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hekikaicinema 2026年03月31日(火) 15:22:00履歴
福岡市の映画館に言及している雑誌記事として、「温故知新シネマパラダイス 黄金期、福岡市内には70以上の映画館があった」『BNT』西日本新聞、2007年3月号がある。現物は未確認。*1
所在地 : 福岡県福岡市住吉柳橋通(1941年)、福岡県福岡市柳橋通(1943年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「大中館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
1938年、福岡市住吉柳橋通に新興と日活の再映館「大中館」が開館した。*2
開館年 : 1938年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「大中館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
1938年、福岡市住吉柳橋通に新興と日活の再映館「大中館」が開館した。*2
所在地 : 福岡県福岡市南新町(1947年)
開館年 : 1946年5月30日
閉館年 : 1949年2月
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「金龍館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
1946年1月10日、福岡市の千日前に東宝封切館「有楽映劇」が開館した。4月3日、電車通りに洋画封切館「大洋映劇」が開館した。5月30日には住吉南新町に松竹封切館「金竜館」が開館した。6月6日、千代町交差点北東角に洋画封切館「国際映劇」が開館した。7月17日、渡辺通4丁目に洋画封切館「日新映劇」が開館した。*5
1949年2月末、福岡市住吉の「金竜館」が閉館した。*6
開館年 : 1946年5月30日
閉館年 : 1949年2月
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「金龍館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
1946年1月10日、福岡市の千日前に東宝封切館「有楽映劇」が開館した。4月3日、電車通りに洋画封切館「大洋映劇」が開館した。5月30日には住吉南新町に松竹封切館「金竜館」が開館した。6月6日、千代町交差点北東角に洋画封切館「国際映劇」が開館した。7月17日、渡辺通4丁目に洋画封切館「日新映劇」が開館した。*5
1949年2月末、福岡市住吉の「金竜館」が閉館した。*6
所在地 : 福岡県福岡市因幡町23(1955年)、福岡県福岡市因幡町(1958年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「天神聚楽」。1958年の映画館名簿では「天神聚楽映劇」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
1956年現在、柳瀬鴻は福岡市で映画館「聚楽映劇」(西新)、「東洋」、「光」、「西新東映」、「天神聚楽」を経営している。1937年に「聚楽座」(後の聚楽映劇)を開館させ、戦後は事業を拡張させた。1946年には30歳そこそこの若さで福岡市興行組合長に就任し、7年間も組合長を務めた。柳瀬は三井郡大橋村出身である。*7
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「天神聚楽」。1958年の映画館名簿では「天神聚楽映劇」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
1956年現在、柳瀬鴻は福岡市で映画館「聚楽映劇」(西新)、「東洋」、「光」、「西新東映」、「天神聚楽」を経営している。1937年に「聚楽座」(後の聚楽映劇)を開館させ、戦後は事業を拡張させた。1946年には30歳そこそこの若さで福岡市興行組合長に就任し、7年間も組合長を務めた。柳瀬は三井郡大橋村出身である。*7
所在地 : 福岡県福岡市荒戸町2825(1936年)、福岡県福岡市荒戸町25(1941年)、福岡県福岡市荒戸町(1943年)、福岡県福岡市荒戸町10(1955年)、福岡県福岡市荒戸町(1958年)、福岡県福岡市荒戸町10(1960年)、福岡県福岡市荒戸町(1961年)
開館年 : 1934年2月11日、1952年12月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1936年・1941年の映画館名簿では「公園座」。1943年の映画館名簿では「西公園映劇」。1947年・1950年・1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「公園劇場」。1961年の映画館名簿では「公園映画劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。
1934年2月11日、福岡市に「公園座」が開館した。1914年から1921年まで営業した鶴城館の跡地である。1942年4月30日には「西公園映画劇場」に改称した。(能間義弘『図説 福岡県映画史発掘 戦前篇』国書刊行会、1984年、pp.142-143))
1914年11月1日には福岡市に活動常設館「鶴城館」が開館し、1917年6月10日には「第二電気館」に改称した。1934年2月11日には「公園座」に改称し、1942年4月20日には「西公園映劇」に改称した。1945年2月1日に休館となり、1945年6月19日の福岡大空襲で焼失した。*8
開館年 : 1934年2月11日、1952年12月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1936年・1941年の映画館名簿では「公園座」。1943年の映画館名簿では「西公園映劇」。1947年・1950年・1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「公園劇場」。1961年の映画館名簿では「公園映画劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。
1934年2月11日、福岡市に「公園座」が開館した。1914年から1921年まで営業した鶴城館の跡地である。1942年4月30日には「西公園映画劇場」に改称した。(能間義弘『図説 福岡県映画史発掘 戦前篇』国書刊行会、1984年、pp.142-143))
1914年11月1日には福岡市に活動常設館「鶴城館」が開館し、1917年6月10日には「第二電気館」に改称した。1934年2月11日には「公園座」に改称し、1942年4月20日には「西公園映劇」に改称した。1945年2月1日に休館となり、1945年6月19日の福岡大空襲で焼失した。*8
所在地 : 福岡県福岡市柳橋(1956年・1957年・1958年・1960年)、福岡県福岡市柳橋(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「柳橋OS劇場」。1957年・1958年の映画館名簿では「OS劇場」。1960年の映画館名簿では「柳橋OS」。1963年の映画館名簿では「柳橋OS映劇」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅詳細図では「OS劇場(古池)」。跡地は柳橋交差点南西50mの老人ホーム「グッドタイムホーム4・南天神」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「柳橋OS劇場」。1957年・1958年の映画館名簿では「OS劇場」。1960年の映画館名簿では「柳橋OS」。1963年の映画館名簿では「柳橋OS映劇」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅詳細図では「OS劇場(古池)」。跡地は柳橋交差点南西50mの老人ホーム「グッドタイムホーム4・南天神」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
所在地 : 福岡県福岡市東唐人町38(1955年)、福岡県福岡市唐人町101(1960年)、福岡県福岡市東唐人町(1963年)
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「新星映劇」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「新星東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「新星映劇」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「新星東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
所在地 : 福岡県福岡市大名町2-32(1959年・1960年)、福岡県福岡市大名町(1963年・1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「大名映劇」。1963年の映画館名簿では「大名東映」。1964年の映画館名簿では「大名日活」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「大名映劇」。1963年の映画館名簿では「大名東映」。1964年の映画館名簿では「大名日活」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
