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hekikaicinema 2026年09月01日(火) 21:55:44履歴
所在地 : 神奈川県足柄下郡小田原町
開館年 : 1913年12月18日
閉館年 : 1923年9月1日
跡地はマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1913年12月、小田原町本町3丁目に合資会社で「有楽館」が開館した。当初は日活特約館だったが、やがて天活と契約して洋画と邦画の双方を上映した。1917年には「吾妻座」に改称し、再び日活上映館となった。1923年の関東大震災で焼失し、震災後に再建されることはなかった。*1
1914年から1917年頃に製作された小田原町幸2丁目(現・本町3丁目)の有楽館前の東海道を写した絵葉書の写真あり。右端は小伊勢屋旅館であり、その奥が1913年12月18日開館の活動常設館「有楽館」である。洋館2階建て、定員800人。1917年に「吾妻座」に改称したが、1923年9月の関東大震災で焼失した。*2
1913年12月18日、小田原市本町に映画館「有楽館」が開館した。1920年には「吾妻座」に改称した。1923年9月の関東大震災で焼失した。1967年現在の「オリオン座」の場所である。*3
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*4
開館年 : 1913年12月18日
閉館年 : 1923年9月1日
跡地はマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1913年12月、小田原町本町3丁目に合資会社で「有楽館」が開館した。当初は日活特約館だったが、やがて天活と契約して洋画と邦画の双方を上映した。1917年には「吾妻座」に改称し、再び日活上映館となった。1923年の関東大震災で焼失し、震災後に再建されることはなかった。*1
1914年から1917年頃に製作された小田原町幸2丁目(現・本町3丁目)の有楽館前の東海道を写した絵葉書の写真あり。右端は小伊勢屋旅館であり、その奥が1913年12月18日開館の活動常設館「有楽館」である。洋館2階建て、定員800人。1917年に「吾妻座」に改称したが、1923年9月の関東大震災で焼失した。*2
1913年12月18日、小田原市本町に映画館「有楽館」が開館した。1920年には「吾妻座」に改称した。1923年9月の関東大震災で焼失した。1967年現在の「オリオン座」の場所である。*3
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*4
所在地 : 神奈川県足柄下郡小田原町幸町2丁目(1930年)
開館年 : 1912年3月
閉館年 : 1931年9月
跡地は「妙泉寺」北西50mの駐車場付近。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*5
1912年3月、小田原町に西湘地区初の活動常設館「電気館」が開館した。館主は倉田熊次郎である。現在の幸3丁目である。1913年12月に有楽館が開館すると、電気館は有楽館に吸収されてわずか1年10か月で閉館となった。*6
関東大震災後、小田原町幸2丁目に帝国キネマ上映館「娯楽館」が開館した。1931年9月に火災で焼失し、再建されないまま閉館となった。*7
開館年 : 1912年3月
閉館年 : 1931年9月
跡地は「妙泉寺」北西50mの駐車場付近。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*5
1912年3月、小田原町に西湘地区初の活動常設館「電気館」が開館した。館主は倉田熊次郎である。現在の幸3丁目である。1913年12月に有楽館が開館すると、電気館は有楽館に吸収されてわずか1年10か月で閉館となった。*6
関東大震災後、小田原町幸2丁目に帝国キネマ上映館「娯楽館」が開館した。1931年9月に火災で焼失し、再建されないまま閉館となった。*7
所在地 : 神奈川県小田原市幸町1-193(1957年)
開館年 : 1923年頃、1946年(建て替え)
閉館年 : 1958年4月6日
跡地は「小田原本町郵便局」南西40mの駐車場など。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1869年、松原神社の別当である滝坊の境内に芝居小屋が建てられた。1890年に火災で焼失した後、1893年には「若竹座」として再建され、1896年には座主が交代して「富貴座」に改称した。1915年には活動常設館となり、当初は日活の直営館だったが、やがて松竹の特約館となった。1923年9月の関東大震災で焼失し、再建されるとトーキー映画を上映した。戦後には松竹作品を上映し、やがて洋画専門館となったが、1958年の失火で焼失した。*8
