閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。


中国地方 鳥取県

鳥取市

松竹鳥取映劇
所在地 : 鳥取県鳥取市末広温泉町779
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「松竹鳥取映劇」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鳥取世界館/シネマスポットフェイドインWest・East
所在地 : 鳥取県鳥取市南吉方1-112
開館年 : 1991年
閉館年 : 2006年10月29日
1960年・1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「鳥取世界館」。2000年の映画館名簿では「シネマスポットフェイドインWest・East」(2館)。

2006年10月29日、鳥取市南吉方1の映画館「シネマスポットフェイドイン」が閉館する。1991年に開館し、110席と70席の2スクリーンを有していた。設備の老朽化が主な理由。鳥取市の映画館は1館2スクリーンのみに、鳥取県の映画館は4館14スクリーンのみになる。1999年には山陰地方初のシネコンとして、日吉津村に6スクリーンのMOVIX日吉津が開館している。2007年には山陰地方2施設目のシネコンとして、島根県出雲市にもシネコンが開館する。*1
鳥取東映/鳥取東映劇場・鳥取東映パラス劇場/鳥取東映・鳥取東映パラス/鳥取東映シネマ1・2/鳥取シネマ1・2
所在地 : 鳥取県鳥取市駅前通(1980年)、鳥取県鳥取市栄町606(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 営業中
2スクリーンの映画館。鳥取県東部唯一の映画館。

中国地方 島根県

松江市

松江シネマシャンテ
所在地 : 島根県松江市朝日町
開館年 :
閉館年 : 1997年1月17日
1997年1月17日、松江市朝日町の映画館「松江シネマシャンテ」が閉館した。松江市の映画館は松江サティ東宝のみとなった。開館から松江市の映画市場を独占していたが、1994年に5スクリーンの松江サティ東宝が開館すると、競合を避けるためにシャンテ2を閉館させてシャンテ1を名画座としていた。*2

浜田市

浜田東劇
所在地 : 島根県浜田市
開館年 : 1961年
閉館年 : 2003年12月23日
2003年12月23日、浜田市朝日町の映画館「浜田東劇」が閉館する。最終上映作品は『陰陽師2』。浜田市唯一の常設映画館だった。家庭用ビデオの普及、シネコンがある広島市への客の離脱などが理由。1961年に開館。1961年から1962年の浜田市には6館の映画館があったが、1991年には経営者が同じ浜田東映が閉館し、浜田東劇のみとなっていた。*3

江津市

デジタルシアター江津中央
所在地 : 島根県江津市二宮町神主
開館年 : 1973年
閉館年 : 2008年6月13日
2008年6月13日、江津市の映画館「デジタルシアター江津中央」が閉館する。広島市や松江市などのシネコンに観客を取られたことなどが理由であり、2008年6月21日には出雲市にも10スクリーンのシネコンが開館することが決定していた。1スクリーン180席。1973年、小野沢興行がオープンさせたボウリング場の一角に開館。JR江津駅近くにあった「江津あけぼの中央」の名前を引き継ぎ、江津あけぼの中央という名称で開館した。当初は夏休みなどに期間営業をしていたが、1998年にデジタル音響設備を導入した際に通年営業に切り替え、現在の名称に変更した。江津中央閉館後の約1週間は、島根県西部地方の映画館が「デジタルシアター益田中央」のみとなる。*4

隠岐郡西ノ島町

大久館
所在地 : 島根県隠岐郡西ノ島町美田尻
開館年 : 昭和30年代半ば
閉館年 : 昭和40年代
昭和30年代半ば頃、美田尻に大久館(だいきゅうかん)という映画館が開館。毎日興行ではなかったが、常設の映画館だった。テレビの普及に伴い、昭和40年代に閉館となった。*5