所在地 : 福岡県福岡市柳町(1950年)、福岡県福岡市柳橋町(1953年)、福岡県福岡市住吉1604-9(1955年)、福岡県福岡市柳橋1406(1960年)、福岡県福岡市柳橋(1961年・1963年・1964年)、福岡県福岡市清川町1丁目3街区6(1965年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年3月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「柳橋劇場」。1953年の映画館名簿では「柳橋松竹映劇」。1955年の映画館名簿では「柳橋映劇」。1960年の映画館名簿では「柳橋大映」。1961年の映画館名簿では「柳橋OS映劇」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「柳橋映劇」。1965年の住宅詳細図では「柳橋映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は柳橋交差点南南西60mの駐車場。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1946年1月10日、福岡市の千日前に東宝封切館「有楽映劇」が開館した。4月3日、電車通りに洋画封切館「大洋映劇」が開館した。5月30日には住吉南新町に松竹封切館「金竜館」が開館した。6月6日、千代町交差点北東角に洋画封切館「国際映劇」が開館した。7月17日、渡辺通4丁目に洋画封切館「日新映劇」が開館した。*9
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年3月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「柳橋劇場」。1953年の映画館名簿では「柳橋松竹映劇」。1955年の映画館名簿では「柳橋映劇」。1960年の映画館名簿では「柳橋大映」。1961年の映画館名簿では「柳橋OS映劇」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「柳橋映劇」。1965年の住宅詳細図では「柳橋映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は柳橋交差点南南西60mの駐車場。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1946年1月10日、福岡市の千日前に東宝封切館「有楽映劇」が開館した。4月3日、電車通りに洋画封切館「大洋映劇」が開館した。5月30日には住吉南新町に松竹封切館「金竜館」が開館した。6月6日、千代町交差点北東角に洋画封切館「国際映劇」が開館した。7月17日、渡辺通4丁目に洋画封切館「日新映劇」が開館した。*9
所在地 : 福岡県福岡市新柳町(1941年・1943年・1947年)、福岡県福岡市大門通1625(1950年・1953年・1955年)、福岡県福岡市柳橋大門通1625(1958年)、福岡県福岡市大門通1625(1960年)、福岡県福岡市大門通(1963年・1964年)、福岡県福岡市清川町1丁目10街区3(1965年)
開館年 : 1936年12月19日、1958年12月25日
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1936年12月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「朝日館」。1960年の映画館名簿では「朝日松竹」。1963年の映画館名簿では「朝日松竹映劇」。1964年・1965年の映画館名簿では「日活朝日館」。1965年の住宅詳細図では清川町1丁目10の現・アパホテル〈福岡渡辺通駅前〉EXCELLENT建物南東端部に「スーパーマーケットダイエイ」があるが関係は不明。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
1936年11月1日、福岡市新柳町の「柳座」が劇場から映画館に転向し、12月19日には「朝日館」が新築された。1938年には柳座が劇場に戻った。1942年には日活直営館となって「日活朝日館」に改称した。*10
福岡市では4館の映画館が戦災で焼け残ったが、戦後の1945年12月23日、福岡市の西鉄高宮駅前に「高宮映劇」が開館した。12月27日には被災した日活直営館「博多日活劇場」が営業を再開し、12月28日には旧九州日報の社屋跡地に西日本新聞が関与した東宝封切館「西日本映劇」が開館した。さらに12月28日には片土居町に松竹直営館「第一平和館」が開館し、12月31日には新柳町に「朝日館」が再建された。1995年現在の第一平和館の跡地は西日本銀行博多支店である。*11
1958年12月25日、福岡市新柳町大門通りに松竹系封切館「朝日松竹」が開館した。ワンスロープ式、642席。冷暖房完備。*12
1963年3月、日活九州支社は「多門日活」と「日活朝日館」と「千代田日活」の3館を専門館に加えた。多門日活は「多門松竹映劇」からの改称であり、経営者は山本謹之助。日活朝日館は「朝日松竹映画」からの改称であり、経営者は磯田博。千代田日活は「千代田東映」からの改称であり、経営者は白井賢治。*13
開館年 : 1936年12月19日、1958年12月25日
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1936年12月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「朝日館」。1960年の映画館名簿では「朝日松竹」。1963年の映画館名簿では「朝日松竹映劇」。1964年・1965年の映画館名簿では「日活朝日館」。1965年の住宅詳細図では清川町1丁目10の現・アパホテル〈福岡渡辺通駅前〉EXCELLENT建物南東端部に「スーパーマーケットダイエイ」があるが関係は不明。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
1936年11月1日、福岡市新柳町の「柳座」が劇場から映画館に転向し、12月19日には「朝日館」が新築された。1938年には柳座が劇場に戻った。1942年には日活直営館となって「日活朝日館」に改称した。*10
福岡市では4館の映画館が戦災で焼け残ったが、戦後の1945年12月23日、福岡市の西鉄高宮駅前に「高宮映劇」が開館した。12月27日には被災した日活直営館「博多日活劇場」が営業を再開し、12月28日には旧九州日報の社屋跡地に西日本新聞が関与した東宝封切館「西日本映劇」が開館した。さらに12月28日には片土居町に松竹直営館「第一平和館」が開館し、12月31日には新柳町に「朝日館」が再建された。1995年現在の第一平和館の跡地は西日本銀行博多支店である。*11
1958年12月25日、福岡市新柳町大門通りに松竹系封切館「朝日松竹」が開館した。ワンスロープ式、642席。冷暖房完備。*12
1963年3月、日活九州支社は「多門日活」と「日活朝日館」と「千代田日活」の3館を専門館に加えた。多門日活は「多門松竹映劇」からの改称であり、経営者は山本謹之助。日活朝日館は「朝日松竹映画」からの改称であり、経営者は磯田博。千代田日活は「千代田東映」からの改称であり、経営者は白井賢治。*13
所在地 : 福岡県福岡市天神町(1947年)、福岡県福岡市天神町28(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、福岡県福岡市天神町2-8(1965年)
開館年 : 1945年12月28日
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1920年12月開館(※正しくは昭和20年12月と思われる)。1947年・1950年の映画館名簿では「西日本映画劇場」。1953年の映画館名簿では「ブロードウェイ劇場」。1955年の映画館名簿では「ブロード・ウェイ劇場」。1958年の映画館名簿では「ブロードウェイ劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「天神東宝」。1965年の映画館名簿では「天神シネマ」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
1945年12月28日、福岡市に「西日本映劇」が開館し、1951年9月13日には「ブロードウェイ」に改称した。1959年3月30日に閉館した。1950年の西日本映劇の写真あり。『アリゾナの決闘』の看板、「アメリカ映画封切 西日本映画劇場」の文字が見える。*14
福岡市では4館の映画館が戦災で焼け残ったが、戦後の1945年12月23日、福岡市の西鉄高宮駅前に「高宮映劇」が開館した。12月27日には被災した日活直営館「博多日活劇場」が営業を再開し、12月28日には旧九州日報の社屋跡地に西日本新聞が関与した東宝封切館「西日本映劇」が開館した。さらに12月28日には片土居町に松竹直営館「第一平和館」が開館し、12月31日には新柳町に「朝日館」が再建された。1952年のブロードウェイ映劇の写真あり。1995年現在の第一平和館の跡地は西日本銀行博多支店である。*15
開館年 : 1945年12月28日
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1920年12月開館(※正しくは昭和20年12月と思われる)。1947年・1950年の映画館名簿では「西日本映画劇場」。1953年の映画館名簿では「ブロードウェイ劇場」。1955年の映画館名簿では「ブロード・ウェイ劇場」。1958年の映画館名簿では「ブロードウェイ劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「天神東宝」。1965年の映画館名簿では「天神シネマ」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
1945年12月28日、福岡市に「西日本映劇」が開館し、1951年9月13日には「ブロードウェイ」に改称した。1959年3月30日に閉館した。1950年の西日本映劇の写真あり。『アリゾナの決闘』の看板、「アメリカ映画封切 西日本映画劇場」の文字が見える。*14
福岡市では4館の映画館が戦災で焼け残ったが、戦後の1945年12月23日、福岡市の西鉄高宮駅前に「高宮映劇」が開館した。12月27日には被災した日活直営館「博多日活劇場」が営業を再開し、12月28日には旧九州日報の社屋跡地に西日本新聞が関与した東宝封切館「西日本映劇」が開館した。さらに12月28日には片土居町に松竹直営館「第一平和館」が開館し、12月31日には新柳町に「朝日館」が再建された。1952年のブロードウェイ映劇の写真あり。1995年現在の第一平和館の跡地は西日本銀行博多支店である。*15
所在地 : 福岡県福岡市春吉新屋(1950年)、福岡県福岡市春吉三光町(1953年・1955年・1958年)、福岡県福岡市春吉三光町350(1960年)、福岡県福岡市春吉三光町(1963年)、福岡県福岡市渡辺通5丁目16街区8(1966年)
