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hekikaicinema 2018年11月08日(木) 14:52:14履歴
所在地 : 山梨県笛吹市石和町八田291
開館年 : 1968年
閉館年 : 2018年2月28日
山梨文学シネマアワードを受賞した映画監督の高橋伴明と女優の高橋惠子夫妻は、高橋惠子の主演作品『カミハテ商店』の舞台あいさつでテアトル石和を訪れた。有泉由幸は戦前に満州で映画館を経営し、1946年(昭和21年)には故郷の増穂町に南嶺劇場(後のテアトル南嶺)を開館させた。その後も山梨県各地に映画館を開館させ、最盛期には20館近くに及んだ。1966年(昭和41年)に成人映画専門館としてテアトルアンネが開館した。1970年(昭和45年)には有泉英機が2代目となったが、2001年(平成13年)にテアトル甲府を閉館させるとテアトル石和のみとなった。1993年(平成5年)には数週間から数カ月遅れで見られる二番館に鞍替えし、2本立て1200円で上映。2013年(平成25年)3月にはデジタル映写機を導入した。*1
1968年にテアトルアンネとして開館。当初はポルノ映画を上映していたが、レンタルビデオ店が普及するにつれて、1993年からロードショーを終えた作品を2本立てで公開する二番館に路線を変更。また原発や戦争などの社会問題を扱った作品も多く上映。映画上映以外には「シネ婚」などの企画、劇場貸し切りサービス、イベントでの出張上映など、地域に密着した活動を行ってきた。有泉商事であり、有泉忍50歳は3代目だった。50周年を迎えた2018年の2月28日に閉館。出張上映は続ける。テアトル石和サポートクラブが上映作品の案内紙を発行するなどして運営を支援していた。28日には開館からの歴史を写真で振り返るお別れ会を開催。*2
1968年にテアトルアンネとして開館。100席の1スクリーン。同じ運営会社の映画館は映画最盛期には18館もあったが、2001年に甲府市のテアトル甲府が閉館するとテアトル石和のみとなった。戦争や原発を主題とする社会派作品の上映に力を入れていた。2004年には石和町などが合併して笛吹市に。シネマコンプレックスの台頭などで観客数が減少したため、50年の節目となる2018年2月28日で閉館する。2月28日午後6時半からお別れの会を開催する。かつては月3000人の観客がいたが、閉館時には月500人にまで減少していた。*3
2018年(平成30年)2月28日、山梨県笛吹市のテアトル石和が閉館した。社会は作品を多く上映し、また出張上映を積極的に行って地域密着を図っていた。1968年(昭和43年)にテアトルアンネとして開館し、1993年(平成5年)にテアトル石和に改称。改称後には社会は作品の上映を増やした。開館時から毎年欠かさず、映画館がない地域での出張上映を行った。多い年には年10回近くでかけ、公共施設で上映会を開催した。2013年(平成25年)には上映会を兼ねた婚活イベント「シネ婚」を開催。2016年(平成28年)にはファン有志によるテアトル石和サポートクラブが結成された。最終上映後のお別れ会では有泉忍支配人が開館から閉館までの50年間の出来事をスライドで振り返った。*4
開館年 : 1968年
閉館年 : 2018年2月28日
山梨文学シネマアワードを受賞した映画監督の高橋伴明と女優の高橋惠子夫妻は、高橋惠子の主演作品『カミハテ商店』の舞台あいさつでテアトル石和を訪れた。有泉由幸は戦前に満州で映画館を経営し、1946年(昭和21年)には故郷の増穂町に南嶺劇場(後のテアトル南嶺)を開館させた。その後も山梨県各地に映画館を開館させ、最盛期には20館近くに及んだ。1966年(昭和41年)に成人映画専門館としてテアトルアンネが開館した。1970年(昭和45年)には有泉英機が2代目となったが、2001年(平成13年)にテアトル甲府を閉館させるとテアトル石和のみとなった。1993年(平成5年)には数週間から数カ月遅れで見られる二番館に鞍替えし、2本立て1200円で上映。2013年(平成25年)3月にはデジタル映写機を導入した。*1
