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hekikaicinema 2026年09月08日(火) 00:49:49履歴
北九州市の映画館に言及している雑誌記事として、小野芳美「北九州の映画館の変遷」『松本清張研究』2012年、13号がある。現物は未確認。*1
所在地 : 福岡県小倉市(1925年)
開館年 : 1914年
閉館年 : 1925年以後1927年以前
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*2
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*3
開館年 : 1914年
閉館年 : 1925年以後1927年以前
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*2
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*3
所在地 : 福岡県小倉市室町58(1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*4
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*4
所在地 : 福岡県小倉市室町3(1943年)
開館年 : 1931年
閉館年 : 1945年頃
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*5
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*6
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*7
開館年 : 1931年
閉館年 : 1945年頃
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*5
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*6
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*7
所在地 : 福岡県小倉市昭和町3丁目(1960年)
開館年 : 1950年2月
閉館年 : 1960年頃
跡地はコインパーキング「Dパーキング北九州市昭和町第1」など。最寄駅は北九州モノレール香春口三萩野駅。
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*10
開館年 : 1950年2月
閉館年 : 1960年頃
跡地はコインパーキング「Dパーキング北九州市昭和町第1」など。最寄駅は北九州モノレール香春口三萩野駅。
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*10
所在地 : 福岡県小倉市東清水町1-13(1960年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1960年頃
1954年の小倉市清水でチャンバラをする子供の写真あり。近くには「南小倉映劇」や「第二南小倉映劇」の2館があった。*11
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1960年頃
1954年の小倉市清水でチャンバラをする子供の写真あり。近くには「南小倉映劇」や「第二南小倉映劇」の2館があった。*11
所在地 : 福岡県小倉市下到津産川2(1962年)
開館年 : 1957年後半
閉館年 : 1962年頃
1957年後半のこのほど、小倉市下到津に「到津東洋映劇」が開館した。東映・松竹の再映館。鉄筋造平屋建て。経営は福田幸次郎。*12
開館年 : 1957年後半
閉館年 : 1962年頃
1957年後半のこのほど、小倉市下到津に「到津東洋映劇」が開館した。東映・松竹の再映館。鉄筋造平屋建て。経営は福田幸次郎。*12
所在地 : 福岡県小倉市三萩野890(1963年)
開館年 : 1933年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「香春口日活サンハイツ」。最寄駅は北九州モノレール香春口三萩野駅。
1948年の「小倉市」『日本商工業別明細図 第801号』には、「太陽映画館」(※大洋ではなく太陽)、香春口の「日活館」(※場所が不正確と思われる)が描かれている。*15
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*16
1963年の小倉市三萩野にあった「日活劇場」の前で撮られた記念写真あり。「小倉昭和館」の姉妹館である。*17
開館年 : 1933年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「香春口日活サンハイツ」。最寄駅は北九州モノレール香春口三萩野駅。
1948年の「小倉市」『日本商工業別明細図 第801号』には、「太陽映画館」(※大洋ではなく太陽)、香春口の「日活館」(※場所が不正確と思われる)が描かれている。*15
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*16
1963年の小倉市三萩野にあった「日活劇場」の前で撮られた記念写真あり。「小倉昭和館」の姉妹館である。*17
所在地 : 福岡県小倉市舟町61(1963年)
開館年 : 1958年7月10日
閉館年 : 1963年頃
1958年7月10日、小倉市船町に「日本劇場」が開館した。木造2階建て。定員400人。松竹・日活系再映館。経営は国際興行であり、同日には小倉市城野町に「城野宝塚会館」も開館している。*18
開館年 : 1958年7月10日
閉館年 : 1963年頃
1958年7月10日、小倉市船町に「日本劇場」が開館した。木造2階建て。定員400人。松竹・日活系再映館。経営は国際興行であり、同日には小倉市城野町に「城野宝塚会館」も開館している。*18
所在地 : 福岡県北九州市小倉区木町1丁目(1970年)
開館年 : 1955年6月1日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年6月1日、小倉市南小倉に「樹町東映」が開館した。オープニングは『あばれ纏千両肌』。樋口勇社長の昭和興行。木造2階建て。定員350人。東映系封切館。*19
