閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

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熊本県

八代市

八代キラク1 喜劇場・八代キラク2 楽劇場
所在地 : 本町1-1 レジャープラザ喜楽館内(1980年)熊本県八代市本町1-1 アニメティプラザ・キラク(1990年)
開館年 : 1969年以後1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1969年の映画館名簿で本町1-36にある「喜楽館」が前身館と思われる。1980年・1990年の映画館名簿では「八代キラク1 喜劇場・八代キラク2 楽劇場」(2館)。喜劇場は「よろこび」、楽劇場は「たのしみ」。
八代駅前東宝劇場/八代駅前東映劇場/八代駅前東映
所在地 : 熊本県八代市萩原仲通(1969年)、熊本県八代市萩原町2-8-38(1980年・1990年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2010年以後2020年以前
1969年の映画館名簿では「八代駅前東宝」。1980年の映画館名簿では「八代駅前東映劇場」。1990年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「八代駅前東映」。
第一映劇八代第一映画劇場/八代第一映劇
所在地 : 熊本県八代市(1960年)、熊本県八代市萩原仲町442(1969年)、熊本県八代市萩原町2-8-10(1980年・1990年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1952年11月
閉館年 : 2010年以後2020年以前
1960年の映画館名簿では「第一映劇」。1969年・1980年の映画館名簿では「八代第一映画劇場」。1990年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「八代第一映画劇場」。

2002年、八代市萩原町のJR八代駅前にある「第一映画有限会社」(※会社名は掲載されているが館名は掲載されていない)が創立50周年を迎えた。これを記念して、2階席の一部の約30席を畳敷きの桟敷席に改装した。1952年11月、現在の支配人である森口力雄の父親が開館させた。入場税を払えずに映写機を差し押さえられたこともある。学校などに出張上映して営業を拡大してきた。*1

阿蘇郡小国町

小国シネ・ホール
所在地 : 熊本県阿蘇郡小国町宮原1988-7
開館年 : 1970年代
閉館年 : 2007年12月(定期上映終了)
2007年12月から休館中の映画館「小国シネ・ホール」(阿蘇郡小国町宮原)が、約8年ぶりに期間限定で上映会を行う。休館前は阿蘇郡唯一の映画館だった。2018年6月18日から6月24日まで、2016年4月の熊本地震前に県内で撮影された短編映画『うつくしいひと』をチャリティー上映する。*2

小国町中心部の宮原地区にはかつて約250席の「雄国館」があったが、1960年代後半に閉館。北村の父・弘義が同館の設備を賃借し、1970年代から不定期に映画興行を行ってきた。『砂の器』『スター・ウォーズ』などのヒット作を次々に上映したが、過疎化で観客が減少して賃借料の支払いが困難になったため、弘義は1983年に自宅を改装して小国シネ・ホールを開館し、不定期で上映を続けた。1994年頃に栄次朗が帰郷して手伝い、『もののけ姫』や『タイタニック』などを上映。町内外から入りきらないほどの客が訪れ、「雄国館」の建物でも臨時上映した。2002年頃には大規模改修。映画館用の固定椅子63席と音響設備。ワーナー・ブラザーズなどと契約し、常設館として最新作を毎日上映した。しかし熊本市近郊に相次いでシネコンが開業すると、客数が減少して2007年12月に休館。支配人の北村栄次朗50歳。2016年4月の熊本地震後、『うつくしいひと』を上映すると1週間で約350人が来館。以後は不定期で上映を再開し、2017年には『この世界の片隅に』、2018年6月には『blank13』を上映。町民数人が「小国シネマ倶楽部」を結成してチケット販売や宣伝用看板の製作を手伝っている。*3

