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hekikaicinema 2026年09月03日(木) 17:53:43履歴
所在地 : 愛知県名古屋市西区江中町1(1943年)
開館年 : 1910年以前
閉館年 : 1945年
1910年12月16日から、名古屋市江中町の「大黒座」で横田活動写真が上映された。戦争末期の1945年、名古屋市街地は幾度も空襲を受けた。1945年3月19日の空襲では「帝国館」、「世界館」、「文明館」、「敷島劇場」、「日本館」、「常楽館」、「東陽映画」、「赤門花月」、「港館」、「富士館」、「千種館」、「清水劇場」、「大黒座」、「大曽根劇場」、「豊田館」が焼失または破壊された。*3
開館年 : 1910年以前
閉館年 : 1945年
1910年12月16日から、名古屋市江中町の「大黒座」で横田活動写真が上映された。戦争末期の1945年、名古屋市街地は幾度も空襲を受けた。1945年3月19日の空襲では「帝国館」、「世界館」、「文明館」、「敷島劇場」、「日本館」、「常楽館」、「東陽映画」、「赤門花月」、「港館」、「富士館」、「千種館」、「清水劇場」、「大黒座」、「大曽根劇場」、「豊田館」が焼失または破壊された。*3
所在地 : 愛知県名古屋市西区志摩町2-20(1961年)
開館年 : 昭和初期、1949年
閉館年 : 1960年11月
跡地はマンション「エステムコート名古屋駅前CORE」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1947年の『復興名古屋の商工案内』には西区志摩町の映画館「桜映画劇場」の広告が掲載されている。「明るく楽しい 大映第一封切」、「支配人 関宏美 電話184」とある。*4
1956年の写真あり。「桜映画劇場」は、西区志摩町(現・西区那古野2)の志摩町本通発展会のほぼ中央にあった。昭和初期に芝居小屋の寿座として開館し、やがて弁士が躍動するサイレント映画を上映した。戦後の1949年に経営者が代わり、定員470人の大映系専門館だった。志摩町本通発展会は円頓寺本町商店街中ほどから南へ延びる通りに位置していた。1960年11月に閉館した。*5
1961年、中村区泥江町1-23の丸大商店は、西区志摩町2-20の「桜映画劇場」を買収し、映画館の建物を志摩町倉庫に転用した。*6
円頓寺にあった桜映画劇場の1956年の写真あり。名古屋タイムズアーカイブ委員会が提供。おそらく上記の記事の写真と同じ。*7
開館年 : 昭和初期、1949年
閉館年 : 1960年11月
跡地はマンション「エステムコート名古屋駅前CORE」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1947年の『復興名古屋の商工案内』には西区志摩町の映画館「桜映画劇場」の広告が掲載されている。「明るく楽しい 大映第一封切」、「支配人 関宏美 電話184」とある。*4
1956年の写真あり。「桜映画劇場」は、西区志摩町(現・西区那古野2)の志摩町本通発展会のほぼ中央にあった。昭和初期に芝居小屋の寿座として開館し、やがて弁士が躍動するサイレント映画を上映した。戦後の1949年に経営者が代わり、定員470人の大映系専門館だった。志摩町本通発展会は円頓寺本町商店街中ほどから南へ延びる通りに位置していた。1960年11月に閉館した。*5
1961年、中村区泥江町1-23の丸大商店は、西区志摩町2-20の「桜映画劇場」を買収し、映画館の建物を志摩町倉庫に転用した。*6
円頓寺にあった桜映画劇場の1956年の写真あり。名古屋タイムズアーカイブ委員会が提供。おそらく上記の記事の写真と同じ。*7
所在地 : 愛知県名古屋市西区庄内通3-2(1963年)
開館年 : 1957年6月5日頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「ドミノ・ピザ庄内通駅前店」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線庄内通駅。
1957年6月4日の『中部日本新聞』市民版の映画上映案内には掲載されていない。6月5日の映画上映案内には、「庄内東映」の欄に「5-10 東映スコープ 喧嘩道中 鞍馬天狗 御用盗異聞」。*8
1963年5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも、1964年12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも掲載されていない。
