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hekikaicinema 2026年09月06日(日) 01:13:32履歴
所在地 : 山口県山口市湯田町(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地はマンション「アルカディア湯田温泉」。最寄駅はJR山口線湯田温泉駅。
昭和初期の山口市湯田にあった映画館「戎座」の写真あり。井上公園の向かいの東側にあり、湯田温泉の入湯客も訪れた。*1
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地はマンション「アルカディア湯田温泉」。最寄駅はJR山口線湯田温泉駅。
昭和初期の山口市湯田にあった映画館「戎座」の写真あり。井上公園の向かいの東側にあり、湯田温泉の入湯客も訪れた。*1
所在地 : 山口県吉敷郡秋穂町(1964年)
開館年 : 1932年5月13日
閉館年 : 1963年
跡地は「山口銀行秋穂支店」北北西100mにある「ショッピングセンター丸栄」廃墟。最寄駅はJR山陽本線大道駅。
1933年の『大日本職業別明細図 第328号』「秋穂村」には「秋穂座」が描かれている。*6
1932年の吉敷郡秋穂町にあった「秋穂座」の写真あり。1932年5月13日にこけら落とし公演の歌舞伎が行われた。廻り舞台、花道、枡席を有する劇場だった。秋穂座は1963年に閉館し、跡地にはスーパーが開館した。2008年の跡地の写真あり。2008年現在の跡地はショッピングセンター丸栄の廃墟である。*7
1982年現在の秋穂町本町には「スーパー丸栄」がある。劇場「秋穂座」だった建物を改装して開店した。やがて株式会社丸栄は不動産業に転換し、貸店舗となった丸栄では地元商店が出店販売している。*8
開館年 : 1932年5月13日
閉館年 : 1963年
跡地は「山口銀行秋穂支店」北北西100mにある「ショッピングセンター丸栄」廃墟。最寄駅はJR山陽本線大道駅。
1933年の『大日本職業別明細図 第328号』「秋穂村」には「秋穂座」が描かれている。*6
1932年の吉敷郡秋穂町にあった「秋穂座」の写真あり。1932年5月13日にこけら落とし公演の歌舞伎が行われた。廻り舞台、花道、枡席を有する劇場だった。秋穂座は1963年に閉館し、跡地にはスーパーが開館した。2008年の跡地の写真あり。2008年現在の跡地はショッピングセンター丸栄の廃墟である。*7
1982年現在の秋穂町本町には「スーパー丸栄」がある。劇場「秋穂座」だった建物を改装して開店した。やがて株式会社丸栄は不動産業に転換し、貸店舗となった丸栄では地元商店が出店販売している。*8
所在地 : 山口県山口市道場門前2(1965年)
開館年 : 1934年
閉館年 : 1965年
跡地はスーパー「コープこことどうもん店」。最寄駅はJR山口線山口駅。
時期不明の山口市道場門前町にあった「日活映画館」の写真あり。「朝日館」、「黎明館」という名称だったこともある。戦後に閉館し、1979年現在の跡地にはダイエーが建っている。*9
昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*10
開館年 : 1934年
閉館年 : 1965年
跡地はスーパー「コープこことどうもん店」。最寄駅はJR山口線山口駅。
時期不明の山口市道場門前町にあった「日活映画館」の写真あり。「朝日館」、「黎明館」という名称だったこともある。戦後に閉館し、1979年現在の跡地にはダイエーが建っている。*9
昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*10
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町大正中(1966年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1949年6月
閉館年 : 1966年頃
跡地はカラオケ店「座オリオン」やレストラン「欧風前菜 三ツ星」が入るビル。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
小郡町にあった「太陽館」は、後に名画座となり、やがて「スリーS」となった。「寿座」と「丸三映劇」も含めて、全盛期の小郡町には3館の常設映画館があった。*11
開館年 : 1936年以後1941年以前、1949年6月
閉館年 : 1966年頃
跡地はカラオケ店「座オリオン」やレストラン「欧風前菜 三ツ星」が入るビル。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
