日本の映画館の総合データベースです。



石巻市

石巻キネマ
所在地 : 宮城県石巻市駅前(1936年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「石巻キネマ」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。

1930年、石巻の新田町に「石巻文化キネマ」が開館した。

戦前にさかのぼる石巻市の芝居小屋と映画館としては、芝居小屋「岡田座」、映画館「東北館」、芝居小屋「歌舞伎座」、映画館「キネマ」の4館があった。1933年以降にはキネマが閉館した。戦後には歌舞伎座が「文化劇場」に改称して映画館となり、岡田座が「岡田劇場」に改称した。*1
亀楽座
所在地 : 宮城県桃生郡飯野川町相野谷(1953年・1955年)、宮城県桃生郡河北町飯野川(1956年)
開館年 : 1944年1月
閉館年 : 1956年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1944年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1956年の映画館名簿では「亀楽座」。1957年の映画館名簿には掲載されていない。

2016年現在の石巻市相野谷旧屋敷18には「亀楽座」があった。国家写真館の向かいにあった。地元有志の共同出資によって芝居小屋「喜楽座」として開館し、やがて映画館化して亀楽座に改称した。大河内伝次郎の時代劇などを上映した。石巻市街地の文化劇場で上映したフィルムを自転車で運び、時間をずらして上映していた。*2
巴座
所在地 : 宮城県桃生郡鹿又村新田町(1951年・1953年・1955年)、宮城県桃生郡河南町(1956年・1957年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1957年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1956年・1957年の映画館名簿では「巴座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。
和渕座/和渕映画劇場
所在地 : 宮城県桃生郡前谷地村和渕33(1951年・1953年・1955年)、宮城県桃生郡河南町前谷地33(1958年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年の映画館名簿では「和渕座」。1958年の映画館名簿では「和渕映画劇場」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
前谷地座
所在地 : 宮城県桃生郡前谷地村横須賀68(1951年・1953年・1955年)、宮城県桃生郡河南町前谷地字横須賀68(1958年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「前谷地座」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
渡波座
所在地 : 宮城県牡鹿郡渡波町大宮町(1951年・1953年・1955年・1958年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「渡波座」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
寺崎公民館/寺崎映画劇場
所在地 : 宮城県桃生郡中津山村寺崎松木畑(1951年・1953年)、宮城県桃生郡中津山村寺崎松木畑18(1955年)、宮城県桃生郡桃生町寺崎(1958年・1960年)、宮城県桃生郡桃生町寺崎18(1961年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年の映画館名簿では「寺崎公民館」。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「寺崎映画劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。
雄勝会館
所在地 : 宮城県桃生郡雄勝町上雄勝43(1951年・1953年・1955年・1958年・1960年・1962年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「雄勝会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
広渕座/広渕映画劇場
所在地 : 宮城県桃生郡広渕村字町86(1953年・1955年)、宮城県桃生郡河南町広渕86(1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1938年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「広渕座」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「広渕映画劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
中央映画劇場
所在地 : 宮城県石巻市渡波仲町22(1960年)、宮城県石巻市渡波町字仲町22(1963年)、宮城県石巻市渡波仲町(1964年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1964年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の石巻市商工案内図では「大洋劇場」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の住宅地図では跡地に「遠藤親輪商会」と「遠藤雄次」。跡地は「遠藤親輪商会」。最寄駅はJR石巻線渡波駅。

1959年の「石巻商工案内図」では「中央劇場」。*3

2016年現在の石巻市渡波町3-1-16には「中央劇場」があった。2011年の東日本大震災以前の遠藤親輪商会の場所であり、2016年現在のサニーテイハウスの場所である。日活作品を上映したり、春日八郎のショーを行ったりした。中央劇場が廃業すると遠藤氏が建物を購入し、遠藤親輪商会兼居宅として使用した。2011年の東日本大震災で被災して解体された。*4
大洋劇場/大洋映画劇場/渡波大洋劇場
所在地 : 宮城県牡鹿郡渡波町(1950年)、宮城県牡鹿郡渡波町裏町65(1953年・1955年)、宮城県牡鹿郡渡波町字裏町(1958年)、宮城県石巻市渡波裏町(1960年)、宮城県石巻市渡波65(1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1948年以前
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「大洋劇場」。1953年の映画館名簿では「大洋映画劇場」。1955年の映画館名簿では「大洋劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「大洋映画劇場」。1959年の石巻市商工案内図では「大洋劇場」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「渡波大洋劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の住宅地図では跡地に「大洋セルフスーパー」。跡地は「石巻市役所渡波支所」南南西210mにある建物。最寄駅はJR石巻線渡波駅。