1881年11月、小田原町幸町1丁目(現・本町3丁目)に芝居小屋「幸座」が開場した。10年後に火災で焼失した。1893年5月には「若竹座」として再建され、3年後には座主が交代して「富貴座」に改称した。明治後期には駒田巡業隊による活動写真大会も開催された。1915年6月には活動写真館に転向し、日活作品を上映していたが、1921年には松竹キネマ上映館となった。大正後期には全国に約1000館の活動常設館があり、うち700館は日活系と松竹系が半々に分かれ、残りの300館はマキノ、帝キネ、その他の上映館だった。*9
1915年6月、小田原市の劇場「富貴座」が映画館となった。*10
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*11
1935年の『大日本職業別明細図 第404号』「小田原町」には「富貴座」「御幸座」が描かれている。*12
1940年頃の小田原市にあった「富貴座」の写真あり。高峰三枝子主演の『くろがねの力』の看板が見える。1869年に建てられた芝居小屋に源を持つ劇場である。1890年に焼失した後、1893年に「若竹座」として再開館した。1915年に活動常設館となり、戦後には松竹上映館を経て洋画専門館となった。1958年に火災で焼失して閉館した。*13
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*14
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。富貴座の経営者は渡辺和三郎、所在地は幸1-193。*15
1958年4月6日午前6時頃、小田原市幸町の「富貴座」事務所付近から出火し、木造モルタルの劇場が全焼した。映写機とフィルムは被害を免れた。原因は漏電とみられる。*16
開館年 : 1923年頃、1946年(建て替え)
閉館年 : 1958年4月6日
跡地は「小田原本町郵便局」南西40mの駐車場など。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1869年、松原神社の別当である滝坊の境内に芝居小屋が建てられた。1890年に火災で焼失した後、1893年には「若竹座」として再建され、1896年には座主が交代して「富貴座」に改称した。1915年には活動常設館となり、当初は日活の直営館だったが、やがて松竹の特約館となった。1923年9月の関東大震災で焼失し、再建されるとトーキー映画を上映した。戦後には松竹作品を上映し、やがて洋画専門館となったが、1958年の失火で焼失した。*8
1881年11月、小田原町幸町1丁目(現・本町3丁目)に芝居小屋「幸座」が開場した。10年後に火災で焼失した。1893年5月には「若竹座」として再建され、3年後には座主が交代して「富貴座」に改称した。明治後期には駒田巡業隊による活動写真大会も開催された。1915年6月には活動写真館に転向し、日活作品を上映していたが、1921年には松竹キネマ上映館となった。大正後期には全国に約1000館の活動常設館があり、うち700館は日活系と松竹系が半々に分かれ、残りの300館はマキノ、帝キネ、その他の上映館だった。*9
1915年6月、小田原市の劇場「富貴座」が映画館となった。*10
1925年の『大日本職業別明細図之内』「小田原町」には「吾妻座」「娯楽館」「活動常設富貴座」が描かれている。*11
1935年の『大日本職業別明細図 第404号』「小田原町」には「富貴座」「御幸座」が描かれている。*12
1940年頃の小田原市にあった「富貴座」の写真あり。高峰三枝子主演の『くろがねの力』の看板が見える。1869年に建てられた芝居小屋に源を持つ劇場である。1890年に焼失した後、1893年に「若竹座」として再開館した。1915年に活動常設館となり、戦後には松竹上映館を経て洋画専門館となった。1958年に火災で焼失して閉館した。*13
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*14
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。富貴座の経営者は渡辺和三郎、所在地は幸1-193。*15
1958年4月6日午前6時頃、小田原市幸町の「富貴座」事務所付近から出火し、木造モルタルの劇場が全焼した。映写機とフィルムは被害を免れた。原因は漏電とみられる。*16
所在地 : 神奈川県小田原市国府津1258(1964年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。国府津ロマンス座の経営者は石井専之助、所在地は国府津1258-4。*17
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。国府津ロマンス座の経営者は石井専之助、所在地は国府津1258-4。*17
所在地 : 神奈川県小田原市緑町1-6(1965年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「音羽プラーザビル」北側の駐車場「ザ・パーク栄町一丁目」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。ロマンス座の経営者は佐藤正寿、所在地は緑1-6。*18
