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福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市の映画館。

『全国映画館総覧 1953』における丹後地方の映画館は計24館。福知山市3館、舞鶴市7館、綾部市2館。与謝郡6館(宮津町2館、加悦町1館、岩滝町1館、市場村2館)。中郡3館(峰山町2館、大野村1館)。竹野郡3館(網野町1館、間人町1館、和田野町1館)。鉄筋造館は福知山市の福知山第二日活館、舞鶴市の松竹旭キネマ、綾部市の三ッ丸会館の3館のみであり、残りの21館は木造館。

福知山市

福知山の映画館

福知山市の広小路は娯楽面での繁華街であり、明治時代には常盤館(1976年現在の福知山第一映画)が歌舞伎や新派劇などの興行を行った。また常盤館(当時は東向き)の左側の道路(御霊神社高台の下)を西へ行くと、福知館という芝居小屋もあった。*1

松竹座/福知山第二日活館/福知山外映

所在地 : 京都府福知山市東中之町27、京都府福知山市東中之町44
開館年 : 1938年*2
閉館年 : 1978年以前
座席数 : 540席

福知山劇場は平尾吉三が経営し、その後経営を上野寿雄に引継いだ。1947年(昭和22年)には上野寿雄の長男の上野利明が映画館の「松竹座」に改称し、1973年(昭和48年)まで営業した。1976年現在は福知山商工会館として種々の団体が利用している。※下と同じ出典なのに文章に整合性がない。*3

1903年(明治36年)9月1日に福知座が落成した。福知座は御霊神社の裏手にあり、従来は半席芝居小屋であったが、1918年(大正7年)に広小路が拡張されて立派な建物に建て替えられた。1932年(昭和7年)に焼失した。福知座の跡地には、1938年(昭和13年)頃に桑畑完治の経営による松竹座が建ち、『愛染かつら』が封切られて大ヒットした。戦後には福知山第二日活や福知山外映などに改称したが、1976年現在は取り壊されて駐車場になっている。※上と同じ出典なのに文章に整合性がない。*4

福知山駅前東映

所在地 : 京都府福知山市布下川田21
開館年 :
閉館年 : 1982年頃
座席数 : 400席(1980年版)

福知山第一日活館/福知山東宝第一映画劇場/福知山東宝劇場

所在地 : 京都府福知山市東中之町28(1953年)、福知山市東中ノ28(1980年)、福知山市東中の28(1990年)
開館年 : 1953年*5
閉館年 : 2006年2月
座席数 : 629席(1953年版)、425席(1980年版)、150席(1990年版)、135席(1994年または1995年以降)

福知山東宝劇場では、1986年3月20日-31日は『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『プロゴルファー猿』、4月1日-4月12日は『キン肉マン』『フラッシュマン』、4月12日-5月2日は『タッチ』『テイク・イット・イージー』、5月3日-は『キャバレー』『彼のオートバイ 彼女の島』を上映予定。福知山スカラ座では、1986年3月15日-4月11日は『アリオン』『うる星やつら』、4月12日-5月2日は『阿修羅』『ドン松五郎の生涯』、5月3日-は『北斗の拳』を上映予定。*6

福知山スカラ座

所在地 : 京都府福知山市東中ノ28(1980年)、福知山市東中の28(1990年)
開館年 : 1986年*7
閉館年 : 2006年2月
座席数 : 161席(1990年)→146席(1994年または1995年以降)

福知山シネマ(2スクリーン)

福知山シネマ CC by Razgrad
所在地 : 京都府福知山市東中ノ町28-1
開館年 : 2007年8月4日
閉館年 : 営業中
座席数 : 134席、120席

福知山東宝劇場の跡地に開館。運営はシマフィルム。
Wikipedia
公式サイト公式twitter

2007年8月4日、福知山市東中ノ町の広小路通りに映画館「福知山シネマ」が開館する。市内最後の映画館である福知山東宝劇場・スカラ座の休館から約1年半ぶりの劇場復活。運営者は「シマフィルム」(代表は志摩敏樹)。福知山シネマにはそれぞれ約140席の2スクリーンがあり、スタッフは地元の若者ら7人。独立系作品も上映する。*8

2012年3月末には兵庫県豊岡市の豊岡劇場が閉館し、北近畿の映画館はシマフィルムが運営する福知山シネマと舞鶴八千代館の2館のみとなった。福知山シネマは2012年5月21日から5月24日まで休館し、洋式トイレの整備、2館それぞれのデジタル化、スクリーン交換などを行う。5月25日からは『メン・イン・ブラック3』を3Dで上映する。*9

