日本の映画館の総合データベースです。

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後志総合振興局

島牧郡島牧村

映画館名簿によると島牧郡島牧村に映画館は存在しなかったと思われる。

寿都郡寿都町

磯谷青年会館
所在地 : 北海道磯谷郡磯谷村(1955年)
開館年 : 1933年7月28日
閉館年 : 1955年頃
跡地は「磯谷郵便局」南西70mの更地付近と思われる。最寄駅はJR函館本線黒松内駅。


磯谷村大字島古丹村字島古丹50の「磯谷青年会館」。木造平屋建て、75坪。収容人員350。1933年7月28日設立。*1

かつて磯谷村島古丹には「磯谷劇場」があった。2014年現在の星和運輸車庫から磯谷郵便局のあたりにあったとされる。桟敷席や花道を持つ劇場であり、浪曲、映画、学芸会などが催された。*2
寿都座/寿都劇場
所在地 : 北海道寿都郡寿都町(1972年)
開館年 : 1920年9月1日
閉館年 : 1972年頃
跡地は「法界寺」北東80mにある「青少年研修会館」駐車場。最寄駅はJR函館本線黒松内駅。


寿都町の「寿都劇場」はもともと「寿都座」という名称だった。寿都座の開館時期は定かではないが、1898年7月31日付の『北海道毎日新聞』には初代寿都座に言及している記事がある。1914年5月27日の大火では寿都座も全焼した。経営者の井原為世は建築費2500円で再建を企て、同年9月1日には2代目寿都座が開館した。1920年6月には竹内岩次郎が経営者となった。やがて枡席から椅子席に改修され、戦後には寿都劇場と呼ばれるようになった。1976年公開の『春琴抄』や1977年公開の『八甲田山』を上映した後、映画館としての歴史を終えた。1978年頃には三原光恵が建物を取得して民宿専業とした。*3

1957年の北日本出版社寿都町市街案内図には「寿都劇場」が描かれている。((山本竜也『続寿都歴史写真集』書肆山住、2021年、pp.34-35)。

寿都町には芝居小屋・映画館「寿都劇場」があった。竹内ミツエは寿都劇場を映画館兼民宿としており、楽屋を部屋としたほか、舞台にも部屋を作って客を泊まらせた。中体連や高体連の催しがあるときには60人も泊めたという。雨漏りがひどくなったため、最終的には隣接地の自宅を改装して客室を移した。2004年の台風18号で屋根が落ちたことを機に解体された。*4

寿都町字新栄町96の「寿都劇場」。木造2階建て、240坪。収容人員430。1920年9月1日設立。*5

寿都町新栄町の「寿都劇場」。1977年閉館。*6

寿都郡黒松内町

黒松内館/黒松内劇場/黒松内座
所在地 : 北海道寿都郡黒松内町(1970年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1970年
跡地は「黒松内郵便局」東南東100mの民家。最寄駅はJR函館本線黒松内駅。


1915年、黒松内村に芝居小屋「黒松内劇場」が開館した。やがて枡席が椅子席に改宗され、昼も夜も映画を上映する常設映画館となった。*7

1915年、黒松内村に「黒松内劇場」が開館した。1970年に火災で焼失した。*8

1960年頃の黒松内町にあった「黒松内劇場」周辺の写真あり。大正記念会館の屋根上から映している。左にはクリーニング店があった。煙突は豆腐店のものである。1970年の火災で焼失した。*9

1970年12月、「黒松内劇場」が全焼した。*10

磯谷郡蘭越町

昆布座/昆布劇場
所在地 : 北海道磯谷郡蘭越町昆布(1959年)
開館年 : 1946年4月1日
閉館年 : 1959年頃
跡地は「大林寺」北80mの更地。最寄駅はJR函館本線昆布駅。


1964年現在の蘭越町にある劇場は、「蘭越劇場」、「目名栄楽館」、「昆布座」の3館。蘭越劇場は1940年5月10日設立、315席。目名栄楽館は1946年1月10日設立、定員400人。昆布座は1946年4月1日設立、定員400人。蘭越劇場、目名栄楽館、昆布座の写真あり。*11
栄楽座/目名栄楽座
所在地 : 北海道磯谷郡蘭越町中目名(1966年)
開館年 : 1931年11月
閉館年 : 1966年頃