1960年3月には第二東映が発足。北九州5市では門司市の「有楽映画劇場」と「大里金星」、小倉市の「衆楽」(旧称は衆楽松竹)と「木町東映」(旧称は木町松竹)と「城野国際」、八幡市の「祇園東映」と「三条東映」と「折尾東映」と「折尾第二東映」と「枝光東映」、若松市の「若松映画劇場」、戸畑市の「戸畑松竹」が第二東映上映館となった。*20
昭和30年代の小倉市木町にあった映画館「木町東映」の写真あり。昭和30年代に開館して東映作品を上映していたが、昭和40年代に閉館した。*21
開館年 : 1955年6月1日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年6月1日、小倉市南小倉に「樹町東映」が開館した。オープニングは『あばれ纏千両肌』。樋口勇社長の昭和興行。木造2階建て。定員350人。東映系封切館。*19
1960年3月には第二東映が発足。北九州5市では門司市の「有楽映画劇場」と「大里金星」、小倉市の「衆楽」(旧称は衆楽松竹)と「木町東映」(旧称は木町松竹)と「城野国際」、八幡市の「祇園東映」と「三条東映」と「折尾東映」と「折尾第二東映」と「枝光東映」、若松市の「若松映画劇場」、戸畑市の「戸畑松竹」が第二東映上映館となった。*20
昭和30年代の小倉市木町にあった映画館「木町東映」の写真あり。昭和30年代に開館して東映作品を上映していたが、昭和40年代に閉館した。*21
所在地 : 福岡県北九州市小倉区大門町85(1970年)
開館年 : 1948年8月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地は自動車販売店「小倉BMW」。最寄駅はJR鹿児島本線・日田彦山線西小倉駅。
1959年夏のこのほど、小倉市大門の「小倉第一中央劇場」が改築される。総工費5000万円。トッド・AO(70ミリ)の設備が付けられる。経営は河野音五郎社長の中央興業。*22
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*23
1960年3月、小倉市大門の「小倉第一中央」が70ミリ劇場に転向する。オープニングは『南太平洋』の予定。鉄筋造3階建て。ワンスロープ式。定員1000人。スクリーンは15メートル×7.5メートル。経営は河野音五郎。「*24
1960年6月1日から小倉市大阪町45の「中央会館」が、お盆興行から大門町85で改築中の「第一中央劇場」が70ミリ劇場として新発足する。いずれも経営は河野音五郎。*25
開館年 : 1948年8月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地は自動車販売店「小倉BMW」。最寄駅はJR鹿児島本線・日田彦山線西小倉駅。
1959年夏のこのほど、小倉市大門の「小倉第一中央劇場」が改築される。総工費5000万円。トッド・AO(70ミリ)の設備が付けられる。経営は河野音五郎社長の中央興業。*22
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*23
1960年3月、小倉市大門の「小倉第一中央」が70ミリ劇場に転向する。オープニングは『南太平洋』の予定。鉄筋造3階建て。ワンスロープ式。定員1000人。スクリーンは15メートル×7.5メートル。経営は河野音五郎。「*24
1960年6月1日から小倉市大阪町45の「中央会館」が、お盆興行から大門町85で改築中の「第一中央劇場」が70ミリ劇場として新発足する。いずれも経営は河野音五郎。*25
所在地 : 福岡県北九州市小倉区栄町4丁目(1970年)
開館年 : 1953年11月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1960年6月18日、小倉市米町の「小倉中央名画座」は「ニュー中央」に改称して洋画封切館となった。経営は河野音五郎。*26
開館年 : 1953年11月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1960年6月18日、小倉市米町の「小倉中央名画座」は「ニュー中央」に改称して洋画封切館となった。経営は河野音五郎。*26
所在地 : 福岡県北九州市小倉区馬借町6-33-1(1973年)
開館年 : 1934年以後1936年以前、1943年11月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「天神島スカイマンション」。最寄駅は北九州モノレール旦過駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*27
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*28
1948年の「小倉市」『日本商工業別明細図 第801号』には、「太陽映画館」(※大洋ではなく太陽)、香春口の「日活館」が描かれている。*29
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*30
開館年 : 1934年以後1936年以前、1943年11月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「天神島スカイマンション」。最寄駅は北九州モノレール旦過駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*27
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*28
1948年の「小倉市」『日本商工業別明細図 第801号』には、「太陽映画館」(※大洋ではなく太陽)、香春口の「日活館」が描かれている。*29
1960年の「小倉市詳図」には「喜楽館」「常盤座」「砂津劇場」「大洋劇場」「第一日活」「第二日活」「第一中央」「西小倉映劇」が描かれている。*30
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区室町2-132-4(1982年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1982年頃
跡地は「中央室町立体駐車場」。最寄駅はJR鹿児島本線・日豊本線西小倉駅。
1960年7月19日、小倉市室町2丁目の洋画封切館「小倉文化大劇」が松竹封切館に転向した。経営は小倉文化映画。*34
1960年11月3日、小倉市室町2丁目の松竹封切館「小倉文化大劇」を有楽興行が買収し、洋画館に転向して新発足した。これまでの経営は阿倍義政。*35
1961年のこのほど、小倉市室町2丁目の70ミリ劇場「文化大劇」が有楽興行から中央興行に売却され、「小倉グランド劇場」に改称した。経営は東日本興行。*36