2012年5月25日には福知山シネマが上映再開。館内に多目的スペース「シネマ・プラス」を設置した。*10

2014年5月10日、福知山市中ノの映画館「福知山シネマ」の隣に空き店舗を改装した複合施設「まちのば」がオープンする。福知山シネマなどを運営する「シマフィルム」(舞鶴市)が金融機関が使っていた店舗を改修した。鉄筋コンクリート造3階建て、延床面積約390平方メートルの施設は国の助成を受け、総額約9000万円で新たに生まれ変わった。1階はコミュニティースペースとして有料で貸し出す。舞台や35ミリフィルム映写機などを備え、上映会や演劇、公園、展示会などに使える。2階にはブックカフェがあり、国内や海外の文学作品や画集などの古本約3500冊をそろえている。コーヒーなどを呑みながら読書ができ、また本の購入もできる。シマフィルムの西村優作(29)が東京都内の古書店などで半年かけてそろえたという。*11

2014年5月10日には「まちのば」がオープン。1階のコミュニティスペース、2階のブックカフェからなる。ブックカフェには、東京の一箱古本市でグランプリ受賞経験のある、ブックキュレーターの西村優作が収集した3000冊以上の古本を設置。キャラクター「モジカちゃん」は漫画家の西島大介によるデザイン。まちのばのオープニングイベントとして、1階では「福知山名作劇場 日活映画の青春」と題した名画の特集上映を開催。5月24日から6月1日には『嵐を呼ぶ男』『伊豆の踊子』『キューポラのある街』『紅の拳銃』『さすらい』『夜霧よ今夜も有難う』の6作品を、8月23日から8月31日の会期2には『幕末太陽傳』『拳銃は俺のパスポート』『憎いあンちくしょう』『狂った果実』『愛と死をみつめて』『豚と軍艦』の6作品を上映した。*12

2017年8月、福知山市唯一の映画館「福知山シネマ」が開館10周年を迎える。記念イベントとして福知山市在住の漫画家であるこうの史代が原作で話題のアニメ映画「この世界の片隅に」のパネル展を開催し、2月4日から同作品を上映。2月20日にはこうのが福知山シネマを訪れた。パネル展には無料で入場でき、原画の複製など約50点を展示した。2月4日には、こうのと片渕須直監督のトークショーも開催する。こうのは2016年2月、夫の実家がある福知山市に転居。福知山シネマ支配人の細川龍作(34)が10周年イベント企画中にこれを知り、参加を依頼した。かつて福知山市には複数の映画館があったが、人口減少の影響もあって2006年までに全て姿を消した。しかし、舞鶴市の映画製作会社シマフィルムの志摩敏樹代表が、閉館した映画館を活用して2007年8月4日に福知山シネマを開館させた。中心部の広小路商店街にある同シネマは客足が伸び悩んだ時期もあったが、2012年に立体映像(3D)に対応するためデジタル上映設備を導入。2014年には隣の空き店舗を改修して多目的スペース「まちのば」をオープンするなど、「街の映画館」として市民に受け入れられてきた。*13

舞鶴市

松竹旭キネマ(西舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市中舞鶴上3
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1978年以前
座席数 : 718席

開館時の運営者は舞鶴八千代館と同じく野村鎌太郎。

松竹旭館(西舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市円満寺165
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1978年以前
座席数 : 593席

開館時の運営者は舞鶴八千代館と同じく野村鎌太郎。

八千代館/舞鶴八千代1/舞鶴八千代館1(東舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市余部3(1980年)、舞鶴市字浜239(1990年)
開館年 : 1938年(開館)、1981年(建て替え)
閉館年 : 営業中
座席数 : 220席(1938年-)→540席(1980年)→170席(1990年)→156席(1994年または1995年以降)
Wikipedia : 舞鶴八千代館