1964年現在の蘭越町にある劇場は、「蘭越劇場」、「目名栄楽館」、「昆布座」の3館。蘭越劇場は1940年5月10日設立、315席。目名栄楽館は1946年1月10日設立、定員400人。昆布座は1946年4月1日設立、定員400人。蘭越劇場、目名栄楽館、昆布座の写真あり。*12
蘭越座/蘭越劇場
所在地 : 北海道磯谷郡蘭越町(1970年)
開館年 : 1933年10月
閉館年 : 1970年頃


1940年5月10日、蘭越に「蘭越劇場」が設立された。1961年2月9日には蘭越劇場が全焼し、死者1名・負傷者3名を出した。*13*14

1964年現在の蘭越町にある劇場は、「蘭越劇場」、「目名栄楽館」、「昆布座」の3館。蘭越劇場は1940年5月10日設立、315席。目名栄楽館は1946年1月10日設立、定員400人。昆布座は1946年4月1日設立、定員400人。蘭越劇場、目名栄楽館、昆布座の写真あり。*15

1961年2月8日、磯谷郡蘭越町の「蘭越劇場」から出火し、木造モルタル一部2階建てが全焼した。東興業の劇団員である泉広(19歳)が死亡した。原因はストーブの不始末。損害は約1000万円。*16

虻田郡倶知安町

三浦座/布袋座(旧)
所在地 : 北海道虻田郡倶知安町(1927年)
開館年 : 大正時代以前
閉館年 : 1931年頃
跡地は「まちの駅ぷらっと」北120mの駐車場付近。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「倶知安町市街図」には「錦座」「布袋座」が描かれている。*17

倶知安町にある基線通りと十字街を総称して九号線市街と呼ぶ。木太善吉邸付近には1903年創業の芝居小屋「三浦座」があった。創業者は三浦徳兵衛であるが、大正初期に北4西2に移転し、すぐに吉田多三郎が買収して「布袋座」に改称した。1931年頃、吉田は「錦座」を買収して錦座を布袋座に改称し、旧布袋座の建物は解体した。1961年現在の九号線市街の地図には「三浦座」が描かれている。*18

倶知安町にある劇場通りの旧称は錦座通りであり、大正時代には「錦座」と「布袋座」という2館の劇場があった。布袋座は1961年現在の津端ミシン隣付近にあった。*19
錦座(倶知安町)/布袋座(新)
所在地 : 北海道虻田郡倶知安町基線通(1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年3月6日
跡地は「倶知安北郵便局」東50mのアパート「N4ホワイトハウス」。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


倶知安町には三浦徳兵衛が始めた「三浦座」があったが、大正初期に北4西2に移転し、すぐに吉田多三郎が買収して「布袋座」に改称した。1931年頃、吉田は「錦座」を買収して布袋座に改称し、旧布袋座の建物を解体した。*20

1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「倶知安町市街図」には「錦座」「布袋座」が描かれている。*21

1943年3月6日午後7時10分頃、倶知安町北2条西2丁目の映画館「布袋座」から出火し、700人の超満員の観客のうち208人が焼死した。産業組合の記念日で家族慰安会を開催中だった。映写室のフィルムに引火した際、座布団で消そうとしたが消しきれずに燃え広がったことに加え、積雪で非常口が開かなかった。*22

1943年3月6日、倶知安町において産業組合を農業会に改組する際の記念招待映画会が布袋座で催された。映画会の夜の部には約700人の観客がいた。19時10分頃、映写室内でフィルムに引火した際、映写技師が燃えるフィルムを室外に放り出したことで、入口付近と2階への階段付近が火の海となった2階の観客は窓から飛び降りるなどして建物の外に逃げたが、約3メートルもの積雪で1階部分の窓や非常口が閉ざされていたため、1階の観客に逃げ遅れた者が多かった。死者208名を出す惨事となった。*23

1966年8月、倶知安町の町営墓地である旭ヶ丘霊園に石碑「布袋座遭難者慰霊碑」が建立された。*24
中央劇場/倶知安中央劇場
所在地 : 北海道虻田郡倶知安町(1971年)
開館年 : 1953年10月
閉館年 : 1971年頃

倶知安劇場
所在地 : 北海道虻田郡倶知安町(1981年)
開館年 : 1944年
閉館年 : 1983年10月
跡地は「栄産ビル」やその南隣の建物。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