東映の直営館を見ると、1972年12月に「金沢東映パラス」と「横浜東映」と「盛岡東映パラス」が開館し、1973年3月に「小倉東映パラス」と「黒崎東映パラス」が開館し、5月に「新宿名画座」が開館し、6月に「福岡グランド」と「浅草名画座」が開館し、7月に「富山東映パラス」が開館した。1972年7月には「鹿児島東映」が閉館し、1973年1月には「岩見沢東映」が閉館し、2月には「八幡東映」が閉館し、3月には「関西東映・関西小劇場」が閉館した。*37
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1982年頃
跡地は「中央室町立体駐車場」。最寄駅はJR鹿児島本線・日豊本線西小倉駅。
1960年7月19日、小倉市室町2丁目の洋画封切館「小倉文化大劇」が松竹封切館に転向した。経営は小倉文化映画。*34
1960年11月3日、小倉市室町2丁目の松竹封切館「小倉文化大劇」を有楽興行が買収し、洋画館に転向して新発足した。これまでの経営は阿倍義政。*35
1961年のこのほど、小倉市室町2丁目の70ミリ劇場「文化大劇」が有楽興行から中央興行に売却され、「小倉グランド劇場」に改称した。経営は東日本興行。*36
東映の直営館を見ると、1972年12月に「金沢東映パラス」と「横浜東映」と「盛岡東映パラス」が開館し、1973年3月に「小倉東映パラス」と「黒崎東映パラス」が開館し、5月に「新宿名画座」が開館し、6月に「福岡グランド」と「浅草名画座」が開館し、7月に「富山東映パラス」が開館した。1972年7月には「鹿児島東映」が閉館し、1973年1月には「岩見沢東映」が閉館し、2月には「八幡東映」が閉館し、3月には「関西東映・関西小劇場」が閉館した。*37
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区船頭2-34(1990年)
開館年 : 1904年
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料駐車場「駐太郎パーク」。最寄駅はJR小倉駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*38
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*39
1912年の小倉市にあった映画館「喜楽館」の写真あり。連鎖大活劇「秘密の王国」を上映している。もとは1900年頃からあった劇場「旭館」であり、経営委不振に陥った1915年に長崎萬活商会が買収して日活作品を上映するようになった。*40
1919年頃の北九州にあった「喜楽館」の写真あり。1932年頃の北九州にあった「喜楽館」の写真あり。1900年頃に開館した「旭館」が1915年から1916年頃に映画館化したものである。当初は日活やマキノ系だったが、後に松竹系も併映した。*41
1928年から1929年頃の小倉にあった「喜楽館」のイラストあり。日本活動写真株式会社(日活映画)の封切館であり、小倉一の人気を持つ活動写真館だった。1993年現在も残っている。*42
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*43
1962年2月から、小倉市の日活直営館「小倉喜楽館」が改築のために休館する。*44
開館年 : 1904年
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料駐車場「駐太郎パーク」。最寄駅はJR小倉駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*38
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*39
1912年の小倉市にあった映画館「喜楽館」の写真あり。連鎖大活劇「秘密の王国」を上映している。もとは1900年頃からあった劇場「旭館」であり、経営委不振に陥った1915年に長崎萬活商会が買収して日活作品を上映するようになった。*40
1919年頃の北九州にあった「喜楽館」の写真あり。1932年頃の北九州にあった「喜楽館」の写真あり。1900年頃に開館した「旭館」が1915年から1916年頃に映画館化したものである。当初は日活やマキノ系だったが、後に松竹系も併映した。*41
1928年から1929年頃の小倉にあった「喜楽館」のイラストあり。日本活動写真株式会社(日活映画)の封切館であり、小倉一の人気を持つ活動写真館だった。1993年現在も残っている。*42
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*43
1962年2月から、小倉市の日活直営館「小倉喜楽館」が改築のために休館する。*44
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区船頭2-25(1995年)
開館年 : 1931年、1954年7月? 1956年?
閉館年 : 1997年夏
跡地は立体有料駐車場「APパーク小倉駅前」建物東側。最寄駅はJR小倉駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*45
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*46
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*47
開館年 : 1931年、1954年7月? 1956年?
閉館年 : 1997年夏
跡地は立体有料駐車場「APパーク小倉駅前」建物東側。最寄駅はJR小倉駅。
1914年には小倉市の「育成座」が「小倉倶楽部」に改称して小倉初の活動常設館となった。大正末期の小倉には「喜楽館」と「迎陽館」という2館の活動常設館があった。1915年の喜楽館の写真あり。1931年には旧小倉駅前通りに「国際館」が開館し、同年には演劇場「常盤座」が映画館に転向した。終戦時の小倉市には喜楽館、常盤座、国際館、「大成館」の4館の映画館があった。*45
1914年、小倉市初の活動常設館「小倉倶楽部」が開館した。戦時中には9館の映画館があったが、終戦時に残ったのは「喜楽館」、「常盤」、「国際館」、「大成館」の4館のみだった。1960年が映画館数のピークであり、小倉市のみで38館も存在した。*46
1937年の『小倉市地図』には「常盤座」、「喜楽館」、「国際館」、「勝山劇場」、「大成館」が描かれている。*47
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区船頭2-25(1995年)
