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hekikaicinema 2026年08月26日(水) 09:40:13履歴
所在地 : 秋田県南秋田郡土崎港町新柳町(1936年)
開館年 : 大正初期、1937年11月(移転)
閉館年 : 1941年頃
大正初期、土崎港町初の芝居小屋として田中文蔵によって「土崎座」が建てられたが、その設備は不十分だった。1933年11月には田口松太郎社長の秋田演芸株式会社の所有となり、大改修して「土崎劇場」に改称した。1937年11月、土崎港町新柳町に移転改築し、主として芝居・演芸・艶物の貸館として用いられた。支那事変後には取り壊されて売却された。*3
大正初期、土崎港町に「土崎座」が開館し、1919年頃には「土崎劇場」に改称した。1923年11月18日、土崎劇場は新柳町に移転した。1941年頃に解体された。*4
開館年 : 大正初期、1937年11月(移転)
閉館年 : 1941年頃
大正初期、土崎港町初の芝居小屋として田中文蔵によって「土崎座」が建てられたが、その設備は不十分だった。1933年11月には田口松太郎社長の秋田演芸株式会社の所有となり、大改修して「土崎劇場」に改称した。1937年11月、土崎港町新柳町に移転改築し、主として芝居・演芸・艶物の貸館として用いられた。支那事変後には取り壊されて売却された。*3
大正初期、土崎港町に「土崎座」が開館し、1919年頃には「土崎劇場」に改称した。1923年11月18日、土崎劇場は新柳町に移転した。1941年頃に解体された。*4
所在地 : 秋田県秋田市川反5(1943年)
開館年 : 1907年頃
閉館年 : 1945年頃
1907年頃、秋田市に「娯楽亭」ができた。やがて「娯楽館」に改称し、1918年頃には「演芸館」に改称し、1924年10月23日には「演芸座」に改称し、1942年には「東亜映劇」に改称した。1945年には強制疎開が行われた。*5
開館年 : 1907年頃
閉館年 : 1945年頃
1907年頃、秋田市に「娯楽亭」ができた。やがて「娯楽館」に改称し、1918年頃には「演芸館」に改称し、1924年10月23日には「演芸座」に改称し、1942年には「東亜映劇」に改称した。1945年には強制疎開が行われた。*5
所在地 : 秋田県秋田市亀ノ丁西土手町(1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1960年頃
1950年、秋田市に「中央映画劇場」が新築された。戦時中に建物疎開した「秋田東宝劇場」の跡地である。*6
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1960年頃
1950年、秋田市に「中央映画劇場」が新築された。戦時中に建物疎開した「秋田東宝劇場」の跡地である。*6
所在地 : 秋田県秋田市新屋町(1961年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1961年頃
跡地は「新屋郵便局」東北東130mの駐車場。 最寄駅はJR羽越本線新屋駅。
大正末期、新屋町中表町に高橋清兵衛ほかの株式組織で「新屋劇場」が建てられた。木造2階建であり、約300人を収容した。1942年頃に閉館した。1957年頃、新屋町元町に「新屋映画劇場」が建てられた。木造平屋建、椅子席約200人収容。1960年頃に閉館した。*7
秋田市新屋町の劇場・映画館としては、1921年に上表町にできた「新昌館」、大正末期に中表町にできた「新屋劇場」があった。新昌館は一部2階建ての建物であり、250人を収容したが、1927年頃に閉館した。新屋劇場は木造2階建ての建物であり、300人を収容した。青年団の演劇、民謡・芝居・映画などの興行に用いられ、1942年頃に閉館した。新屋劇場の経営者は高橋清兵衛だった。*8
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1961年頃
跡地は「新屋郵便局」東北東130mの駐車場。 最寄駅はJR羽越本線新屋駅。
大正末期、新屋町中表町に高橋清兵衛ほかの株式組織で「新屋劇場」が建てられた。木造2階建であり、約300人を収容した。1942年頃に閉館した。1957年頃、新屋町元町に「新屋映画劇場」が建てられた。木造平屋建、椅子席約200人収容。1960年頃に閉館した。*7
秋田市新屋町の劇場・映画館としては、1921年に上表町にできた「新昌館」、大正末期に中表町にできた「新屋劇場」があった。新昌館は一部2階建ての建物であり、250人を収容したが、1927年頃に閉館した。新屋劇場は木造2階建ての建物であり、300人を収容した。青年団の演劇、民謡・芝居・映画などの興行に用いられ、1942年頃に閉館した。新屋劇場の経営者は高橋清兵衛だった。*8
