日本の映画館の総合データベースです。

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滝川市

滝川劇場(新)
所在地 : 北海道滝川市栄町(1962年)
開館年 : 1951年1月2日
閉館年 : 1963年3月


1951年1月2日、滝川駅に近い宝町にニュース映画中心の「(新)滝川劇場」が新築開館した。経営者はかつて(旧)「滝川劇場」を経営していた鈴木庄太郎であり、鈴木庄太郎の病没後には妻の鈴木マサが引き継いだ。1955年12月27日には全焼したが、1956年6月8日に営業が再開された。1958年には有限会社鈴木興行が設立され、買収した「セントラル劇場」と滝川劇場の2館を経営している。*1

1951年1月2日、滝川駅に近い宝街に鈴木庄太郎によってニュース映画中心の「滝川劇場」が開館した。1951年6月24日に鈴木庄太郎が死去すると、妻の鈴木マサが経営者となった。1955年12月27日には火災で類焼して全焼したが、1956年6月8日に営業を再開した。1958年には有限会社鈴木興業が設立され、「セントラル劇場」も買収した。滝川劇場は1963年3月に閉館した。滝川劇場の写真あり。*2
栄楽座/江部乙映画劇場/江部乙映劇
所在地 : 北海道空知郡江部乙町(1962年)
開館年 : 1921年
閉館年 : 1964年9月


昭和初期の江部乙村にあった「栄楽座」の写真あり。1921年、屯田兵の浅田幸八は寄席を譲り受けて栄楽座を開館させた。芝居、浪曲、活動写真、集会などが催された。*3

戦後には江部乙町にも映画ブームが到来し、2館の映画館が営業していたが、1958年頃からのテレビブームで観客数が減少し、1963年には片方の映画館が閉館して自動車工場に身売りした。*4

1921年、江部乙村市街地(現・西12丁目)にあった寄席を浅田幸八が譲り受けて「栄楽座」が開場した。同年9月に浅田幸八が死去したため、息子の浅田栄蔵が跡を継ぎ、活動写真・芝居・浪曲の興行や集会などに用いられた。1936年2月6日に浅田栄蔵が死去すると、遺族が経営を継いだ。1964年9月に閉館した。*5
滝川劇場(旧)/文化劇場/国際劇場/北映劇場
所在地 : 北海道滝川市大町200(1964年)
開館年 : 1924年4月、1951年(移転)、1956年1月(建て替え)
閉館年 : 1963年3月


1923年の滝川町の片畑通りにあった「滝川劇場」の写真あり。1923年9月、資本金5万円の株式組織で滝川劇場が建てられた。木造3階建、柾葺。総坪数378.5坪。*6

1923年9月には滝川町片畑通2818に「滝川劇場」が建てられ、1924年4月に開業した。木造3階建、総坪数378.5坪であり、中部空知の大劇場と言われた。資本金5万円の株式組織である。1948年には増改築が施されて「空知労働会館」に改称したが、工事費などで多額の負債ができた。1949年7月1日には美唄市の前田興業部に一部経営が委託され、「滝川文化劇場」に改称した。1958年11月には増改築して「滝川国際劇場」に改称した。1959年5月15日、前田興業部は滝川国際劇場を佐久間政太郎に売却した。佐久間は資本金50万円の株式組織として1962年現在も営業している。*7

1923年9月、滝川町に資本金5万円で株式会社滝川劇場が設立され、1924年4月には片畑通に建てられた「滝川劇場」が開館した。木造3階建、総坪数378.5坪であり、札幌市や小樽市の劇場と比較しても遜色ない立派な劇場だった。1948年12月23日、滝川町の滝川劇場の増改築が落成し、「空知労働会館」が開館した。1949年7月1日、美唄市の前田興業部に空知労働会館の経営の一部が委託され、「滝川文化劇場」に改称して営業を開始した。1958年11月には増改築して「滝川国際劇場」に改称したが、1959年5月15日には前田興業部から佐久間政太郎に売却された。1963年8月には中島長一郎に譲渡され、建物は貸館や貸店舗として用いられた。1969年8月から1978年夏までは家具や家電を販売するリビングナカジマとなっていた。*8