開館年 : 1945年7月17日
閉館年 : 1966年5月3日
『全国映画館総覧 1955』によると1945年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「新演伎座」。1953年の映画館名簿では「博多新演伎座」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新演伎座」。1966年の映画館名簿では「福岡演伎座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エフ・パルクグランドマーク天神」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線天神南駅。
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*16
1946年7月17日、福岡市に「日新映劇」が開館し、1948年1月1日には「博多新演伎座」が開館した。1966年5月3日に閉館した。*17
開館年 : 1945年7月17日
閉館年 : 1966年5月3日
『全国映画館総覧 1955』によると1945年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「新演伎座」。1953年の映画館名簿では「博多新演伎座」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新演伎座」。1966年の映画館名簿では「福岡演伎座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エフ・パルクグランドマーク天神」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線天神南駅。
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*16
1946年7月17日、福岡市に「日新映劇」が開館し、1948年1月1日には「博多新演伎座」が開館した。1966年5月3日に閉館した。*17
所在地 : 福岡県福岡市黒金町67(1957年・1958年・1960年)、福岡県福岡市黒金町(1963年)、福岡県福岡市黒金町67(1966年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1966年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「平尾文化映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「平尾東映」。1965年の住宅地図では「平尾東映」。1966年の映画館名簿では「平尾東映劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ビバーン平尾」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄平尾駅。
1957年12月16日午前1時過ぎ、福岡市黒金町の「平尾東映」スクリーン付近から出火し、木造2階建80坪の建物が全焼した。*18
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*19
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1966年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「平尾文化映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「平尾東映」。1965年の住宅地図では「平尾東映」。1966年の映画館名簿では「平尾東映劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ビバーン平尾」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄平尾駅。
1957年12月16日午前1時過ぎ、福岡市黒金町の「平尾東映」スクリーン付近から出火し、木造2階建80坪の建物が全焼した。*18
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*19
所在地 : 福岡県福岡市六本松597-1(1955年)、福岡県福岡市六本松579-1(1960年)、福岡県福岡市六本松597(1963年)、福岡県福岡市六本松579-1(1966年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「第一映劇」。1960年の映画館名簿では「六本松第一」。1963年の映画館名簿では「六本松第一映劇」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年・1967年の映画館名簿では「六本松第一映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「第一映劇」。1960年の映画館名簿では「六本松第一」。1963年の映画館名簿では「六本松第一映劇」。1965年の住宅詳細図では発見できず。1966年・1967年の映画館名簿では「六本松第一映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。
所在地 : 福岡県福岡市東湊町又32(1956年・1957年・1958年)、福岡県福岡市東湊町(1960年・1963年)、福岡県福岡市東湊町2-7-2(1966年・1968年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「すのこ東映」。1957年・1958年の映画館名簿では「すのこ東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「すのこ東映」。1965年の住宅地図では「すのこ東映」。1966年・1968年の映画館名簿では「すのこ東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「インシェイプ大濠」建物北側。最寄駅は福岡市地下鉄空港線大濠公園駅。
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「すのこ東映」。1957年・1958年の映画館名簿では「すのこ東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「すのこ東映」。1965年の住宅地図では「すのこ東映」。1966年・1968年の映画館名簿では「すのこ東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「インシェイプ大濠」建物北側。最寄駅は福岡市地下鉄空港線大濠公園駅。
所在地 : 福岡県福岡市新柳町大門通(1950年)、福岡県福岡市大門通1627(1953年)、福岡県福岡市大門通3丁目(1958年)、福岡県福岡市大門通(1960年)、福岡県福岡市清川町1丁目4街区9号(1963年)、福岡県福岡市清川町1丁目4街区9(1966年)、福岡県福岡市清川1-4街区9(1969年・1970年)
開館年 : 1946年5月8日、1955年9月7日(建て替え)
閉館年 : 1970年3月31日
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「福岡劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ゆには映劇」。1965年の住宅詳細図では「ゆには会館 3階ゆには劇場」。1966年の映画館名簿では「福岡ゆには映画劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「福岡ゆには劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に「ゆには会館」。跡地はマンション「ロイヤル渡辺通り」建物北西部。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1946年5月8日、福岡市に「福岡劇場」が開館した。1956年12月15日には「ゆには映劇」に改称し、1970年3月31日に閉館した。*20
1955年9月7日、福岡市新柳町のゆにはビル3・4・5階に「福岡劇場」が開館した。同日には八千草薫、河内桃子、宝田明などの東宝スターらが出席した。定員は1200人であり、階上770人、階下430人。冷暖房やシネスコ設備を有し、スクリーンは縦18尺×横45尺。エスカレーターもある。系統は東宝と洋画。経営者は飯尾嘉章。総工費2億円。*21
開館年 : 1946年5月8日、1955年9月7日(建て替え)
閉館年 : 1970年3月31日
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「福岡劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ゆには映劇」。1965年の住宅詳細図では「ゆには会館 3階ゆには劇場」。1966年の映画館名簿では「福岡ゆには映画劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「福岡ゆには劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に「ゆには会館」。跡地はマンション「ロイヤル渡辺通り」建物北西部。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1946年5月8日、福岡市に「福岡劇場」が開館した。1956年12月15日には「ゆには映劇」に改称し、1970年3月31日に閉館した。*20
1955年9月7日、福岡市新柳町のゆにはビル3・4・5階に「福岡劇場」が開館した。同日には八千草薫、河内桃子、宝田明などの東宝スターらが出席した。定員は1200人であり、階上770人、階下430人。冷暖房やシネスコ設備を有し、スクリーンは縦18尺×横45尺。エスカレーターもある。系統は東宝と洋画。経営者は飯尾嘉章。総工費2億円。*21