1953年8月、小田原市のお堀端通りに「ロマンス座」が開館した。1956年には「東宝館」の隣に「銀映座」が開館した。1956年4月には大手前に洋画館「中央劇場」が開館し、同年12月には国際劇場と中央劇場の中間に「東映劇場」が開館した。*19
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「音羽プラーザビル」北側の駐車場「ザ・パーク栄町一丁目」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。ロマンス座の経営者は佐藤正寿、所在地は緑1-6。*18
1953年8月、小田原市のお堀端通りに「ロマンス座」が開館した。1956年には「東宝館」の隣に「銀映座」が開館した。1956年4月には大手前に洋画館「中央劇場」が開館し、同年12月には国際劇場と中央劇場の中間に「東映劇場」が開館した。*19
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-8-17(1970年)
開館年 : 1937年12月
閉館年 : 1970年頃
跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」建物中央部。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*20
1953年8月、小田原市のお堀端通りに「ロマンス座」が開館した。1956年には「東宝館」の隣に「銀映座」が開館した。1956年4月には大手前に洋画館「中央劇場」が開館し、同年12月には国際劇場と中央劇場の中間に「東映劇場」が開館した。*21
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。小田原東宝館の経営者は山崎キチ、所在地は緑1-49。小田原銀映座の経営者は山崎キチ、所在地は緑1-49。*22
開館年 : 1937年12月
閉館年 : 1970年頃
跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」建物中央部。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*20
1953年8月、小田原市のお堀端通りに「ロマンス座」が開館した。1956年には「東宝館」の隣に「銀映座」が開館した。1956年4月には大手前に洋画館「中央劇場」が開館し、同年12月には国際劇場と中央劇場の中間に「東映劇場」が開館した。*21
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。小田原東宝館の経営者は山崎キチ、所在地は緑1-49。小田原銀映座の経営者は山崎キチ、所在地は緑1-49。*22
所在地 : 神奈川県小田原市本町3-11-20(1980年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 1979年頃
跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1946年9月、小田原市本町に映画館「オリオン座」が開館した。*23
1948年頃の小田原市本町にあった「オリオン座」の写真あり。「オリオン座」「松竹直営」の文字が見える。1946年に開館し、1953年にはNHKの番組「のど自慢」で会場となった。1979年には3館体制となったが、シネコンに観客が流れたことで、2003年8月に閉館した。*24
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。オリオン座の経営者は石井康之助、所在地は幸2-286。*25
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*26
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 1979年頃
跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1946年9月、小田原市本町に映画館「オリオン座」が開館した。*23
1948年頃の小田原市本町にあった「オリオン座」の写真あり。「オリオン座」「松竹直営」の文字が見える。1946年に開館し、1953年にはNHKの番組「のど自慢」で会場となった。1979年には3館体制となったが、シネコンに観客が流れたことで、2003年8月に閉館した。*24
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。オリオン座の経営者は石井康之助、所在地は幸2-286。*25
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*26
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-5-4(1981年)