開館年 : 1957年6月5日頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「ドミノ・ピザ庄内通駅前店」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線庄内通駅。
1957年6月4日の『中部日本新聞』市民版の映画上映案内には掲載されていない。6月5日の映画上映案内には、「庄内東映」の欄に「5-10 東映スコープ 喧嘩道中 鞍馬天狗 御用盗異聞」。*8
1963年5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも、1964年12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内にも掲載されていない。
所在地 : 愛知県名古屋市西区浄心本通1-12(1963年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1963年頃
跡地は葬儀場「ティア浄心」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1956年の写真あり。1937年には名古屋市西区に「辨天劇場」(弁天劇場)が開館した。主な観客は弁天通商店街の主婦や子ども。*9
1963年5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内には「弁天劇場」として掲載されているが、1964年12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内には掲載されていない。
開館年 : 1937年
閉館年 : 1963年頃
跡地は葬儀場「ティア浄心」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1956年の写真あり。1937年には名古屋市西区に「辨天劇場」(弁天劇場)が開館した。主な観客は弁天通商店街の主婦や子ども。*9
1963年5月1日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内には「弁天劇場」として掲載されているが、1964年12月31日付『中部日本新聞』朝刊の上映作品案内には掲載されていない。
所在地 : 愛知県名古屋市西区橋詰町35(1965年)
開館年 : 明治中期
閉館年 : 1965年頃(ストリップ劇場転換)、1991年1月31日(完全閉館)
跡地は有料駐車場「名鉄協商パーキング那古野1丁目」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
木全公彦『スクリーンの裾をめくってみれば』作品社、2018年は「カイケイ座」に言及している。*10
開館年 : 明治中期
閉館年 : 1965年頃(ストリップ劇場転換)、1991年1月31日(完全閉館)
跡地は有料駐車場「名鉄協商パーキング那古野1丁目」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
木全公彦『スクリーンの裾をめくってみれば』作品社、2018年は「カイケイ座」に言及している。*10
所在地 : 愛知県名古屋市西区橋詰町35(1970年)
開館年 : 1928年、1941年11月
閉館年 : 1971年以後1973年以前
跡地は「慶栄寺」本堂南東40mにある月極駐車場。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1924年8月13日、名古屋市西区円頓寺筋の活動写真館「豊富館」が焼失した。*13
1929年5月調の『名古屋市居住者全図 昭和4年調昭和8年調』には、橋詰町に「豊富館」が、上畠町に「二葉館」が描かれている。*14
1938年12月3日、名古屋市円頓寺の「豊富館」が改築した。*15
1948年10月、名古屋市の「豊富館」と「笠寺松竹」が松竹との契約を解約した。*16
1956年3月の円頓寺の映画館「豊富館」の写真あり。豊富館は1928年に開館した歴史ある映画館である。*17
1959年6月1日、名古屋市西区橋詰町の「豊富館」は松竹系上映館から洋画専門館に転向した。経営は新世界興行。*18
1963年の「円頓寺商店街店舗一覧」には「映画館 豊富館」が掲載されている。1981年の店舗一覧には豊富館は掲載されていない。1982年には豊富館だった建物が解体された。*19