所在地 : 福岡県福岡市草ケ江町81-4(1959年)、福岡県福岡市草ケ江町81(1960年)、福岡県福岡市草ケ江町(1963年)、福岡県福岡市草香江2-2-12(1966年・1969年・1970年)、福岡県福岡市草香江2-2-13(1971年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1971年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「別府東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「六本松東映」。1965年の住宅詳細図では「六本松東映」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「六本松東映劇場」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「グランドメゾン草香江テラス」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線六本松駅。
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*22
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1971年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「別府東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「六本松東映」。1965年の住宅詳細図では「六本松東映」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「六本松東映劇場」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「グランドメゾン草香江テラス」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線六本松駅。
1963年6月29日夜から30日にかけて、福岡市は集中豪雨に見舞われた。「野間東映」、「平尾東映」、「六本松東映」、「姪浜東映」、「演伎座」などが、浸水のために30日の営業を全休または半休した。*22
所在地 : 福岡県福岡市天神町(1955年)、福岡県福岡市天神25(1960年・1963年)、福岡県福岡市天神2-8(1966年・1969年)、福岡県福岡市中央区天神2-8(1973年)
開館年 : 1955年4月1日
閉館年 : 1973年6月10日
『全国映画館総覧 1955』によると1954年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「朝日会館」。1960年の映画館名簿では「TA朝日会館」。1963年の映画館名簿では「朝日会館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「福岡朝日会館」。1973年の住宅地図では「朝日会館ビル 3階福岡朝日会館(劇場)」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1976年竣工で「佐賀銀行福岡支店」などが入る「福岡朝日会館」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1955年3月25日、福岡市に「福岡朝日会館ビル」が開館した。朝日ビル社長の村山富士子、朝日新聞取締役会長の村山長挙、福岡市長の小西春雄らが出席した。4月1日にRKO映画『ピーター・パン』で上映を開始する。*23
1955年のこのほど、福岡市天神町に「福岡朝日会館」が開館した。京都・大阪・神戸・名古屋に次ぐ朝日会館である。ホールは主として洋画ロードショウや朝日新聞社主催の文化的催しに用いられる。5月14日からはシンフォニイ・オブ・ジ・エアの演奏会が開催される。*24
1955年4月1日、福岡市に「朝日会館」が開館した。1973年6月10日に閉館した。*25
1955年4月1日、福岡市天神の証券取引所ビル前に「朝日会館」が開館した。8階建ビルの3階から6階までが定員1034人の洋画封切館となった。オープニングはディズニー映画『ピーター・パン』と『熊の楽園』。*26
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。朝日会館には「福岡朝日会館」の文字が見える。*27
開館年 : 1955年4月1日
閉館年 : 1973年6月10日
『全国映画館総覧 1955』によると1954年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「朝日会館」。1960年の映画館名簿では「TA朝日会館」。1963年の映画館名簿では「朝日会館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「福岡朝日会館」。1973年の住宅地図では「朝日会館ビル 3階福岡朝日会館(劇場)」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1976年竣工で「佐賀銀行福岡支店」などが入る「福岡朝日会館」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1955年3月25日、福岡市に「福岡朝日会館ビル」が開館した。朝日ビル社長の村山富士子、朝日新聞取締役会長の村山長挙、福岡市長の小西春雄らが出席した。4月1日にRKO映画『ピーター・パン』で上映を開始する。*23
1955年のこのほど、福岡市天神町に「福岡朝日会館」が開館した。京都・大阪・神戸・名古屋に次ぐ朝日会館である。ホールは主として洋画ロードショウや朝日新聞社主催の文化的催しに用いられる。5月14日からはシンフォニイ・オブ・ジ・エアの演奏会が開催される。*24
1955年4月1日、福岡市に「朝日会館」が開館した。1973年6月10日に閉館した。*25
1955年4月1日、福岡市天神の証券取引所ビル前に「朝日会館」が開館した。8階建ビルの3階から6階までが定員1034人の洋画封切館となった。オープニングはディズニー映画『ピーター・パン』と『熊の楽園』。*26
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。朝日会館には「福岡朝日会館」の文字が見える。*27
所在地 : 福岡県福岡市渡辺通1-2(1958年)、福岡県福岡市渡辺通1丁目2(1960年)、福岡県福岡市渡辺通1丁目(1963年)、福岡県福岡市高砂1-1街区23(1966年・1969年)、福岡県福岡市中央区高砂1-1-23(1973年・1975年・1978年・1979年)
開館年 : 1955年12月29日
閉館年 : 1979年10月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「福岡みなみ東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「みなみ東映」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「福岡みなみ東映劇場」。1973年の住宅地図では「みなみ東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。福岡市における東映の直営2号館。後のキャバレー・ミナミ。跡地は「福岡東映ホテル」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1955年7月には福岡市東中洲に東映直営館の「福岡東映」が開館した。12月29日には渡辺通りに「福岡みなみ東映」が開館し、福岡市における東映の直営封切館が2館となった。福岡南東映は鉄骨鉄筋造、地上3階・地下1階建て、建坪160坪、総坪数311坪、定員800人。*28
1955年12月29日、福岡市に「福岡みなみ東映」が開館した。1979年10月に閉館した。*29
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。みなみ東映には「毎週(土)オールナイト」の文字が見え、『新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬』や『俺達に墓はない』の看板が見える。*30
1979年には福岡市の「みなみ東映」が閉館し、1981年には「サンハクト劇場」が閉館し、1983年には「多門日活劇場」や「富士映劇」が閉館した。*31
開館年 : 1955年12月29日
閉館年 : 1979年10月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「福岡みなみ東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「みなみ東映」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「福岡みなみ東映劇場」。1973年の住宅地図では「みなみ東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。福岡市における東映の直営2号館。後のキャバレー・ミナミ。跡地は「福岡東映ホテル」。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線渡辺通駅。
1955年7月には福岡市東中洲に東映直営館の「福岡東映」が開館した。12月29日には渡辺通りに「福岡みなみ東映」が開館し、福岡市における東映の直営封切館が2館となった。福岡南東映は鉄骨鉄筋造、地上3階・地下1階建て、建坪160坪、総坪数311坪、定員800人。*28
1955年12月29日、福岡市に「福岡みなみ東映」が開館した。1979年10月に閉館した。*29
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。みなみ東映には「毎週(土)オールナイト」の文字が見え、『新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬』や『俺達に墓はない』の看板が見える。*30
1979年には福岡市の「みなみ東映」が閉館し、1981年には「サンハクト劇場」が閉館し、1983年には「多門日活劇場」や「富士映劇」が閉館した。*31