開館年 : 1923年12月、1953年12月、1973年4月(2館化)
閉館年 : 1981年頃
跡地は葬儀場「ファミリーホール小田原」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
関東大震災後の1923年12月、小田原町万年4丁目に「復興館」が開館した。1953年には鉄筋造の本建築に建て替え、「国際劇場」に改称して大映や東映作品を上映した。1960年には「小田原日活」に改称して日活上映館に戻った。*27
時期不明の小田原市にあった映画館「復興館」の写真あり。1923年12月、万年4丁目の国道交差点付近に開館した。日活の現代劇や松竹の時代劇を上映した。1945年の戦災では「富貴座」とともに焼失したが、同年12月に再建された。その後は「国際劇場」や「小田原日活」に改称した。*28
1938年から1939年頃の小田原市にあった「復興館」の写真あり。旧青物町の国道交差点に近かった。1923年9月の関東大震災後に建てられたことが名称の由来である。1945年には戦災で焼失したが、その後復興して松竹の時代劇や日活の現代劇を上映した。平成に入って廃館となった。*29
1923年9月1日の関東大震災からの復興を願って、同年に日活作品の上映館として「復興館」が開館した。1953年には建物を建て替え、「国際劇場」に改称して大映と東映作品の上映館となった。1960年には「小田原日活」に改称して再び日活作品の上映館となった。小田原東映と同じく2000年に閉館した。東海道と青物町商店街が交わる国際通り交差点の角にあった。1967年の写真あり。当時の青物町商店街の入口にはアーチが架けられており、現在の東海道に架かる歩道橋はまだないように見える。*30
日活の直営館を見ると、1972年11月に「梅田日活ロマン」が開館し、1973年2月に「浜松日活」が開館し、4月に「小田原ロマン」が開館し、5月に「水戸ロマン」が開館した。1972年7月には「久留米日活」が閉館し、12月には「浜松スカラ座」と「浜松日活」が閉館し、1973年3月には「大牟田日活」が閉館し、5月には「大垣日活」が閉館した。*31
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。小田原国際劇場の経営者は角田久五郎、所在地は万年4-660。*32
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*33
開館年 : 1923年12月、1953年12月、1973年4月(2館化)
閉館年 : 1981年頃
跡地は葬儀場「ファミリーホール小田原」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
関東大震災後の1923年12月、小田原町万年4丁目に「復興館」が開館した。1953年には鉄筋造の本建築に建て替え、「国際劇場」に改称して大映や東映作品を上映した。1960年には「小田原日活」に改称して日活上映館に戻った。*27
時期不明の小田原市にあった映画館「復興館」の写真あり。1923年12月、万年4丁目の国道交差点付近に開館した。日活の現代劇や松竹の時代劇を上映した。1945年の戦災では「富貴座」とともに焼失したが、同年12月に再建された。その後は「国際劇場」や「小田原日活」に改称した。*28
1938年から1939年頃の小田原市にあった「復興館」の写真あり。旧青物町の国道交差点に近かった。1923年9月の関東大震災後に建てられたことが名称の由来である。1945年には戦災で焼失したが、その後復興して松竹の時代劇や日活の現代劇を上映した。平成に入って廃館となった。*29
1923年9月1日の関東大震災からの復興を願って、同年に日活作品の上映館として「復興館」が開館した。1953年には建物を建て替え、「国際劇場」に改称して大映と東映作品の上映館となった。1960年には「小田原日活」に改称して再び日活作品の上映館となった。小田原東映と同じく2000年に閉館した。東海道と青物町商店街が交わる国際通り交差点の角にあった。1967年の写真あり。当時の青物町商店街の入口にはアーチが架けられており、現在の東海道に架かる歩道橋はまだないように見える。*30
日活の直営館を見ると、1972年11月に「梅田日活ロマン」が開館し、1973年2月に「浜松日活」が開館し、4月に「小田原ロマン」が開館し、5月に「水戸ロマン」が開館した。1972年7月には「久留米日活」が閉館し、12月には「浜松スカラ座」と「浜松日活」が閉館し、1973年3月には「大牟田日活」が閉館し、5月には「大垣日活」が閉館した。*31
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。小田原国際劇場の経営者は角田久五郎、所在地は万年4-660。*32
戦前の小田原市には宮小路の「富貴座」(幸1丁目)、青物町の「復興館」(幸1丁目)、緑町の「東宝館」(緑1丁目)の3館の映画館があった。1945年8月15日未明に行われた空襲で富貴座と復興館は焼失したが、両館とも戦後まもなく建物が再建された。1946年9月、幸2丁目に「オリオン座」が開館した。オリオン座では戦後の小田原市で初のストリップショーも開催された。1953年には復興館が「小田原国際劇場」に改称した。その後、「小田原東映劇場」(本町2-7)、「中央劇場」(本町2-9)も開館した。*33