1968年にテアトルアンネとして開館。当初はポルノ映画を上映していたが、レンタルビデオ店が普及するにつれて、1993年からロードショーを終えた作品を2本立てで公開する二番館に路線を変更。また原発や戦争などの社会問題を扱った作品も多く上映。映画上映以外には「シネ婚」などの企画、劇場貸し切りサービス、イベントでの出張上映など、地域に密着した活動を行ってきた。有泉商事であり、有泉忍50歳は3代目だった。50周年を迎えた2018年の2月28日に閉館。出張上映は続ける。テアトル石和サポートクラブが上映作品の案内紙を発行するなどして運営を支援していた。28日には開館からの歴史を写真で振り返るお別れ会を開催。*2
1968年にテアトルアンネとして開館。100席の1スクリーン。同じ運営会社の映画館は映画最盛期には18館もあったが、2001年に甲府市のテアトル甲府が閉館するとテアトル石和のみとなった。戦争や原発を主題とする社会派作品の上映に力を入れていた。2004年には石和町などが合併して笛吹市に。シネマコンプレックスの台頭などで観客数が減少したため、50年の節目となる2018年2月28日で閉館する。2月28日午後6時半からお別れの会を開催する。かつては月3000人の観客がいたが、閉館時には月500人にまで減少していた。*3
2018年(平成30年)2月28日、山梨県笛吹市のテアトル石和が閉館した。社会は作品を多く上映し、また出張上映を積極的に行って地域密着を図っていた。1968年(昭和43年)にテアトルアンネとして開館し、1993年(平成5年)にテアトル石和に改称。改称後には社会は作品の上映を増やした。開館時から毎年欠かさず、映画館がない地域での出張上映を行った。多い年には年10回近くでかけ、公共施設で上映会を開催した。2013年(平成25年)には上映会を兼ねた婚活イベント「シネ婚」を開催。2016年(平成28年)にはファン有志によるテアトル石和サポートクラブが結成された。最終上映後のお別れ会では有泉忍支配人が開館から閉館までの50年間の出来事をスライドで振り返った。*4
所在地 : 山梨県南巨摩郡身延町
開館年 : 2004年4月18日
閉館年 : 2008年7月27日以前
身延ショッピングセンターCOMA内にあった。身延ショッピングセンターCOMAは2008年7月27日に経営不振により営業を終了している。
開館年 : 2004年4月18日
閉館年 : 2008年7月27日以前
身延ショッピングセンターCOMA内にあった。身延ショッピングセンターCOMAは2008年7月27日に経営不振により営業を終了している。
所在地 : 山梨県大月市花咲町1652(1980年)
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の所在地は大月市花咲町1652。現在の同番地にはファミリーマート大月インター店がある。
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の所在地は大月市花咲町1652。現在の同番地にはファミリーマート大月インター店がある。
所在地 : 山梨県上野原市上野原1404
開館年 : 1912年
閉館年 : 1988年
1912年(大正元年)に演芸館として開館。1924年からは上野原唯一の映画専門館だった。1988年閉館。建物は登録有形文化財。映写機2代は使用できる状態で保存されている。2017年8月には昭和40-60年頃に上映された映画ポスター1800点の展示会が行われた。三船敏郎、石原裕次郎、小林旭、渡哲也、鶴田浩二、浅丘ルリ子、加山雄三、舟木一夫、和泉雅子らの出演作。美術評論家の阿部紀好が館長だった。*5
開館年 : 1912年
閉館年 : 1988年
1912年(大正元年)に演芸館として開館。1924年からは上野原唯一の映画専門館だった。1988年閉館。建物は登録有形文化財。映写機2代は使用できる状態で保存されている。2017年8月には昭和40-60年頃に上映された映画ポスター1800点の展示会が行われた。三船敏郎、石原裕次郎、小林旭、渡哲也、鶴田浩二、浅丘ルリ子、加山雄三、舟木一夫、和泉雅子らの出演作。美術評論家の阿部紀好が館長だった。*5
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