2010年1月、西区の円頓寺周辺を舞台にした映画『歪屋』(ひずみや)が完成した。商店街のおじさんやおばさんたち数十人が出演している。監督は円頓寺商店街に近い中村区那古野で育った森零。父親は円頓寺の銭湯に通い詰め、入場券をもらっては何度も同じ映画を見に行った。映画館や芝居小屋などが10件近く並んでいたこともある円頓寺かいわい。盛り場としての歴史は江戸時代にさかのぼる。今から400年前。城下町が清州から名古屋へまるごと引っ越した「清州越し」をきっかけに、堀川を上って塩や木材などを運ぶ船頭や商人が集まるようになった。明治中期にあった浪曲小屋「開慶座」の開館は江戸時代という説もある。円頓寺商店街振興組合の高木麻里理事長(45)は、商店街にあった映画館「豊富館」の隣で育った。開慶座が衣替えしたストリップ劇場「カイケイ座」も1991年に閉館。シャッターを閉めたままの店も増えていた。「南の大須、北の円頓寺」。そう言われた時代を遠く感じていた高木さんが商店街を元気にすることを考えた時、頭に浮かんだのが幼いころから身近にあった映画だった。*20
2016年2月、演劇向きのスタジオと飲食店からなる複合商業施設「那古野ハモニカ荘」(なごやハモニカ荘)が円頓寺商店街にオープンする予定。1年ほど前から空き店舗となっていた建物を改修。地元関係者らは「演劇や映画の街としてにぎわった昭和の円頓寺商店街の雰囲気を感じてもらえる施設になれば」と期待する。商店街振興組合によると、昭和初期から中期には演劇場「開慶座」や映画館「豊富館」などがあった。*21
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されていない。*22
開館年 : 1928年、1941年11月
閉館年 : 1971年以後1973年以前
跡地は「慶栄寺」本堂南東40mにある月極駐車場。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1924年8月13日、名古屋市西区円頓寺筋の活動写真館「豊富館」が焼失した。*13
1929年5月調の『名古屋市居住者全図 昭和4年調昭和8年調』には、橋詰町に「豊富館」が、上畠町に「二葉館」が描かれている。*14
1938年12月3日、名古屋市円頓寺の「豊富館」が改築した。*15
1948年10月、名古屋市の「豊富館」と「笠寺松竹」が松竹との契約を解約した。*16
1956年3月の円頓寺の映画館「豊富館」の写真あり。豊富館は1928年に開館した歴史ある映画館である。*17
1959年6月1日、名古屋市西区橋詰町の「豊富館」は松竹系上映館から洋画専門館に転向した。経営は新世界興行。*18
1963年の「円頓寺商店街店舗一覧」には「映画館 豊富館」が掲載されている。1981年の店舗一覧には豊富館は掲載されていない。1982年には豊富館だった建物が解体された。*19
2010年1月、西区の円頓寺周辺を舞台にした映画『歪屋』(ひずみや)が完成した。商店街のおじさんやおばさんたち数十人が出演している。監督は円頓寺商店街に近い中村区那古野で育った森零。父親は円頓寺の銭湯に通い詰め、入場券をもらっては何度も同じ映画を見に行った。映画館や芝居小屋などが10件近く並んでいたこともある円頓寺かいわい。盛り場としての歴史は江戸時代にさかのぼる。今から400年前。城下町が清州から名古屋へまるごと引っ越した「清州越し」をきっかけに、堀川を上って塩や木材などを運ぶ船頭や商人が集まるようになった。明治中期にあった浪曲小屋「開慶座」の開館は江戸時代という説もある。円頓寺商店街振興組合の高木麻里理事長(45)は、商店街にあった映画館「豊富館」の隣で育った。開慶座が衣替えしたストリップ劇場「カイケイ座」も1991年に閉館。シャッターを閉めたままの店も増えていた。「南の大須、北の円頓寺」。そう言われた時代を遠く感じていた高木さんが商店街を元気にすることを考えた時、頭に浮かんだのが幼いころから身近にあった映画だった。*20
2016年2月、演劇向きのスタジオと飲食店からなる複合商業施設「那古野ハモニカ荘」(なごやハモニカ荘)が円頓寺商店街にオープンする予定。1年ほど前から空き店舗となっていた建物を改修。地元関係者らは「演劇や映画の街としてにぎわった昭和の円頓寺商店街の雰囲気を感じてもらえる施設になれば」と期待する。商店街振興組合によると、昭和初期から中期には演劇場「開慶座」や映画館「豊富館」などがあった。*21
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されていない。*22
所在地 : 愛知県名古屋市西区藤ノ宮通3-6(1973年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1975年頃