開館年 : 1956年12月22日
閉館年 : 1997年夏
跡地は立体有料駐車場「APパーク小倉駅前」建物西側。最寄駅はJR小倉駅。
1956年12月21日、東宝経営館として「小倉東宝劇場」が開館した。*48
1956年12月22日、小倉市に東宝直営館「小倉東宝」が開館した。東宝邦画封切館。支配人は木下継男。*49
1965年、小倉の「小倉東宝」では市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』が公開された。当時の北九州市域には110館以上の映画館があり、映画ブームに沸いていた。*50
1997年夏をもって、北九州市小倉北区の映画館「小倉東宝」(452席)と「東宝プラザ」(417席)が閉館する予定。1956年に開館し、1950年代後半から1970年代初頭にかけて、『ゴジラ』シリーズや若大将ブームで多くの観客を集めた。1995年には北九州市の特定建築物調査で改装の必要があると指摘を受けたが、建て替えても採算が見込めないことで閉館を決めた。この5年間は採算が取れているが、年間観客数は約15万人から約20万人。1997年内に建物を取り壊し、当面は跡地を駐車場にする予定。*51
開館年 : 1956年12月22日
閉館年 : 1997年夏
跡地は立体有料駐車場「APパーク小倉駅前」建物西側。最寄駅はJR小倉駅。
1956年12月21日、東宝経営館として「小倉東宝劇場」が開館した。*48
1956年12月22日、小倉市に東宝直営館「小倉東宝」が開館した。東宝邦画封切館。支配人は木下継男。*49
1965年、小倉の「小倉東宝」では市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』が公開された。当時の北九州市域には110館以上の映画館があり、映画ブームに沸いていた。*50
1997年夏をもって、北九州市小倉北区の映画館「小倉東宝」(452席)と「東宝プラザ」(417席)が閉館する予定。1956年に開館し、1950年代後半から1970年代初頭にかけて、『ゴジラ』シリーズや若大将ブームで多くの観客を集めた。1995年には北九州市の特定建築物調査で改装の必要があると指摘を受けたが、建て替えても採算が見込めないことで閉館を決めた。この5年間は採算が取れているが、年間観客数は約15万人から約20万人。1997年内に建物を取り壊し、当面は跡地を駐車場にする予定。*51
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区室町2-6-1(2000年)
開館年 : 1958年9月
閉館年 : 2000年7月31日
跡地は「福岡中央銀行小倉支店」。最寄駅はJR鹿児島本線・日豊本線西小倉駅。
1958年6月4日から、小倉市の松竹封切館「文化劇場」が改築工事のために休館に入った。9月上旬に完成予定であり、「文化東映」に改称して東映封切館に転向する予定。代表は安倍政義。*52
1963年4月、松竹直営館「小倉松竹文化」が新発足した。*53
1997年12月4日、北九州市の「小倉SY文化」と「小倉ピカデリー」はアナログ音響用機器を更新した。*54
2000年7月31日、西日本松竹興行による「小倉ピカデリー」と「小倉SY文化」が閉館した。*55
開館年 : 1958年9月
閉館年 : 2000年7月31日
跡地は「福岡中央銀行小倉支店」。最寄駅はJR鹿児島本線・日豊本線西小倉駅。
1958年6月4日から、小倉市の松竹封切館「文化劇場」が改築工事のために休館に入った。9月上旬に完成予定であり、「文化東映」に改称して東映封切館に転向する予定。代表は安倍政義。*52
1963年4月、松竹直営館「小倉松竹文化」が新発足した。*53
1997年12月4日、北九州市の「小倉SY文化」と「小倉ピカデリー」はアナログ音響用機器を更新した。*54
2000年7月31日、西日本松竹興行による「小倉ピカデリー」と「小倉SY文化」が閉館した。*55
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区京町1-6-2(2004年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 2004年頃
跡地はマンション「フルール・ド・パリス」。最寄駅はJR小倉駅。
小倉にあった「常磐座」(※盤ではなく磐)のイラストあり。和風建築だった常磐座は突然休館したが、映画館となって松竹作品や洋画を上映した。常磐座は無法松のストーリーにも登場する。*56
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 2004年頃
跡地はマンション「フルール・ド・パリス」。最寄駅はJR小倉駅。
小倉にあった「常磐座」(※盤ではなく磐)のイラストあり。和風建築だった常磐座は突然休館したが、映画館となって松竹作品や洋画を上映した。常磐座は無法松のストーリーにも登場する。*56
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区魚町1-5-14(2000年)
開館年 : 1957年3月20日
閉館年 : 2002年9月16日
跡地は「ダイワロイネットホテル小倉駅前」。最寄駅は北九州モノレール小倉線平和通駅。
1957年3月20日、小倉市新駅前通りに「中央会館」が開館した。経営は中央興行。工費8000万円。鉄筋造5階建てであり、1階と2階は「第二中央劇場」、3階と4階はロードショー劇場、5階は貸事務所。ロードショー劇場のこけら落としは『王様と私』と『あの日あのとき』の二本立て。定員900人。*57
1960年6月10日、小倉市の小倉駅前にある「中央会館」が70ミリ劇場に転向した。経営は河野音五郎。*58
1963年春、小倉市の小倉駅前通りにある「中央会館」が増築される予定。現在は地上5階・地下1階建てだが、地上8階・地下3階建てに増築し、6階から8階はホテル、3階は機械室や更衣室、2階は食堂、地下はボウリング場などとする。河野音五郎社長の中央興業。*59
1997年11月29日、北九州市のJR小倉駅南口にある映画館「中央会館」が改装オープンし、デジタル音響設備と大型座席を導入した。1997年5月には『スター・ウォーズ』のリバイバル上映で再生ができず、7月には『もののけ姫』でせりふが聞き取れない事態となっていた。床と壁も張り替えている。*60
2002年9月16日をもって、北九州市小倉北区魚町1丁目の映画館「小倉中央会館」が閉館する。540席。経営は中央興業。1957年に開館し、東宝系洋画などを上映していた。1960年代には年間20万人を集めたが、1998年以降には北九州地区に相次いでシネコンが進出し、近年には年間約3万人に落ち込んでいた。*61
