日本の映画館の総合データベースです。



神戸市中心部

中央区

千歳座
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市兵庫町港通(1927年)、兵庫県神戸市滝道(1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「千歳座」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
三宮倶楽部
所在地 : 兵庫県神戸市三宮2丁目31(1927年)、兵庫県神戸市三宮神社境内(1930年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1927年・1930年の映画館名簿では「三宮倶楽部」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。

大正に入った頃の三宮神社境内には活動写真館として「歌舞伎座」、「世界館」、「万国館」があり、やや遅れて1913年には「三宮倶楽部」も開館した。*1
本庄映画場
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区花隈(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「本庄映画場」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
元町学童映画館
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区元町1(1943年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「元町学童映画館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
元町映画館
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区北長狭高架下(1943年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「元町映画館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
生田劇場
所在地 : 兵庫県神戸市生田区生田神社境内(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「生田劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
松竹会館
所在地 : 兵庫県神戸市生田区栄町3丁目(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「松竹会館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
邦楽座
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町1丁目(1950年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「邦楽座」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
万国館
所在地 : 兵庫県神戸市三宮(1925年)、兵庫県神戸市三宮2丁目19(1927年)、兵庫県神戸市三宮2丁目(1930年)、兵庫県神戸市神戸区三宮2丁目(1934年)、兵庫県神戸市神戸区加納町2丁目(1936年)、兵庫県神戸市神戸区三宮境内(1941年)
開館年 : 1915年7月
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「万国館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。

大正に入った頃の三宮神社境内には活動写真館として「歌舞伎座」、「世界館」、「万国館」があり、やや遅れて1913年には「三宮倶楽部」も開館した。*2

下山手通2丁目の株式会社万国館。営業目的は活動写真興行および家屋賃貸。1915年7月創立。資本金は3万円。*3

株式会社万国館。所在地は下山手通2丁目30-3。1915年7月設立。資本金は3万円。営業目的は家屋賃貸。*4
三宮キネマ(戦前)
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市三宮2丁目28(1927年)、兵庫県神戸市三宮神社境内(1930年)、兵庫県神戸市神戸区三宮神社境内(1934年)、兵庫県神戸市神戸区加納町2丁目(1936年)、兵庫県神戸市神戸区三宮2-28(1941年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「三宮キネマ」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
大黒館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市小野柄通4丁目(1927年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通4丁目(1936年・1941年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通4(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年の映画館名簿では「大黒館」。1927年の映画館名簿では「大国館」。1930年・1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「大黒館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
春日館
所在地 : 兵庫県神戸市春日野通(1930年)、兵庫県神戸市葺合区筒井町(1934年)、兵庫県神戸市葺合区春日野道(1936年)、兵庫県神戸市葺合区春日野通(1941年)、兵庫県神戸市葺合区筒井町(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「春日館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
山新館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市春日野通1-1(1927年)、兵庫県神戸市葺合区春日野道通(1934年)、兵庫県神戸市葺合区春日野道(1936年)、兵庫県神戸市葺合区春日野通(1941年)、兵庫県神戸市葺合区日暮通(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「山新館」。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「山新館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸A.B.C/神戸ABC
所在地 : 兵庫県神戸市生田区栄町(1947年)、兵庫県神戸市生田区栄町5丁目(1950年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「神戸A.B.C」。1950年の映画館名簿では「神戸ABC」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
名画会館日産/名画会館ニッサン
所在地 : 兵庫県神戸市生田区(1947年)、兵庫県神戸市生田区栄町2丁目(1950年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「名画会館日産」。1950年の映画館名簿では「名画会館ニッサン」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
SYピカデリー/神戸ピカデリー/神戸ピカデリー劇場
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1-42-1(1957年・1958年)
開館年 : 1947年3月
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年3月開館。1953年の映画館名簿では「SYピカデリー」。1955年の映画館名簿では「神戸ピカデリー」。1957年・1958年の映画館名簿では「神戸ピカデリー劇場」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年頃の「神戸ピカデリー」の写真あり。*5

1955年9月4日17時50分頃、神戸市生田区三宮町1の「神戸ピカデリー劇場」の2階から出火し、2階建て延べ250坪が全焼した。日曜の混雑する時間帯だったが、約800人の観客は1人の負傷者もなく退避し、上映中の『彼奴は顔役だ』のフィルムも無事だった。*6
二宮映劇
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区琴緒町3-8(1958年・1960年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1960年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「二宮映劇」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では「二宮映劇」。跡地は1998年竣工のマンション「ヴィスタ二宮」。最寄駅はJR神戸線三ノ宮駅。
神戸国際会館大ホール
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区御幸通8-9(1959年・1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「神戸国際日活劇場」。1958年の住宅地図では「国際会館 2階大ホール」。1959年・1960年の映画館名簿では「神戸国際会館大ホール」。1959年の映画館名簿では経営者が神戸国際会館、支配人が古寺巌、鉄筋造8階冷暖房付、定員1892、上映系統が記載なし。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図には掲載されていない。跡地は1999年竣工の神戸国際会館。
近畿東亜劇場/東亜劇場
所在地 : 兵庫県神戸市生田区北長狭通2丁目(1950年)、兵庫県神戸市生田区北長狭通2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市生田区北長狭通2-5(1958年・1960年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年4月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「東亜劇場」。1958年の映画館名簿では「近畿東亜劇場」。1960年の映画館名簿では「東亜劇場」。1959年の住宅地図では「東亜劇場」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アルカザールビル」と「阿部ビル」。

1959年2月22日から、神戸市の洋画封切館「大洋劇場」が番線落ち洋画上映館となる。「東亜劇場」が関西グランド系の代替館となる。*7
元町OK映画劇場/ニューOK映劇
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町3-18(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1950年9月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「元町OK映画劇場」。1955年の映画館名簿では「元町OK映劇」。1958年の映画館名簿では「元町OK映画劇場」。1959年の住宅地図では「OK映劇」。1960年の映画館名簿では「ニューOK映劇」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2019年開業の「R&Bホテル神戸元町」。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅。
京町映劇
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町1-7(1960年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1-17(1961年)
開館年 : 1957年1月2日
閉館年 : 1960年10月末
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の住宅地図では「京町映劇」。1960年・1961年の映画館名簿では「京町映劇」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ユニクロ神戸三宮店」がある「三宮安田ビル」。

1957年1月2日、神戸市生田区三宮町1丁目17番地に「京町映画劇場」(京町映劇)が開館した。『君を愛す』と『編笠権八』。定員380人。代表取締役は秋吉善吉。*8

1959年6月26日、神戸市生田区三宮町の「京町映画劇場」(京町映劇)が洋画封切館に転向した。6月1日にOS直営館の「三宮劇場」が大映系に転向したため。*9

1959年11月から12月のこのほど、神戸市の「京町映画劇場」が地下と場内の増築工事のために休館に入る。完成後には地価がグリルとなり、1階の一部が貸店舗となり、城内は600席に増える。1960年2月末までの予定。経営は植田竜治。*10

1960年10月末をもって、神戸市生田区三宮町1-7の「京町映画劇場」(神戸京映)が閉館した。経営不振のため。経営は植田竜治。*11
生田映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区北本町5-3-4(1958年)、兵庫県神戸市葺合区北本町5-3(1960年)、兵庫県神戸市葺合区北本町5-3-4(1961年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1961年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「生田映画劇場」。1958年の住宅地図では「生田映劇」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫日産中央店」建物西側。最寄駅は阪神本線春日野道駅。
歌舞伎座/三宮日活/三宮大映映画劇場/三宮キネマ劇場/三宮キネマ(戦後)
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区三宮境内(1934年)、兵庫県神戸市神戸区三宮町2丁目(1936年)、兵庫県神戸市神戸区三宮2-28(1941年)、兵庫県神戸市神戸区三宮町2(1943年)、兵庫県神戸市生田区(1947年)、兵庫県神戸市生田区三宮町2丁目28(1950年)、兵庫県神戸市生田区三宮町2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市生田区三宮町2-28(1960年・1961年・1962年)
開館年 : 1913年以前、1946年12月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「歌舞伎座」。1943年の映画館名簿では「三宮日活」。1947年の映画館名簿では「三宮キネマ劇場」。1950年の映画館名簿では「三宮大映映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「三宮キネマ」。1958年の映画館名簿では「三宮キネマ劇場」。1959年の住宅地図では「三宮キネマ」。1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「三宮キネマ」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三宮神社」東の有料駐車場「KF-Park 三宮町2丁目」。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅。

大正に入った頃の三宮神社境内には活動写真館として「歌舞伎座」、「世界館」、「万国館」があり、やや遅れて1913年には「三宮倶楽部」も開館した。*12

1958年の三宮町2丁目(現・中央区)にあった「三宮キネマ」前の写真あり。三宮中央通りとトアロードの交差点から東を向いている。三宮キネマの手前には三宮神社がある。三宮キネマのさらに東には、1955年にこの場所に移転した七福相互銀行がある。2010年現在の三宮キネマ跡地付近の写真あり。三宮キネマの脇にあったトリスバーも姿を消している。七福相互銀行は阪神相互銀行や阪神銀行に改称した後、1999年にみどり銀行と合併してみなと銀行となった。*13
阪神会館/阪神会館映画劇場/阪神会館映画場
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区元町2-13(1941年)、兵庫県神戸市神戸区元町2(1943年)、兵庫県神戸市生田区元町2丁目(1947年)、兵庫県神戸市生田区元町2丁目13(1950年)、兵庫県神戸市生田区元町2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市生田区元町通2-13(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「阪神会館映画場」。1943年・1947年の映画館名簿では「阪神会館」。1950年の映画館名簿では「阪神会館映画場」。1953年・1955年の映画館名簿では「阪神会館」。1959年の住宅地図では「阪神元町駅 4階ニュース映画」。1960年の映画館名簿では「阪神会館映画劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「阪神会館映画場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カフェ・ド・クリエ神戸元町店」などが入る「コトブキビル」や「焼肉六甲元町店」などが入る「錦ビル」や元町北通の道路用地など。

昭和20年代の神戸市にあった「元町阪神会館」前の英字看板の写真あり。現在の神戸市中央区元町通。「ニュース映画 阪神会館」の文字が見える。*14
三宮ミュージック
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区琴緒町5-4(1959年・1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1964年の住宅地図では「三宮ミュージック」。1959年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画庵名簿では「三宮ミュージック」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大洋映画劇場/大洋劇場(旧)
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町(1947年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1丁目(1950年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1-17(1958年・1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1965年頃(移転)
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「大洋映画劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「大洋劇場」。1959年の住宅地図では「大洋映画館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1975年竣工の「センタープラザ」建物南側中央部。最寄駅はJR神戸線三ノ宮駅。

1959年2月22日から、神戸市の洋画封切館「大洋劇場」が番線落ち洋画上映館となる。「東亜劇場」が関西グランド系の代替館となる。*15
三宮東劇
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区雲井通4-22(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1956年7月15日
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1964年の住宅地図では「三宮東劇」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三宮東劇」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2018年開業の「コンフォートホテル神戸三宮」建物西側。最寄駅はJR神戸線三ノ宮駅。

1956年7月15日、神戸市葺合区雲井通4丁目22番地に「三宮東劇」が開館した。木造モルタル平屋建て。椅子席320。冷風装置とシネスコを備えている。洋画番線外を上映。入場料は55円。経営は川本一三社長の株式会社東洋映画。*16
阪神劇場/三宮阪神劇場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区小野柄町(1947年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通り1丁目(1950年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通8(1953年・1955年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通8-15(1960年・1963年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通8-15 そごう地下(1966年)
開館年 : 1933年9月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1933年9月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「阪神劇場」。1960年の映画館名簿では「三宮阪神劇場」。1963年の映画館名簿では「阪神劇場」。1964年の住宅地図では「阪神劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸三宮阪神劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は百貨店「神戸阪急」。
大洋劇場(新)
所在地 : 兵庫県神戸市生田区三宮町1-1 センター街(1966年・1969年)
開館年 : 1965年頃(移転)
閉館年 : 1969年頃
1966年の映画館名簿では「神戸三宮大洋劇場」。1969年の映画館名簿では「大洋劇場」。跡地は1970年竣工の「さんプラザ」建物北西角。
新日栄劇場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区日暮通3(1958年)、兵庫県神戸市葺合区日暮通4-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1970年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新日栄劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸春日栄劇場」。1968年の住宅地図では「新日栄劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「新日栄劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2021年竣工のマンション「セレニテ三宮プリエ」。最寄駅は阪神本線春日野道駅または阪急神戸線春日野道駅。
日栄劇場/春日日栄劇場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区筒井町3-66(1957年・1958年・1960年)、兵庫県神戸市葺合区筒井町4-66(1963年)、兵庫県神戸市葺合区筒井町3-68(1966年)、兵庫県神戸市葺合区筒井町3-67(1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「日栄劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「春日日栄劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸春日日栄劇場」。1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「春日日栄劇場」。1968年の住宅地図では「日栄劇場映画館」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1997年竣工のマンション「ライオンズマンション三宮東第3」。最寄駅は阪神本線春日野道駅または阪急神戸線春日野道駅。
第一春日映劇・第二春日映劇/春日映劇/春日名画劇場/春日東映劇場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区日暮通1-1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市葺合区1-2(1960年)、兵庫県神戸市葺合区1-1(1963年)、兵庫県神戸市葺合区日暮通1-21(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市葺合区日暮通1-1(1975年)
開館年 : 1949年9月
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年9月開館。1953年の映画館名簿では「第一春日映劇・第二春日映劇」(2館)。1955年の映画館名簿では「春日映劇」。1960年の映画館名簿では「春日名画劇場」。1963年の映画館名簿では「春日東映劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸春日東映劇場」。1968年の住宅地図では「春日東映劇場」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「春日東映劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2018年12月31日閉店のパチンコ店「プラザ2春日野道店」の廃墟。最寄駅は阪神本線春日野道駅または阪急神戸線春日野道駅。
元町映画劇場/元町映画劇場・元町東映会館/元町映画劇場・元町東映/元町映劇・元町東映/元町映劇・元町ニッサン映劇
所在地 : 兵庫県神戸市生田区元町2(1957年)、兵庫県神戸市生田区元町2-70(1958年・1960年)、兵庫県神戸市生田区元町2-70-1(1966年)、兵庫県神戸市生田区元町2-70(1969年・1973年)、兵庫県神戸市生田区元町通2-70(1977年・1978年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1978年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年の映画館名簿では「元町映画劇場」。1960年の映画館名簿では「元町映画劇場・元町東映」(2館)。1966年の映画館名簿では「神戸元町映画劇場・神戸元町東映会館」(2館)。1969年の映画館名簿では「元町映画劇場・元町東映会館」(2館)。1972年のゼンリン住宅地図では「元町東映会館・元映」。1973年の映画館名簿では「元町映画劇場・元町東映」(2館)。1977年の映画館名簿では「元町映劇・元町東映」(2館)。1978年の映画館名簿では「元町映劇・元町ニッサン映劇」(2館)。1979年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1980年8月竣工の「ジェムビル」建物北側。最寄駅はJR神戸線元町駅。