所在地 : 秋田県秋田市茶町梅ノ丁47(1961年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1961年
1946年、秋田市茶町に「セントラル」が開館した。*9
1946年、秋田市に「セントラル劇場」が開館した。1952年には「ムービーセンター」に改称し、その後「日活ムービー」や「大映ムービー」を経て、1960年3月16日には「第二東映」に改称した。1961年に閉館した。*10
1952年7月11日、秋田市茶町の「秋田セントラル劇場」が「ムービー・センター」に改称して発足した。館名は一般公募による。5月27日から休館して改築中だった。建坪180坪。椅子席420。冷暖房完備。経営者は村山多七郎。*11
開館年 : 1946年
閉館年 : 1961年
1946年、秋田市茶町に「セントラル」が開館した。*9
1946年、秋田市に「セントラル劇場」が開館した。1952年には「ムービーセンター」に改称し、その後「日活ムービー」や「大映ムービー」を経て、1960年3月16日には「第二東映」に改称した。1961年に閉館した。*10
1952年7月11日、秋田市茶町の「秋田セントラル劇場」が「ムービー・センター」に改称して発足した。館名は一般公募による。5月27日から休館して改築中だった。建坪180坪。椅子席420。冷暖房完備。経営者は村山多七郎。*11
所在地 : 秋田県秋田市土手長町(1963年)
開館年 : 1953年5月
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*12
1954年5月、秋田市に「名画座」が開館した。1956年には「新東宝」に改称し、1961年頃には「ロマンス座」に改称した。1962年に閉館した。*13
1961年(※実際には1963年と思われる)、秋田市の「秋田東映劇場」が閉館し、東映上映館は有楽町の「ニュー東映」に移った。「国際」と「ロマンス座」を経営する秋田中央興行が廃業に追い込まれた。*14
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*15
開館年 : 1953年5月
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*12
1954年5月、秋田市に「名画座」が開館した。1956年には「新東宝」に改称し、1961年頃には「ロマンス座」に改称した。1962年に閉館した。*13
1961年(※実際には1963年と思われる)、秋田市の「秋田東映劇場」が閉館し、東映上映館は有楽町の「ニュー東映」に移った。「国際」と「ロマンス座」を経営する秋田中央興行が廃業に追い込まれた。*14
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*15
所在地 : 秋田県秋田市土手長町(1963年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*16
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*17
開館年 : 1954年
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*16
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*17
所在地 : 秋田県秋田市土手長町(1963年)
開館年 : 1927年、1946年5月
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
小島隆一『秋田県営業案内写真帖』秋田美術写真会、1918年には「秋田劇場」の写真が掲載されている。*18
昭和初期の秋田市には、映画を主とする劇場として「旭館」と「秋田劇場」があった。秋田劇場は1927年頃に亀ノ丁西土手町に建てられ、数寄屋造りで廻り舞台などを有する1300人収容の劇場だったが、1934年に内部が改装された。1937年には経営者が永井昌一から村山多七郎に変わり、「文化劇場」に改称して東宝上映館となった。1939年には東宝映画劇場に改称した。*19
1958年2月5日、秋田市の「秋田日本劇場」(秋田日劇)を東映が5年契約で賃借し、直営館として「秋田東映」に改称する。オープニングは『緋ざくら大名』と『乱撃の七番街』の予定。東映は秋田地区の直営館を物色していた。経営者は村山多七郎。定員600人。東映の直営館は計43館となる。*20
1958年2月5日、秋田市の「秋田日劇」が東映直営館として新発足した。東映封切館として全国の地方都市の中で好成績を収めていた。これまでの社長は村山多七郎。村山は直営の条件として東映から資金を借り入れ、東宝封切館「中劇」の改装あるいは新館建設を行う可能性がある。*21