大分県

別府市

別府日活ブルーバード/別府にっかつ・別府テアトルブルーバード/別府にっかつ劇場・別府松竹ブルーバード/別府松竹ブルーバード・シネマ ブルーバード/別府ブルーバード劇場
所在地 : 大分県別府市北浜1-2-12(1980年・1990年・2000年)、大分県別府市北浜1-2-12 ブルーバード会館2階(2010年)
開館年 : 1949年
閉館年 : 営業中
1969年の映画館名簿では「別府日活ブルーバード」。1980年の映画館名簿では「別府にっかつ・別府テアトルブルーバード」(2館)。1990年の映画館名簿では「別府にっかつ劇場・別府松竹ブルーバード」(2館)。2000年の映画館名簿では「別府松竹ブルーバード・シネマ ブルーバード」(2館)。2010年の映画館名簿では「別府ブルーバード劇場」。

中津市

中津銀映映画劇場/中津銀映/中津銀映1・2/中津シネマ1・2
所在地 : 大分県中津市大字島田町363-2(1980年)、大分県中津市駅前東本町レンガ館4階(1990年)、大分県中津市東本町458-1 レンガ館4階(2000年)、大分県中津市東本町1-1 ビッグパレスビル4階(2010年)
開館年 : 1981年(移転)
閉館年 : 2002年4月(中津銀映)、2011年3月(中津シネマ)
1969年の映画館名簿では「中津銀映映画劇場」。1980年の映画館名簿では「中津銀映」。1990年・2000年の映画館名簿では「中津銀映1・2」。2010年の映画館名簿では「中津シネマ1・2」。

2002年4月には中津市東本町の映画館「中津銀映」が閉館した。大分県北部と福岡県京築地区で唯一の映画館だったことから惜しむ声が多かったため、7月にはビルを所有する興行会社の西日本産業が一部改装してリニューアルオープンする。1981年にJR中津駅前のビル4階に中津銀映が開館。200席の銀映1と90席の銀映2があったが、シネコンの進出で観客数が伸び悩んだことで閉館していた。*4

豊後高田市

玉津東天紅
所在地 : 大分県豊後高田市玉津380-2
開館年 : 2017年4月
閉館年 : 営業中
2017年4月、豊後高田市の商店街「玉津プラチナ通り」にミニシアター「玉津東天紅」(たまつとうてんこう)が開館した。大分県北部唯一の映画館である。閉店したパン工場を改修。1933年に開館して昭和40年代に閉館した映画館「東天紅」が名称の由来。隔週の金曜・土曜・日曜のみ開館し、それ以外の期間はカラオケルームとして使用されている。鑑賞量は一般が1800円、60歳以上が1000円。現在は約450人の会員がおり、一般会員は1300円、60歳以上会員は500円。開業に際しての資金1500万円は、大分県と豊後高田市の補助金も入っており、行政が補助しながら運営する独特のスタイルの映画館である。大分市でシネマ5を運営する田井肇が作品選定に協力している。*5

宮崎県

宮崎市

宮崎東映劇場
所在地 : 宮崎県宮崎市中央通6-2(1990年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1999年1月17日(宮崎東映劇場)
Wikipedia : 宮崎東映劇場
1960年の映画館名簿では「宮崎東映」。1969年の映画館名簿では「宮崎東映劇場」。1980年の映画館名簿では「宮崎東映劇場・宮崎東映パラス」(2館)。1990年の映画館名簿では「宮崎東映シネマ1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1999年1月17日、宮崎市中央通の映画館「宮崎東映劇場」が閉館する。東映の直営館だった。理由は観客離れによる業績不振。施設は宮崎市内の興行会社が引き継ぎ、5月23日に洋画上映館「マジソンシアター」として再出発する。運営する九州東映事業によると、移転や建て替えなどの際に資料が廃棄されて詳しくわからないものの、1956年頃には開館していたとされる。1993年から現在の貸しビルで営業していたが、施設を借りてまで直営するメリットが薄れていたという。*6