1960年12月27日、神戸市生田区元町通2-70の洋画二番館「元町映画劇場」は日活封切館に転向した。経営は日産興業。*17

1962年10月の神戸市の元町商店街の写真あり。背後には『渇いた太陽』や『ギャング対Gメン』の映画看板が見える。元町通2丁目には映画館があった。花見屋の向かい辺りである。*18

神戸元映に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 神戸元映」『キネマ旬報』1974年9月がある。*19
第二宝映劇/新永座
所在地 : 兵庫県神戸市生田区下山手通8-77(1958年・1960年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市生田区下山手通8-77-3(1977年・1978年・1979年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1979年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「第二宝映劇」。1960年の映画館名簿では「新永座」。1966年の映画館名簿では「神戸新永座」。1969年・1973年・1977年・1978年・1979年の映画館名簿では「新永座」。1972年のゼンリン住宅地図では「新永座」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「生田調剤薬局」や「スーパーヒロタ」。最寄駅は神戸高速鉄道線西元町駅。
二宮キネマ/山手新興/セントラル会館/神戸セントラル会館/太陽会館/太陽演舞場
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区二宮町(1934年)、兵庫県神戸市葺合区琴緒町3-2(1936年・1941年)、兵庫県神戸市葺合区琴緒町(1943年)、兵庫県神戸市生田区三宮(1947年)、兵庫県神戸市生田区三宮町1丁目(1947年)、兵庫県神戸市葺合区琴緒町3丁目2(1950年)、兵庫県神戸市葺合区琴緒町2-3(1953年)、兵庫県神戸市葺合区琴緒町3-2(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県神戸市中央区琴緒町3-5-12(1982年・1983年)、兵庫県神戸市中央区琴緒町3-2(1984年)
開館年 : 1933年5月
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1933年5月開館。1934年・1936年の映画館名簿では「二宮キネマ」。1941年・1943年の映画館名簿では「山手新興」。1947年・1950年の映画館名簿では「神戸セントラル会館」。1953年・1955年の映画館名簿では「セントラル会館」。1958年の映画館名簿では「神戸セントラル会館」。1960年・1963年の映画館名簿では「太陽会館」。1964年の住宅地図では「セントラル映画」。1966年の映画館名簿では「神戸太陽会館」。1969年・1973年の映画館名簿では「太陽会館」。1973年のゼンリン住宅地図では「太陽会館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「太陽会館」。1984年の映画館名簿では「太陽演舞場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アサヒ屋二宮店」が入るビル「ジュネス」。
神戸ポーアイシネピット
所在地 : 兵庫県神戸市中央区港島5丁目神戸ポートアイランド西側駐車場(1988年・1989年)
開館年 : 1985年7月20日
閉館年 : 1989年頃
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1986年・1988年・1989年の映画館名簿では「神戸ポーアイシネピット」。1988年の映画館名簿によると経営会社はABC開発、190台収容、洋画・邦画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。ドライブインシアター。

1985年7月20日から10月25日まで、神戸市のポートアイランドにドライブインシアターが開館する。ポートアイランド振興協議会がエー・ビー・シー開発と協力して運営。19時30分からと21時30分からの一日2回上映。縦4.3メートル×横9メートルのスクリーン。修理加工サービス業向けの1万3300平方メートルの用地を用い最高で200台を収容する。近畿地方では千里万博公園に次いで2番目のドライブインシアターである。『ネバーエンディングストーリー』や『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』など7本を交代で上映する。*20
アサヒ東映/アサヒ東映劇場/アサヒ劇場/アサヒシネマ
所在地 : 兵庫県神戸市雲井通5-8(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市兵庫区雲井通5-2-1(1985年)
開館年 : 1954年12月19日
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1964年の住宅地図では「アサヒ東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「アサヒ東映」。1966年の映画館名簿では「神戸三宮アサヒ東映劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「アサヒ劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「アサヒ劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「アサヒシネマ」。後継館は同一地点でビル化したアサヒシネマ1・2・3。跡地は「神戸市立三宮図書館」北の多目的空地。

1954年12月19日、神戸市葺合区雲井通5-8に「アサヒ映画劇場」が開館した。邦画各社選択。定員290人。*21

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*22
新アサヒ映劇/新アサヒ映画劇場/新アサヒ劇場
所在地 : 兵庫県神戸市雲井通5-8(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市兵庫区雲井通5-2-1(1985年)
開館年 : 1957年3月20日
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図では「新アサヒ(映画)」。1960年・1963年の映画館名簿では「新アサヒ映劇」。1964年の住宅地図では「新アサヒ映劇」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「新アサヒ映画劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「新アサヒ映劇」。1980年・1985年の映画館名簿では「新アサヒ劇場」(2館)。後継館は同一地点でビル化したアサヒシネマ1・2・3。跡地は2006年2月開業のビジネスホテル「東横イン神戸三ノ宮2」。

1957年3月20日、神戸市葺合区雲井通5-38に「新アサヒ映劇」が開館した。大映・松竹・日活3社の2番館。モルタル造平屋建て。椅子席500。「アサヒ映劇」の姉妹館。*23
朝日会館/神戸朝日会館
所在地 : 兵庫県神戸市生田区浪花町59(1955年)、兵庫県神戸市生田区浪花町49(1958年)、兵庫県神戸市生田区浪花町59(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市中央区浪花町59(1985年・1990年)
開館年 : 1953年5月1日
閉館年 : 1990年3月
『全国映画館総覧 1955』によると1953年4月開館。1955年の映画館名簿では「朝日会館」。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「神戸朝日会館」。1969年・1973年の映画館名簿では「朝日会館」。1976年・1980年の映画館名簿では「神戸朝日会館」。1985年の映画館名簿では「朝日会館」。1990年の映画館名簿では「神戸朝日会館」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1994年竣工の「神戸朝日ビル」。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅。

1953年5月1日、神戸市生田区浪花町60番地の「神戸朝日会館」がTYチェーン(OS系)封切館として発足した。オープニングは20世紀フォックス『栄光何するものぞ』。約7800万円で神戸証券取引所の建物を改造し、4月22日から服部良一楽団の公演で開館披露を行っていた。定員1003人。*24

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*25
三宮にっかつ劇場/ロッポニカ三宮
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区北長狭通1-44(1980年)、兵庫県神戸市中央区北長挟通1-3-6(1990年)
開館年 : 1979年8月
閉館年 : 1993年
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では後に映画館となる地下1階に「レストラン固城園」。1980年の映画館名簿では「三宮にっかつ劇場」。1984年のゼンリン住宅地図では「光陽ビル 地下1階 三宮にっかつ劇場」。1990年の映画館名簿では「ロッポニカ三宮」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。「光陽ビル」は現存する。

1979年8月、にっかつ直営館「三宮にっかつ」が開館した。*26

神戸市の映画館「ロッポニカ三宮」は一部に根強い人気があり、四国から観客が来ることもある。神戸市で夜間上映のレイトショーを行っているのはロッポニカ三宮だけである。『ロッキーホラーショー』というミュージカル作品を上映した際には、誰かが仮装して来場したのをきっかけに口コミがひろがり、曲に合わせて踊ったり、クラッカーを鳴らしたりする出来事があった。*27
新聞会館大劇場・スカイシネマ/神戸新聞会館シネマ1・2
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区雲井通7-4(1960年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県神戸市中央区雲井通7-1-1(1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1959年6月1日
閉館年 : 1995年1月17日
1960年の映画館名簿では「神戸新聞会館大劇場・スカイシネマ」。1966年の映画館名簿では「神戸新聞会館大劇場・神戸スカイシネマ」。1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「新聞会館大劇場・スカイシネマ」。1973年のゼンリン住宅地図では「神戸新聞会館 3階新聞会館大劇場」。1990年・1995年の映画館名簿では「神戸新聞会館シネマ1・2」。1995年1月17日の阪神淡路大震災で被災して休館し、神戸新聞会館の建物はそのまま取り壊された。跡地は「OSシネマズミント神戸」が入る2006年10月開業の「ミント神戸」(神戸新聞会館現行館)。

1959年頃の神戸市の「神戸新聞会館」前で獲られたスナップ写真あり。1956年5月、村野藤吾の設計で地下3階・地上7階建てのビルが竣工した。1960年には8階と9階を増築している。神戸新聞本社に加えて、「神戸新聞会館大劇場」、「スカイシネマ」などがあった。*28
ビック映画劇場/ビック映劇
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区小野柄通6(1953年・1955年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通6-29(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市葺合区小野柄通6-1-9(1976年・1980年)、兵庫県神戸市中央区小野柄通6-1-9(1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1952年9月18日
閉館年 : 1999年4月18日
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ビック映画劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸ビック映画劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「ビック映画劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「ビック映劇」。1984年のゼンリン住宅地図では「三宮第二アパート(富士ビル) 地下1階 ビッグ映劇」(※グ)。1990年の映画館名簿では「ビック映画劇場」。1995年の映画館名簿では「ビック映劇」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1952年9月18日、神戸市にダンスホールを改築して「ビック映画劇場」が開館した。オープニングは『砂漠の鬼将軍』。椅子席448。洋画各社選択三番館。経営は松野徳太郎社長の富士有限会社。*29

1962年4月25日、神戸市葺合区小野柄通6の「神戸ビック映劇」が開館した。経営は杉野伊平社長の富士有限会社。旧館が都市計画によって取り壊しとなり、隣接する換地に住宅公団と提携して6階建てビルの建設を行っていた。映画館は地下に入る。定員600。冷暖房完備。1階と2階は富士有限会社が経営する貸事務所、3階から6階は公団住宅。*30

1962年4月25日、神戸市葺合区小野柄通6の6階建てビル地下に「ビック映劇」が開館した。定員600。冷暖房完備。旧ビック映劇は神戸市の都市計画によって取り壊され、1961年7月から隣接する換地に劇場を有する公団住宅の建設が進められていた。1階と2階は貸事務所、3階から6階は公団住宅となる。*31

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*32

1999年4月18日、「神戸ビック映劇」が閉館した。なお、4月29日には松竹シネマエンタープライズによって「神戸国際松竹1-4」が開館している。*33
アサヒシネマ1・2・3
所在地 : 兵庫県神戸市中央区雲井通5-2-1(1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1989年
閉館年 : 2004年5月31日
1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「アサヒシネマ1・2・3」(3館)。跡地は2006年2月開業のビジネスホテル「東横イン神戸三ノ宮2」。

2004年3月2日の『神戸新聞』には「アサヒシネマ」が5月末をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*34


2004年5月末、神戸市中央区の映画館「アサヒシネマ」と、灘区の映画館「西灘劇場」が揃って閉館する。1954年に「新アサヒ劇場」として開館し、2スクリーンでロードショー作品や名画を上映した。1980年代には3スクリーン体制となり、神戸市でいち早く単館系作品を上映した。阪神大震災では建物や映写機が損傷したが、約1か月後に上映を再開し、高倉健の『幸せの黄色いハンカチ』や吉永小百合の『キューポラのある街』を無料上映した。*35

2004年5月31日、神戸市中央区の映画館「三宮アサヒシネマ」と神戸市灘区の映画館「西灘劇場」が閉館する。三宮アサヒシネマは3スクリーン計317席を有する。1954年の開館であり、1989年に単館系劇場として再開館した。1995年1月には阪神淡路大震災に遭ったが、建物や映写機は無事であり、3月1日には『幸福の黄色いハンカチ』を無料上映した。1995年の観客数は前年を5万人上回る16万人であり、『マディソン郡の橋』が大ヒットした。2003年には座席を新品に交換したが、2004年2月に閉館を決定した。*36
三宮東映劇場・三宮東映プラザ/三宮東映・三宮プラザ/三宮東映・三宮東映プラザ
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区三宮町1-32(1980年)、兵庫県神戸市中央区三宮町1-6-18(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1976年12月
閉館年 : 2006年8月31日
1973年・1977年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では「センタープラザ 5階三宮東映・三宮プラザ」。1980年・1985年の映画館名簿では「三宮東映劇場・三宮東映プラザ」(2館)。1990年の映画館名簿では「三宮東映・三宮プラザ」(2館)。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「三宮東映・三宮東映プラザ」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。エイツビル5階。建物のエイツビル5階は現存し、5階は2018年から「ジュンク堂書店三宮店」。

東映の直営劇場の動きを見ると、1976年8月に「新潟ミラノ」が開館し、9月に「五反田東映」が閉館し、12月に「三宮東映・三宮プラザ」が開館し、12月に「鷹の橋東映」が閉館した。*37

1995年12月、神戸市中央区三宮町1丁目のセンタープラザ6階に「神戸三宮シネ・フェニックス1・2・3」が開館した。1が280席、2が260席、3が160席。経営は東映。12月には「三宮東映」も開館し、1996年2月には「三宮プラザ」も開館している。*38
三宮劇場・三宮小劇場/三宮劇場・映画館・三宮小劇場/三宮劇場・三宮映画館
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区北長狭通1-10(1941年)、兵庫県神戸市神戸区北長狭通1(1943年)、兵庫県神戸市生田区北長狭通り(1947年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「三宮劇場・三宮小劇場」(2館)。1943年の映画館名簿では「三宮劇場・三宮映画館・三宮小劇場」(2館)。1947年の映画館名簿では「三宮劇場・三宮映画館」(2館)。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
三宮劇場・三宮映画館/OS三劇1・2
所在地 : 兵庫県神戸市生田区北長狭通1丁目、北長狭通2丁目(1950年)、兵庫県神戸市生田区北長狭通1 ガード下(1953年)、兵庫県神戸市生田区北長狭通1-7(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市中央区北長狭通1-1-1(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、兵庫県神戸市中央区北長狭通1-1-1 神戸阪急ビル西館(閉館時)
開館年 : 1947年7月22日
閉館年 : 2006年8月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1947年7月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「三宮劇場・三宮映画館」(2館)。1959年の住宅地図では西側に「三宮劇場」で東側に「三宮映画館」。1966年の映画館名簿では「神戸三宮映画館・神戸三宮劇場」(2館)。1972年のゼンリン住宅地図では西側に「OS三宮劇場」で東側に「三宮映画館」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「三宮劇場・三宮映画館」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「三宮劇場」。2000年・2005年の映画館名簿では「OS三劇1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年5月26日、神戸市のTY南街系「三宮劇場」が大映封切館に転向した。経営はOS映画。6月には「神戸新聞会館」が洋画封切館に転向する。*39