時期不明の秋田市土手長町にあった「秋田東映劇場」の写真あり。秋田東映劇場の2階には洋画館の「国際劇場」があり、隣には「新東宝劇場」があった。*22
1962年の秋田市土手長町にあった映画館街の写真あり。時代劇の「秋田東映」、洋画の「国際劇場」、不人気の『新東宝』などがあった。1990年現在の河北ビル付近である。*23
1962年の秋田市土手長町中丁にあった「秋田東映劇場」の写真あり。秋田東映劇場では『天草四郎時貞』を、建物2階の「国際劇場」ではイエス・キリストを描いた『キング・オブ・キングズ』を上映していた。洋画館の国際劇場では『ハスラー』などのヒット作も上映した。1994年現在の跡地には北日本銀行秋田支店が建っている。*24
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*25
1963年2月4日、秋田市の「秋田東映劇場」は5年間の賃借契約が満了したため村上多七郎に返還された。2月5日には「秋田ニュー東映」が秋田東映に改称されて東映封切館となった。*26
1963年2月4日、「秋田東映」が東映との契約を解除された。*27
開館年 : 1927年、1946年5月
閉館年 : 1963年2月5日
跡地は「北日本銀行秋田支店」と有料駐車場「三井のリパーク秋田中通3丁目駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
小島隆一『秋田県営業案内写真帖』秋田美術写真会、1918年には「秋田劇場」の写真が掲載されている。*18
昭和初期の秋田市には、映画を主とする劇場として「旭館」と「秋田劇場」があった。秋田劇場は1927年頃に亀ノ丁西土手町に建てられ、数寄屋造りで廻り舞台などを有する1300人収容の劇場だったが、1934年に内部が改装された。1937年には経営者が永井昌一から村山多七郎に変わり、「文化劇場」に改称して東宝上映館となった。1939年には東宝映画劇場に改称した。*19
1958年2月5日、秋田市の「秋田日本劇場」(秋田日劇)を東映が5年契約で賃借し、直営館として「秋田東映」に改称する。オープニングは『緋ざくら大名』と『乱撃の七番街』の予定。東映は秋田地区の直営館を物色していた。経営者は村山多七郎。定員600人。東映の直営館は計43館となる。*20
1958年2月5日、秋田市の「秋田日劇」が東映直営館として新発足した。東映封切館として全国の地方都市の中で好成績を収めていた。これまでの社長は村山多七郎。村山は直営の条件として東映から資金を借り入れ、東宝封切館「中劇」の改装あるいは新館建設を行う可能性がある。*21
時期不明の秋田市土手長町にあった「秋田東映劇場」の写真あり。秋田東映劇場の2階には洋画館の「国際劇場」があり、隣には「新東宝劇場」があった。*22
1962年の秋田市土手長町にあった映画館街の写真あり。時代劇の「秋田東映」、洋画の「国際劇場」、不人気の『新東宝』などがあった。1990年現在の河北ビル付近である。*23
1962年の秋田市土手長町中丁にあった「秋田東映劇場」の写真あり。秋田東映劇場では『天草四郎時貞』を、建物2階の「国際劇場」ではイエス・キリストを描いた『キング・オブ・キングズ』を上映していた。洋画館の国際劇場では『ハスラー』などのヒット作も上映した。1994年現在の跡地には北日本銀行秋田支店が建っている。*24
1963年2月5日、秋田市の秋田中央興行が経営不振のために解散し、同社が経営する「秋田国際劇場」と「ロマンス座」、同社が所有する「秋田東映劇場」(東映に賃貸)が閉館した。*25
1963年2月4日、秋田市の「秋田東映劇場」は5年間の賃借契約が満了したため村上多七郎に返還された。2月5日には「秋田ニュー東映」が秋田東映に改称されて東映封切館となった。*26
1963年2月4日、「秋田東映」が東映との契約を解除された。*27
所在地 : 秋田県秋田市土崎港愛宕町(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「多聞院」東南東110mの民家。 最寄駅はJR奥羽本線土崎駅。
1952年頃、土崎港町に前秋田県議会議員の池田捷司によって「港映劇」が建てられた。大映の上映館だったが、1955年頃に閉館した。*28
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「多聞院」東南東110mの民家。 最寄駅はJR奥羽本線土崎駅。
1952年頃、土崎港町に前秋田県議会議員の池田捷司によって「港映劇」が建てられた。大映の上映館だったが、1955年頃に閉館した。*28
所在地 : 秋田県秋田市大町6-3-47(1967年)
開館年 : 1915年7月24日、1951年7月
閉館年 : 1967年頃