2002年9月16日をもって、北九州市のJR小倉駅前にあるロードショー映画館「小倉中央会館」が閉館し、44年の歴史に幕を下ろした。11月末をめどに、大型アミューズメント施設に生まれ変わる。546席の客席数は九州地方最大であり、大スクリーンや小倉駅前という立地の良さがあったが、シネコンに観客が流れた。*62
2002年12月20日、北九州市小倉北区魚町1丁目の映画館「小倉中央会館」跡地に室内型アミューズメント施設「JJ CLUB 100小倉店」がオープンする。*63
開館年 : 1957年3月20日
閉館年 : 2002年9月16日
跡地は「ダイワロイネットホテル小倉駅前」。最寄駅は北九州モノレール小倉線平和通駅。
1957年3月20日、小倉市新駅前通りに「中央会館」が開館した。経営は中央興行。工費8000万円。鉄筋造5階建てであり、1階と2階は「第二中央劇場」、3階と4階はロードショー劇場、5階は貸事務所。ロードショー劇場のこけら落としは『王様と私』と『あの日あのとき』の二本立て。定員900人。*57
1960年6月10日、小倉市の小倉駅前にある「中央会館」が70ミリ劇場に転向した。経営は河野音五郎。*58
1963年春、小倉市の小倉駅前通りにある「中央会館」が増築される予定。現在は地上5階・地下1階建てだが、地上8階・地下3階建てに増築し、6階から8階はホテル、3階は機械室や更衣室、2階は食堂、地下はボウリング場などとする。河野音五郎社長の中央興業。*59
1997年11月29日、北九州市のJR小倉駅南口にある映画館「中央会館」が改装オープンし、デジタル音響設備と大型座席を導入した。1997年5月には『スター・ウォーズ』のリバイバル上映で再生ができず、7月には『もののけ姫』でせりふが聞き取れない事態となっていた。床と壁も張り替えている。*60
2002年9月16日をもって、北九州市小倉北区魚町1丁目の映画館「小倉中央会館」が閉館する。540席。経営は中央興業。1957年に開館し、東宝系洋画などを上映していた。1960年代には年間20万人を集めたが、1998年以降には北九州地区に相次いでシネコンが進出し、近年には年間約3万人に落ち込んでいた。*61
2002年9月16日をもって、北九州市のJR小倉駅前にあるロードショー映画館「小倉中央会館」が閉館し、44年の歴史に幕を下ろした。11月末をめどに、大型アミューズメント施設に生まれ変わる。546席の客席数は九州地方最大であり、大スクリーンや小倉駅前という立地の良さがあったが、シネコンに観客が流れた。*62
2002年12月20日、北九州市小倉北区魚町1丁目の映画館「小倉中央会館」跡地に室内型アミューズメント施設「JJ CLUB 100小倉店」がオープンする。*63
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区馬借町1-2-1(2000年)
開館年 : 1958年頃、1987年7月(2館化)、1997年7月5日(シネシティ)
閉館年 : 2003年8月31日
映画館が入っていた建物は「ホテルクラウンパレス小倉」として現存。最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
2003年8月31日をもって、北九州市小倉北区馬借1丁目の「小倉シネシティ有楽」が閉館する予定。3スクリーン計526席。1997年に全面改装し、ミニシアター系作品と封切作品を上映していた。1998年には中間市に「AMCなかま16」が開館し、その後も戸畑区に「ワーナー・マイカル・シネマズ戸畑」、小倉北区に「シネプレックス10小倉」、今年4月には「T・ジョイ」も開館し、北九州地区はシネコン激戦区となっていた。1997年の改装当初の観客数は約30万人だったが、現在は約4万人にまで落ち込んでいた。*64
2003年8月末をもって、北九州市小倉北区馬借1丁目の「小倉シネシティ有楽」が閉館する。8月16日から31日まではラストショーであり、『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』『グラン・ブルー』『ニュー・シネマ・パラダイス』など往年の名作を含む8作品を上映する。1997年に改装し、ミニシアターとして根強い人気を有していた。*65
開館年 : 1958年頃、1987年7月(2館化)、1997年7月5日(シネシティ)
閉館年 : 2003年8月31日
映画館が入っていた建物は「ホテルクラウンパレス小倉」として現存。最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
2003年8月31日をもって、北九州市小倉北区馬借1丁目の「小倉シネシティ有楽」が閉館する予定。3スクリーン計526席。1997年に全面改装し、ミニシアター系作品と封切作品を上映していた。1998年には中間市に「AMCなかま16」が開館し、その後も戸畑区に「ワーナー・マイカル・シネマズ戸畑」、小倉北区に「シネプレックス10小倉」、今年4月には「T・ジョイ」も開館し、北九州地区はシネコン激戦区となっていた。1997年の改装当初の観客数は約30万人だったが、現在は約4万人にまで落ち込んでいた。*64
2003年8月末をもって、北九州市小倉北区馬借1丁目の「小倉シネシティ有楽」が閉館する。8月16日から31日まではラストショーであり、『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』『グラン・ブルー』『ニュー・シネマ・パラダイス』など往年の名作を含む8作品を上映する。1997年に改装し、ミニシアターとして根強い人気を有していた。*65
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区船場町2-6(2000年)
開館年 : 1961年11月28日、1982年頃(2館化)
閉館年 : 2003年4月18日
跡地は「オリエントキャピタルタワー」。オリエントキャピタルタワーの低層階は小倉東映会館の外観意匠を踏襲(痕跡)。最寄駅は北九州モノレール小倉線平和通駅。
1960年10月18日、小倉市大阪町の緑屋デパート跡地で「小倉東映会館」の地鎮祭が行われた。大川社長らが出席した。1961年10月に完成予定。鉄筋造地上6階・地下1階建て。映画館のほかに食堂や名店街も入る。*66
1960年頃の「小倉東映会館」の写真あり。「祝 小倉東映会館開業」の文字が見える。映画上映や女性衣料品の販売などを行っていた。2010年の跡地にあるビルの写真あり。外観には小倉東映会館の名残がある。*67