1956年の滝川市にあった「滝川劇場」の写真あり。花輪が見える。1923年には「滝川劇場」が開館したが、戦後には建物が空知労働会館に売却された。2014年現在の国道38号沿いの滝川市役所の場所である。1951年には同一経営者が滝川駅近くの宝商店街に2代目滝川劇場を建てたが、1955年12月に全焼した。1956年1月には3代目滝川劇場が開館したが、1963年3月に閉館した。*9
蛭子座/滝川第一劇場/滝川映画劇場/セントラル劇場
所在地 : 北海道滝川市大町166(1965年)
開館年 : 1949年11月
閉館年 : 1964年3月


1902年12月1日、滝川町本通り3丁目(1962年現在の大町)に株式会社蛭子座が設立された。やがて「蛭子座」は藤田才市の単独経営となり、1911年10月には増改築した。1934年5月に藤田才市が死去すると、長男の藤田与作が経営を継いだが、直後の1934年11月に病死した。弟の藤田才次が3代目となり、1937年に大増改築した。1943年8月には「滝川映画劇場」に改称したが、1949年3月には失火で全焼した。1949年11月、藤田才次は総工費800万円で「滝川第一劇場」を再建した。1950年6月30日、藤田才次は美唄市の前田興業部に経営を委託すると、同年10月8日にはもとの「滝川映画劇場」に戻された。滝川映画劇場は1957年6月に閉館したが、鈴木興行が350万円で買収して改装を行い、1958年12月17日に「セントラル劇場」として開館した。建坪180坪、総坪数200坪、定員400人。*10

1902年12月1日、滝川町本通り3丁目(1981年現在の大町)に株式会社蛭子座が設立された。当初は共同経営だったが、すぐに藤田才市の単独経営となった。1911年10月には一部を増改築した。蛭子座の写真あり。1934年5月に藤田才市が死去すると、跡を継いだ長男の藤田与作は病気で同年11月に死去し、藤田才次が3代目となった。1937年には大増改築を行い、1943年には「滝川映画劇場」に改称して営業した。戦後の1949年3月に失火で全焼すると、1949年には総工費800万円で「滝川第一劇場」が建てられた。1950年6月30日には美唄市の前田興業部に経営が委託され、同年10月8日には「滝川映画劇場」に改称した。経営難で1957年6月に閉館したが、鈴木興行が350万円で滝川映画劇場を買収し、1958年12月17日には「セントラル劇場」が開館した。建坪180坪、総坪数200坪、定員400人。セントラル劇場は1964年3月に閉館した。*11
江部乙劇場
所在地 : 北海道空知郡江部乙町(1965年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1964年3月


1951年、山田興業の山田忠三郎が国道沿いの江部乙村12丁目に「江部乙映劇」を開館させた。1955年には吉田弘が経営者となって1964年3月まで営業した。江部乙映劇の閉館によって江部乙町から映画館がなくなった。*12
洪基館/朝日劇場
所在地 : 北海道滝川市朝日町(1965年)
開館年 : 1944年
閉館年 : 1967年8月24日
跡地は「滝川黄金郵便局」南西140mにある「そらち腎泌尿器科クリニック」。最寄駅はJR函館本線滝川駅。


1944年、滝川町滝ノ川通り2丁目に「洪基館」が建設された。北海道人造石油の慰安・娯楽施設であり、従業員と家族のみを対象としていた。戦後には滝川化学工業に移管されて市民にも開放されたが、1952年6月には滝川化学工業が倒産したことで、洪基館も廃館となった。建物は松庫商店が買収し、「朝日劇場」に改称した。その後中島長太郎が買収し、1960年11月20日に新装開館した。*13

1938年には北海道人造石油株式会社が滝川町に進出し、1944年には滝の川通2丁目に社員と家族を大勝する慰安・娯楽施設「洪基館」が建てられた。1945年8月15日の終戦とともに北海道人造石油が閉鎖されると、洪基館は滝川化学工業株式会社に移管され、やがて一般市民にも開放された。1952年6月、滝川化学工業の倒産によって洪基館は廃館となった。建物を松庫商店が買収し、「朝日劇場」に改称して隔日や衆一日程度の営業を行っていた。さらに中島長太郎が朝日劇場を買収し、1960年11月20日に新装開館して昼夜の上映を行った。1967年8月24日に閉館。笹木源太郎がスーパー・宴会場を営業し、1978年には伊東水産が卸売を営み、恵北丸一が建材の販売を行った。*14
テアトル宝映
所在地 : 北海道滝川市栄町362(1972年)
開館年 : 1958年6月10日
閉館年 : 1972年4月30日
跡地は「北門信用金庫本店」。最寄駅はJR函館本線・根室本線滝川駅。