1983年10月、倶知安町の「倶知安劇場」が閉館した。最終上映作品は『時をかける少女』と『探偵物語』。1944年開館の劇場である。*25

虻田郡ニセコ町

旭座
所在地 : 北海道虻田郡狩太町
開館年 : 1920年頃
閉館年 : 1929年1月6日


1902年4月、狩太村元町の入口付近に劇場「狩太劇場」(狩太座)が開場した。1912年頃には「富士見座」も開場したが、1921年頃に営業を終了した。富士見座があったのは1982年現在の富士見13-27にある作井倉庫付近である。1920年頃には「旭座」が開場して芝居や映画の興行が行われたが、1929年1月6日に焼失した。1982年現在の栄荘の道路向かいである。*26

1937年の『大日本職業別明細図 第373号』「狩太市街図」には「旭座」が描かれている。*27
狩太町劇場/狩太劇場
所在地 : 北海道虻田郡ニセコ町(1966年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1964年
跡地はニセコ大橋の市街地側信号機付近。最寄駅はJR函館本線ニセコ駅。


1902年4月、狩太村元町の入口付近に劇場「狩太劇場」(狩太座)が開場した。1912年頃には「富士見座」も開場したが、1921年頃に営業を終了した。富士見座があったのは1982年現在の富士見13-27にある作井倉庫付近である。1920年頃には「旭座」が開場して芝居や映画の興行が行われたが、1929年1月6日に焼失した。1982年現在の栄荘の道路向かいである。戦前には八子キクと山本賢治の共同経営で「狩太劇場」が建てられた。1982年現在の本通10番地である。1950年には氏家隆雄が買収して東映系映画館とし、1958年にはシネマスコープ設備や1人掛け椅子を導入した。狩太劇場は1964年に閉館した。*28

虻田郡喜茂別町

巴座(喜茂別町)
所在地 : 北海道虻田郡喜茂別町
開館年 : 1930年7月、1936年10月末(建て替え)
閉館年 : 1948年5月
跡地は「喜茂別郵便局」。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


1922年12月、東倶知安村市街地に日向貞義が劇場「新富座」を建てた。1930年7月、日向は新富座を喜茂別市街地に移築して「巴座」とした。喜茂別町にとって初の劇場だった。1969年現在の大町の吉見喜策邸付近である。1936年8月20日、フィルムの引火によって巴座は全焼した。同年10月末、喜茂別魚菜市場だった建物を買収して再建された。巴座は1948年の大火で再び焼失した。*29

1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「喜茂別市街図」には「巴座」が描かれている。*30
喜茂別映画劇場/喜茂別映劇館/喜茂別劇場
所在地 : 北海道虻田郡喜茂別町(1971年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1971年頃
跡地は「セブンイレブン喜茂別町店」北60mの民家。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


1930年には喜茂別町市街地に日向貞義が劇場を建てた。火災焼失後には魚菜市場の建物を改修して営業を再開したが、1948年5月の喜茂別大火で再び焼失した。1952年、阿部喜春が営林署喜茂別駐在所裏手に「喜茂別劇場」を開館させた。*31

1952年、喜茂別町の営林署の裏手に阿部吉春が「喜茂別劇場」を建てた。喜茂別劇場は1953年12月4日に焼失したが、1954年には「喜茂別映劇」として再建された。1955年には藤川健吉が所有者となり、1967年には三瓶久一が引き継いだ。*32

1953年12月3日午前3時、虻田郡喜茂別町の「喜茂別劇場」から出火し、木造平屋165坪、映写機と発声器、フィルム『魚河岸の石松』が全焼した。ストーブの残り火の不始末が原因。*33

虻田郡京極町

倶知安鉱山会館
所在地 : 北海道虻田郡京極村脇方(1955年)
開館年 : 1941年5月
閉館年 : 1955年頃

高砂座/京極高砂座
所在地 : 北海道虻田郡京極村(1966年)
開館年 : 1918年
閉館年 : 1965年
跡地は「京極町役場」敷地。最寄駅はJR函館本線倶知安駅。


1937年の『大日本職業別明細図 第373号』「東倶知安市街図」には「高砂座」が描かれている。*34

1918年頃、京極村に岩内町から建物が移築されて「高砂座」が開業した。1919年の京極軽便線開業時の市街写真には高砂座も写っている。1922年には京極村に「新富座」も開業して高砂座と競合したが、1930年には新富座が喜茂別に移って「巴座」に改称した。開館当初の高砂座は株式組織であり、何度も経営者が交代した。戦後には高砂座から「京極劇場」に改称した。1965年には京極町役場の敷地として買収され、約50年の歴史に幕を閉じた。1977年現在の京極町役場の門の場所である。*35