1996年12月、神戸市の「三宮劇場」が二分割され、180席の「三劇1」、127席の「三劇2」が開館した。経営はオーエス。*40
阪急会館/阪急会館・三宮東宝/阪急会館・阪急シネマ・阪急文化劇場/阪急会館・阪急シネマ・阪急文化/OS阪急会館1・2
所在地 : 兵庫県神戸市神戸区加納町4-5(1936年・1941年)、兵庫県神戸市神戸区加納町4(1943年)、兵庫県神戸市生田区加納町(1947年)、兵庫県神戸市生田区加納町4丁目5(1950年)、兵庫県神戸市生田区加納町4(1953年)、兵庫県神戸市生田区加納町4-5、加納町4-5 阪急ビル5階(1955年)、兵庫県神戸市生田区加納町4-5(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市中央区加納町4-2-1(1985年・1990年・1995年)、兵庫県神戸市中央区加納町4-2-1 神戸阪急ビル東館(2000年・2005年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 2007年5月22日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1936年・1941年の映画館名簿では「神戸阪急会館」。1943年・1947年・1950年・1953年の映画館名簿では「阪急会館」。1955年の映画館名簿では「阪急会館・神戸東宝」(2館)。1960年の映画館名簿では「阪急会館・三宮東宝」(2館)。1963年の映画館名簿では「阪急会館・阪急文化会館・三宮東宝」(3館)。1966年の映画館名簿では「神戸三宮阪急会館・神戸三宮阪急文化劇場・神戸三宮東宝劇場」(3館)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「阪急会館・阪急シネマ・阪急文化劇場」(3館)。1972年の住宅地図では「2階阪急シネマ 4階阪急会館 5階阪急文化」。1990年・1995年の映画館名簿では「阪急会館・阪急シネマ・阪急文化」(3館)。1995年12月2日にはOS阪急会館開業。2000年・2005年の映画館名簿では「OS阪急会館1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1995年12月、神戸市中央区加納町4-2-1の阪急ビル東館に「阪急会館1・2」開館した。1が209席、2が100席。経営は阪急。*41

1977年6月の神戸市にあった阪急会館という建物の写真あり。「2階阪急シネマ 4階阪急会館」というネオンが見える。「阪急シネマ」、「阪急会館」、「阪急文化劇場」の3映画館が入っていた。1995年の阪神淡路大震災で全壊した。1995年12月には映画館が「OS阪急会館1・2」として営業を再開したが、2007年5月に閉館した。*42

2007年5月22日、神戸市中央区の三宮でもっとも古い映画館「OS阪急会館」が閉館する。阪急会館は1946年にオープンした。2006年10月にはJR三宮駅前の複合商業ビルに、OS阪急会館を運営する映画興行会社がシネコンをオープンさせ、OS阪急会館の観客数は激減していた。5月19日から5月22日にはさよなら興行が行われ、洋画の名作を日替わりで上映する。5月22日の『大脱走』『ローマの休日』が最終上映作品となる。2006年8月には「OS三劇」、「三宮東映劇場」、「三宮東映プラザ」が閉館している。*43

2007年5月22日、神戸市中央区の阪急三宮駅構内にある映画館「OS阪急会館」が閉館した。1946年12月に前身の阪急会館が開館し、1960年代前半には1日約8000人の観客を集めた。1995年の阪神淡路大震災で全壊し、754席あった座席数を半分以上に減らして営業を再開。運営会社のOSシネブラザーズは近隣の複合商業ビル「ミント神戸」にシネコンを開館させ、OS阪急会館の閉館を決定した。最終日には『大脱走』や『ローマの休日』などが上映された。*44
神戸abシネマ1・2/シネカノン神戸1・2
所在地 : 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-8-1(1993年・1995年・2000年)、兵庫県神戸市中央区東川崎町1-8-1 プロメナ神戸9階(2005年)
開館年 : 1992年10月1日(神戸abシネマ)、2003年末(シネカノン神戸)
閉館年 : 2003年10月(神戸abシネマ)、2008年12月20日(シネカノン神戸)
1990年・1992年の映画館名簿には掲載されていない。1993年・1995年・2000年の映画館名簿では「神戸abシネマ1・2」(2館)。2005年の映画館名簿では「シネカノン神戸1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1992年10月1日、神戸ハーバーランドに2施設6館が開館した。神戸市中央区東川崎町のモザイクビル3階に「シネモザイク1・2・3・4」が開館した。経営は株式会社シネモザイク。オーガスタプラザ9階に「abシネマ1・2」が開館した。経営は株式会社ハウ・コミュニケーションズ。*45

2008年12月20日、神戸市中央区の神戸ハーバーランドにある映画館「シネカノン神戸」が閉館する。映画製作・配給会社のシネカノンによる関西唯一の直営館である。2003年12月に開館し、芸術性の高い単館系作品を上映していた。2スクリーン計354席を備えている。2006年の8万8000人をピークに観客数が減少していた。シネカノン神戸の閉館により、神戸市で単館系作品を上映するのは「シネ・リーブル神戸」のみとなる。*46

2008年12月20日、神戸市中央区東川崎町1丁目の神戸ハーバーランドの一角にある映画館「シネカノン神戸」が閉館する。2003年末に大型商業ビル「プロメナ神戸」に開館し、ミニシアターとして単館系作品を上映していたが、約5年の歴史に幕を下ろす。197席と157席の2スクリーンを有する。『パッチギ!』、『フラガール』、『闇の子供たち』などが人気を呼んだ。興行収入は年間約1億円。入館者数のピークは2006年の8万8000人。12月13日には『リンダ リンダ リンダ』の山下監督のトークショーが開催される。*47

2008年12月21日の『神戸新聞』には「シネカノン」の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。*48
OSシネフェニックス1・2・3/三宮シネフェニックス1・2・3
所在地 : 兵庫県神戸市中央区三宮町1 センタープラザ6階(1996年)、兵庫県神戸市中央区三宮町1-9-1 センタープラザ6階(2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1995年12月23日
閉館年 : 2011年5月8日
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1996年の映画館名簿では「三宮シネ・フェニックス1・2・3」(3館)。1996年の映画館名簿では経営会社が関西東映ビデオ販売、経営者が田中義朗、支配人が市村昇、鉄筋造6階、1が280席、2が260席、3が160席。2000年・2005年の映画館名簿では「OSシネ・フェニックス1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿では「三宮シネ・フェニックス1・2・3」(3館)。跡地の6階には2012年4月にコワーキングスペース「スペースアルファ三宮」が開業。

1995年12月、神戸市中央区三宮町1丁目のセンタープラザ6階に「神戸三宮シネ・フェニックス1・2・3」が開館した。1が280席、2が260席、3が160席。経営は東映。12月には「三宮東映」も開館し、1996年2月には「三宮プラザ」も開館している。*49

1998年4月25日、OSは神戸市中央区三宮町1-9-1 三宮センタープラザ6階にある映画館3館を譲り受け、「OSシネフェニックス1・2・3」として開館した。経営は東宝関西興行。*50
シネモザイク1・2・3・4
所在地 : 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-6-1 モザイク内(1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1992年10月1日
閉館年 : 2013年4月7日
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「シネモザイク1・2・3・4」(4館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。モザイクビル3階。

1992年10月1日、神戸ハーバーランドに2施設6館が開館した。神戸市中央区東川崎町のモザイクビル3階に「シネモザイク1・2・3・4」が開館した。経営は株式会社シネモザイク。オーガスタプラザ9階に「abシネマ1・2」が開館した。経営は株式会社ハウ・コミュニケーションズ。*51

2013年4月7日、神戸市中央区の神戸ハーバーランドにある映画館「シネモザイク」が閉館した。1992年に開館し、4スクリーンを有しており、関西初のシネコンとされることもある。1995年1月の阪神大震災の日には、被災から52日後に神戸市でいち早く営業を再開した。初日は人気作品を無料上映し、再開後一週間の売上金約500万円は被災地に寄付した。1997年の『タイタニック』は約1年間のロングラン上映となり、史上最高記録の23万人の動員数、約3億7600万円の興行収入を記録した。4月18日にはシネコン「OSシネマズ神戸ハーバーランド」が開館する。*52
神戸国際松竹劇場・神戸国際日活劇場/国際松竹劇場・国際にっかつ劇場/神戸国際松竹1-4/kino cinema 神戸国際1-4
所在地 : 兵庫県神戸市葺合区御幸通8-9(1960年)、兵庫県神戸市葺合区御幸通8-9-1(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市葺合区御幸通8-1-6(1980年)、兵庫県神戸市中央区御幸通8-1-6(1990年)、兵庫県神戸市中央区御幸通8-1-6 神戸国際会館11階(2000年・2010年)
開館年 : 1956年10月、1999年4月29日(新ビル)、2022年4月1日(kino cinema)
閉館年 : 営業中
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「神戸国際松竹・神戸国際日活劇場」(2館)。1958年の住宅地図では「国際会館 日活国際・国際松竹劇場」。1960年の映画館名簿では「神戸国際松竹・神戸国際日活」(2館)。1964年の住宅地図では「国際会館 国際日活・国際松竹」。1966年の映画館名簿では「神戸国際松竹劇場・神戸国際日活劇場」(2館)。1969年・1973年の映画館名簿では「国際松竹劇場・国際日活劇場」(2館)。1980年・1990年の映画館名簿では「国際松竹劇場・国際にっかつ劇場」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「神戸国際松竹1・2・3・4」(4館)。4スクリーンの複合映画館。最寄駅はJR神戸線三ノ宮駅。

1999年4月29日、神戸市中央区の神戸国際会館10階・11階に「神戸国際松竹1-4」が開館した。4スクリーン計685席。神戸国際会館は阪神大震災後に再建された。経営は松竹関西興行。*53

1999年4月29日、「神戸国際松竹1-4」が開館した。松竹シネマエンタープライズに経営依託している。*54

2022年3月17日をもって、神戸市・三宮の神戸国際会館にある映画館「神戸国際松竹」が閉館する予定。4スクリーン計520席。閉館する神戸国際松竹の施設を利用し、4月1日には「kino cinema神戸国際」が開館する予定。1956年10月、進駐軍のイーストキャンプ跡地に旧・神戸国際会館が開業し、建物内に神戸国際松竹が開館した。1995年1月の阪神淡路大震災で旧・神戸国際会館が全壊すると神戸国際松竹も休館となった。1999年4月には現在の神戸国際会館が再建され、神戸国際松竹も営業を再開した。*55

2022年3月17日をもって、神戸市中央区の神戸国際会館にある映画館「神戸国際松竹」が65年の歴史に幕を閉じて閉館する。3月13日には神戸フィルムオフィスによって「ありがとう神戸国際松竹 特別上映会+トークイベント」が開催され、阪神淡路大震災後に長田区でもロケが行われた映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年12月公開)が上映された。松竹撮影所の大角正会長らがトークショーに登壇した。*56

2022年3月17日をもって、神戸市三宮の神戸国際会館にある映画館「神戸国際松竹」が65年の歴史に幕を閉じて閉館する。1956年10月、進駐軍のイーストキャンプ跡地に開業した旧・神戸国際会館内に開館した。1995年1月17日の阪神淡路大震災で旧会館が全壊したが、1999年に現会館が再建されて映画館も入った。2022年3月17日からは、長田区の菅原市場でもロケが行われた『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年12月公開)を上映した。計520席の上映施設は別会社が引き継ぎ、4月1日に「kino cinema 神戸国際」が開館する。*57
シネリーブル神戸1・2・3/シネリーブル神戸1・2・3・アネックス
所在地 : 兵庫県神戸市中央区浪花町59 神戸朝日ビルディング地下1階・4階(2020年)
開館年 : 2001年9月15日(本館)、2017年11月3日(アネックス)
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「シネ・リーブル神戸1・2・3」(3館)。2017年11月3日アネックス開館。2020年の映画館名簿では「シネ・リーブル神戸1・2・3・アネックス」(4館)。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅。

2001年9月15日、神戸市中央区浪花町59 神戸朝日ビル地下1階に日活によって「シネ・リーブル神戸」が開館した。3スクリーンを有する。*58

2017年11月3日、神戸市中央区浪花町にある「神戸朝日ホール」が、505席の常設映画館「シネ・リーブル神戸アネックス」として生まれ変わる。こけら落とし作品はアメリカ映画『ノクターナル・アニマルズ』。旧神戸朝日会館は神戸証券取引所の建物を改装した施設であり、1953年には映画館「神戸朝日会館」が開館した。1990年まで洋画を中心に上映し、その後現行の神戸朝日ビルに建て替えられた。1994年には神戸朝日ビルの4階に神戸朝日ホールが開館し、コンサート・演劇・シンポジウムの会場として利用された。1995年1月には阪神淡路大震災が発生したが、1995年3月に営業を再開し、復興関連イベントの会場にもなった。2004年春からは7年間休館していた。*59
109シネマズHAT神戸
所在地 : 兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通2-2-2 プルメールHAT神戸2階(2010年・2015年)
開館年 : 2005年10月26日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2005年10月26日開館。2010年・2015年の映画館名簿では「109シネマズHAT神戸1-10」(10館)。最寄駅は阪神電鉄阪神本線岩屋駅または春日野駅。
OSシネマズミント神戸
所在地 : 兵庫県神戸市中央区雲井7-1-1 M-INT KOBE(2010年)、兵庫県神戸市中央区雲井7-1-1 M-INT KOBE 9階(2015年)、兵庫県神戸市中央区雲井通7丁目1-1 ミント神戸9階から12階
開館年 : 2006年10月
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「OSシネマズミント神戸1-8」(8館)。最寄駅はJR神戸線三ノ宮駅。
元町映画館
所在地 : 兵庫県神戸市中央区元町通4-1-12(2015年・2020年)
開館年 : 2010年8月21日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 元町映画館
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年・2020年の映画館名簿では「元町映画館」。66席1スクリーンのミニシアター。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線みなと元町駅。