跡地は牛丼屋「すき家名古屋栄生店」。最寄駅は名鉄名古屋本線栄生駅。
名鉄栄生駅前には南北に商店街が伸びている。商店街の東側中央部には映画館「栄生劇場」と「栄生グランド劇場」があり、栄生劇場は成人映画が中心であり、栄生グランド劇場は時代劇が中心である。1949年に青空グランド劇場として開設され、板で周囲をかこった屋外型劇場で夜間のみ映画を上映していた。娯楽が少ない時代で連日大入りとなったため、1951年と1957年に映画館を増築した。*23
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されておらず、掲載範囲から外れている可能性がある。*24 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されておらず、掲載範囲から外れている可能性がある。*25
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1975年頃
跡地は牛丼屋「すき家名古屋栄生店」。最寄駅は名鉄名古屋本線栄生駅。
名鉄栄生駅前には南北に商店街が伸びている。商店街の東側中央部には映画館「栄生劇場」と「栄生グランド劇場」があり、栄生劇場は成人映画が中心であり、栄生グランド劇場は時代劇が中心である。1949年に青空グランド劇場として開設され、板で周囲をかこった屋外型劇場で夜間のみ映画を上映していた。娯楽が少ない時代で連日大入りとなったため、1951年と1957年に映画館を増築した。*23
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されておらず、掲載範囲から外れている可能性がある。*24 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には掲載されておらず、掲載範囲から外れている可能性がある。*25
所在地 : 愛知県名古屋市西区香呑町6-56(1984年)
開館年 : 1979年12月22日
閉館年 : 1983年11月25日
跡地は「イオンタウン名西」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線庄内通駅。
1979年12月21日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド東宝」の欄には「明日(土)新築オープン あゝ野麦峠 エースをねらえ 小人300円 大人700円」とある。*29
1983年11月25日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド劇場」の欄には「この子を残して」とある。11月26日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド劇場」の欄には「臨時休館」とある。11月27日以降の上映案内にダイヤモンド劇場は掲載されていない。*30
開館年 : 1979年12月22日
閉館年 : 1983年11月25日
跡地は「イオンタウン名西」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線庄内通駅。
1979年12月21日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド東宝」の欄には「明日(土)新築オープン あゝ野麦峠 エースをねらえ 小人300円 大人700円」とある。*29
1983年11月25日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド劇場」の欄には「この子を残して」とある。11月26日の『中日新聞』の上映案内。「ダイヤモンド劇場」の欄には「臨時休館」とある。11月27日以降の上映案内にダイヤモンド劇場は掲載されていない。*30
所在地 : 愛知県名古屋市西区上名古屋2-1-24(1983年)
開館年 : 1955年3月16日
閉館年 : 1983年頃
跡地はアパート「コンセール浄心」の裏手で喫茶店「来夢」の向かい。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1953年8月の弁天通商店街の地図には「浄心劇場」が描かれており、「夏は何かやるらしい」とのコメントがある。*31
1955年3月16日には名古屋市西区内江町1-7に「浄心映画」が開館。1958年には「弁天シネマ」に改称し、1964年には「浄心ハイツ」に改称している。*32