所在地 : 福岡県福岡市雁林町25(1959年・1960年)、福岡県福岡市雁林町(1963年)、福岡県福岡市赤坂1-5-23(1966年・1969年)、福岡県福岡市中央区赤坂1-5-23(1973年・1975年・1978年・1980年・1982年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1982年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「赤坂東映」。1960年の映画館名簿では「赤坂日活」。1963年の映画館名簿では「赤坂日活映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「赤坂劇場」。1973年・1975年の映画館名簿では「福岡赤坂映画劇場」。1973年の住宅地図では「赤坂劇場」。1978年・1980年の映画館名簿では「福岡赤坂映劇」。1982年の映画館名簿では「福岡赤坂劇場」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プリンシピオ赤坂」。最寄駅は福岡市地下鉄空港線赤坂駅。
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。*32
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1982年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「赤坂東映」。1960年の映画館名簿では「赤坂日活」。1963年の映画館名簿では「赤坂日活映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「赤坂劇場」。1973年・1975年の映画館名簿では「福岡赤坂映画劇場」。1973年の住宅地図では「赤坂劇場」。1978年・1980年の映画館名簿では「福岡赤坂映劇」。1982年の映画館名簿では「福岡赤坂劇場」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プリンシピオ赤坂」。最寄駅は福岡市地下鉄空港線赤坂駅。
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。*32
所在地 : 福岡県福岡市下名島町10(1956年・1958年・1960年・1963年)、福岡県福岡市中央区天神2-13-18(1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1983年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1983年10月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年の映画館名簿では「天神映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「天神映劇」。1966年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では「天神映劇」。1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「福岡天神映劇」。1979年の住宅地図では「山種証券 天神映劇」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1984年竣工の「天神ホワイトビル」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1983年10月、福岡市の洋画再映館「天神映劇」が閉館した。福岡市興行協会には未加盟だった。*33
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1983年10月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年の映画館名簿では「天神映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「天神映劇」。1966年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では「天神映劇」。1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「福岡天神映劇」。1979年の住宅地図では「山種証券 天神映劇」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1984年竣工の「天神ホワイトビル」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1983年10月、福岡市の洋画再映館「天神映劇」が閉館した。福岡市興行協会には未加盟だった。*33
所在地 : 福岡県福岡市下名島町(1963年)、福岡県福岡市天神3-5-5(1966年・1969年)、福岡県福岡市中央区天神3-5-5(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1984年12月
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「中央映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「天神中央映画劇場」。1973年の映画館名簿では「福岡天神中央映画劇場」。1973年・1979年の住宅地図では「中央映劇」。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「福岡天神中央映劇」。1985年の映画館名簿では「福岡天神中央劇場」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルマイステイズ福岡天神」建物東部。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1984年12月、福岡市の邦画再映館「天神中央映劇」が閉館した。福岡市興行協会には未加盟だった。*34
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1984年12月
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「中央映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「天神中央映画劇場」。1973年の映画館名簿では「福岡天神中央映画劇場」。1973年・1979年の住宅地図では「中央映劇」。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「福岡天神中央映劇」。1985年の映画館名簿では「福岡天神中央劇場」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルマイステイズ福岡天神」建物東部。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1984年12月、福岡市の邦画再映館「天神中央映劇」が閉館した。福岡市興行協会には未加盟だった。*34
所在地 : 福岡県福岡市法印田952(1958年)、福岡県福岡市法印田9526(1960年)、福岡県福岡市法印田952(1963年)、福岡県福岡市天神2-2(1966年・1969年)、福岡県福岡市中央区天神2-2(1973年)、福岡県福岡市中央区天神2-2-43(1975年・1978年・1980年・1982年・1985年)
開館年 : 1956年4月11日
閉館年 : 1987年5月5日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「センター・シネマ」。1960年・1963年の映画館名簿では「センターシネマ」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1985年の映画館名簿では「福岡センターシネマ」。1982年の映画館名簿では経営会社が福岡スポーツセンター、経営者が高橋文一、支配人が平島博美、鉄筋造1階、320席、洋画特選を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。福岡スポーツセンター内。跡地は「ソラリアプラザ」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1956年、福岡スポーツセンターの一角に「センターシネマ」が開館した。アイススケート場の後にセンターシネマで映画を観るのが若者のデートコースとなった。1987年4月にはセンターシネマが閉館した。2000年現在の跡地にはソラリアプラザが建ち、3スクリーンの「ソラリアシネマ」が営業している。*35
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。センターシネマには『大脱走』の看板が見える。*36
1987年には福岡市の「センターシネマ」、「てあとる西新」が閉館した。*37
1987年5月5日をもって、福岡市の「センターシネマ」が閉館した。2003年現在のソラリアプラザの場所にあり、洋画主体の映画館だった。*38
開館年 : 1956年4月11日
閉館年 : 1987年5月5日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「センター・シネマ」。1960年・1963年の映画館名簿では「センターシネマ」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1985年の映画館名簿では「福岡センターシネマ」。1982年の映画館名簿では経営会社が福岡スポーツセンター、経営者が高橋文一、支配人が平島博美、鉄筋造1階、320席、洋画特選を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。福岡スポーツセンター内。跡地は「ソラリアプラザ」。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1956年、福岡スポーツセンターの一角に「センターシネマ」が開館した。アイススケート場の後にセンターシネマで映画を観るのが若者のデートコースとなった。1987年4月にはセンターシネマが閉館した。2000年現在の跡地にはソラリアプラザが建ち、3スクリーンの「ソラリアシネマ」が営業している。*35