中国地方 岡山県

岡山市

大映文化劇場/岡山大映文化劇場/岡山松竹文化劇場/SY松竹文化劇場・岡山千日文化シネマ・岡山千日文化シネマ2
所在地 : 岡山県岡山市天瀬(1960年)、岡山県岡山市表町3-11-66(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2005年9月18日
1960年の映画館名簿では「大映文化劇場」。1969年の映画館名簿では「岡山大映文化劇場」。1980年の映画館名簿では「岡山松竹文化劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「SY松竹文化劇場・岡山千日文化シネマ・岡山千日文化シネマ2」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2005年9月18日、岡山市表町3の千日前商店街にあった「SY松竹文化」「岡山千日文化シネマ」「文化シネマ2」の3映画館が閉館した。千日前商店街の映画館は2館となった。3映画館は有限会社文化劇場が運営していた。1958年頃に単独の映画館として開館し、松竹系の洋画を上映。1980年代の千日前には7館の映画館が並んでいた。1999年には倉敷市に8スクリーン(現在は10スクリーン)のシネコンが開館し、倉敷駅前の4映画館のうち3館が閉館すると、2000年には岡山市でも「テアトル岡山」が閉館していた。2004年8月にはSY松竹文化の経営者が死去し、後継者がいないことや、資金繰りが悪化したことなどが閉館の理由。*6
岡山松竹映画劇場/岡山松竹劇場/岡山松竹
所在地 : 岡山県岡山市天瀬(1960年)、岡山県岡山市表町3-12-15(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2006年2月24日
1960年の映画館名簿では「岡山松竹映画劇場」。1969年の映画館名簿では「岡山松竹」。1980年の映画館名簿では「岡山松竹劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「岡山松竹」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2006年2月24日、岡山市表町3の映画館「岡山松竹」が閉館する。千日前商店街はかつて7館の映画館がある映画の街だったが、2005年9月に「SY松竹文化」が閉館したことで2館となり、岡山松竹が閉館すると「岡山日活」のみが残る。岡山松竹の「サヨナラ興行」では、2月20日から22日には『砂の器』を、23日と24日には高梁市がロケ地となった『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』を上映する。*7
シネマ・クレール/シネマ・クレール石関
所在地 : 岡山県岡山市石関町1-9(2000年)
開館年 : 1994年12月
閉館年 : 2008年9月19日
2000年の映画館名簿では「シネマ・クレール」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2008年9月21日、岡山市のミニシアター「シネマ・クレール石関」が閉館する。1981年から岡山市で自主上映会を行ってきた浜田高夫が、1994年12月に開館させた。初上映阿久品はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『トリコロール 青の愛』。1スクリーン49席。神戸市や香川県など、岡山県外からも観客が訪れた。1998年の『踊るマハラジャ』は最終日の深夜に追加上映を行うほど任期があり、1999年の『ライフ・伊豆・ビューティフル』では長蛇の列ができた。2001年7月には1スクリーン110席のミニシアター「シネマ・クレール丸の内」も開館させ、2006年には60席の2スクリーン目を増設した。シネマ・クレール石関では9月20日と21日に「さよなら石関映画祭」を開催し、『天井桟敷の人々』、『ニュー・シネマ・パラダイス』、『ルートヴィヒ』を上映する。*8

2008年9月19日をもって、岡山市石関町の映画館「シネマ・クレール石関」が閉館する。1994年12月、自主上映活動を行っていた浜田高夫がシネマ・クレール石関を開館させた。2001年には「シネマ・クレール丸の内」を開館させ、その後丸の内のスクリーン数を2館に増やした。9月20日と21日には「さよなら石関映画祭」を開催し、『天井桟敷の人々』や『ニュー・シネマ・パラダイス』を上映する。*9
シネマ・クレール丸の内/シネマ・クレール丸の内1・2
所在地 : 岡山県岡山市丸の内1-5-1(2010年)
開館年 : 2001年
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「シネマ・クレール丸の内1・2」(2館)。