舞鶴市の舞鶴八千代館が3台目のデジタル映写機を導入し、2013年3月2日から3スクリーン全てがデジタル上映館となる。今年は開業から75周年の年であり、2月20日から3月8日には映画ポスター展と写真展を開催し、3月1日-3月3日にはファン感謝デーとして入場料を1,000円とする。八千代館は1938年(昭和13年)に野村鎌太郎が開館させ、初回上映作品はトーキー映画の『河内山宗俊』だった。当時は1スクリーンであり、2階は畳敷きだった。野村鎌太郎は八千代館のほかにも浜に旭座、中地区に旭キネマ、西地区に旭館を運営していたが、戦後には順次閉館した。1981年(昭和56年)に現在の建物に建て替えて2スクリーンとし、2000年(平成12年)からは3スクリーンである。2008年(平成20年)から「シマフィルム」(志摩敏樹代表)の運営に変わり、2010年(平成22年)と2011年(平成23年)にかけて2台の3Dデジタル映写機を導入した。1957年(昭和32年)頃には朝6時までのオールナイト上映会も開催し、入館者を京都市内の東映撮影所に招待して俳優との食事会を行うファンサービスも行った。ポスター展は『ゴジラ』『日本沈没』『七人の侍』『戦場のメリークリスマス』」など約50点を展示する。*14

2013年、舞鶴市唯一の映画館「舞鶴八千代館」が開館75周年を迎えた。1938年(昭和13年)に現在地に開館したが、当時の建物は木造であり、スクリーン数は1面だった。1981年(昭和56年)に現在の鉄骨造の建物に建て替えられ、スクリーン数は2面となった。2000年(平成12年)の増築でスクリーン数は3面となっている。今年2013年3月2日には、上映機材をフィルム映写機からデジタル映写機に入れ替えた。経営者の野村によると昭和30年代の舞鶴市内には8館の映画館があったが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを機にテレビが急速に普及し、映画人口は減り続けた。現在の北近畿には八千代館のほかに福知山市に1館あるのみである。もともと八千代館は邦画専門だったが、周囲の映画館が閉館するにつれて洋画も上映するようになった。現在の八千代館の観客数は1日約100人。*15

舞鶴八千代館は昭和初期に芝居小屋として開館し、今日では舞鶴市唯一の映画館である。取締役支配人の野村正男(61)は約30年前に上映した薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』が思い出深いと語る。この作品には長蛇の列ができ、わざわざスクリーンのある一室を待合室にしたという。2010年4月17日には立体映像(3D)の上映設備を導入し、洋画『アリス・イン・ワンダーランド』を上映中である。*16

1986年3月の上映作品は、『ドラえもん』『おばけのQ太郎』『プロゴルファー猿』『ドン松五郎の生活』『アラハン』『キン肉マン』『キャプテン翼』『フラッシュマン』『ゲゲゲの鬼太郎』『テイク・イット・イージー』『タッチ』『北斗の拳』『ジャッキー・チェンの醒拳』*17

舞鶴八千代2/舞鶴八千代館2(東舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市字浜239(1990年)
開館年 : 1981年
閉館年 : 営業中
座席数 : 72席(1990年)
Wikipedia : 舞鶴八千代館

新舞鶴座/豊栄座/松竹旭座

所在地 : 京都府舞鶴市八島通り八条(東舞鶴)
開館年 : 1940年頃
閉館年 : 1978年以後1980年以前
座席数 : 529席(1960年)、385席(1978年)

右端には映画館の旭座が映った写真あり。1905年(明治38年)、八島通八条角に演劇場の新舞鶴座が落成した。開館時の運営者は舞鶴八千代館と同じく野村鎌太郎。大正時代になると映画が流行したため、舞鶴でも活動写真を上映する劇場が増え、新舞鶴座も映画館となった。大正末期から昭和初期には新舞鶴町民の投票で豊栄座に改称し、昭和十年代半ば頃に旭座に改称した。1959年(昭和34年)の舞鶴市には7館の映画館があったが、テレビに押されて旭座も閉館した。1996年(平成8年)現在では舞鶴市に2館の映画館がある。*18

八島通八条角にあった旭座の内部の写真。ルーツは1905年(明治38年)開館の演劇場「新舞鶴座」であり、「豊栄座」を経て昭和10年代半ばに「旭座」となった。壁面には映画スターの肖像画がかかっている。1953年の写真あり。*19

東宝浮島劇場/舞鶴浮島劇場(東舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市溝尻150(1980年)、舞鶴市字溝尻150-15(1990年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1997年2月9日
座席数 : 1000席(1980年)→384席(1990年)→453席(1991年または1992年以降)