小郡町にあった「太陽館」は、後に名画座となり、やがて「スリーS」となった。「寿座」と「丸三映劇」も含めて、全盛期の小郡町には3館の常設映画館があった。*11
所在地 : 山口県山口市大市6(1968年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1967年12月7日
跡地はガレージ「有楽有料駐車場」。最寄駅はJR山口線上山口駅。
1952年12月20日頃、山口市魚町銀座街に「有楽座」が開館する予定。代表者は平田興一と山本降一の2人。総工費900万円。一部鉄筋コンクリート造、2階建て。定員300人。上映系統は検討中。*12
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1967年12月7日
跡地はガレージ「有楽有料駐車場」。最寄駅はJR山口線上山口駅。
1952年12月20日頃、山口市魚町銀座街に「有楽座」が開館する予定。代表者は平田興一と山本降一の2人。総工費900万円。一部鉄筋コンクリート造、2階建て。定員300人。上映系統は検討中。*12
所在地 : 山口県阿武郡阿東町徳佐(1969年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年頃
映画館の建物は「山口銀行徳佐支店」北東110mに現存。最寄駅はJR山口線徳佐駅。
阿東工業有限会社を設立した三浦茂理は、1969年10月15日に八千代館跡でズックの胛皮裁断を始めた。*13
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年頃
映画館の建物は「山口銀行徳佐支店」北東110mに現存。最寄駅はJR山口線徳佐駅。
阿東工業有限会社を設立した三浦茂理は、1969年10月15日に八千代館跡でズックの胛皮裁断を始めた。*13
所在地 : 山口県山口市今市95(1973年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「山口地方裁判所」北西60mにあるガレージ。最寄駅はJR山口線山口駅。
昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*16
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「山口地方裁判所」北西60mにあるガレージ。最寄駅はJR山口線山口駅。
昭和20年代の山口市米屋町にあった映画看板の写真あり。「山口松竹」の『流賊黒馬隊』、「山口セントラル」の『タリファ駐屯兵』などが見える。山口松竹、山口セントラルのほかに、山口市には「有楽座」、「金竜館」、「ピカデリー」があった。金竜館を最後にすべて閉館している。*16
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町田町1110(1977年)
開館年 : 1936年、1956年5月3日
閉館年 : 1977年頃
跡地は「秀英薬局」東の月極駐車場。敷地南西角に道標が建っている。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
昭和20年代とされる「寿座」の写真あり。和風建築である。小郡町の田町にあった。中関(現・防府市)にあった劇場の建物を買い取り、大正上に移築して寿座が開館した。1902年2月14日に落成式を兼ねた初興行が行われ、市川寿美蔵一座が招かれた。1935年11月に火災で全焼すると、1936年9月には田町の古林邸跡地に工費3万円で新築された。戦後には映画館としても親しまれた。昭和20年代から30年代には、阪東妻三郎、高田浩吉、古賀政男、近江俊郎、藤山一郎などが来演した。*17
1956年5月3日、吉敷郡小郡町の芝居小屋「寿座」が映画館に改装されて開館した。総工費3000万円。新東宝と洋画の併映。入場料は55円。経営者は小郡町議会議員でもある中村政一。*18
1960年の小郡町田町にあった「寿座」前をパレードする山車の写真あり。中領八幡宮の式年祭である。1936年、寿座は「小郡発展の父」と呼ばれた古林新治郎邸跡に建てられた。2009年現在の跡地は駐車場となっている。*19
開館年 : 1936年、1956年5月3日
閉館年 : 1977年頃
跡地は「秀英薬局」東の月極駐車場。敷地南西角に道標が建っている。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