小児科医の堀忠は「開業するなら病院より映画館」というほどの映画好きである。堀は2000年に元町商店街にある2階建てビルを購入して映画館の開館を計画し、資金面や運営面での準備を進めた。2009年にテナントが撤退したことから準備を本格化させ、2010年夏に映画館「元町映画館」を開館させる予定である。*60

2010年8月に開館する元町映画館の椅子や映写機は、閉館となった映画館の中古品を使用している。内装などの工事は知人やボランティアに依頼して初期投資額を抑えた。2010年8月1日にプレ開館し、スイスを舞台とする映画『要塞』を上映して正式開館のリハーサルとした。*61

医師の堀忠は10年前にビルを購入し、入居していたテナントが撤退したことから、2009年春から映画館の開館の準備に入った。神戸映画サークル協議会も協力し、運営委員だった藤島順二が支配人に就任。8月1日のプレ開館イベントは立ち見が出るほどの盛況であり、8月21日に元町映画館が正式開館した。この際には大阪市出身の映画監督である大森一樹の花輪などが並べられた。オープニング作品は『狙った恋の落とし方』と『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』。元町から映画館がなくなって20年以上経っていた。*62

元町映画館は2010年8月24日の開館からの1年間に100本余りの映画を上映。日本未公開のアメリカドキュメンタリー9本を一挙に上映したり、ゴダール監督の新作公開に合わせて旧作の特集を組んだりした。監督や出演者の舞台挨拶も定期的に実施している。2011年8月20日から8月26日までは、開館1周年を記念して藤島順二支配人の「人生を変えた」というスペインのビクトル・エリセ監督作『ミツバチのささやき』と『エル・スール』を上映する。*63

小児科医の堀忠は大の映画好きであり、1997年に大阪市西区にシネ・ヌーヴォが開館した際には、市民株主の一人として出資している。テナントの100円ショップが退去した跡地に映画館「元町映画館」を開館させた。映画館を開館させるにあたって8000万円の借金をしている。*64

「元町映画館」を主題とする書籍として、元町映画館出版プロジェクト『元町映画館ものがたり』神戸新聞総合出版センター、2021年がある。*65

「元町映画館」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*66
OSシネマズ神戸ハーバーランド
所在地 : 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-7-2 神戸ハーバーランドumie A501(2015年・2020年)
開館年 : 2013年4月18日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2013年4月18日開館。2015年の映画館名簿では「OSシネマズ神戸ハーバーランド1-9」(9館)。2018年2月16日にスクリーン10を増築。神戸ハーバーランドumie サウスモール5階。最寄駅はJR神戸線神戸駅。

兵庫区

祇園倶楽部/ギオンキネマ
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市平野上祇園町17(1927年)、兵庫県神戸市平野上祇園町(1934年)、兵庫県神戸市上祇園町17(1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「祇園倶楽部」。1930年の映画館名簿では「ギオンキネマ」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「祇園倶楽部」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
栄館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「栄館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
末広座
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川町(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区川中町(1941年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「末広座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
八千代劇場
所在地 : 兵庫県神戸市湊東区湊川神社前(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「八千代劇場」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
有楽館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1927年・1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町1-293-1(1941年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「菊水館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
兵庫学童映画館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区兵庫駅前(1943年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「兵庫学童映画館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
イチマ館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川町(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川町2丁目208(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川町2-47(1941年)、兵庫県神戸市兵庫区南逆瀬川町(1943年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「イチマ館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
錦座
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊町1丁目(1927年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年・1943年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「錦座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
菊水館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1927年・1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年・1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「菊水館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
二葉館/東宝二葉館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊町1丁目(1927年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町(1941年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町新開地(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「二葉館」。1941年・1943年の映画館名簿では「東宝二葉館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
朝日館/東宝朝日劇場
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1927年・1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年・1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「朝日館」。1941年・1943年の映画館名簿では「東宝朝日劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
グランドキネマ松本/松本座/松本劇場/新開地ニュース劇場
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊町1丁目(1927年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年・1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年の映画館名簿では「グランドキネマ松本」。1927年の映画館名簿では「松本座」。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年の映画館名簿では「松本座」。1936年の映画館名簿では「松本劇場」。1941年・1943年の映画館名簿では「新開地ニュース劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

1937年2月4日、神戸市の劇映画専門館「松本座」(マツモトザ)が新開地初のニュース映画専門館「新開地ニュース劇場」に転向した。*67
神戸劇場
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1941年・1943年)
開館年 : 1937年11月20日
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「神戸劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

1937年11月20日、神戸市の「神戸劇場」が改築してニュース映画館に転向した。*68
神戸スケート映画/新開地映画館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1941年・1943年)
開館年 : 1937年5月8日
閉館年 : 1943年
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「神戸スケート映画」。1943年の映画館名簿では「新開地映画館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

1934年1月7日、神戸市新開地に神戸市初の屋内スケート場である神戸アイス・スケート場が開業した。相生座の南側、朝日館の東側である。1937年5月8日、夏場のスケート場閉鎖時期を利用して「スケート映画館」が開館し、洋画の一本立興行を行った。1942年6月には邦画上映館に転向し、同年9月には「新開地映画館」に改称したが、1943年に閉館した。1973年現在は「神戸東宝」の建物となっている。*69
橘座
所在地 : 兵庫県神戸市湊東区楠町西門筋元町(1934年)、兵庫県神戸市湊東区楠町西門筋(1936年)、兵庫県神戸市湊東区橘通3-54(1941年)、兵庫県神戸市湊東区橘通3(1943年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「橘座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
シネマパレス
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「シネマパレス」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸東宝映劇
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区大開通(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「神戸東宝映劇」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
東宝国際劇場
所在地 : 兵庫県神戸市生田区新開地(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「東宝国際劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
東宝国際劇場
所在地 : 兵庫県神戸市生田区新開地(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「東宝国際劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸文化映画館/文化映画館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区省線高架下209・213(1941年)、兵庫県神戸市兵庫区省線高架下(1943年・1947年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「神戸文化映画館」。1947年の映画館名簿では「文化映画館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
多聞座/神戸大映/花月劇場/福原口花月劇場
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区福原町10(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町10(1958年)
開館年 : 1939年(花月劇場)、1947年11月
閉館年 : 1959年8月13日
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「神戸大映」。1955年の映画館名簿では「花月劇場」。1958年の映画館名簿では「福原口花月劇場」。1958年の住宅地図では「花月劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は高級ソープランド「アロー」や中級ソープランド「彩桜」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1959年8月13日、神戸市の「花月劇場」が全焼した。原因は不明。*70
松竹座/神戸松竹座
所在地 : 兵庫県神戸市湊川新開地(1930年)、兵庫県神戸市湊東区福原町(1934年・1936年)、兵庫県神戸市湊東区福原町89(1941年)、兵庫県神戸市湊東区福原町(1943年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町89(1947年・1950年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町89(1960年)
開館年 : 1929年10月30日
閉館年 : 1959年1月1日(演芸場転換)
Wikipedia : 神戸松竹座
『全国映画館総覧 1955』によると1929年10月開館。1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「松竹座」。1943年の映画館名簿では「神戸松竹座」。1947年の映画館名簿では「松竹座」。1950年の映画館名簿では「神戸松竹座」。1953年・1955年の映画館名簿では「松竹座」。1958年・1969年・1974年の住宅地図では「松竹座」。1960年の映画館名簿では「神戸松竹座」。1959年1月1日に映画館から演劇場に転換。1976年9月30日に閉館。跡地はパチンコ店「Aタイム新開地店」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1927年正月興行から、神戸市の演劇専門劇場「松竹劇場」が「松竹座」に改称して洋画封切館に転向した。当時の洋画封切館には松竹座、「朝日館」、「キネマ倶楽部」があった。邦画では帝キネの「相生座」、日活の「錦座」、松竹の「菊水館」、マキノの「二葉館」があった。「聚楽館」はまだ演劇場だった。その他には漫才や芝居の常打ちとして千代之座、大正座、多聞座、湊座などがあった。1929年には新たに「松竹座」が開館し、それまでの松竹座は松竹劇場に戻った。*71

1929年11月1日、洋風の近代的な映画館として「松竹座」が開館した。開館第1回作品は『思ひ出』と『愛欲の人魚』。*72

1955年頃の「松竹座」の写真あり。*73

1958年12月23日をもって、神戸市新開地の松竹直営映画館「神戸松竹座」が東映封切りを取りやめる。12月25日に「神戸東映会館」が開館するため。場内の改装を行い、1959年1月1日には「松竹演芸場」として再発足する。*74

1956年の新開地本通にあった映画館「松竹座」の写真あり。1956年に公開されたディズニー映画『わんわん物語』の看板が見える。1929年に洋画封切館として開館し、ヨーロッパ風のモダンな建物だった。収容人員は1030人。戦前のドイツ映画やフランス映画の名作は、神戸ではほぼすべてここで上映された。太平洋戦争の戦災を免れ、戦後には大映の封切館に転換した。その後は松竹系の演芸場となったが、1976年に閉館した。*75
公園ニュース劇場/湊川公園ニュース映画館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊川公園内(1955年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1(1960年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「公園ニュース劇場」。1958年の住宅地図では「ニュース映画館」。1960年の映画館名簿では「湊川公園ニュース映画館」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「湊川公園」。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線湊川公園駅または神戸電鉄湊川駅。
ロキシー劇場/ロキシー/ニュース劇場/兵庫ステーション劇場/兵庫東映
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区浜崎通り3丁目(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区浜崎通4 高架下(1953年)、兵庫県神戸市兵庫区浜崎通4(1955年)、兵庫県神戸市兵庫区浜崎通 国鉄高架下(1960年・1961年)、兵庫県神戸市兵庫区浜崎通4 国鉄高架下(1962年)
開館年 : 1947年以後1950年以前、1954年9月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「ロキシー劇場」。1953年の映画館名簿では「ロキシー」。1955年の映画館名簿では「ニュース劇場」。1958年の住宅地図では「兵庫ニュース劇場」。1960年・1961年の映画館名簿では「兵庫ステーション劇場」。1962年の映画館名簿では「兵庫東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
山陽映画会館/テアトル神戸
所在地 : 兵庫県神戸市生田区(1947年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1丁目1(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1-1(1958年・1960年・1962年・1963年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 1963年1月29日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年9月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「山陽映画会館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1962年・1963年の映画館名簿では「テアトル神戸」。1958年の住宅地図では「テアトル神戸」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1995年竣工のマンション「湊川パークサイド」。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線湊川公園駅または神戸電鉄湊川駅。

1950年の兵庫区にあった「テアトル神戸」の写真あり。「テアトル」や「THEATRE KOBE」の文字が見える。アメリカ映画『都会の叫び』の看板が見える。1946年に開館した。2010年現在の跡地には高層ビルが建っている。*76

1963年1月29日をもって、神戸市兵庫区下沢通1の「テアトル神戸」が興行を打ち切った。総工費3億円で鉄筋造2階建てのボウリング場が建設される。喫茶室なども有する30レーンのボウリング場となる。完成は8月の予定。*77

1963年8月31日、神戸市兵庫区下沢通1の「テアトル神戸」跡地で神戸テアトルボウリングセンターの開場式が行われ、9月1日に営業を開始した。鉄筋鉄骨造2階建て。*78

1963年8月31日、神戸市兵庫区下沢通1の「テアトル神戸」跡地で神戸テアトルボウリングセンターの開場式が行われた。鉄骨鉄筋造2階建て。延床面積2059平方メートル。26レーン。レストラン、パーラー、ゲームコーナー、シャワールームなどを備える。*79
笠松映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区小松通2(1958年・1960年)、兵庫県神戸市兵庫区小松通2-11(1963年)、兵庫県神戸市兵庫区小松通2-10(1966年・1967年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「笠松映画劇場」。1966年・1967年の映画館名簿では「神戸笠松映画劇場」。1966年の住宅地図では「笠松映劇」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫消防署運南出張所」の南東80mの月極駐車場「小松ガレージ」。笠松商店街沿い。最寄駅はJR和田岬線・神戸市営地下鉄海岸線和田岬駅。
公園劇場(旧)/公園劇場・公園シネマ
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区下沢通1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1-23(1958年・1960年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1-23 公有地(1963年・1966年)、兵庫県神戸市兵庫区下沢通1-23 、下沢通1-23公有地(1968年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「公園劇場」。1958年の住宅地図では「公園劇場」。1963年の映画館名簿では「公園劇場・公園シネマ」(2館)。1966年・1968年の映画館名簿では「神戸新開地公園劇場・神戸新開地公園シネマ」(2館)。1968年に湊川公園整備のため閉館。1969年の映画館名簿には掲載されていない。後継館は跡地に建設された新公園劇場。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線湊川公園駅または神戸電鉄湊川駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*80
相生座/神戸スバル座
所在地 : 兵庫県神戸市湊町(1927年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年)、兵庫県神戸市兵庫区仲町(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区仲田西通27(1953年)、兵庫県神戸市兵庫区仲町西通27(1955年)、兵庫県神戸市兵庫区仲町西通3-27(1958年)、兵庫県神戸市兵庫区仲町西通2-27(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1927年7月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1927年7月開館。1927年・1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「相生座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「相生座」。1958年の住宅地図では「相生座」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「神戸スバル座」。1969年の住宅地図では「神戸スバル座」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では「神戸松竹」。跡地は「ポートピア神戸新開地」北の有料駐車場「神戸松竹駐車場」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1930年春には神戸市の「相生座」が帝キネの直営館となり、9月30日には関西封切場として大改築を行った。1階は600人の大衆席、2階は380人の一等席である。*81