1986年3月15日から5週間の上映作品は、『エクスプローラーズ』『ヤングシャーロック』『ピラミッドの謎』の3作品。*20

1997年(平成9年)2月9日をもって閉館する舞鶴浮島劇場で、2月8日・2月9日の2日間にわたって4本立てさよなら上映会が開催される。57年間の歴史に幕を閉じる。1940年(昭和15年)に旧日本国海軍の慰安施設として開館し、戦時中は水兵たちでにぎわった。建物は旧海軍の共済組織「海仁会」が建てた木造3階建てである。戦後は東宝浮島劇場となり、洋画封切館となり、1952年(昭和27年)に舞鶴浮島劇場に改称した。客席は500席で2階は畳席である。京都府北部でもっとも大きなスクリーンでシネマスコープを上映し、一般の映画ファンや海上自衛隊員らの客の人気を呼んだが、レンタルビデオやパチンコなどの普及で客足が落ちた。また、1995年(平成7年)に経営者の岡本勢平が死去したこともあり、支配人の加藤とし子(67)が閉館を決定した。加藤とし子は「亡くなった経営者の岡本勢平さん、徳ゑさん夫妻が映画好きだったので映画ファンの映画館だった」と語る。

さよなら上映会には2階の畳席も開放する。2月8日午前11時に『ショーシャンクの空に』、午後2時に『男はつらいよ』(第一作)、午後3時32分に『新・喜びも悲しみも幾歳月』、午後6時15分に『マディソン郡の橋』を上映。2月9日午前11時に『マディソン郡の橋』、午後1時45分に『男はつらいよ』(第一作)、午後3時17分に『ボディガード』、午後5時45分に『ニューシネマパラダイス』を上映する。*21

1940年(昭和15年)に海軍関係者の共済組織である海仁会が、海軍の娯楽施設として舞鶴浮島劇場を開館させた。戦前には東海林太郎なども公演して大変なにぎわいだった。ロビーの丸い石柱は海軍時代の雰囲気を伝えており、畳席もある。このほど(※1997年2月15日の新聞記事である)閉館した。*22

3階建ての建物の外観とロビーの写真あり。もともとは1940年(昭和15年)頃に建てられた海軍関係の娯楽施設であり、1952年(昭和27年)に東宝浮島劇場となった。後に舞鶴浮島劇場に改称している。回り舞台や花道もあった洋画上映館である。現在は跡地にマンションが建っている。*23

日本国海軍の軍事施設だった建物を劇場に転用。1952年に東宝浮島劇場として開館し、舞鶴浮島劇場に改称して洋画専門館に。浮島映画館と呼ぶ人もいた。1階席は普通の椅子席だったが、2階席の最前部は畳が敷いてあった。1997年に閉館した。建物は取り壊され、現在はマンションが建っている。*24

東舞鶴の与保呂川と志楽川の河口近く、京都府立東舞鶴高校浮島分校のすぐ西側には、木々が生い茂る小高い丘「浮島」がある。山上には嶋満神社(しまみつるじんじゃ)があり、1977年(昭和52年)7月に浮島劇場の創立50周年記念で寄進された赤い鳥居がある。*25

京都府立東舞鶴高校浮島分校の南側、現在の佐々木薬局本店付近に浮島劇場という映画館があった。かつて東舞鶴には2軒の映画館があり、浮島劇場は洋画メイン、現在も営業中の舞鶴八千代館が邦画メインだった。*26

1978年時点で経営者は岡本礼子、支配人は岡本正義。西舞鶴の日本劇場と同じだった。*27

舞鶴映画劇場/舞鶴日活映画劇場(西舞鶴)

所在地 : 京都府舞鶴市円満寺151
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1978年以前
座席数 : 526席

昭和中期の舞鶴映画劇場の開館記念写真。現在の真名井千日通、北都信用金庫の場所にあった。*28

日本劇場(西舞鶴)

所在地 : 舞鶴市広小路(1960年)、舞鶴市字北田辺120(1978年)
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
座席数 : 750席(1960年)、540席(1978年)
1978年時点の経営者は岡本礼子、支配人は岡本正義であり、東舞鶴の浮島劇場と同じ。1978年時点では成人映画館だった。

舞鶴市の映画館

朝代新地に在るものを縦楽座とし、鎮守府街道にあるものを舞鶴座とす、舞鶴座は明治31年の新築にして、縦楽座は本年を以て改築せらる、輪興の美共に近郷に誇るに足るものあり、其他人寄席都座は、本年新に字堀上に建てらる、規模小なりと雖も設備美●一夕の歓を●に足る*29