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「浄心ハイツ」として掲載されており、『起きて転んでまた起きて』と『日本一のショック男』と『扉の影に誰かいる』を上映している。*33 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「浄心ハイツ」として掲載されており、『日本沈没』と『グアム島珍道中』を上映している。*34
開館年 : 1955年3月16日
閉館年 : 1983年頃
跡地はアパート「コンセール浄心」の裏手で喫茶店「来夢」の向かい。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1953年8月の弁天通商店街の地図には「浄心劇場」が描かれており、「夏は何かやるらしい」とのコメントがある。*31
1955年3月16日には名古屋市西区内江町1-7に「浄心映画」が開館。1958年には「弁天シネマ」に改称し、1964年には「浄心ハイツ」に改称している。*32
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「浄心ハイツ」として掲載されており、『起きて転んでまた起きて』と『日本一のショック男』と『扉の影に誰かいる』を上映している。*33 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「浄心ハイツ」として掲載されており、『日本沈没』と『グアム島珍道中』を上映している。*34
所在地 : 愛知県名古屋市西区上名古屋2-22(1997年)
開館年 : 1993年12月11日
閉館年 : 1997年頃
跡地は葬儀場「ティア浄心」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1993年12月11日、名古屋市西区上名古屋2-22の浄心劇場で、パチンコ店の2階にビデオシアターが開館する。従来のフィルムではなくビデオをスクリーンに投影する映画館。全国には60数館のビデオシアターがあるが、都市部には珍しいとされ名古屋市では初である。座席数は126席。邦画の二番館という位置づけであり、12月11日からは東宝の『高校教師』を5週間の予定で上映し、その後は松竹の『学校』を上映予定。*35
1993年12月11日、名古屋市西区のパチンコ店2階にビデオシアター「浄心劇場」が開館する。経営は中央太平観光。126席。ビデオシアターはビデオテープで劇場用映画を上映する施設である。運営経費が安いことから全国に急増しており、全国に約70館が存在するいる。名古屋市では初となる。12月11日からは東宝の『高校教師』を、1994年1月15日からは松竹の『学校』を上映する予定。*36
1993年12月11日の『中日新聞』の映画上映案内。「浄心劇場」の欄に「本日会館プレゼント有」。『高校教師』を上映。*37
開館年 : 1993年12月11日
閉館年 : 1997年頃
跡地は葬儀場「ティア浄心」。最寄駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線浄心駅。
1993年12月11日、名古屋市西区上名古屋2-22の浄心劇場で、パチンコ店の2階にビデオシアターが開館する。従来のフィルムではなくビデオをスクリーンに投影する映画館。全国には60数館のビデオシアターがあるが、都市部には珍しいとされ名古屋市では初である。座席数は126席。邦画の二番館という位置づけであり、12月11日からは東宝の『高校教師』を5週間の予定で上映し、その後は松竹の『学校』を上映予定。*35
1993年12月11日、名古屋市西区のパチンコ店2階にビデオシアター「浄心劇場」が開館する。経営は中央太平観光。126席。ビデオシアターはビデオテープで劇場用映画を上映する施設である。運営経費が安いことから全国に急増しており、全国に約70館が存在するいる。名古屋市では初となる。12月11日からは東宝の『高校教師』を、1994年1月15日からは松竹の『学校』を上映する予定。*36
1993年12月11日の『中日新聞』の映画上映案内。「浄心劇場」の欄に「本日会館プレゼント有」。『高校教師』を上映。*37
所在地 : 愛知県名古屋市西区那古野1-20-19(2005年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 2005年10月21日