跡地はマンション「アーク秋田大町」。 最寄駅はJR秋田駅。
1915年7月24日、秋田市に「朝日館」が開館し、1923年には「旭館」に改称した。1951年には「銀映座」に改称し、1959年には「第二東映」に改称し、1960年3月には「銀映劇場」に改称した。*31
昭和初期の秋田市には、映画を主とする劇場として「旭館」と「秋田劇場」があった。大町6丁目の旭館は松竹キネマの直営館だった。*32
1946年2月17日、秋田市の「旭館」で中央の座席が落下し、後に死者を出す事故となった。定員1300人に対して1900人を入場させたことによる。*33
開館年 : 1915年7月24日、1951年7月
閉館年 : 1967年頃
跡地はマンション「アーク秋田大町」。 最寄駅はJR秋田駅。
1915年7月24日、秋田市に「朝日館」が開館し、1923年には「旭館」に改称した。1951年には「銀映座」に改称し、1959年には「第二東映」に改称し、1960年3月には「銀映劇場」に改称した。*31
昭和初期の秋田市には、映画を主とする劇場として「旭館」と「秋田劇場」があった。大町6丁目の旭館は松竹キネマの直営館だった。*32
1946年2月17日、秋田市の「旭館」で中央の座席が落下し、後に死者を出す事故となった。定員1300人に対して1900人を入場させたことによる。*33
所在地 : 秋田県秋田市亀ノ丁西土手町13(1966年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1967年頃
跡地は「早川眼科」北の2023年開業のホテル「いやし処ほてる寛楽 秋田川反」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*34
1960年11月16日、秋田市亀ノ丁西土手町の「秋田松竹」が松竹との契約を改称し、堀端英一の自主経営となった。支配人の中村嘉男ら4人が本社に引き上げた。残り11人は松竹を退社し、秋田松竹の従業員となった。*35
開館年 : 1955年
閉館年 : 1967年頃
跡地は「早川眼科」北の2023年開業のホテル「いやし処ほてる寛楽 秋田川反」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*34
1960年11月16日、秋田市亀ノ丁西土手町の「秋田松竹」が松竹との契約を改称し、堀端英一の自主経営となった。支配人の中村嘉男ら4人が本社に引き上げた。残り11人は松竹を退社し、秋田松竹の従業員となった。*35
所在地 : 秋田県秋田市亀ノ丁西土手町43(1968年)
開館年 : 1961年頃
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「ボン・ボヤージュ」。 最寄駅はJR秋田駅。
1963年2月4日、秋田市の「秋田東映劇場」は5年間の賃借契約が満了したため村上多七郎に返還された。2月5日には「秋田ニュー東映」が秋田東映に改称されて東映封切館となった。*36
開館年 : 1961年頃
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「ボン・ボヤージュ」。 最寄駅はJR秋田駅。
1963年2月4日、秋田市の「秋田東映劇場」は5年間の賃借契約が満了したため村上多七郎に返還された。2月5日には「秋田ニュー東映」が秋田東映に改称されて東映封切館となった。*36
所在地 : 秋田県秋田市大通4-5-15(1974年)
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1974年頃
跡地は「セブンイレブン秋田大町4丁目店」。 最寄駅はJR秋田駅。
1947年9月、秋田市の「秋田劇場」が「秋田松竹座」に改称した。*37
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1974年頃
跡地は「セブンイレブン秋田大町4丁目店」。 最寄駅はJR秋田駅。
1947年9月、秋田市の「秋田劇場」が「秋田松竹座」に改称した。*37
所在地 : 秋田県秋田市南通亀ノ丁3-43(1965年)
開館年 : 1935年頃
閉館年 : 1975年4月23日
跡地は有料駐車場「エスパーキング」。 最寄駅はJR秋田駅。
1935年頃、秋田市に「秋田松竹館」が開館した。1947年9月30日には「秋田大映映劇」に改称し、1955年7月26日には「秋田大映劇場」に改称し、1958年12月には「秋田日活劇場」に改称した。1975年に焼失した。*38
昭和初期の秋田市では茨島、新屋、八橋などに工業地が造成されたことで、秋田市街地北東部の発展振興のために、1935年頃には秋田市亀ノ丁西土手町に「秋田松竹館」が建てられた。1939年2月には松竹映画会社の直営館となった。*39
