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hekikaicinema 2026年08月25日(火) 13:31:02履歴
所在地 : 東京市足立区中居町(1943年)
開館年 : 1933年頃
閉館年 : 1944年頃
1933年頃、千住に大都映画の上映館「中央館」が開館した。国道4号の西側にあり、市電の大師道停留場に近かった。1944年頃に閉館した。*1
開館年 : 1933年頃
閉館年 : 1944年頃
1933年頃、千住に大都映画の上映館「中央館」が開館した。国道4号の西側にあり、市電の大師道停留場に近かった。1944年頃に閉館した。*1
所在地 : 東京都足立区梅田町1633(1959年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1953年10月
閉館年 : 1959年頃
跡地は「都営バス千住営業所」(千住車庫)西側入口付近。最寄駅は東武伊勢崎線五反野駅。
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*2
開館年 : 1936年以後1941年以前、1953年10月
閉館年 : 1959年頃
跡地は「都営バス千住営業所」(千住車庫)西側入口付近。最寄駅は東武伊勢崎線五反野駅。
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*2
所在地 : 東京都足立区千住中居町98(1962年)
開館年 : 1916年頃、1951年11月
閉館年 : 1961年
跡地は「三泉ビル」と「第二小泉ビル」。最寄駅はJR北千住駅。
足立区で2番目に古い映画館は、千住中居町29-1にあった「千住金美館」であり、1930年または1931年に開館した。前身は寄席「千寿劇場」(千住劇場)であり、大正記念道が開通した1916年頃に開場したとされることもあるが、『東京朝日新聞』によると開場初日は1919年1月1日だった。1927年12月には千住金美館に改称し、1936年には建物脇に昭和通りが開通すると、映画館の入口を大正記念道側から昭和通り側に移した。この際に千住金美館通り昭和会という商店会が発足している。1945年4月13日、空襲で建物が焼失した。終戦から数年後に再建されたが、千住金美館は1961年に閉館した。2012年現在の千住金美館跡地には三泉ビルが建っている。*3
足立区にあった「千住金美館」の前身は「千寿劇場」(千住劇場)である。1916年10月には大正道路が開通したが、千寿劇場もこの頃に開館した。千寿劇場は1927年暮れに千住金美館に改称した。*4
1916年に大正道が造成されると、1920年3月には千住寿町に「千寿劇場」(千住劇場)が開館した。1930年には金美館チェーンの「千住金美館」に改称した。1935年頃には千住駅前通りが完成し、映画館入口を駅前通り側に移すと、松竹映画の封切館となった。近くに柳町の歓楽街があったことから、観客は飲食店の女性やその馴染み客などが多かった。戦前には『愛染かつら』、戦後には『君の名は』などで人気があったが、1961年頃に閉館した。*5
1935年の『大東京区分図三十五区之内 足立区詳細図』では「金美館」。*6
2012年7月号『足立史談』には「東京東郊の映画館 1 都市化のあゆみと映画館の分布」が掲載されており、千住演芸館、千寿劇場(千住劇場)、小松川電気館、四ツ木観音館などが東郊3区の老舗映画館として紹介されている。*7
開館年 : 1916年頃、1951年11月
閉館年 : 1961年
跡地は「三泉ビル」と「第二小泉ビル」。最寄駅はJR北千住駅。
足立区で2番目に古い映画館は、千住中居町29-1にあった「千住金美館」であり、1930年または1931年に開館した。前身は寄席「千寿劇場」(千住劇場)であり、大正記念道が開通した1916年頃に開場したとされることもあるが、『東京朝日新聞』によると開場初日は1919年1月1日だった。1927年12月には千住金美館に改称し、1936年には建物脇に昭和通りが開通すると、映画館の入口を大正記念道側から昭和通り側に移した。この際に千住金美館通り昭和会という商店会が発足している。1945年4月13日、空襲で建物が焼失した。終戦から数年後に再建されたが、千住金美館は1961年に閉館した。2012年現在の千住金美館跡地には三泉ビルが建っている。*3
足立区にあった「千住金美館」の前身は「千寿劇場」(千住劇場)である。1916年10月には大正道路が開通したが、千寿劇場もこの頃に開館した。千寿劇場は1927年暮れに千住金美館に改称した。*4
1916年に大正道が造成されると、1920年3月には千住寿町に「千寿劇場」(千住劇場)が開館した。1930年には金美館チェーンの「千住金美館」に改称した。1935年頃には千住駅前通りが完成し、映画館入口を駅前通り側に移すと、松竹映画の封切館となった。近くに柳町の歓楽街があったことから、観客は飲食店の女性やその馴染み客などが多かった。戦前には『愛染かつら』、戦後には『君の名は』などで人気があったが、1961年頃に閉館した。*5