1962年7月、松竹直営館「相生座」が松竹との契約を解除され、「神戸スバル座」に改称して外画上映館となった。*82
KS映画会館/テアトルKS/神戸テアトルKS
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区福原町88(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町(1953年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町88(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「KS映画会館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「テアトルKS」。1958年・1969年の住宅地図では「テアトルKS」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「神戸テアトルKS」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「トーホーストア湊川公園店」。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線湊川公園駅または神戸電鉄湊川駅。

1961年の新開地本通の写真あり。現在の神戸市兵庫区新開地。「テアトルKS」の文字の下に1961年公開の『青い狩人』、『闘い続ける男』、『俺の海』の看板が見える。正面奥には1935年に設置された大楠公像があり、当時は湊川公園の南側に置かれていた。*83
ロマン座/大映ロマン座/新開地ロマン座
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区大開通1丁目(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区大開通1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区大開通1-16-1(1958年)、兵庫県神戸市兵庫区大開通1-16(1960年・1963年)、兵庫県神戸市兵庫区大開通1-16-1(1966年・1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「ロマン座」。1958年の住宅地図では「ロマン座」。1963年の映画館名簿では「大映ロマン座」。1966年の映画館名簿では「神戸新開地ロマン座」。1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「新開地ロマン座」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「神鉄ビル」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。
新開地大映/神戸松竹劇場/松竹劇場
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区中道通(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区中道通1丁目23(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区中道通1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区中道筋1-23(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1948年9月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年9月開館。1934年の映画館名簿では「松竹劇場」。1936年・1941年・1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「神戸松竹劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「松竹劇場」。1958年の住宅地図では「新開地大映」。1960年の映画館名簿では「新開地大映」。1963年・1966年の映画館名簿では「神戸松竹劇場」。1969年の映画館名簿では「松竹劇場」。1969年の住宅地図では「国際ミュージック 松竹劇場」。1970年の映画館名簿では「神戸松竹劇場」。1971年・1972年の映画館名簿では「松竹劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セントラルハイツ湊川」。最寄駅は湊川公園駅/湊川駅または新開地駅。

1930年2月21日、神戸市新開地で最も大きな舞台を持つ「松竹劇場」が場内改装を行い、椅子席をゆったりとさせて通路にはカーペットを敷いた。*84

1954年の兵庫区湊川新開地にあった「松竹劇場」の写真あり。高田浩吉や美空ひばりが出演する『びっくり五十三次』、戦前のアメリカ映画『世界を敵にして』の看板が見える。1972年に閉館し、2010年現在の跡地はパチンコ店となっている。*85

1957年6月、「神戸松竹劇場」が「新開地大映」に改称した。*86
聚楽館/松竹聚楽館
所在地 : 兵庫県神戸市湊川新開地(1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年・1941年)、兵庫県神戸市兵庫区水木通1(1943年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区水木通1-35(1958年・1960年・1963年)、兵庫県神戸市兵庫区水木通1(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地2-3-1(1976年)
開館年 : 1913年8月(演劇場)、1934年12月15日(建て替え)、1952年12月(戦後)
閉館年 : 1978年
Wikipedia : 聚楽館
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「聚楽館」。1947年・1950年・1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「聚楽館」。1958年の住宅地図では「聚楽館」。1963年の映画館名簿では「神戸聚楽館」。1966年の映画館名簿では「神戸松竹聚楽館」。1969年・1973年の映画館名簿では「松竹聚楽館」。1969年・1974年のゼンリン住宅地図では「聚楽館劇場 スケート場 卓球場」。1976年の映画館名簿では「聚楽館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大京聚楽館ビル」。。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

水木通1丁目の聚楽館株式会社。営業目的は演劇。1912年2月創立。資本金は35万円。*87

聚楽館株式会社。所在地は水木通1丁目35-2。1912年2月設立。資本金は35万円。営業目的は劇場。*88

1927年9月8日、神戸市新開地の「聚楽館」が演劇劇場から映画常設館に転向した。経営不振が理由とされたが、帝国劇場を模した格調高い劇場が大衆映画館に転向したことを嘆く市民も多かった。当時の映画館の2階席は畳敷きだったため、聚楽館は3階まで土足で上がれる点が珍しかった。1929年8月10日には聚楽館が松竹に身売りすると、1933年9月には新築に近い工事に着手し、1934年12月15日に新たに開館した。当時の金額で百数十万円、現在の価値では約10億円をかけている。地階、1階、中2階、2階、中3階、3階の6層があり、1階から中3階までは映画館、3階はアイススケート場、地階は機械室などだった。椅子は全て同一の高級椅子だった。*89

1906年には湊川を埋め立てて湊川新開地が形成された。1913年9月には東京の帝劇を模して初代「聚楽館」が建てられ、こけら落としには松本幸四郎や尾上梅幸が来演した。松井須磨子などの芸術座、中国の梅蘭芳なども来演した。1921年3月19日にはまだ15歳だった水谷八重子が『青い鳥』の公演を行った。1933年には2代目聚楽館に建て替えられた。*90

1954年6月10日、神戸市新開地の松竹直営館「聚楽館」がシネマスコープ劇場として発足した。オープニングはメトロ映画『円卓の騎士』。阪急会館から一足遅れた。*91

1950年頃の兵庫区湊川新開地にあった「聚楽館」の写真あり。1913年に劇場として開館した。1927年には映画館となり、戦後にはアメリカ進駐軍に接収された。返還後にはスケート場も設置された。1979年に取り壊され、2010年現在の跡地はボウリング場を有する娯楽施設となっている。*92

1953年の神戸市にあった映画館「聚楽館」の写真あり。現在の神戸市兵庫区新開地。「SHURAKKAN」(しゅうらっかん)の文字が見える。1913年、「西の帝国劇場」と称する演劇場として開館し、1927年に映画館に転換した。1934年にはほぼ新築に近い大改装を行った。*93

1961年の神戸市にあった映画館「聚楽館」の写真あり。現在の神戸市兵庫区新開地。新開地は明治末期から大興行街に発展していき、1913年8月には高級ホールとして聚楽館が開館した。建物は東京の「帝劇」を模しており、鉄筋コンクリート造、地上3階建・地下1階建の本格的洋風建築だった。内部はルネサンス様式であり、深紅のカーペットが敷き詰められていた。ホールは全席椅子席で冷暖房完備という点が当時としては珍しかった。館名は豊臣秀吉が京都に建設した聚楽第(じゅらくだい)に因んでいるが、市民は「しゅうらっかん」と発音した。開館当初は著名な歌舞伎俳優や帝劇の女優などが来演したが、松竹との競争に敗れたことで1927年には映画館化し、1929年には松竹に身売りした。1933年の改装では娯楽の大殿堂としてのイメージが低下した。1934年にはアイススケート場を併設した。戦後の1978年、65年の歴史に幕を閉じた。*94
湊川温泉/湊川温泉劇場/湊川温泉劇場・湊川温泉地下劇場
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区水木通1丁目(1941年)、兵庫県神戸市兵庫区水木通1(1943年)、兵庫県神戸市兵庫区中道通1(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区中道通1-23-14(1958年)、兵庫県神戸市兵庫区中道通1-23(1960年・1963年)、兵庫県神戸市兵庫区中道筋1-23-14(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、兵庫県神戸市新開地1-23-14(1982年・1983年)
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1983年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年1月開館。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「湊川温泉」。1941年・1943年の映画館名簿では「湊川温泉劇場」。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「湊川温泉劇場」。1958年の住宅地図では「湊川温泉」が掲載されているが劇場の言及はない。1966年の映画館名簿では「神戸湊川温泉劇場」。1969年の住宅地図では「湊川温泉 温泉劇場」。1969年・1973年・1976年・1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「湊川温泉劇場・湊川温泉地下劇場」(2館)。1974年のゼンリン住宅地図では「地下1階温泉地下劇場 1階湊川温泉 2階温泉劇場」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1987年竣工のマンション「プリオーレ神戸」。最寄駅は湊川公園駅/湊川駅または新開地駅。
キネマ倶楽部/日活キネマクラブ/松竹キネマクラブ/キネマクラブ
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市湊川新開地(1927年・1930年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地(1934年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1936年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町(1941年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1943年)、兵庫県神戸市兵庫区(1947年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町3丁目(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町3-25-8(1960年・1963年・1966年・1969年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町2-25-8(1973年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地4(1976年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地4-6-17(1980年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1925年以前、1934年1月
閉館年 : 1987年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1934年1月開館。1925年の映画館名簿では「キネマクラブ」。1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「キネマ倶楽部」。1958年の住宅地図では「キネマクラブ」。1960年・1963年の映画館名簿では「日活キネマクラブ」。1966年の映画館名簿では「神戸日活キネマクラブ」。1969年の映画館名簿では「日活キネマクラブ」。1969年の住宅地図では「日活キネマクラブ」。1973年の映画館名簿では「キネマ・クラブ」。1974年のゼンリン住宅地図では「松竹キネマ」。1976年の映画館名簿では「松竹キネマクラブ」。1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「キネマクラブ」。1984年のゼンリン住宅地図では「ロードショー キネマクラブ」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はローソン神戸新開地四丁目店」南の駐輪場。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1928年7月20日、神戸市の「キネマ倶楽部」が場内改装を行って開館した。1930年9月20日、キネマ倶楽部は畳敷きだった2階席を土足のまま上り下りできるようにした。*95
公園劇場(新)
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊町3-25(1974年・1975年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地5-2-2(1976年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地4-6-19(1980年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1973年頃
閉館年 : 1987年頃
前身は1968年頃まで湊川公園にあった公園劇場・公園シネマ。1958年の住宅地図では後の公園劇場の場所に「神港ビル」など。1969年の住宅地図では後の公園劇場の場所に「●田ビル」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年・1975年・1976年・1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「公園劇場」。1984年のゼンリン住宅地図では「藤田ビル 1階公園劇場」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ポートピア神戸新開地」建物西側。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。
松竹新劇/新開地劇場(映画館)
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊町1(1955年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町1-293(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地6-2-25(1976年・1980年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1987年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新開地劇場」。1958年・1969年の住宅地図では「新開地劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸新開地劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「新開地劇場」。1980年の映画館名簿では「新劇会館」。1984年のゼンリン住宅地図では「新劇」。1985年・1986年の映画館名簿では「松竹新劇」。1987年の映画館名簿では「新開地劇場」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「リフレ神戸」建物西側。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*96
神戸名画劇場・神戸東宝劇場・神戸シネマ/神戸名画座・神戸東宝・神戸シネマ/神戸名画座・神戸東宝シネマ
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区西古湊町1(1960年・1963年)、兵庫県神戸市兵庫区西古湊通1-21-3(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地5-2-2(1976年・1980年・1985年・1990年・1991年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1991年頃
1958年の住宅地図では「神東会館 神戸名画座 神戸シネマ 神戸東宝」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「神戸名画劇場・神戸東宝劇場・神戸シネマ」(3館)。1969年の住宅地図では「神東会館 2階神戸名画劇場 1階神戸シネマ 神戸東宝」。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「神戸名画座・神戸東宝・神戸シネマ」(3館)。1984年のゼンリン住宅地図では「神東会館 1階神戸シネマ・神戸東宝 2階神戸名画劇場」。1990年・1991年の映画館名簿では「神戸名画座・神戸東宝シネマ」(2館)。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫警察署新開地交番」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1956年8月から9月のこのほど、神戸市兵庫区西古湊通1-21-3に3映画館を内包する「神東会館」が落成開館した。東宝百館計画の一環である。定員872人の東宝封切館「神戸東宝」、定員569人の洋画封切館「神戸シネマ」、定員324人の名画上映館「神戸名画劇場」。竹中工務店が施工。*97
第一映画劇場・神映洋画劇場/第一映画劇場・神映/第一映画劇場・神戸映画劇場/神戸東映劇場・神戸東映地下劇場/神戸東映劇場・神戸東映パラス劇場/神戸東映劇場・神戸東映パラス
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地、兵庫区(1947年)、兵庫県神戸市兵庫区湊川新開地(1950年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町4(1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町4-34(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市兵庫区湊町3-34(1976年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地3-4-11(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1946年6月、1958年12月(神戸東映劇場)
閉館年 : 1993年9月19日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「第一映画劇場・神戸洋画劇場」(2館)。1950年の映画館名簿では「第一映画劇場・神映洋画劇場」(2館)。1953年の映画館名簿では「第一映画劇場・神映」(2館)。1955年の映画館名簿では「第一映画劇場・神戸映画劇場」(2館)。1958年の住宅地図では「用地 神戸東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「神戸東映劇場・神戸東映地下劇場」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「神戸東映劇場・神戸東映パラス劇場」(2館)。1969年の住宅地図では「神戸東映 東映パラス(地階)」。1974年のゼンリン住宅地図では「神戸東映・東映パラス(地階)」。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「神戸東映劇場・神戸東映パラス」(2館)。1990年の映画館名簿では「神戸東映・神戸東映パラス」(2館)。1994年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アサヒカプセルサウナ」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

神戸市にあった「神戸東映」の写真あり。『人生劇場』の看板が見える。*98

1993年9月19日、神戸市兵庫区新開地3丁目の映画館「神戸東映劇場」と併設の「東映パラス劇場」が閉館した。ロードショー館としては最後。1958年12月、東映直営のロードショー館として開館。新開地の映画館や演劇場は最盛期に24館もあり、「西の浅草」とも呼ばれた。1950年代には神戸市役所が別地点に移転して衰退がはじまった。*99
新劇ゴールド
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊町1-293(1969年・1973年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地6-2-27(1976年・1980年・1990年・1993年)
開館年 : 1968年頃
閉館年 : 1993年頃
1968年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では「新劇ゴールド」。1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「新劇ゴールド」。1984年のゼンリン住宅地図では「新劇ゴールド」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1992年・1993年の映画館名簿では「新劇ゴールド」。1992年の映画館名簿では鉄筋造平屋、280席、経営会社が新三和株式会社、経営者・支配人が森本利雄、邦画を上映。1994年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エステムコート神戸ハーバーランド前2」。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。
新劇会館
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区湊町1-293(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、神戸市兵庫区新開地6-2-2(1976年・1980年・1985年)、神戸市兵庫区新開地6-2-26(1990年・1995年)、神戸市兵庫区新開地6-2-22(1998年)
開館年 : 1956年4月28日
閉館年 : 1998年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1969年の住宅地図では「新劇会館」。1960年・1963年の映画館名簿では「新劇会館・新開地劇場」(2館)。1966年の映画館名簿では「神戸新劇会館・神戸新開地劇場」(2館)。1969年・1973年の映画館名簿では「神戸新劇会館・新開地劇場」(3館)。1976年の映画館名簿では「新劇会館・新開地劇場」(3館)。1980年の映画館名簿では「新劇会館」。1984年のゼンリン住宅地図では「新劇」と「新劇会館」で別の建物のように見える。1985年の映画館名簿では「新劇会館・松竹新劇」(2館)。1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「新劇会館」。1998年の映画館名簿では鉄筋造平屋、300席、経営会社が平和建物株式会社、経営者・支配人ともにが渡辺光、洋画を上映。1995年1月17日の阪神淡路大震災後に閉館。跡地は「リフレ神戸」建物東側。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