1947年9月、秋田市にある1935年頃竣工の「秋田松竹館」を改装して「秋田大映」が発足した。*40
戦後、小川善之助は支配人をしていた「松竹館」を譲り受けて「秋田大映」とし、1955年には秋田日活会館を建てた。*41
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*42
1958年12月10日、秋田市の「秋田大映」が日活に売却されて日活直営館となった。館主は秋田有楽座社長の小川善之助。村山多七郎経営の「ムービイ日活」が大映封切館に転向する。*43
1975年4月23日午前3時30分頃、秋田市南通亀の町のレストラン レンガ従業員寮から出火し、従業員寮と隣接する映画館「秋田日活劇場」が全焼した。日活直営の秋田日活劇場は鉄骨ブロック造一部木造モルタル。秋田日活劇場の映写室横で寝ていた映写技師が焼死した。*44
1975年4月、日活直営館の「秋田日活」が焼失した。*45
開館年 : 1935年頃
閉館年 : 1975年4月23日
跡地は有料駐車場「エスパーキング」。 最寄駅はJR秋田駅。
1935年頃、秋田市に「秋田松竹館」が開館した。1947年9月30日には「秋田大映映劇」に改称し、1955年7月26日には「秋田大映劇場」に改称し、1958年12月には「秋田日活劇場」に改称した。1975年に焼失した。*38
昭和初期の秋田市では茨島、新屋、八橋などに工業地が造成されたことで、秋田市街地北東部の発展振興のために、1935年頃には秋田市亀ノ丁西土手町に「秋田松竹館」が建てられた。1939年2月には松竹映画会社の直営館となった。*39
1947年9月、秋田市にある1935年頃竣工の「秋田松竹館」を改装して「秋田大映」が発足した。*40
戦後、小川善之助は支配人をしていた「松竹館」を譲り受けて「秋田大映」とし、1955年には秋田日活会館を建てた。*41
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*42
1958年12月10日、秋田市の「秋田大映」が日活に売却されて日活直営館となった。館主は秋田有楽座社長の小川善之助。村山多七郎経営の「ムービイ日活」が大映封切館に転向する。*43
1975年4月23日午前3時30分頃、秋田市南通亀の町のレストラン レンガ従業員寮から出火し、従業員寮と隣接する映画館「秋田日活劇場」が全焼した。日活直営の秋田日活劇場は鉄骨ブロック造一部木造モルタル。秋田日活劇場の映写室横で寝ていた映写技師が焼死した。*44
1975年4月、日活直営館の「秋田日活」が焼失した。*45
所在地 : 秋田県秋田市中通2-4-22(1977年)
開館年 : 1956年10月27日
閉館年 : 1977年頃
跡地は「秋田総合生活文化会館・美術館」東70mの「レオパレスFlat秋田」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*46
1956年10月27日、秋田市広小路にニュース専門館「テアトル秋田」が開館した。秋田市初のニュース専門館であり、和洋各社ニュース、教育文化映画を上映。料金30円。木造1階建て、座席270人。社長は三上英治。支配人は中村甲正。*47
開館年 : 1956年10月27日
閉館年 : 1977年頃
跡地は「秋田総合生活文化会館・美術館」東70mの「レオパレスFlat秋田」。 最寄駅はJR秋田駅。
1954年、秋田市に「国際劇場」と「名画座」が開館した。1955年、秋田市街地に「秋田大映劇場」と「秋田松竹映画劇場」と「秋田日活」が、土崎地区に「みなと劇場」が開館した。1956年、ニュース映画と文化映画を上映する小型館「テアトル秋田」が開館した。1957年、「読売ホール」が開館した。*46
1956年10月27日、秋田市広小路にニュース専門館「テアトル秋田」が開館した。秋田市初のニュース専門館であり、和洋各社ニュース、教育文化映画を上映。料金30円。木造1階建て、座席270人。社長は三上英治。支配人は中村甲正。*47
所在地 : 秋田県秋田市南通亀ノ丁4-10(1978年)
開館年 : 1960年5月
閉館年 : 1977年頃
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
1961年10月8日、村山多七郎が経営する「秋田東宝」が東宝関東興行の直営館として発足した。*48
開館年 : 1960年5月
閉館年 : 1977年頃
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
1961年10月8日、村山多七郎が経営する「秋田東宝」が東宝関東興行の直営館として発足した。*48
所在地 : 秋田県秋田市大町5-4-20(1975年)
開館年 : 1968年
閉館年 : 1977年
最寄駅はJR秋田駅。