1948年の『石巻渡波女川新総合地図』には渡波市街地に「大洋劇場」が描かれている。*5

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には渡波の映画館として「太陽劇場」("大洋"ではなく"太陽"は原文ママ)のみが描かれている。*6

1959年の「石巻商工案内図」では「大洋劇場」。*7

2016年現在の石巻市大宮町10-9には「大洋劇場」があった。深村氏が経営しており、独立プロの作品も上映した。1964年には新藤兼人監督の『鬼婆』を上映し、1965年には山本薩夫監督の『証人の椅子』を上映した。*8
河北中央劇場
所在地 : 宮城県桃生郡河北町飯野川(1957年・1958年・1960年)、宮城県桃生郡河北町相野谷177(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「河北中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
東北館/石巻松竹劇場/松竹東北館/石巻松竹東北館/石巻東北館
所在地 : 宮城県牡鹿郡石巻町裏町(1930年)、宮城県石巻市大町6(1936年)、宮城県石巻市大町(1941年)、宮城県石巻市裏町(1943年)、宮城県石巻市裏町7-1(1947年)、宮城県石巻市大町(1950年)、宮城県石巻市大町7-1(1953年・1955年)、宮城県石巻市大町3(1958年・1960年)、宮城県石巻市大町127(1963年)、宮城県石巻市大町156(1966年・1969年)
開館年 : 1914年、1954年7月1日(建て替え)
閉館年 : 1970年3月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1941年・1943年・1950年・1953年の映画館名簿では「東北館」。1933年の石巻市街全図では「東北館」。1955年の映画館名簿では「石巻松竹劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「石巻松竹東北館」。1959年の石巻市商工案内図では「松竹映画劇場」。1963年の映画館名簿では「松竹東北館」。1966年・1969年の映画館名簿では「石巻東北館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。石巻市初の映画館。跡地は「みやぎ生協文化会館アイトピア」。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

1933年の石巻市制施行年に発行された「石巻地図」には石巻市街地の映画館として「岡田座」「東北館」「歌舞伎座」が描かれている。*9

1934年の『大日本職業別明細図 第358号』には、石巻市街地に「岡田座」、「歌舞伎座」、「東北館」が描かれている。*10

1941年の石巻市にあった映画館「東北館」の写真あり。1914年、裏町(中央2丁目)に石巻初の映画館として開館した。評論家の扇谷正造は旧制石巻中学校在学時、校則を犯して東北館に入り浸った。*11

戦前にさかのぼる石巻市の芝居小屋と映画館としては、芝居小屋「岡田座」、映画館「東北館」、芝居小屋「歌舞伎座」、映画館「キネマ」の4館があった。1933年以降にはキネマが閉館した。戦後には歌舞伎座が「文化劇場」に改称して映画館となり、岡田座が「岡田劇場」に改称した。*12

1954年7月1日、石巻市に「東北館」が改築されて開館した。オープニングは『陽は沈まず』と『人肌千両』。木造モルタル2階建て。定員430人。総工費500万円。日活と松竹の併映館。*13