このほど、岡山市石関町の映画館「シネマ・クレール石関」の姉妹館として、「シネマ・クレール丸の内」が開館した。1994年12月開館のシネマ・クレール石関は49席と手狭だった。岡山シンフォニービルの向かいに、鉄筋コンクリート造一部3階建ての建物を新築した。シネマ・クレール丸の内の座席数は110席であり、スクリーンは高さ4m×幅7.4mと大型化した。7月28日にはカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した黒沢清監督の舞台挨拶と、受賞作品『回路』の上映が行われた。*10

岡山市北区丸の内1の映画館「シネマ・クレール丸の内」を運営する浜田高夫(68)は幼少期からディズニー映画が好きであり、同志社大学法学部在学中には1日20本の映画を鑑賞する日もあった。特にイングマール・ベルイマン監督の作品には衝撃を感じた。大学卒業後には岡山ガスに入社し、営業・経理・人事などを担当した。1980年頃に自主上映サークルを設立し、岡山市立オリエント美術館のホールなどで洋画の上映会を開催した。1994年には「シネマ・クレール石関」を開館させ、1998年には岡山ガスを退社して映画館運営に専念した。2001年にはシネマ・クレール丸の内を開館させ、やがてシネマ・クレール石関を閉館させた。*11

倉敷市

曙館/児島曙館/味野曙館
所在地 : 岡山県児島市味野(1960年)、岡山県倉敷市味野2-3-10(1980年)
開館年 : 1932年頃
閉館年 : 1987年頃
1960年の映画館名簿では「曙館」。1969年の映画館名簿では「児島曙館」。1980年の映画館名簿では「味野曙館」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

このほど、倉敷市児島地区の味野商店街にあった映画館「曙館」の建物が取り壊された。曙館は約55年間にわたって営業し、18年前に閉館した。閉館後も座席やスクリーンが残され、2002年2月11日には地元有志によって『ニュー・シネマ・パラダイス』の自主上映会が開催されていた。2004年の度重なる台風によって屋根などが破損し、天井が落ちる危険性が高まったため、2004年末からやむを得ず解体された。当面の跡地は駐車場。*12
千秋座/倉敷千秋座/倉敷センシュー座/倉敷センシュー座・倉敷スカラ座/シネマ センシュー1・2・3
所在地 : 岡山県倉敷市平和町(196年)、岡山県倉敷市阿知3-12-6(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1881年
閉館年 : 2000年6月30日
1960年の映画館名簿では「千秋座」。1969年の映画館名簿では「倉敷千秋座」。1980年の映画館名簿では「倉敷センシュー座」。1990年の映画館名簿では「倉敷センシュー座・倉敷スカラ座」(2館)。2000年の映画館名簿では「シネマ センシュー1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2000年6月末、倉敷市阿知3の映画館「シネマセンシュー1・2・3」が閉館する。1881年に芝居小屋「千秋座」として開館。1978年3月には「センシュー座」に改称し、「倉敷スカラ座」も併設した。1998年12月にはさらに1館を増設し、シネマセンシュー1・2・3となった。1999年10月にはイオン倉敷に「MOVIX倉敷」が開館し、MOVIX倉敷の経営にも参加していた。*13

1881年には岡山初の常設芝居小屋として「千秋座」が開館した。その後一時は映画館と併営され、やがて3スクリーンを有する映画専門ビルとなったが、2000年に閉館した。跡地は駐車場となったが、2003年には大衆演劇の常設小屋として178席の千秋座が復活した。*14

明治時代には芝居小屋「千秋座」が開館し、阪東妻三郎も千秋座の舞台に立った。1979年にはビルに建て替え、飲食街を持つ複合映画館となった。1999年には西2kmにシネコンが開館したことで、2000年に閉館した。しばらく跡地は駐車場だったが、2003年5月2日には大衆演劇場「千秋座」として復活した。倉敷一番街商店街。*15