1999年1月17日、宮崎市中央通3丁目の映画館「宮崎東映劇場」が閉館する。1スクリーン180席。観客数の減少による経営不振が理由。東映の子会社である九州東映事業が運営していた。宮崎県における大手邦画会社の直営館は宮崎東宝劇場のみとなる。昭和30年代初頭に開館し、1993年には現在の貸しビルに移転していた。1998年の観客数は2万7000人、興行収入は3700万円だった。宮崎市内の興行会社が施設を引き取って改装し、1月23日には洋画上映館「マジソンシアター」が開館する予定である。*7
宮崎セントラル会館
所在地 : 宮崎県宮崎市橘通西4-1-4(1980年)、宮崎県宮崎市橘通西4-1-2(1990年・2000年)
開館年 : 1977年
閉館年 : 2005年5月1日
1980年野映画館名簿では「宮崎スカラ座・宮崎東宝劇場・宮崎東宝プラザ・宮崎セントラル・宮崎オスカー」(5館)。1990年の映画館名簿では「宮崎スカラ座・宮崎東宝劇場・宮崎東宝プラザ・宮崎セントラル・宮崎アカデミー・宮崎オスカー・宮崎セントラル1」(7館)。2000年の映画館名簿では「宮崎セントラル・宮崎アカデミー・宮崎オスカー・宮崎ティアラ・宮崎東宝劇場・宮崎プラザ」(6館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2005年5月1日、宮崎市の映画館ビル「宮崎セントラル会館」でセントラル観光が運営していた映画館が閉館した。5月17日にはイオン宮崎内に、セントラル観光によるシネコンが開館する。1977年にセントラル観光が運営を開始し、宮崎県最大規模の映画館であった。宮崎セントラル会館の映画館は7スクリーン計1300席を有しているが、シネコンは9スクリーン計1832席となる。*8
宮崎松竹ピカデリー・宮崎にっかつ/宮崎ピカデリー・宮崎シネサロン/宮崎ピカデリー・宮崎シネサロン・宮崎マジソンシアター
所在地 : 宮崎県宮崎市中央通3-47(1980年・1990年)、宮崎県宮崎市中央通3-47 中めがね東洋ビル5階、4階(2000年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2007年12月21日
1980年の映画館名簿では「宮崎松竹ピカデリー・宮崎にっかつ」。1990年の映画館名簿では「宮崎ピカデリー・宮崎シネサロン」(2館)。2000年の映画館名簿では「宮崎ピカデリー・宮崎シネサロン・宮崎マジソンシアター」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2007年12月21日、宮崎市の映画館「宮崎ピカデリー」と「宮崎シネサロン」が閉館する。経営難などが理由。1974年に開館し、当初はピカデリーが大作映画、シネサロンが単館系作品を上映していた。宮崎市内にシネコンが開館したことで、2005年頃から観客数が減少し、ピーク時の半分まで落ち込んだことから、2007年9月に閉館が決定した。*9

2007年12月21日、宮崎市中央通の商業ビル5階にある「宮崎ピカデリー」と「宮崎シネサロン」が閉館する。2005年に宮崎市郊外にシネコンが開館して観客数が減少したことが理由。宮崎ピカデリーでは最終週の12月15日から12月21日に『ニュー・シネマ・パラダイス』を上映する。*10

2007年12月21日、宮崎市中央通の映画館「宮崎ピカデリー」が閉館する。12月15日からは「ラストショー」と題して、500円で『ニュー・シネマ・パラダイス』を上映する。*11

2007年12月21日、宮崎市中央通の映画館「宮崎ピカデリー」と「宮崎シネサロン」が閉館した。1974年に開館し、当初は「ピカデリー」が主に大作映画、「シネサロン」が主に単館系映画を上映していた。現在は単館系作品を中心とし、約800作品を上映してきた。最終上映作品は『ニュー・シネマ・パラダイス』。*12
宮崎ロマン東映/宮崎東映パラス/宮崎ロマン
所在地 : 宮崎県宮崎市中央通6-10(1980年・1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宮崎ロマン
1980年の映画館名簿では「宮崎ロマン東映」。1990年の映画館名簿では「宮崎東映パラス」。2000年・2010年の映画館名簿では「宮崎ロマン」。
宮崎キネマ館1・2
所在地 : 宮崎県宮崎市橘通東3-1-11 アゲインビル2階(2010年)
開館年 : 2001年3月24日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宮崎キネマ館
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「宮崎キネマ館1・2」(2館)。