1935年の『大東京区分図三十五区之内 足立区詳細図』では「金美館」。*6
2012年7月号『足立史談』には「東京東郊の映画館 1 都市化のあゆみと映画館の分布」が掲載されており、千住演芸館、千寿劇場(千住劇場)、小松川電気館、四ツ木観音館などが東郊3区の老舗映画館として紹介されている。*7
所在地 : 東京都足立区柳原町2-1(1964年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「東京電力旭町変電所」東30mの民家数軒。最寄駅はJR北千住駅。
足立区柳原2丁目1番には「三益劇場」(ミマス館)があった。寄席とされる「綾瀬館」が前身であり、綾瀬館は1937年には既に営業していた記録がある。戦後に映画館となり、3本立を上映していた。北千住駅の東口では唯一の映画館だった。*8
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「東京電力旭町変電所」東30mの民家数軒。最寄駅はJR北千住駅。
足立区柳原2丁目1番には「三益劇場」(ミマス館)があった。寄席とされる「綾瀬館」が前身であり、綾瀬館は1937年には既に営業していた記録がある。戦後に映画館となり、3本立を上映していた。北千住駅の東口では唯一の映画館だった。*8
所在地 : 東京都足立区本木町2-1363(1969年)
開館年 : 1954年4月
閉館年 : 1969年頃
跡地は「関原3丁目公園」。最寄駅は東武伊勢崎線西新井駅。
1958年2月25日午前8時40分頃、足立区本木町2-1363の「パロマ映画劇場」出札場付近から出火し、木造モルタル2階建の劇場の一部が焼失した。原因は暖房用行火の不始末とみられる。*9
開館年 : 1954年4月
閉館年 : 1969年頃
跡地は「関原3丁目公園」。最寄駅は東武伊勢崎線西新井駅。
1958年2月25日午前8時40分頃、足立区本木町2-1363の「パロマ映画劇場」出札場付近から出火し、木造モルタル2階建の劇場の一部が焼失した。原因は暖房用行火の不始末とみられる。*9
所在地 : 東京都足立区千住3-66(1978年)
開館年 : 1926年、1953年1月
閉館年 : 1978年
跡地は「リクスタ駐輪場北千住駅西口」。最寄駅はJR北千住駅。
足立区で最も古い映画館は千住3丁目66番にあった「千住演芸館」である。『絵で見る年表・足立風土記』や『足立風土記稿・地区編1千住』では1926年開業とされているが、映画雑誌『活動画報』1917年8月号には千住演芸館の名前が記されており、1913年10月16日付『都新聞』でも同館の存在が窺える。1937年5月には「千住東宝映画劇場」に改称し、戦後も東宝直営館として営業を続けると、1978年に閉館した。*12
1926年には千住に無声映画の上映館「千住演芸館」が開館した。椅子は長椅子であり、小さなオーケストラボックスがあった。さらに、改装してオールトーキーの封切館「千住東宝劇場」となった。1978年に閉館した。千住3丁目のサンロード商店街の東側である。*13
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*14
2011年現在の足立区域で最も古い映画館は「千住演芸館」であり、足立区教育委員会が発行した『絵でみる年表・足立風土記』によれば1926年に開設された。しかし、1924年12月調査の映画館名簿にも千住演芸館は掲載されており、『活動画報』1917年8月号にも広告が掲載されており、1915年の『芸人名簿 付 劇場観物場及寄席案内』にも掲載されており、1913年10月16日付『都新聞』にも存在をうかがわせる記事が掲載されている。千住演芸館は千住東宝映画劇場の前身である。*15
2012年7月号『足立史談』には「東京東郊の映画館 1 都市化のあゆみと映画館の分布」が掲載されており、千住演芸館、千寿劇場(千住劇場)、小松川電気館、四ツ木観音館などが東郊3区の老舗映画館として紹介されている。*16
開館年 : 1926年、1953年1月
閉館年 : 1978年
跡地は「リクスタ駐輪場北千住駅西口」。最寄駅はJR北千住駅。
足立区で最も古い映画館は千住3丁目66番にあった「千住演芸館」である。『絵で見る年表・足立風土記』や『足立風土記稿・地区編1千住』では1926年開業とされているが、映画雑誌『活動画報』1917年8月号には千住演芸館の名前が記されており、1913年10月16日付『都新聞』でも同館の存在が窺える。1937年5月には「千住東宝映画劇場」に改称し、戦後も東宝直営館として営業を続けると、1978年に閉館した。*12