1958年の『港都石巻市鳥観図』には石巻市街地に「岡田劇場」、「文化劇場」、「東北館映劇」が描かれている。*14

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。*15

2016年現在の石巻市中央2-7-3には「東北館」があった。2016年現在のアイトピアホールの場所である。1914年、吉田氏によって石巻初の活動写真常設館として開館した。1958年6月までは松竹と日活の併立上映館だったが、映画会社が専門館主義(一館一社制)を採用したことで、7月1日からは松竹専門館となった。オープニングとして木下恵介監督の『楢山節考』と番匠義彰監督の『坊っちゃん』の二本立を上映した。1970年3月に閉館した。*16
歌舞伎座/文化劇場/文化映画劇場/石巻文化劇場
所在地 : 宮城県石巻市坂下(1936年)、宮城県石巻市裏町173(1941年)、宮城県石巻市裏町(1943年)、宮城県石巻市坂下町173(1950年・1953年)、宮城県石巻市坂下町175(1955年)、宮城県石巻市坂下町173(1958年・1960年・1963年・1966年)、宮城県石巻市中央1-8-2(1969年)
開館年 : 1926年
閉館年 : 1972年5月
『全国映画館総覧 1955』によると1927年12月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1933年の石巻市街全図では「歌舞伎座」。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「歌舞伎座」。1950年の映画館名簿では「石巻文化劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1958年の映画館名簿では「文化映画劇場」。1959年の石巻市商工案内図では「文化映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「石巻文化劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地は有料駐車場「中央駐車場」。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

大正時代の石巻市にあった「歌舞伎座」の写真あり。大正時代に入ると活動写真に人気が高まり、歌舞伎座も活動写真の興行に転換して「文化劇場」となった。*17

1925年の石巻市にあった「石巻歌舞伎座」の写真あり。1925年に開館し、廻り舞台を有する本格的な劇場だった。後の「文化劇場」であり、現在の中央1丁目にあった。*18

1925年の石巻市にあった「石巻歌舞伎座」の写真あり。1925年に開館したとする説と1927年に開館したとする説がある。廻り舞台を有する本格的な劇場だった。戦後には「文化劇場」に改称して映画専門館となった。*19

1933年の石巻市制施行年に発行された「石巻地図」には石巻市街地の映画館として「岡田座」「東北館」「歌舞伎座」が描かれている。*20

戦前にさかのぼる石巻市の芝居小屋と映画館としては、芝居小屋「岡田座」、映画館「東北館」、芝居小屋「歌舞伎座」、映画館「キネマ」の4館があった。1933年以降にはキネマが閉館した。戦後には歌舞伎座が「文化劇場」に改称して映画館となり、岡田座が「岡田劇場」に改称した。*21

1958年の『港都石巻市鳥観図』には石巻市街地に「岡田劇場」、「文化劇場」、「東北館映劇」が描かれている。*22

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。*23

2016年現在の石巻市中央1-8-2には「文化劇場」があった。2016年現在の中央駐車場の場所である。廻り舞台を持つ劇場「石巻歌舞伎座」として開館し、戦後に文化劇場に改称した。客席の配置は東京の歌舞伎座と同じである。大映と新東宝の作品を上映した。1972年5月に閉館した。*24
鮎川クラブ
所在地 : 宮城県牡鹿郡鮎川町鮎川浜(1951年・1953年)、宮城県牡鹿郡鮎川町鮎川浜29(1955年)、宮城県牡鹿郡牡鹿町鮎川浜29(1958年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1958年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「鮎川クラブ」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
鮎川映画劇場/鮎川劇場
所在地 : 宮城県牡鹿郡牡鹿町大町10(1958年)、宮城県牡鹿郡牡鹿町字鮎川大町10(1960年・1963年)、宮城県牡鹿郡牡鹿町鮎川町(1966年・1969年)、宮城県牡鹿郡牡鹿町字鮎川大町(1973年)
開館年 : 1956年9月16日
閉館年 : 1973年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「鮎川映画劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「鮎川劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。東日本大震災前の粟野旅館の向かいだったとされる。