2011年10月1日、宮崎市の映画館「宮崎キネマ館」で『僕たちは世界を変えることができない。』の舞台挨拶が行われ、主演した俳優の向井理が挨拶した。配給会社の東映は最も多くの応援メッセージを集めた映画館に向井を派遣するイベントを企画し、9745通のメッセージを集めた宮崎キネマ館は、全国108の映画館の中で首位となった。*13

宮崎市のミニシアター「宮崎キネマ館」で上映されている『カメラを止めるな!』には行列ができている。宮崎県で唯一の上映館であるため。人気に火が付く前から公開を決めていたが、ブームに火が付いたことで、予定より2週間早く8月11日から上映を開始した。8月26日に行われた上田慎一郎監督の舞台挨拶は、瞬く間に予約が埋まった。*14
宮崎セントラルシネマ
所在地 : 宮崎県宮崎市新別府町江口862-1 イオンモール宮崎内(2010年)
開館年 : 2005年5月17日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : セントラルシネマ宮崎
2000年の映画館名簿には掲載されていない。前身は2005年5月1日に閉館した「宮崎セントラル会館」。2010年の映画館名簿では「宮崎セントラルシネマ1-9」(9館)。

2005年5月、宮崎県初のシネコンが開館する(※自治体名や館名は記されていない)。1993年に初登場してから12年で、日本全体のスクリーン数の6割を超えるまでに急増しているが、47都道府県唯一の空白県だった宮崎県に進出して全都道府県を制覇することになった。3月には埼玉県のシネコンが閉館する予定だが、シネコンの閉館はおそらく全国初という。*15

延岡市

有楽映劇/延岡有楽映画劇場/延岡東宝有楽
所在地 : 宮崎県延岡市幸町88(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1960年の映画館名簿では「有楽映劇」」。1969年の映画館名簿では「延岡有楽映画劇場」。1980年の映画館名簿では「延岡東宝有楽」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。
延岡大師館・延岡名画座
所在地 : 宮崎県延岡市山下町2-6-6(1980年・1985年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1969年・1980年・1985年の映画館名簿では「延岡大師館・延岡名画座」(2館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
延岡ニュー旭館・延岡松竹劇場・延岡日活劇場・延岡東映劇場/延岡旭館1・2
所在地 : 宮崎県延岡市安賀多町3-3-1(1980年・1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「延岡ニュー旭館・延岡松竹劇場・延岡日活劇場・延岡東映劇場」(4館)。1990年の映画館名簿では「延岡旭館1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
延岡シネマ・延岡ピカデリー・延岡ロマン/延岡スカラ座・延岡ピカデリー・延岡セントラル/延岡セントラル1・2・3/延岡シネマ1・2・3
所在地 : 宮崎県延岡市北町1-1-13(1980年・1990年・2000年)、宮崎県延岡市中町17-9(2010年)
開館年 : 1970年
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 延岡シネマ
1970年開館。1979年現行ビル化。1980年の映画館名簿では「延岡シネマ・延岡ピカデリー・延岡ロマン」(3館)。1990年の映画館名簿では「延岡スカラ座・延岡ピカデリー・延岡セントラル」。2000年の映画館名簿では「延岡セントラル1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿では「延岡シネマ1・2・3」(3館)。