1968年、秋田市大町5丁目に「東映会館」が完成した。1階は駐車場や喫茶店、2階はボウリング場、3階と4階が映画館だった。*49
開館年 : 1968年
閉館年 : 1977年
最寄駅はJR秋田駅。
1968年、秋田市大町5丁目に「東映会館」が完成した。1階は駐車場や喫茶店、2階はボウリング場、3階と4階が映画館だった。*49
所在地 : 秋田県秋田市南通亀ノ町4-41(1988年)
開館年 : 1959年10月29日
閉館年 : 1988年頃
跡地は「秋田県信用組合本店」南西30mの有料駐車場「リパーク秋田有楽町駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1959年10月29日、秋田市に「秋田大映」が開館する予定。村山多七郎が建設中であり、大映興行が10年間契約で賃借する。大映興行の経営館は全国で34館となる。*52
1959年、秋田市に有楽会館が開業した。1階は「秋田大映」、2階は歌声喫茶、3階は民謡酒場。1972年6月、秋田大映は「東宝スカラ座」に改称した。1988年3月、東宝スカラ座はプレイタウンビルに移転した。*53
開館年 : 1959年10月29日
閉館年 : 1988年頃
跡地は「秋田県信用組合本店」南西30mの有料駐車場「リパーク秋田有楽町駐車場」。 最寄駅はJR秋田駅。
1959年10月29日、秋田市に「秋田大映」が開館する予定。村山多七郎が建設中であり、大映興行が10年間契約で賃借する。大映興行の経営館は全国で34館となる。*52
1959年、秋田市に有楽会館が開業した。1階は「秋田大映」、2階は歌声喫茶、3階は民謡酒場。1972年6月、秋田大映は「東宝スカラ座」に改称した。1988年3月、東宝スカラ座はプレイタウンビルに移転した。*53
所在地 : 秋田県秋田市土崎港中央1-13-17(1990年)
開館年 : 1923年2月、1951年
閉館年 : 1987年5月
最寄駅はJR奥羽本線土崎駅。
1922年2月1日、土崎港町に「東座」が開館し、1924年には「港座」に改称した。1932年には「日活港座」に改称し、1934年には「土崎松竹館」に改称した。1945年頃には「土崎映画劇場」に改称した。1987年5月に閉館した。*57
1923年2月、土崎港町清水町の蒼龍寺前に、「土崎劇場」の加賀谷東十郎によって演劇場「東座」(あずまざ)が建てられた。名称は加賀谷の名前から一文字を取ったものである。こけら落としには歌舞伎の片岡我童一座を招いたが、来館した一座が偽物だったことで、秋田県興行界始まって以来の大事件となった。1924年頃には公募によって「港座」に改称し、1928年頃には日活上映館となった。1932年1月には「日活港座」に改称し、1934年頃には「土崎松竹館」に改称した。戦後には秋田市の谷口某が経営者となって「土崎映画劇場」に改称し、1946年には伊藤忠造が経営者となった。主として東映作品を上映し、1976年現在も営業中である。*58
1941年、土崎の「松竹館」(現・土崎映画劇場)で戦没・応召・現役軍人遺家族慰問演芸会が行われた。*59
開館年 : 1923年2月、1951年
閉館年 : 1987年5月
最寄駅はJR奥羽本線土崎駅。
1922年2月1日、土崎港町に「東座」が開館し、1924年には「港座」に改称した。1932年には「日活港座」に改称し、1934年には「土崎松竹館」に改称した。1945年頃には「土崎映画劇場」に改称した。1987年5月に閉館した。*57
1923年2月、土崎港町清水町の蒼龍寺前に、「土崎劇場」の加賀谷東十郎によって演劇場「東座」(あずまざ)が建てられた。名称は加賀谷の名前から一文字を取ったものである。こけら落としには歌舞伎の片岡我童一座を招いたが、来館した一座が偽物だったことで、秋田県興行界始まって以来の大事件となった。1924年頃には公募によって「港座」に改称し、1928年頃には日活上映館となった。1932年1月には「日活港座」に改称し、1934年頃には「土崎松竹館」に改称した。戦後には秋田市の谷口某が経営者となって「土崎映画劇場」に改称し、1946年には伊藤忠造が経営者となった。主として東映作品を上映し、1976年現在も営業中である。*58
1941年、土崎の「松竹館」(現・土崎映画劇場)で戦没・応召・現役軍人遺家族慰問演芸会が行われた。*59
所在地 : 秋田県秋田市南通亀ノ町1-10 プレイタウンビル3階(1997年)
開館年 : 1977年10月
閉館年 : 1997年頃
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
1977年、秋田市南通亀ノ町に村山多七郎社長の有楽町プレイタウンビルが開業した。「東宝」、「東映」、「東映パラス」、「日活」、「東宝アカデミーホール」の5館が入るビルだった。*65
1977年10月、東映は「秋田東映」と「秋田東映パラス」を開館させた。*66