所在地 : 神奈川県小田原市浜町1-5-35(1984年)
開館年 : 1927年、1960年(映画館化)
閉館年 : 1984年
跡地はマンション「アエリア小田原浜町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1919年9月、小田原町新玉2丁目に劇場「御幸座」が建てられた。*34
1919年9月、小田原市浜町1丁目に芝居小屋「御幸座」が開場し、こけら落としには守田勘弥と市川鬼丸一座が来演した。1923年には関東大震災で焼失し、他に先駆けて復活したものの、すぐに火災で焼失した。再び再建して1927年正月に開場し、こけら落としには市村市十郎一座が来演した。その後、映画を上映していた時期もあったが、1943年には沢村宗十郎一座が来演、1944年と1945年には松本幸四郎一座が来演した。1961年12月、御幸座は正式に映画館に転向した。*35
1919年、小田原町新玉2丁目に芝居小屋「御幸座」が建てられ、守田勘弥がこけら落とし興行を行った。周辺にはかつて小田原藩の牢屋があり、牢屋町と呼ばれていた地域であるが、大正初期に地元の要望で御幸町に改められ、町名を館名とした。1923年9月の関東大震災で焼失し、震災後には建物が再建されたものの、約3年後には再び焼失した。1927年、早稲田劇場を買収・移築して再開館した。1961年には映画館に転向した。*36
1935年の『大日本職業別明細図 第404号』「小田原町」には「富貴座」「御幸座」が描かれている。*37
昭和初期頃の小田原市にあった「御幸座」の写真あり。1919年に芝居小屋として開館し、1923年9月の関東大震災での焼失後に再建された。すぐに火災で焼失したが、1927年に再開館している。1961年には芝居小屋から映画館に転向した。*38
1960年10月10日の『神奈川新聞』横浜版には、小田原市の劇場「御幸座」が42年の歴史に幕を閉じて映画館化するという記事が掲載されている。現物は未確認。*39
小田原市浜町1丁目には御幸座という芝居小屋があったが、1960年に映画館に転換した。1984年に閉館した。「御幸座」の文字が見える1962年の写真あり。*40
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。御幸座の経営者は曽我重五郎、所在地は新玉2-245。*41
開館年 : 1927年、1960年(映画館化)
閉館年 : 1984年
跡地はマンション「アエリア小田原浜町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1919年9月、小田原町新玉2丁目に劇場「御幸座」が建てられた。*34
1919年9月、小田原市浜町1丁目に芝居小屋「御幸座」が開場し、こけら落としには守田勘弥と市川鬼丸一座が来演した。1923年には関東大震災で焼失し、他に先駆けて復活したものの、すぐに火災で焼失した。再び再建して1927年正月に開場し、こけら落としには市村市十郎一座が来演した。その後、映画を上映していた時期もあったが、1943年には沢村宗十郎一座が来演、1944年と1945年には松本幸四郎一座が来演した。1961年12月、御幸座は正式に映画館に転向した。*35
1919年、小田原町新玉2丁目に芝居小屋「御幸座」が建てられ、守田勘弥がこけら落とし興行を行った。周辺にはかつて小田原藩の牢屋があり、牢屋町と呼ばれていた地域であるが、大正初期に地元の要望で御幸町に改められ、町名を館名とした。1923年9月の関東大震災で焼失し、震災後には建物が再建されたものの、約3年後には再び焼失した。1927年、早稲田劇場を買収・移築して再開館した。1961年には映画館に転向した。*36
1935年の『大日本職業別明細図 第404号』「小田原町」には「富貴座」「御幸座」が描かれている。*37
昭和初期頃の小田原市にあった「御幸座」の写真あり。1919年に芝居小屋として開館し、1923年9月の関東大震災での焼失後に再建された。すぐに火災で焼失したが、1927年に再開館している。1961年には芝居小屋から映画館に転向した。*38
1960年10月10日の『神奈川新聞』横浜版には、小田原市の劇場「御幸座」が42年の歴史に幕を閉じて映画館化するという記事が掲載されている。現物は未確認。*39
小田原市浜町1丁目には御幸座という芝居小屋があったが、1960年に映画館に転換した。1984年に閉館した。「御幸座」の文字が見える1962年の写真あり。*40
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。御幸座の経営者は曽我重五郎、所在地は新玉2-245。*41
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-9-27(1992年)
開館年 : 1956年4月24日、1982年頃(2館化)
