も本町日活を訪れた。出演者用の楽屋や宿泊部屋が残るのは、芝居小屋として建てられた名残である。*25

JR明石駅南口の魚の棚商店街には、大正時代に芝居小屋「三白亭」が開館した。昭和時代になると映画館に転換したが、2014年に映画館としては閉館した。商店街振興組合が劇場主から建物を借り、耐震化工事を行った上で内装や外観を一新した。2015年12月1日に大衆演劇場の「明石ほんまち三白館」として開館させた。外壁は漆喰の白壁と焼杉板である。壁面やステンドグラスには千鳥がデザインされているが、これは「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という百人一首に着想を得ている。客席は160席。*26

映画館「本町日活」の跡地を利用して、2015年12月に演劇場「明石ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。開館から丸2年を迎える前の2017年10月に入場者10万人を超えた。*27
明石山陽会館/テアトル明石/映画銀座/明石東宝劇場(新)/明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市追手町1230(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1958年・1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-6(1966年)、兵庫県明石市大明石町1-6-7(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1947年11月、1966年(ビル化)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : 明石東宝
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「明石山陽会館」。1953年の映画館名簿では「テアトル明石」。1955年・1958年の映画館名簿では「映画銀座」。1958年の全産業住宅案内図帳では「銀座映画館」。1960年・1963年の映画館名簿では「明石東宝」。1962年の全産業住宅案内図帳では「明石東宝劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が浜田収宝、木造1階冷暖房付、定員800、東宝を上映、電話が3722。1966年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では「神明ビル ダイエー明石店」(※明神ではなく神明は原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「明石東宝」。1971年のゼンリン住宅地図では「明神ビル 3階明石東宝」。1974年のゼンリン住宅地図では「明石東宝」。1978年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、鉄筋造1階冷暖房付、270席、東宝を上映。1988年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者・支配人ともに柏木良一、鉄筋造2階、270席、東宝を上映。2015年の映画館名簿には掲載されていない。明神ビル2階。跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では阪神間にある映画館も大きな被害を受けた。1月28日には明石東宝が営業を再開した。この時点では神戸市の三宮地区の映画館のほとんどは、入居するビルそのものが使用不可の状態だった。*28

2009年2月22日に第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』を上映する明石東宝では、1996年以来となる入場待ちの行列ができた。*29

明石東宝は1966年にビルを新築した。1990年代の映画低迷期には、「明石シネマクラブ」が休館日の明石東宝のスクリーンを借用して定期上映会を行った。1997年にはシネマコンプレックスが登場し、明石東宝の観客数がいっそう減少した。*30

明石駅南地区には戦前から芝居小屋があり、戦後には明石東宝・明石松竹・明石東映・白鳥座・明石日活館の計5館の映画館があった。1973年には明石東映と白鳥座が閉館し、明石駅南地区の一般映画館は明石東宝のみとなった。1967年頃の写真あり。明石東宝は1966年竣工の6-7階建てのビルに入居し、このビルの東側には明石東映と白鳥座が入るビルがあった。*31

1953年に明石映画銀座として開館し、後に明石東宝に改称して東宝作品の封切館となった。1966年には複合商業ビルを建設してその中に入ったが、映画館の複合ビル化の先駆け的存在だった。1960年代には加山雄三主演の若大将シリーズなどが人気であり、1970年代以降はアニメ映画が人気だった。2001年には東宝との専属契約を解除し、自前での番組編成が可能となった。2013年の閉館時までデジタルシネマ化を行わず、35mmフィルムで上映を行った。2013年9月末に閉館する。閉館時点で東宝系では兵庫県唯一の映画館だった。270席。*32

2013年9月24日、明石市大明石町の映画館「明石東宝」が閉館する。1953年に「明石映画銀座」の名前で開館し、東宝系の封切館になると明石東宝に改称した。全盛期の明石駅前には5館の映画館が並んでいた。森繁久彌の社長シリーズ、特撮怪獣映画ゴジラシリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどが人気だったが、1970年代から観客が減少していた。*33

JR明石駅/山陽明石駅前の国道2号沿いには、かつて映画会社直営の映画館が並んでいた。それ以外を含めると、映画全盛期の明石市には7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。藤岡弘主演の『大空のサムライ』と森繁久彌主演の『喜劇 百点満点』の看板が見えている。この頃には3館に減っていた。*34
ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通り1丁目 マイカル明石1番街(1998年)、兵庫県明石市大久保町ゆりのき通り1-3-2 マイカル明石1番街(2000年・2005年・2010年)、兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1-3-2 イオン明石S.C.1番街6階(2015年・2020年)
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1998年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ明石」(7館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ明石1-7」(7館)。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

1997年10月23日、明石市大久保ゆりのき通3丁目2 マイカル明石一番街に7スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ明石」が開館した。経営はワーナー・マイカル。*35

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