1958年6月10日、滝川町栄町351番地の名店ビル3階に東宝・大映系上映館「テアトル宝映」が開館した。建坪142.25坪、収容定員320人。社長は山下菊太郎。*15

1958年6月10日、滝川町栄町351の名店ビル3階に「テアトル宝映」が開館した。収容定員320人。社長は山下菊太郎。テアトル宝映は1972年4月30日に閉館した。*16

1958年の滝川市にあった滝川名店ビルの写真あり。戦後には引揚者によるマーケットや廉価市場があった場所である。1956年にマーケットで火災が起こると、1958年には鉄筋コンクリート3階建の名店ビルが竣工し、商業施設、食堂、劇場などが入った。1980年に建て替えられた。*17

1958年の滝川市にあった名店ビルの写真あり。名店ビル銀座通りと鈴蘭通りが交差する角にあった。同年7月には滝川町が市制施行して滝川市となっている。近代的な食堂、映画館「テアトル宝映」などが入った。*18
滝川公楽劇場/公楽劇場
所在地 : 北海道滝川市栄町312(1977年)
開館年 : 1966年
閉館年 : 1976年4月


1966年、滝川市に映画館「公楽」が開館した。1976年4月に閉館した。*19

1966年から1976年4月まで、滝川市栄町2丁目に映画館「公楽」があり、松竹作品や洋画を上映していた。定員は230人。1976年、公楽の経営者は大町2丁目に「滝川映劇」「滝川キネマ」を建てた。*20
滝川東映/滝川東映劇場/東映劇場
所在地 : 北海道滝川市本町180(1979年)
開館年 : 1956年8月4日
閉館年 : 1978年
跡地は「東映ソサエティビル」。最寄駅はJR函館本線・根室本線滝川駅。


1956年8月4日、滝川町本町180番地に東映専門館「滝川東映劇場」が開館した。滝川北映、セントラル、滝川劇場に次いで4番目の映画館であり、中心市街地にあったことで観客が多い。建坪84坪、収容定員295人。経営は芦別市の芦別興業。*21

1956年8月4日、滝川町本町180に芦別興業によって東映上映館「滝川東映劇場」が開館した。「滝川北映」、「セントラル」、「滝川劇場」に次ぐ映画館である。1978年に建物を改築するまで営業した。1979年12月、本町1丁目2-26の東映ソサエティビル4階に定員72人の「シネマピッコロ」を開館させた。*22

1956年の滝川市大町にあった「滝川東映」の写真あり。『隠密七生記』や『一心太助 天下の一大事』『柳生旅ごよみ 女難一刀流』の看板が見える。終戦時の滝川には3館の劇場・映画館があった。1956年には滝川東映が開館した。*23

1979年、滝川市の映画館「東映」跡地に鉄筋コンクリート造5階建の東映ソサエティビルが竣工した。*24
シネマピッコロ
所在地 : 北海道滝川市本町180(1981年)
開館年 : 1979年12月
閉館年 : 1981年頃
映画館が入っていた建物は「東映ソサエティビル」として現存。最寄駅はJR函館本線・根室本線滝川駅。


1956年8月4日、滝川町本町180に芦別興業によって東映上映館「滝川東映劇場」が開館した。「滝川北映」、「セントラル」、「滝川劇場」に次ぐ映画館である。1978年に建物を改築するまで営業した。1979年12月、本町1丁目2-26の東映ソサエティビル4階に定員72人の「シネマピッコロ」を開館させた。*25
滝川映劇・滝川キネマ/滝川映劇・滝川キネマ・滝川にっかつ/滝川映劇1・2・3/滝川シネマシアター/滝川劇場・滝川ミラノ座
所在地 : 北海道滝川市大町2丁目1(2000年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 2000年8月31日
跡地は「滝川市立病院」140mの駐車場。最寄駅はJR函館本線・根室本線滝川駅。


1966年から1976年4月まで、滝川市栄町2丁目に映画館「公楽」があり、松竹作品や洋画を上映していた。定員は230人。1976年、公楽の経営者は大町2丁目に「滝川映劇」「滝川キネマ」を建てた。1980年1月には「滝川にっかつ」を増設した。滝川キネマの写真あり。*26
たきかわホール
所在地 : 北海道滝川市栄町3丁目9-2 西友滝川店(2003年)
開館年 : 1987年頃
閉館年 : 2003年頃
映画館が入っていた滝川駅北東80mに「スマイルビル」として現存。最寄駅はJR函館本線・根室本線滝川駅。

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