1961年11月18日、小倉市大阪町に「小倉東映会館」が開館した。1960年10月に着工していた。地下2階・地上6階建、延床面積3700坪。地下1階は味ののれん街とスーパーマーケット、1階は東映名店街、2階は三愛、3階はレストランのロイヤル、喫茶の月ヶ瀬、和食の富士など、4階は中華料理の東映飯店など、5階は東映ビューティサロンや東映フォトスタジオなど、6階は各種宴会場、屋上はゴルフ練習場やビヤガーデン。4階から6階の半分が映画館である。この場所には島田千寿が所有する緑屋があり、小倉東映会館の会長には大川博東映社長、社長には島田が就任している。*68
1961年12月28日、東映の直営館「小倉東映」が新築開館した。*69
1999年3月6日、北九州市小倉北区船場町2の商業施設「小倉東映会館」がリニューアルオープンした。総額4億円をかけて1階から3階の店舗の約半分を改装した。10店舗が新規出店した。インテリア用品店をテナントを入れるなどして品ぞろえに幅を持たせた。*70
2003年4月18日をもって、北九州市小倉北区船場町の小倉東映会館にある東映直営館「小倉東映劇場」が閉館し、東映が東宝から運営委託されていた「小倉東宝劇場」も閉館する。4月19日にはリバーウォーク北九州内に東映系シネコン「T・ジョイ」が開館するため。*71
2004年9月末をもって、北九州市小倉北区船場町の複合商業ビル「小倉東映会館」が閉館する。1961年11月、東映が東京と大阪に続く会館として建設した。地下2階・地上6階建て。*72
2004年9月末をもって、北九州市小倉北区の一等地にある商業ビル「小倉東映会館」が閉館する。土地と建物は東映が所有しており、新たにビルを建設する予定だが詳細は未定。1961年に開館した。地下2階・地上6階建て。1980年代には若者に人気のDCブランドを導入し、北九州におけるファッションの拠点として注目された。2003年には同じ東映系のシネコンを有するリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館内の映画館が閉館した。*73
2004年9月30日をもって、北九州市小倉北区船場町のファッションビル「小倉東映会館」が43年の歴史に幕を下ろす。1961年11月、東映によって商業ビルとして開業した。専門店の集合ビルは全国に例がなかったという。1980年代はDCブランドの全盛期であり、1990年代中頃には約80億円の年商があった。1993年にはJR小倉駅北口に競合相手のラフォーレ原宿・小倉が開業し、1998年には小倉駅ビル内にアミュプラザが開業した。2003年4月にはリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館4階から6階にあった映画館が閉館した。当面は建物を残す予定。*74
2004年9月30日をもって、北九州市小倉北区船場町のファッションビル「小倉東映会館」が閉館した。1961年に小倉中心部の大型商業施設の先駆けとして開業し、開業から1990年代半ばにかけてにぎわった。2003年にはリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館内の映画館が閉館した。老朽化や新しい商業施設との競争などが理由で、約43年の歴史に幕を下ろした。地下1階・地上6階建て。当面は建物を現状のまま残す予定だが、新たな商業ビルの建設も検討している。*75
2004年11月のこのほど、小倉東映会館がパチンコ店に売却されるという情報が流れはじめた。11月初頭には「魅力ある小倉都心部を考え行動する会TACT」が発足し、東映に対して要望書を送っていた。11月11日には、北九州商工会議所の重渕雅敏会頭と北九州市の宮崎哲助役が東京の東映本社を訪ねて直談判する予定。*76
2005年4月16日、小倉東映会館の所有者である東映はオリエント電子グループに土地を売却する方針を固めた。もともとパチンコ店への売却が検討されていたが、市民団体や商店主らが反対運動を行ったり、北九州商工会議所と北九州市が東映に要望書を提出していた。オリエント電子グループは10階建ての商業ビルを建設する予定。*77
開館年 : 1961年11月28日、1982年頃(2館化)
閉館年 : 2003年4月18日
跡地は「オリエントキャピタルタワー」。オリエントキャピタルタワーの低層階は小倉東映会館の外観意匠を踏襲(痕跡)。最寄駅は北九州モノレール小倉線平和通駅。
1960年10月18日、小倉市大阪町の緑屋デパート跡地で「小倉東映会館」の地鎮祭が行われた。大川社長らが出席した。1961年10月に完成予定。鉄筋造地上6階・地下1階建て。映画館のほかに食堂や名店街も入る。*66
1960年頃の「小倉東映会館」の写真あり。「祝 小倉東映会館開業」の文字が見える。映画上映や女性衣料品の販売などを行っていた。2010年の跡地にあるビルの写真あり。外観には小倉東映会館の名残がある。*67
1961年11月18日、小倉市大阪町に「小倉東映会館」が開館した。1960年10月に着工していた。地下2階・地上6階建、延床面積3700坪。地下1階は味ののれん街とスーパーマーケット、1階は東映名店街、2階は三愛、3階はレストランのロイヤル、喫茶の月ヶ瀬、和食の富士など、4階は中華料理の東映飯店など、5階は東映ビューティサロンや東映フォトスタジオなど、6階は各種宴会場、屋上はゴルフ練習場やビヤガーデン。4階から6階の半分が映画館である。この場所には島田千寿が所有する緑屋があり、小倉東映会館の会長には大川博東映社長、社長には島田が就任している。*68
1961年12月28日、東映の直営館「小倉東映」が新築開館した。*69
1999年3月6日、北九州市小倉北区船場町2の商業施設「小倉東映会館」がリニューアルオープンした。総額4億円をかけて1階から3階の店舗の約半分を改装した。10店舗が新規出店した。インテリア用品店をテナントを入れるなどして品ぞろえに幅を持たせた。*70
2003年4月18日をもって、北九州市小倉北区船場町の小倉東映会館にある東映直営館「小倉東映劇場」が閉館し、東映が東宝から運営委託されていた「小倉東宝劇場」も閉館する。4月19日にはリバーウォーク北九州内に東映系シネコン「T・ジョイ」が開館するため。*71
2004年9月末をもって、北九州市小倉北区船場町の複合商業ビル「小倉東映会館」が閉館する。1961年11月、東映が東京と大阪に続く会館として建設した。地下2階・地上6階建て。*72
2004年9月末をもって、北九州市小倉北区の一等地にある商業ビル「小倉東映会館」が閉館する。土地と建物は東映が所有しており、新たにビルを建設する予定だが詳細は未定。1961年に開館した。地下2階・地上6階建て。1980年代には若者に人気のDCブランドを導入し、北九州におけるファッションの拠点として注目された。2003年には同じ東映系のシネコンを有するリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館内の映画館が閉館した。*73