1956年9月16日、牡鹿町に「コマンド」が開館した。木造2階建て。定員303人。支配人は泉諒一と和泉栄寿。*25
石巻東宝映劇/石巻東宝映画劇場/石巻東宝劇場/テアトル東宝/石巻テアトル東宝/石巻テアトル東宝・石巻東宝プラザ
所在地 : 宮城県石巻市裏町(1941年)、宮城県石巻市大町(1943年・1947年)、宮城県石巻市裏町(1950年)、宮城県石巻市裏町76(1953年)、宮城県石巻市裏町74-1(1955年)、宮城県石巻市大町1-76(1958年・1960年・1963年・1966年)、宮城県石巻市中央1-8-2(1969年)、宮城県石巻市中央3-1-29(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1938年、1977年(2館化)
閉館年 : 2000年11月5日
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1941年の映画館名簿では「石巻東宝映画劇場」。1943年の映画館名簿では「石巻東宝映劇」。1947年・1950年の映画館名簿では「石巻東宝映画劇場」。1953年の映画館名簿では「東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「石巻東宝劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「テアトル東宝」。1959年の石巻市商工案内図では「東宝映画」。1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「石巻テアトル東宝」。1976年の住宅地図では「テアトル東宝」。1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「石巻テアトル東宝・石巻東宝プラザ」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「石巻信用金庫本店」北西70mにある高齢者向け住宅「華心」駐車場。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。*26

1959年の石巻市の映画館の入場料は170円であり、散髪代とほぼ同じだった。1964年の東京オリンピックを機に映画産業は下降線をたどり、同年1月には入場料が300円に跳ね上がった。昭和40年代前半には「東北館」と「文化劇場」が閉館した。1977年には株式会社石巻東宝映画劇場が洋画専門館「東宝プラザ」を開館させ、1982年には日活パールが「シネマ2」を開館させた。*27

2016年現在の石巻市中央3-1-29には「テアトル東宝」があった。2016年現在の華心の場所である。『石巻の歴史 第四巻』によると、1938年に「東宝映画劇場」として開館して『支那の夜』でスタートしたというが、『支那の夜』は1940年の作品であるため疑問が残る。戦後に洋画専門館となり、改築を機に「テアトル東宝」に改称した。2000年11月5日、1949年の洋画『第三の男』を最後に閉館した。*28

2000年10月21日の『河北新報』には「石巻東宝映画劇場」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*29

2000年11月5日、石巻市の映画館「石巻東宝映画劇場」が閉館する。1999年夏にはJR石巻駅前の石巻ビブレに7スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ石巻」が開館し、観客数が大幅に減少していた。映画バカとしての意地から1000万円を投じて最新の音響設備を導入したが、2000年7月には空調設備が故障し、修理には1000万円の修理費がかかることとなった。閉館日までは特別ロードショーとし、10月31日から11月3日までは『アラビアのロレンス』を、11月4日と5日は『第三の男』を上映する。*30

2000年11月5日をもって、石巻市中央の映画館「石巻東宝劇場」が閉館する。1999年7月にJR石巻駅前の石巻ビブレに開館した複合映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ石巻」の影響で観客が激減しており、また7月の空調設備の故障の影響もある。創設者の稲井三治は漁業会社を経営していたが、石巻市千石町にあった石巻文化キネマの建物や工業県を買収し、1938年に東宝専門館「東宝映画劇場」として開館させた。戦後には「テアトル東宝」に改称して洋画専門館となり、昭和30年代には劇場を改装してシネマスコープ設備や4チャンネル音響を導入した。1977年には2階に「東宝プラザ」を開館させた。11月4日と5日には稲井峰弥支配人の想い出の作品である『第三の男』を上映する。*31
岡田座/岡田劇場/東映岡田劇場/石巻東映岡田劇場/石巻岡田劇場
所在地 : 宮城県石巻市中瀬町5(1953年)、宮城県石巻市中瀬5(1955年・1958年)、宮城県石巻市仲町3(1960年)、宮城県石巻市仲瀬5(1963年・1966年・1969年・1973年)、宮城県石巻市仲瀬3-2(1975年・1978年・1980年・1985年)、宮城県石巻市中瀬3-2(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1933年(岡田座)、1946年10月(再建&岡田劇場改称)、1949年(映画館化)
閉館年 : 2007年(定期上映終了)、2011年3月11日(休館)
Wikipedia : 岡田劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1933年の石巻市街全図では「岡田座」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「岡田劇場」。1959年の石巻市商工案内図では「岡田劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「石巻東映岡田劇場」。1975年の映画館名簿では「石巻東映岡田」。1976年の住宅地図では「岡田劇場」。1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「東映岡田劇場」。1990年・1995年の映画館名簿では「石巻岡田劇場」。2000年の映画館名簿では「石巻東映岡田劇場」。2005年・2010年の映画館名簿では「石巻岡田劇場」。2011年3月11日の東日本大震災で被災して休館。跡地は「石ノ森萬画館」北東70mの空き地。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