1990年から1991年のこのほど、東映系の8劇場で名称変更があった。秋田東映パラスが「秋田東映シネマ2」に、新潟東映ミラノが「新潟東映パラス」に、横須賀東映パラスが「横須賀東映シネマ2」に、高知東映パラスが「高知東映シネマ2」に、鳥取東映パラスが「鳥取東映シネマ2」に、金沢東映パラスが「金沢東映2」に、富山東映パラスが「富山東映2」に、熊本東映パラスが「熊本東映シネマ2」に改称した。*67
開館年 : 1977年10月
閉館年 : 1997年頃
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
1977年、秋田市南通亀ノ町に村山多七郎社長の有楽町プレイタウンビルが開業した。「東宝」、「東映」、「東映パラス」、「日活」、「東宝アカデミーホール」の5館が入るビルだった。*65
1977年10月、東映は「秋田東映」と「秋田東映パラス」を開館させた。*66
1990年から1991年のこのほど、東映系の8劇場で名称変更があった。秋田東映パラスが「秋田東映シネマ2」に、新潟東映ミラノが「新潟東映パラス」に、横須賀東映パラスが「横須賀東映シネマ2」に、高知東映パラスが「高知東映シネマ2」に、鳥取東映パラスが「鳥取東映シネマ2」に、金沢東映パラスが「金沢東映2」に、富山東映パラスが「富山東映2」に、熊本東映パラスが「熊本東映シネマ2」に改称した。*67
所在地 : 秋田県秋田市南通亀ノ町1-10 プレイタウンビル(2012年)
開館年 : 1997年頃(シネマ旭)、2003年5月(プレイタウン)
閉館年 : 2003年1月(シネマ旭)、2012年12月24日(プレイタウン)
公式サイト : https://www.playtown.org/
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
秋田市にある「シネマアサヒ」の写真あり。*70
「シアタープレイタウン」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*71
開館年 : 1997年頃(シネマ旭)、2003年5月(プレイタウン)
閉館年 : 2003年1月(シネマ旭)、2012年12月24日(プレイタウン)
公式サイト : https://www.playtown.org/
跡地はコインパーキング「パラカ秋田市南通亀の町第1」。 最寄駅はJR秋田駅。
秋田市にある「シネマアサヒ」の写真あり。*70
「シアタープレイタウン」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*71
所在地 : 秋田県秋田市千秋久保田町4-2 フォーラス8階(2017年)
開館年 : 1985年11月30日
閉館年 : 2017年2月26日
Wikipedia : 秋田オーパ
最寄駅はJR秋田駅。
1985年11月30日に開館。当初は東宝の封切館であり、『千と千尋の神隠し』を上映していた時には年商が1億円を超えていた。郊外にシネコンができたりして客数が減少。2003年に川口豊が運営にかかわると、ミニシアター系の作品を上映したり、名画座形態に変更したりした。近年は1カ月当たりの客数が300人にとどまっていた。2017年2月26日に31年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終上映は『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』。座席数は150席。*72
秋田フォーラスのビルに改装に伴って、最上階のシネマパレが閉館する。客席は傾斜が少なく、座席は赤い別珍であり、扉は革張り風である。*73
開館年 : 1985年11月30日
閉館年 : 2017年2月26日
Wikipedia : 秋田オーパ
最寄駅はJR秋田駅。
1985年11月30日に開館。当初は東宝の封切館であり、『千と千尋の神隠し』を上映していた時には年商が1億円を超えていた。郊外にシネコンができたりして客数が減少。2003年に川口豊が運営にかかわると、ミニシアター系の作品を上映したり、名画座形態に変更したりした。近年は1カ月当たりの客数が300人にとどまっていた。2017年2月26日に31年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終上映は『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』。座席数は150席。*72
秋田フォーラスのビルに改装に伴って、最上階のシネマパレが閉館する。客席は傾斜が少なく、座席は赤い別珍であり、扉は革張り風である。*73
所在地 : 秋田県秋田市東通仲町4-1 秋田拠点センターアルヴェ2階(2025年)
