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hekikaicinema 2026年08月29日(土) 14:53:24履歴
所在地 : 福岡県直方市平和町(1962年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1958年
1950年には直方市南部から「寿館」(グランド劇場)が移転しており、同年には多賀神社下の栄町に既存の建物を改修して「多賀劇場」が開館した。経営者は船越六朔。高田浩吉、宮城まり子、三木のり平、文楽人形芝居、美空ひばりなどの流行歌手の公演が行われた。やがて映画も上映するようになり、『戦艦ポチョムキン』『真昼の暴動』などの異色作を上映していた。1958年に廃館となり、その後建物が取り壊された。*1
開館年 : 1950年
閉館年 : 1958年
1950年には直方市南部から「寿館」(グランド劇場)が移転しており、同年には多賀神社下の栄町に既存の建物を改修して「多賀劇場」が開館した。経営者は船越六朔。高田浩吉、宮城まり子、三木のり平、文楽人形芝居、美空ひばりなどの流行歌手の公演が行われた。やがて映画も上映するようになり、『戦艦ポチョムキン』『真昼の暴動』などの異色作を上映していた。1958年に廃館となり、その後建物が取り壊された。*1
所在地 : 福岡県直方市元町(1963年)
開館年 : 明治末期
閉館年 : 1963年
跡地は「下境郵便局」北東60mのアパート「コーポ筑豊」。最寄駅は平成筑豊鉄道伊田線南直方御殿口駅。
明治末期には直方町の元町(現・溝堀3丁目)に、下境方面の定劇場「改正座」が開館した。尾上興行部が経営していたが、1950年には映画の上映を開始し、1955年には再映館となって「元町東映」に改称した。1963年に廃館となった。建物は元町東映そのままに、1978年現在は家具製造工場となっている。*2
開館年 : 明治末期
閉館年 : 1963年
跡地は「下境郵便局」北東60mのアパート「コーポ筑豊」。最寄駅は平成筑豊鉄道伊田線南直方御殿口駅。
明治末期には直方町の元町(現・溝堀3丁目)に、下境方面の定劇場「改正座」が開館した。尾上興行部が経営していたが、1950年には映画の上映を開始し、1955年には再映館となって「元町東映」に改称した。1963年に廃館となった。建物は元町東映そのままに、1978年現在は家具製造工場となっている。*2
所在地 : 福岡県直方市西町(1964年)
開館年 : 1899年5月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1898年には直方町に貝島鉱業が発足し、同年には中泉駅が開業するとともに、貝島太助らによって「日若座」も開場した。*3
1899年5月、直方町に劇場「日若座」が営業を開始した。建築費3万円。総坪数238.5坪、定員750人。*4
1917年現在の直方町には、劇場として西町の「日若座」、殿町の「寿座」があり、活動常設館として「開月館」がある。*5
明治40年代の直方町には「日若座」と「寿座」という2館の劇場があり、日若座の経営者は柳屋末吉だった。大正時代の日若座は定劇場だったが、映写室があって移動映写機を用いることができた。1938年には演劇場から映画館に転向し、邦画は東宝系作品を、洋画は東和系作品を上映した。戦後の日若座は東宝系作品の上映館だったが、1955年には東映作品の上映館となって「直方東映」に改称した。直方東映は1963年に閉館し、跡地には直方信用金庫が建てられた。*6
1960年、直方市の「直方東映」の姉妹館として隣接地に「直方第二東映」が開館し、東映第二会社の作品を上映した。日若座芝居茶屋の跡地である。直方東映の廃館後には平野興行部の経営となって「ニュー東映」に改称した。1966年に廃館となった。跡地には直方信用金庫が建てられた。*7
開館年 : 1899年5月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1898年には直方町に貝島鉱業が発足し、同年には中泉駅が開業するとともに、貝島太助らによって「日若座」も開場した。*3
1899年5月、直方町に劇場「日若座」が営業を開始した。建築費3万円。総坪数238.5坪、定員750人。*4
1917年現在の直方町には、劇場として西町の「日若座」、殿町の「寿座」があり、活動常設館として「開月館」がある。*5
明治40年代の直方町には「日若座」と「寿座」という2館の劇場があり、日若座の経営者は柳屋末吉だった。大正時代の日若座は定劇場だったが、映写室があって移動映写機を用いることができた。1938年には演劇場から映画館に転向し、邦画は東宝系作品を、洋画は東和系作品を上映した。戦後の日若座は東宝系作品の上映館だったが、1955年には東映作品の上映館となって「直方東映」に改称した。直方東映は1963年に閉館し、跡地には直方信用金庫が建てられた。*6
1960年、直方市の「直方東映」の姉妹館として隣接地に「直方第二東映」が開館し、東映第二会社の作品を上映した。日若座芝居茶屋の跡地である。直方東映の廃館後には平野興行部の経営となって「ニュー東映」に改称した。1966年に廃館となった。跡地には直方信用金庫が建てられた。*7
所在地 : 福岡県直方市新知町(1965年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1963年