2004年9月30日をもって、北九州市小倉北区船場町のファッションビル「小倉東映会館」が43年の歴史に幕を下ろす。1961年11月、東映によって商業ビルとして開業した。専門店の集合ビルは全国に例がなかったという。1980年代はDCブランドの全盛期であり、1990年代中頃には約80億円の年商があった。1993年にはJR小倉駅北口に競合相手のラフォーレ原宿・小倉が開業し、1998年には小倉駅ビル内にアミュプラザが開業した。2003年4月にはリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館4階から6階にあった映画館が閉館した。当面は建物を残す予定。*74
2004年9月30日をもって、北九州市小倉北区船場町のファッションビル「小倉東映会館」が閉館した。1961年に小倉中心部の大型商業施設の先駆けとして開業し、開業から1990年代半ばにかけてにぎわった。2003年にはリバーウォーク北九州が開業し、小倉東映会館内の映画館が閉館した。老朽化や新しい商業施設との競争などが理由で、約43年の歴史に幕を下ろした。地下1階・地上6階建て。当面は建物を現状のまま残す予定だが、新たな商業ビルの建設も検討している。*75
2004年11月のこのほど、小倉東映会館がパチンコ店に売却されるという情報が流れはじめた。11月初頭には「魅力ある小倉都心部を考え行動する会TACT」が発足し、東映に対して要望書を送っていた。11月11日には、北九州商工会議所の重渕雅敏会頭と北九州市の宮崎哲助役が東京の東映本社を訪ねて直談判する予定。*76
2005年4月16日、小倉東映会館の所有者である東映はオリエント電子グループに土地を売却する方針を固めた。もともとパチンコ店への売却が検討されていたが、市民団体や商店主らが反対運動を行ったり、北九州商工会議所と北九州市が東映に要望書を提出していた。オリエント電子グループは10階建ての商業ビルを建設する予定。*77
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区魚町4-2-9(2022年)
開館年 : 1939年、1950年2月、1982年(2館化)
閉館年 : 2022年8月10日
Wikipedia : 小倉昭和館
跡地は「小倉昭和館」。最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
1939年、小倉市に樋口勇によって映画館兼芝居小屋「小倉昭和館」が開館した。座席数600の映画館である。戦前には姉妹館として三萩野に「日活劇場」、金田に「朝日館」、城野に「東宝館」があったが、戦時中に朝日館と東宝館は閉館した。後に樋口昭正が経営を継ぎ、1960年時点では小倉昭和館に加えて三萩野の「日活館」、「東宝富士館」(第二東映)、木町の「木町東映」の姉妹館も経営していた。昭和40年代前半には座席数を減らしてパチンコ店を併設したが、1982年にはパチンコ店を閉店させた。平成初期には2スクリーンの映画館とした。2012年には樋口智巳が3代目の館主に就任した。*78
1957年の小倉市魚町にあった映画館「小倉昭和館」の写真あり。1939年に映画館兼芝居小屋として創業した。600席の1スクリーンで邦画のみを上映していた。映画全盛期の昭和30年代には姉妹館として3館があった。1989年には洋画も上映されるようになり、2017年には35ミリフィルム映写機はそのままにデジタル上映機器が導入された。*79
北九州市小倉北区魚町4-2-9の「小倉昭和館」。座席数は134席。1939年オープン。館主は3代目の樋口智巳。2022年夏には火災で建物が焼失したが、再建を求める1万7152筆もの署名が集まり、リリー・フランキーが応援団長となったクラウドファンディングも成功した。火災から477日後の2023年12月19日、建物を再建して営業を再開した。オープニング作品は樋口智巳が最も好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』である。シートにはリリー・フランキー、光石研、笑福亭鶴瓶、仲代達也など昭和館を応援する著名人の名前が刺繍されている。旧館のネオンは修復されて建物内に設置されている。なお、12月14日から17日にはプレオープンとして、北九州国際映画祭の青山真治監督追悼上映が開催された。「福岡県で一番古い映画館」とされる。2番目に古かった福岡市の「中洲大洋映画劇場」は2024年3月末に営業を終えた。*80
「小倉昭和館」に言及している雑誌記事として、「74年間、この街を見守り続けた映画館 小倉昭和館」『九州王国』2013年6月、70号がある。現物は未確認。*81
「小倉昭和館」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*82
「小倉昭和館」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*83
開館年 : 1939年、1950年2月、1982年(2館化)
閉館年 : 2022年8月10日
Wikipedia : 小倉昭和館
跡地は「小倉昭和館」。最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
1939年、小倉市に樋口勇によって映画館兼芝居小屋「小倉昭和館」が開館した。座席数600の映画館である。戦前には姉妹館として三萩野に「日活劇場」、金田に「朝日館」、城野に「東宝館」があったが、戦時中に朝日館と東宝館は閉館した。後に樋口昭正が経営を継ぎ、1960年時点では小倉昭和館に加えて三萩野の「日活館」、「東宝富士館」(第二東映)、木町の「木町東映」の姉妹館も経営していた。昭和40年代前半には座席数を減らしてパチンコ店を併設したが、1982年にはパチンコ店を閉店させた。平成初期には2スクリーンの映画館とした。2012年には樋口智巳が3代目の館主に就任した。*78
1957年の小倉市魚町にあった映画館「小倉昭和館」の写真あり。1939年に映画館兼芝居小屋として創業した。600席の1スクリーンで邦画のみを上映していた。映画全盛期の昭和30年代には姉妹館として3館があった。1989年には洋画も上映されるようになり、2017年には35ミリフィルム映写機はそのままにデジタル上映機器が導入された。*79