開館年 : 2004年7月16日、2020年12月25日(アルヴェ)
閉館年 : 営業中
公式サイト : AL☆VEシアター supported by 109シネマズ
Wikipedia : AL☆VEシアター
最寄駅はJR秋田駅。
2005年10月14日、JR秋田駅東口のアルヴェにある映画館「パンテオンシネマズ秋田」が突然休館した。経営者は映画事業会社のM&T。ビルを管理する秋田新都心ビルとの間で賃貸契約の不履行を巡って係争中であり、実質的な撤退とみられている。2004年7月、アルヴェの開業と同時に開館し、5スクリーン718席を有していた。映画評論家の水野晴郎がプロデュースを手掛けていた。*74
2005年11月16日、秋田新都心ビルがM&Tピクチャーズや水野晴郎などを相手取って行った訴訟の判決があり、秋田新都心ビルの主張が全面的に認められた。M&Tピクチャーズは控訴する方針。M&Tピクチャーズが秋田新都心ビルで運営していた映画館「パンテオンシネマズ」は休館が続いており、ビルの商業施設全体に影響を与えている。*75
2006年8月5日から9月15日まで、秋田駅東口のアルヴェにある映画館が期間限定で営業を再開し、『釣りバカ日誌17』など3作品を上映する。この映画館は長期休館が続いており、アルヴェ内のテナントが主催する。*76
2007年4月25日、秋田市東通仲町のアルヴェに映画館「ルミエール秋田」が本格的な営業を開始した。2004年7月に「パンテオンシネマズ秋田」として開館したが、2005年10月に突如休館し、運営会社と建物管理会社の間で係争となっていた。2006年11月には盛岡市の南部興行が暫定的に「AKITAシアター」として営業を再開し、このほど長期契約を結んで本格的に営業を再開した。*77
開館年 : 2004年7月16日、2020年12月25日(アルヴェ)
閉館年 : 営業中
公式サイト : AL☆VEシアター supported by 109シネマズ
Wikipedia : AL☆VEシアター
最寄駅はJR秋田駅。
2005年10月14日、JR秋田駅東口のアルヴェにある映画館「パンテオンシネマズ秋田」が突然休館した。経営者は映画事業会社のM&T。ビルを管理する秋田新都心ビルとの間で賃貸契約の不履行を巡って係争中であり、実質的な撤退とみられている。2004年7月、アルヴェの開業と同時に開館し、5スクリーン718席を有していた。映画評論家の水野晴郎がプロデュースを手掛けていた。*74
2005年11月16日、秋田新都心ビルがM&Tピクチャーズや水野晴郎などを相手取って行った訴訟の判決があり、秋田新都心ビルの主張が全面的に認められた。M&Tピクチャーズは控訴する方針。M&Tピクチャーズが秋田新都心ビルで運営していた映画館「パンテオンシネマズ」は休館が続いており、ビルの商業施設全体に影響を与えている。*75
2006年8月5日から9月15日まで、秋田駅東口のアルヴェにある映画館が期間限定で営業を再開し、『釣りバカ日誌17』など3作品を上映する。この映画館は長期休館が続いており、アルヴェ内のテナントが主催する。*76
2007年4月25日、秋田市東通仲町のアルヴェに映画館「ルミエール秋田」が本格的な営業を開始した。2004年7月に「パンテオンシネマズ秋田」として開館したが、2005年10月に突如休館し、運営会社と建物管理会社の間で係争となっていた。2006年11月には盛岡市の南部興行が暫定的に「AKITAシアター」として営業を再開し、このほど長期契約を結んで本格的に営業を再開した。*77
所在地 : 秋田県秋田市御所野地蔵田1-1-1 イオンモール秋田内(2025年)
開館年 : 2001年12月22日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR奥羽本線四ツ小屋駅。
2001年12月下旬、秋田市御所野地蔵田のイオン秋田ショッピングセンターに秋田県初のシネコン「TOHOシネタウン」が開館する。映画館棟はメイン棟の西側に建設され、連絡通路でつながっている。8スクリーン計1681席。428席のシネマ2が最大。秋田県初のシネコンであり、2001年現在で東北最大級のシネコンとされる。*78
開館年 : 2001年12月22日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR奥羽本線四ツ小屋駅。
2001年12月下旬、秋田市御所野地蔵田のイオン秋田ショッピングセンターに秋田県初のシネコン「TOHOシネタウン」が開館する。映画館棟はメイン棟の西側に建設され、連絡通路でつながっている。8スクリーン計1681席。428席のシネマ2が最大。秋田県初のシネコンであり、2001年現在で東北最大級のシネコンとされる。*78

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