跡地は「九州労働金庫直方支店」北西140mのアパート「オーク直方」。最寄駅は筑豊電気鉄道線筑豊直方駅。
1953年、直方市北部地区の発展を期して、小松芳夫の小松興行部によって邦画再映館「正栄館」が開館した。1978年現在の新知町7である。1960年には「元町東映」を経営する尾上興行部に経営が委託され、「新知東映」に改称した。1963年には元町東映とともに廃館となった。跡地にはスーパーマーケットが建てられた。*8
開館年 : 1953年
閉館年 : 1963年
跡地は「九州労働金庫直方支店」北西140mのアパート「オーク直方」。最寄駅は筑豊電気鉄道線筑豊直方駅。
1953年、直方市北部地区の発展を期して、小松芳夫の小松興行部によって邦画再映館「正栄館」が開館した。1978年現在の新知町7である。1960年には「元町東映」を経営する尾上興行部に経営が委託され、「新知東映」に改称した。1963年には元町東映とともに廃館となった。跡地にはスーパーマーケットが建てられた。*8
所在地 : 福岡県直方市須崎町2-26(1969年)
開館年 : 1914年、1937年5月(再開館)
閉館年 : 1971年
跡地は「須崎町公園」北西40mにある有料駐車場「直方くきのうみパーキング」。説明看板あり(痕跡)。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1915年8月、直方町に活動常設館「開月館」が営業を開始した。建築費1万5000円。総坪数130坪、定員580人。開月館の写真あり。1994年現在のマルショク直方店の場所にあった。*9
1917年現在の直方町には、劇場として西町の「日若座」、殿町の「寿座」があり、活動常設館として「開月館」がある。*10
1910年には鞍手郡直方町の直方駅が現在地に移転し、駅前の開発が進められることとなった。これに応じて1914年、「寿座」の平野伊之吉社長は駅前に活動常設館「開月館」を開館させた。落成時の開月館の写真あり。1915年夏には一世を風靡した『カチューシャ』が上映されている。寿館では尾上松之助主演作品が人気だったが、開月館では大活系の市川莚十郎・沢村四郎五郎主演作品が人気だった。1935年には開月館でトーキー映画が上映されるようになり、1937年には建物を改築した。戦後には大映や松竹系の上映館となり、「直方東映」の閉館後には東映作品も上映した。1971年に廃館となり、跡地には大型スーパーマーケットが建てられた。*11
1916年頃の直方にあった「開月館」の写真あり。1914年に日活系で開館し、のちに帝国キネマ系となった。戦後には改築されたが、1971年に閉館した。*12
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*13
小説家の林芙美子は『放浪記』において、12歳の頃に直方で毎日のように映画館に通ったと綴っている。開月館は1914年竣工の常設の活動写真館であり、1915年時点の直方にあった活動写真館は開月館だけだったことから、林芙美子が通った映画館は開月館であるとされる。*14
開館年 : 1914年、1937年5月(再開館)
閉館年 : 1971年
跡地は「須崎町公園」北西40mにある有料駐車場「直方くきのうみパーキング」。説明看板あり(痕跡)。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1915年8月、直方町に活動常設館「開月館」が営業を開始した。建築費1万5000円。総坪数130坪、定員580人。開月館の写真あり。1994年現在のマルショク直方店の場所にあった。*9
1917年現在の直方町には、劇場として西町の「日若座」、殿町の「寿座」があり、活動常設館として「開月館」がある。*10
1910年には鞍手郡直方町の直方駅が現在地に移転し、駅前の開発が進められることとなった。これに応じて1914年、「寿座」の平野伊之吉社長は駅前に活動常設館「開月館」を開館させた。落成時の開月館の写真あり。1915年夏には一世を風靡した『カチューシャ』が上映されている。寿館では尾上松之助主演作品が人気だったが、開月館では大活系の市川莚十郎・沢村四郎五郎主演作品が人気だった。1935年には開月館でトーキー映画が上映されるようになり、1937年には建物を改築した。戦後には大映や松竹系の上映館となり、「直方東映」の閉館後には東映作品も上映した。1971年に廃館となり、跡地には大型スーパーマーケットが建てられた。*11
1916年頃の直方にあった「開月館」の写真あり。1914年に日活系で開館し、のちに帝国キネマ系となった。戦後には改築されたが、1971年に閉館した。*12
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*13
小説家の林芙美子は『放浪記』において、12歳の頃に直方で毎日のように映画館に通ったと綴っている。開月館は1914年竣工の常設の活動写真館であり、1915年時点の直方にあった活動写真館は開月館だけだったことから、林芙美子が通った映画館は開月館であるとされる。*14
所在地 : 福岡県直方市古町13-1(1980年)
開館年 : 1910年5月、1950年(移転)