1956年4月28日、神戸市兵庫区湊町1丁目293に「新劇会館」が開館した。オープニングは『悪の花園』と『戦略空軍命令』。鉄筋造3階建て。総坪数250坪。椅子席440。冷暖房装置、シネスコ、ビスタビジョンなどの近代設備を有する。洋画各社の三番館。経営は「新開地劇場」や「繁栄座」も有する大和興業。*100

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*101
神戸アートビレッジセンター
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地5-3-14(2012年・2015年)
開館年 : 1996年4月17日(施設開館)、2011年頃(映画定期上映開始)
閉館年 : 2022年3月31日
2011年の映画館名簿には掲載されていない。2012年・2015年の映画館名簿では「神戸アートビレッジセンター」。2012年の映画館名簿では鉄筋造地下、94席、経営会社が大阪ガスビジネスクリエイト、経営者が河瀬隆、支配人が坂本潤也、邦画・洋画を上映。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。
福原国際映画劇場/福原国際劇場/福原国際東映劇場/福原国際東映
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区福原町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町52(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)、兵庫県神戸市兵庫区福原町15-3(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1949年4月
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1949年4月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「福原国際映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「福原国際劇場」。1958年の住宅地図では「福原国際劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「福原国際東映」。1966年の映画館名簿では「神戸福原国際東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「福原国際東映劇場」。1969年の住宅地図では「福原国際東映」。1974年のゼンリン住宅地図ではブロック中央部に「福原国際東映」。1976年の映画館名簿では「福原国際劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「福原国際東映」。成人映画館。最寄駅は湊川公園駅/湊川駅または新開地駅。

1980年頃には全国に約300館の成人映画館があったが、2017年には39館にまで減少し、関西地方は11館が営業している。主な観客は高齢者であり、作品鑑賞より「出会いの場」としての性格が強まっている。福原国際東映の館内は土足禁止である。2017年2月には200万円を投じて「業界初」の女装用メイクルームを新設。メイクルームにはロッカーや照明付きドレッサーがあり、トイレやシャワーを完備している。女装スナックやゲイバーなどでの評判は上々だという。入口前の上映作品ポスターは、女優の胸を白い紙で隠している。大阪市天王寺区の松下商会は、福原国際東映を含めて神戸市・尼崎市・大阪府の成人映画館4館を経営している。社長は2016年に祖父の米田実(90)から引き継いだ大林真人(33)。2018年7月末には4館のウェブサイトを開設し、twitterで上映作品の案内を始めた。大阪市の新世界日劇では、数百万円をかけてトイレと客席を改修した。2018年9月には福原国際東映の館内に無料Wi-Fiを導入した。*102

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*103

「福原国際東映」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。*104

福原国際東映に言及している雑誌記事として、「関西発 珍談案内人 吉村智樹のこのひと、どエライことになってます! 36回 成人映画館に人生を賭けた男の巻 大林尚人さん」『週刊大衆』2019年7月1日がある。現物は未確認。*105
新公園劇場/パルシネマしんこうえん
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地1-4-43(1976年)、兵庫県神戸市兵庫区新開地1-4-3(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1971年1月1日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : パルシネマしんこうえん
1971年に開館。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「新公園劇場」。1983年頃にパルシネマしんこうえんに改称。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「パルシネマしんこうえん」。1スクリーン135席の映画館。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線湊川公園駅または神戸電鉄湊川駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*106

2019年に刊行された『神戸と映画 映画館と観客の記憶』には、「インタビュー パルシネマしんこうえん 小山康之さん」が掲載されている。*107

「パルシネマしんこうえん」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*108
新劇会館シネマ1・2/CINEMAしんげき1・2/Cinema KOBE1・2
所在地 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地6-2-20-101(1999年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1998年頃
閉館年 : 営業中
1995年1月17日の阪神淡路大震災後に新劇会館と新開地劇場を統合して開館。1999年・2000年の映画館名簿では「新劇会館シネマ1・2」(2館)。2005年の映画館名簿では「CINEMAしんげき1・2」(2館)。2010年Cinema KOBE改称。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「Cinema KOBE 1・2」(2館)。建物名はリフレ神戸。最寄駅は阪神電気鉄道・阪急電鉄・神戸電鉄新開地駅。

「Cinema KOBE」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*109

東灘区

龍美座
所在地 : 兵庫県武庫郡御影町(1925年・1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1925年の映画館名簿では「龍美座」。1927年の映画館名簿には掲載されていない。1930年の映画館名簿では「龍美座」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
御影劇場
所在地 : 兵庫県武庫郡住吉村(1934年・1936年)、兵庫県武庫郡住吉村柳762(1941年)、兵庫県神戸市東灘区住吉町(1953年)、兵庫県神戸市東灘区住吉町柳(1955年)、兵庫県神戸市東灘区住吉町柳7(1958年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「御影劇場」。1943年・1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「御影劇場」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。
銀映会館/旭シネマ
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本山町森287-2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市東灘区本山町森287-3(1958年)、兵庫県神戸市東灘区本山町森287(1960年・1963年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「銀映会館」。1963年の映画館名簿では「旭シネマ」。1963年の住宅地図では「旭シネマ」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2001年竣工のマンション「アネックスアメニティ」。最寄駅はJR神戸線甲南山手駅。
稲荷東映/神戸深江劇場
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本庄町深江(1960年)、兵庫県神戸市東灘区本庄町深江稲荷筋(1963年)、兵庫県神戸市東灘区本庄町深江稲荷筋3-22(1966年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「稲荷東映」。1963年の住宅地図では「稲荷東映」。1966年の映画館名簿では「神戸深江劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「阪神興業深江プラザ」。最寄駅は阪神本線深江駅。
神甲映画/神甲東宝映画劇場/神甲映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本山町田中(1955年)、兵庫県神戸市東灘区本山町田中343(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「神甲映画」。1960年・1963年の映画館名簿では「神甲映画劇場」。1963年の住宅地図では「新甲映画劇場」(※神甲ではなく新甲だが誤字と思われる)。1966年の映画館名簿では「東灘福甲映画劇場」。1969年の映画館名簿では「神甲東宝映画劇場」。1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「神甲映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「甲南グランド」。最寄駅はJR神戸線摂津本山駅。
甲南東映/甲南銀映
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本山町田中285(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市東灘区田中町3-4-4(1976年・1980年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1980年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「甲南東映」。1963年の映画館名簿では「甲南銀映」。1963年の住宅地図では「甲南銀映」。1966年の映画館名簿では「東灘甲南銀映」。1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「甲南銀映」。1972年のゼンリン住宅地図では「甲南銀映」。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫トヨタ自動車甲南店」。最寄駅はJR神戸線摂津本山駅。
大和映画劇場/大和映劇
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本庄町西青木47(1958年)、兵庫県神戸市東灘区本庄町青木(1960年)、兵庫県神戸市東灘区本庄町古堂47(1963年)、兵庫県神戸市東灘区本山町西青木古堂47(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市東灘区北青木町3-7-7(1976年)、兵庫県神戸市東灘区北青木3-7-7(1980年・1982年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1982年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大和映画劇場」。1966年の映画館名簿では「東灘大和映画劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「大和映画劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「大和映画劇場」。1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「大和映劇」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「甲南サンライト青木」。最寄駅は阪神本線青木駅。
甲南朝日映画劇場/甲南朝日劇場/甲南朝日
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区本山町田中(1955年)、兵庫県神戸市東灘区本山町田中384(1960年)、兵庫県神戸市東灘区本山町田中348(1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市東灘区甲南町2-5-11(1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1993年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「甲南朝日」。1960年・1963年の映画館名簿では「甲南朝日劇場」。1963年の住宅地図では「甲南朝日劇場」。1966年の映画館名簿では「東灘甲南朝日映画劇場」。1969年の映画館名簿では「甲南朝日映画劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「甲南朝日劇場」。1973年の映画館名簿では「甲南朝日劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「甲南朝日」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。東灘区最後の従来型映画館。跡地は1994年竣工の賃貸マンション「ワコーレファラオ本山」。最寄駅はJR神戸線摂津本山駅。
MOVIX ROKKOU ISLAND
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区向洋町8(1995年)
開館年 : 1994年4月2日
閉館年 : 1995年頃
1990年・1992年の映画館名簿には掲載されていない。1995年の映画館名簿では「MOVIX ROKKOU ISLAND」。1996年・1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。ドライブインシアター。

1994年4月2日、神戸市東灘区の六甲アイランドにドライブインシアター「MOVIX六甲アイランド」が開館する予定。松竹が建設し、神戸市開発局から3年をめどに土地が貸与される。六甲ライナーの終着駅であるマリンパーク駅の西約100メートルにある駐車場の北西角に建設される。松竹は1996年完成予定の神戸ファッションプラザに4スクリーンの複合映画館を開館させる予定があり、客層の調査・分析を行うとともに、人の流れを作る効果を期待している。ドライブインシアターは全国で22館目となる。*110

1994年4月2日、神戸市の六甲アイランドにドライブイン・シアター「ムービックス六甲アイランド」が開館する予定。松竹が初めて直営するドライブイン・シアターである。関西地方では大阪府吹田市千里(2スクリーン)、滋賀県大津市、滋賀県長浜市に次いで5スクリーン目。横16メートル×縦8メートルのスクリーンがある。約200台を収容する。毎日19時と21時30分に一日2回上映する。4月2日からはアメリカ映画『マイ・ライフ』を上映する。*111

1994年4月2日、神戸市東灘区の六甲アイランドにドライブインシアターが開館する予定。企業進出が遅れている六甲アイランドの魅力を高めるとともに、遊休土地の効率的な利用を狙いとしている。事業主体は松竹であり、神戸市開発局が用地を貸与する。大阪湾岸道路の関西国際空港連絡橋から六甲アイランド館が開通する4月2日に合わせてオープンする。六甲ライナーの終着駅であるマリンパーク駅の西約100メートルにある駐車場の北西角に建設される。縦8メートル×横16メートルのスクリーンを高さ4メートルの地点に設置する。*112

1994年4月2日、神戸市東灘区の六甲アイランドに「ドライブイン・シアター・ムービックス」が開館した。4月2日から4月30日までに4000台が入場し、上場の滑り出すを見せている。19時からと21時からの一日2回上映であり、休日には一時間前に満車になるという。阪神地区からの観客が多いが、北九州や広島など遠方のナンバーの車もある。観客は90%異常が若いカップルであり、カップル向けの恋愛映画を中心に上映している。*113

1994年4月、松竹シネ・ファイジャパンによってドライブインシアター「MOVIX六甲アイランド」が開館した。*114

大阪府と兵庫県にまたがる大阪湾岸に相次いで映画館が開館している。1991年5月、大阪市の天保山に名画座の「海遊館ホール」が開館した。1994年時点で観客の約9割は若者だという。1994年4月には、神戸市東灘区の六甲アイランドにドライブインシアター「MOVIX六甲アイランド」が開館した。200台収容の駐車場があり、週末の午後7時過ぎにはほぼ満杯となる。神戸ナンバーが約5割であり、大阪ナンバー・なにわナンバー・和泉ナンバーが計3割である。1994年4月末には、神戸市灘区のマヤ・エスポートにも2スクリーンを持つドライブインシアターが開館している。*115
MOVIX六甲/シネウェーブ六甲
所在地 : 兵庫県神戸市東灘区向洋町中2-9-1 神戸ファッションプラザ9階(2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1997年3月20日(MOVIX六甲)、2010年7月3日(シネウェーブ六甲)
閉館年 : 2010年1月31日(MOVIX六甲)、2011年11月30日(シネウェーブ六甲)
1997年に兵庫県初のシネコンとして開館。1998年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「MOVIX六甲1-7」(7館)。六甲アイランド唯一の映画館。最寄駅は六甲アイランド線アイランドセンター駅。建物の「神戸ファッションプラザ」は現存。

1997年3月20日、神戸市東灘区向洋2-9-1 神戸ファッションプラザ9階に「MOVIX六甲」が開館した。7スクリーン計1419席を有する。松竹シネマークシアターの第1号店。*116

1997年3月20日、松竹マルチプレックスシアターズによって「MOVIX六甲」が開館した。*117

2009年12月3日の『神戸新聞』には「MOVIX六甲」の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。*118

2010年1月末、神戸市東灘区の六甲アイランドにあるシネコン「MOVIX六甲」が閉館する。7スクリーン、計1432席。1997年、ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田などに続いて関西地方3番目のシネコンとして開館。京阪神にシネコンの進出が相次いだことで、ピーク時に約8億円だった興行収入は、2008年に約3億円にまで落ち込んでいた。*119

2010年1月31日、神戸市東灘区の六甲アイランドにある商業施設「神戸ファッションプラザ」9階にあるシネコン「MOVIX六甲」が閉館する。1997年3月、国内資本のシネコン第1号として開館し、兵庫県のみならず大阪府方面からも集客した。7スクリーン計1432席。ピークの2000年には興行収入が8億円を記録したが、しかし阪神地域でシネコンの開館が相次いだ。立地条件なども影響して、興行収入は3億円前後と大幅に減少していた。松竹マルチプレックスシアターズは2009年10月に「MOVIXココエあまがさき」を開館させており、同時期にMOVIX六甲の閉館を決定した。*120

2010年1月には、神戸市東灘区の六甲アイランドにある商業施設「神戸ファッションプラザ」内のシネコン「MOVIX六甲」が閉館した。シネコンの閉館により神戸ファッションプラザに約50あるテナントの集客数は約1割減少した。2010年7月3日、跡地にシネコン「シネウェーブ六甲」が開館する。神戸ファッションプラザが再開を決定し、上映作品の選定はOS・シネブラザーズに委託される。全7スクリーン計1432席。スクリーンは鮮明なパールスクリーンに張り替えられ、9月にはデジタル3Dシステムが導入される。250縁でソフトドリンク飲み放題のサービスがある。*121