1926年には千住に無声映画の上映館「千住演芸館」が開館した。椅子は長椅子であり、小さなオーケストラボックスがあった。さらに、改装してオールトーキーの封切館「千住東宝劇場」となった。1978年に閉館した。千住3丁目のサンロード商店街の東側である。*13
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*14
2011年現在の足立区域で最も古い映画館は「千住演芸館」であり、足立区教育委員会が発行した『絵でみる年表・足立風土記』によれば1926年に開設された。しかし、1924年12月調査の映画館名簿にも千住演芸館は掲載されており、『活動画報』1917年8月号にも広告が掲載されており、1915年の『芸人名簿 付 劇場観物場及寄席案内』にも掲載されており、1913年10月16日付『都新聞』にも存在をうかがわせる記事が掲載されている。千住演芸館は千住東宝映画劇場の前身である。*15
2012年7月号『足立史談』には「東京東郊の映画館 1 都市化のあゆみと映画館の分布」が掲載されており、千住演芸館、千寿劇場(千住劇場)、小松川電気館、四ツ木観音館などが東郊3区の老舗映画館として紹介されている。*16
所在地 : 東京都足立区千住仲町60(1980年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1982年
跡地は「足立区役所千住庁舎」。最寄駅はJR北千住駅。
1950年、足立区千住仲町の東裏通り、氷川通り東栄会商店街の西側に「ミリオン座」が開館した。やがて通りがミリオン座通りと呼ばれ、商店街がミリオン座通り商店会に改称した。1982年に閉館し、しばらくは駐車場などとなっていたが、区民事務所と福祉事務所を併せ持つ千住総合センターが建った。*17
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1982年
跡地は「足立区役所千住庁舎」。最寄駅はJR北千住駅。
1950年、足立区千住仲町の東裏通り、氷川通り東栄会商店街の西側に「ミリオン座」が開館した。やがて通りがミリオン座通りと呼ばれ、商店街がミリオン座通り商店会に改称した。1982年に閉館し、しばらくは駐車場などとなっていたが、区民事務所と福祉事務所を併せ持つ千住総合センターが建った。*17
所在地 : 東京都足立区千住3-74(1980年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1981年4月1日
跡地は「第2白亜ビル」。最寄駅はJR北千住駅。
1981年4月1日の『読売新聞』夕刊には、4月1日に足立区の映画館「千住日活」が全焼したという記事が掲載されている。現物は未確認。*18
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1981年4月1日
跡地は「第2白亜ビル」。最寄駅はJR北千住駅。
1981年4月1日の『読売新聞』夕刊には、4月1日に足立区の映画館「千住日活」が全焼したという記事が掲載されている。現物は未確認。*18
所在地 : 東京都足立区千住5-2-2(1985年)
開館年 : 1928年、1945年10月
閉館年 : 1985年頃
跡地はマンション「ライオンズマンション北千住第2」。最寄駅はJR北千住駅。
『絵でみる年表・足立風土記』などによると、「千住新橋館」は1928年に開設された。1927年12月には千住大橋が鉄橋に架け替えられ、1928年7月には東京市電が千住大橋を通って千住4丁目に達した。千住新橋館は千住4丁目停留場に近かった。*19
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*20
1928年には「千住新橋館」(千住東映)が開館した。市電の終点である千住四丁目停留場から東に入った場所にあった。1988年に閉館し、2004年現在の跡地にはマンションが建っている。*21
開館年 : 1928年、1945年10月
閉館年 : 1985年頃
跡地はマンション「ライオンズマンション北千住第2」。最寄駅はJR北千住駅。
『絵でみる年表・足立風土記』などによると、「千住新橋館」は1928年に開設された。1927年12月には千住大橋が鉄橋に架け替えられ、1928年7月には東京市電が千住大橋を通って千住4丁目に達した。千住新橋館は千住4丁目停留場に近かった。*19
1945年の空襲の焼失や強制疎開を免れた東郊3区の映画館として、足立区の「千住東宝映画劇場」と「千住新橋館」と「梅田金美館」の3館、江戸川区の「小岩松竹館」の1館がある。葛飾区では戦前に存在した6館全てが空襲などを免れた。*20
1928年には「千住新橋館」(千住東映)が開館した。市電の終点である千住四丁目停留場から東に入った場所にあった。1988年に閉館し、2004年現在の跡地にはマンションが建っている。*21

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