虻田郡真狩村

真狩劇場
所在地 : 北海道虻田郡真狩村(1966年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1966年頃

虻田郡留寿都村

留寿都映劇/留寿都劇場
所在地 : 北海道虻田郡留寿都村大通(1964年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1964年頃


1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「留寿都市街図」には「劇場」が描かれている。(※戦後の留寿都映劇/留寿都劇場と同一施設かどうか不明)*36

留寿都村の知来別では「喜楽座」の活動が行われた。昭和に入ると武田タキから3枚の幕が寄贈された。戦後も喜楽座は続けられ、1961年頃まで青年団活動として行われた。(※建物の名称ではなく農村歌舞伎の上演活動を喜楽座と呼称しているように読み取れる。映画館名簿に掲載されている留寿都映劇との関係は不明)*37

岩内郡岩内町

二葉座
所在地 : 北海道岩内郡岩内町字清住(1965年)
開館年 : 1868年、1907年7月(移転)
閉館年 : 1965年頃
跡地は「佐竹建設」。最寄駅はJR函館本線小沢駅。


1867年、岩内町に二葉惣助が劇場を開いた。1907年には「二葉座」が新築移転した。*38

1906年7月、岩内町吹上町の劇場「二葉座」が焼失した。1907年7月、二葉座が新築移転した。移転後の二葉座の写真あり。*39

1916年の岩内町にあった劇場「二葉座」の開業10周年式典の写真あり。二葉座は1896年の火災で焼失したが、1907年に移転して再建され、1916年には開業10周年を迎えた。*40

1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「岩内町」には「万生座」「劇場 二葉座」が描かれている。*41

2018年5月26日から7月8日、岩内町の岩内町郷土館で企画展「岩内の演芸文化」が開催される。1868年に開館した「二葉座」開業150年を記念し、二葉座、「万生座」、「遊楽館」、「東栄劇場」と往時に4館、さらに「岩内ニューシネマ」もあった岩内町の劇場文化を振り返る。*42
万生座/岩内万生座/万生劇場/万生映画劇場/岩内万生映画劇場
所在地 : 北海道岩内郡岩内町万代(1968年)
開館年 : 1925年6月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「ホテルエンヴィ新館」。最寄駅はJR函館本線小沢駅。


1925年6月、岩内町に劇場「万生座」が落成した。工費2万円。経営者は万谷太吉と山本利一。*43

1925年、岩内町に劇場「万生座」が新築開館した。*44

1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「岩内町」には「万生座」「劇場 二葉座」が描かれている。*45

1962年の岩内町にあった映画館「万生映画劇場」前で撮られた記念写真あり。1968年まで営業した。*46

1964年頃の岩内町にあった映画館「万生座」周辺の写真あり。国道229号沿いにあり、右隣には時計店、さらに右には古田茶舗が見える。松竹系邦画や洋画の上映館だった。岩内町には劇場・映画館として、1868年開業の「二葉座」、1914年開館の「遊楽館」、1925年開館の万生座、1956年開館の「東映劇場」の4館があった。*47
遊楽館/遊楽映画劇場/岩内遊楽映画劇場
所在地 : 北海道岩内郡岩内町万代(1969年)
開館年 : 1916年5月
閉館年 : 1969年頃


1916年6月、岩内町に「遊楽館」が新築落成開館した。岡本庄一、梅沢昇太郎、広瀬藤太郎、菊地嘉助、奥成石太郎の共同経営。*48
東栄劇場/岩内東栄劇場
所在地 : 北海道岩内郡岩内町万代14-9(1983年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1979年
跡地は「岩内マリンホテル」東北東90mの「清寿司本店」。最寄駅はJR函館本線小沢駅。


江戸末期の演芸場に起源を持つ「二葉座」に加えて、「万生映画劇場」、「遊楽映画劇場」、「東栄劇場」と、全盛期の岩内町には映画館が4館あった。1979年に東栄劇場が閉館して映画館がなくなったが、同年8月には東栄劇場の映写技師である藤塚薫が近隣に「ニューシネマ」を開館させた。*49