灘区

敏馬館
所在地 : 兵庫県武庫郡岩屋町(1930年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1930年の映画館名簿では「敏馬館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
摩耶温泉館
所在地 : 兵庫県神戸市灘区畑原野田山(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「摩耶温泉館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
遊楽館
所在地 : 兵庫県武庫郡西灘村吹滝(1927年)、兵庫県武庫郡西灘村大石町(1930年)、兵庫県神戸市灘区味泥(1934年)、兵庫県神戸市灘区都通3-25(1936年)、兵庫県神戸市灘区都通3-115(1941年)
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1927年・1930年・1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「遊楽館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
新国キネマ/新国キネマ館
所在地 : 兵庫県神戸市河原町588(1930年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通(1934年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2-588(1936年・1941年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「新国キネマ」。1941年・1943年の映画館名簿では「新国キネマ館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
摩耶劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区中原通1-2(1958年・1960年・1961年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1961年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「摩耶劇場」。1958年・1960年の住宅地図では「摩耶劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2006年竣工のマンション「ワコーレディオ王子公園」。最寄駅はJR阪急神戸線王子公園駅。
王子名画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区原田通2-5(1959年・1960年・1961年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1961年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1961年の映画館名簿では「王子名画劇場」。1960年の住宅地図では「王子名画劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2002年竣工のマンション「サンシャイン王子公園」。最寄駅はJR阪急神戸線王子公園駅。
西灘劇場/西灘第一映劇/西灘東映劇場/灘東映劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区水道筋3(1955年)、兵庫県神戸市灘区岸地通2-1(1958年・1960年・1966年)、兵庫県神戸市灘区水道筋2-8(1967年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1955年の映画館名簿では「西灘第一映劇」。1958年の映画館名簿では「西灘東映劇場」。1960年の住宅地図では「西灘東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「西灘東映」。1966年の映画館名簿では「灘東映劇場」。1967年の映画館名簿では「西灘東映劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プレステージ王子公園クラシーク」。最寄駅は阪急神戸線王子公園駅。

1964年1月4日午前9時40分頃、神戸市灘区岸地通り2丁目の「西灘東映」天井付近から出火し、天井50m2が焼失した。*122
六甲松竹/六甲映画会館/六甲映画/六甲映画館/六甲映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区桜口町4丁目(1941年)、兵庫県神戸市灘区桜口町4(1943年)、兵庫県神戸市灘区桜口町(1947年)、兵庫県神戸市灘区桜口町4-2(1950年)、兵庫県神戸市灘区桜口通3(1953年)、兵庫県神戸市灘区桜口町4(1955年)、兵庫県神戸市灘区桜口町4-2(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1940年1月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1940年1月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年の映画館名簿では「六甲松竹」。1950年の映画館名簿では「六甲映画会館」。1953年の映画館名簿では「六甲映画」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「六甲映画館」。1960年の住宅地図では「六甲映画館」。1966年の映画館名簿では「灘六甲映画劇場」。1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「六甲映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。跡地は「三菱UFJ銀行東神戸支店」や「京都銀行六甲道支店」が入る「ウェルブ六甲道4番街」。最寄駅はJR神戸線六甲道駅または阪神本線新在家駅。

1962年1月9日、神戸市灘区桜口町4の「六甲映画館」が壁と天井の一部を焼失した。原因は不明。*123

1962年1月9日、神戸市灘区桜口町4の「六甲映画館」別棟ボイラー室から出火し、劇場の壁と天井の一部および隣接する倉庫が焼失した。*124
灘松竹映劇/灘松竹
所在地 : 兵庫県神戸市灘区水道筋1-25(1957年・1958年)、兵庫県神戸市灘区水道筋5-21(1960年)、兵庫県神戸市灘区水道筋1-25(1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1972年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「灘松竹映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「灘松竹」。1958年・1960年の住宅地図では「灘松竹映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では跡地に「兵庫相互銀行」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プレステージ六甲コンフィアンス」。最寄駅は阪急神戸線王子公園駅。
中央劇場/灘中央劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区水道筋5-21(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市灘区水道筋5-1-17(1976年・1978年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1978年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「灘中央劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「中央劇場」。1976年・1977年・1978年の映画館名簿では「中央劇場」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は水道筋商店街の「スーパーマルハチ」。最寄駅は阪急電鉄阪急神戸線王子公園駅。跡地は「スーパーマルハチ王子公園店」。最寄駅は阪急神戸線王子公園駅。
有楽座/灘六甲東映劇場/六甲東映劇場/六甲東映
所在地 : 兵庫県神戸市灘区森後町3-14(1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年)、兵庫県神戸市灘区森後町3-5-2(1980年・1985年・1990年・1992年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1992年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「有楽座」。1958年の住宅地図では「映画館有楽座」。1960年の住宅地図では「六甲東映」。1963年の映画館名簿では「六甲東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「灘六甲東映劇場」。1973年の映画館名簿では「六甲東映劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「六甲東映」。1976年・1980年・1985年・1990年・1992年の映画館名簿では「六甲東映」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1993年竣工のマンション「ファミール岡本」。最寄駅はJR神戸線六甲道駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*125
富士映画/富士東映劇場/灘富士映画劇場/富士映劇/富士映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2丁目4(1950年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2-2(1960年・1963年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2-4(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市灘区鹿ノ下通2-4-18(1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1993年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「富士映画」。1960年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1963年の映画館名簿では「富士東映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「灘富士映画劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「富士映画劇場」。1976年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「富士映劇」。1990年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1994年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本自動車連盟(JAF)兵庫支部」敷地内、建物東側の駐車場。最寄駅は阪神本線大石駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*126
ドライブインシアターSTAR DUST 1・2
所在地 : 兵庫県神戸市灘区日出町5-2 マヤエスポート内(1995年)
開館年 : 1994年4月23日
閉館年 : 1995年頃
1994年の映画館名簿には掲載されていない。1995年の映画館名簿では「ドライブインシアターSTAR DUST 1・2」(2館)。1996年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は阪神電鉄阪神本線西灘駅。

1994年4月23日、神戸市灘区のマヤ・エスポートにドライブインシアター「スターダスト神戸」が開館する。マヤ・エスポートは神戸製鋼の工場跡地である。約1800平方メートルの敷地に2スクリーンを設置し、合わせて383台を収容できる。大阪府吹田市でドライブインシアターを手掛けているエー・ビー・シー開発が運営する。年間6万人の利用を見込んでいる。4月には六甲アイランドにも松竹がドライブインシアターを開館させる予定である。*127

1994年4月23日、神戸市灘区のマヤ・エスポートにドライブインシアター「スターダスト神戸」が開館した。2施設計で約400台を収容し、カップルでにぎわっている。*128

大阪府と兵庫県にまたがる大阪湾岸に相次いで映画館が開館している。1991年5月、大阪市の天保山に名画座の「海遊館ホール」が開館した。1994年時点で観客の約9割は若者だという。1994年4月には、神戸市東灘区の六甲アイランドにドライブインシアター「MOVIX六甲アイランド」が開館した。200台収容の駐車場があり、週末の午後7時過ぎにはほぼ満杯となる。神戸ナンバーが約5割であり、大阪ナンバー・なにわナンバー・和泉ナンバーが計3割である。1994年4月末には、神戸市灘区のマヤ・エスポートにも2スクリーンを持つドライブインシアターが開館している。*129
西灘第二映劇/西灘第二劇場/西灘劇場/西灘劇場・西灘シネマ
所在地 : 兵庫県神戸市灘区岸地通1(1955年)、兵庫県神戸市灘区水道筋2-8(1960年・1963年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1951年? 1952年11月?
閉館年 : 2004年5月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1952年11月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「西灘第二映劇」。1958年・1960年の住宅地図では「西灘第二劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「西灘第二劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1969年・1973年の映画館名簿では「西灘第二劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「西灘第二劇場」。1976年の映画館名簿では「西灘劇場」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「西灘劇場・西灘シネマ」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は水道筋商店街にある2006年竣工のマンション「ランズ王子公園」。灘区最後の従来型映画館。最寄駅は阪急神戸線王子公園駅。

2004年5月末、神戸市中央区の映画館「アサヒシネマ」と、灘区の映画館「西灘劇場」が揃って閉館する。1951年に「西灘劇場」として開館し、1952年には隣に「西灘第二劇場」を開館させた。それぞれ東映と松竹の作品を扱っていたが、1979年には2館を統合し、1997年からは単館系作品を半年から1年遅れて2本立てで営業していた。*130

2004年5月31日、神戸市中央区の映画館「三宮アサヒシネマ」と神戸市灘区の映画館「西灘劇場」が閉館する。西灘劇場は156席の1スクリーンを有する。1951年開館であり、阪神淡路大震災では映写機が倒れて水道管が破裂した。3月には『クレヨンしんちゃん』などを無料上映して子どもたちに喜ばれた。建物の老朽化が進行して閉館を決定した。灘区唯一の映画館である。*131

長田区

鷹取館
所在地 : 兵庫県神戸市林田区海運町(1934年)、兵庫県神戸市林田区海運町2丁目1(1936年)、兵庫県神戸市林田区海運町2-1(1941年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「鷹取館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
南栄館
所在地 : 兵庫県神戸市(1925年)、兵庫県神戸市今和田新田西坂上1(1927年)、兵庫県神戸市今和田新田(1930年)、兵庫県神戸市林田区御崎本町2-98(1936年)、兵庫県神戸市林田区岬本町2丁目(1941年)、兵庫県神戸市林田区御崎本町2(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「南栄座」。1930年の映画館名簿では「南栄館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「南栄館」。1941年の映画館名簿では「南栄座」。1943年の映画館名簿では「南栄館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
板宿大映映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市長田区平田町2丁目11(1950年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「板宿大映映画劇場」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
娯楽館/平和劇場
所在地 : 兵庫県神戸市二葉町10(1925年)、兵庫県神戸市二葉丁5-10(1927年)、兵庫県神戸市西新地二葉(1930年)、兵庫県神戸市林田区西新開地(1934年)、兵庫県神戸市林田区二葉町5-10(1936年)、兵庫県神戸市林田区西新開地5-10(1941年)、兵庫県神戸市林田区二葉町5(1943年)、兵庫県神戸市長田区二条町(1947年)、兵庫県神戸市長田区二葉町5丁目10(1950年)、兵庫県神戸市長田区二葉町5(1953年・1955年)、兵庫県神戸市長田区二葉町5-10(1958年・1960年)
開館年 : 1925年以前、1946年10月
閉館年 : 1961年6月27日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「娯楽館」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「平和劇場」。1960年の住宅地図では「平和劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アスタくにづか5番館」建物北西部。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅。

1961年6月27日をもって、神戸市長田区二葉町5の「平和劇場」が閉館した。経営不振のため。経営者は大西光造。*132
国際劇場(長田区)
所在地 : 兵庫県神戸市長田区二葉町5丁目(1950年)、兵庫県神戸市長田区二葉町4(1953年・1955年)、兵庫県神戸市長田区二葉町4-6(1958年・1960年)、兵庫県神戸市長田区二葉町4(1961年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「国際劇場」。1960年の住宅地図では「国際劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「神戸信用金庫西神戸支店」。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅。
西代キネマ
所在地 : 兵庫県神戸市長田区西代通4丁目(1957年・1958年)、兵庫県神戸市長田区西代通4(1960年・1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「西代キネマ」。1960年の住宅地図では「西代キネマ映画館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「戸崎通公園」すぐ南の「神港社」など数軒分の民家。最寄駅は山陽電鉄本線・神戸市営地下鉄西神線板宿駅。
昭和館
所在地 : 兵庫県神戸市林田区庄田町4丁目(1936年)、兵庫県神戸市林田区庄田町4-3-2(1941年)、兵庫県神戸市林田区庄田町4(1943年)、兵庫県神戸市林田区庄田町4丁目(1947年)、兵庫県神戸市長田区庄田町4丁目3-12(1950年)、兵庫県神戸市長田区庄田町4(1953年・1955年)、兵庫県神戸市長田区庄田町4-3-2(1958年)、兵庫県神戸市長田区庄田町3-2(1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1934年6月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1934年6月開館。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「昭和館」。1960年の住宅地図では「昭和館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「昭和ビル」。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅。

1959年3月1日、神戸市西新開地の「昭和館」が日活封切館に転換する。経営は昭和キネマ株式会社。同地区にある日活封切館の「国際劇場」が2月に洋画系に転向したため。*133
長田映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市長田区長田町2(1953年・1955年)、兵庫県神戸市長田区長田町2-13(1958年・1960年・1963年)、兵庫県神戸市長田区長田町2(1966年)
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「長田映画劇場」。1965年の住宅地図では「長田映画劇場」。1966年の映画館名簿では「神戸長田映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「神戸信用金庫長田支店」がある「メゾン長田」。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線長田駅。
第二富士映劇/第二富士映画劇場
所在地 : 兵庫県神戸市長田区菅原通2-2(1958年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1968年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「第二富士映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「第二富士映劇」。1960年・1965年の住宅地図では「富士映劇」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「神戸第二富士映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「菅原通公園」北側。最寄駅は神戸高速鉄道高速長田駅。
ABC映画館/長田東映会館
所在地 : 兵庫県神戸市長田区長田町1-7(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1955年7月2日
閉館年 : 1972年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「長田東映会館」。1965年の住宅地図では「長田東映会館」。1966年の映画館名簿では「神戸長田東映会館」。1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「長田東映会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンドール長田南館」建物北西角。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線長田駅。