跡地は月極駐車場「円劇駐車場」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1929年5月調の『名古屋市居住者全図 昭和4年調昭和8年調』には、戦後に円頓寺劇場が開館する場所付近に「新富座」が描かれている。*38
1956年の写真あり。1952年、名古屋市西区那古野の専修寺の西隣付近に「円頓寺劇場」が開館。当初は洋画の上映館であり、世界的にブームを巻き起こした『ローマの休日』も上映したが、大スクリーン時代が到来すると邦画に特化するようになった。建物は2005年に解体されている。*39
西区の円頓寺通は大須と並ぶ名古屋市の下町である。戦前には寄席が2軒、映画館が5軒もあった。現在は道路になっている江川端には、毎夜露店が出てにぎわった。*40
映画文化の全盛期、西区の円頓寺には「あしべ館」「豊富館」「双葉館」と3館もの映画館があった。また、寄席の「開慶座」、芝居小屋の「寿座」もあった。*41
1980年12月13日、名古屋市西区那古野1の「円頓寺映画劇場」がビデオ実験劇場を併設する。1979年6月にはマンガ図書館を併設して話題となった。大人料金700円か学生料金550円を支払えば、5本立てポルノ映画を見放題なだけではなく、マンガも読めて、ビデオで名作映画も鑑賞できる。大映・日活・東映など邦画を中心に約200本のビデオカセットを用意している。マンガ図書館の1階と2階にテレビを2台ずつを設置し、1台ごとに16個のヘッドホンを取り付けてある。ビデオ実験劇場では大映作品を中心に2本立てで上映する予定であり、12月13日からは阪東妻三郎主演の『無法松の一生』(1943年)と松坂慶子主演の『夜の診察室』(1971年)を上映する。上映作品は2週間ごとに入れ替えている。ビデオカセットには約1000万円、機材には約300万円を投資している。将来的にはマンガ図書館と同様なビデオ図書館にしたいという。マンガ図書館には2万5000冊の漫画をそろえており、映画を観ずにマンガだけ読みに来る客もいるという。成人映画館であるため子どもは入場できない。「当劇場へ御入場の御客様は映画とマンガとを何時間でも何冊でも又その両方を自由に御覧いただけます 当劇場は映画館の機能にマンガ図書館の機能を付加した全国最初の多機能劇場であります」と書かれた看板が見える。*42
名古屋市西区の円頓寺商店街は東西230mある。1964年には高さ10mのアーケードが設置され、道幅は8mに広げられた。映画館「円頓寺劇場」は館内に4万冊の漫画を置き、全国で2番目のマンガ図書館を開設した。700円の入場料さえ払えば映画も漫画も見放題である。斜陽の映画産業を盛り返そうと意気込んでいる。*43
1979年6月、名古屋市西区の円頓寺劇場は場内にマンガ図書館を設けた。1980年12月13日には「フィルム・ライブラリー」を目指して名古屋ビデオ実験劇場をオープンさせる。1979年から洋画・邦画を問わずビデオの収集を始め、1980年11月現在では160本を収集している。販売を目的としながらも、希望者には3台のビデオデッキで試写サービスを行う。岩崎支配人は「アメリカではビデオ販売が盛んだが、日本ではサウナや飛行機で利用されている程度」といい、全国初の試みだという。溝口健二監督の全作品、衣笠貞之助監督の『地獄門』、松坂慶子主演の『夜の診察室』、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』、『嘆きのテレーズ』、『アルジェの戦い』などがある。各映画会社との折衝を重ねているが、「フィルム・ライブラリー」の実現には「興行権や著作権などいろいろ難しい問題もあるので、時間がかかると思う」という。*44
1980年12月13日、名古屋市西区の円頓寺劇場に「ビデオ実験室」がお目見えした。入場料は大人700円、学生550円。1階と2階のロビーに、ビデオテレビが2大ずつ置いてある。壁面はマンガ本で埋め尽くされている。1人分の入場料を支払えば、場内で35ミリ映画を鑑賞することもでき、ロビーのビデオで名作映画を鑑賞することもできる。円頓寺劇場は名古屋でも古い歴史を持ち、館主は中区や西区周辺に、堀川劇場やカスモリ劇場など、5-6軒の映画館を所有していたこともあるが、現在は円頓寺劇場のみである。1979年には2万3000冊のマンガを集めて「名古屋マンガ図書館」を設置し、今回は「ビデオ実験室」を設置。いずれも映画館に観客を呼び込むための工夫であり、埋もれた名作映画を堀だそうという狙いもある。1980年12月13日の開始週には、阪東妻三郎主演の『無法松の一生』を上映し、連日40人程度が鑑賞したという。約1週間ごとに上映作品を変える。*45