玉野市

キリンシネマ/キリンシネマ1・2
所在地 : 岡山県玉野市築港1-7-14(1990年)
開館年 : 1993年
閉館年 : 2007年5月31日
1990年の映画館名簿では「キリンシネマ」。2000年の映画館名簿では「キリンシネマ1・2」(2館)。

2007年5月31日、玉野市宇野1の大型商業施設「メルカ」3階にある映画館「キリンシネマ」が閉館する。シネコンに観客を奪われたのが理由。建物は講演会場などに使用される予定。岡山県最後の二番館だった。1993年に開館した当初は玉野市内の映画会社が経営していたが、1998年にはメルカを運営する第3セクターである玉野街づくり株式会社の運営に変わった。ピークの1999年度には観客数が2万60人となったが、1999年には倉敷市に10スクリーンの「MOVIX倉敷」が開館し、2006年7月には岡山市に10スクリーンの「TOHOシネマズ岡南」が開館したことで、2006年度の観客数は1万1700人にまで落ち込んでいた。累積赤字は2006年度末で1400万円となり、今後は観客数が増える見込みがないため、閉館を決定した。最後の上映作品は『ラストサムライ』と『蒼き狼 地果て海尽きるまで』であり、『ラストサムライ』は閉館記念料金の500円で上映されている。*16

津山市

さくら映画劇場/さくら映劇
所在地 : 岡山県津山市新魚町(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「さくら映画劇場」。1960年の映画館名簿では「さくら映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

銀天街と一番街の交差点から南西方向にあった。現在はアルネ津山になっている場所と思われる。*17
津山映劇/津山映画劇場
所在地 : 岡山県津山市堺町(1960年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿では「津山映劇」。1953年・1960年・1969年の映画館名簿では「津山映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

アルネ津山の立体駐車場の東側、パチンコ店の駐車場になっている場所には津山映画劇場があった。1955年頃には『二十四の瞳』を上映した。*18
津山東宝映画劇場/津山東宝/津山東宝劇場
所在地 : 岡山県津山市駅前明宝ビル(1960年)、岡山県津山市南町1-29(1973年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
1950年の映画館名簿では「津山東宝映画劇場」。1953年・1960年の映画館名簿では「津山東宝」。1969年の映画館名簿では「津山東宝劇場」。1973年の映画館名簿では「津山東宝」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。

津山明宝会館と同じ明宝ビルの1階には津山東宝があったが、津山明宝会館よりもかなり早くに閉館した。『七人の侍』などの邦画を上映した。明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*19
新地座/協映劇場/津山協映劇場/津山協映
所在地 : 岡山県津山市山下39(1980年)
開館年 : 1885年(新地座)、1954年(協映劇場)
閉館年 : 1988年
1960年の映画館名簿では「協映劇場」。1969年の映画館名簿では「津山協映劇場」。1980年の映画館名簿では「津山協映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「津山市役所リユースプラザ津山くるくる」。

1885年(明治18年)に芝居小屋の「新地座」が開館し、1954年に映画館化して「協映劇場」に改称した。日活作品(石原裕次郎・小林旭出演作品)を上映していた。1988年に閉館した。*20
富士映劇/津山東映劇場/津山東映
所在地 : 岡山県津山市堺町(1960年)、岡山県津山市本町3-25(1980年・1990年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1953年の映画館名簿では「富士映劇」。1960年の映画館名簿では「津山東映」。1969年の映画館名簿では「津山東映劇場」。1980年・1990年の映画館名簿では「津山東映」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。本町3丁目商店街にあった。
明宝会館/津山明宝会館
所在地 : 岡山県津山市駅前明豊ビル(1960年)、岡山県津山市南町1-29(1973年)、岡山県津山市南町29(1980年)、岡山県津山市南町1-28(1990年・2000年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 2008年7月13日
1960年の映画館名簿では「明宝会館」。1969年・1973年・1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「津山明宝会館」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。明宝ビル2階にあった。