東部の新市街、八島通六条に明治35年新築された稲荷座と、同じ街通りの八条角に38年落成した新舞鶴座が興行していた。また、同44年にすでに興行していた三条海岸の群鶴座では、同年9月16、17日琵琶同好会が開催され、衣川美由幾、山岡薩南等が滞在し出演した記録がのこっている。加佐郡役所の調査によると、明治44年末当時、演劇場及び人寄席は、舞鶴町3、余部町2、新舞鶴町2あるが、これらのうち舞鶴町の縦楽座では同年11月30日から12月1日にかけて、今様能狂言の名優といわれた泉祐三郎一座が舞鶴紫泉会に招かれて来演し、翌45年6月に新舞鶴町稲荷座で翠香園一座の壮士芝居が、また同年9月には劇場は不明ながら川上音次郎一派から分れた静間小次郎劇団の新派劇が興行されるなど、新興の軍港都市として多彩な動きがみられる。大正2年に入ると5月26日に鳥取地方の巡業の帰阪途次、市川斎入、右団次、嵐巌、実川八百歳、浅尾関十郎、嵐村右衛門等名の大歌舞伎の一行が舞鶴町の舞鶴座で開演し、福知山、綾部、新舞鶴からの観劇者には片道の汽車賃を、余部(中舞鶴)、宮津よりの入場者には汽車賃の割戻しをするなどの客寄せをして評判高い興行を行った。これらの劇場や寄席は、当時寺院以外には公共の会場をもたなかった民衆にとって、共通の意思疎通をはかり、またこれを確認し合いながら共に楽しむことができる集合所でもあった。明治35年、加佐郡の招魂祭で縦楽座舞鶴座がその慰安会場として使用されたもので、その後、海軍工廠の職工団体が中舞鶴町の寿座、新舞鶴町の稲荷座などを借用して諸行事を開催している。*30


大正11年、新舞鶴町では常設映画館として帝国館新舞鶴座の2館が興行している。昭和13年、舞鶴町内には2常設映画館がある。旭館は197坪、定員607、個人経営。八千代館は77坪、定員360、個人経営。映画館ではなく劇場の舞鶴座は270坪、定員825、個人経営。*31


東舞鶴市民が銃後の産業に疲れた身を映画慰安に求める傾向は最近ことのほか著しく市内5ヶ所の常設館は常に超満員という盛況をみせているが東舞鶴警察署の調査による9月各館の入場者左の通り総計10万を突破している。
東舞鶴新興・・・・・39,554人
東舞鶴映画劇場・・・25,815人
旭座・・・・・・・・20,005人
八千代館・・・・・・13,091人
旭キネマ・・・・・・11,124人*32
しかし、これらの映画館も、敗戦色濃くなった昭和19年ごろから次つぎと閉鎖・廃業に追いやられていった。そして戦後、戦前からすでに衰退傾向にあった劇場が、26年には舞鶴市内から姿を消したのとは反対に、映画館は大衆娯楽上の中核としていち早く復活、大繁栄をみた。34年4月1日現在、本市内には映画館は7館あり、前年の33年中にこれに入場した人数は、延べ118万9968人を数えたが、これは、市民1人当たり年間11.6回入場したことになる。29年3月のNHK大阪テレビ局に続き民間テレビ局も開局し、テレビがめざましく普及したため、それに押されて映画観覧者は次第に減少をはじめ、48年4月1日現在、市内の映画館数4館、47年中の入場者延べ18万1663人と、33年をピークに年々衰微し、54年には東地域に2館を残すのみとなってしまった。*33

綾部市

平和劇場

所在地 : 京都府綾部市天神町南大坪21-5(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後

洋画専門館だったらしい。

栄楽劇場

所在地 : 京都府綾部市本町5-24
開館年 : 1948年以前
閉館年 : 1960年以後1978年以前
1949年(昭和24年)、三ッ丸映画劇場に加えてもうひとつあった劇場である栄楽劇場に、邦画を中心とする何鹿映画鑑賞会が設立された。1950年(昭和25年)3月にはアメリカ映画研究会と何鹿映画鑑賞会が合併して綾部映画研究会となった。*34

設立者は谷口源蔵が代表を務める谷口興行社。谷口興行社は1951年(昭和26年)、京都市内に京都東山本町劇場(後の本町館)を設立している。*35

三ッ丸映画/三ッ丸会館/三ッ丸映画劇場/綾部三丸映劇/サンワパレス

所在地 : 京都府綾部市綾部21、京都府綾部市西町1-21
開館年 : 1948年?
閉館年 : 1978年

1948年(昭和23年)8月、三ッ丸映画劇場の開館にともなってアメリカ映画研究会が設立された。このグループは月1回の頻度で鑑賞会を行い、さらに合評会を行って会報を発行した。劇場がせまいため150人がグループの定員だったが、希望者が多くて会員数を制限するのに困ったほどだった。*36