昭和20年代とされる「寿座」の写真あり。和風建築である。小郡町の田町にあった。中関(現・防府市)にあった劇場の建物を買い取り、大正上に移築して寿座が開館した。1902年2月14日に落成式を兼ねた初興行が行われ、市川寿美蔵一座が招かれた。1935年11月に火災で全焼すると、1936年9月には田町の古林邸跡地に工費3万円で新築された。戦後には映画館としても親しまれた。昭和20年代から30年代には、阪東妻三郎、高田浩吉、古賀政男、近江俊郎、藤山一郎などが来演した。*17
1956年5月3日、吉敷郡小郡町の芝居小屋「寿座」が映画館に改装されて開館した。総工費3000万円。新東宝と洋画の併映。入場料は55円。経営者は小郡町議会議員でもある中村政一。*18
1960年の小郡町田町にあった「寿座」前をパレードする山車の写真あり。中領八幡宮の式年祭である。1936年、寿座は「小郡発展の父」と呼ばれた古林新治郎邸跡に建てられた。2009年現在の跡地は駐車場となっている。*19
所在地 : 山口県吉敷郡小郡町1279(1989年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1989年頃
跡地はマンション「メゾン小郡」。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
昭和30年代の小郡町にあった「丸三映画館」の写真あり。『赤穂浪士』の看板が見える。大正通りにあった。小郡には「名画座」(旧太陽館)、「寿座」もあった。*20
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1989年頃
跡地はマンション「メゾン小郡」。最寄駅はJR山陽新幹線・山陽本線新山口駅。
昭和30年代の小郡町にあった「丸三映画館」の写真あり。『赤穂浪士』の看板が見える。大正通りにあった。小郡には「名画座」(旧太陽館)、「寿座」もあった。*20
所在地 : 山口県山口市道場門前2-2-5(1992年)
開館年 : 1922年11月
閉館年 : 1991年10月末
跡地は喫茶店「コーヒーボーイ山口店」や「どうもん広場」。最寄駅はJR山口線山口駅。
1929年の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の写真あり。多数の兵隊が見える。*21
1929年頃の「金竜館」の写真あり。1955年頃の「金竜館」の写真あり。『水戸黄門漫遊記』、『妻恋黒田節』、『花祭底抜け千一夜』などの看板が見える。*22
1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には「金竜館」「大和座」「山口座」が描かれている。*23
昭和30年代中頃の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」前で行われたイベントの写真あり。商店街による出し物「浦島太郎」である。2009年現在の金竜館は廃業しており、山口市で営業中の映画館は湯田の1館のみである。*24
1991年10月末、山口市の道場門前商店街にある映画館「山口金竜館」が閉館した。経営者は徳山市の毎日興業。1922年に開館し、1952年に現在の建物に改築された。昭和30年代の入場者数は年間約18万人だったが、1990年には約3万5000人に落ち込んでいた。西友を核店舗とする商業ビルの建設計画があり、金竜館はこのビルへの入居を予定していたが、西友が進出を断念したことで計画が棚上げされていた。さらに、9月27日には台風19号が山口県を直撃し、屋根がはげたり壁が落ちるなどの被害を受けていた。修理には7000万〜8000万円が見込まれることから閉館を決断した。木造2階建、収容人員は300人。*25
1991年11月のこのほど、山口市道場門前にある「金竜館」が閉館して取り壊し工事が始まった。経営は徳山市の毎日興業。9月の台風19号が閉館の理由。木造2階建ての屋根のトタンが飛ばされ、雨や風を受けてスクリーンが破損し、客席が水浸しになった。修復には7000万円以上かかることから営業再開を断念した。1922年に創業し、昭和30年代には月間入場者数が1万5000人を超えたこともある。東映や松竹などの邦画を中心に上映していた。近年の年間入場者数は約3万5000人だった。*26
1999年のこのほど、山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の再建が先送りされることが決定した。金竜館は毎日興業が運営していたが、1991年に台風で壊れて閉館した。跡地は道場門前商店街振興組合の所有地と合わせて駐車場となっている。商店街振興組合は立体駐車場の建設を決めており、中心市街地活性化法に基づく国や山口県の補助事業に採択された。一方で毎日興業も映画館の再建を決め、組合に設計案を提示したが、組合による設計案との調整がつかなかった。*27