JR津山駅からすぐ、「津山駅前交差点」北側角の明宝ビル2階にあった。1957年に津山明宝会館が開館し、洋画専門館だった。最盛期の津山市内には7館の映画館があった。2008年7月13日に閉館した。最終上映作品は『ナルニア国物語第二章 カスピアン王子の角笛』。観客は約30人であり、支配人に就任してまだ9か月の能勢さん(33歳)の前で片岡社長が閉館のあいさつを行った。片岡社長は3代目である。閉館から1週間後の7月20日と7月21日には、津山明宝会館で『ほっこまい 高松純情シネマ』のロケが行われた。1970年の高松市に住む高校生の主人公が通い詰める映画館として使用された。1960年頃の明宝会館の写真あり。*21

2008年7月13日、津山市南町の映画館「明宝」が閉館する。最終上映作品は現在上映中の『ナルニア国物語』。津山市の映画館は福渡の「銀映」のみとなる。1957年に東宝系洋画館として開館し、同年に開館した東宝系邦画館の「津山東宝」とともに多くのファンが詰めかけた。津山東宝は約30年前に閉館したが、明宝は『タイタニック』などでにぎわった。映画館部分は閉館するが、他のテナントが今まで通り営業する。*22

2008年7月13日、津山市の映画館「明宝」が51年の歴史に幕を閉じて閉館する。津山市の映画館は「銀映」のみとなる。1957年に開館し、当時の津山市には明宝、東宝、津映(松竹)、大栄、協映(日活)、錦映(新東宝)の7館があった。*23

明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*24
錦鶴映画劇場/錦鶴映劇/津山錦鶴劇場/津山錦映
所在地 : 岡山県津山市福渡町(1960年・1980年)、岡山県津山市福渡町19(1990年・2000年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 2008年11月30日
1950年の映画館名簿では「錦鶴映画劇場」。1960年の映画館名簿では「錦鶴映劇」。1969年の映画館名簿では「津山錦鶴劇場」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「津山錦映」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2008年7月13日に津山明宝会館が閉館すると、3か月後の2008年11月30日には津山市最後の映画館だった錦映も閉館した。最終上映作品は『崖の上のポニョ』。*25

中国地方 広島県

広島市

広島リッツ劇場
所在地 : 広島県広島市中区流川町
開館年 : 1956年12月15日
閉館年 : 1999年10月15日
1999年10月15日、広島市中区流川町の映画館「広島リッツ劇場」が閉館する。1956年12月15日、『傷だらけの栄光』で洋画封切館として開館した。広島市の映画館ではもっとも古い。1992年頃には600席を400席に減らした。1997年に広島県で初めて開館した南区のシネコンに客を取られた。*26

中国地方 山口県

山口市

山口スカラ座・山口ニュー泉都/山口スカラ座1・2・3・4
所在地 : 山口県山口市泉都町1154(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1960年
閉館年 : 2012年11月1日
2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計530席を有する。山口市は2年前に映画館がなくなった奈良市に続いて、全国で2例目の常設映画館がない県庁所在地となる。山口スカラ座は1960年に開館したが、約15年前が観客数のピークであり、シネコンの進出以後は経営が苦しかった。*27

2012年11月1日、山口市泉都町の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計540席であり、山口市唯一の映画館である。日本映画製作者連盟によると、常設映画館がない県庁所在地は奈良市に次いで2か所目だという。もともとあった映画館の経営を引き継いで、1960年にスカラ座が開館した。『E.T.』や『南極物語』がヒットした約30年前が観客数のピークだったが、その後は年々観客数が減少した。閉館後には建物を取り壊し、コンビニや飲食店が入るビルを建設する予定。*28