1905年3月の石巻町にあった劇場「岡田座」の写真あり。島村抱月・松井須磨子など様々な俳優が来演した。1980年現在は映画専門館の「岡田劇場」となっている。*32

1933年の石巻市にあった「岡田座」の写真あり。幕末に建てられた「千葉座」が内海五郎兵衛に譲渡されて「内海座」となり、やがて岡田谷組八城重兵衛による岡田座となった。1929年には菅原一蔵が所有者となった。歌舞伎や芝居などに加えて、政談演説会や講演会も開催された。1948年に東映が発足すると、映画館に改築されて「岡田劇場」となった。*33

1933年の石巻市制施行年に発行された「石巻地図」には石巻市街地の映画館として「岡田座」「東北館」「歌舞伎座」が描かれている。*34

1933年の石巻市にあった「岡田座」の写真あり。幕末にあった「千葉座」が内海五郎兵衛に譲渡されて「内海座」となり、やがて岡田谷組の経営となったが、1929年に菅原一蔵の手に渡った。1933年、内海橋の架け替えとともに、東京の歌舞伎座に似せた新劇場に建て替えた。せり出し、廻り舞台、花道などがある立派な劇場であり、著名な歌舞伎役者、俳優、歌手などが来演した。戦局が厳しさを増した1945年には強制解体された。*35

1934年の『大日本職業別明細図 第358号』には、石巻市街地に「岡田座」、「歌舞伎座」、「東北館」が描かれている。*36

戦前にさかのぼる石巻市の芝居小屋と映画館としては、芝居小屋「岡田座」、映画館「東北館」、芝居小屋「歌舞伎座」、映画館「キネマ」の4館があった。1933年以降にはキネマが閉館した。戦後には歌舞伎座が「文化劇場」に改称して映画館となり、岡田座が「岡田劇場」に改称した。*37

1958年の『港都石巻市鳥観図』には石巻市街地に「岡田劇場」、「文化劇場」、「東北館映劇」が描かれている。*38

石巻市にある「石巻東映岡田劇場」の写真あり。「岡田劇場」の文字が見える。かつては芝居小屋だった。菅原支配人の写真あり。*39

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。*40

1999年、石巻市で映画館「岡田劇場」を支援する「岡田劇場がんばれ会」が発足した。旧北上川に架かる内海橋のたもとに、1924年に岡田劇場が開館した。木造モルタル2階建て。約320席。舞台下には回り舞台の奈落も備えられており、かつては寄席や歌舞伎でもにぎわった。漫画家の石ノ森章太郎は中田町から自転車で岡田劇場に通ったという。*41

2003年には岡田劇場がんばれ会によって『岡田劇場一五〇年』が刊行された。*42

2009年11月15日、ドキュメンタリー映画『弁護士 布施辰治』(仮題)のロケが石巻市中瀬の岡田劇場で行われた。布施辰治(1880年-1953年)は石巻出身の人権派弁護士であり、1918年には同一地点にあった「岡田座」で、普通選挙を求める演説会を開催した。石巻市民ら170人がエキストラとして参加し、石巻市の亀山紘市長、女川町の安住町長も古い衣装を着て参加した。*43

石巻市出身の人権派弁護士を描いた映画『弁護士 布施辰治』が完成した。ロケは石巻市などで行われ、女川町出身の俳優である中村雅俊などがナレーションを担当した。5月28日からは東京で初上映され、その後全国各地で上映される。6月4日には石巻市の岡田劇場で、6月9日には仙台市の仙台弁護士会館で完成記念上映会が開催される。*44