開館年 : 1922年11月
閉館年 : 1991年10月末
跡地は喫茶店「コーヒーボーイ山口店」や「どうもん広場」。最寄駅はJR山口線山口駅。
1929年の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の写真あり。多数の兵隊が見える。*21
1929年頃の「金竜館」の写真あり。1955年頃の「金竜館」の写真あり。『水戸黄門漫遊記』、『妻恋黒田節』、『花祭底抜け千一夜』などの看板が見える。*22
1933年の『大日本職業別明細図 第328号』には「金竜館」「大和座」「山口座」が描かれている。*23
昭和30年代中頃の山口市道場門前にあった映画館「金竜館」前で行われたイベントの写真あり。商店街による出し物「浦島太郎」である。2009年現在の金竜館は廃業しており、山口市で営業中の映画館は湯田の1館のみである。*24
1991年10月末、山口市の道場門前商店街にある映画館「山口金竜館」が閉館した。経営者は徳山市の毎日興業。1922年に開館し、1952年に現在の建物に改築された。昭和30年代の入場者数は年間約18万人だったが、1990年には約3万5000人に落ち込んでいた。西友を核店舗とする商業ビルの建設計画があり、金竜館はこのビルへの入居を予定していたが、西友が進出を断念したことで計画が棚上げされていた。さらに、9月27日には台風19号が山口県を直撃し、屋根がはげたり壁が落ちるなどの被害を受けていた。修理には7000万〜8000万円が見込まれることから閉館を決断した。木造2階建、収容人員は300人。*25
1991年11月のこのほど、山口市道場門前にある「金竜館」が閉館して取り壊し工事が始まった。経営は徳山市の毎日興業。9月の台風19号が閉館の理由。木造2階建ての屋根のトタンが飛ばされ、雨や風を受けてスクリーンが破損し、客席が水浸しになった。修復には7000万円以上かかることから営業再開を断念した。1922年に創業し、昭和30年代には月間入場者数が1万5000人を超えたこともある。東映や松竹などの邦画を中心に上映していた。近年の年間入場者数は約3万5000人だった。*26
1999年のこのほど、山口市道場門前にあった映画館「金竜館」の再建が先送りされることが決定した。金竜館は毎日興業が運営していたが、1991年に台風で壊れて閉館した。跡地は道場門前商店街振興組合の所有地と合わせて駐車場となっている。商店街振興組合は立体駐車場の建設を決めており、中心市街地活性化法に基づく国や山口県の補助事業に採択された。一方で毎日興業も映画館の再建を決め、組合に設計案を提示したが、組合による設計案との調整がつかなかった。*27
所在地 : 山口県山口市泉都町1154(2012年)
開館年 : 1956年頃(泉都座)、1960年(経営者交代)、1969年頃(2館化)、1999年頃(4館化)
閉館年 : 2012年11月1日
跡地は「ファミリーマート山口泉都町店」駐車場。最寄駅はJR山口線上山口駅。
1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。3か月前から工事のために休館していた。オープンに先立って5月16日には施設見学会が開催される。かつては2館だったが、最新設備を導入した上で4館に増える。経営は小郡町の丸三商事。*28
1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。老朽化した「スカラ座」と「ニュー泉都」の2館を建て替え、4スクリーンとなった。1999年3月には防府市や下松市に複合映画館(シネコン)が開館したが、県都にも最新設備の映画館ができることになる。鉄筋コンクリート造3階建てビルの2階部分であり、スカラ座1からスカラ座4まである。最大のスカラ座1は198席であり、他の3スクリーンは124席である。これまでの建物のロビーには冷暖房がなく、苦情が出ることもあった。座席間隔はこれまでの倍の約100センチに広げた。最新型の映写機やデジタル音響システムを導入した。これまでの初回上映開始時間は12時頃だったが、10時過ぎに早める。これまでの最終回上映開始時間は18時過ぎだったが、平日と日曜は20時過ぎ、土曜日は23時頃からとする。経営者は小郡町の丸三商事。*29
2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計530席を有する。山口市は2年前に映画館がなくなった奈良市に続いて、全国で2例目の常設映画館がない県庁所在地となる。山口スカラ座は1960年に開館したが、約15年前が観客数のピークであり、シネコンの進出以後は経営が苦しかった。*30