延岡市北町1丁目の映画館「延岡シネマ」は県北地域唯一の映画館である。1階から3階までに3スクリーンを有し、邦画や洋画の新作を上映している。数千万円かけて3D作品用の映写機も2台導入している。観客数が減少の一途であり、有田を除く6人のスタッフはパート勤務である。2012年7月27日には、『ブレイブハーツ 海猿』の上映に合わせて日向海上保安署が協力するイベントを開催する。5月には『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』の公開に合わせて、県北地域の女性議員6人の座談会を開催した。6月中旬には白雪姫を題材とする『スノー・ホワイト』の公開に合わせて、鍵盤の古典楽器の演奏会やグリム童話について語る会などを開催した。これらのイベントを企画したのは、1月に福岡市の映画配給会社から転身した支配人の有田美紀である。*16

都城市

神都館/都城神都館
所在地 : 宮崎県都城市上町2-19(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1960年の映画館名簿では「神都館」。1969年・1980年の映画館名簿では「都城神都館」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。
都城セントラル映画劇場/都城セントラル劇場・都城日活劇場
所在地 : 宮崎県都城市中町13-6(1980年・1990年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1969年の映画館名簿では「都城セントラル映画劇場」。1980年・1990年の映画館名簿では「都城セントラル劇場・都城日活劇場」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
都城東宝劇場/都城東宝劇場・都城東宝劇場2/都城スカラ座/都城シネポート別館
所在地 : 宮崎県都城市上町6-19(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2003年1月26日
1969年・1980年の映画館名簿では「都城東宝劇場」。1990年の映画館名簿では「都城東宝劇場・都城東宝劇場2」(2館)。1996年にシネポートの運営会社が都城東宝を引き継いで別館に。2000年の映画館名簿では「都城シネポート別館」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2003年1月26日、都城市の映画館「シネポート別館」が閉館した。1スクリーン180席。都城市にはかつて10館近くの映画館があったが、これによって3スクリーンの「シネポート」のみとなった。1962年に「都城東宝」として開館。当時は傾斜がある客席は珍しかった。1990年に経営者が交代して「都城スカラ座」に改称し、1996年にシネポート別館に改称した。観客数の減少や施設の老朽化などが閉館の理由。都城東宝時代には年間3万人以上の観客数があったが、1万人余りに減少していた。*17
都城東映劇場/都城シネポート/シネポート1・2・3
所在地 : 宮崎県都城市中町16-20(1980年・1990年・2000年)、宮崎県都城市北町1-1-13(2010年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : CINE PORT
1980年の映画館名簿では「都城東映劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「都城シネポート」。2001年移転。2010年の映画館名簿では「シネポート1・2・3」(3館)。

日向市

シネスクリーンアスティ1・2/シネスクリーンアスティ1
所在地 : 宮崎県日向市都町10754-11(1990年・2000年)、宮崎県日向市都町 日向寿屋3階(閉館時)
開館年 : 1987年10月14日
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年の映画館名簿では「シネスクリーンアスティ1・2」(2館)。2000年の映画館名簿では「シネスクリーンアスティ1」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。2スクリーン176席のビデオシアター。

日南市

日南大劇・テアトル日南/シネマ日南
所在地 : 宮崎県日南市岩崎3-13-1(1990年・2000年)
開館年 : 1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年の映画館名簿では「日南大劇・テアトル日南」(2館)。2000年の映画館名簿では「シネマ日南」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