閉館年 : 1992年頃
跡地は「さがみ信用金庫本店」北側の駐車場。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年4月24日、小田原市幸1丁目179にシネスコ劇場「中央劇場」が開館した。会長は増井慶太郎、社長は渡辺重光。*42
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*43
小田原市の国道1号沿いには、小田原東映と同じく1956年に開館した中央劇場があった。西湘地区唯一の「洋画封切り劇場」がうたい文句であり、『太陽がいっぱい』『ベン・ハー』『慕情』などを上映した。2003年に閉館した。1967年頃の写真あり。『カレードマン 大胆不敵』などの看板が見え、「Chuo Theatre」の文字が見える。*44
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。中央劇場の経営者は渡辺重光、所在地は幸1-179。*45
開館年 : 1956年4月24日、1982年頃(2館化)
閉館年 : 1992年頃
跡地は「さがみ信用金庫本店」北側の駐車場。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年4月24日、小田原市幸1丁目179にシネスコ劇場「中央劇場」が開館した。会長は増井慶太郎、社長は渡辺重光。*42
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*43
小田原市の国道1号沿いには、小田原東映と同じく1956年に開館した中央劇場があった。西湘地区唯一の「洋画封切り劇場」がうたい文句であり、『太陽がいっぱい』『ベン・ハー』『慕情』などを上映した。2003年に閉館した。1967年頃の写真あり。『カレードマン 大胆不敵』などの看板が見え、「Chuo Theatre」の文字が見える。*44
1956年の『小田原商工名鑑』には映画館として「ロマンス座」「(有)小田原東宝館」「(有)小田原銀映座」「小田原国際劇場」「(株)中央劇場」「富貴座」「オリオン座」「国府津ロマンス座」の8館が、劇場として「御幸座」の1館が掲載されている。中央劇場の経営者は渡辺重光、所在地は幸1-179。*45
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-7-5(2000年)
開館年 : 1956年12月29日
閉館年 : 2000年3月31日
Wikipedia : 小田原東映劇場
跡地はどら焼き店「菜の花あん工房」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年12月29日、小田原市に東映直営館「小田原東映」が新築された。*46
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*47
国道1号の小田原市民会館交差点の近くには、1956年に開館した小田原東映劇場があった。東映作品の専門館であり、「東映まんがまつり」は人気が高かった。2000年に閉館した。「小田原東映」の文字が見える1967年の写真あり。『一心太助 江戸っ子祭り』、『網走番外地 決斗零下30度』の看板が見える。*48
開館年 : 1956年12月29日
閉館年 : 2000年3月31日
Wikipedia : 小田原東映劇場
跡地はどら焼き店「菜の花あん工房」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1956年12月29日、小田原市に東映直営館「小田原東映」が新築された。*46
1956年、小田原市に映画館「銀映座」「中央劇場」「東映劇場」が開館した。*47
国道1号の小田原市民会館交差点の近くには、1956年に開館した小田原東映劇場があった。東映作品の専門館であり、「東映まんがまつり」は人気が高かった。2000年に閉館した。「小田原東映」の文字が見える1967年の写真あり。『一心太助 江戸っ子祭り』、『網走番外地 決斗零下30度』の看板が見える。*48
所在地 : 神奈川県小田原市本町3-11-20(2002年)
開館年 : 1979年
閉館年 : 2003年8月20日
跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
戦争からの復興途中の1946年9月、小田原市にオリオン座が開館した。『わが生涯の輝ける日』の看板が見える昭和20年代の写真あり。オリオン座は松竹の直営館だった。最盛期の小田原市街地には9館の映画館があったが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化などが理由で相次いで閉館していった。平成に入って中央劇場と東映劇場も閉館し、2003年現在は東宝館とオリオン座の2施設のみとなっている。松竹の直営館だったオリオン座は洋画も上映する映画館となり、3スクリーンに増やして営業している。「THEATER ORION」の看板が見える2003年の写真あり。*49