2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。1960年の開館から約半世紀がたち、建物の老朽化が目立つようになった。山口県内に最新設備を導入した映画館が相次いで開館しており、観客数が大幅に減少していた。山口スカラ座は山口市立中央図書館などがある中央公園と繁華街の湯田温泉の間に位置する。4スクリーン計530席を有する。跡地には平屋建ての店舗を建設し、コンビニや飲食店が入居する予定である。現在の県庁所在地で映画館がないのは奈良県だけであり、山口県は2例目となる。山口市から最寄りの映画館は防府市や宇部市にあるシネコンとなる。*29

下関市

シアター・ゼロ
所在地 : 山口県下関市竹崎町4-4-8 シーモール下関
開館年 : 2007年11月10日
閉館年 : 2014年3月31日
2007年11月10日、下関市のシーモール下関専門店街に映画館「下関スカラ座シアター・ゼロ」が開館する。俳優で映画監督の奥田瑛二が支配人を務める。初回上映作品は奥田が監督を務めた『風の外側』。10月28日に閉館した「下関スカラ座」と「下関東宝劇場」を引き継いで開館し、当初は2007年末までの臨時運営の予定だったが、奥田は2008年以降の運営続行を明言した。*30

2014年3月末、下関市唯一の映画館「シアター・ゼロ」が閉館した。前身は約40年前に開館した下関東宝・スカラ座。2007年11月にはシアター・ゼロが開館し、約2年間は映画監督の奥田瑛二が初代支配人を務めた。2008年の観客数は1万5000人、2009年は2万2000人、2010年は2万8000人と右肩上がりだったが、2011年は2万7000人、2012年は2万5000人、2013年は2万8000人と横ばいだった。もっとも観客を集めた作品は、下関市在住の古川薫が原作の『獄に咲く花』の5130人であり、次いで全編下関ロケを行った奥田瑛二監督作『風の外側』で4957人だった。7月にはJR下関駅前にシネコンが開館する。*31

岩国市

岩国ニューセントラル
所在地 : 山口県岩国市麻里布町2-4-24(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2012年9月28日
2012年9月28日、岩国市唯一の映画館「岩国ニューセントラル」が休館した。3スクリーン計490席。今後は正月や夏休みのみ不定期上映するという。1956年に岩国市中心部の商店街にニューセントラルが開館した。約20年前には20万人前後の観客数があったが、2011年には約4万人にまで落ち込んでいた。*32

萩市

萩キラク1・2/萩ツインシネマ1・2
所在地 : 山口県萩市東田町18(1990年)、山口県萩市東田町18-4(2010年)
開館年 : 1981年(萩キラク)、1996年7月19日(萩ツインシネマ)
閉館年 : 2008年11月30日
1990年の映画館名簿では「萩キラク1・2」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「萩ツインシネマ1・2」(2館)。

1981年に映画館「萩キラク」が開館し、キラク1(150席)とキラク2(195席)の2スクリーンからなっていた。1985年の観客数は約6万人だったが、1994年9月以降の一年間では約6000人にまで減少していた。赤字額は年間200万円となり、経営者の山萩企画は閉館を検討していた。山口県日本海側の北浦地方では唯一の映画館である。1995年には「萩の映画館を守る会」などが募金活動を開始した。1996年4月には元市長の林秀宣が発起人となって出資を募り、約50人が応じて資本金1000万円が集まったことから、1996年6月22日には新会社の設立総会が行われた。映画ファンの陶芸家・医師・市議会議員などが出資した株式会社が運営を引き継ぎ、1996年7月19日に『スーパーの女』でこけら落としとなる。*33

2004年3月13日、防府市の小学校であった実話に基づく映画『ほたるの星』の先行上映が行われ、ツインシネマでも菅原浩志監督・原作者の宗田理・俳優の北見敏之・女優の小柳友貴美による舞台挨拶が行われた。*34