鹿児島県

鹿児島市

鹿児島名画座
所在地 : 鹿児島県鹿児島市下荒田3-27-20(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島名画座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島有楽座・鹿児島ロマン
所在地 : 鹿児島県鹿児島市山之口町11-1(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島有楽座・鹿児島ロマン」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島文化プラザ120・鹿児島文化プラザ80
所在地 : 鹿児島県鹿児島市東千石町2-12(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島文化プラザ120・鹿児島文化プラザ80」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島東映劇場
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町13-24(1990年)
開館年 : 1962年3月15日
閉館年 : 2004年9月16日
1990年・2000年の映画館名簿では「鹿児島東映劇場」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1962年3月15日に東映会館が開館。鉄筋コンクリート造1790m2。地上3階・地下1階建。地下1階と1階が映画館。2階と3階はキャバレーエンパイア。2004年9月16日には閉館。東映九州最後の直営館だった。翌日の9月17日には西鹿児島駅前に鹿児島ミッテ10が開館している。
松竹高島劇場/鹿児島松竹タカシマ/松竹タカシマ1・2・3
所在地 : 鹿児島県鹿児島市
開館年 : 1987年4月25日
閉館年 : 2005年5月5日
1990年・2000年の映画館名簿では「鹿児島ピカデリー・鹿児島松竹高島」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1987年4月25日に開館。2階がピカデリー、4階が松竹高島劇場。2000年8月には松竹高島劇場が3スクリーンの鹿児島松竹タカシマに。2005年5月5日に閉館した。*18
文化劇場/鹿児島シネシティ文化
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町5-6(1980年)
開館年 : 1957年9月
閉館年 : 2006年6月5日
1990年の映画館名簿では「鹿児島シネシティ文化1-4」(4館)。2000年の映画館名簿では「鹿児島シネシティ文化1-5」(5館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2006年6月5日をもって、鹿児島市の天文館地区にある映画館「シネシティ文化」が休館した。2004年9月に鹿児島市中央町のアミュプラザに開館したシネコン「鹿児島ミッテ10」の影響で観客数が減少したため。シネシティ文化や鹿児島ミッテ10を経営する有楽興業によると、7月か8月に特別興行を行う予定。1957年に「鹿児島文化劇場」として開館した。6スクリーン計833席を有し、鹿児島ミッテ10が開館するまで鹿児島県最大の映画館だった。*19

2006年10月11日をもって、鹿児島市の天文館地区にある映画館「鹿児島東宝」が休館した。天文館で最後の映画館だった。*20

福岡県の有楽興行は鹿児島県に進出し、1957年9月に富士館を文化劇場と改称して鹿児島の拠点とした。1959年に劇場を新築し、鹿児島市の洋画館として初めて冷房設備を設置した。文化劇場・銀ザシネマ・銀座劇場の洋画上映館3館は提携して番組編成を行っており、文化劇場はその要となった。1988年9月には約10億円を投じた地上7階・地下1階のシネシティビルが千日町天文館通りに完成し、4スクリーンの複合映画館「シネシティ文化」が開館。厳密にはシネコンの定義には当てはまらない。1990年6月には5スクリーンに増やし、2003年12月には6スクリーンに増やした。2004年にミッテ10が開館したことなどが理由で、2006年6月5日から休館し、10月7日には営業再開の断念を決定した。*21
鹿児島東宝銀映座/鹿児島東宝銀映・鹿児島東宝スカラ座/鹿児島東宝銀座・鹿児島東宝スカラ座・鹿児島銀座劇場/鹿児島東宝1・2・3
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町14-28(1980年・1990年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2006年10月11日
1969年の映画館名簿では「鹿児島東宝銀映座」。1980年の映画館名簿では「鹿児島東宝銀映・鹿児島東宝スカラ座」(2館)。1990年の映画館名簿では「鹿児島東宝銀座・鹿児島東宝スカラ座・鹿児島銀座劇場」(3館)。2000年の映画館名簿では「鹿児島東宝1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

鹿児島市千日町にある映画館「鹿児島東宝」は3スクリーン計650席を有する。1964年に建物が完成した。受付にはスナック菓子・ポップコーン・パンフレットが並ぶガラスケースがある。*22

2006年10月11日には鹿児島市の映画館「鹿児島東宝」が閉館し、南九州随一の繁華街である天文館から映画館が姿を消す。天文館には1911年に常設映画館が開館し、最盛期には16の映画館がひしめいていた。2年前の時点ではシネシティ(6スクリーン)、鹿児島東映、松竹タカシマ(3スクリーン)、鹿児島東宝(3スクリーン)の4館計13スクリーンが営業していたが、JR鹿児島中央駅前のアミュプラザに開館したシネコン「鹿児島ミッテ10」の影響は大きく、まずは鹿児島東映と松竹タカシマが閉館し、2006年6月には天文館にある6スクリーンの映画館「シネシティ文化」も閉館していた。2006年10月14日には郊外に10スクリーンのTOHOシネマズ与次郎が開館するため、鹿児島東宝の閉館が決定した。*23