2003年8月、小田原市の中心市街地にある洋画館「小田原オリオン座」と「小田原東宝劇場」が閉館する予定。2002年12月には中里に郊外型大型映画館「バージンシネマズ小田原」が開館し、両館は観客を奪われていた。1946年2月、オリオン座は『ロビンフッドの冒険』を初上映作品として開館した。建物は2階建てで340人を収容するが、初日から立ち見が出ると、一日で3500人もの大入りとなった。昭和30年代の県西地区には15館もの映画館があった。オリオン座は56年間で約1万本の作品を上映した。*50
2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*51
開館年 : 1979年
閉館年 : 2003年8月20日
跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
戦争からの復興途中の1946年9月、小田原市にオリオン座が開館した。『わが生涯の輝ける日』の看板が見える昭和20年代の写真あり。オリオン座は松竹の直営館だった。最盛期の小田原市街地には9館の映画館があったが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化などが理由で相次いで閉館していった。平成に入って中央劇場と東映劇場も閉館し、2003年現在は東宝館とオリオン座の2施設のみとなっている。松竹の直営館だったオリオン座は洋画も上映する映画館となり、3スクリーンに増やして営業している。「THEATER ORION」の看板が見える2003年の写真あり。*49
2003年8月、小田原市の中心市街地にある洋画館「小田原オリオン座」と「小田原東宝劇場」が閉館する予定。2002年12月には中里に郊外型大型映画館「バージンシネマズ小田原」が開館し、両館は観客を奪われていた。1946年2月、オリオン座は『ロビンフッドの冒険』を初上映作品として開館した。建物は2階建てで340人を収容するが、初日から立ち見が出ると、一日で3500人もの大入りとなった。昭和30年代の県西地区には15館もの映画館があった。オリオン座は56年間で約1万本の作品を上映した。*50
2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*51
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-8-18(2002年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 2003年8月29日
跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1939年、小田原市緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。しばらくは「富貴座」と「復興館」とともに3館の映画館があった時代が続いた。太平洋戦争中には戦災を免れ、1945年9月には再開館した。1990年現在も存続している。*52
1939年頃の小田原市栄町2丁目にあった「東宝館」の写真あり。1939年に開館した。2003年8月に閉館し、2009年現在の跡地にはディスカウント量販店がある。*53
戦前の1939年、足柄下郡小田原町緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。「東宝館」(※東宝劇場ではない)の文字が見える。当時の小田原には東宝館のほかに、日活系の復興館と松竹系の富貴座もあった。東宝館は1945年8月15日の小田原空襲を免れ、戦後まもなく営業を再開したことで、映画館前の通りは東宝館通りと呼ばれるようになった。1962年には隣接地に長崎屋小田原店が開店。長崎屋小田原店の店舗改修時には東宝館が地下に入り、東宝館通りはダイヤ街に名を変えている。かつての東宝館通りは飲食店が中心だったが、現在は大型店やアパレル店・日用雑貨店なども多く、小田原市街地の繁華街となっている。*54
2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*55
2003年8月、小田原市の中心市街地にある洋画館「小田原オリオン座」と「小田原東宝劇場」が閉館する予定。2002年12月には中里に郊外型大型映画館「バージンシネマズ小田原」が開館し、両館は観客を奪われていた。昭和30年代の県西地区には15館もの映画館があった。*56
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 2003年8月29日
跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」。最寄駅はJR東海道線小田原駅。
1939年、小田原市緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。しばらくは「富貴座」と「復興館」とともに3館の映画館があった時代が続いた。太平洋戦争中には戦災を免れ、1945年9月には再開館した。1990年現在も存続している。*52