2012年11月1日、山口市泉都町の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計540席であり、山口市唯一の映画館である。日本映画製作者連盟によると、常設映画館がない県庁所在地は奈良市に次いで2か所目だという。もともとあった映画館の経営を引き継いで、1960年にスカラ座が開館した。『E.T.』や『南極物語』がヒットした約30年前が観客数のピークだったが、その後は年々観客数が減少した。閉館後には建物を取り壊し、コンビニや飲食店が入るビルを建設する予定。*31
2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。1960年の開館から約半世紀がたち、建物の老朽化が目立つようになった。山口県内に最新設備を導入した映画館が相次いで開館しており、観客数が大幅に減少していた。山口スカラ座は山口市立中央図書館などがある中央公園と繁華街の湯田温泉の間に位置する。4スクリーン計530席を有する。跡地には平屋建ての店舗を建設し、コンビニや飲食店が入居する予定である。現在の県庁所在地で映画館がないのは奈良県だけであり、山口県は2例目となる。山口市から最寄りの映画館は防府市や宇部市にあるシネコンとなる。*32
開館年 : 1956年頃(泉都座)、1960年(経営者交代)、1969年頃(2館化)、1999年頃(4館化)
閉館年 : 2012年11月1日
跡地は「ファミリーマート山口泉都町店」駐車場。最寄駅はJR山口線上山口駅。
1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。3か月前から工事のために休館していた。オープンに先立って5月16日には施設見学会が開催される。かつては2館だったが、最新設備を導入した上で4館に増える。経営は小郡町の丸三商事。*28
1999年5月20日、山口市泉都町に「山口スカラ座」が新装オープンする。老朽化した「スカラ座」と「ニュー泉都」の2館を建て替え、4スクリーンとなった。1999年3月には防府市や下松市に複合映画館(シネコン)が開館したが、県都にも最新設備の映画館ができることになる。鉄筋コンクリート造3階建てビルの2階部分であり、スカラ座1からスカラ座4まである。最大のスカラ座1は198席であり、他の3スクリーンは124席である。これまでの建物のロビーには冷暖房がなく、苦情が出ることもあった。座席間隔はこれまでの倍の約100センチに広げた。最新型の映写機やデジタル音響システムを導入した。これまでの初回上映開始時間は12時頃だったが、10時過ぎに早める。これまでの最終回上映開始時間は18時過ぎだったが、平日と日曜は20時過ぎ、土曜日は23時頃からとする。経営者は小郡町の丸三商事。*29
2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計530席を有する。山口市は2年前に映画館がなくなった奈良市に続いて、全国で2例目の常設映画館がない県庁所在地となる。山口スカラ座は1960年に開館したが、約15年前が観客数のピークであり、シネコンの進出以後は経営が苦しかった。*30
2012年11月1日、山口市泉都町の映画館「山口スカラ座」が閉館する。4スクリーン計540席であり、山口市唯一の映画館である。日本映画製作者連盟によると、常設映画館がない県庁所在地は奈良市に次いで2か所目だという。もともとあった映画館の経営を引き継いで、1960年にスカラ座が開館した。『E.T.』や『南極物語』がヒットした約30年前が観客数のピークだったが、その後は年々観客数が減少した。閉館後には建物を取り壊し、コンビニや飲食店が入るビルを建設する予定。*31
2012年11月1日、山口市の映画館「山口スカラ座」が閉館する。1960年の開館から約半世紀がたち、建物の老朽化が目立つようになった。山口県内に最新設備を導入した映画館が相次いで開館しており、観客数が大幅に減少していた。山口スカラ座は山口市立中央図書館などがある中央公園と繁華街の湯田温泉の間に位置する。4スクリーン計530席を有する。跡地には平屋建ての店舗を建設し、コンビニや飲食店が入居する予定である。現在の県庁所在地で映画館がないのは奈良県だけであり、山口県は2例目となる。山口市から最寄りの映画館は防府市や宇部市にあるシネコンとなる。*32

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