2004年5月9日、萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館する。北浦地方では唯一の映画館だった。宇部市や防府市のシネコンに観客を奪われ、駐車場がないことなどもあって観客が伸び悩んでいた。かつて萩市には2館の映画館があったが、ツインシネマの前身となる映画館が閉館する際に、市民有志が株式会社「ムービー・ボラトピア」を設立して運営を引き継いだ。資本金は1000万円であり、萩市で歯科医院を経営する高雄一寿が社長に就任。館名は公募でツインシネマに決定し、1996年7月に2スクリーンのツインシネマを開館させた。1997年度の観客数は4万4000人だったが、1998年度は3万4000人、2000年度は1万7000人と減少した。2001年度には萩市が舞台となった『釣りバカ日誌12』もあって3万4000人と盛り返したが、近年は再び1万人台に低迷していた。*35

2004年5月9日には萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館したが、同年夏には「萩コミュニティシネマ」が設立され、現在はNPO法人の申請中である。理事長はツインシネマの運営会社で社長を務めていた高雄一寿。8月7日から上映を再開する。*36

2005年7月30日と31日、萩市の映画館「ツインシネマ」は上映再開1周年記念イベントとして、入場者200人に萩市産のトマトをプレゼントした。両日とも定員200人は予約で満席。*37

2006年9月には佐賀県佐賀市の「佐賀セントラル」が閉館し、シネコン以外の既存映画館が姿を消した。2006年10月には鹿児島県鹿児島市の鹿児島東宝が閉館し、奄美を除くとシネコンしかない県となった。しかし、2007年4月には鹿屋市の市民交流センターに映画館が開館する予定である。山口県山口市の映画館「コミュニティシネマ山口」は全国でも珍しい公設公営の映画館である。2004年に山口県萩市に開館した「萩ツインシネマ」は、閉館した映画館をNPOが引き受けた。山口県の日本海側唯一の映画館であり、『武士の一分』など大手の作品も上映している。*38

2008年1月10日、東京都の不動産会社が所有していた萩市東田町の4階建てビル「ヤングプラザ萩」を、NPO法人萩コミュニティシネマの高雄一寿理事長ら3人で設立した土地建物賃貸借会社「株式会社TTF」が買収した。資本金は300万円であり、3人が100万円ずつ出資している。約6000万円の買収費用は市内の金融機関からの融資で賄っている。1階と2階に入居している飲食店や薬局などからの家賃収入で、借入金の返済を含めたビル経営が可能であるとしている。1981年、市内にある2館の映画館の経営者が良寛を統合した新映画館の開館のために建設された。映画館は3階と4階にある。*39

2008年11月21日から11月30日まで、萩市の映画館「萩ツインシネマ」で「萩コミュニティ映画祭」が開催される。下関市出身の佐々部清監督の作品6本が上映される。『陽はまた昇る』、『半落ち』、『チルソクの夏』、『四日間の奇蹟』、『夕凪の街桜の国』、『三本木農業高校馬術部』。11月22日には14時から『チルソクの夏』に主演した水谷妃里の舞台挨拶があり、16時15分から佐々部監督のトークショーがある。2008年8月には島根県益田市の映画館が閉館したことで、山口県長門市から島根県出雲市までの間にある映画館は萩ツインシネマのみとなった。*40

2010年初頭には萩市の映画館「萩ツインシネマ」が3D作品上映設備を導入し、3D第1弾として『アバター』を上映している。山口県内では宇部市と岩国市の映画館にも3D上映設備があるという。現在の会員は約500人。年間観客数は2006年度が1万6800人、2007年度が1万2300人、2008年度が9900人と漸減している。起爆剤として3D作品上映設備の導入を決め、総事業費1527万円のうち、2/3は国からの補助金で、1/3は萩市からの補助金で賄った。*41

2010年1月、萩ツインシネマに3D作品上映設備が導入された。2008年度の観客数は9900人であり1万人を割り込んだ。約1500万円で導入。山口県内では宇部市と岩国市の映画館でも3D設備を導入している。*42