映画黄金期の綾部には三ツ丸映画劇場・栄楽劇場・平和劇場の3映画館があり、昭和30年代には一年間に計30万人以上の観客数があったが、テレビの影響で激減して栄楽劇場と平和劇場が閉館した。三ツ丸映画劇場はサンワパレスに改称したが、1978年(昭和53年)にはサンワパレスも閉館した。*37

綾部ITホールA

所在地 : 京都府綾部市西町1-4-1
開館年 : 1997年
閉館年 :
座席数 : 80席

宮津市

市民団体「宮津シネマフレンズ」

1981年4月には「宮津シネマフレンズ」が設立された。5月24日には宮津会館大ホールで第1回例会を開催。14時と18時から『フロント』(作品名かどうか不明)、16時10分と19時50分に『トランザム』(作品名かどうか不明)を上映する。チケットは当日一般1100円、当日学生800円、会員600円。会員になると「見たい映画」「見せたい映画」のリクエストが可能であり、また舞鶴市内の映画館の割引がある。*38

みやづシネマフレンズの設立から1年が経過し、会費を「入会金500円、例会ごとに600円」から「年会費2500円」に改正する。1982年7月24日・7月25日には2日間にわたって第4回例会を開催。『典子は、今』と『にんげんをかえせ』の2作品を上映。*39

1984年5月6日には宮津会館でみやづシネマフレンズの第15回例会を開催。14時からと19時からの2回にわたって『ザ・デイ・アフター』を上映。*40

万年座/宮津劇場(宮劇)

所在地 : 京都府与謝郡宮津町字万年1017
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
座席数 : 650席、506席(1978年)

かつて万年座という芝居小屋があり、上映作品を宣伝する隊のチンドン屋が鐘や太鼓を叩いて町を練り歩いた。後に宮津劇場に改称して常設の映画館となった。現在の跡地は大きなアパートとなっている。時期不明の宮津劇場の写真、1989年現在の跡地のアパートの写真あり。*41

宮劇は今の万年ハイツの場所にあった。上映作品は東映と洋画。『ベン・ハー』(1959年・アメリカ)や『大脱走』(1963年・アメリカ)や『ほほにかかる涙』(1964年・イタリア)や『イージーライダー』(1969年・アメリカ)などを上映した。*42

かつて宮津には宮津劇場があり、近江飛竜一座などの旅役者が公演した。近江新之介座長が率いる関西老舗の「浪花劇団」の特別公演も開催された。*43

『地域情報誌 丹後ing』1984年秋号には宮津東宝の200円割引券が印刷されている。1984年秋の宮津東宝の上映スケジュールは、1984年9月15日-9月21日が『キャノンボール2』『バット・トラック』(バット・トラックなんていう映画があるのか不明)、9月22日-9月28日が『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(後年にジェダイの帰還に名称変更された)『カランバ』、9月29日-10月5日が『化粧 彩り河』、10月6日-10月12日が『必殺 海つばめのジョー』。*44

『地域情報誌 丹後ing』1986年春号には、丹後地方の映画館の3月から6月までの上映情報が掲載されている。宮津東宝1、宮津東宝2、東舞鶴八千代、浮島劇場、福知山東宝劇場、福知山スカラ座の6館が掲載されている。宮津東宝1は『キン肉マン』『キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦』『ゲゲゲの鬼太郎』『恋文』『それから』『ゴールドパピヨン』『レイザー・バック』『オーディーン 光子帆船スターライト』『ザ・サムライ』『山下少年物語』『君が輝くとき』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『玄海つれづれ節』『セカンド・ラブ』『雪の断章』『情熱』『姉妹坂』。宮津東宝2は『野蛮人のように』『ビー・バップ・ハイスクール』『ネバーエンディング・ストーリー』『幸福物語』『懺悔M』『愛の遍歴』『ポルノ三本立』『ビルマの竪琴』『刑事物語3』『潮騒の詩』『日活ロマンポルノ』『食人族』『マッドマックス/サンダードーム』『コーラスライン』*45

宮津劇場は洋画の殿堂だった。『望郷』(1937年・フランス)、『舞踏会の手帖』(1937年・フランス)、『風と共に去りぬ』(1939年・アメリカ)、『無防備都市』(1945年・イタリア)、『シェーン』(1945年・アメリカ)、『赤い靴』(1948年・イギリス)、『楽聖ショパン』(1953年・アメリカ)、『アンナ・カレーニナ』(どの作品か不明)などを上映した。1973年11月には『ゲッタウェイ』や『ジョニーは戦場へ行った』を上映した際の写真あり。*46