北九州市小倉北区魚町4-2-9の「小倉昭和館」。座席数は134席。1939年オープン。館主は3代目の樋口智巳。2022年夏には火災で建物が焼失したが、再建を求める1万7152筆もの署名が集まり、リリー・フランキーが応援団長となったクラウドファンディングも成功した。火災から477日後の2023年12月19日、建物を再建して営業を再開した。オープニング作品は樋口智巳が最も好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』である。シートにはリリー・フランキー、光石研、笑福亭鶴瓶、仲代達也など昭和館を応援する著名人の名前が刺繍されている。旧館のネオンは修復されて建物内に設置されている。なお、12月14日から17日にはプレオープンとして、北九州国際映画祭の青山真治監督追悼上映が開催された。「福岡県で一番古い映画館」とされる。2番目に古かった福岡市の「中洲大洋映画劇場」は2024年3月末に営業を終えた。*80
「小倉昭和館」に言及している雑誌記事として、「74年間、この街を見守り続けた映画館 小倉昭和館」『九州王国』2013年6月、70号がある。現物は未確認。*81
「小倉昭和館」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*82
「小倉昭和館」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*83
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区砂津3-1-1 チャチャタウン小倉内(2026年)
開館年 : 2000年11月23日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR小倉駅。
2000年11月23日、北九州市小倉北区砂津3-1-1-3010 チャチャタウン小倉に「シネプレックス10小倉」が開館した。10スクリーンを有する。経営はヘラルド・エンタープライズ。*85
開館年 : 2000年11月23日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR小倉駅。
2000年11月23日、北九州市小倉北区砂津3-1-1-3010 チャチャタウン小倉に「シネプレックス10小倉」が開館した。10スクリーンを有する。経営はヘラルド・エンタープライズ。*85
所在地 : 福岡県北九州市小倉北区魚町4-2-9(2025年)
開館年 : 2023年12月20日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小倉昭和館
Wikipedia : 小倉昭和館
最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
北九州市小倉北区魚町4-2-9の「小倉昭和館」。座席数は134席。1939年オープン。館主は3代目の樋口智巳。2022年夏には火災で建物が焼失したが、再建を求める1万7152筆もの署名が集まり、リリー・フランキーが応援団長となったクラウドファンディングも成功した。火災から477日後の2023年12月19日、建物を再建して営業を再開した。オープニング作品は樋口智巳が最も好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』である。シートにはリリー・フランキー、光石研、笑福亭鶴瓶、仲代達也など昭和館を応援する著名人の名前が刺繍されている。旧館のネオンは修復されて建物内に設置されている。なお、12月14日から17日にはプレオープンとして、北九州国際映画祭の青山真治監督追悼上映が開催された。「福岡県で一番古い映画館」とされる。2番目に古かった福岡市の「中洲大洋映画劇場」は2024年3月末に営業を終えた。*86
開館年 : 2023年12月20日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小倉昭和館
Wikipedia : 小倉昭和館
最寄駅は北九州モノレール小倉線旦過駅。
北九州市小倉北区魚町4-2-9の「小倉昭和館」。座席数は134席。1939年オープン。館主は3代目の樋口智巳。2022年夏には火災で建物が焼失したが、再建を求める1万7152筆もの署名が集まり、リリー・フランキーが応援団長となったクラウドファンディングも成功した。火災から477日後の2023年12月19日、建物を再建して営業を再開した。オープニング作品は樋口智巳が最も好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』である。シートにはリリー・フランキー、光石研、笑福亭鶴瓶、仲代達也など昭和館を応援する著名人の名前が刺繍されている。旧館のネオンは修復されて建物内に設置されている。なお、12月14日から17日にはプレオープンとして、北九州国際映画祭の青山真治監督追悼上映が開催された。「福岡県で一番古い映画館」とされる。2番目に古かった福岡市の「中洲大洋映画劇場」は2024年3月末に営業を終えた。*86
所在地 : 福岡県小倉市城野町654(1963年)
開館年 : 1952年8月
閉館年 : 1963年頃
1960年3月には第二東映が発足。北九州5市では門司市の「有楽映画劇場」と「大里金星」、小倉市の「衆楽」(旧称は衆楽松竹)と「木町東映」(旧称は木町松竹)と「城野国際」、八幡市の「祇園東映」と「三条東映」と「折尾東映」と「折尾第二東映」と「枝光東映」、若松市の「若松映画劇場」、戸畑市の「戸畑松竹」が第二東映上映館となった。*87
開館年 : 1952年8月
閉館年 : 1963年頃
1960年3月には第二東映が発足。北九州5市では門司市の「有楽映画劇場」と「大里金星」、小倉市の「衆楽」(旧称は衆楽松竹)と「木町東映」(旧称は木町松竹)と「城野国際」、八幡市の「祇園東映」と「三条東映」と「折尾東映」と「折尾第二東映」と「枝光東映」、若松市の「若松映画劇場」、戸畑市の「戸畑松竹」が第二東映上映館となった。*87
所在地 : 福岡県北九州市小倉区城野町659(1965年)
開館年 : 1958年7月10日
閉館年 : 1965年頃
1958年7月10日、小倉市城野町に「城野宝塚会館」が開館した。ブロック2階建て。定員600人。松竹・日活系封切。経営は国際興行であり、同日には小倉市船町に「日本劇場」も開館している。*88
開館年 : 1958年7月10日
閉館年 : 1965年頃
1958年7月10日、小倉市城野町に「城野宝塚会館」が開館した。ブロック2階建て。定員600人。松竹・日活系封切。経営は国際興行であり、同日には小倉市船町に「日本劇場」も開館している。*88

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