1939年頃の小田原市栄町2丁目にあった「東宝館」の写真あり。1939年に開館した。2003年8月に閉館し、2009年現在の跡地にはディスカウント量販店がある。*53
戦前の1939年、足柄下郡小田原町緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。「東宝館」(※東宝劇場ではない)の文字が見える。当時の小田原には東宝館のほかに、日活系の復興館と松竹系の富貴座もあった。東宝館は1945年8月15日の小田原空襲を免れ、戦後まもなく営業を再開したことで、映画館前の通りは東宝館通りと呼ばれるようになった。1962年には隣接地に長崎屋小田原店が開店。長崎屋小田原店の店舗改修時には東宝館が地下に入り、東宝館通りはダイヤ街に名を変えている。かつての東宝館通りは飲食店が中心だったが、現在は大型店やアパレル店・日用雑貨店なども多く、小田原市街地の繁華街となっている。*54
2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*55
2003年8月、小田原市の中心市街地にある洋画館「小田原オリオン座」と「小田原東宝劇場」が閉館する予定。2002年12月には中里に郊外型大型映画館「バージンシネマズ小田原」が開館し、両館は観客を奪われていた。昭和30年代の県西地区には15館もの映画館があった。*56
所在地 : 神奈川県小田原市前川219-4(2025年)
開館年 : 2003年12月
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR東海道線鴨宮駅。
2014年8月2日、小田原市の「小田原コロナシネマワールド」のシネコンに「4DX」映画館がオープンする。国内5番目。10スクリーンのうち1スクリーンを改造し、216席が112席となった。1700円の通常料金に加えて1000円〜1300円が必要。8月2日と8月3日には『パシフィック・リム』と『アナと雪の女王』を上映する。*57
開館年 : 2003年12月
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR東海道線鴨宮駅。
2014年8月2日、小田原市の「小田原コロナシネマワールド」のシネコンに「4DX」映画館がオープンする。国内5番目。10スクリーンのうち1スクリーンを改造し、216席が112席となった。1700円の通常料金に加えて1000円〜1300円が必要。8月2日と8月3日には『パシフィック・リム』と『アナと雪の女王』を上映する。*57
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-7-30 みのさん第一ビル1階(2025年)
開館年 : 2024年3月20日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小田原シネマ館
最寄駅はJR東海道線小田原駅。
2022年9月、蓑宮武夫は『まちおこしは総力戦で挑め!』(PHP研究所)を刊行し、「小田原街中映画館」(通称は小田原シネマ)が2023年春に開館予定であることが明らかとなった。すでに用地は取得済みである。かつて小田原駅周辺には8館の映画館があったが、1980年代以降に相次いで閉館し、2003年に最後の映画館も閉館した。2005年から2021年まで、蓑宮はNPOおだわらシネマトピアの理事長を務め、小田原映画祭を主催していた。*58
2024年3月20日、小田原市栄町2-7-30 みのさん第一ビル1階に「小田原シネマ館」が開館する。40席の1スクリーン。かつて小田原駅周辺にあった8館の映画館は2003年にすべて閉館した。2016年には蓑宮武夫が映画館の開館を構想し、2022年に賛同者と小田原シネマ株式会社を設立した。社長は古川達高。支配人は蓑宮大介。*59
開館年 : 2024年3月20日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小田原シネマ館
最寄駅はJR東海道線小田原駅。
2022年9月、蓑宮武夫は『まちおこしは総力戦で挑め!』(PHP研究所)を刊行し、「小田原街中映画館」(通称は小田原シネマ)が2023年春に開館予定であることが明らかとなった。すでに用地は取得済みである。かつて小田原駅周辺には8館の映画館があったが、1980年代以降に相次いで閉館し、2003年に最後の映画館も閉館した。2005年から2021年まで、蓑宮はNPOおだわらシネマトピアの理事長を務め、小田原映画祭を主催していた。*58
2024年3月20日、小田原市栄町2-7-30 みのさん第一ビル1階に「小田原シネマ館」が開館する。40席の1スクリーン。かつて小田原駅周辺にあった8館の映画館は2003年にすべて閉館した。2016年には蓑宮武夫が映画館の開館を構想し、2022年に賛同者と小田原シネマ株式会社を設立した。社長は古川達高。支配人は蓑宮大介。*59

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