一般的な成人映画館は女優名でプログラムを組むが、円頓寺劇場は監督名や作品性でプログラムを組む。遠方から円頓寺劇場に成人映画を見に来る観客も少なくない。円頓寺劇場には「日本初のレンタルビデオ店」とされる「名古屋ビデオ図書館」を併設している。古今東西の作品を所蔵しており、その在庫量は日本一といってもよいとされ、レンタル可能なのは日本でこの店のみという作品もあるという。映画ファンや映画関係者の間ではその資料的価値が高く評価されている。しかしその円頓寺劇場も、55年の歴史に幕を閉じた。*46
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、『セックスマル秘大全』と『愛の行為集』と『ボインと制服』を上映している。*47 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、年内新春興行準備のため休館とある。*48
円頓寺劇場は一日に5本から6本上映する名画座であり、東映作品・日活作品・ピンク映画など多様な特集上映が組まれた。1970年代末には映画館にマンガ図書館が併設され、1980年代にはビデオ図書館も併設された。このビデオ図書館はレンタルビデオ店の草分け的存在である。成人映画、アダルトビデオ、国内外の旧作、カルト作品まで、多様なジャンルのビデオを所蔵していた。所蔵作品は鑑賞することもでき、またビデオの販売も行っていた。*49*50
2005年10月21日の『中日新聞』の映画上映案内。「円頓寺劇場」は「閉館番組」とあり『エロ将軍と21人の愛妾』『くの一淫法百花卍絡み』『続 色暦大奥秘話淫の舞』を上映。10月22日の映画上映案内に円頓寺劇場は掲載されていない。*51
『名古屋街の事典 青春篇』(アワー・シティ、1982年)には円頓寺劇場の言及があるらしい。名古屋市鶴舞中央図書館が書庫に所蔵している。
開館年 : 1952年
閉館年 : 2005年10月21日
跡地は月極駐車場「円劇駐車場」。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1929年5月調の『名古屋市居住者全図 昭和4年調昭和8年調』には、戦後に円頓寺劇場が開館する場所付近に「新富座」が描かれている。*38
1956年の写真あり。1952年、名古屋市西区那古野の専修寺の西隣付近に「円頓寺劇場」が開館。当初は洋画の上映館であり、世界的にブームを巻き起こした『ローマの休日』も上映したが、大スクリーン時代が到来すると邦画に特化するようになった。建物は2005年に解体されている。*39
西区の円頓寺通は大須と並ぶ名古屋市の下町である。戦前には寄席が2軒、映画館が5軒もあった。現在は道路になっている江川端には、毎夜露店が出てにぎわった。*40
映画文化の全盛期、西区の円頓寺には「あしべ館」「豊富館」「双葉館」と3館もの映画館があった。また、寄席の「開慶座」、芝居小屋の「寿座」もあった。*41
1980年12月13日、名古屋市西区那古野1の「円頓寺映画劇場」がビデオ実験劇場を併設する。1979年6月にはマンガ図書館を併設して話題となった。大人料金700円か学生料金550円を支払えば、5本立てポルノ映画を見放題なだけではなく、マンガも読めて、ビデオで名作映画も鑑賞できる。大映・日活・東映など邦画を中心に約200本のビデオカセットを用意している。マンガ図書館の1階と2階にテレビを2台ずつを設置し、1台ごとに16個のヘッドホンを取り付けてある。ビデオ実験劇場では大映作品を中心に2本立てで上映する予定であり、12月13日からは阪東妻三郎主演の『無法松の一生』(1943年)と松坂慶子主演の『夜の診察室』(1971年)を上映する。上映作品は2週間ごとに入れ替えている。ビデオカセットには約1000万円、機材には約300万円を投資している。将来的にはマンガ図書館と同様なビデオ図書館にしたいという。マンガ図書館には2万5000冊の漫画をそろえており、映画を観ずにマンガだけ読みに来る客もいるという。成人映画館であるため子どもは入場できない。「当劇場へ御入場の御客様は映画とマンガとを何時間でも何冊でも又その両方を自由に御覧いただけます 当劇場は映画館の機能にマンガ図書館の機能を付加した全国最初の多機能劇場であります」と書かれた看板が見える。*42
名古屋市西区の円頓寺商店街は東西230mある。1964年には高さ10mのアーケードが設置され、道幅は8mに広げられた。映画館「円頓寺劇場」は館内に4万冊の漫画を置き、全国で2番目のマンガ図書館を開設した。700円の入場料さえ払えば映画も漫画も見放題である。斜陽の映画産業を盛り返そうと意気込んでいる。*43