2006年10月、鹿児島市の天文館地区にある映画館「鹿児島東宝」が閉館する予定である。10月には与次郎地区のジャングルパーク跡地に10スクリーンの複合映画館が開館する予定であり、移転という形になる。3スクリーン計650席を有している。*24

1995年には東宝銀座が3スクリーンの鹿児島東宝に。鹿児島東宝は2004年10月14日をもって閉館。翌日には鹿児島市郊外にTOHOシネマズ与次郎が開館している。*25
鹿児島旭シネマ
所在地 : 鹿児島県鹿児島市中央町20-12(2010年)
開館年 : 1977年2月
閉館年 : 2017年9月30日
1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「鹿児島旭シネマ」。晩年は鹿児島県唯一の成人映画館だった。

1977年2月、上町東映の経営者は西鹿児島駅周辺の平和通り(ベル通り)に西駅旭シネマを開館させた。西鹿児島駅周辺では久々の映画館だった。*26
鹿児島ミッテ10
所在地 : 鹿児島県鹿児島市中央町1-1 アミュプラザ鹿児島6階
開館年 : 2004年9月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「鹿児島ミッテ10 1-10」(10館)。10スクリーンのシネコン。

2004年3月には九州新幹線の新八代駅=鹿児島中央駅間が開業。同年9月には鹿児島中央駅ビルに隣接して複合商業施設「アミュプラザ鹿児島」が開業し、6階にシネコン「鹿児島ミッテ10」が開館。10スクリーン計1922席。東映の子会社と有楽興行の合弁会社が運営。*27
TOHOシネマズ与次郎
所在地 : 鹿児島県鹿児島市与次郎1-11-1 フレスポジャングルパーク内
開館年 : 2004年10月15日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ与次郎1-10」(10館)。
ガーデンズシネマ
所在地 : 鹿児島県鹿児島市呉服町6-5 マルヤガーデンズ7階
開館年 : 2010年4月4日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。
天文館シネマパラダイス
所在地 : 鹿児島県鹿児島市東千石町19‐1 LAZO表参道3階
開館年 : 2012年5月3日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。7スクリーン計875席のシネコン。

鹿屋市

鹿屋テアトル文化
所在地 : 鹿児島県鹿屋市本町4-6(1980年・1990年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1992年2月
1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「鹿屋テアトル文化」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1992年2月には鹿屋市のテアトル文化が閉館。鹿児島県内では鹿児島市以外にあった唯一の映画館だった。2000年8月には奄美市にシネマパニックが開館するまで、約8年間は鹿児島県内の映画館は鹿児島市のみという状態が続いた。*28
リナシアター
所在地 : 鹿児島県鹿屋市大手町1-1 鹿屋市市民交流センター内
開館年 : 2007年4月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「リナシアター」。

2007年4月に鹿屋市民交流センター「リナシティ」にリナシアターが開館。鹿屋市の指定管理施設。座席数68席。

西ノ表市

西ノ表文化劇場
所在地 : 鹿児島県西ノ表市西町3-2(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「西ノ表文化劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

奄美市

シネマパニック
所在地 : 鹿児島県奄美市名瀬有屋町2-3
開館年 : 2000年8月3日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「シネマパニック機Ν供廖

2000年8月3日には名瀬市に映画館「シネマパニック」が開館した。1989年に閉館した映画館の跡地を改装しており、140席と50席の2スクリーンがある。鹿児島県の地方部としては8年ぶりの映画館である。*29

鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬末広町には映画館「シネマパニック」がある。書店を経営する川上富久は児童雑誌の映画鑑賞券を突き返されたことで映画館の設立を志し、閉館して10年以上経つ映画館の建物を改装して、2000年にシネマパニックを開館させた。離島ではフィルム配給の都合で上映が遅れがちになり、劇場公開より先にレンタルビデオが出回って映画館が衰退していったが、川上は独自ルートを開拓して本土との同時公開に努めている。2003年には沖縄県石垣島で閉館に追い込まれた映画館を引き継いで、「シネマパニック石垣」(現・シネマパニック万世館)を開館させた。*30

2010年6月1日には奄美市の「シネマパニック」が閉館した。鹿児島県の離島部唯一の映画館だった。*31

伊佐市

大口喜楽館
所在地 : 鹿児島県里2070(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「大口喜楽館」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

姶良市

シネマサンシャイン姶良
所在地 : 鹿児島県姶良市東餅田336 イオンタウン姶良東街区3階
開館年 : 2010年以後
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。

熊毛郡中種子町

平興行
所在地 : 鹿児島県熊毛郡中種子町野間旭町(1980年)

沖縄県

石垣市

シネマ石垣
所在地 : 沖縄県石垣市美崎町7-14(1990年・2000年)
開館年 : 1985年以後1990年以前
閉館年 : 2001年
2001年にはシネマ石垣が閉館した。2003年7月12日には営業を再開した。*32

宮古島市

宮古マイナミ
所在地 : 沖縄県平良市西里158(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1990年の映画館名簿では「宮古琉映」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
宮古琉映
所在地 : 沖縄県平良市下里563(1980年)、沖縄県平良市西里563(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年・1990年の映画館名簿では「宮古琉映」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
宮古国映/シネマパニック宮古島/よしもと南の島パニパニシネマ
所在地 : 沖縄県平良市西里293(1980年・1990年・2000年)、沖縄県宮古島市平良字西里261-2(2010年・2020年)
開館年 : 1980年以前(宮古国映)、2005年8月6日(シネマパニック)、2014年8月8日(パニパニシネマ)
閉館年 : 営業中
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「宮古国映」。2010年の映画館名簿では「シネマパニック宮古島」。2020年の映画館名簿では「よしもと南の島パニパニシネマ」。

宮古島市は人口5万5000人の町である。市役所や飲食店が集まる中心部、宮古島市平良西里に3階建ての雑居ビルがあり、2階に映画館「シネマパニック宮古島」がある。2006年8月6日で開館1周年を迎えた。116席の1スクリーン。かつては「宮古国映館」という名称であり、4年半前に閉館してライブスタジオに転換していた。現支配人も下地昌伸が奄美大島で「シネマパニック」を経営している川上富久茶町に直訴し、宮古国映館を借りて復活させた。*33

宮古島市の映画館「シネマパニック宮古島」が存続の危機にある。デジタル映写機による上映が主流となったが、シネマパニック宮古島はフィルム映写機しか所有しておらず、2014年正月のアニメ作品を最後に新作映画が上映できなくなっているためである。2005年にシネマパニック宮古島を開館させた館主の下地昌伸(48)は、デジタル機器導入のために寄付を募っている。シネマパニック宮古島は日本最南端の映画館として知られる。*34

2014年8月8日、宮古島市にある映画館「シネマパニック宮古島」(下地昌伸代表)が「よしもと南の島パニパニシネマ」としてリニューアルオープンする。よしもとクリエイティブ・エージェンシーの協賛を受け、デジタル対応の上映機材を導入する。沖縄国際映画祭を開催している吉本興業グループのよしもとクリエイティブ・エージェンシーは、10年契約で館名をよしもと南の島パニパニシネマとするネーミングライツ(命名権)を300万円で購入した。8月2日からプレオープンイベントを行い、沖縄国際映画祭で審査員特別賞を受賞した品川ヒロシ監督作品『サンブンノイチ』など11作品を上映する。8月2日には品川監督の舞台挨拶が行われる。8月8日のオープン日には『トランスフォーマー ロストエイジ』も上映する。*35

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