2014年3月には下関市の「シアター・ゼロ」が休館し、単独映画館は萩市の「萩ツインシネマ」のみとなった。1999年には防府市・宇部市・下松市にシネコン3施設計21スクリーンが相次いで開館し、2014年には下関市に8スクリーンのシネマサンシャイン下関が開館している。1967年に開館した周南市のテアトル徳山は、デジタル上映設備の資金を捻出できず、2012年に閉館した。萩ツインシネマは2004年にいったん閉館したが、3カ月後にNPO法人が運営を引き継いだ。2スクリーンを1スクリーンに絞り、配給会社への支払いを歩合制に変更してもらうなどした。2004年の再出発時には年間2万人の観客がいたが、現在は8000人にまで減少している。*43

萩市の映画館「萩ツインシネマ」。2019年2月18日からは映写機の故障により休館していたが、映写機をレンタルして3月9日に営業を再開し、『ボヘミアン・ラプソディ』や『笑顔の向こうに』などを上映した。*44

2019年2月には映写機が故障して一時休館となり、3月にはレンタルした映写機で営業を再開した。4月には映写機の購入のためのクラウドファウンディングを開始すると、約2か月半で432万5000円が集まり、その他にも約250万円の寄付が寄せられた。8月には約600万円で最新式の映写機を購入した。*45

周南市

徳山国際劇場・徳山にっかつ/徳山国際劇場・徳山国際シネマ
所在地 : 山口県徳山市平和通2-47(1980年・1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「徳山国際劇場・徳山にっかつ」(2館)。1990年の映画館名簿では「徳山国際劇場・徳山国際シネマ」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
徳山グランド劇場
所在地 : 山口県徳山市戎町1-1(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「徳山グランド劇場」。
テアトル徳山(初代)/テアトル徳山・徳山映画劇場/テアトル徳山1・2/テアトル徳山機Ε轡優 ヌーヴェル
所在地 : 山口県徳山市銀座3-18(1969年)、山口県徳山市銀座2-18(1980年・1990年・2000年)、山口県周南市銀座2-18(2010年)
開館年 : 1967年
閉館年 : 2005年
1969年の映画館名簿では「テアトル徳山」。1980年の映画館名簿では「テアトル徳山・徳山映画劇場」(2館)。1990年・2000年の映画館名簿では「テアトル徳山1・2」(2館)。2010年の映画館名簿では「テアトル徳山機Ε轡優 ヌーヴェル」(2館)。

2004年9月、周南市銀座2丁目の映画館「シネマ・ヌーヴェル」が開館2周年を迎える。山口県唯一のミニシアター系映画館であり、地方では上映されにくいヨーロッパやアジアの作品を上映してきた。もともとは大作映画の上映館だったが、シネコンとの差別化を図るためにミニシアターとなった。当初は東京と同じように1作品2週間の上映だったが、認知度が高まる前に上映期間が終了してしまうのが難点だった。2004年になってから上映期間を1か月にしたところ、観客数が増えだしたという。「30-40代の女性」をターゲットとしている。*46
徳山東宝/徳山銀南シネマ/テアトル徳山3/テアトル徳山(2代)
所在地 : 山口県徳山市銀南街49(1980年)、山口県徳山市銀南街47(1990年)、山口県徳山市銀南街49(2000年・2010年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2012年12月28日
1969年の映画館名簿では「徳山東宝」。1980年の映画館名簿では「徳山銀南シネマ」。1990年・2000年の映画館名簿では「テアトル徳山3」。2010年の映画館名簿では「テアトル徳山」。

2012年12月28日をもって、周南市唯一の映画館「テアトル徳山」が休館する。1967年に開館した。1997年には観客数がピークとなり、約13万人を集めた。1999年には近隣の下松市や防府市にシネコンが開館した。2005年には系列の「シネマ・ヌーヴェル」と「テアトル徳山1」を休館させ、シネコンでは上映しない作品に絞って差別化を図った。現在の入館者数は1万2000人から1万5000人ほどにまで落ち込んでいた。*47

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