1984年8月の宮津東宝の上映スケジュールは、7月28日-8月3日が『すかんぴんウォーク』『うる星やつら2』の2作品、8月4日-8月10日が『水滸伝』『マッド・ライダー』の2作品、8月11日-8月20日が『天国の駅』『晴れときどき殺人』の2作品、8月21日-8月31日が『キン肉マン』『宇宙刑事シャイダ』『バイオマン』の3作品。*47

宮津東宝は1985年6月から2スクリーン体制となる。1985年6月の上映スケジュールは以下の通り。宮津東宝1は、5月20日-6月7日が『序の舞』『櫂』、6月8日-6月21日が『五福星』『チャンピオン鷹』、6月22日-7月5日が『ベスト・キッド』『ザ・ライダー』。宮津東宝2は6月22日-6月28日が『愛染恭子の未亡人下宿』『秘色リース妻』『ニセ未亡人いちじく白書』、6月29日-7月5日が『イヴちゃん姫』『愛獣・熱く凌す』『未熟な下半身』。*48

1987年6月の上映スケジュールは以下の通り。宮津東宝1は、5月23日-6月5日が『ザ・フライ』『ゴースト・ハンターズ』、6月6日-6月26日が『白い道』、6月27日-7月9日が『山口組九州侵攻作戦』『山口組三代目総集編』。宮津東宝2は、5月30日-6月5日がロマンポルノ2本立、6月6日-6月19日が『マッドマックス/サンダードーム』『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』、6月20日-6月26日が『松居一代の衝撃』他ポルノ、6月27日-7月4日が日活ロマンポルノ3本立。*49

1987年10月の上映スケジュールは以下の通り。宮津東宝1は、10月3日-10月16日が『必殺』『吉原炎上』、10月17日-10月23日が『日本の首領』『北陸代理戦争』、10月24日-11月6日が『プレデター』『エンゼル・ハート』。宮津東宝2は、10月3日-10月9日がポルノ3本立、10月10日-10月20日が『めぞん一刻』『新宿純愛物語』、10月21日-10月30日がポルノ3本立。*50

宮津有楽館

所在地 : 京都府与謝郡宮津町字万年538、549
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1960年以後1978年以前
座席数 : 588席
宮津にはかつて「有楽館」と「宮津劇場(宮劇)」の2館の映画館があった。有楽館はやまと屋旅館の斜め前であり、現在はガレージになっている。大映,にっかつ,松竹の作品が上映された。有楽館の2階は畳敷きで冬は寒かった。有料の火鉢の貸し出しがあり,客はおのおの火鉢にあたりながら映画を見た。*51

宮津東宝1・2

所在地 : 京都府宮津市字鶴賀2075(1990年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 1995年
座席数 : 宮津東宝1は72席、宮津東宝2は50席(1990年)

1995年の映画館名簿には72席の宮津東宝1のみが掲載されている。経営者は小谷食品。

京丹後市

峰山劇場

所在地 : 京都府中郡峰山町字千才664
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1986年以前
座席数 : 400席(1978年)
1978年時点の経営者は萩野元枝、支配人も萩野元枝。鉄筋2階建て。400席。邦画・洋画を上映。

『地域情報誌 丹後ing』1986年春号には丹後地方の映画館上映案内が掲載されているが、峰山町の映画館は1館も掲載されていない。その代わりに峰山文化会館が掲載されており、1986年4月5日には中原企画が峰山文化会館で『キン肉マン』『キャプテン翼』『ゲゲゲの鬼太郎』を上映予定。*52

明峰会館

所在地 : 京都府中郡峰山町浪花字杉谷(1953年)、京都府京丹後市峰山町杉谷914番地の1(株式会社明峰会館)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1960年以後1976年以前
京丹後フィルムウィーク実行委員会と京丹後フィルムコミッションが主催した京丹後フィルムウィーク2013のチラシには、「会場:ろばた中原(旧 明峰会館)」とある。*53

大野劇場

所在地 : 京都府中郡大野村口大野
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後

日勝館(網野映画館)