閉館年 : 1980年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」西北西60mにある有料駐車場「グランド駐車場」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1912年2月、直方町に活動常設館「寿館」が営業を開始した。建築費3万5000円。総坪数190坪、定員750人。*15
1909年5月には直方町の「寿座」が焼失したが、1910年5月に新築されて演芸場として再開し、同年8月には株式会社寿座が設立されると、1911年3月には演芸場から活動常設館に転向した。1921年には「平野興行部寿館」に改称し、その後は日活作品とともに東亜やマキノの作品も上映した。大正末期の寿館ではチャンバラ作品やミステリーが好評であり、人情物は不評だった。戦後には洋画専門館となって「グランド劇場」に改称した。1950年には有楽町(現・古町13)に移転して新築開館した。旧所在地の寿館の建物は取り壊されてタクシー会社の車庫となった。その後グランド劇場は邦画上映館となり、1978年現在も営業中である。*16
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*17
開館年 : 1910年5月、1950年(移転)
閉館年 : 1980年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」西北西60mにある有料駐車場「グランド駐車場」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1912年2月、直方町に活動常設館「寿館」が営業を開始した。建築費3万5000円。総坪数190坪、定員750人。*15
1909年5月には直方町の「寿座」が焼失したが、1910年5月に新築されて演芸場として再開し、同年8月には株式会社寿座が設立されると、1911年3月には演芸場から活動常設館に転向した。1921年には「平野興行部寿館」に改称し、その後は日活作品とともに東亜やマキノの作品も上映した。大正末期の寿館ではチャンバラ作品やミステリーが好評であり、人情物は不評だった。戦後には洋画専門館となって「グランド劇場」に改称した。1950年には有楽町(現・古町13)に移転して新築開館した。旧所在地の寿館の建物は取り壊されてタクシー会社の車庫となった。その後グランド劇場は邦画上映館となり、1978年現在も営業中である。*16
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*17
所在地 : 福岡県直方市古町12-17(1983年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1983年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」北西60mにある駐車場。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1950年に直方市の洋画館「グランド劇場」が有楽町に移転開館すると、1951年には隣接地に姉妹館の「ロマン座」が開館し、日活・新東宝系の映画館として営業した。その後グランド劇場が邦画館となると、ロマン座は洋画館に転向して1978年現在も営業している。*18
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*19
開館年 : 1951年
閉館年 : 1983年頃
跡地は「福岡ひびき信用金庫直方支店」北西60mにある駐車場。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
1950年に直方市の洋画館「グランド劇場」が有楽町に移転開館すると、1951年には隣接地に姉妹館の「ロマン座」が開館し、日活・新東宝系の映画館として営業した。その後グランド劇場が邦画館となると、ロマン座は洋画館に転向して1978年現在も営業している。*18
1956年現在、平野晴美は直方市で映画館「グランド劇場」、「ロマン座」、「開月館」の3館を経営している。1933年に旧制福岡県立鞍手中学校を卒業し、東京の早稲田大学で学んだ。戦前には父親の平野伊之吉が直方町殿町で「寿座」を経営していた。*19
所在地 : 福岡県直方市古町15-24(1985年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1985年頃
跡地は有料駐車場「直方ダイイチパーク」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
戦後の直方市では東宝系作品の上映館がなかったが、1955年には有楽町(現・古町15)に「東宝国際劇場」が開館した。当初の経営者は宮崎興行だったが、後に地元有志の経営となって1978年現在も営業を続けている。*20
開館年 : 1955年
閉館年 : 1985年頃
跡地は有料駐車場「直方ダイイチパーク」。最寄駅はJR福北ゆたか線・平成筑豊鉄道伊田線直方駅。
戦後の直方市では東宝系作品の上映館がなかったが、1955年には有楽町(現・古町15)に「東宝国際劇場」が開館した。当初の経営者は宮崎興行だったが、後に地元有志の経営となって1978年現在も営業を続けている。*20

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