福岡市にあった映画館「朝日会館」、「センターシネマ」、「みなみ東映」、「赤坂劇場」の写真あり。センターシネマには『大脱走』の看板が見える。*36
1987年には福岡市の「センターシネマ」、「てあとる西新」が閉館した。*37
1987年5月5日をもって、福岡市の「センターシネマ」が閉館した。2003年現在のソラリアプラザの場所にあり、洋画主体の映画館だった。*38
所在地 : 福岡県福岡市中央区天神3-3-7(1980年・1985年・1986年・1988年・1989年)
開館年 : 1978年12月
閉館年 : 1989年頃
1978年の映画館名簿には掲載されていない。1979年の住宅地図では「応順ビル 福岡にっかつ劇場」。1980年・1985年・1986年・1988年の映画館名簿では「福岡にっかつ劇場」。1988年の映画館名簿では経営会社がにっかつ興業、経営者が若松正雄、支配人が宇野正志、鉄筋造4階、170席、にっかつを上映。1989年の映画館名簿では「ロッポニカ天神」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。映画館が入っていた「天神応順ビル」は現存。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅。
にっかつの直営劇場の動きを見ると、1978年7月に「黒崎にっかつ」と「郡山にっかつ」が開館し、12月に「福岡にっかつ」が開館し、1979年2月に「尼日栄にっかつ」が開館し、2月に「山形にっかつ」が閉館し、6月に「千葉にっかつ」が開館した。*39
1978年には福岡市に「天神にっかつ劇場」が開館した。*40
開館年 : 1978年12月
閉館年 : 1989年頃
1978年の映画館名簿には掲載されていない。1979年の住宅地図では「応順ビル 福岡にっかつ劇場」。1980年・1985年・1986年・1988年の映画館名簿では「福岡にっかつ劇場」。1988年の映画館名簿では経営会社がにっかつ興業、経営者が若松正雄、支配人が宇野正志、鉄筋造4階、170席、にっかつを上映。1989年の映画館名簿では「ロッポニカ天神」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。映画館が入っていた「天神応順ビル」は現存。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅。
にっかつの直営劇場の動きを見ると、1978年7月に「黒崎にっかつ」と「郡山にっかつ」が開館し、12月に「福岡にっかつ」が開館し、1979年2月に「尼日栄にっかつ」が開館し、2月に「山形にっかつ」が閉館し、6月に「千葉にっかつ」が開館した。*39
1978年には福岡市に「天神にっかつ劇場」が開館した。*40
所在地 : 福岡県福岡市中央区天神2-4-24(1989年・1990年)
開館年 : 1989年
閉館年 : 1991年頃
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1991年の映画館名簿では「天神キノ1・2」(2館)。1990年の住宅地図では「C CLUB 3階 KNHO1 KNHO2」。1991年の映画館名簿では経営者が記載なし、支配人が上野広幸、鉄筋造3階、1が72席、2が25席、いずれも洋画を上映。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業ビル「天神プラッサ」東20mにある「ラブレス天神旧店舗」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅。
1989年には福岡市に「ソラリアシネマ1・2・3」、「キノ1・2」が開館した。*41
開館年 : 1989年
閉館年 : 1991年頃
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1991年の映画館名簿では「天神キノ1・2」(2館)。1990年の住宅地図では「C CLUB 3階 KNHO1 KNHO2」。1991年の映画館名簿では経営者が記載なし、支配人が上野広幸、鉄筋造3階、1が72席、2が25席、いずれも洋画を上映。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業ビル「天神プラッサ」東20mにある「ラブレス天神旧店舗」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅。
1989年には福岡市に「ソラリアシネマ1・2・3」、「キノ1・2」が開館した。*41
所在地 : 福岡県福岡市中央区長浜1-1-34(1989年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1988年6月
閉館年 : 1998年4月30日
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「KBCシネマ北天神」。1989年の映画館名簿では経営者がKBC開発センター、経営者が園田健夫、支配人が清島卓、鉄筋造1階、80席、洋画を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。KBCビル1階。後継館はKBCシネマ1・2。建物のKBCビルは現存。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1988年には福岡市に「シネテリエ天神」と「KBCシネマ」が開館した。*42
1998年4月末をもって、福岡市中央区長浜の映画館「KBCシネマ北天神」が閉館する。入居するビルの再開発が理由。1988年6月、九州朝日放送の旧社屋1階に80席1スクリーンのミニシアターとして開館した。主な上映作品はヨーロッパ映画であり、10年間で約40万人を集客した。なお、同年4月5日には松竹直営館「福岡松竹」「福岡ピカデリー」も閉館する。*43
KBCシネマ北天神に言及している雑誌記事として、松浦仁「福岡松竹、ピカデリーとKBCシネマ北天神の開館」『博多のうわさ』1998年6月号、64巻6号がある。現物は未確認。*44
開館年 : 1988年6月
閉館年 : 1998年4月30日
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「KBCシネマ北天神」。1989年の映画館名簿では経営者がKBC開発センター、経営者が園田健夫、支配人が清島卓、鉄筋造1階、80席、洋画を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。KBCビル1階。後継館はKBCシネマ1・2。建物のKBCビルは現存。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1988年には福岡市に「シネテリエ天神」と「KBCシネマ」が開館した。*42
1998年4月末をもって、福岡市中央区長浜の映画館「KBCシネマ北天神」が閉館する。入居するビルの再開発が理由。1988年6月、九州朝日放送の旧社屋1階に80席1スクリーンのミニシアターとして開館した。主な上映作品はヨーロッパ映画であり、10年間で約40万人を集客した。なお、同年4月5日には松竹直営館「福岡松竹」「福岡ピカデリー」も閉館する。*43
KBCシネマ北天神に言及している雑誌記事として、松浦仁「福岡松竹、ピカデリーとKBCシネマ北天神の開館」『博多のうわさ』1998年6月号、64巻6号がある。現物は未確認。*44
所在地 : 福岡県福岡市中央区天神3-6-18(1985年・1988年)、福岡県福岡市中央区天神3(1992年)、福岡県福岡市中央区天神3-6-18(1995年・2000年・2005年・2008年・2010年)
開館年 : 1983年
閉館年 : 2010年10月29日
Wikipedia : シネテリエ天神
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「天神中央ホール」。1986年・1988年の映画館名簿では「てあとるTENJIN」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1992年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「シネテリエ天神」。2010年の映画館名簿では「天神シネマ」。映画館が入っていた馬場ビルは「少林寺」北西40mに現存。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1988年には福岡市に「シネテリエ天神」と「KBCシネマ」が開館した。*45
2010年10月29日をもって、福岡市中央区天神の親富孝通りにある映画館「天神シネマ」が閉館する。60席1スクリーン。前身の「シネテリエ天神」は九州におけるミニシアターの草分け的存在だったが、2009年10月に天神シネマに改称して成人映画専門館となった。毎週水曜日18時以降を女性とカップルのみの入場とするなどの工夫も行っていた。1980年代初頭に開館し、1988年に有楽興行の経営となってシネテリエ天神に改称した。*46
シネテリエ天神に言及している雑誌記事として、松浦仁「シネテリエ天神の閉館に思うこと」『博多のうわさ』2009年11月号、75巻11号がある。現物は未確認。*47
開館年 : 1983年
閉館年 : 2010年10月29日
Wikipedia : シネテリエ天神
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「天神中央ホール」。1986年・1988年の映画館名簿では「てあとるTENJIN」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1992年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「シネテリエ天神」。2010年の映画館名簿では「天神シネマ」。映画館が入っていた馬場ビルは「少林寺」北西40mに現存。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1988年には福岡市に「シネテリエ天神」と「KBCシネマ」が開館した。*45