2010年11月27日、石巻市中瀬の映画館「岡田劇場」で大量の煙が発生する騒ぎがあった。近くで道路工事が行われており、敷設したアスファルトをバーナーの火で乾かす作業中だったという。岡田劇場は戦後すぐに建てられ、木造平屋建てである。漫画家の石ノ森章太郎は少年時代に岡田劇場に親しんだ。現在は展示会やイベント会場などとして使用されている。*45

2011年5月21日のテアトル新宿を皮切りに、『エクレール・お菓子放浪記』が全国で一般公開される。2010年10月から11月にかけて、石巻市の日和山公園や北上川の河岸などでロケが行われた。岡田劇場は作中に芝居小屋として登場し、エキストラには岡田劇場社長の菅原聖(41)も参加した。岡田劇場は本作の先行上映会場にもなる予定だったが、2011年3月11日の東日本大震災の津波で流された。江戸時代末期に寄席の劇場として始まり、約150年の歴史を有する。登米市出身の漫画家である石ノ森章太郎も通った。映写機や298あった座席はすべて津波で流され、石積みの基礎だけが残った。菅原は津波で約1km流されたが生き延びた。*46

2011年10月1日、石巻市で『エクレール・お菓子放浪記』の上映が始まった。東日本大震災前に石巻市で撮影され、市民約400人がエキストラとして参加した。本来は4月に「岡田劇場」で先行上映される予定だったが、ロケ場所でもある岡田劇場は津波で流され、石巻市での上映は延期となっていた。*47

2016年、石巻市出身の作家である大島幹雄が地域雑誌『石巻学』を刊行した。石巻市ゆかりの文化人らが地域の魅力を紹介する地域誌である。津波で流出した映画館「岡田劇場」所有者の菅原宏らには、芝居小屋や映画館として戦後の娯楽の場だった経緯を聞いている。2015年末に刊行された創刊号には20人超が登場しており、今後は年に数冊のペースで刊行される予定である。*48

2016年10月、石巻市の宮城県立石巻高校で映画『つるしびな』が上映される。監督は石巻高校出身の大和優雅(41)。大和は涌谷町出身であり、小学生の時から石巻市の映画館「岡田劇場」に通った。2010年には涌谷町を舞台とする初監督作品『つるしびな』が完成し、2011年3月3日には大崎市での上映が決まったお祝いをした。その8日後には東日本大震災が起こり、岡田劇場は流出した。2016年8月に刊行された『石巻学』第2号では、石巻市と映画のつながりが紹介されている。昭和40年代までの石巻市には5館があったという。*49

2016年11月12日、東日本大震災の津波で失われた風景を感じてほしいとして、宮城県でポケモンGOのイベントが開催された。石巻市中瀬の映画館「岡田劇場」は津波で流出し、現在は存在しない建物であるが、ポケモンGOでは"ポケストップ"として存在しており、「岡田劇場 東日本大震災で流出。内海橋の真ん中にあった歴史ある映画館。」という文章が表示される。江戸時代末期に芝居小屋「千葉座」として建てられ、160年以上の歴史を有していた。映画の上映だけではなく、歌舞伎の公演、歌謡曲のコンサートなども開催された。*50

「石巻岡田劇場」に言及している書籍として、村松友視『黄昏のムービー・パレス』平凡社、1999年がある。*51

「岡田劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*52

「岡田劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*53
パール映画館/石巻パール映画劇場/石巻日活パール劇場/石巻日活パール/日活パールシネマ/石巻日活パールシネマ1・2/石巻日活パールシネマ2
所在地 : 宮城県石巻市坂下町168(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、宮城県石巻市中央1-3-13(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年)、宮城県石巻市中央1-3-14(1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1957年、1970年(2館化)
閉館年 : 2017年6月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「石巻パール映画劇場」。1959年の石巻市商工案内図では「パール映画劇場」。1960年の映画館名簿では「日活パール劇場」。1963年の映画館名簿では「石巻日活パール劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「石巻日活パール」。1973年の映画館名簿では「石巻日活パール劇場」。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「石巻日活パール」。1976年の住宅地図では「日活パール」。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「石巻日活パールシネマ1・2」(2館)。2015年の映画館名簿では「石巻日活パールシネマ2」。2020年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「永巌寺」本堂北東60mにあるビール醸造所「イシノマキホップワークス」。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