1979年6月、名古屋市西区の円頓寺劇場は場内にマンガ図書館を設けた。1980年12月13日には「フィルム・ライブラリー」を目指して名古屋ビデオ実験劇場をオープンさせる。1979年から洋画・邦画を問わずビデオの収集を始め、1980年11月現在では160本を収集している。販売を目的としながらも、希望者には3台のビデオデッキで試写サービスを行う。岩崎支配人は「アメリカではビデオ販売が盛んだが、日本ではサウナや飛行機で利用されている程度」といい、全国初の試みだという。溝口健二監督の全作品、衣笠貞之助監督の『地獄門』、松坂慶子主演の『夜の診察室』、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』、『嘆きのテレーズ』、『アルジェの戦い』などがある。各映画会社との折衝を重ねているが、「フィルム・ライブラリー」の実現には「興行権や著作権などいろいろ難しい問題もあるので、時間がかかると思う」という。*44
1980年12月13日、名古屋市西区の円頓寺劇場に「ビデオ実験室」がお目見えした。入場料は大人700円、学生550円。1階と2階のロビーに、ビデオテレビが2大ずつ置いてある。壁面はマンガ本で埋め尽くされている。1人分の入場料を支払えば、場内で35ミリ映画を鑑賞することもでき、ロビーのビデオで名作映画を鑑賞することもできる。円頓寺劇場は名古屋でも古い歴史を持ち、館主は中区や西区周辺に、堀川劇場やカスモリ劇場など、5-6軒の映画館を所有していたこともあるが、現在は円頓寺劇場のみである。1979年には2万3000冊のマンガを集めて「名古屋マンガ図書館」を設置し、今回は「ビデオ実験室」を設置。いずれも映画館に観客を呼び込むための工夫であり、埋もれた名作映画を堀だそうという狙いもある。1980年12月13日の開始週には、阪東妻三郎主演の『無法松の一生』を上映し、連日40人程度が鑑賞したという。約1週間ごとに上映作品を変える。*45
一般的な成人映画館は女優名でプログラムを組むが、円頓寺劇場は監督名や作品性でプログラムを組む。遠方から円頓寺劇場に成人映画を見に来る観客も少なくない。円頓寺劇場には「日本初のレンタルビデオ店」とされる「名古屋ビデオ図書館」を併設している。古今東西の作品を所蔵しており、その在庫量は日本一といってもよいとされ、レンタル可能なのは日本でこの店のみという作品もあるという。映画ファンや映画関係者の間ではその資料的価値が高く評価されている。しかしその円頓寺劇場も、55年の歴史に幕を閉じた。*46
1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、『セックスマル秘大全』と『愛の行為集』と『ボインと制服』を上映している。*47 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、年内新春興行準備のため休館とある。*48
円頓寺劇場は一日に5本から6本上映する名画座であり、東映作品・日活作品・ピンク映画など多様な特集上映が組まれた。1970年代末には映画館にマンガ図書館が併設され、1980年代にはビデオ図書館も併設された。このビデオ図書館はレンタルビデオ店の草分け的存在である。成人映画、アダルトビデオ、国内外の旧作、カルト作品まで、多様なジャンルのビデオを所蔵していた。所蔵作品は鑑賞することもでき、またビデオの販売も行っていた。*49*50
2005年10月21日の『中日新聞』の映画上映案内。「円頓寺劇場」は「閉館番組」とあり『エロ将軍と21人の愛妾』『くの一淫法百花卍絡み』『続 色暦大奥秘話淫の舞』を上映。10月22日の映画上映案内に円頓寺劇場は掲載されていない。*51
『名古屋街の事典 青春篇』(アワー・シティ、1982年)には円頓寺劇場の言及があるらしい。名古屋市鶴舞中央図書館が書庫に所蔵している。
所在地 : 愛知県名古屋市西区二方町47番 イオンモールMOZOワンダーシティ内(2025年)
開館年 : 2000年11月3日
閉館年 : 営業中
最寄駅は名鉄犬山線・名古屋市営地下鉄鶴舞線上小田井駅。
2000年11月3日、名古屋市西区二方町47に「イオンシネマ・ワンダー」が開館した。10スクリーン計2119席。*52
開館年 : 2000年11月3日
閉館年 : 営業中
最寄駅は名鉄犬山線・名古屋市営地下鉄鶴舞線上小田井駅。
2000年11月3日、名古屋市西区二方町47に「イオンシネマ・ワンダー」が開館した。10スクリーン計2119席。*52

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