2010年10月29日をもって、福岡市中央区天神の親富孝通りにある映画館「天神シネマ」が閉館する。60席1スクリーン。前身の「シネテリエ天神」は九州におけるミニシアターの草分け的存在だったが、2009年10月に天神シネマに改称して成人映画専門館となった。毎週水曜日18時以降を女性とカップルのみの入場とするなどの工夫も行っていた。1980年代初頭に開館し、1988年に有楽興行の経営となってシネテリエ天神に改称した。*46
シネテリエ天神に言及している雑誌記事として、松浦仁「シネテリエ天神の閉館に思うこと」『博多のうわさ』2009年11月号、75巻11号がある。現物は未確認。*47
所在地 : 福岡県福岡市中央区地行浜2-2-1 ホークスタウン2階(2005年・2010年)、福岡県福岡市中央区地行浜2-2-1 ホークスタウンモール1 2階(2015年)
開館年 : 2000年4月26日
閉館年 : 2016年3月31日
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡No.1-No.10」(10館)。2015年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡1-10」(10館)。後継施設はユナイテッド・シネマ福岡ももち。最寄駅は福岡市地下鉄空港線唐人町駅。
2000年4月26日、福岡市中央区地行浜2-2-1 ホークスタウン2階に「ユナイテッド・シネマ福岡」が開館した。10スクリーンを有する。*48
開館年 : 2000年4月26日
閉館年 : 2016年3月31日
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡No.1-No.10」(10館)。2015年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡1-10」(10館)。後継施設はユナイテッド・シネマ福岡ももち。最寄駅は福岡市地下鉄空港線唐人町駅。
2000年4月26日、福岡市中央区地行浜2-2-1 ホークスタウン2階に「ユナイテッド・シネマ福岡」が開館した。10スクリーンを有する。*48
所在地 : 福岡県福岡市中央区天神2-6-27(2000年・2005年・2010年)、福岡県福岡市中央区天神2-6-27 天神東宝ビル(2015年)
開館年 : 1997年3月15日(天神東宝)、2012年1月21日(TOHOシネマズ天神)
閉館年 : 2017年3月31日
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「天神東宝スクリーンNo.1-No.6」(6館)。2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神本館1-6」(6館)。2020年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1995年9月6日、東宝は福岡市に天神東宝ビルを建設することを発表した。地下1階・地上8階建て。1997年春開館予定。3階から8階に6館の映画館が入る予定。*49
1997年3月15日、福岡市の天神に東宝が経営する「天神東宝ビル」の開館を前にして女優の水野美紀らがテープカットを行った。東宝の石田敏彦社長は記者会見で、3年ほど前から天神への移転を検討していたと語った。地上8階・地下1階建。東宝系6館が入り、3階・5階・7階に2スクリーンずつある。座席数は73席から406席までさまざまである。毎週金曜日には洋画を中心に深夜上映を行う。3月16日には『ドラえもん』に出演する大山のぶ代などが舞台挨拶を行う。*50
1997年3月15日、福岡市中央区天神に東宝が経営する「天神東宝ビル」が開館した。博多区中洲にある東宝系の「福岡宝塚会館」(5館)が、スクリーン数を6館に増やして天神に移転する形となる。天神東宝は午前9時の『ドラえもん』で幕を開け、母親や幼児らの行列ができた。1996年春には博多区住吉のキャナルシティ博多に国内最大のシネコンが開館したばかりであり、福岡市の映画館地図がまた塗り替わった。天神の映画館は11館、中洲は11館、住吉は13館と、福岡市に計39館ある映画館の立地は3極化している。*51
1997年3月15日、福岡市に天神東宝ビルが開業した。地上8階・地下1階建て。3階に406席と73席の2館、5階に336席と134席の2館、7階に313席と134席の2館、計6館を有する。経営は東宝九州興行。*52
2017年3月末をもって、福岡市中央区天神2丁目にある映画館「TOHOシネマズ天神本館」が閉館する。東宝が天神東宝ビルの建て替えを行うため。1997年に6スクリーン約1000席の映画館として開館した。2012年には近くのソラリアシネマをソラリア館として引き継ぎ、計9スクリーンの都市型シネコンとなった。多い時期には一日数千人の観客を集め、現在上映中の『君の名は。』も連日満席となっている。*53
2017年3月末をもって、福岡市の天神にある映画館「TOHOシネマズ天神 本館」が閉館する。東宝が天神東宝ビルの建て替えを検討しているため。1997年3月に「天神東宝」として開館し、2012年1月に近くのソラリアプラザの映画館を引き継いだ際に「TOHOシネマズ天神 本館」に改称した。「TOHOシネマズ天神 ソラリア館」の営業は継続する。*54
開館年 : 1997年3月15日(天神東宝)、2012年1月21日(TOHOシネマズ天神)
閉館年 : 2017年3月31日
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「天神東宝スクリーンNo.1-No.6」(6館)。2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神本館1-6」(6館)。2020年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1995年9月6日、東宝は福岡市に天神東宝ビルを建設することを発表した。地下1階・地上8階建て。1997年春開館予定。3階から8階に6館の映画館が入る予定。*49
1997年3月15日、福岡市の天神に東宝が経営する「天神東宝ビル」の開館を前にして女優の水野美紀らがテープカットを行った。東宝の石田敏彦社長は記者会見で、3年ほど前から天神への移転を検討していたと語った。地上8階・地下1階建。東宝系6館が入り、3階・5階・7階に2スクリーンずつある。座席数は73席から406席までさまざまである。毎週金曜日には洋画を中心に深夜上映を行う。3月16日には『ドラえもん』に出演する大山のぶ代などが舞台挨拶を行う。*50
1997年3月15日、福岡市中央区天神に東宝が経営する「天神東宝ビル」が開館した。博多区中洲にある東宝系の「福岡宝塚会館」(5館)が、スクリーン数を6館に増やして天神に移転する形となる。天神東宝は午前9時の『ドラえもん』で幕を開け、母親や幼児らの行列ができた。1996年春には博多区住吉のキャナルシティ博多に国内最大のシネコンが開館したばかりであり、福岡市の映画館地図がまた塗り替わった。天神の映画館は11館、中洲は11館、住吉は13館と、福岡市に計39館ある映画館の立地は3極化している。*51
1997年3月15日、福岡市に天神東宝ビルが開業した。地上8階・地下1階建て。3階に406席と73席の2館、5階に336席と134席の2館、7階に313席と134席の2館、計6館を有する。経営は東宝九州興行。*52
2017年3月末をもって、福岡市中央区天神2丁目にある映画館「TOHOシネマズ天神本館」が閉館する。東宝が天神東宝ビルの建て替えを行うため。1997年に6スクリーン約1000席の映画館として開館した。2012年には近くのソラリアシネマをソラリア館として引き継ぎ、計9スクリーンの都市型シネコンとなった。多い時期には一日数千人の観客を集め、現在上映中の『君の名は。』も連日満席となっている。*53
2017年3月末をもって、福岡市の天神にある映画館「TOHOシネマズ天神 本館」が閉館する。東宝が天神東宝ビルの建て替えを検討しているため。1997年3月に「天神東宝」として開館し、2012年1月に近くのソラリアプラザの映画館を引き継いだ際に「TOHOシネマズ天神 本館」に改称した。「TOHOシネマズ天神 ソラリア館」の営業は継続する。*54
所在地 : 福岡県福岡市中央区天神2-2-43(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)、福岡県福岡市中央区天神2-2-43 ソラリアプラザ7階(2015年・2020年)
開館年 : 1989年3月24日(ソラリアシネマ)、2012年1月21日(TOHOシネマズソラリア館)
閉館年 : 2011年11月30日(ソラリアシネマ)、営業中
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ソラリアシネマ1・2・3」(3館)。2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神ソラリア館7・8・9」(3館)。2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神 ソラリア館1-3」(3館)。建物名はソラリアプラザ。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1989年には福岡市に「ソラリアシネマ1・2・3」、「キノ1・2」が開館した。ソラリシネマは天神ソラリアプラザ7階にあった映画館であり、再開発に伴って1987年に閉館した「センターシネマ」が生まれ変わったものである。*55
2011年11月限りで、福岡市天神の映画館「ソラリアシネマ」が閉館する。名画のリバイバル上映、個性的な小作品の上映などに定評があった。1989年3月、3スクリーンを有する東宝系洋画封切館としてソラリアプラザに開館した。ピークの1994年には年間44万3000人を集めたが、1996年にはキャナルシティ博多に国内最大級のシネコンが開館して競争が激化した。2009年には東宝との契約を解消し、自館で選定した作品を上映する単館系映画館に転換した。しかし、2010年には年間約20万人に減少していた。2010年10月には天神の成人映画館「天神シネマ」(旧シネテリエ天神)が閉館し、2011年5月には「シネ・リーブル博多駅」も閉館した。ソラリアシネマの閉館によって福岡市の単館系ミニシアターは「KBCシネマ」のみとなる。*56