1957年後半のこのほど、石巻市坂下町168に「石巻パール映画劇場」が開館した。オープニングは『荒野の無頼漢』と『桃色大王』。系統は洋画。定員300人。経営は清野太郎衛。*54

1965年頃の「石巻市街図」(塔文社)には石巻市街地の映画館として「岡田劇場」「東北館」「文化」「パール」「東宝」が描かれている。*55

1956年までの石巻市には「テアトル東宝」「東北館」「文化劇場」「岡田座」の4館があったが、1957年には「日活パール」が開館した。昭和30年代には渡波、矢本、飯野川、鮎川、広渕にも映画館があった。テアトル東宝は洋画専門館であり、ヘリコプターを用いて宣伝用のビラをまいたこともあった。*56

1959年の石巻市の映画館の入場料は170円であり、散髪代とほぼ同じだった。1964年の東京オリンピックを機に映画産業は下降線をたどり、同年1月には入場料が300円に跳ね上がった。昭和40年代前半には「東北館」と「文化劇場」が閉館した。1977年には株式会社石巻東宝映画劇場が洋画専門館「東宝プラザ」を開館させ、1982年には日活パールが「シネマ2」を開館させた。*57

2016年現在の石巻市中央1-3-8では「日活パール」が営業中である。1957年に開館し、1958年6月までは洋画上映館だったが、7月には日活専門館となった。それまでは「東北館」が松竹と日活の作品を上映していたが、一館一社制によって東北館が松竹と、日活パールが日活と専属契約を結んだ。1974年には『砂の器』を上映した。*58

「石巻日活パールシネマ」に言及している雑誌記事として、「上から目線ですいません 広告拒否にもめげない 宮城・石巻 『ポルノ映画館』老オーナー『男の紋章』」『週刊ポスト』2011年7月29日がある。現物は未確認。*59

「石巻日活パールシネマ」に言及している雑誌記事として、「石巻によみがえる東北唯一の『ピンク映画館』」『週刊新潮』2011年7月28日がある。現物は未確認。*60

「石巻日活パールシネマ1・2」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*61

「石巻日活パールシネマ」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*62

倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。*63
ワーナー・マイカル・シネマズ石巻(旧)
所在地 : 宮城県石巻市穀町14-1 石巻ビブレ6階(2000年)、宮城県石巻市穀町14-1 さくら野石巻店6階(2005年・2006年)
開館年 : 1999年7月10日
閉館年 : 2007年1月8日
1998年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ石巻1-7」(7館)。2008年の映画館名簿には掲載されていない。後継施設はワーナー・マイカル・シネマズ新石巻。最寄駅はJR仙石線・石巻線石巻駅。

1999年7月10日、石巻市のJR石巻駅前にある石巻ビブレに「ワーナー・マイカル・シネマズ石巻」が開館する。5階建ての建物に6階部分を増築し、7スクリーンを併設する。ワーナー・マイカルによる27サイト目のシネマコンプレックスであるが、同方式の映画館は宮城県初となる。石巻ビブレは1996年3月に開業し、年間約90億円の売上がある。*64
ワーナー・マイカル・シネマズ新石巻/イオンシネマ石巻
所在地 : 宮城県石巻市蛇田字新金村170 イオン石巻ショッピングセンター2階(2008年・2010年)、宮城県石巻市蛇田字新金沼170番地 イオンモール石巻2階(2015年)、宮城県石巻市茜平4-104 イオンモール石巻2階(2020年)
開館年 : 2007年3月30日
閉館年 : 営業中
2006年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ新石巻1-8」(8館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ石巻1-8」(8館)。前身施設はワーナー・マイカル・シネマズ石巻。最寄駅はJR仙石線蛇田駅。

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