1972年の岩内町にあった「東映劇場」(※東栄ではなく東映)ポスター貼り場の前を歩く女性の写真あり。「東劇」の文字が見える。高倉健主演作『新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義』、フランキー堺主演作『喜劇 怪談旅行』などのポスターが見える。*50
岩内ニューシネマ
所在地 : 北海道岩内郡岩内町万代12-7(2004年)
開館年 : 1979年8月
閉館年 : 2011年頃
映画館の建物は「おもない公園」東北東40mに現存。最寄駅はJR函館本線小沢駅。


岩内町万代12-7の「ニューシネマ」(1979年-2013年)。81席。江戸末期の演芸場に起源を持つ「二葉座」に加えて、「万生映画劇場」、「遊楽映画劇場」、「東栄劇場」と、全盛期の岩内町には映画館が4館あった。1979年に東栄劇場が閉館して映画館がなくなったが、同年8月には東栄劇場の映写技師である藤塚薫が近隣に「ニューシネマ」を開館させた。縦9列×横9列の小規模な映画館であり、邦画・洋画を問わず上映した。やがて不定期上映となり、2011年頃に休館した。*51

「岩内ニューシネマ」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*52

岩内郡共和町

七福座
所在地 : 北海道岩内郡共和村小沢(1957年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1957年頃

古宇郡泊村

茅沼炭鉱クラブ
所在地 : 北海道古宇郡泊村茅沼(1955年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1955年頃


1934年の『大日本職業別明細図 第373号』「泊村市街図」には「炭砿倶楽部」が描かれている。*53

茅沼炭鉱で自慢できる施設として映画館がある。「雪に埋もれた従業員のクラブ」の写真あり。*54
茅沼劇場
所在地 : 北海道古宇郡泊村茅沼(1965年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1965年頃

古宇郡神恵内村

映画館名簿によると古宇郡神恵内村に映画館は存在しなかったと思われる。

積丹郡積丹町

美国座
所在地 : 北海道積丹郡積丹町字美国(1969年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1969年頃


1899年、大倉太治兵衛によって劇場「大倉座」が落成した。大倉座は「美国座」の前身である。1937年には美国座の付近から出火し、市街地の約70棟が類焼した。*55

古平郡古平町

オリオン座
所在地 : 北海道古平郡古平町新地(1961年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1961年頃


1951年10月15日、古平町の「オリオン座」が落成して開館披露された。*56

1954年頃の古平町にあった「オリオン座」と「古平劇場」の看板の写真あり。『君の名は』、松竹作品『きんぴら先生とお嬢さん』、『独眼竜政宗』、『丹下左膳』、東映作品『薔薇と拳銃』、東映作品『急襲桶狭間』の看板が見える。*57
古平劇場
所在地 : 北海道古平郡古平町(1966年)
開館年 : 1938年頃
閉館年 : 1966年頃


1938年頃の古平町にあった「古平劇場」の写真あり。1938年11月7日に上棟式が行われた。1959年にはNHKの「この声百万ドル」の収録が行われた。*58

1946年、古平町の「古盛座」が改築されて「新盛劇場」となった。1950年10月29日、「古平劇場」で宝塚歌劇団の公演が行われた。*59

1954年頃の古平町にあった「オリオン座」と「古平劇場」の看板の写真あり。『君の名は』、松竹作品『きんぴら先生とお嬢さん』、『独眼竜政宗』、『丹下左膳』、東映作品『薔薇と拳銃』、東映作品『急襲桶狭間』の看板が見える。*60

余市郡余市町

余市座/余市館
所在地 : 北海道余市郡余市町大川町(1941年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前

恵比須座/新映劇場
所在地 : 北海道余市郡余市町富沢5(1962年)
開館年 : 1932年頃
閉館年 : 1962年頃


1932年5月27日、余市町の大火では約300戸が全半焼した。中心市街地の商店の大半、恵比須座、富澤廉売場などが焼失した。((『新聞と写真に見る北海道昭和史 1926-1989』北海道新聞社、
1989年、p.31))
昭和座/大黒座/銀映座/余市電気館
所在地 : 北海道余市郡余市町黒川町2(1963年)
開館年 : 1927年
閉館年 : 1963年頃

余市劇場/余市映画劇場/余市映劇
所在地 : 北海道余市郡余市町大川(1970年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1970年頃


余市町の映画館に言及している雑誌記事として、「余市の芝居小屋・映画館」『余市文芸』余市町文化協会、34号、2009年がある。*61

余市郡仁木町

井形座
所在地 : 北海道余市郡仁木町(1953年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1953年頃

余市郡赤井川村

映画館名簿によると余市郡赤井川村に映画館は存在しなかったと思われる。

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