2011年11月30日、福岡市天神の映画館「ソラリアシネマ」が閉館した。アート性の高い作品を上映していた。1989年に開館し、かつては年間入場者数が40万人を超えたこともあったが、2010年にはピーク時の約4分の1にとどまっていた。11月23日からの一週間は前週の倍近くの入場者を集めた。11月30日の最終日には『Shall We Dance?』など5作品を再上映した。東宝グループが経営を引き継ぐ見通しである。*57
2012年1月21日、福岡市中央区天神に東宝による映画館「TOHOシネマズ天神 ソラリア館」が開館した。西日本鉄道が2011年秋まで営業していた「ソラリアシネマ」を改修・改称した。近くの「天神東宝」は「TOHOシネマズ天神 本館」に改称し、2施設で計9スクリーン1473席を持つ天神地区初のシネコンとなった。ソラリア館のオープニング作品は『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』など。*58
開館年 : 1989年3月24日(ソラリアシネマ)、2012年1月21日(TOHOシネマズソラリア館)
閉館年 : 2011年11月30日(ソラリアシネマ)、営業中
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ソラリアシネマ1・2・3」(3館)。2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神ソラリア館7・8・9」(3館)。2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ天神 ソラリア館1-3」(3館)。建物名はソラリアプラザ。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1989年には福岡市に「ソラリアシネマ1・2・3」、「キノ1・2」が開館した。ソラリシネマは天神ソラリアプラザ7階にあった映画館であり、再開発に伴って1987年に閉館した「センターシネマ」が生まれ変わったものである。*55
2011年11月限りで、福岡市天神の映画館「ソラリアシネマ」が閉館する。名画のリバイバル上映、個性的な小作品の上映などに定評があった。1989年3月、3スクリーンを有する東宝系洋画封切館としてソラリアプラザに開館した。ピークの1994年には年間44万3000人を集めたが、1996年にはキャナルシティ博多に国内最大級のシネコンが開館して競争が激化した。2009年には東宝との契約を解消し、自館で選定した作品を上映する単館系映画館に転換した。しかし、2010年には年間約20万人に減少していた。2010年10月には天神の成人映画館「天神シネマ」(旧シネテリエ天神)が閉館し、2011年5月には「シネ・リーブル博多駅」も閉館した。ソラリアシネマの閉館によって福岡市の単館系ミニシアターは「KBCシネマ」のみとなる。*56
2011年11月30日、福岡市天神の映画館「ソラリアシネマ」が閉館した。アート性の高い作品を上映していた。1989年に開館し、かつては年間入場者数が40万人を超えたこともあったが、2010年にはピーク時の約4分の1にとどまっていた。11月23日からの一週間は前週の倍近くの入場者を集めた。11月30日の最終日には『Shall We Dance?』など5作品を再上映した。東宝グループが経営を引き継ぐ見通しである。*57
2012年1月21日、福岡市中央区天神に東宝による映画館「TOHOシネマズ天神 ソラリア館」が開館した。西日本鉄道が2011年秋まで営業していた「ソラリアシネマ」を改修・改称した。近くの「天神東宝」は「TOHOシネマズ天神 本館」に改称し、2施設で計9スクリーン1473席を持つ天神地区初のシネコンとなった。ソラリア館のオープニング作品は『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』など。*58
所在地 : 福岡県福岡市中央区那之津1-3-25(2000年・2005年)、福岡県福岡市中央区那の津1-3-21(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1998年12月
閉館年 : 営業中
前身館はKBCシネマ北天神。2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「KBCシネマ1・2」(2館)。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1999年12月5日、福岡市中央区那之津1丁目の映画館「KBCシネマ」が開館1周年を迎える。12月4日と5日には入場料が一律1000円となる。1998年5月、近くにあった「KBCシネマ北天神」が10年の歴史に幕を閉じて閉館した。再開を求めるファンの声を受け、現在地に1998年12月5日にKBCシネマが開館した。この1年間で80本以上の作品を上映した。*59
福岡県は人口1人あたりの映画館数が最も多い都道府県であり、100万人あたりの映画館数は東京都の1.5倍以上の37.3館である。福岡市地下鉄天神駅から徒歩10分、繁華街から少し外れて人通りが少なくなったエリアには、アート系作品やドキュメンタリー作品を上映するミニシアター「KBCシネマ1・2」がある。2010年の福岡市には「シネ・リーブル博多駅」など4館のミニシアターがあったが、2016年現在はKBCシネマのみである。前身は通りの反対側にあった「KBCシネマ北天神」であり、1988年に開館してヨーロッパ映画を中心に上映していたが、1998年にビルの建て替えに伴って閉館した。閉館を残念がる市民有志が3500人分の署名を集め、1998年12月に現在地に再開館した。2001年からは宮定貴子(52)が支配人を務める。かつての入場者数は年間約7万人だったが、2014年度は再開館以降で最高の9万7753人を集めた。2006年度には1日約6本を上映していたが、2016年現在は1日約10本から14本、年間約200本を上映している。*60
KBCシネマに言及している雑誌記事として、園田健夫「映画館の今昔『KBCシネマ』」『西日本文化』西日本文化協会、2018年4月がある。現物は未確認。*61
開館年 : 1998年12月
閉館年 : 営業中
前身館はKBCシネマ北天神。2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「KBCシネマ1・2」(2館)。最寄駅は西鉄福岡天神線西鉄福岡(天神)駅。
1999年12月5日、福岡市中央区那之津1丁目の映画館「KBCシネマ」が開館1周年を迎える。12月4日と5日には入場料が一律1000円となる。1998年5月、近くにあった「KBCシネマ北天神」が10年の歴史に幕を閉じて閉館した。再開を求めるファンの声を受け、現在地に1998年12月5日にKBCシネマが開館した。この1年間で80本以上の作品を上映した。*59
福岡県は人口1人あたりの映画館数が最も多い都道府県であり、100万人あたりの映画館数は東京都の1.5倍以上の37.3館である。福岡市地下鉄天神駅から徒歩10分、繁華街から少し外れて人通りが少なくなったエリアには、アート系作品やドキュメンタリー作品を上映するミニシアター「KBCシネマ1・2」がある。2010年の福岡市には「シネ・リーブル博多駅」など4館のミニシアターがあったが、2016年現在はKBCシネマのみである。前身は通りの反対側にあった「KBCシネマ北天神」であり、1988年に開館してヨーロッパ映画を中心に上映していたが、1998年にビルの建て替えに伴って閉館した。閉館を残念がる市民有志が3500人分の署名を集め、1998年12月に現在地に再開館した。2001年からは宮定貴子(52)が支配人を務める。かつての入場者数は年間約7万人だったが、2014年度は再開館以降で最高の9万7753人を集めた。2006年度には1日約6本を上映していたが、2016年現在は1日約10本から14本、年間約200本を上映している。*60
KBCシネマに言及している雑誌記事として、園田健夫「映画館の今昔『KBCシネマ』」『西日本文化』西日本文化協会、2018年4月がある。現物は未確認。*61
所在地 : 福岡県福岡市中央区地行浜2-2-1 MARK IS 福岡ももち4階(2020年)
開館年 : 2018年7月
閉館年 : 営業中
2018年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡ももち1-11」(11館)。前身館は同一地点にあったユナイテッド・シネマ福岡。最寄駅は福岡市地下鉄空港線唐人町駅。
開館年 : 2018年7月
閉館年 : 営業中
2018年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ福岡ももち1-11」(11館)。前身館は同一地点にあったユナイテッド・シネマ福岡。最寄駅は福岡市地下鉄空港線唐人町駅。
所在地 : 福岡県福岡市中央区警固1-15-38 カイタックスクエアガーデン1号棟3階(2021年・2022年)
開館年 : 2020年6月11日
閉館年 : 営業中
2020年の映画館名簿には掲載されていない。2021年・2022年の映画館名簿では「キノシネマ天神1・2・3」(3館)。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線薬院大通駅。
2020年のこのほど、福岡市にミニシアター「キノシネマ天神」が開館した。89席のスクリーンを3つ有する。キノシネマは木下グループが展開する映画館チェーンであり、横浜、東京に次いで3か所目である。売店ではポップコーンなど匂いや音が出る物を販売していない。*62
開館年 : 2020年6月11日
閉館年 : 営業中
2020年の映画館名簿には掲載されていない。2021年・2022年の映画館名簿では「キノシネマ天神1・2・3」(3館)。最寄駅は福岡市地下鉄七隈線薬院大通駅。
2020年のこのほど、福岡市にミニシアター「キノシネマ天神」が開館した。89席のスクリーンを3つ有する。キノシネマは木下グループが展開する映画館チェーンであり、横浜、東京に次いで3か所目である。売店ではポップコーンなど匂いや音が出る物を販売していない。*62

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