所在地 : 京都府竹野郡網野町242
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後

京都北都信用金庫網野支店と道路を挟んで西側の民家は「京都府京丹後市網野町網野242−5」であり、好立地であることを考えても跡地である可能性がある。またこれとは別に、網野町立網野公民館の西50メートルに日勝館ビルなる名前の鉄筋コンクリート造2階建てのビルがある。ストリートビューによると日勝館ビルの正面には「網野ショッピングセンター」という文字が見え、4軒の居酒屋/スナックが入居しているらしい。建物の古さや外観はかつての映画館でもおかしくないように見えるが、下記の「在りし日の日勝館」の写真の外観とは異なるように見える。

2016年(平成28年)4月に琴引浜鳴き砂文化館で開催された写真展『郷愁・丹後の今昔』には、「在りし日の日勝館」(網野映画館)の写真が展示されたらしい。

『網野町誌 中巻』には「ちりめん祭(網映前)」の写真が掲載されている。*54

『網野町誌 下巻』には1954年の町内文化団体に「潮演劇研究会・エルアギターバンド・紅葉会・郷土研究会・カメラクラブ・網野洋舞研究会・真華流花の会・音羽流舞踏会・琴曲菊澄会・尺八狂琳会・潮光会・玉諷会、三津音楽会を挙げ、ほかに「網の劇場(日勝館)・浅茂川劇場」を挙げている。原典は橋立新聞社の『奥丹後年鑑』としている。*55

間人劇場

所在地 : 京都府竹野郡間人町字向地
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後

和田野座

所在地 : 京都府竹野郡和田野町
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後

与謝郡与謝野町

加悦劇場

所在地 : 京都府与謝郡加悦町算所93
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
座席数 : 470席(1978年)
加悦劇場では『おけさ唄えば』(1961年・大映)や『俺が地獄の手品師だ』(1961年・東映)を上映し、ライオンの歯磨き粉に映画招待券を付けた。*56

1978年時点の経営者は小柴明、支配人も小柴明。木造平屋建て。470席。邦画・洋画を上映。

岩滝劇場

所在地 : 京都府与謝郡岩滝町(1953年)、京都府与謝郡与謝野町岩滝 2104-2(岩滝会館時代)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1966年
昭和初年には与謝郡岩滝町に木造の劇場が建設され、岩滝町で唯一の娯楽機関だったが、1950年(昭和25年)6月11日の火災で焼失した。岩滝町は2,631,000円を出資した上で一般市民からの寄付も募り、9,050,000円の資金を調達。旧海軍の鉄骨造の建物の払い下げを受け、1953年(昭和28年)に岩滝劇場が開館した。岩滝劇場では演劇の上演や映画の上映が行われたが、テレビの普及で観客数が減少したため休館した。岩滝町が債務を負担し、劇場財産の所有権を岩滝町に移管、社会教育施設の岩滝会館に転換した。455ページには岩滝会館の写真あり。*57

昭和初年の岩滝には、町で唯一の娯楽施設である木造の劇場が建設された。1950年(昭和25年)6月11日の火災で焼失したが、岩滝町や町民が資金を出し合って再建に取り組んだ。旧日本国海軍の鉄骨造の建物の払い下げを受け、1953年(昭和28年)に岩滝劇場が開館した。演劇や映画の興行を行ったが、テレビの普及によって観客数が減少して閉館となった。1966年(昭和41年)には岩滝劇場の所有権を岩滝町に移し、町所有の社会教育施設である岩滝会館として使用した。岩滝会館は580席を有し、各種行事に使用された。*58

岩滝会館は老朽化のために2009年(平成21年)後半に取り壊され、跡地には京都府看護協会による天橋立訪問看護ステーションが建設された。*59

橋立劇場

所在地 : 京都府与謝郡市場村字幾地369(1953年)、京都府与謝郡野田川町(1960年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後1960年以前?

京都北都信用金庫野田川支店は京都府与謝郡与謝野町幾地369-1に建っており、橋立劇場の跡地の可能性がある。

市場劇場(市橋劇場?)

所在地 : 京都府与謝郡市場村字四辻(1953年)、京都府与謝郡野田川町四辻(1960年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1960年以後1976年以前

各年の映画館名簿

【1990年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、宮津東宝1、宮津東宝2
【1991年版】
不明
【1992年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、宮津東宝1、宮津東宝2
【1993年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、宮津東宝1、宮津東宝2
【1994年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、宮津東宝1、宮津東宝2
【1995年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、宮津東宝1
【1996年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2
【1997年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、浮島劇場、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2
【1998年版】
福知山東宝劇場、福知山スカラ座、舞鶴八千代1、舞鶴八千代2、綾部ITホールA

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