1955年7月2日、神戸市長田区長田町に「ABC映画館」が開館した。オープニングは『夜も昼も』と『遠い太鼓』の二本立て。長田公民館をABC興業が改装して映画館化した。ABC興業の代表取締役は武貞武。支配人は池田一行。木造鉄骨2階建て、座席定員180人。入場料金55円。*134
関西劇場/関西東映劇場・関西小劇場
所在地 : 兵庫県神戸市長田区久保町2-3(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、兵庫県神戸市長田区久保町2-4-5(1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「関西劇場」。1960年の住宅地図では「関西劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「関西東映劇場・関西小劇場」(2館)。1966年の映画館名簿では「神戸西新開地関西東映劇場・神戸西新開地関西小劇場」(2館)。1969年・1973年の映画館名簿では「関西東映劇場・関西小劇場」(2館)。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「関西協同病院」建物西端部。最寄駅はJR神戸線新長田駅。
松竹館/松竹映画館
所在地 : 兵庫県神戸市久保町6-1(1927年)、兵庫県神戸市久保町6丁目(1930年)、兵庫県神戸市林田区西新開地(1934年)、兵庫県神戸市林田区久保町西新開地(1936年)、兵庫県神戸市林田区西新開地二葉町(1941年)、兵庫県神戸市林田区久保町6(1943年)、兵庫県神戸市林田区久保町6丁目(1947年)、兵庫県神戸市長田区久保町6丁目(1950年)、兵庫県神戸市長田区久保町6-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県神戸市長田区久保町6-3-25(1985年)
開館年 : 1924年
閉館年 : 1985年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1924年開館。1925年の映画館名簿には掲載されていない。1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「松竹館」。1960年・1963年の映画館名簿では「松竹映画館」。1966年の映画館名簿では「神戸西新開地松竹映画館」。1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「松竹映画館」。1973年のゼンリン住宅地図では「松竹館」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は劇場「アートシアターdB神戸」がある「アスタくにづか4番館」建物中央部。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅。
日本館/繁栄座
所在地 : 兵庫県神戸市林田区庄田町3(1943年)、兵庫県神戸市長田区庄田町(1947年)、兵庫県神戸市長田区庄田町3(1953年・1955年)、兵庫県神戸市長田区庄田町3-5(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県神戸市長田区庄田町3-5-18(1985年)
開館年 : 1920年8月
閉館年 : 1985年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1920年8月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年の映画館名簿では「日本館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「日本館」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「繁栄座」。1966年の映画館名簿では「神戸西新開地繁栄座」。1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「繁栄座」。1973年のゼンリン住宅地図では「繁栄座」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「朝日プラザ長田南」。六間道商店街沿い。最寄駅は神戸市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅。

2001年に浅田修一が刊行した『神戸 最後の名画館』には、「松竹新劇」、「新公園劇場」、「六甲東映」、「繁栄座」、「公園劇場」、「朝日会館」、「富士映劇」、「新劇会館」、「ビック映劇」、「福原国際」、「アサヒシネマ」、「吹田映劇」(大阪府吹田市)に関するエッセイが掲載されている。著者の浅田修一は1938年生まれであり、神戸大学文学部卒業後に高校で国語教員を務めていた。*135
神戸映画資料館
所在地 : 兵庫県神戸市長田区腕塚町5-5-1-201 アスタくにづか1番館2階(2009年・2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 2007年3月25日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 神戸映画資料館
公式サイト : https://kobe-eiga.net/
2008年の映画館名簿には掲載されていない。2009年・2010年・2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「神戸映画資料館」。2009年の映画館名簿では経営会社が神戸プラネット、経営者が安井喜雄、支配人が田中範子、鉄筋造2階、38席、邦画・洋画を上映。2022年の映画館名簿では経営会社がNPO法人プラネット映画保存ネットワーク、経営者が安井喜雄、支配人が田中範子、38席。最寄駅はJR神戸線・神戸市営地下鉄新長田駅。

神戸市周縁部

須磨区

旭館
所在地 : 兵庫県神戸市須磨(1925年・1927年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1927年以後1930年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「旭館」。1930年の映画館名簿には掲載されていない。
月見館/月見座
所在地 : 兵庫県神戸市須磨(1930年)、兵庫県神戸市須磨区月見山(1934年)、兵庫県神戸市須磨区月見山本町2-1(1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1930年・1934年の映画館名簿では「月見館」。1936年の映画館名簿では「月見座」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
緑館/みどり館/みどり座
所在地 : 兵庫県神戸市西代(1925年)、兵庫県神戸市西代国道筋(1927年・1930年)、兵庫県神戸市林田区寺田町(1934年)、兵庫県神戸市須磨区寺田町1-7(1936年・1941年)、兵庫県神戸市須磨区寺田町(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年の映画館名簿では「緑館」。1927年・1930年の映画館名簿では「みどり館」。1934年・1936年の映画館名簿では「緑館」。1941年の映画館名簿では「みどり館」。1943年の映画館名簿では「みどり座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
須磨映画劇場/須磨映劇
所在地 : 兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4(1953年・1955年)、兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4-18(1958年)、兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4(1960年・1961年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年11月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「須磨映画劇場」。1955年の映画館名簿では「須磨映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「須磨映画劇場」。1960年の住宅地図では「須磨映劇」。1961年の映画館名簿では「須磨映劇」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JR神戸線須磨駅」北口の北東40mにある名称不明の建物。映画館の建物が現存している可能性がある。最寄駅はJR神戸線須磨駅。
板宿銀映
所在地 : 兵庫県神戸市須磨区平田町(1953年・1955年)、兵庫県神戸市須磨区平田町2-11(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1948年3月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「板宿銀映」。1960年の住宅地図では「板宿銀映」。1966年の映画館名簿では「神戸板宿銀映」。1969年の映画館名簿では「板宿銀映」。1972年のゼンリン住宅地図では跡地と思われる場所に「パチンコ銀映ホール」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「ミクちゃんガイア板宿店」。北側に「銀映通り」が現存。最寄駅は山陽電鉄本線・神戸市営地下鉄西神線板宿駅。
板宿文化映画劇場/板宿文映
所在地 : 兵庫県神戸市須磨区飛松町37(1958年)、兵庫県神戸市須磨区飛松町3-7(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1971年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「板宿文化映画劇場」。1960年の住宅地図では「板宿文映」。1966年の映画館名簿では「神戸板宿文映」。1969年の映画館名簿では「板宿文映」。1970年の映画館名簿では「神戸板宿大映」。1971年の映画館名簿では「板宿文映」。1972年のゼンリン住宅地図では跡地に「文映ミニボウリングランド」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1979年竣工のアパート「ハイツ松本」。最寄駅は山陽電鉄本線・神戸市営地下鉄西神線板宿駅。
邦映座/板宿東映/板宿邦映/板宿東宝/板宿東宝劇場(旧)
所在地 : 兵庫県神戸市須磨区飛松町(1955年)、兵庫県神戸市須磨区飛松町1-7(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1952年3月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年3月開館。1955年の映画館名簿では「邦映座」。1957年の映画館名簿では「板宿東映」。1958年の映画館名簿では「板宿邦映」。1960年・1963年の映画館名簿では「板宿東宝」。1966年の映画館名簿では「神戸板宿東宝劇場」。1968年の住宅地図では「板宿東宝」。1969年・1973年の映画館名簿では「板宿東宝劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「板宿東宝」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「神戸信用金庫板宿支店」北北西60mの「飛松東公園」西側。映画館閉館後に土地区画整理事業が行われたので参考程度に。最寄駅は山陽本線・神戸市営地下鉄西神・山手線板宿駅。
神宿東映会館/神宿東映/神宿会館/神宿グリーン シアター・神宿ローズ シアター/板宿東映・板宿東宝
所在地 : 兵庫県神戸市須磨区太田町(1957年・1958年)、兵庫県神戸市須磨区太田町3-3(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県神戸市須磨区太田町3-4-24(1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 2000年9月
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「神宿会館」。1958年の映画館名簿では「神宿東映会館」。1960年・1963年の映画館名簿では「神宿東映」。1966年の映画館名簿では「神戸神宿会館」。1969年・1973年の映画館名簿では「神宿会館」。1972年のゼンリン住宅地図では「神宿会館」。1977年の映画館名簿では「神宿グリーン シアター・神宿ローズ シアター」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「板宿東映・板宿東宝」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2017年竣工のマンション「ラウロ須磨板宿」。最寄駅は山陽本線・神戸市営地下鉄西神・山手線板宿駅。

1995年2月11日、神戸市須磨区太田町の「板宿東宝」が神戸市で初めて上映を再開し、無料開放して『ドラえもん』を上映した。1月17日の阪神淡路大震災では27館あった神戸市の映画館がすべて休館となっていた。板宿東宝は建物に被害がなく、4台の映写機のうち2台を再生した。*136

垂水区

金竜館/山陽名画
所在地 : 兵庫県神戸市垂水区東垂水町南平尾1507(1958年)、兵庫県神戸市垂水区東垂水町南平尾(1959年)、兵庫県神戸市垂水区東垂水町東平尾(1960年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1960年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1959年の映画館名簿では「金龍館」。1960年の映画館名簿では「山陽名画」。1960年の住宅地図では「第二王子名劇」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「あんず薬局」。最寄駅は山陽電気鉄道本線滝の茶屋駅。
花月劇場/垂水花月劇場
所在地 : 兵庫県神戸市垂水区西垂水町(1953年・1955年)、兵庫県神戸市垂水区神田町99(1958年)、兵庫県神戸市垂水区西垂水町神田(1960年・1963年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「花月劇場」。1960年の住宅地図では「花月劇場」。1963年の映画館名簿では「垂水花月劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「京神興産ニュー垂水ビル」建物北東部。最寄駅はJR神戸線垂水駅・山陽電鉄本線山陽垂水駅。
舞子映劇
所在地 : 兵庫県神戸市垂水区舞子町堂面782-5(1960年)、兵庫県神戸市垂水区舞子町堂面728-5(1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の住宅地図では「舞子映劇」。1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「舞子映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ハイツ西舞子」。最寄駅は山陽電鉄本線西舞子駅。
東和劇場/垂水東映/垂水東和劇場
所在地 : 兵庫県神戸市垂水区西垂水町(1957年・1958年)、兵庫県神戸市垂水区西垂水町天の下(1960年・1963年)、兵庫県神戸市垂水区西垂水町天ノ下53(1966年・1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「東和劇場」。1958年の映画館名簿では「垂水東和劇場」。1960年の映画館名簿では「東和劇場」。1960年の住宅地図では「垂水東映劇場」。1963年の映画館名簿では「垂水東映」。1966年の映画館名簿では「神戸垂水東和劇場」。1967年の住宅地図では「垂水東和劇場」。1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「垂水東和劇場」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「星島整形外科」。最寄駅はJR神戸線垂水駅・山陽電鉄本線山陽垂水駅。
垂水三和劇場
所在地 : 兵庫県神戸市西垂水町古川32(1958年)、兵庫県神戸市西垂水町古川(1960年・1963年)、兵庫県神戸市垂水区天ノ下3-30(1966年・1969年・1973年)、兵庫県神戸市垂水区天ノ下町3-30(1980年・1985年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1985年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「垂水三和劇場」。1960年の住宅地図では「垂水三劇」。1966年の映画館名簿では「神戸垂水三和劇場」。1967年の住宅地図では「垂水三劇」であり「フタギチエーユ」南。1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「垂水三和劇場」。1983年の住宅地図では「垂水三劇」であり「スーパージャスコ垂水店」南。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「イオン垂水店」建物中央部。最寄駅はJR神戸線垂水駅・山陽電鉄本線山陽垂水駅。

西区

西神オレンジシネマ1・2
所在地 : 兵庫県神戸市西区糀台5-3-4 ダイエー西神中央店(1991年・1992年・1995年・2000年・2005年・2006年)
開館年 : 1989年11月
閉館年 : 2006年1月13日
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1991年・1992年・1995年・2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「西神オレンジシネマ1・2」(2館)。1992年の映画館名簿では経営会社がダイエー、経営者が中内功、支配人が千場達哉、鉄筋造3階、1が68席、2が72席、いずれも邦画を上映。2006年の映画館名簿では経営会社がダイエー、経営者が林文子、支配人が芦田正志、鉄筋造3階、1が68席、2が72席、いずれも邦画・洋画を上映。2007年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は神戸市営地下鉄西神・山手線西神中央駅。

1989年11月、神戸市のダイエー西神中央店にビデオシアター「西神オレンジシネマ」2館が開館した。配給会社にはこだわらずに上映する方針であり、1990年8月には松竹作品『クライシス2050』や東映系の「東映アニメフェア90夏」を上映している。*137
ペレーネシネマ・カナートホール/カナートホール
所在地 : 兵庫県神戸市西区竜が岡1-21-1 カナート西神戸(1991年)、兵庫県神戸市西区竜が岡1-21-1 いづみ屋西神戸店(1992年)、兵庫県神戸市西区竜が岡1-21-1 カナート西神戸店(1995年・2000年・2005年・2006年・2007年・2008年・2010年)、兵庫県神戸市西区竜が岡1-21-1 イズミヤカナート西神戸店2階(2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1990年頃、2006年頃(1館化)
閉館年 : 営業中
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1991年・1992年・1995年・2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「ペレーネシネマ・カナートホール」(2館)。1992年の映画館名簿では経営会社が株式会社ペレーネシネマ、経営者・支配人ともに宮崎寛治、鉄筋造2階、ペレーネシネマが94席で洋画・邦画を上映、カナートホールが180席で邦画を上映。2007年・2008年・2010年・2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「カナートホール」。2022年の映画館名簿では経営会社がエイチ・ツー・オー商業開発、経営者が今井康博、支配人が丸山正人、194席。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

北区

映画館名簿によると神戸市北区に映画館は存在しなかったと思われる。

このページへのコメント

初めまして。ツイッター経由でこのwikiのことを知りました。圧倒的な情報量に驚きました。管理人様の熱意に、一英がファンとして敬服しております。
さて、私は神戸市在住ですが、神戸市中央区の「神戸アートビレッジセンター」(通称KAVC)に勘して、下記情報をお送りしておきます。お節介かも知れませんが、ご参考いただければ幸いです。

1)KAVCシネマは、下記の通り2022年3月末をもって終了しました。
https://www.kavc.or.jp/information/8939/

2)設置者:神戸市
指定管理業者:公益財団法人神戸市民文化振興財団
です。
https://www.kavc.or.jp/about/#aboutkavc

以上、どうぞよろしくお願い致します。

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Posted by ish 2022年04月08日(金) 14:30:30 返信数(1) 返信

神戸アートビレッジセンターに関する情報をありがとうございます。本ページと「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」に反映させました。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Tvqvmc1tJEd02qUha5AXe3j3FI-PpcXE&ll=34.677376148405315%2C135.16877060919956&z=14

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Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2022年04月10日(日) 06:39:27

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